日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI

名前のことだまを入り口に、和ごころに気づけるブログです。

プロフィール

日野  愛子

Author:日野 愛子
日本人がもう一度、日本人になろう。

皇紀2671年3月11日、
再び、ほんとうの幸せに戻るための、
大きく舵を切れた転換点にするために。

いつもほんとうのことを知ろうとすること、
いつも自分の中の愛に聞いて、
一歩を選べるように。

知ることへの道は、愛のはじまり。

名前のことだまを入り口に、
素敵な日本に氣づけるブログです。

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数え切れない程の人とすれ違う中で

人として出会えたこと、痛く幸せに想う


無表情に流れ行く人波の中
あなたに会えたのは、なぜだろう

出会うことの無い僕たちならば決して
言葉交わすこと無く過ぎ去っていただろう

数え切れない程の人とすれ違う中で

人として出会えたこと、痛く幸せに想う


目の前に居る人がそこに居て
当たり前になっていた

あの日あの時「奇跡」とも言える瞬間が無ければ
笑い合うこと無かったよ


こんなに沢山の感情分け合ってきたのに
全て無かったかもしれないと想うと

怖ささえ覚えるよ
ほんとに会えてよかったよ

数え切れない程の人とすれ違う中で

人として出会えたこと、痛く幸せに想う



あの日生まれなかったら
あの街に住んでいなかったら

あの電車に乗ってなかったら
あの日が休みじゃなかったら

あの会社じゃなかったら
あの学校に行ってなかったら

あの日晴れてなかったら
あの夜星が降ってなかったら


あの時話し掛けなかったら
あの時気付いてなかったら

あの時覚悟決めなかったら
あの時叫んでなかったら

あの時別れてなかったら
あの時「好き」と言ってなかったら


痛み喜び感じずに僕は

あなたを知らないままだった


数え切れない程の人とすれ違う中で

人として出会えたこと、痛く幸せに想う



大切なあなたへの歌を唄いたい


人として出会えたこと痛く幸せに想う



【人として/ロックバンドおかん】





出逢ったときから仲間として応援してきた、
ロックバンドおかんの代表曲のひとつ【人として】


改めて、この歌を聴くとき、歌うとき、

本当に偉大な歌だなぁと思います。



インディーズでありながら、

大阪城ホール単独公演を成功させ、
台北で10万人のステージで歌い、

なお、原点にかえって路上で歌うような彼ら。


この歌は本当に、路上が似合う。



どんな人の、どんな人生も、すべて、みんな、
きっと、

こんな風なはずです。


誰ひとり欠けても、
何ひとつ違っても、


あなたがこれまで、

喜んできたことも、嘆いてきたことも、

どれひとつ欠けても、



今のあなたはここに居ない。



すべての出逢いは、寸分違わずに起こっているんだなぁ~



時にとんでもなくドラマチックに感じる出逢いもあったし、

さも出逢えたのが当たり前かのような自然な出逢いもあった。


けれどそのすべてが、大切だった。

後になった今では、すべてが必要だったと感じる。


どんなに遠回りでも、
まるですべては、今への時間調整だったかのように。


だから。


今起きている出来事も、
どんな風に私がいま感じていようとも、

すべて、必要な出来事だ。



明日は、陽子ちゃんと京都に向かいます。

陽子ちゃんと出逢ったのは、
ロックバンドおかんの大阪城ホール単独公演LIVE当日。

旅の目的は、将平くんのボクシングの試合観戦。


将平くんと出逢ったのは、
嵐山駅に私が間違って乗り込んだから。

間違って乗り込んだうえに、
盗撮に遭うという稀な出来事が起きたために、

近くに乗り合わせた将平くんが止めに入ってくれたから。


素晴らしい青年だ~、と、
その後ロックバンドおかんのLIVEに連れてったりしました。


明日、彼の同じ高校出身の先輩、
金メダリストの村田諒太選手のアンダーカードとして、
プロ12連勝目を賭けた戦いです。



人との出逢いというのは、本当に不思議ですよね。

一体、どこで、何が起きるのか、予測できません。



あなたの今、身近にいる、

あなたによく、小言を言ってくれる、

あなたのことを、誰よりも愛してくれる、

あなたがこの世に生を受けたいちばん最初の瞬間からこれまで、

ずっとあなたを見守り続けてくれている、

あなたのご両親とも、


寸分違わずに、あなたは奇跡の出逢いを遂げています。


そもそもその奇跡が無ければ、


何も、無かった。


すべて、無かった。


私たちが今ここに居られることは、

武者震いが止まらなくなる程に、本当に、


