日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI

名前のことだまを入り口に、和ごころに気づけるブログです。

プロフィール

日野  愛子

Author:日野 愛子
日本人がもう一度、日本人になろう。

皇紀2671年3月11日、
再び、ほんとうの幸せに戻るための、
大きく舵を切れた転換点にするために。

いつもほんとうのことを知ろうとすること、
いつも自分の中の愛に聞いて、
一歩を選べるように。

知ることへの道は、愛のはじまり。

名前のことだまを入り口に、
素敵な日本に氣づけるブログです。

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今日で6月も終わりですね~。

マヤ歴が過ぎ、
出雲大社の大遷宮と伊勢神宮の式年遷宮が重なった今年、

まさに全ての流れが大きく変わった今年の、
半分が過ぎ去りました。


あなたにとってこの6月は、
どんな風に始まり、どんな風に終わりましたか?


私は名前のことだまのことを今、
ご希望される方にお伝えしていっていますが、

とにかく共通して言えるポイントは、


☆氣づくこと、意識すること

☆希望で始めて、喜びで終えること


セッションを受けてくださった方なら、ウンウンと頷いてくださると思います。

当たり前のようですが、すべては、
知って、受け取ることから始まります。

知っても、受け取らなければ何も起きません。

受け取ったら、それだけで、動き出します。

物事はすべて、希望で始まり喜びで終えること。

喜びで終えれば、必ず上がれます。

日本語で、【終わり=あがり】ですから。



今月だけで、12人の神様が、
「おとづれ」てくださいました。

このノートに神様のあしあとが残っています。



どのセッションも、させていただけて良かったと、
毎回感じさせていただくのですが、とりわけ強くそれを実感できる時というのは、

クライアントの方が、私に心を許してくださっていた時のように思います。


私が名前のことだまを、お伝えさせていただく中で、
「実は、私…」と、クライアントの方が大切なお話を私にしてくださった時。


とっても不思議です。

じっとお話を伺っていると、
自分でも、
私って天才?!って思うほどに(スミマセン・笑)

次々に、なぜか、
その出来事の核となる原因や、必要な解決策が、
手に取るように分かってきて、何かのスイッチが入ったように、
夢中でそれをお伝えしている自分がいます。

そして、段々とその方が涙ぐまれてきて、
じっくりと、心の深いところに届いていってる様子で、

分かりました!やってみます!

と、決意されてお帰りになることが、多々あります。

この背中を見送る時が、いちばん、うわぁ~最高!って思える時。


もちろん、今まで何気なくやってきたことが、
これでよかったんだと答え合わせが出来て、
自信をつけて帰られる方も多くいらっしゃいました。


どのようなセッションでも、いつも、
私自身がクライアントの方に教えていただくことが沢山あります。

なんてシアワセなんだろう…


そう。
この、セッションが始まって、終わるまでの過程でさえ、まさに、

どんなセッションになるだろう?!
と希望で始めて、
うわぁ~、ホントに良かった!!
と、喜びで終えられている。

だから、次のステージへ上がっていけるんですね。


まだ今月始まったばかりの個人セッション。
このノートに残されたあしあとを見ながら、喜びが溢れてきます。

来月は、シアワセ過ぎることに、
広島に呼んでいただけることが決まっていて、
その定員も、有難いことにあっという間に埋まってしまいました。

使命を果たさせていただてる時は、
夢中です。


ふはぁ~。シアワセです。


今日、
この一ヶ月を無事に終えられたことに感謝して、喜びで終えて、
明日は、
新しい月を迎えられた希望で、はじめましょう!


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子
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母の古くからの友人が、
母を温泉に誘ってくれて、父と3人で行ってきたそうです。

家族以外で過ごすことが本当に少ない両親だから、
誘ってくれる友人の存在がとっても有難いです。

しかも!ヒマワリを持って来てくれました。

食卓が一気に明るく、
さながら太陽のパワーがそのまま家に取り入れられたよう。

お日さまのある方向へ向かって、
どんどん伸びてゆくヒマワリ。


日本人も、ヒマワリのように、
お日さまのほうを向いて生きてきました。



以前、父の日に、
「お父さん」と「お母さん」の由来をご紹介した通り、

お日さま=お母さま です。


太陽の恵みが無ければ、緑が生い茂ることもなく、
私たちが命を育むことはできない、すべての命の源。


命の源=お日さま=お母さま=神様(天照大御神)


ということが、心にしっかりと根づいていた日本人は、

朝日が昇るのに、
心洗われて、喜びでいっぱいになり、自然と手を合わせたりしていました。


無償の、永遠の愛で、
命を繋いでくれる偉大な存在。

目に見えないものや自然への畏怖、感謝の心を、持っていました。


実は、神社などの始まりも、こういったところにあります。

目に見えないもの、自然に対して、
畏れと感謝の念から、手を合わせる心。

そこに何も無くっても、手を合わせる。

何か作るとしたら、
目に見える限りの、
お日さまからいちばん近い場所=山に、
神様がいると考えて、

山の上に祠をたてて、そちらへ手を合わせる。

何か手を合わせる対象を、目に見える形で…
と考えて造られたのが神社です。


私は、神社にはご神木があり、
行くと本当に清々しく気持ちがいいので赴くことがとても好きですが、

いちばん大切なのは、手を合わせ心を合わせることだと思っています。

ですから、その場所に、
何の感謝の気持ちも持たずただ行くくらいなら、
行かなくてもよいから、
じっと静かに、心を合わせ祈るような時間を持つことのほうがむしろ、大切だとも思っています。


目に見える対象を拝むという仏教伝来に伴い、
立派で豪華なお寺に対して、何か造ったほうが良いのでは?と、
合わせるようにして造られました。

日本人は合わせようとする性格を持っていますから。


ですから元来の日本人は、
目に見えないものを信じる人種であったのです。

それなのに、今は、
物質主義が行き過ぎてしまって、歯止めがきかず、
経済優先のあまり、環境を破壊し、自分たちの住処を、消滅させようとしているんですね。


私たち日本人は、物質主義者ではありませんでした。

目に見えないものへの畏怖の念と感謝の心を持つ、
心の豊かさから幸せを得られる人種だったのです。

お日さまに向かって…


思い出したいですね。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

必死になって掴み、守ったって、富も名誉も、
この世で得た物、何ひとつとして、あの世までは持ってはいけない。

たったひとり、元の世界へ還ってゆく。
何も持たずに。


だけど私、見つけちゃったんです。
向こうにも、持っていけるもの。



それは、「出逢い」です。


『袖振り合うも他生の縁』

という言葉があります。

他生とも、多生とも書きます。
多少ではありません(*^_^*)


道で、すれ違い様に袖が触れ合うほどの、些細な出逢いをする人でさえ、
いつかの世で、出逢ったことのある人だ、という意味です。

昔むかし、歩くことしか移動手段が無かった頃なら、
出逢える人の数や範囲は、とても限られていたでしょう。

けれど世が進み、
文明の利器が増えていくにつれ、
移動手段だけではなく、通信手段さえ加わって、

今の世で出逢える人の数や範囲というのは、
まさに無限に広がっています。

生まれ変わる度に、
出逢える人の数が増えていくのも、なんとなく頷けます。


今、エレベーターで一緒になったこの人でさえ、
いつかの世で、出逢ったことのある人なんだろう。

そんな風に思ったら、毎日が愉しくて仕方ないですね。

初めて出逢う人は、誰もが皆、
「うわぁ~すっごく久しぶり!やっとまた会えましたね!」
という奇跡の再会なのだとしたら。


そして、
そんな出逢いのひとつひとつを、
大切にしていったら、
きっとまた、いつかこの先の世で、出逢えるから。

だから、あの世に持っていけるのは、
あの世に続いてゆくストーリーをつくるのは、
この世での出逢いだなぁ~と思います。


出逢いを大切に、という意味は、
エレベーターで出逢った人にも話しかけ、
親しくならなければならないということではありません。


必要な人に出逢ったなら、
深く関わることが定めであった人に出逢ったなら、

気がつけばそう、
深く関わることになっているから。

安心して、毎日をにこやかに進もう。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

歴史の表舞台に出ていたとは言えないけれど、
近年注目を浴びている『森信三』さん。

明治29年愛知県の生まれで、平成4年、97歳までご存命でいらっしゃった、
教育者であり、哲学者です。

近年の若い人たちに受け入れられた有名な言葉が、これです。

【人生の中で、出逢うべき人には必ず出逢わされる
それは、一瞬早過ぎもせず、一瞬遅過ぎもせず】

私もこの言葉が大好きです。



この言葉に初めて出逢ったとき、
じぶんの中の苦悩が、ゆるやかに溶けだしていきました。

この人と、もっと未来で出逢っていたならば、きっと…

この人と、もっと早く出逢っていたならば、きっと…

そんなふうに、どう仕様もないことに、心乱したり、
いつもどこか、心ここに在らずで、
遠いどこかに焦点を合わせて、
生きていたようなところがあったからです。


だけれど、森信三さんのおっしゃるように、
一瞬たりとも違わずに、
私たちは、必要な出逢いを繰り返しているとしたら…


何を恐れることもなく、
何を憂うこともない。

ただただ、
今日の、この瞬間、瞬間を、

めいいっぱい有難く、悦んで、すべてを、
受け取ろう。


そしてこれは、
人との出逢いだけではないと氣づきます。

物や、出来事や、時代とても、そうではないでしょうか。

すべて自分の目の前に起こることは、今、必要で起きている。

もっと言えば、すべての出来事は、自分が引き起こしている。

誰かのせいではない。自分のせい。

誰かも自分も同じこと。我がこと。


そう思うと、ずんっと腹が据わります。

いたずらに心配することが無くなり、
目の前の瞬間が輝き始め、
覚悟しながら、にこやかに進もうと思える。

だから私は、この言葉が大好きです。


必要で起きているすべてのことを、
受け取れるじぶんで居たいな~。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

もう3ヶ月以上前のお話になりますが、
WBC初戦となった台湾との試合。

勝利した日本に対し、負けた台湾選手が、
マウンドで深々と360度お客様に向かってお辞儀をしたことを、ご存知だったでしょうか。

残念ながら、日本のメディアは、この時放送していません。





これは、当時の背景を説明してくれている映像です。
15分程ありますが、どうぞご覧ください。

http://youtu.be/hTSkS4UE0dA


それは、日本人の観客たちが、
「台湾有難う」のプラカードを掲げていたことに、
台湾の選手が試合中気づいていて、その気持ちに敬意を表したためでした。

そのプラカードが掲げられたのは、
日本でTwitterで、
「WBC初戦は台湾に決まった!試合を観に行くひとは、台湾へ感謝を伝えるプラカードを持って行ってください!」という言葉が、次々に拡散されたからでした。

そのTwitterが広まったのは、
台湾に感謝する日本人の心が総意一致したからでした。

それはなぜか。


台湾は、2年前の3.11の際、
翌日には多数の救助隊を日本に送り込み、
200億円という世界最高金額の寄付金を送ってくれました。

そればかりか、彼らはその年の年末のインタビューで、

今年いちばん嬉しかった出来事は何?と尋ねられ、

「日本への支援金が世界一になったこと!」

と答えた人が多数居たというんです。

これを聴いて、胸を熱くした日本人の、
彼らへの愛情になんとか応えたい!という思いが爆発したのだと思います。


Twitterでその作戦が広まっていくのを、
台湾の人たちも目にしていて、

2年も経つのに、まだ日本人は感謝の気持ちを持ってくれている!
日本人はやっぱり素晴らしい!

