日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI

名前のことだまを入り口に、和ごころに気づけるブログです。

プロフィール

日野  愛子

Author:日野 愛子
日本人がもう一度、日本人になろう。

皇紀2671年3月11日、
再び、ほんとうの幸せに戻るための、
大きく舵を切れた転換点にするために。

いつもほんとうのことを知ろうとすること、
いつも自分の中の愛に聞いて、
一歩を選べるように。

知ることへの道は、愛のはじまり。

名前のことだまを入り口に、
素敵な日本に氣づけるブログです。

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7月も終わりましたね。
ひとつきひとつきがあっという間。
毎日を大切にしていきたいものですね。


昨日、明治天皇祭について書かせていただき、
日露戦争について少しだけ触れましたが、
7月31日というのは、樺太の戦いで日露戦争を集結させた日でもありました。



日本語では、

終わる=上がる です。


今夜は、名前のことだまセッションをさせていただいたのですが、
セッションを受けてくださった方ならお分かりですね。


日本語で、

終わることを、上がると表現します。


ゲームでも、終わったとき、あがり!と言います。

人生でも、終わったとき、天へあがります。


堂々巡りをするのではなく、
次のステップへと上がるために、終わる。


喜びで終えましょう。

喜びで終えると、上がれる。


単に、
あぁ~、とりあえずなんとか終わった…ではなく、

いついかなるときでも、
あぁ~、本当に良かった!有難かったなぁ~!

と、喜びで、終えます。

喜びで終えると、上がれます。

ステップアップした場所からまた、希望で始めるのです。



希望『あ』で始めて、喜び『わ』で終えることを、

日本語は教えてくれていたんですね。


月の終わりには、
有難かった喜びごとを数え、感謝して終え、

月のはじめには、
今月はこんな風にしよう!と希望で始める。


7月31日を、あなたは喜びで終えられましたか?



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子
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明治45年7月30日。

101年前の今日、
明治天皇・陸仁様が御年61歳で崩御されました。


天皇の御聖徳をお偲びする明治神宮では、今年も、
午前9時より、明治天皇祭が御社殿にて行われました。


祭典では、明治天皇の詠まれた代表的なお歌から作られた
「大和舞(やまとまい)」が神職によって奉納されます。

明治神宮では唯一、神職によって舞われる舞です。




私たち日本人は、明治天皇のことを、
あまりよく知りません。

学校で習わないのです。

全国の中学校の約6割が採用している東京書籍の歴史教科書には、
明治天皇のことが、全く出てこないのです。

明治天皇に言及せずして、
日露戦争は語れず、日本の近代化は語れないはずです。

しかし、全く触れられていない。
摩訶不思議です。


明治天皇は、19歳から21歳までの、
わずか2年の間ではありましたが、

西郷隆盛と密接に交わっており、
多感な時期に、この西郷の人柄や感覚から、
多大な影響を受けられました。
廃藩置県を断行出来たのもこの時です。

西洋文化を積極的に取り入れ、民の見本となろうとする若き明治天皇に、
日本人としての精神の大切さを教え説いたのは、

父の孝明天皇だけではなかったのです。


西郷の死を聴いた明治天皇は、
皇后や女官たちにも、西郷を偲ぶ歌を詠ませたほど。


西郷の功績は、明治天皇への忠信から、
明治天皇のご英断は、西郷への敬意から。


また、日露戦争の中心人物は、乃木希典と東郷平八郎でしたが、
彼らの明治天皇への忠信もまた、凄まじいものでした。

乃木大将は、
明治天皇が崩御され、霊柩車が出発する号砲が鳴ったのを合図に、
夫婦共々自害しました…





西南戦争で散った西郷に対し、
残った我が身、連隊旗を奪われたことへの償い…

責任をとって切腹をしたいと申し出た乃木を制止したのは、明治天皇でした。

「私が生きているうちは、死ぬことはまかりならん。」と。


乃木夫妻は、
明治天皇の崩御を憂い、同時に、壮絶な自害を遂げたのです。



今や、日本の功績によって、
有色人種も白人に真っすぐに立ち向かい、
対等な立場を示すことができています。

そのことに本当に敬意を表してくれているアジア諸国。


そのような流れを今日へつくることができたのは、明治の時代があってこそ。

この時代のご先祖さま、
そして明治天皇の国民を思う深い愛の有難さを、忘れてはなりません。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

