日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI

名前のことだまを入り口に、和ごころに気づけるブログです。

プロフィール

日野  愛子

Author:日野 愛子
日本人がもう一度、日本人になろう。

皇紀2671年3月11日、
再び、ほんとうの幸せに戻るための、
大きく舵を切れた転換点にするために。

いつもほんとうのことを知ろうとすること、
いつも自分の中の愛に聞いて、
一歩を選べるように。

知ることへの道は、愛のはじまり。

名前のことだまを入り口に、
素敵な日本に氣づけるブログです。

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私の家の庭には、

5~6年前、取材に行った際に頂いてきた、
ジャーマンアイリスの花が、

毎年今の時期になると、綺麗に花を咲かせてくれます。


ジャーマンアイリスは、比較的丈夫で、
水はけのよい乾燥した土のもとであれば育つのだそう。

そうであるとしても、
うちの庭の条件はひどいです。


ジャーマンアイリスを植えるために、
多少よけたことはよけたけど、

周囲は大きな砂利に囲まれています。


育て方のマニュアルにあるような、植え替えも、
してあげれていません。


それでも毎年、この時期になると、見事優雅な花を咲かせます。




【花は、生き方を迷わない】

どんな環境であろうとも、
私は、このように咲くと、決めているから、

例え周囲の状況が整っていなくても、
本来の自分自身を、見事に咲かせようとします。


私たちは花ではないから、
生き方をよく、迷います。

周囲の状況によって、心はいつも、右往左往します。


それでも、

【自分の機嫌は、自分でとる】

例え周辺の状況がどんなに自分にとって望ましいものでなくても、
自分の心と身体のために、そして周囲の大切な人のためにも、

自分の機嫌は自分でとる。


嫌だと思うことに、注目し過ぎて、囚われて、
そのことを考え過ぎてしまうことは、

大切な大切な、自分自身の人生を生きていないということ。
周囲に振り回されているということ。


あなた自身の人生を、前に進めなくては。


少しは囚われて、凹んだり荒んだりすることもいい。

周辺の状況も少しは味わったなら、
またあなたは、

自分の心が気持ちいい場所へ、きちんと自分を返してあげて。


どうしてもうまく出来ないときは、
思ってもいなくても、ニッと口角を上げてみるだけでもいい。

無理にでもニッコリすれば、
脳はそれを喜びだと勘違いしてくれて、本当に気持ちいい状態が、帰ってくる。


あなたのためだけじゃない。
あなたとあなたの周囲の大切な人たちのために。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子


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3月3日の桃の節句、ひなまつり。

もう雛飾りのお片づけに取りかかっていらっしゃいますか?


言い伝えのように、
『雛飾りをしまい遅れるとお嫁に行けない』ということを気にして、

急いで片付けられるご家庭が多いようですね。


本当にお嫁に行けないのかな…?