と感動してくれていたのだそうです。

そして、会場は一体になり、
互いの国を尊敬し合う愛で包まれた空間になりました。



2年も経つのに覚えてくれている…

そう言った台湾の人たち…

でも台湾の人たちは…

70年も経つのに覚えてくれているのです…


台湾の人たちが、日本にこんなにも愛と敬意を寄せてくれる起因は、

日本の台湾統治時代にありました。

日清戦争の結果、中国から日本へと、台湾は引き渡され、
日本の台湾統治はそれから50年に渡って続きます。

侵略したわけですから、
そこには沢山の血が流れました。
それは揺るぎない事実です。

けれど、台湾の人たちは日本人に感謝しているのです。

日本人は、
台湾人に、
学をつけ、技術をつけ、設備をつくり、
独立するに足る実力をつけたのです。

台湾を撤退する時がきても、その後の台湾のために、
そこにすべての資材や設備を残したといわれています。


そのことを、台湾の人々は、今も感謝し尊敬してくれているのです。

そして、多くの世界の人々は、
日本人に対し挨拶として、
手を合わせるポーズを取るのに対し、

台湾の人たちは、
日本人はお辞儀の文化だと知っているから、
あの時マウンドで、深々としたお辞儀を見せてくれたのです。


日本人は戦争で悪いことをしたからアジアから恨まれているんだ、
と思っている日本人がいます。

それも間違いではないでしょう。

しかし、
台湾の人たちがそれ程までに日本人に感謝している、
それはでっち上げだと言う日本人もいます。

それは事実ではないと私は思います。

台湾には私も行ったことがあり、
他のアジアの国々、欧米にも行ったことはありますが、

台湾ほど、日本大好き!!
日本人を本当に尊敬してる!!
とストレートに伝えてくれる国の人はいませんでした。

日本に対する愛を肌で感じます。


私たちはもう少し、誇れる日本というものを、
在るものは自覚し、足りないものは揺り動かし、
思い出しながら築いていく必要があると思います。

愛溢れた日本であるはずだから。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」が好きだ、という方は多いと思います。

まさにここに、
日本人の素晴らしい心があるからですね。

宮沢賢治が生まれたのは、岩手県花巻市。

三陸大地震の二ヶ月後だったということをご存知でしょうか。



明治29年6月15日、
三陸沖で起きたマグニチュード8以上の地震。

大津波が起き、2万人あまりの死者と
約5千人の行方不明者とケガ人を出しました。

そしてその後、8月27日に宮沢賢治は生まれ、
更にその4日後の31日、陸羽地震が発生、200人以上の死者が出ました。


彼は、
震災による津波に、一瞬にして、
愛する人を奪われ、家や農地、あらゆるものを奪われ、
そんな中で人々がなんとか立ち上がってきた姿を見ながら、育ったのです。

つまり、今の日本と同じ状況です。

22歳で結核を患い、余命宣告をされるのですが、
限りある命を生きながら、
自然への畏怖の念を誰しも持っていた当時の日本人の中に在って、

思いを手帳に綴っていたのが、この雨ニモ負ケズ。

彼は他にも多く作品を遺していますが、
目に見えないものへの畏れが根底にある、
日本人の心根がそこに反映されているように感じます。


漢字・カタカナ・ひらがなと、
三つを操る世界に類をみない日本語ですが、

昔は、字面の格好よさ、イメージに合う字面、ということで、
その時々で表記を自由にアレンジしていたようです。

雨ニモ負ケズは、
漢字とカタカナの組み合わせで綴られていますが、

優しいひらがなを使うよりも、意思の強さや力強さを感じるような気がします。


今日は、すっと読みやすいように、
カタカナをひらがなに換えて、
ご紹介したいと思います。



雨にも負けず 風にも負けず

雪にも 夏の暑さにも負けぬ

丈夫な体を持ち

欲はなく

決して怒らず

いつも静かに笑っている

一日玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆる事を

自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり

そして忘れず

野原の松の林の蔭の

小さな茅葺の小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行って怖がらなくてもいいと言い

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないから止めろと言い

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなに木偶の棒呼ばれ

誉められもせず

苦にもされず

そういう者に

私はなりたい



いつも静かに微笑んでいられることの尊さ…
ただ風のごとく拘らず、できることをしてゆく。

なんと美しい日本人の生き方でしょう。

今、宮沢賢治の生きた時代と、
似た境遇にいる私たちは、
さて、
どんな生き方を選びましょう。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

2013.06.24

言葉の、重さ

3.11の大震災直後、私の胸によぎったこと。

「あぁ…ついに取り返しのつかないことに…
自然への畏怖の念を忘れた私たちへの最後通告…
ごめんなさい、ごめんなさい、私たちが愚かだから…
どうか少しでも被害の広がりが抑えられますように…」


政府や公共機関の許可判断を待たずに、
独自のルートでどんどんと現地入りしていく仲間たち…

託すような思いと申し訳なさの中、

それから最初の休みが1日とれた日、
私の足が向いたのは、広島の平和記念公園でした。

小学校の修学旅行で訪れた原爆ドームの強烈さがずっと心にあって、
原爆ドームで働きたいと広島の大学を受験したりもしました。

だから、すぐにこの場所のことが浮かんだんです。

この事態を、ヒロシマに眠る皆さんはどう見ておられるだろうか…と。


そこには確かに、こう書かれてあります。

【安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから】



私は愕然としました。目の前が真っ暗になりました。

これは、日本国民全員の誓いであったはずです。


何もこれは、
目に見える、武器を持った戦闘に限ったことを言っているのではありません。

私たち日本人はあれから、
直接武器を持って相手を殺めることはしなかったかもしれません。

しかし、私たちは、
自分たちさえ良ければいいと、
豊かな暮らしを享受し続けることで、

そのことのために、
遠い国で戦争を引き起こさせていたり、
自国の木を切らずに途上国の木を切って環境を破壊しているような現状を知ることもなく、

或いは知っていながら無関心でいることで、

世界に戦争と環境破壊を赦してきてしまったのです。

その顛末に、こんな悔やんでも悔やみきれないような結果を生んでしまった。

放射能汚染という、ヒロシマを繰り返したのです。


ヒロシマに眠る魂に対し、
それでも恨むことなく、ただ日本が良き国になるようにと、
私たちのことを祈ってくださってるような魂に対して、

この3.11の惨状をおよそ報告できない気持ちになりました。

ただ、ただ、
ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…
繰り返して、しまった…
私は気づかず、無知で無関心でいました…



明らかに目に見える形ではなかったけれど、
戦争にずっと加担し続けていた事実を知ること。


そのうえで、次に何を選ぶのか。


じぶんごととして心から反省する日本人でいたい。

来月の選挙では、
「言葉の変更」がひとつの争点になっています。

目に見えない争いに加担してきた私たち、
その顛末にご先祖様に顔向けできない結果を引き起こした私たちが、

反省どころか、
目に見える形での争いを引き起こし兼ねない、
言葉の変更を検討しているんですね…


無関心だけはやめましょう。


いつも、本当のことは、知ろうと努力する人にしかわかりません。

子供たちの未来を握っている私たち大人は、
分からないでは済まされない。

まだあと一ヶ月あります。
大人として、しっかり知ろうとしましょう。

前回のような、震災後はじめての選挙でありながら、
戦後最低の投票率などという、恥ずべき結果を残すのは辛過ぎます。


愛の対極にある、無関心だけはやめて、
それぞれが本当のことを知ろうとすること。

知ることへの道は、愛の始まり。


あなたの中の愛に聴いて、一歩を選んでほしいと思います。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

昨日今日の2日間、松山にて、
昨日はネットワーク地球村の高木義之先生とお会いし、
今日はエッセイストの浅見帆帆子さんの講演を聴いてきました。

この2日間で、私がブログに書きたくなるいちばんのエッセンスって何なのかな~って、
昨日月夜の道後を歩きながらふっと考えていました。

それはこのこと。


【シンクロニシティ~意味のある偶然の一致】


昨日、高木さんがポロッと口にされた瞬間、
詳しい説明は無かったものの、私の心にふっと残った気持ちいいフレーズでした。

そして今日、浅見さんの口からも出たんです。

やっぱりだ!!


シンクロニシティという言葉は、心理学者のカール・ユングの言葉で、
「意味のある偶然の一致・共時性」という意味で、

ある一定以上、その状態にある人たちがいれば、
全く別の関連のない場所で、同じ状態になる人たちが出現してくる、
という法則。

だから、日本に、
「私って幸せ~!!!」と感じ尽くせる人たちが1000人になったら、
地球の裏側の国でも、
同じ数の人たちが同じ気持ちになるような現象が起きる、
ということ。


氷山の一角という言葉がありますが、

表面上では、
まるで別々の個体であるように見えるけれど、
水面下では、
実は私たちはすべて繋がっている、ということです。

だからこそ、
臆することなく、じぶん自らが幸せをめいいっぱい感じればいい!
ということ。

私たちはひとつ。ワンネスだから。



私は最近ものすごく感じています。

「皆が同じことを言っている…」と。

言葉や表現方法は、人によって様々ですが、皆さんが言われているのは結局、根っこでは同じこと。

特に、3.11以降、
社会活動家と言われる方々だけでなく、
環境活動家や科学者、心理学者、農業従事者、エッセイスト、アーティスト…

これまで心を開いて活動してきた方々、

《本音で、本物で、まごころで》
活動してきた方々の、その歩みが加速し、
それぞれの方が口々に言うことが、全く同じことになってきたのです。


日本の危機は、世界の危機である。

このことに魂が反応した方々が、
侍、大和撫子となって、
知らずうちに、同時多発的に様々な活動を始めたのです。


あぁ…
これもひとつの、シンクロニシティだったんだ…
と今日、氣づきました。


まずは、小さなことからでも、引き寄せの法則を体感してみませんか?

いつも心を【快】の状態に保つと決めたら、
自然と引き寄せられるようになっています。

はじめは私も、引き寄せて驚いていましたが、
もうあまり驚かなくなってきたほど、

ハッキリ頭に描けたものは実現するし、
何かいい感じがする、と思って選んだものは、
必ずその後必要なことや必要な出会いに繋がっています。


昨日今日の些細な引き寄せ。

昨夜名刺交換した方が、今治タオルの作り手さんで、
わぁ~嬉しい!今治タオル大好き!と思っていたら、

その後のFacebookで、お友達が、
道後の今治タオルのお店を紹介してくださって、
今朝行ってみると、そこに、その方の商品がちゃんとあったんです!



今治タオルを使った製品づくりをされている工房や作家さんは今、
本当に沢山いらっしゃるのに、ちゃーんと出会えるんですね。

感激!


シンクロニシティを思うから、
日本を大事にしたい、日本に幸せな気持ちになる人を増やしたい、と思います。

それはそのまんま、世界に幸せな人を増やすことになるはずだから。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

無条件に、
この人には本当に叶わない!本当に凄い人だ!と、
手放しに尊敬してしまう方って、何人くらいいらっしゃいますか?

会ったことのない有名人や、
会うことはあるけど挨拶を交わす程度で、人間関係を築いてるとは言えない人は除いて、

人としてごく対等に接する仲間であり、
しかしながら心の奥ではとんでもなく尊敬している。

そんな方々が、私には沢山いらっしゃいます。

私が、自分で自分の恵まれているポイントは?
と考えたら、間違いなくこの点を挙げます。


そんな中で今日は、5ヶ月ぶりにお会いできたのが、
ネットワーク地球村の高木義之さんです。



高木先生と私は呼んでいます。

私は、自分にとって、
この方が何の先生なのか、明確でない方のことは先生と呼ばないのですが、

高木先生は、環境のこと、地球のこと、宇宙のこと、
つまり全体のこと、自然と不自然の違いのこと、

これらのことについて、私の知り得る中でパーフェクトな方です。

私なんて、とてもじゃないけれど、
何度お話を聴いても憶えきれないほど、様々かつ正確なことを把握しておられます。

でも、きっと、最も凄い!
と思う点は、その細やかな知識という表面にあらわれている部分ではありません。

それはやはり、情熱。

自分が伝えなければ!!!!!
自分がやって見せなければ!!!!!


希望的観測を除いた、事実を取り出したとき、
今どんな状況なのか、
そこには冷静な分析が必要です。

そして、事実を知れば知るほど、
絶句して絶望してしまいそうになるような現実が、

環境状態の中にはあります。

しかし、それでも、

伝え続ける、やり続ける、情熱です。

その厳しい現実は、語るほうも、聴くほうも、涙涙です。

何とかしたい…!
そんな現実をつくってきたのは私たち…!
辛くて情けなくて涙が出る。

それでも……



高木先生は、運転免許はもう返してしまっていますし、
湯船に浸かるのは年に数回程度。
ふだんは水シャワーを週に1回程度。

環境のNPOの代表をする者が、
机上の空論だけではいけない、

現状に即してどんなことが必要か、
分かったなら実践することしかない。


もう、この、高木先生には、かなわないのです。


今日は、環境のことと、それから、
理想的な国、キューバのことについてのお話でした。



キューバのリーダー、カストロは、

CIAに何度も何度も暗殺を計画されながら、その暗殺が成功しなかった。

80歳以上で今もご存命です。

暗殺が成功しない理由。

キューバに住む誰ひとりとして、
カストロを裏切る者がいないから。

国の最高責任者でありながら、
町で激しい暴動が起きた時、カストロ自らが暴動の中に入り、

「すべての責任は私にある。私が責任を持って解決するから、しばらく待ってほしい。待てないというのなら、私を倒してから行きなさい。」


20代の頃から命がけで母国を侵略から守ってきたカストロの、
その行動に、
更に声を荒げる者など誰ひとりいない。

その後キューバで国民の暴動はなくなりました。


高木先生には、カストロのようなところがある。

そしてそのような方を他にも私は知っています。

昔の日本にも、そのような方は大勢いらっしゃったと思います。


ただ、残念なことに、今の日本、

国の行く末を左右するような国の要人と言われる方々の中に、
そのような方が多い!と、自信を持って言えない状況です。


どうあっても、私は日本が好きです。

このブログでも、
日本がいかに素晴らしいかをお伝えしていきます。

しかし、お気楽なお花畑の中にいて、
良い面だけをすくい取っていきたいというつもりではありません。


世界がいつまでも、
美しく、平和でありますように。


と願っていますが、
今が美しく平和な側面ばかりでないことくらい、私にも分かっています。

それでもあえて、私は、そう表現したいのです。


本当のことを知って、そして、
何を選び、言い、行動するのか…


私はようやく、選び、言うことは、少しの歩みながら進めていますが、
行動するところは……

高木先生とお会いすると、いつも反省しきりです。

こんなにも生き様を通して、
ハッキリと反省させてくださる方の存在は、やはり、有難いです…


道後の月夜、今日は日付が変わるギリギリのブログでした~

あ、先ほどの写真の2冊、
沢山買ってきましたので、ご興味のある方、
お声がけくださいね!プレゼントさせてください。

キューバは私もすごく気に入って、沢山ありまーす!