2013.07.29

国歌の日

7月29日とは、どんな日だろう…と、
インターネットで検索していたら、

『ルーマニア国歌の日』とありました。

国歌の日です。国家ではなく。


いわゆる建国記念日や独立記念日として、
国家の成り立ちを記念し祝う日は、
およそどこの国にもあるものですが、


『国歌』を祝い、記念する日を設けている国は、大変少ないです。


日本の国歌も、大変美しいものですね。

しかしどういうわけか、
日本の国歌『君が代』を、

軍国主義を称えた象徴として解釈する考え方が拡がり、

学校の先生方でも、
国歌斉唱はしない!と言って嫌がる方々も、現実にいらっしゃいます。


しかし本来は、軍国主義などとは全くかけ離れたものです。


君が代は
千代に八千代に
さざれ石の巌となりて
苔のむすまで


これはどういうことかと申しますと、


あなた様の命、時代は、

千年も八千年も、

小さな石が合わさってひとつの岩となるほどまでに、

その岩にやがて苔が生えてくるようになるほどまでに、

いついつまでも、続いてゆきますように


という意味です。


君が代の、君は、自分以外の皆さんのことを指します。

君主という意味で、国民が歌うときには、
天皇陛下のことを指しているとも言えますし、
また逆に、
天皇陛下がお歌いになられる場合には、
国民のことを指していると言えます。


互いに相手の反映を、永久に望んでいるという、
相手の幸せを願い、思いやる歌なのです。

八という数字には、実際のハという意味よりも、
沢山、という意味がありますから、

千年も八千年も、それ以上にずっと、
と永久を願っています。

八百万の神、などというのも、
八百万の神様というのではなく、全てが神様ということですから。


さざれ石というのは、
小石同士が、悠久の時を経て、
それらがくっつきあい、ひとつの岩となっているものです。


ちなみにこの写真は、
出雲大社に祀られている、さざれ石。




あなた様が、いついつまでも、
さざれ石が大きな岩となるほどまでに、
そこに苔むすほどまでに、
永遠でありますように、


と、自分以外の人たちのことを、

互いが願い合う、

なんとも素晴らしい、優しい、思いやりに溢れた歌。

それが日本の国歌なのです。



我が国の反映を、独立を勝ち取った喜びを、
国歌としている国がほとんどである中で、


ただただ、他者の永遠の幸せを願う歌を、
国歌としている国は、稀です。


なんと素晴らしい日本の精神であろうか、と思います。


そして、何より、そのように知って、

国歌として歌い継いでゆくのなら、

私たち自身が、
もっと自然に、その素晴らしさを感じ、喜び、受け取りたい。


素晴らしい、嬉しい、有難い、希望だ、

そう感じられることが、すべての始まりであると思うから。


そう感じられるだけの、素敵なものを、
日本は、沢山持っています。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