これは、
『自分の物は自分で終いをしなさい。
そんなことも出来ないようでは、嫁の貰い手がありませんよ。』

という、親から子への、躾のための言葉だったのです。


昔は、お嫁に行けないということは、
女性にとって本当に大変なことでしたので、

最大の躾文句であったようです。


本当の教えは、

雛飾りの時だけきちんと終いをしなさいということではなく、
普段からそのようにしなさい、ということだったはずですが、

残念なことに、そうは伝わってきていない様子。


ひな祭りは、そもそもが、【厄払いの行事】であることを、
ご存知でしょうか。


人の形に紙を切り抜いた人形(ひとがた)で、体をなでて、穢れを落とし、
その後、海や川に流すという、無病息災を祈っての祓の行事でした。


江戸時代頃から、
紙を流しては川が汚れる、ということからか、
現在の雛壇を飾る「雛祭り」へと変わっていきました。

今でも流し雛を行っている地方も、あるようですが。


「桃の節句」というのも、
古来より、桃は邪気を祓うものと位置づけられていたからでしょう。

そういえば、古事記でも、

亡くなった伊邪那美尊を追って、黄泉の国に入った伊奘諾尊が、
追手から逃れるために、走りながら桃を投げた、とされていますものね。


邪気を払うためのもの。

ですから、雛飾りが汚れたり、壊れたりすることを、怖がらないでくださいね。

お子さんが雛飾りを手に取ったりして汚すことを恐れて、
触ろうとするたび、怒ったりしないで。

お子さんは、
雛飾りを見ると、怒られるという嫌なイメージを浮かべてしまうようになるから。


汚れたり壊れたりしては、不吉かしら?と思う方がいますが、その逆です。


お子さんの代わりに、汚れたり傷ついたりしてくれたのです。


汚して叱るよりも、
『このお雛様はね、あなたの代わりに傷ついてくれたのよ。』と教えてあげてください。


何か目に見えないけれど、
自分を守ってくれる存在があるということ、

お陰さまの精神が、早くから、身につきますよね。


【そのことを通して、何を学ぶか】

それを、教え、身につけさせてあげることが、
文化を伝承していくことの意義のように思います。



断捨離と最近はよく、物を捨てることが流行っていますが、
生活に便利な効率だけを考えた物との付き合いのみでなく、

こうした、
邪気払いや御身代わりの考え方のある日本人の文化も、

知っておくと少し、見え方が違ってくるかもしれません。


さみしいことに核家族化が進み、
大きな雛飾りが似つかわしくないお家が多いことも事実です。

それでも、
全く何も無いよりは、

と、最近では、色々な雛人形も、ありますね。


色々なことを知った上で、
どんな方法を自分は選ぶのか、考える。


そんなクセを、つけたいですね。




今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子




本日は、日本で〈踊り〉というものの存在が、
公に認められた日、と云えるかもしれません。


慶長12年の今日、

出雲の阿国が、江戸城で将軍徳川家康や諸国の大名の前で、

初めて歌舞伎踊りを披露した、とされています。

その後彼女の消息は不明。


〈踊り〉の発祥と云われる彼女のことは、

出生地、没年のみでなく、よくわかっていないことが多いです。




しかしこの出雲阿国の踊りが、

現在の歌舞伎の前身だとされています。


しかしながら私は、
どちらかと云えば、

現在でいうところの〈歌舞伎〉よりも、〈大衆演劇〉のほうが、

これを伝承したものだと思っています。


厳密に云えば、

歌舞伎踊りの中から、

現在で云う歌舞伎へと発展していった流派と、
大衆演劇へと発展していった流派があった。


今ではすっかり、歌舞伎と大衆演劇とは、全く別の物のようになり、


歌舞伎は、
富裕層の嗜み観劇というような位置づけで、

期間内の演目は毎日同じであり、役者さんがお客様と触れ合うことはありません。


大衆演劇は、
ドサ回りなどと呼ばれ庶民の愉しむものとされ、

劇場や劇団にもよりますが、毎日、場合によっては昼と夜でさえ、
演目が常に違うものを演じ分けており、

公演終了後は、送り出しといって、
必ず、役者さんがお客様の退場を最後まで見送ります。


内容も違いますし、一概に比べることはできませんが、
入場料は大衆演劇は歌舞伎の5分の1ほどと、あまりに安価です。


それらに対する、
一般の方々の見方、位置づけも、ずいぶん違っています。


私はたまたま、
この大衆演劇を生業とし、その世界でトップを走っている人たち、何人かと、

親しくさせていただいていましたので、


彼らがどんな環境下に居ながらプロ意識を保っているのか、どのような問題を抱えているのか、

よく知っていました。


歌舞伎役者さんは、プロ意識が高く、
大衆演劇役者さんは、そうでもない、

と思われてしまうケースがとても多いのが、いつも残念でした。


彼らが受け取っている報酬には、
それはもう、まさに雲泥の差があります。


歌舞伎役者さんも、もちろんプロ意識は高いでしょう。

けれど、
大衆演劇の役者さんの中にも、トップを続けているような人たちは、

報酬などほんの僅かなものでも、
見下げられたような扱いを受けても、


毎日変わる演目を、むしろ自分たちで全てを手作りしながら、
一世一代の晴れ舞台を舞っているかのごとく、

晴れ晴れと胸を張って舞台に立つ人たちもいます。


彼らの環境の劣悪さを知っているからこそ、

腐らず輝ける役者さんたちを、精神面でとても尊敬していました。



時に、

人の評価というものは、とても残酷です。


本当の事情を見ずに、本質を捉えることなく、

表面的なものや、イメージと呼ばれる勝手な勘違いにより、


心ないジャッジを下して、懸命な人たちの心を傷つけたりしています。



フィギュアスケートの浅田真央選手にしても、

あまりにも素晴らしすぎる才能がゆえに、
あまりにも壮大なフィギュアスケート界の仕掛けたトラップの餌食になってしまっているのではないか。

私にはそんな風にも見えます。


改正に次ぐ改正の、ルール。
何かとても、不自然です。



事情を見ず、本質を捉えず、イメージ(意図を持った他者によって作られたもの)に左右され、

自分自身の感覚によって、選択する、生きることを見失ってしまうことは、


一度きりの自分の人生を、
自分を生きることが、出来なくなってしまうことなのではないでしょうか。


本質は、難しいものではなく、とてもシンプルで、

色眼鏡を外すことさえできれば、

どんな人にも分かるはずだから、


自分の人生を生きるために、

流されるのを少しやめて、自身の感覚を、大切にしていきたいものだと、思います。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子











2月3日節分。
豆まきや、恵方巻きのかぶりつき、なさいましたか?