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

書くことが大変憚られますが…10代までの私は、

ニュースで天皇ご皇族ご一家の話題を見るたびに、
コメンテーターの丁寧なコメントを聴くたびに、

この方たちが偉いのは分かるけど、
何がそんなに偉いの?

などと思っていたのです。

母には尋ねました。

と、母は、

そんな恥ずかしいこと言われん!
日本人なら当然でしょ!

と言いました。

私はなぜか、それ以上聴けなかったのです。

10代の私がそんな風に感じていた一番の理由は、
戦争で亡くなっていった英霊の方々の、あの言葉にあったのかもしれません。

「天皇陛下万歳!」
そう叫んで死んでいった若者たち。

なぜ…なぜそんな…なぜこんなことが…

若い私には、その辛さが受け止めきれませんでした。


しかしそれから時が経ち、
20代になってから、

何が理由というわけではありませんが、
天皇ご皇族ご一家の存在は、
その存在してくださっている事実だけで、
心が安らぐなぁ~、なんてことを感じるようになっていました。

そして恥ずかしながら、30代になってからです。

天皇陛下が、私たち国民のために、
どのようなことをしてくださり、
どのような祈りをしてくださっていたのか、

まだ僅かな片鱗にしか過ぎませんが、
やっと、そういう事実を知ることになったのです。

細かな行事などについては、
また別の機会でご紹介できたらと思いますが、

今日はその、天皇陛下の、
私たち国民を思う、思いの有難さの、
ある一部分だけをご紹介します。


《御製(ぎょせい)…天皇が詠まれた歌》

天皇、皇室の方々は、無数の和歌を詠まれています。

中でも明治天皇は、その生涯で、
10万首にも及ぶ和歌を詠まれたといわれています。

日々日々、天皇が思われることが綴られた歌。

今日は、その中から、2つだけ、ご紹介します。


国民の うへやすかれと おもふのみ わが世にたえぬ 思なりけり

国民の身の上が安らかであれと思うことだけが、
天皇としてたえず思い続けていることなのです


あらし吹く 世にも動くな 人ごころ いはほにねざす 松のごとくに

どんなに嵐吹きすさぶ激しい世の中の変動にあっても、
あの岩の上にどっしりと根を張る松の大木のように、
しっかりと信念を持ち、心を動揺させてはなりません



天皇陛下は、日本人の御親です。

朝起きられてから、おやすみになるまで、
日本国の平安をのみ常に祈られています。


今となっては英霊となってしまった、
散って行った当時の若き青年たちは、こうも叫んでいました。

お母さあぁぁぁん!!!!!!

「天皇陛下万歳!お母さん!」


彼らは知っていたのですね。

ご両親が深く深く、自分を愛してくださっていたことを。
天皇陛下が深く深く、国民を愛してくださっていたことを。


私たちは、自分の両親と、天皇陛下という大きな御親に抱かれた、
幸せな幸せな存在なんだということを、

忘れてしまうことのないように、
日々日々ただただ有難い思いで、生きていかなければなりません。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

今日は私の、日本に氣づいた歴について、お話しますね。

私は今でこそ、

日本は本当に素晴らしい!
日本という国を、日本人にこそ知ってほしい!

と強く思うようになりましたが、

そう強く思い、完全にスイッチが入ったのは、
まだ1年にも満たない前です。半年と少し、と言ってもいいくらい。


もともと私はずっと、海外に憧れていました。

ここには何もない。
いいものは全て、遠いところにあるんじゃないか、
いいものは大抵、遠くまで行き苦労しなければ手に入らないんじゃないか。

そんなふうに思っていたんです。

(でもこれも、名前のことだまを知った時、私の名前なら、無理もないな…と笑えました。)

だから大学も外国語大学に行こうとしていたし、
その後は海外に住もうと思っていました。

しかし、不思議な偶然が重なり、
遠くに行くどころか、
結局、生まれた愛媛を一度も離れることのない暮らしをしています。

その代わり、と言いますか、
人一倍、海外も含めていろんな場所に出かけて行っているようには思います。


【自分も世の中の役に立つ、必要とされる人間になりたい】

【世界がいつまでも美しく平和であるための何かをしたい】


「その鍵は、日本にあるんだ!」

と氣づいたのは、この1年にも満たない間ですが、
先の2つの想いだけは、物心ついた時からずっと心にありました。



だから、ずっとソワソワと探し続けていたんですね。

でも、探しても探しても見つからなかった。

世界とか平和とか、そんな大きなこと言ったって、
1人の人間に何が出来るわけでもないのに、
それより現実的なことを考えたら?

と、そんな言葉によく戻っていました。

だけど諦められなかった。

忘れようとしたところで、あなたの一番の望みは何?と問われたら、
やっぱり、あの2つのことより強く願うことなど何も無かったから。

だけど、どうしていいのか分からずモヤモヤして、
答えを探して動き回っていて、
動き回っていたとき、ロックバンドおかんにも出会い、

とりあえずは彼らを応援する!と決めて突っ走り、
その道中で私は素晴らしい仲間と出会い、
本当に探していたものとも出会うことができました。


ブログを読んでくださった方から、
色々勉強してたんだね、と声をかけていただくのですが、

私はただ、どうしようもなくスイッチが入ってしまったから、

〈学びたい〉ではなく〈伝えたい〉

が先走っちゃってるだけなんです。

もちろん学びたいですが、
それは、いち早く皆さんにお伝えしたいからです。

大切なことだと知っているから。

仔細なことはまだ知らなくても、
間違いなく大切なことだということだけは分かるから、

学びたいより、伝えたい。

伝えるためには学ばないといけないから、学ぶ。という順序。

だから、名前のことだまの講義を受けていた時も、
受けながら同時に、どう伝えるかを考えていました。

けれどこれが曲者です。

どう伝えるかばかりが情熱的に盛り上がり過ぎて、
冷静に聴き、染み込んでいないことが多々…

後で先生に、あれはどうでしたっけ?ってお尋ねすることも多いです(笑)

早く伝えなきゃ!の興奮がピークになって、
きゃーっ!って、冷静に聴けてないんですね。
これはちょっと、困りものですが(笑)


でも、伝えたい!から、学べる。

誰かの為になりたい!から、自分の知識にもなる。


やっぱり人は、自分のためじゃ発揮できない力も、
誰かの為、世の中の為、と思ったときには、

不思議に力が湧いてくるようです。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

先ほどお仕事で、母校の校舎内にお邪魔しました。

もう、15年余りも前のことが、ありありと。

その廊下の角を曲がれば、あの人がこちらに向かって手を挙げそうな、
馴染みの友達たちが、いつものように笑っていそうな、

当時は特に、どうってことなかった日常は、
今その同じ場所に立った時、

もう決して、二度と、戻ることはない日々になる。



変わってしまった自分の中の、何ひとつ変わらない部分や、
変わってしまった友人たちの境遇と、何ひとつ変わらない校舎が、

行ったり来たり、駆け巡る。

なつかしいきもちになったあと、
すこしさみしいきもちになる。



なつかしい

という言葉、そのものは、
遥か昔、万葉集の編纂された頃にはもう、今の意味と同じ意味あいで遣われていた言葉。

言葉はずーっと変わっていないから、

「なつかしい」は、なつかしくない。

なんだか面白いですね。


ゆかしい

とも言ったそうです。

いずれにしても、
親しんだものへの愛着心から来るもの。


私は、古いものが一様に好きです。

文化も、人も、物も、思い出も。

今に生きているのだから、
そのようななつかしみは、
前に進むのには不要なものだ、と言われる時もありますが、

私にはこの、なつかしみが、必要です。

ふっと蘇るこの感覚が、
時に、
目に見えるものすべてを美しく彩ってくれたり、
同じものが幾重にも見えて、

自分の人生がたいそう立派な物語にも見えてくる。

愉しむには、欠かせない要素なのでしょうか。


女性は過去のことはサッパリ忘れるが、
男性はいつまでも過去にノスタルジーを感じる、

と、よく世間では云われているようです。

どうやら私は、男性性が強いようです。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき
有難うございます。 愛子

みなさんは、ご自身の、
産土神社(うぶすなじんじゃ)※お宮参りをさせていただいた神社
はどこかって、ご存知ですか?

日頃から意識したり、
折に触れご挨拶に訪れたり、されていますか?

私の産土神社は、新居浜市多喜浜にある、湊神社です。



常夜燈には、父の名前も。
でもこれは、祖父が、息子や後世のためにと、
息子の名前で残してくれたものです。
つい最近、この事実を知りました。



地元の神社仏閣、地域行事に対して、
家計を削って出来うる限りの寄付、
慶弔ごとには校区内くまなく心遣いをしていたという祖父。

長く郵便局長をしていた祖父のところへは、
当時、土日にどうしてもお金が要り用になった方が、
お金を借してほしいとよく来られたそうです。

今であれば問題かもしれませんが(笑)
当時祖父は、郵便局が開かない日は、
困って借りに来る方がいらっしゃるやもしれないと、
そのために自分のお金を手元に準備しているような人でした。

私がその地区に住んだことはありませんが、
その地区に行くと、祖父の名前を色んな方から聴き、
あの方にはお世話になったと沢山の方が口を揃えて言ってくださり、
本当に祖父の偉大さを知ります。

私が天寿を全うしたのち、15年以上が過ぎた頃、
私の孫に対して、あなたのおばあちゃんには本当にお世話になったのよ、
なんて、私の孫に、お茶菓子のひとつも渡してくださる方を、
果たしてこの先自分は、何人持てるだろうか、と思います。

私にとっては、これが『偉大』ということです。

大きな会社を経営したり、特別大きな功績を残したりしなくても、
自らの生活を慎ましく最低限にし、あとのことは可能な限り人様の世間様のお役に立つように…

この思いの、どんなに尊いことか。
孫として、いつまでも尊敬し追いかけ続ける大きな背中です。


さて、産土神社は、
お宮参りをさせていただいた神社ですが、

この、自分が、その身で感じることができた初めての、生まれ土地の神社、
ここに定期的にお参りに行かれていますか?


考えてみたらば、
あなたのご両親や親戚の皆さんは、
あなたが生まれたことを心から喜び、

「こんな立派な尊い子を授かりました、有難うございました。そのご挨拶に参りました。
この子がすくすくと成長できますように、どうか見守ってやってください。」

と、あなたをその神社に連れて行ってくれたわけです。

それなのに、
「生まれたはいいが、あいつはその後どうなったんだ?サッパリ音沙汰無い…」

という思いを、神様にさせてしまっていないでしょうか。

生まれました!
なんていう人生の一大事をご報告申し上げた神社なら、

大切な節目の折には、
無事にこのようになりました、有難うございます、と、ご挨拶申し上げに行くのが、自然なこと。


産土神社に、できる限りお参りして、
ご挨拶やご報告、感謝申し上げる習慣があると、

生まれた土地の力や、
ご先祖さまの力が、

自然な形で、
あなたにそっと寄り添ってくれる、そう思います。


それは、神社の力だけではありません。

ここで、
赤子の自分を胸に抱いて、
両親や親戚、どの人も、喜び溢れこの参道を歩いたのか…

目を閉じてその様子を思い浮かべる、
あなたの想像力でもあります。


土地の力。ご先祖さまの力。あなたの力。(想像力)

ご先祖さまが後世を思う気持ちを、
しっかりと受け取り、感謝し、次の世代へと受け継いでいきたいですね。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

先日のモーニングセミナーに参加させていただいた朝、
あまりの気持ち良さに感動しました。

こんなに清々しく、
前向きな気持ちが湧いてくる、
1日がこんなに有益に感じる、

早起きは三文の徳と言いますが、全くその通りですね。

今朝はいつもより早起きして、ゆっくり読書ができました。


さて、私がいつも、
ブログの最後に書いている言葉に、お気づきでしたでしょうか?