奇跡が幾重にも幾重にも幾重にもかさなっていて。


あなたの存在そのものが、

眩いばかりの奇跡に包まれていて、輝き過ぎて直視できない程だということに、氣づきます。


そしてそんな奇跡のようなあなたと、
奇跡のような私が出逢うなら、


もう、言葉では表現しようのない、奇跡ですね…



だから、すべての人は、光なんですね。





人として出逢えたこと、痛く幸せに思います。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子



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2014.05.13

今を生きる

『今を生きる』 というと、


過去の

喜びも、楽しさも、悲しみも、辛さ、恨みがましい気持ちも、


未来の

大切なことへのワクワクも、願いも、不安も、心配も、


すべてを置いて、


今、ここ、に精一杯生きる。


良き言葉のように思います。


大切なことは、これから先、どうしていくか。


だから、
良くも悪くも、過去に囚われて、過去の延長線上の未来を生きてはいけない。


良くも悪くも、未来を気にしすぎて、今に集中できなくてもいけない。


未来は、
今、この瞬間の、積み重ねでしかないから。

この今、この瞬間に、積み重ねていくことにのみ、
強く、集中していなければ。



とらわれない。


そのためには…

結局のところ、ゆるすしかないのかもしれません。


いかなることも、ゆるすのです。


ゆるすことができるようになるためには…

すべては、ひとつだということを、知るよりほか、ないのかもしれません。


あなたも、私も、あの人も、
あの木も、この猫も、

すべては、ひとつなんだと…



誰かのしたあのことは、
私の一部。


ごめんなさい。

ええ、いいのよ。


すべてのことは、ひとつだということを。



ほんの10秒間、

この花を見つめて、ただその美しさを、感じてみたら。



ありがとう。咲いてくれて。

いいえ。私のできることをしているだけ。

ありがとう。




だけれど、日本語って不思議ですね。

今を生きる、ということも、

今が良ければ、ということも、

ほんの少し言葉を変えただけで、
似ていることなのに、全く違うことになる。



ほんの少しだけで、逆の意味に思えることがある。


ただ、溶け合いたいだけなのに。


時に言葉も何もなく、ただ感じることができたなら…


そう、思うことが、あります。



さて、明日から東京出張です。

今月は、
先週北陸・東北、今週東京、来週関西と、日本を横断!

幸せだなぁ~


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子




2014.05.10

【はい】の力

【日常の五心】というものを、
皆さん一度は目にしたことがありますよね。

近頃では、たとえば、
飲食店のお手洗いの壁にも言葉が書いてあったり、
とかくよく見かけます。


一、「はい」という素直な心
一、「すみません」という反省の心
一、「おかげさま」という謙虚な心
一、「私がします」という奉仕の心
一、「ありがとう」という感謝の心


この言葉はそもそも、
釈尊に対する門徒たちの誓いの言葉であるとされていて、

仏教から来ている思想であるのかもしれませんが、


この最初に出てくる『はい』については、

日本の音の始まりの部分から紐解いても、やはり、
素直で人に元気を与える音だということがわかっています。


『は』は、葉のような音。勢いよく拡がるという音。

『い』は、命のような音。命輝かせる音。


言葉の音は、呼ばれないとスネてしまうので、

元気に『はい!』と発するほうがいい。


葉がパァーッと勢いよく拡がる姿は、まさに希望。


そして、
はいっ!と音を勢いよく吐き、吐くことで、入れることができる。

吐くから新しく入る。


『はい』という言葉は、勢いよく発してこそ、
自分にも様々な良きことを入れることにもなるし、
周囲にも希望を与えることとなるのです。


音の始まりを紐解いていくことは、
神道と思想が似通ってくるようですが、

神道において考える『はい』は『拝』。


つまり、二拝二拍手一礼の、あの『拝』であり、
このときの拝は、

神様に対して直角、90度に頭を下げること。

神様に対して潔く素直に頭を下げることで、
新しく入ってくる、いただくことがある、ということ。



仏教でも、ことだまの観点からも、神道からも、
大切なことは、共通しているものですね。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子