2013.07.28

太古に触れる

私は古いものがとても好きですし、
とても、信じているところがあります。

太古の昔から今日まで在るものというのは、
ただ、在るだけで、

強く何か意味をもたらしていると思うからです。

自然も、芸術作品も、生物の種類も。

ことだまもそのひとつあるわけですが。


ずっと命を繋ぎ続けて今に至っているということは、
在るべき何か、意味があったはずです。


今日は有難いことに、
高知県の大豊というところにある八坂神社に鎮座されている、
日本一の大杉に出逢わせていただくことができました。





須佐之男命が植えられたと伝えられる推定樹齢3000年の巨木です。

南大杉、北大杉と呼ばれる二株の大杉からなっており、
二株が根元で合着していることから、夫婦杉とも呼ばれています。

南大杉は根元の周囲が約20メートル、樹高が約60メートル、

北大杉は根元の周囲が約16.5メートル、樹高が約57メートルあり、

昭和27年に国の特別天然記念物に指定されました。


また、美空ひばりさんの遺影碑・歌碑でも有名。



敗戦直後の混乱期に9歳でデビューした美空ひばりさんは、
昭和22年、美空和枝という芸名で地方巡業をしている途中、

大豊町でバス事故に遭遇し九死に一生を得ました。

そして、一ヶ月半の療養後、
町内にある国の特別天然記念物「杉の大杉」に「日本一の歌手になれるように・・・」と願をかけました。


14歳の時には、再び大豊町を訪れ、
日本一の誓いも新たにこの大杉を参拝したのです。

その後、昭和歌謡史に大きな足跡を残したひばりさんは、

昭和の時代の終焉とともに、
日本中のファンに惜しまれつつこの世を去りました。


大豊町では、
美空ひばりさんゆかりの地として、

平成5年に大杉のすぐ隣に「大杉の苑」を整備し、遺影碑と歌碑を建立したのだそうです。


私も、ひばりさんの大ファンです。

祖母が亡くなったとき、
なぜか私の頭の中ではずっと、愛燦燦が流れていました。

歌声も、語り口も、存在感も、
生まれたときからオーラを纏ったような人。


日本一の杉に、日本一になることを誓った、日本一の歌姫。

日本一にあやかろうと、この地を訪れる人も多いのだとか。


今月、2回目の日本一。

愛媛県大三島の大山祇神社に鎮座されているのは、日本一の大楠でした。


樹齢3000年を超えると推定されるご神木が、
愛媛県にも、高知県にもあるなんて。


四国という場所は、なんて神秘なんでしょうか。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

先日、『風立ちぬ』を鑑賞した際、
公開予定の作品を眺めながら、気がついたことがあります。

あぁ…〈昔の日本〉を描こうとしてる作品が多い…

私たちは今、確実に、
昔の日本に立ち返る必要があります。


精神も、暮らしぶりも、食べ物も…


風立ちぬも、日本の美しい部分を観せてくれていました。

沢山の、昔の日本を描いた作品の中で、
これは絶対公開日に観に行かなくては!
と思った映画が、『終戦のエンペラー』です。


アメリカが、
大東亜戦争後の天皇陛下のことを映画にしたというのです。


マッカーサー元帥と天皇陛下に接見した際、
マッカーサー元帥は、他の国でもそうであったように、天皇陛下が命乞いをすると思って、
横柄な態度で臨んだところ、

すべての責任は自分にあるから、自分はどうなってもよいから、
どうか日本国民を助けてくださいと、
陛下が深々と頭を下げられた。

天皇陛下という方は、
明けても暮れても、日夜国民の平和を祈り続けてくださっている存在。

マッカーサーも、
この国から天皇制を奪い去ることは出来ない、と感じた。


私はこう認識しています。


それだけに、今回のこの映画、

アメリカが、

日本の象徴である天皇陛下を、

このタイミングで、

どう描くのか。

そしてそこには、どんな意図があるのか…

注目せずにはいられませんでした。


本日公開、『終戦のエンペラー』



観終えて…


大変公平に、忠実に描かれていると感じました。


戦後すぐ日本入りしたマッカーサー元帥らは、

戦犯として裁くべき人物を調査し、
その判断を早急に下していく必要があり、

その中で、現人神といわれる天皇陛下の存在を、
どう判断するのか、

判断しあぐねた末に、マッカーサー元帥は、
直接天皇陛下に接見することを選んだのです。


その中で出てくる側近たちの存在や、各々の述べた言葉も、
まさしく信憑性があり、

いたずらに事実を湾曲しているようにも感じませんでした。

最後の最後に流れてくる、
エンディング曲も素晴らしかったです…

映画をとおして、

日本人の精神性に、
日本人が触れる機会。

この夏、風立ちぬと合わせて、
ぜひ観ていただきたい映画だと感じました。


そして改めて思います。

人間としての情を重んじつつも、

それでも、
ほんとうに、ほんとうに、大切な魂を売ってはいけないと。


参院選も終わり、日本とアメリカの間には、
早くも不可思議な動きが始まっています。

見たところ、政治の世界ではないところでも。

こんな時に、
私たちは注意深く、私たち自身で、

その問題をよく捉える必要があります。


日々は忙しく、騒がしく、

ひとつひとつの出来事に、深く注視する機運でないことは重々承知しています。


けれど、この、盲信や人任せや無関心こそが、

この素晴らしく美しい日本の落とし穴であると思うから。

私たちは、両の眼をしっかり見開き、

私たちの目の前で起こる出来事をよく見て、よく判断したいですね。


こんなに素晴らしいご先祖さまのもとに生まれた、私たちですから。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

今夜は新居浜の花火大会でした。

私は昨日、ひと足早く、
内子町でおまつりに参加してきたので、
今夜は自宅で家族とテレビで見させてもらいました。

毎年クライマックスに仕掛けられている、ナイアガラが見事です。



花火は、ドンドンと、みぞおちのもっと奥に響きます。

沢山の人の波間。

ドンドン轟く打ち上げ花火に体を奥から揺らされ、

みんなの顔が、
赤や青に照らされては暗くなるのを繰り返す。

香ばしいいか焼きの匂いに後ろ髪をひかれながら、
ぽてぽてと歩いて帰る。


花火大会は、なんだか切なさのようなものがあります。


花火の起源は中国の爆竹といわれていますが、

日本ではもともと、
灯篭流しなどと同じで、
送り盆の時期に、魂の鎮魂のために打ち上げられたものです。


東京でも最大規模の隅田川花火大会も、
享保17年の大飢饉と疫病で亡くなった人々の
慰霊と悪病退散を祈って行われた水神祭が、
その起源だといわれています。


そう考えると、3.11後に、
沢山の花火大会が自粛となったことは少し残念ですが、

それでも、花火大会はちゃんと復活しましたね。

花火大会はこれまで、
どんな大きな災害や疫病の流行ったあとでも、
無くなってしまうということはありませんでした。

鎮魂の祈りならば、
無くなっていけない、無くなることはないものですね。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