今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。



【ことだまの幸わふ国】という言葉は、遡れば、万葉集に出てきます。

奈良時代に編纂された万葉集の中で、柿本人麻呂は、

『敷島の大和の国は ことだまの幸わふ国ぞ 真幸くありこそ』

〈日本という国は、ことだまによって幸せのもたらされる国です。私はこの願いを口にします。どうか幸せにお過ごしください。〉

と謳っています。


ことだまとは、そもそも何でしょうか。

広辞苑にはこうあります。

【ことだまとは、言葉に宿っている不思議な霊威。古代、その言葉通りの事象がもたらされると信じられていた。】


古代から、というところで、
祝詞やお経、呪文といったものも、この考え方から来ていますし、

日本だけの考え方ではなく、万国に通じているところがあるようです。


古代、とは言いながら、日本人の中には、その精神が今も深く深く根付いています。

理屈はよく分からないけれど、

いい言葉を言っていたら、いい出来事がもたらされ、
良くない言葉を言っていても、それも現実になってしまう。
だから、いい言葉を遣いましょう、と、そんなことは、
わりと普通の感覚として持っている方が多いようです。

そういうことはもちろんありますが、
更に深い色んな意味合いが、そこにはあり、
その魅力、そこからもたらされる幸、幸わひを、
私は大切に感じています。


いやいやそんなことはない、
自分は言霊だなんてそんな怪しげなものは信じてないんだ、という人でも、

結婚式に出席して、そのような場面で、
「割れる」とか「裂ける」とかいうような言葉は決して使わないよう、
気をつけていると思います。

知らず知らず、言葉に出したら実現するかもしれない、
そんなことを、どこかで分かっているからではないでしょうか。


ことだま
という言葉を、あえて出すと、何か抵抗を感じる方がいるかもしれませんが、
意識しなくても、信じていないようでも、

潜在意識で知っている真理、
それが、ことだまであるようです。


この、ことだまは、知れば知るほど本当に奥深くって、
私はこのことを、1人でも多くの方にお伝えしていきたいと思っています。

気になるな…

そう感じられる方は、
その時が来ているということ。

気にならない。

という方は、
その時がまだ来ていないということ。


気になり、知りたいと思い、氣づき、

氣づいた人から、行動していく。

マヤ歴を過ぎ、出雲大社と伊勢神宮の遷宮が重なる今年は、
すべてのことにおいて、その流れが顕著になっていきます。

氣づいた人の行動は、凄いスピードで加速していく。



私はこのことだまを、知れば知るほど、

こんなにも尊い国に生まれ、生かされていることが、
もうそのこと自体がこの上なく幸せだなぁ~って、
しみじみと感じ入ります。


そして、生まれてきた時点で、
既に名前が付けられていて、
音にそもそも意味があるならば、名前には大きな働きがあって、

無事に生まれ名前を授かれるような
幸せな存在だからこそ、

誰しもが、誰かの力になれる、使命を帯びた存在だということ、
氏名は使命でもあるということ、

その人に付けられた名前のことだまから、
音そのものの意味をお伝えすることで、
氣づくきっかけをお手伝いすることを、

とても大切に大切に感じています。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

今日は父の日でしたが、みなさん
お父さんに、日頃の感謝の気持ちをお伝えできたでしょうか?



まだの方、遠方で会うことができない方、
今からでも間に合うので、
電話だけでも入れて、元気?いつも有難うって、
ぜひお伝えしてくださいね。

私は簡単なプレゼント、実用品ですが、
数年前に贈った、携帯ケース(ベルト通しがついてるもの)が朽ちていたので、
新しいものを贈りました。

どうも鞄を持ち歩いたりするのが好きでないようで、
この携帯ケースは必需品なのだそうです。


ところで【お父さんの語源】って皆さんご存知ですか?


おとうさん
とうとさん
とうといひと

お父さんは、尊い人。という意味です。

昔はととさま、かかさま、と呼んでいましたが、
「尊い」の「とと」だったんですね。

ちなみに、お母さんは?


おかあさん
あかかさま
お日さま


かかは、カッカッと燃える太陽、
「日」は「か」、太陽であり、人であり、神様である。

古代日本人は本能的に、そういうことを知っていたのです。

天照大御神さまは、太陽神ですものね。


日本では、神様は女性であり母ですが、
その女性や子どもを守るため、外で働く男性、父は、

ほんとうに尊く有難い存在だということなんですね。


日本が太陽をとても大切にしてきたこと、
その日本という国がとてもこれから大切になってくること、

それらについてはまた、別の機会に…


今日はご家族で素敵な時間を過ごしてくださいね。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

2013.06.15

結婚記念日

6月15日は、結婚記念日。

わたしの両親の、33回目の結婚記念日です。
ささやかながら食事をご馳走させてもらいました。

ふじ結婚式場、今で言う、
レーイグラッツェふじさんで挙式をしたそうです。





その後結ばれた2人の間に生まれた私は、
そんなこととは知らずに、
このレーイグラッツェふじの藤田社長には、
今私が色々とお世話になっているんです。

おかんの大阪城ホールLIVEの時も、
ふじさんに実費のみでツアーバスを出していただきました。



もちろん、藤田社長もLIVE観てくださいましたし、
現地で、四国の皆でお花見会をしてからLIVEを、
というアイディアに対して、
大阪の倫理法人会の方々が、お弁当やら場所取りやらにご協力いただきました。



そして気づけば、8月には倫理法人会さんのモーニングセミナーに講師で呼んでいただき、
これもやはりレーイグラッツェふじさんで行われています。


人との出逢いというのは、本当に定めなんだなと思います。


ひとつひとつ挙げていくと、
あんまりにも出来過ぎたお話が沢山で、うまく説明できない程です。

ブログを毎日書いておきながら、
うまく説明できないではいけないのかもしれませんが(笑)


今夜も、いつもお世話になっているカフェZeccaさんにて、
芸の虎や志さんと、三流亭楽々さんのの落語会に行かせていただき、
笑い泣きして帰ってきたのですが、

この芸の虎や志さんには、
おかん感謝祭で、以前ご紹介した、立川平林さんの落語のセットを、
快くお貸しいただいたご縁がありますし、

おかん感謝祭で映像投影するためのプロジェクターを貸してくださった、
大橋外科の先生もいらっしゃっていました。

どちらを見ても、お世話になった方ばかりですね。


どの方とも、今世だけのお付き合いではありません。

前か、そのまた前か、そのまた更に前かは分かりませんが、
いつかの世でお会いした時から、またお会いするお約束だったのだと思います。

出会えた人とは、いつも。
「初めまして」とご挨拶しながらも、
「ご無沙汰しております、無事にお目にかかれて幸せです。」
こちらのほうが、ほんとうなのかもしれません。

すべての出会えた方とは、
そうであると思います。


そして、この今世の出会いに導いてくれた、
いちばんの恩人は、やはり、何と言っても両親です。

私は2人を選んで生まれてきました。
2人のもとに生まれて、幸せです。

33年目、おめでとうございます。
私を生んでくれて有難うございます。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

日本人は、愛で出来ているなぁ~と思います。

昨年の「福島民報」のこんな記事を見つけました。

福島県いわき市の中学生が【江戸しぐさ】について、
ラジオ番組にまとめ、それがNHK中学生放送コンテストで優勝したという記事。



http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/08/post_4873.html

【江戸しぐさ】とは、仕草ではなく、思草。

庶民がひしめき合って暮らしていた江戸の町で、
260年もの間、大きな争いごともなく平和であった秘密。

互いを思いやり、
私利私欲ではなく、志のもとに生きていた江戸庶民、
特に、江戸の商人たちの考え方や、志に基づく経営など、

江戸時代の人たちの、考え方のことを云います。

純粋な日本人文化だった頃、
みんなが、
愉しむ達人、思いやる達人だったのです。


今の日本人がまず、これを思い出し、

心が幸せに満ち溢れ、

その溢れた幸せを、愛で、

世界の人に、伝えていくこと。


このことこそが、きっと、
今の時代に生かされている私たち日本人にとっての、
最大の使命なんだと、強く感じています。


震災が起きた瞬間、あらゆる人が咄嗟にとった行動は、
愛そのものでした。

仲違いしていた近所の人たち同士が、一瞬にして手を取り合ったり、
帰宅難民になった人たちを、自宅に招き入れ食べ物を渡したり、
夢中で、無料で、人を運ぶタクシー運転手の方が出たり。


なぜ日本という国で大天災が起こり、原発事故が起こり、
世界中の人たちの大注目を浴びることになったのか。

すべてのことには、起こる原因があるのなら。

そこに私たち日本人の使命があるはずです。


日本人は、世界でも稀に見る、
「愛」と「調和」が、
遺伝子に組み込まれている人種です。

NASAでも、日本人の遺伝子を早くから研究していると聞きます。


遺恨や葛藤があったとしても、

今、この瞬間!

に、一瞬にして心を向けられる日本人だからこそ。

一瞬にして、
何もかもすべてを包み込み溶かす、愛の塊のような存在になれる日本人だから。


この能力を発揮したとき、
争いも、病も、すべての苦しみが消える。

そんなことを、日本人は本能的に知っているんです。
分からないとしたら、ちょっと忘れてしまっているだけ。

だから、思い出したらいいだけ。

だって、中学生にも、よく分かることなのですから。


難しくなんかないんです。

どんなに辛く苦しく、もう駄目だと思う状況にあっても、
目の前に、太陽の光を受けて咲いてる鮮やかな花が現れたなら、

わぁ、綺麗……

わずか2秒でもいい、
瞬間、心を向けてください。
心を『快』の状態にしてください。


その繰り返しで、
感じられる感性が戻ってきます。

快の状態にさえなれば、すべてを思い出せます。

あなたが今大きな病にかかっていたとしても、
もう病でいる必要がなくなるから、それさえも、消えていきます。


愉しむ達人に、なりましょう。

今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

ことかえ。

という言葉を、聴いたことはありますか?

反対にしてみてはどうでしょう。

かえこと。

かえっこと。交換すること。

ことを、かえてしまうのです。
禍転じて福と為す。

その出来事は、何を教えてくれたのでしょう?
その出来事を通して、あなたや、周りの人たちに、何を伝えてくれてるのでしょう?

もう駄目かもしれない。

一瞬のイメージで、そう感じ取ってしまったような出来事も、
「もう駄目だよ。」という、そのまんまを伝えたくて起きてるわけじゃ、決してないということを。

どうか感じてほしいんです。

目の前の現象や、言葉の切れっ端に騙されないで。失望しないで。

何のために、その出来事は起きたんだろう。

何かに気づいてほしいが為に起きたその出来事は、
その何かに気づけた時には、存在理由がなくなって、
きっと消えてしまうんじゃないかな。

だから背を向けないで、ことかえしよう。

すべては、すべての出来事は、

その出来事を通して、いずれかは、
各々にとって、
幸せの道へと、今よりも、より素晴らしい未来へと、次世代へと、

舵を切れるようになるための、

気づかせてくれようと起きている出来事だから。

そう、受け止めたなら、きっと、見えてくるから。


ことかえ。



今日も、
ことだまの幸わふ国に、
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

今日ほどの暑さだと、
雨の雫に濡れた色とりどりの紫陽花が恋しいですね。

今朝は、
新居浜別子倫理法人会さんのモーニングセミナーに出席させていただきました。
会長様からある日突然ご連絡をいただき、
8月最終週で、講師をさせていただくことになり、
どのような雰囲気なのか、見学させていただきに…

経営者でもない私が講師など畏れ多い。

テレビに出るようなこともある仕事柄、
人前で話すことなど何でもないだろうと思われているようなのですが、

未だにニュースを読む前は、いつも新鮮な気持ちで、
程よく緊張しますし、それはまぁ、
カメラなので、人前ではないので良いのですが、
カメラの前で話すのと、生身の人の反応を見ながら話すのとでは、訳が違います。

増して、経営者の方ばかりが聴講されている中、
自分に果たして、学びとまではいかなくとも、
愉しんで聴いていただけるような話が出来るのかどうか、不安です。

でも、自分への自信はなくとも、
自分がこれまで出逢えた人たちと、
そこから紡がれたご縁に関しては自信を持っています。

皆さんからいただいた愛の話を、させていただきたいと思っています。

早起きが苦手な私ですが、
朝日と共に起き、活動することが、こんなに気持ちいいのか!と感動した朝でした。



さてさて本題に~(笑)

私、20代の頃は、植物にあまり興味がなかったのに、
花恵という、名前の通り花が大好きだった祖母が亡くなってから、
なぜか、私の植物を愛でる気持ちがとても強くなってきました。