日本の言葉というのは、本当に美しい。


目で見た、読んだものを、
頭の中にその世界を広げたときの広がり方は、
とても、まろやかで。

うっとりとする。



言葉は、声に出して、音を出してこそ、
さらなる力を発揮するのだけれど、

音にすることは、ある種の、色を付けてしまう作業でもある。


だから、責任はあるのだけれど、

声に出して、いちばんその言葉が生きるように、一体となって、発してみたいなぁ…

そんな願望があります。


つまり、朗読のようなこと。


私は仕事の中で、ニュースを読ませていただくこともしていますが、
この時に気をつけることは、なるべく、無機質に伝えること。


自分の感情は介在させずに、

なんとなく、ながらでニュースを聴いている人に対しても、
その内容がありありと聴こえてくるようにするために、

正しいイントネーションと息継ぎ、間合い、速度を、
調整しながら、

あくまで無機質に読むこと。

それにより、特段聴く気に溢れていない人にも、よく意味が通る。



一方、朗読は全く逆。

言葉の中に、自分を生かし、その物語の中に自分が生きて、
心いっぱいに表現する。

結果として、言葉がもっと強い光を放つ。


朗読はながらで聴くものでなく、
耳をそば立てて聴いてくれるから、

息遣い、唾を呑み込む瞬間まで、
共にする。



3年前、取材でたまたま出会った、
新居浜で写真撮って言葉を書いている、太田初夏さん。

この方の言葉、感性が、
とても繊細で、痛いほどこちらに入ってくるので、

本当に素晴らしいから、ぜひ続けてほしいと絶賛したのですが、
いま3年越しにまた、太田初夏さんが、画廊喫茶さぼうるで個展をなさっています。


お昼に寄らせてもらいましたが、
やっぱり…

声に出して、まろやかに染みこませたくなる、言葉たちでした。





日本の言葉は、本当に、美しい。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子




2014.04.23

山が十の国

あーたーらしーいー朝がきた~

希望の朝だ~


おはようございます!
今朝は日の出を見ることが出来て、清々しいです。


1日は、希望で始めて、喜びで終える。

1ヶ月は、希望で始めて、喜びで終える。

1年は、希望で始めて、喜びで終える。


あっ!という閃き、希望で始まり、

お~っ!という歓声、喜びで終わる。


日本の音の流れも、そう出来ています。


そんな、
希望で始めて、喜びで終える、

音の流れが、あ行、か行、さ行…と、十(とお)の山を成した、

山が十の言葉を持つのが、
やまと(大和)言葉、私たちの言葉です。






本日はまたまた大阪にて、セミナーを受講してきます。

会場では毎月3000人程の方々が学びに来られていますが、
若い方もかなり多く、しかも、学ぶ姿勢がとても意欲的で、

内容も然ることながら、
その空気感に、いつも刺激を受けます。


私は田舎が大好きですが、
時々はこうして、場所を変え、

圧倒的多数の人たちが、
目的意識をしっかり定めて、意欲的に学んでいる場に身を置くことで、

良くも悪くも、この時代の空気感を知っておくことが出来ます。


どんなことでもそうですよね。

知ったうえで、
自分がどんな立ち回り方をするのかは、個性だけれど、

状況を知らずに、
自分が今いる場所だけで判断すると、勘違いに終わってしまう。


たまにしかしないこと、イベント的なことについては、
勘違いしていてもあまり問題ないのですが、

日常的に行うこと、常に用いるものについては、
勘違いしていては、今の時代、自分だけでなく、大切な人の命取りにさえ、なり兼ねないから。


よく学び、もちろん、よく遊んできます。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子



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