内子町にお住まいの、
お友達の余田亘さんが主催されている、

廣瀬神社での、
『時間をはずした日の祭り』に参加させていただきました。



今日7月25日は、マヤ暦でいうところの、空白のいちにち。

昨日が大晦日で明日が新年のようなもの。

そのどちらでもない、時間の概念を忘れる人。

沢山の方々が来られていました。


この催しのメインは、
『山鳥坂鎮縄神楽』でした。

昭和45年に県の無形民族に指定されたそうです。

山奥の神社の境内に結界がはられ、音と舞が奉納される。
程よくずっしりとした太鼓と笛の音が、

わくわくするような、何かを思い出させてくれるような、
不思議な感覚へいざなわれます。



夜が更けてくると、より一層、夏の醍醐味。

お客さんを舞台にあげて楽しませてくれるものもあります。



そもそもお神楽は、神様に楽しんでいただくもの。

天照大御神が、岩戸隠れしてしまったものを、
みんなで歌って踊って太鼓を鳴らして、

その楽しそうな様子に天照大御神がひょっこり出てきたこと、

その楽しそうな祭りが、神楽の始まり。


ですから、神聖なものとして結界をはったり、
舞の謂われなど大切なことはあるのですが、

楽しみ、楽しませる心がいちばん大切です。


そこには、音があり、舞があり、笑いがある。

音からすべては始まっていて、
笑いは祓いですから。


私たちがそらから来て、
お母さんの胎内に入っている間だって。

私たちは音の世界に生きてきたから。


大自然の中、音と笑いに包まれて、

懐かしい感覚を、味わえました。

時間を忘れて。


よき1日でした!



あなたの時間をはずした日は、どんな1日でしたか?


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

愛媛県では、
小中高校と、皆夏休みに入りましたね。

平日の昼間でも、
家族連れで楽しそうな方々をよく見かけるようになってきました。

仕事をしている人たちでも、
夏休みとしてまとまった期間お休みをとられる方も多いです。


皆さんは、夏休みって、
いつもどんな風に過ごされますか?

花火大会?海でバーベキュー?
旅行?海外?国内?

それは毎年ですか?


最近上手に遊ばれている方も増えた気もしますが、

夏休みというものがアメリカから日本に入ってきて始まった、
明治期から、大正、昭和…と、
当初は、

夏休みや、与えられた長期休暇を、
本当に楽しみながら上手に使えた人って、
実は少ないのではないでしょうか。


たとえば思い起こすと、私は、
海に行って泳いだ~!
なんて夏の最後は、8年前…?



そしてこれより前は…思い出せない(笑)


花火大会に浴衣を着て遊びに行った!
なんて夏の最後は…10年前?

写真なし(笑)

仕事では着てるんですが、
プライベートでは、ほとんど無いんです。


って私の場合は、特に、
エンジョイしてなさすぎるんでしょうか?(笑)
(ということで明日は久々に浴衣で遊びに出かけようと思います☆)



私の場合は極端?だとしても、

多くの日本人は、

「あまり夏休みが多くても、何していいかわからないし、
仕事に復帰するとき大層になってしまうから、困るなぁ~」

なんて、思っていないでしょうか。


そして、
「日本人は勤勉すぎる。もっと休まないと体に悪い!」
などと外国の方に指摘され、

それもそうだなぁ…休まないといけないなぁ…
なんてことで、
ハッピーマンデーをつくってみたり、色々始めてみるわけですが、

中には、やっぱり、
休みが多くてもそうそういつも、やることがない!

ということで、あまり休みが長いと、

仕事のための資格の勉強を始めたり、今後の何かの糧になるかもしれないと、
真面目な活動を始める方が、まだまだ多いです。


ですが、そもそも。

本当に、休みをうまく使えないことは、
日本人の良くないところなのでしょうか?

なぜ日本人は長期休暇の使い方が、上手くないんでしょうか?


実はその秘密は、『神話』にあります。



聖書を思い浮かべてください。

アダムとイブが楽園で遊びほうけて暮らしていました。

働かなくても、暮らしに困らない楽園です。

しかしあるとき、禁断の果実を口にしてしまったことで、
2人は楽園を追い出されてしまいます。(失楽園)

そして、罰として、労働が科せられました。


ですから、聖書を神話に持つ国の人たちにとって、

勤労とは、罪の贖い、苦痛なのです。

できることなら、他の人に任せて、じぶんはまた、遊びたいのです。

だから、遊ぶために、嫌々仕事をする。


そういう神話を持った国の人が考えるから、
長期休暇という発想が生まれたんですね。


ですが日本は違います。

日本では、古事記を読んでもわかるとおり、
神様も、それぞれに仕事をしています。

機織や稲作や、
自分たちの生活に必要なものは、自分たちで作っていました。

そして、今日に至るまでも、
日本の象徴である天皇陛下自らも、田植えをします。


そのことが根づいている私たちは、

心のどこかで、

額に汗して働くことを、尊いとか美しいとか思う節があり、
楽して儲ける、などというフレーズには、

けしからん!という感覚が、やはりあると思います。


欧米の方は違いますね。

額に汗して働くなどというのは、
身分の低い人、奴隷がすること、というイメージ。

エリザベス女王は、決して自ら農作物など育てません。

そうしないで済むから、憧れなのです。


日本人は、天皇陛下であるのに田植えをすることに、
その精神性に、美しいと感じるものなのです。


休みが幾らあっても満喫できる!という方はもちろん、
遠慮なく楽しんでいただけたらいいのですが、

休みの使い方がヘタだからといって、
もっとうまくならないといけないのかなぁ~、
などと、考え込む必要は、全く無かったのです。


だって、私たちは、はたらく(傍を楽にする)人種ですから。

休みの使い方がヘタだったとしても、
胸を張ってくださいね。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