花と、ことだまの繋がりを考えてみたとき、花ことばというものが浮かびます。

花ことばは、それぞれの国によって意味付けが異なるようで、
日本の場合、その花の見た目の様子から連想する言葉が考えられているようです。

しかし私には、この花ことば、
日本人にはなかなか定着していないように感じます。

ちなみに今月の花にまつわる花ことばをちょっと調べてみましたので、ご紹介します。

☆笹百合… 上品
☆百合 … 純潔
☆あやめ… よい頼り
☆くちなし… 洗練
☆立葵 … 大志
☆紫陽花… 忍耐
☆ほたるぶくろ… 忠実

うーん。
なんとなく、分かるような分からないような。

だけれど、それもそのはず。

花ことばは、元々、西洋の文化なのだそうです。
その起源は、神話や伝説に遡るとか。

言葉にできない気持ちを、花に託して贈る。
相手を思う純粋な気持ちを花に込め、プレゼントしたんですね。

では、日本の場合はどうでしょう。

日本にも、贈り物文化があります。

今の時期、デパートに出来る特設コーナー。
お中元ですね。

お中元、お歳暮と、日本人は、
今の関係性に対してだけではなく、

過去お世話になった方、日頃お世話になっている方、更に、
これからお世話になります、という場合にも、
贈り物をする文化がありますね。

お相手の方を思い浮かべ、生活になるべく役に立つような物を、
腐心して選び、心を込めて贈ります。

その精神性においては、西洋のそれと似ているかもしれません。


そもそもこの、物を贈る、贈り物文化は、
中国、大陸から伝わってきたものとされています。

日本は、宗教から政治、文化に至るまで、
大陸文化の影響を多分に受けてきました。

贈り物文化もそのひとつ。

形式的にはそっくりです。

でも、その捉え方、考え方は、日本と少し違うようです。

中国の場合、贈り物は、地位や権威の象徴。

贈る側も贈られる側も、
なるべく大きくて目立ち、華やかな物を、
他人に、贈り贈られたという事実を知ってもらいながら、
贈ることに、意義があるという思想なのだそうです。


日本はやはり、他国文化を受け入れながらも、
すべてをそっくり真似るのではなく、
自分たちの心にいちばんしっくりと沿うように、
いいところだけを抜き取って、
より良い形を見つけることが、とっても上手です。


今日も、ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

日本のことをテーマに書いてるのに、
なぜなかなか出てこないのかな?
と、思われそうなテーマのひとつが…やはり着物でしょうか。

私、実は、25歳から29歳くらいまでの約4年間、
大変に着物狂ひを(笑)しておりまして、
当時は、お給料と言えば、すべて着物に消えていく、という程、
ひと通りのものは揃えました。

余程の着物好きでなければ揃えない、と言われる、
夏着物、いわゆる「うすもの」まで持っています。
うすもの。だなんて、響きだけで、なんだか色っぽい。

中でもいちばんのお気に入りの訪問着(よそ行き着)が、こちらです。
帝王紫(貝紫)と云われる貴重な紫色をワンポイントに、
優しい水色のランダムな柄ゆきが素敵なんです。



着物の魅力は、そのものの美しさと、
身に纏っている人の所作を美しくするところにありますが、

襦袢からあらゆる小物の選び方、
纏うまでの細かな工程や、
着終えたあとのたたみ方、しまい方、
何もかも、すべてにおいて、丁寧になれるところではないかと思います。

日本人のきめ細やかさや心遣い。

生活に関わる行動のひとつひとつに、
ひと手間かけ、心を込め、幸せを噛みしめる。

そんなことのひとつが、
着物を着る生活にも、あるように思います。


着物の衣替えに倣って、
今の衣替えという考え方もあるわけですが、着物の場合、

ちょうど今のこの6月の間は、単(にとえ)と言って、
裏地をつけない涼しく着られるものを選びます。

そして、盛夏(7月、8月)には、うすもの。
絽、紗、羅の3種類の織り方がありますが、
どれも透け感のあるとても涼やかなもの。

それでも、着物である以上、襦袢も着ますし、足袋も履きますから、
夏でも、よそゆき着としての位置づけが強いです。

それならば、思い切ってグッとラフに浴衣というのもいいです。
浴衣は本来庶民には、湯帷子(ゆかたびら)といって、
湯上がりの湯をすわせる、寝巻きのような感覚が強かったので、
浴衣で遠出するなどは、みっともないことだ、とも考えられていましたが、

今の時代に合わせるならば、
そう難しく考えなくともよいように思います。
Tシャツ短パンで出かける感覚と同じことですね。

そして9月になると、再び単の着物に戻り、
10月から5月までが、袷(あわせ)といって、
裏地をつけて仕立てた着物を着ます。
着られる時期も長いので、色々な種類があります。



左の、横織りがよく見える桜柄のものが絽の着物。
右上が単、右下が袷、右真ん中は浴衣です。


袷は本当に沢山の素材がありますが、
この素材こそが、着物の「格」を決めています。
色柄もある程度関係ありますが、素材がシーンに合っていなければアウトです。

格は出かけてく場所柄によって必ず変えますし、
着物と帯、草履、帯揚げなどの小物についても、格を揃える必要があります。

見た目に合っていれば、何でもいい、というのではなく、
一定のルールの範囲内で、いかにお洒落を愉しむか。

だけれど今は、本当に色々な色の、素材の着物を、
誰でも自由にルールに基づいて着ていいわけですが、

江戸時代に出た「奢侈禁止令」では、
庶民は、
素材は綿と麻、色は茶、鼠色、紺色に限られ、
それ以外のものを身につけることは許されませんでした。

しかし粋な江戸っ子たちは、
その決められた範囲の中で、めいいっぱいお洒落を愉しみ、
愉快痛快に生きていたのです。

茶ならいいんでしょ、鼠色ならいいんでしょ、
と言わんばかりに、
茶も鼠色も、それぞれ、100種類以上の色をつくって、
組み合わせを愉しんでいたといわれています。

そして、
見えなければいいのよね?ということで、
庶民でも資金力のあるひとは、襦袢に、めいいっぱい派手な色や柄をあしらって、
袖口から見えるか見えないかのお洒落を愉しみました。

そんな茶目っ気のある工夫を、粋と呼び、
あら、お洒落な襦袢、と気づけるひとを、通と呼びました。

そんな、この時代に裏地や襦袢にお洒落を施した行為から、
「裏をかく」という言葉が出来たのだとか。


私もわりと、着物は地味に、
襦袢は派手に、が好きなタイプで、
こんなネコちゃん柄の襦袢を持っています。



『分相応』という言葉があって、
現代の人はこれを割とうっとうしく感じる側面もあると思います。

まるで、自分の生まれや能力は変えることができないから、
高望みしたり夢を見たりせずに、堅実に生きなさいと、
言われているように感じるからかもしれません。

でも、私は決して、そうではないと思うんです。

その、置かれている現状を、
めいいっぱい生かして、愉しみなさい、という意味ではないかと思います。

なんでもかんでも、無尽蔵に選べるよりも、
今はこの中から、めいいっぱい工夫して、
今しか出来ないことを、やってごらん。

そう思うと、
あえてその範囲を超えてしまうこと、
出来たとしても、
やることが少し勿体なく感じるんです。

高校生の頃、母に、高校生らしくしなさい、と言われてたこと、
背伸びしたかった当時には分からなかったけど、

高校生の頃の田舎っぽさや、みずみずしさが、
もう過ぎた今となっては、二度と再現できない、
その時にしかない良さだったなぁ~と思います。


置かれた状況に文句を言って、
仏頂面でやっていくのではなく、
その状況を愉しみ、めいいっぱい輝けることこそ、



なんだなぁ~



今日も、ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、有難うございます。 愛子

2013.06.10

12の雨ことば

昨日に引き続き、ちょっと雨にまつわるお話を。

雨って、何か大事なイベントごとの時などは、
集まる方の行動の不便を思うと、
降らないでいてほしいなぁ~っと思います。

昨日は、私がいつも公私ともに大変お世話になっている、
保険とエステのCREVAさんの2周年記念イベントでして、
私は取材にお伺いさせていただいてたのですが。

雨の中、5000個の餅まきを、それも商品券などの当たりくじ付~!
っという大盤振る舞いをされていました。



確かに準備や後片づけが一層大変になってしまったり、
集まった方の不便には違いありませんが、
これだけの大盤振る舞いです。
受け取る側としては、
なんらかのハンディでもあったほうが、
それを押しても来たんだから、貰ってもオッケー、かのような(笑)
気の引け方が少なくて済むような気が、少しします。


それに。

雨の中、一緒に何かをやる。

って、ちょっと思い出に残ります。

チャゲ&飛鳥さんの唄にもありますよね。
「始まりはいつも雨」
徳永英明さんの唄にもあります。
「rainy blue」

そうだ!ハリウッド不滅のミュージカルとして知られている「雨に唄えば」も。

雨が、大地の恵みを潤す、
命の源であることは言うまでもありませんが、

私の中で、雨は雨で、
とってもセンチメンタルであり、ロマンチックなものです。






ところで、この、雨。
ひとことに雨と言っても、日本には、
本当に沢山の雨があるのはご存知ですか?

一般に使われるのは、
時雨や村雨、あと、狐の嫁入りだなんて言葉も、聴いたことがあるのではないでしょうか。

ところが、日本語は凄いです。

もっともっと、沢山あります。簡単にご紹介しますね。

《季節ごとに移り変わる雨》

【春】
☆菜種梅雨… 菜の花盛りの3月の終わりから4月にかけて降る長雨

☆糠雨(ぬかあめ)…ごく細かい雨

☆麦雨(ばくう)…麦が実る5月頃に降る雨

【夏】
☆涼雨… 夏の暑さを忘れさせる涼感をもたらす雨

☆夕立… 夏の夕方突然激しく降り、間も無くやむ雨

【秋】
☆秋霖(しゅうりん)…初秋にしとしと振る長雨

【冬】
☆時雨… 冬のはじめに、さっと降って通り過ぎる雨

【季節と関係ない特長ごとの雨】

☆白雨・驟雨(はくう・しゅうう)
… 夏以外での夕立のようなにわか雨

☆篠突く雨… 細い篠(竹)を束ねて地面に突き下ろすような、大粒で激しい雨

☆細雨(さいう)… 霧雨のような細かい雨

☆村雨… 降ったかと思えば止み、止んだかと思えば振る、むら気な振り方をする雨

☆狐の嫁入り… 日が差していながら振る、日照り雨


わぁ~!数えると12種類もありますね!雨の種類。

こんな言葉を、
サラッと使い分けられたら、なんだかとっても粋ですね。


ちなみに、狐の嫁入りというのは、
実際に江戸時代から伝わる日本の逸話で、

火のないところに灯火がずーっと続き、
道なき道に長くその火が続くことで、道があるものと人を惑わせる、
キツネの仕業、キツネが嫁入り行列をしている、というもの。

その化かされたような感覚に似ていることから、
お天気なのに雨が振ることを、狐の嫁入りと云います。

面白いですね。




今日も、
ことだまの幸わふ国に生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

6月9日、今日は新月だったということで、
月夜に願いを込めた方もいらっしゃるでしょうか。

今年はいつもより、各地平均10日程も早く、
どこも5月のうちに梅雨入りしていましたね~。

梅雨入り宣言はされても、なかなか雨は降らず。

でしたが、久しぶりに今日は一日降りました。

日本は四季の国言われますが、
この梅雨も、雨季として、ひとつの季節に数えたいほど、
春とも夏ともつかない特別な季節のように感じます。


ところでこの、梅雨、という言葉。

湿気が多く、カビ(黴)が発生しやすいため、
黴雨(ばいう)と書かれ、
この音が、
ちょうどこの時期に収穫される梅(ばい)とあいまって、

梅雨(ばいう、つゆ)となったと言われています。

なお、つゆ、に関しても、
露と、
梅の実が潰れるという意味で潰ゆ(つゆ)が、
掛け合わされているようです。

日本語って面白いですね。


梅の実は、梅雨の長雨のおかげで、まるまると太り、
そろそろ収穫が始まっていきます。

早めに収穫された、青々とかたい梅を梅酒用に、
もう少し待って、よく熟し、黄身を帯びてくると、梅干しに。


昔から日本人の健康のお供であった梅干しも、
梅雨の長雨の恩恵なんですね。


あ、梅酒って、案外カンタンにつくれるものなのだそうですよ!



よーく水洗いをした梅。
竹串でヘタをとったら、瓶などの大きな容器に入れ、
氷砂糖とホワイトリカーを注ぎ入れる。そーっとね!

あとは密封して冷暗所で三ヶ月以上寝かせましょう。
氷砂糖すこし多めで、梅の風味が出やすいみたいです。

おうちで晩酌☆
なーんて大人な習慣、実はもういい加減大人な私ですが、
一度もしたことがありません(笑)

手づくりのお酒でまったり、なんて、素敵ですよね~!
やってみようかなぁ~~~


今日もことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

こんばんは~!
今日のお昼は、素敵な女性のお手本のような方と、ブランチでした。
たのしかったぁ~٩(⑅´◡` )۶٩( ´◡`⑅)۶ᵋᵎᵌ⁎४*✧



あ、写真は、私です(笑)


その女性は、
昨日ブログに書いた、おかん感謝祭にお客様として来てくださっていて、
私が3月に、名前のことだまセラピーセミナーをした際にも来てくださり、
とても共感してくださっていました。

モニターとして、ことだま鑑定も受けてくださって、とっても感激してくださり、
その後すぐに、やりたいことに出会えた!
と、今、
クラシックソムリエという資格の検定を勉強されているのだそうです。

ちなみに!
最近、ふとしたことから、
実は、
私の祖父と、彼女のお爺様が繋がっていたこと、そして、
私の父と、彼女のお母様が同い年の幼なじみだったことが分かり、
もうビックリでした!!