恵方巻きは、
その年縁起の良い方角を向いて、切っていないものを、無言で食べきるものですが、

縁を切らない、福を巻き込む、というような意味合いがありますね。


会社から帰ってきたのが21時過ぎで、
今年は食べないままかなぁ~と思っていたら、

お隣のおばあちゃんが、手作りの恵方巻きを届けてくれていました!
有難いなぁ…

七福神にちなんだ、七つの具材。
美味しく、有難く、静かに、いただきました。



さて、今日は仕事で、香川大学にお邪魔していました。

数々の研究成果なども見せていただきました。




中でも私が、いちばん惹かれた研究は、

《放射性物質に汚染された土壌の除染手法の開発》

香川大学の吉田秀典教授の発表です。


私は、東北の、

放射性物質に汚染された土地に居る方には、
可能な限り、別の土地に移ってほしいな、と思っています。

様々事情があることは承知の上でも。


それでも、残る選択をせざるを得ない人、
現に、今の時点で、まだ残っておられる方々には、

どうか、どうか、
可能な限り、放射性物質との正しい向き合い方を知ってほしいと思います。



除染、といっても、

手軽に出来るからと、

高圧洗浄や、表土の切り取り、土の上下層の入れ替えなど、

多くの場合、このような、意味をなさない、
むしろ、悪影響を及ぼしてしまうような方法で、

除染作業が行われている現実があります。


吉田教授の発表は、素人の私にもよく分かる理屈でした。


セシウムとストロンチウムの性質上、
粘土質に吸着されて、かつ、一度吸着されたら外に放出されることはないので、

これを利用して、

土壌の中に電流を流しイオン化させ、
土壌表面に置いた5ミリ程度の粘土質に、付着させる仕組み。



簡易でありながら、確実なんです。

土壌をやみくもに削って、埋め立てる場所がない、という事態にもならず、
確実に、既に地中にある放射性物質を吸い上げて取り去ることができる。

これは素晴らしい!と思いました。

実用化のためには、これから様々なパートナーシップが必要。

ぜひ、皆さんにも注目していただきたいです。


それに。
大規模な除染ではなく、たとえば、自宅の庭だけ、とか、
近所の公園だけ、とかであれば、

製品化などしていなくても、
電気を流す道具さえ揃えれば、誰にでも出来ます。



また、世界には、
大気中の放射性物質を分解することのできる、家庭用空気清浄機も存在します。


大規模な一斉除染方法は、現在のところ、
すぐに実践できる的確な方法が見当たりませんが、

家庭内であれば、
部屋の中を完全に無菌状態にしたり、

土の中に溜まっている放射性物質を除去したりすることが、

現実に、出来るんです。



私は、直接的に、東北にお住まいのお友達がいないので、
お節介をやくことができないのですが、

私の友達、知り合いが、
東北に長く滞在したり、住まわねばならないとなれば、


無理やりにでも、私は、このことをお勧めすると思います。


理由は、

ただ、ただ、助けたいからです。


助かる方法を知っているのに、伝えないのは、罪だと思うからです。


自分が知った本当のことは、ぜんぶ、伝えたい。

ありがとう。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

目指すものがある時は、
一心に向かっていくので、ともかく時間はいくらあっても足りず、

あっという間に時間が過ぎ、
慌ただしくも、充実しているものですが、


普段から、
じぶんの心に敏感でいると、

そういう時にも、

あっ、心が少しざわついてきたな、と感じることがあります。


きちんと向かっているけれど、
なにか、ざわつく。


そんな時は、

じぶんの心を、

まっすぐにスコーンと抜いてくれるような、
透明にしてくれるような、

いつもの場所に振り戻してくれるような、

何かを、
知っておくといいですよね。



近頃は私にとって、それが、サンキャッチャーです。


寺社に出向かなければ浄化されにくかった感覚も、

出向く間も無い、
僅かに数分の隙間の時間しか無い時でも、

じぶんの心を正常なところに持っていくために、


車内でも、部屋の中でも、
そこにあるサンキャッチャーに目をやるだけで、

すぅーっとざわめきが収まっていきます。



【太陽の光を集めて、虹をつくる】

【じぶんの居る場所に、聖域をつくる】


もともとは、サンキャッチャーは北欧の文化だけれど、

受け入れと応用の文化を持つ日本に入ってきてから、

もっともっと、
多様でお洒落なサンキャッチャーが増えています。





今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

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