暑中お見舞い申し上げます。

7月は文月でもあり、

書中にてこのご挨拶をすることが多いですが、
これができるのも、本来は今日まで。


暑中お見舞いの『暑中』とは、

二十四節気の、

7/7の『小暑』から、
今日の『大暑』までの間の期間のことを指しています。


暑中お見舞いハガキというものも、
高校生くらいまでの私は好んで先生やお友達に出していましたが、
めっきり習慣がなくなってきてしまいました。

暑中お見舞いハガキを、
夏休み先生に出してみましょう、という宿題が、
あったような記憶もあります。


大人になってからは、
目上の方に対して、お便りを差し上げる際に、
おハガキは失礼なので封書で、という意識がありました。

しかし近頃は、
真心がこもっていて、
受け取った方がよい気持ちになるものであれば、
何でも構わないと思うようになりました。


よい気持ちになるもの。

お便りは、どなたからいただいても嬉しいものです。

あなたを気にかけていますよ、という意識の現れです。


しかし、
あなたを気にかけていますよ、が、少々押しつけがましくなっては良くありません。


相手の方に、そのことを、

喜んではいただけるものの、重荷にはならないように、

と、気を配る必要があるのです。


そのために気をつけたいのは、

〈疑問系の投げかけをしない〉こと。


「お元気にしていらっしゃいますか?」などは、
ついつい使ってしまう表現ですが、

受け取った側からしてみると、
「お返事を出したほうがいいのかしら?」
と、気がかりになってしまうのです。


こちらから、
気にかけている気持ちを一方的に投げたにも関わらず、

相手に、
返したほうがいいだろうけれど、忙しくて余裕がない…返せなくて申し訳ない…


と、余計な気を遣わせてしまうのです。


これは、おハガキや手紙という形式ならば尚更のことですが、
メールであっても同じことかもしれません。


私は、時折ですが、
叔母(双子)とメールをすることがあります。

父が倒れたときも、
母が闘病中の今も、

時折気にかけてメールをくれます。


先日もブログでご紹介した、
尊敬する父方の、鉄夫おじいちゃんの娘にあたる方々です。


この叔母は、2人揃って、いつも、
メールの最後には、
「返信不要です。」と書かれるんです。


相手に催促しないように、
相手に、早く返事をしなくちゃ!という焦燥感を与えないように、

優しい心配りですね。



風習、決まりごと、大切な慣習は沢山あります。

ですが本当に大切なのは、

相手の立場に立って、

相手の心に負担を与えず、
心地よさだけを渡したいという思い、なのではないでしょうか。


我が親戚ながら、
いつも素晴らしい叔母方だと、尊敬しています。

少しは、真似しなくっちゃ。
まずは、真似から、ですよね。




今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

7/20、『風立ちぬ』を観てきました。

かねてより宮崎駿さんという方は、
森羅万象の原理をよくご存知の方、というふうに認識をしています。


ジブリ作品としては初めてなのでしょうか。実話に基づいたお話。

大変に、美しい映画でした。

私には、『今の日本』を示唆しているように感じました。
選挙の時にロードショーとなったことも、偶然とは思えません。




技術を追いかけるという熱き夢。
人を愛するという美しい思い。


純真無垢なまっすぐな心と、ひたむきな姿勢はとても美しい。


だけれど私たちは知らないのです。


そのひたむきさが、
気がつかないままに、誰かの作為によって、
思いもしないほうへ運ばれているということを。


まっすぐな夢を利用したのは誰?

利用されたのはほんとうは誰?

ほんとうは誰も利用していなかった?


でも、ひたむきな人の姿に、罪はないのです。

とても、とても、美しいから。




イギリスの植民地下にあったマレー半の、
ラジャー・ノンチックという独立家が残した言葉を、見てください。


日本はマレーシア独立に向けて訓練所をつくり、
現地の若者に教育を施し、日本への留学制度を創設たこと、

ノンチックさん自身も、
この制度により日本に留学生として招かれ、日本の敗戦後に祖国の独立運動に身を投じることができたこと…

ノンチックさんはマレーシア独立後、
上院議員、実業家として活躍したのち、彼は次のような詩を読んでいます。


…………………………………………


かつて日本人は清らかで美しかった 

かつて日本人は親切でこころ豊かだった

アジアの国の誰にでも、
自分のことのように一生懸命つくしてくれた

何千万人もの人のなかには少しは、
変な人もいたしおこりんぼや、わがままな人もいた

自分の考えをおしつけていばってばかりいる人だって、いなかったわけじゃない
でもその頃の日本人は、
そんな少しのいやなことや不愉快さを越えて、
おおらかでまじめで希望に満ちて明るかった 