こうして出逢えることは、もう、私たちが生まれる、
きっとずーっと前から、決まっていたんだなぁ~、なんて思います。
きっと、すべての方との出会いは、そうなんですね。


彼女はもともとクラシック音楽がとっても好きで、
そのことに素直になったら、たまたまふっと、そんな資格と巡り合ったよう。

私は全くクラシックを知らず、
バッハやシューベルト、ベートーベンなど、、、知識が小学生止まりです(笑)

が、クラシック音楽の中にも、
宗教音楽などから発展したものも多く、
キリスト教などが無ければ、生まれなかった楽器もあるでしょうね、
なんてお話を聴いていて、なるほどな~っと納得してしまいました。

様々な国や種類のクラシック音楽を、
そのアレンジや、指揮者の意向によってさえ変わる楽曲を、
場や、人に、
どんなものが合うのかをみたてられるようになったりする資格なのだそうです。
素敵ですね~。


そんなお話を聴きながら、日本でいう、クラシック音楽とは、、、
と思い巡らせたときに、〈雅楽〉が頭に浮かびました。

宗教音楽、と定義すると、日本の場合、
もっと遡れば、神楽にあたりますね。

神楽の起源は、古事記や日本書紀に描かれている、
岩戸隠れでのアメノウズメの舞とされていますから。

今でも神社で神楽の奉納がされていますね。

しかし、音楽として、広く一般に愉しまれるものとなったのは、
雅楽の形になってからかな、と思います。

雅楽を初めて生で聴けたのは、昨年末でした。

私の心友、SUGA JAZZ DANCE STUDIO の國友悠一朗さんや、
尊敬する世界的音楽家の岡野弘幹さんがコラボアレンジされている舞台が、
松山で開催される!と知って駆けつけた時でした。

神代音絵巻という舞台で、
音と舞と映像のプロフェッショナルによる、それはそれは素晴らしい舞台でした。



その時の國友さんご一家とパチリ☆



岡野さんともパチリ☆



あ~、ついついこのお二人をご紹介したくなってきましたが、
話が逸れるので、元に戻しますね(笑)


はい、この公演の時、他のご出演の方は、
東儀秀樹さんをはじめとする雅楽をされている方々でした。

そこで初めて、雅楽に触れたのですが、
何とも言えぬ、懐かしいような、深層が癒されるような、素晴らしいものでした。

東儀秀樹さんの語り口も、雅楽の一種かのような、
癒やしの波を発していました。

私は、雅楽は日本古来の、日本特有のものかと思っていました。

だって、宮内庁に雅楽の楽部があるほどですし、
それは国の重要無形文化財にも指定されています。

しかし、その公演の時、
雅楽は、日本特有のものではなく、
アジア大陸諸国の音楽が、仏教文化と共に伝来してきて、
神楽と融合して出来たものだと知りました。

日本とは不思議な国で、
他国の文化をすぅーっと馴染ませ取り込み、
より素晴らしいものに発展させてきました。

受け入れることの美。

雅楽の間合いや音の美しさの中には、
普遍的な悠久的な優しさと同時に、

何か新しいものが生み出されそうなワクワク感があるのですが、
それはこの、日本の受け入れの美にも、
起因しているのかもしれませんね。


今日もことだまの幸わふ国に生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

こんばんは!
今夜は、落語家・立川平林(たてかわひらりん)さんの独演会に行ってきました。

いつもは取材だなんだと仕事も兼ねてることが多く、
ゆっくりとお客さんとして見させていただいたのは初めてかな?!
心から愉しめた、いい夜でした。


ひらりんさんは、
愛知県知多郡出身、東京都葛飾区在住で、
故・立川談志さんの愛弟子です。

ひらりん♪なんて可愛いお名前ですが、
本名、苗字が平林(ひらばやし)さんで、ひらりんさん。

古典落語の中にも、【平林ひらばやし】というのがあり、
ひらりんさんが演る平林、面白いです。

舞ができなきゃ弟子じゃない!ということで、
談志さんのお弟子さんは、みんな、落語だけでなく、舞もお達者。
特にひらりんさんは、安来節の名人です。


さて、このひらりんさんとの出会いは、ちょうど1年前でした。

落語会ではなく、とある懇親会。

そもそも私、舞台、劇場が大好きで、
ダンスやミュージカル、大衆演劇、歌舞伎、と愉しみますが、
落語に関しては、この時まで、聴く機会がなく、良し悪しも分かりませんでした。

落語家さんといえば、愉しいお話をされるイメージ。

でもひらりんさんは、昨年の今頃、
ちょうど今日と同じ会場で、ふっと、こんなお話をされたんです。

録音していたわけでもありませんが、
なぜだか今も鮮明に覚えています。

。。。。。。。。。。

あぁ、こちらには、瓦礫キーホルダーなんて物が売ってあるんですね。
素晴らしいですね。
そうか。。
僕もちょっと、震災当時のことをふっと思い出しましたね。。

3.11、あのとき僕は東京に居まして、
東京も大変揺れましたね。大変でした。

それでも僕の周りは大事には至ってなかったものですから、
数日後には寄席の予定も決まっておりましたし、
仕方がないから、電車に乗って、移動します。
落語を、やります。

ですがね、何とも言えない、気持ちの悪い空気が、
東京を包んでいたんですよ。

電車の中で、はしゃぐ子供がいたら、みんながギロリと睨む。
こんな時に楽しそうに騒ぐんじゃない!と言わんばかり、
だけど一方で、そんなこと言ったって仕方ないか、
というような、すべてが入り混じった何とも言えない空気。

寄席をやってもそうです。
僕自身も、こんな時に落語なんてやってていいんだろうか、
でもお客様はいらっしゃる、
それならやろうと腹を括ってやるんですがね、
お客様の顔を見渡したらば、
これまた何とも言えない顔をしてらっしゃるんですよ。

笑っていいのか良くないのか、
笑いに来てるんだけども、笑うことを躊躇って、
更にはここに今座ってることさえ良くないんじゃないかっていう、
ともかく、

何なんだこの空気は!
という気持ちの悪い空気ですよ。

僕は、
もういかん!これはダメだ!
ここにいて普通通りになんてやれやしない!

ってんで、もうとにかく後先考えずに、まだ3月のうちに、
持てるだけの物資を持ってひとり、車で東北へ向かいました。

途中何度も引き返そうと思った。
行って自分に何が出来る。

だけども、なんとかかんとか辿り着いて、物資を積み降ろしました。

僕はそこの体育館の世話人の方に、
勇気を出して声をかけようと思っていました。

だけども勇気が出ない。
東北のそのみなさんの顔を見たら、、、

落語やらせてください。

なんて、とてもじゃないが言えたもんじゃない。
帰ろう。
物資だけ置いたら、もう帰ろう。

でも、いや待てよ、言うだけ、言ってみよう。
とても失礼なことかもしれないが、このままじゃ帰れない。

それで勇気を出して、そっと伝えました。
「あのぅ、、実は私、落語をやってる者でして、もし、、御迷惑でなかったら、皆さんの前で落語をやらせていただくわけには、、、」

すると次の瞬間、その方の顔がパアーッと明るくなって、
大声で、
「えっ?!本当ですか!みんな~!この人落語家さんなんだって!落語をやってくれるって~!」


よかった。。。勇気を出して言ってよかった。。。

そうして落語をやらせていただいたんですが、
最初はちょっと笑うのを躊躇っていた人もいましたが、
皆さん段々とリラックスしてきて、大声で笑ってくださったり、
本当に愉しんでくださったんです。

僕も、
良かったぁ!本当に来て良かったぁ!僕でも役に立つことが出来た!
と、夢中で喜びをかみしめていました。

もしかしたら、東北の皆さんも、東京の人達と同じように、
本当は人間らしく、感情を出したいのに、
出してはいけないような、こわばった中で、ギリギリの精神で、やっておられて、
笑うということを、本当はしたかったのかもしれない。

落語を聴くなんていうような、
笑ってもいいんだよ、というサインを、
本当は待ってたのかもしれないですね。


後に聞けば、落語家としては、僕が1番最初に東北に入った人間だったそうです。

僕はね、このことだけは誇りなんですよ。

。。。。。。。。。。

少し記憶違いもあるかもしれませんが、このようなお話でした。

私は1年前、このお話を伺って、胸が熱くなりました。
この方となら、一緒に何かやらせていただける!と思いました。

そこでお声がけさせていただいて、

9月9日に開催を決めていた、
「おかん感謝祭第一章」の出演者、トップバッターとして、
やっていただくことを決め、その場でお願いしました。



既にその時には、先日、わたくしごとブログでご紹介した、
ロックバンドおかんのLIVEと、高倉太郎さんの講演という内容は決定していて、
そこに落語が入るという、なんとも異色のコラボレーションでした。









私は、ひらりんさんの落語も聴いていないのに、出演を依頼する始末ですし、
ひらりんさんもひらりんさんで、どんな趣旨のイベントなのかあまり聴かないうちに、快諾してくださいました。

ただ、思いは、同じだと感じたから。
それだけでした。


結果、このおかん感謝祭第一章には、
350人余りのお客様に足を運んでいただくことができ、大盛況でした。





私にとって、初めてのイベント主催、
それはそれは、もがき苦しみ、時に発狂しながらでしたが、

開演前、私が主催者としてどうしてもやりたかった、全員総握手がやれた時、
皆さんの顔を見て、やって良かった!と思いました。

全員総握手とは、
出演者、スタッフ、お客様の、垣根なく、
全員でその日その場所をつくること、
お客様も含めて、誰一人欠けても、その一日を、
その形でつくることは出来ないこと、

あなたは絶対に1人じゃないってこと、

それを伝えたくて、
開演前に、すべての出演者とスタッフが、
お客様の座席に行って、
誰とも握手をしてない人が1人も出ないように、
全員が必ず誰かと握手を、言葉を交わしてから、
このイベントが始まる。





始まったら、素晴らしい出演者の皆さんが、
必ずお客様を愉しませてくださるのは分かっていましたが、
出演者側とお客様側という風に分けるのではなくて、

互いに同じ人間同士だから、
という土俵のうえに、築きたいイベントだったんです。


その後、今年の2月9日、私の母の還暦の誕生日に、
おかん感謝祭第2章を開催しました。



この時はなんと、

ひらりんさん、お客さまとして、わざわざまた名古屋から、
足を運んでくださったんです!

打ち上げに残ってください!と何度もお願いしたのに、
いや!僕は今回は客ですから、そんなみっともないことはしたくない。
おかんさんに、大阪城ホール公演がんばってとお伝えください、
と、足早に帰って行かれました。。


落語=落とし噺。
噺ひとつで人を愉しませる技。
江戸時代から続く、日本が誇る大衆文化です。

まさに口伝の真骨頂。

その魅力を伝え継ぐのは、やはり人です。

どんなお役目をいただき、演じるのかは、
その根底に流れる、志に裏打ちされる。
だから、そこに繋がり、広がりが生まれる。


ひらりんさんは、わざわざこの愛媛県新居浜市に、
二ヶ月に一度のペースで訪れてくださっているんです。

私自身はひらりんさんと、
特別長く、沢山お話をさせていただいたことがあるわけではありませんが、

ご縁ができる理由は、理屈じゃなく、
奥っこのほうに流れている、思いにあるのかもしれません。

なんとも味わい深いものです。

今夜は久しぶりに、
おかん感謝祭のイベント時の写真を見ながら、幸せいっぱいです!

今日もことだまの幸わふ国に生かしていただき、ありがとうございます。愛子

こんにちは!
皆さん、ストールって持っていますか?

私は最近ロングヘアからショートヘアにしたため、
首回りがあいていることが落ち着かず、
もっぱら、日よけと、落ち着くために用いていますが(笑)

日よけや防寒でなくても、
お洒落アイテムのひとつとして、数種類持って使い分けている方、多いと思います。

というわけで、
今日は私のいちばんのお気に入りストールをご紹介します!
何の話?!っとおっしゃらずに、お付き合いください(笑)

日本の伝統色と柄を上手に組み合わせて、
珍しい色合わせだけれど、不思議に馴染む、
このセンスの良さが大好きです。



生地は綿とシルクが半分半分。
真冬以外はいつ巻いてもおかしくない。

こちらは博多発ブランドですが、
日本で販売する前に、
パリで展開し、そのあと逆輸入のような形で、
日本での展開が始まったそうです。

パリっ子の間で大人気!ということで、
既に海外からの評価を冠にして、
その独特の柄合わせだけではなく、
そういった意味でも、他のメーカーとの差別化に成功していますね。


ところでこの、ストールというアイテム。
今でこそ日本でも大変ポピュラーになっていて、
着物にも、ショールを合わせることが一般化しつつありますが、

このような巻き物文化は、日本古来のものではありません。
日本は、巻き物に対して、被り物文化でした。

頭や顔回りを覆うのには、
笠をかぶったり、着物を着たうえに更に着物をかぶったり、頭巾をつくったりしていましたが、
肩回りを覆うという発想はあまり無かったようです。

奈良時代には、貴族の女性だけの装いとして、
いわゆる羽衣のようなイメージで、肩に布をかけることもありましたが、
魔除けの意味あいでもあったということで、
やはり文化として根づいていた背景は無いようです。

ちなみに、ストールのいうのは、長方形の長細い物を言い、
ショールというのは、正方形で、よく半分に折って三角にして使われたりしている物を言うそうです。


それにしても日本人というのは、
本当に、
他国の文化をいとも簡単にスッと受け入れて、
我が国独特の物として、更に良い物に創りかえて出す、
ということにおいて天才的だなぁ~と、いつも思います。

外来の物も、より完成度を高めて生み直せる。

現代の日本の良さのひとつが、

あれもいいし、これもいい。

という、懐の深さだと思っています。

私の、
日本という国が、これからの融合のリーダーになる!という思いは、
こんな日本人性からも来ています。

昨日は、私がなぜ、
出雲大社遷宮の先月、真っ先に美保関に行ったのか、
その理由が2つあります、ということで、ひとつめをお話しました。

1.出雲を、出雲たらしめた起因は美保にある
2.陰陽、男女の融合の象徴のようである

今日はこの、ふたつめの理由をお話させてください。

話は、昨日の国譲り劇場の続きです。


高天原の天つ神たちは、

大国主命が国を譲ってくれ、代わりに冥界を司ると決まったので、
その約束の証にと、
自分たち側から、后をよこしました。

その后の名前が、美穂津姫命。

美穂神社は、
昨日お話した事代主神(大国主命の子)だけでなく、
この美穂津姫命も、一緒にお祀りされているのです。

本殿を見てみてください。
屋根のいちばん上です。



クロスされているシンボルが見えますか?

これは千木(ちぎ)といって、
手前側と向こう側では、先端の形が違っています。

手前を、
縦削ぎといって、男神をお祀りしていることを表し、
向こう側は、
横削ぎといって、女神をお祀りしていることを表しています。

つまりこれは拝殿からでも、
向かって左側が事代主神、右側が美穂津姫命と分かるので、
信仰の厚い方は、拝殿で左右それぞれの前で手を合わせます。

実はこの、縦削ぎと横削ぎの本殿が、
同じ神社にふたつ並んでるケースって、他に類をみないんです。

特殊で、美保造りと言われています。

男神と女神を、こんなに平等にお祀りしているなんて。

これはもう、男女の融合の象徴です。


大国主命の愛息子と愛妻が、美穂神社に。
そして大国主命は、出雲大社に。


あれ?
でもここで、なんとなく、きもちわるくなりません?

息子の事代主神は、よく美保関で釣りをしていたから、
美保の地に鎮まることは、理解できるけれど、

なぜ妻の美穂津姫命は、自分と共に、
出雲大社に鎮まらず、息子のところへ鎮まっているのか?

それならなぜ、いっそ3人同じ場にしなかったのか?

なぁんか腑に落ちないような話。


ところで美保関には、美保神社に着くまでの道、
道のすぐ近くの場所に、男女(めおと)岩と呼ばれる岩があります。



これは撮影ポイント間違えたな~って後で気づいたのですが、
きちんと男女岩に見える角度は、

岩近くに着いた時のこの写真でもなく、
美保神社からの帰りでもなく、
美保神社に向かって行く途中の角度から見たときなんです。

美保神社に向かって行くとき、
男女のシンボルの形の男女岩があり、鳥居のように結界がはられてる。

うーん。
祀られてるのは、息子と母だから、男女には違いないけど、
男女と書いて、めおとと読ませてるんですよね~。


あの、これ、今から言うことって、ちょっと画期的かもしれませんよ~(笑)

古事記がお好きな方なら、よくお分かりかもしれませんが、
神様の名前って、同じ人物でも、時と場合によって、
使い分けられてることがありました。

一人の神様だけど、これは呼び名を変えてるんだな、と、
はっきり分かる場面やケースもありますが、
逆に、
極めて分かりにくいのだけど、実は、
この神様とこの神様って、同じ神様だったりして?!?!

そう過程したら、すべてが繋がる!!

そういうことって、多いんです。

古事記のお話って、話が飛ぶし、なんかよく分からん!
って思われがちなのですが、
実は、誰が誰と同一なのか、すべてが分かれば、
すべてが消化できるようになってるのではないでしょうか。


荒魂(あらたま)・和魂(にきたま)という考え方が実際にあります。

神様でも、
裏の少し悪い醜い部分と、
表の本来の働きをする部分と、
持ち合わせているというのです。

そうならば、
大国主命を考えたとき、、、

大国主命は、国譲りのことを、
二人の息子に相談すると言ったけれど、それは実は、
自分の中の、
荒魂と和魂のことだったとも、考えることができます。

そんな風に考え始めると、
天つ神から、交渉の使者を遣わすときも、
いつも神様二人セットだったけれど、
それだってもしかしたら、
それぞれ、荒魂と和魂のことだったのかもしれません。


美保神社には、実は、夫婦が祀られていた。
同じ神様だけれど、その魂、精神の性格の違うものに、
別の名前をつけた。まさに陰陽です。

これって、言い換えれば、
【名前で性格の違いを表せるほど、名前は大切。
ということを、古事記の時代から日本人は理解していた】
とも言えませんか?

今、私は名前のことだまを、
少しずつお伝えさせていただくこともしていますが、
ことだま、音というのは、ひとつひとつに魂が、神様が宿っていて、
それぞれ、音には、
表の働きと裏の働きを持っているという考え方なのですが、

これはまさしく、神様と、音が、一対であることと通じます。


音には表と裏の働きがあることをお伝えしていく上で、
神様には表と裏の魂があることを示している美保神社には、
しっかりとこのタイミングでご挨拶をしておかなくちゃ!

私にとっては、そんなふうに思える場所でした。

名前のことだまを入り口として、
ことだまを、
日本の精神性を、
思い出していただくことを真剣に考えたとき、

この美保神社に、招かれたような気がしています。


今日もながぁくなりましたが、
美保に惹かれた2つの理由、
熱く熱く、語らせていただきました~!

いつも長文にお付き合いいただき、
感謝感謝です!
有難うございますヽ(●^▽^●)ノ

こんばんは!
今日も1日暑かったですね~。愛媛もすっかり夏のようでした~。

前回、ばしょブログでご紹介した『須我神社』ですが、
あの場所に行けたのは、もう夕方を過ぎた頃でしたが、

私があの日、愛媛からひたすら車を走らせて、
島根県に入り、真っ先に向かった地は、
実は、美保(美保関)という土地でした。

島根県の中でも、最も日本海の端っこの漁師町。
ザ・リアス式海岸!というような場所。

今回の島根行き、
出雲大社の遷宮の時、出雲の地に居たいというのはもちろんでしたが、

この美保という土地に、美保神社に、赴くことが、大きな目的でした。



美保神社は現在、
七福神の中の恵比寿様の総本社ということで、
商売繁盛の神様として、
一般的には受け取られている場合が多いようです。

とりわけ漁業者の間では、有名なようですね。

海の記念日生まれの私、
やっぱり海にもご縁を感じます。

考えてみれば、
私も両親は、父は多喜浜、母は西町という、
海がすぐそこにある環境の生まれです。

漁師町の原風景が広がっていて、
とっても居心地がよかったです。



でもでも、
それが理由というわけではありませんでした。

というよりこれらは、
今ブログを書きながら思い出したことです(笑)


美保関に行きたかった理由は、

1.出雲を、出雲たらしめた起因は、美保にある
2.陰陽、男女の融合の象徴のようである

と、私なりに解釈していたから。

だからどうしても、遷宮の今回、美保関へ行きたかったんです。

今日はその、ひとつめの理由をご紹介します。


さて、
出雲国が統治していたのは、現在の出雲の土地だけではありません。

日本列島の中で東北を除く本州と、四国、九州の広い範囲で、
既に影響を及ぼしていました。

国造りをしたあと、これらの広い範囲を、
高天原の神々に譲ったとされています。

それではトツゼンですが(笑)
ここで、国譲り劇場の始まり始まり~~ヽ(^ω^)ノ

出雲側出演者 大さん =大国主命
事くん =事代主神
健くん =健御名方神

高天原側出演者 天さん =天照大御神
稲くん =天穂日命
彦くん =天稚彦
武くん =武甕槌神
鳥くん =天鳥船神

ことの次第は、ざっとこんな感じかな?

天さん「私が国を統治します。稲くん、彦くん、大さんのところへ行って、
国を譲ってもらうようお願いしておいで。」

稲・彦「ハーイ!では行ってきまーす!」

稲・彦「大さん、天さんが国を譲ってほしいって言ってるんですけど~。。」

大さん「え?君たちこちらの統治下に入りにきたかと思ったら、そんなことを言いに来たの?
それはおかしいよね~。ここに留まりなさい。」

稲・彦「、、、そうですねぇ、、、なんか綺麗な人もいるしお嫁さんにもらっちゃお♪♪」

天さん「何年待ってもあの子たち帰って来ないじゃない!どういうこと~!
ちょっと!武くん、鳥くん、行ってきてよ!今度こそお願いよ!」

武・鳥「ハーイ!。。。なんか、今度こそ話つけてこないとマズイねぇ。。。
こうなったら力ずくだ!稲佐の浜に剣を突き立てて、俺たちの力を見せつけよう!
大さん!今度こそ、国を譲っていただきます!」

大さん「うぅーむ。。。そうは言っても私の一存では。。。
分かった。では私の息子たちが良いと言うなら。息子たちの意思に任せよう。
おーい!事、健、どう思うかい?」

事くん「おっと。いま美保関で釣りをしてたところでした。
なるほどなるほど。。そうですね、私たちは国造りという、場づくりをしてきたけれど、
更に発展させていくと約束できるなら、天さんたちにお任せしてもよいのではないですか?」

健くん「事は何を言う!僕たちが築いたんだ!絶対に譲らないぞっ!!」

武・彦「健くんがどうやらごねてるらしいな。。よっしゃ!ここはひとつ、
我々の力を見せつけてやろう!」

武くん VS 健くん の戦い

勝利したのは、、、武くん!!

健くん「なんだよ~!ええーい!もうこんな所にはおらん!諏訪へ行く!」
( →諏訪神社へ引きこもる。)

武くん「大さん、息子さんたちには承諾してもらいました。国を譲っていただきます。」

大さん「そうか。分かった。しかし、ここ、出雲の地だけは、私たちの居場所とさせてもらうよ。」

武くん「はい。もちろんです。あなた様には、国を統治しない代わりに、冥界を司っていただけたらと、天さんも申しております。」


とまぁこうして、

事くん(事代主神)は、いつも釣りをしていた美保関で、
国譲りを潔く決めたことで、出雲国を守った神様として祀られているのが、美保神社なのです。

大さん(大国主命)が、国を譲った立派な精神性の神様ということで、
その名誉をたてる形で収まったのが、出雲大社です。

表向きの名誉は、大国主命にありますが、
そのようになった立役者は、
今の美保神社に祀られている事代主神とも言えますね。

国を統治するという、
目に見える物にこだわるのではなく、
時には状況を柔軟に受け入れて、譲るということもできる、精神性の大切さを伝えています。

そして、その後立派に国を統治していった天照大御神ももちろん素晴らしく。

譲ったほうも素晴らしく、
譲られたほうも相手の名誉をたてる素晴らしさ。

日本国の起源には、こんな物語がありました。


こんなわけで私は、60年に一度の遷宮の日、

出雲大社さんにお参りする前に、
国譲りの影の立役者がいらっしゃる、美保神社さんに先に、ご挨拶を申し上げに参った次第でございました。


美保神社さんにお参りした、
もうひとつの理由については、
ま~たあ~した~ヽ(^ω^)ノ

いつも、ついつい長くなっちゃう(笑)

おはようございます!