戦後の日本人は、
自分たち日本人のことを悪者だと思い込まされた

学校も、ジャーナリズムもそうだとしか教えなかったから

まじめに自分たちの父祖や先輩は悪いことばかりした 

残酷無情なひどい人たちだったと思っているようだ

だから、アジアの国に行ったらひたすらペコペコあやまって

私たちはそんなことはいたしませんと言えばよいと思っている

そのくせ、経済力がついてきて技術が向上してくると、
自分の国や自分までがえらいと思うようになってきて、

うわべや口先では済まなかった悪かったと言いながら、
ひとりよがりの自分本位のえらそうな態度をする

そんな今の日本人が心配だ 

本当にどうなっちまったんだろう
日本人は
そんなはずじゃなかったのに

本当の日本人を知っているわたしたちは、
今はいつも、歯がゆくてくやしい思いがする

自分のことや自分の会社の利益ばかり考えて
こせこせと身勝手な行動ばかりしているヒョロヒョロの日本人は

これが本当の日本人なのだろうか

自分たちだけで集まっては
自分たちだけの楽しみやぜいたくにふけりながら

自分がお世話になって住んでいる自分の会社が仕事をしているその国と 

国民のことをさげすんだ眼で見たりバカにしたりする
 
こんなひとたちと本当に仲良くしてゆけるだろうか

どうして
どうして日本人は、こんなになってしまったんだ


ラジャー・ダト・ノンチック


…………………………………………


よく、よく、噛みしめましょう。


かつて日本人は、清らかで美しかった。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

昨日は誕生日ということで、

私の産土神神社である『湊神社』と、
伊予国一の宮である『大山祇神社』を参拝させていただきました。

湊神社には、祖父が足跡がしっかりと残っていて、
後の私たちへの深い愛情を感じました。



大山祇神社は、
全国に700社余りある三島神社・山祇神社の総本社。



この神社には、日本一がふたつもあります。


源氏・平氏をはじめ、
多くの武将が武具を奉納して武運長久を祈り、

国宝・重要文化財の指定をうけた日本の甲冑の、
約4割が、この神社に集まっているのだとか。
日本一の収蔵数です。

日本の初代総理大臣の伊藤博文、
旧帝国海軍連合艦隊司令長官・山本五十六をはじめ、
政治や軍事の第一人者たちの参拝がありました。



平安時代、伊予国の一宮として、
朝廷から「日本総鎮守」の号を下賜されています。

大正時代、「国幣大社」に列格され、
四国地方では唯一の大社ということになります。


そして最も私が誇りに感じることは、
日本最古の大楠の存在。

樹齢3000年の楠と、2600年の楠が、
目と鼻の先に鎮座しているんです。

今は皇紀2673年です。


日本の紀元より遥か前から、
そして紀元の始まりと同時に、

誕生した楠が、最も古い楠が、
揃って、この、愛媛県の大三島、大山祇神社に鎮座されている。


いずれも枯れてしまっていますが、
現存していること自体が信じられない奇跡。

そして、それらがこの愛媛県にあるということ、
私は意味を持ちたいと思います。







これは、能因法師雨乞いの樟。

ウィキペディアによると、

幹周17m(現在は10m以下)。
神池近くにある。伝承樹齢3,000年。
かつて日本最古の楠と言われた。
18世紀に枯死し腐朽がかなり進行しているが、1990年頃の調査でも胸高幹周10mの大木である。
名称は、1066年の大干ばつの際、能因法師がこの木に幣帛を掛け雨乞いを行ったことに由来する。このことは『金葉和歌集』の大治2年(1127年)に詠まれている。

とのこと。

伊予国の守藤原範国は因能法師を使者に立て、
祈雨の参拝をさせました。

『天の川 苗代水にせきくだせ 天降ります 神ならば神』
と詠じ幣帛に書き付け祈祷したところ、
伊予国中に三日三夜雨が降り続いたと云われています。





これは、乎千命御手植の楠。

幹周11.1m、根周り20m、樹高15.6m。神社境内のほぼ中央にある。
伝承樹齢2600年。
兵火(1322年)や洪水被害により樹勢は衰えているが下枝は葉をつけている。
現在では息を止めて3周すると願い事が叶うなどと信仰がある。
小千命の手植えとの伝承があり、名称はこれに由来する。
根本は柵で保護されているがその周りは踏み固められており、やや枯れ枝が目立つ。


とのこと。


日本ではじめに出来た場所は、淡路島と云われています。

あ~わの道。あわ路。音の世界。


土地として完全な形となったのは淡路が最初ですが、

不完全でも、点が、最もはじめに出来た地は…



実は愛媛であった。



という説を、聴いたことがあります。


この最古のご神木の存在を思うだけでも、
その可能性を信じてみたく、なるんです。


今夜、7/21、大変ショッキングなことがありました。

でも…


可能性を信じるということだけは…

忘れないで。

自分自身に、云い聞かせて…

少し、冷静さを欠いてしまう自分を抑え、
明日からいかにして希望を紡ぐのか、考えていきたいと思います。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