今月5日から、名前のことだま、
個人の使命の本鑑定を、お伝えさせていただく、お1人目が始まります。

有難いことに、
今月は既に7人の方、みさせていただくことが決まっています。

初級ことだま師の認定はいただいたものの、実際には、
要件に達するだけ数の鑑定をしてはじめて、
認定式に呼んでいただけるので、
それまでの今の期間は、初級ことだま師(仮)です。


まだ、講座受講中に、モニター鑑定をさせていただいた際には、
『どこでお話をさせていただくか』
について、後悔している場面が多々あります。

使命は、基本的には、
その方に一度お伝えしたらば、
二度お伝えするということはないはずのものです。

占いなどとは違い、
音に本来宿っている働きをお伝えするため、
音そのものが変化するわけではないからです。

変化するとしたら、
心の持っていき方次第。

心の持っていき方に迷いが出ることがあれば、
二度目があってもよい、と思っていますが。。。


そんな理由から、どこでお話をするか、ということも、
とても大切な条件になってきます。


そこで私は、決めました。

名前のことだま鑑定を受けたいと言ってくださった方には、
どなたにも、私の家に来ていただこうと。

実は、
訪れ = 音連れ = おとづれ

日本では神様は形を持たないので、
人の姿を借りてやってくると言われています。

神様は黙ってやって来るわけではなく、
音を連れてやってきます。

神社で、音に関わることが多いのも、そのためです。
玉砂利、手を叩く音、鈴を鳴らす音、お賽銭の音、、、


自宅を、神様に沢山来ていただける、
パワースポットにしよう!!

ということを、お伝えしていくためにも、
まずは自分のおうちから、、、


本当は、積極的に人をお招きできるような、
素敵なおうちと言えるわけじゃありません。

今まで、全くと言っていいくらい、
人をお招きするようなことはしてきませんでした。

私が中学生だった頃くらいまでだと思います。
お友達に家に来てもらったりしていたのは。。。

ですが、5/19に、母のお見舞いにと、
10人の神様がサプライズでおとづれてくださったことで、決心できました!
(詳細は、わたくしごとブログの5月の出来事に書いてます♪♪)

この日を記念日として、
これからは、カフェや適当な場所で鑑定をするのではなく、
おうちに来ていただいて、行き届かなくても、
できるおもてなしをしていきたいと思います。



こんなノートも作りました!

次のページから、少しずつ、
おとづれてくださった神様に、
足跡を残していっていただこうと思います。

すごーく楽しみになってきました♪♪
ワクワク♪♪

ワクワクできるって、大切ですね!

自分をワクワクさせてみましょう♪♪

昨日のブログに書き忘れた、
5月の幸せなお話のラストが、これでした。

名前のことだまの、
初級ことだま師認定試験、99点にて合格!
なんか、、、高得点で嬉しい反面、そこまでいくなら何その1点!
っという悔しさもありますが、、、
悔しさがあるから、がんばれるということで(笑)

試験は、鞆の浦の「ありそ楼」にて。



これで、名前のことだまの、
モニター鑑定ではなく、本鑑定ができるようになります。

そもそも、
【名前のことだま】って何?!?!

とお思いの方がほとんどだと思います。
簡単に説明します。


古代から、日本のことば、一音一音に、すべて意味があり、
それら音の意味から、人の名前に宿る、本来の働きがあります。
氏名から、使命を紐解き、同時に、日本人の使命ひついても学びます。

音の働きから、
その人の本来持っている使命(氏名)に気づいていただき、
名を改めること、(改名)ではなく、名を紐解くこと(解名)で、

『あなたがどんなに必要で、大切な存在なのか』を伝えたい。


そう、昨日のブログでお話した通り、
私がロックバンドおかんを応援してきた原点は、

『あなたがどんなに必要で、大切な存在かを分かってほしい。あなたの代わりはいないということを伝えたい。』

その想いに共感していたからでした。

いや、むしろ当時、
私自身が、そう人に言ってもらいたかったからでした。


私が、生きて、死ぬまでに、やっておくべきこと、使命があるのなら、それをやりたい、
私でないとダメだと言われるような、代わりのできないことをしたい、

私自身が、そう強く願っていました。


だからこそ、ロックバンドおかんを応援できました。

しかし、徐々に、
彼らの言葉を借りて、自分が納得するだけじゃなく、
私も、私自身の言葉で、このことを人に伝えていきたい!
と思うようになりました。

そして、ようやく出逢えたのが、
この、【名前のことだま】だったのです。

この本との出会い。



昨年末のことでした。

読み進めていくうちに、
身体が歓喜に震えました。

出会えた!出会えた!
これだ!これだ!

早く、いち早くこれを、私は学びたい!伝えたい!

☆あなたがどんなに大切かということ
☆あなたの本来の使命

に加え、更に私の確信になったのは、

☆日本という国がいかに大切かということ

を、この、名前のことだまを入り口に、
皆さんにお伝えしていける!!と確信したからでした。


もともと、古いもの、伝統が大好きで、
また、
これまで数多くの方にお会いしてきて、色々なお話を統合する中で、

私の中で、
やっぱり、
世界がより素敵になるために、日本が、
日本人が再び日本人性を取り戻すことが、
何よりも大切だ、という思いが、強くなっていました。

『世界がいつまでも美しく平和であるために、そのための何かの為に、私の身体を使ってください』
と、いつも祈ってきた自分でしたが、

このことを自分自身が実践していける手段が、
これだ!と、わかったんです。


本も最後まで読み終わらないうちに、
この名前のことだまの先生、
山下弘司先生に連絡を取って、私にこのことを教えてください!とお願いしました。

そしてその半月後には、
名古屋の先生のご自宅へ行き、講座を受講させていただき、
慌てるようにステップを踏んで、
あっという間にここまで来ました。

素晴らしいことは、早く、皆さんにお伝えしたい!という気持ちで。

もちろんこの先まだまだ勉強は続きます。
私自身が、講師として、講話ができるようにもなるつもりです。


ですがこれから8月までは、
何人かの方に、鑑定をさせていただいて、経験を積むことが必要です。

ん?なんだっ?!
と気になる方がいらっしゃいましたら、
遠慮なくお気軽にお問い合わせください♪

なお、既に数名の方から、鑑定のご依頼をいただいていますので、
8月までの間にさせていただける方は、あと少しです(*^_^*)

一対一で、お会いして、じっくり、お伝えさせていただきます☆

今日から6月。今年もあっという間の折り返し地点。
めまぐるしく月日が流れていくけれど、大切に振り返ることができる、ブログを始めてよかったぁ~。。。

(わたくしごと)カテゴリーで、
今日は私に起きたこれまでの人生で最も幸せだった5月について、お話させてください。

そもそも、人生最高になるはずは無かったんです。
なぜなら4月に、最愛の母が重い乳がんと分かり、
抗がん剤治療が始まっていたから。

それなのに、私は、今年の5月が、
これまで生きてきた中で最も幸せだったと言えるんです。


5月1日、母が入院し治療が始まりました。

毎日松山の病院まで、父と交代で通い、
母の心をとにかく支えた日々、
「私わかった。お医者さんが分からないって言うなら病気じゃないんだね。
私が自分の心次第で治せるってことなんやね。」

母が私が伝えてきたことを本当に分かってくれた時、
初めて泪が出ました。嬉し涙でした。



10日程でいったん退院、自宅療養。

前々から決めていた、遷宮の出雲へ行くこと、
母の様子も心配なので迷っていましたが、日程を1日早めることで、行くことを決意。

また改めて別のブログで紹介しますが、
須我神社、美保神社、60年に一度の遷宮のタイミングの出雲大社にお参りできて、
本当に幸せでした。



そして12日の母の日に家に戻った私は、家族3人で食卓を囲みながら、
ツイキャス(twitcasting)で、ロックバンドおかんの生配信を聴いていました。

ロックバンドおかん。
彼らのことを語れば長くなり過ぎるので、ものすごく簡単にまとめると。。

3年前の10月10日はじめて私は彼らと出会いました。
当時彼らはまだまだ応援してくれる人も少ないバンド。
でもボーカルのDAIと、初対面なのに、ずっとずっと何時間も2人で話をして。

3年をメドに、大阪城ホールに立ちたいと思ってる、と。

私は彼の話を聴いて、
「絶対叶うし、叶えないかん夢やから、
私最後まで絶対応援するからね!」
と伝えました。

まだ大阪城ホールへの夢を、インディーズの彼らは発表していない時でした。

【彼らに出逢えば、自分を認め、一歩を踏み出せる人が絶対に増える!絶対に増える!】

そう確信したから、
彼らの夢は叶うし、叶うようにバックアップしなくちゃいけないと、
直感的に感じました。

それから約2年半経った今年の4月。
夢に描いた時期よりも早く、
彼らは本当に、大阪城ホール単独LIVEをやり遂げたのです。

この間、彼ら自身はもちろん、
応援してる私たちにも、言い尽くせない程色んな苦悩があったけど、
私の地元で彼らを主体にしたイベントを開催するなど、
私なりに精一杯応援してきました。

だけれど、そんな慣れないことをする中で、
おかんというバンドを私が応援してたつもりが、
気がついたら、多くの方に応援していただけるようになっていました。





こんなに素晴らしいイベントは、
そんなみなさんの支えなくしては成り立つはずがなかったのです。

そう、
そして最後、4月8日の大阪城ホールLIVEにも、
愛媛からバスツアーを組んで仲間たちと行きました。

もう、感無量でした。

役目は終わった。
そう思って、自宅に戻ったら、
母の病気が分かった、という、4月でした。


話を母の日の食卓に戻しますね。

そんなおかんの歌も、
元気を失い、役目を果たしたと感じていた私は、
大阪城ホール以来、聴くことがなかったのですが、

この日はたまたま、路上LIVEを生配信していて、
久々に家族で聴いたんです。

両親も、おかんが地元に来るたび観に来てくれていたし、
おかんとの面識もありました。

久々に聴いたおかんの歌。
食事をしながらも、私と母は、泪がぼろぼろこぼれて。

やっぱりおかん、いいよね、って。

こんな状況だから、尚更響いた。


そして、5月19日がやってきました。

この日、私は、仲間から、
「お母さんを治してくれる神様をお連れするから、必ず家に居てね」と言われ、
家族で、不思議に思いつつ待っていました。

そこに、次々と、来訪者が、、、、、

なんと、全国から沢山のお便りを携えて、、、



そう。
これは。。。

【本気のお見舞い】だったのです!



実は私が、高倉太郎さんという方に出逢った時、
これまた初対面なのに、太郎さんから、
「僕ね、本気のお見舞いっていうのをやってるんだ!」
と映像を見せていただいていたんです。

ちなみに初めて本気のお見舞いを行ったのは、
10月10日という日付けだったそう。

後で思えば、それは私がおかんと出逢った日でした。


のちに私は、先ほどの画像のようなイベントで、
おかんと太郎さんにコラボしていただいたりしていました。


その時イベントを支えてくれた仲間が、
この太郎さんにアドバイスをいただきながら、
時間の無い中、一生懸命サプライズで、
私の母宛の励ましのお便りを、知人に声をかけて集めてくれたのです!

その声は、ロックバンドおかんにも届き。。。

彼らのとった行動は、
「愛子姉には本当にいつもお世話になってるから、僕らもその日、行かせてもらいます!」
だったのです。





本当に言葉が出なかった。

母を治してくれる神様とは、
愛する仲間たちの愛であり、
愛溢れる「手紙」様だったのです。


おかんも、いくらよく知った仲とは言え、
先月大阪城ホールで6千人の前でLIVEやってきた子たちなのに、
このウチの狭い部屋で楽器チューニングして、歌い始めた。

驚きと感激で震えた。

今までのすべてが駆け巡る。

これまでどんなに頑張っても、
幸せと感謝を、感じることはあっても、
身体から感謝が溢れてこぼれ落ちるという体験はなかった。

初めての体験でした。



そのあと、家に入りきらなかった皆が待ってるからと、
場所を移すと、他にも駆けつけてくれた人たちがそこに居ました。



私が、たぶんこれまでの人生の中で、
一番チャレンジをした時期だったと思います。

おかんに出会って、こんなに大きなイベントを主催するとか、
知らない人にどんどん頭を下げてPRに回るとか、
何もかもが、挑戦で、
でも無謀な挑戦をしてる彼らを応援するなら、
じぶんも無謀に挑戦しようと、取り組んできました。

そしてとにもかくにも、
大阪城ホール大成功という形が整い、役目を終えた、
それでも、
ここまでの幸せを感じたことはなかった。

だって。

私がやってきたことのお返しだから、と言って、
それが、
私の1番大切な、母を、応援するという形で返ってきたんです。


これほどまでに、
生きてきてよかったと思った日は、ありません。

人は幸せが溢れて、その溢れた分で、
人を幸せにできるのかもしれない。。


そして目標が出来ました。

この最高の幸せ記録を、いつか更新する!
もっともっと世の中の為になる人間になる!


私が、おかんを応援してた原点。

「あなたは欠けがえのない大切な人、
どんなにあなたが大切な人なのかを知ってほしい。」

そんなメッセージをくれるおかんだから。

そんなメッセージを、私も人に伝えたかったから。

私が見つけたやり方で、
私も人に伝えていきます。


私のこれまでの生涯で最も最高だった5月のお話。

最後まで読んでくださって、本当に有難うございます。

母は、皆さんから愛をいただいたから、
必ず元気になります!!

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