2013.07.20

感謝と使命

本日21時30分頃。
日野英俊と京子の間に、私愛子が生まれてから、32回目の瞬間を迎えました。

映画『風立ちぬ』を、家族揃って鑑賞中に、その瞬間を迎えられました。

美しい時間でした。

色々なことを考えましたが、結局、
私は、シンプルにまっすぐな思いで、

その瞬間瞬間を逃すことなく、
衝動にさえしたがって生きたいと思います。

劇場に入るときには、これを手渡されました。



今日は朝から、沢山のメール、メッセージ、Facebookへの投稿など、
お祝いのお言葉をかけていただき、
改めて、この人生で出逢わせていただいてる方とのことを思いました。

本当に有難いです。
生きていて、人と触れ合いながら進んでいけるということは。

どんな出逢いにも、もっともっと、
出逢いの喜びに敏感になって、
もっと大切に生きたいと、思いました。

無事に今日まで命あること、感謝すると同時に、

他の命を犠牲にしながらも、

生きる価値のある命かどうか問いながら、

いいえ、
生きるという選択しかない以上、

生きる価値のある命の使い方を、させていただかなければ。



他にも朝から、産土神神社の湊神社に行かせていただいたり、





愛媛県の一の宮、大山祇神社を参拝させていただいたり、





最高の過ごし方をさせていただけました。

大山祇神社については、書きたいことが沢山ありますが、
これはまた、後日…



風立ちぬを観ながら感じていました。


技術を選ぶのか、命を選ぶのか。


そして、

そんな選択とも知らずに、

ただただ、自分のまっすぐな思いに正直に生きる人たちの美しさ。


明日は参院選です。


これは、そんな選択と知って、選べるものだから。

ほんとうにまことの心に聴いて、一票を投じてほしい。


ジブリ作品。

明日の選挙前にこの作品が公開になるとは、不思議です。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

昨日一昨日と2日間、広島に、
セッションで滞在させていただき、

主催のみかさんのおうちに、
朝10時から夜10時まで、ずーっと居させていただきました。

幸せすぎたセッションのことは、
昨日のブログで書かせていただきましたが、

みかさんのおうちに居なかった僅かな時間の広島について、今日は書きたいと思います。
私にとって広島は、特別な場所。


1日目セッションを終えてホテルにチェックインしたのが23時。
それからすぐに、平和記念公園へと歩いて向かいました。

最近整備されたライトアップ。
『安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから。』
の言葉へ向かって、道が照らされています。

ひとり、まっすぐにその道を歩む中、サーッと吹き抜けるような風。

やはりここは、何か空気が違う。






しっかりと、まことの道を歩ませていただきます。

そうご挨拶したいと思っていつもやってくるのに、
いざここに立つと、

出てくるのは懺悔の念ばかり。


戦争を、我が事ととして、

攻められたことも、

我が過ちとして、

私たちはひとつ。ということを、

体現した私たちのご先祖さまたちに対し、

無知で無関心でいることによる、

他国での戦争への加担や、

目に見えない核の保持を、

どうして謝罪しきるだろうか、と、情けない気持ちでいっぱいになるんです。


それでも、ごめんなさい、ごめんなさい、と、
ここに来て、繰り返し謝ることで、
私は少しでもスッキリしようとしているのだと思います。

それさえも、私の都合かもしれません。


平和の灯火を前に、しっかり考えたいと、近くまで来ました。



しかしここでは、若い夫婦が犬を連れて散歩に来ていて、
平和の灯火の目の前で、家で話したっていいような、
子どもの進学についての話をずーっとしていました。

この夫婦、私が平和記念公園に到着した時からずっと居たので、
かれこれ30分近くは話し込んでいます。

そろそろ帰られるかな?と行ってみたけれど、やはり居て。

私はこの灯火の前で、どうしても、しばし静かに考え事をしたかったので、
根気よく待ってみたのですが、全く帰られる気配がなく、

結局諦めて、
原爆ドームの対岸に移動しました。



すると今度は、姿は見えませんが、
川から爆音のリミックス音楽が流れていました。

覗き込むと、その音楽をかけながら、若者たちが釣りをしていました。


私はベンチに腰を下ろし、少しの時間だけ、思い巡らせました。



時は流れ、形あるものは、変化してしまった。

街も、人も。


だけれど、形のないものは、どうだろう。

形ないものに、人は不安を感じたりします。

形が無いから。保証がないから。


だけどほんとうは、

形あるものこそ、必ず壊れ、形を変える。


形の無いものこそ、ほんとうは、

変わらず受け継ぐことも、出来るのではないだろうか。


受け継がれていないことに、嘆くことは簡単です。諦めることも簡単です。

でも…

簡単なんて、つまらないじゃない。


そう。そう。つまらない。

だからさ、諦めなくたっていいもんね。


そう呟きながら、ベンチから立ち上がりました。


もっと、みんなに、自分の力を信じてほしいな。

自分ひとりが、何をしたところで、世界は何ひとつ変わりはしないさって、

そんな大きな勘違いをしてる人が、とっても多い。


ほんとうは違う。

あなたひとりがとる行動は、世界に通じているよ。


もっと、もっと、自分の力を、信じてほしい。

そして、その力を、どう使いたいか、考えてほしい。

あなたのまことの心に聴いて。

そうだ。

だから、このことを伝えたいから、
私はこの名前のことだまセッションをしてるんじゃないか。


モヤモヤした気持ちのあと、またこの心に戻ったから、
翌朝セッション前に短時間だけ訪れた広島護国神社での参拝は、

ほんとうに、清々しかったです。







今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

2日間、広島で、
名前のことだまセッションをさせていただきました。

本当に、本当に、幸せでした……

主催のみかさんには、本当にお世話になりました。

みかさん、お子さんがいらして忙しい中、
セッションに来られる方を、おひとりずつ送迎してくださるんです。

美味しいカレーを作ってくださったり、
広島にしかないお弁当屋さんのお弁当や、広島名物を買ってきてくださったり、







もう本当に有難いばかり…

みかさんが送迎をしてくださるぶん、
昨日はまちこさんが、
今日はタッキーが朝からずっと、
お留守番やお世話係りをしてくださいました。

セッションにいらした方が喜んでくださるのは、
こうして、少しでも気持ちよく来てもらおうと、
サポートしてくださる方のおかげさまです。

そうそう、タッキーが、枝さんの結婚式の引き出物のお菓子を持ってきてくれて。
カットするとハートが出てきて、これまたハッピー!



みかさんの子どもたち、せいごくんとかいとくんも、
めーっちゃくちゃ可愛かったぁ~

2人とも、おかん大阪城ホールLIVE経験者なのダヽ(^ω^)ノ



そしてやっぱり、私自身、
今回いちばん嬉しかったことは、


みかさん自身が、誰よりも喜んでくださって、
とっても深く理解し、共感してくださったこと。


もちろん、来てくださる方には全員、
必ず喜んでいただけると信じて、やっています。

そうでないなら、やっていません。


でもやっぱり今回、
詳細を知らないのに、ピンときて、
受けてみたい!という思いから、

情熱で、あっという間に、
他にも受ける方を募って、呼んでくださって、

色々とお世話をしてくださったみかさんこそが、まず、
誰よりも、よかった~!と思っていただきたいと、

そう思いながら広島へやって来ましたから。


セッションをしてから分かったことですが、
みかさん、最近ずっと、悩んでいたことがあったんだそうです。

もう悩み過ぎて、笑えなくなってきてしまった。
子どもたちにも、いい母親でいられない。

だから、もう辞めようと、
決めかけていたことがありました。


でも、セッションを受けて…


180度変わった!!!!!


こんなに爽快になるなんて!

悩んでた部分が、むしろ自信に変わった!

自分のことが本当に誇らしくなった!

と、大興奮して私に語ってくれたんです。


嬉しかったぁ~……
私もちょっと、もらい泣きしそうでした。

こんなに有難いことはないです。


自分が、
これは絶対いい!と信じたことを、お伝えして、

そのことで、
苦しんでいた方が、こんなにも明るく生き生きと輝き始める。

しかも目の前で。

こんなに有難いことってあるかなぁ~…

みかさんは、
「これは、あらゆる人が全員受けたほうがいい!世界平和に繋がるわ!」
とまで言ってくださった。

こんなに深く共感してもらえたこと、本当に嬉しいです。


実は、私も、真面目に思っています。


本当は、世界を良くしたいと思っています。

そのために、
鍵である日本を、日本人に誇りを取り戻したいと思っています。

そのために、
まずは皆さんに、湧き上がるような自分への誇らしさを、
思い出していただきたいと思っています。


どうやったらそれができるのか?

ずっと考えてきて、
私にとって1番しっくり来る入り口が、この名前のことだまでした。

やっと巡り合えた、という感覚。

私はこれからも、ひとりでも多くの日本人にこれを伝えていきたい。

これが世界平和に繋がると、本気で信じているから。



他の方も、ほんとに皆さん喜んでくださいました。


自分自身、ずっと、そこは、
嫌だと思って避けてきたところだったんです…
でも本当は、だからこそ意味があったんですね…
本当に気づけてよかった…

と言ってくださったり。

今日が誕生日だった方もいらっしゃって、本当に素晴らしいスタートになったと喜んでくださった方も、

誕生日じゃないけど、まるで今日が誕生日になった気分。
生き直しが出来ます、と言ってくださった方も。


こんなに自分のお伝えしたことで、
人が喜んでくださること。

こんなに幸せなこと、ないなぁ~…



私の命もいま、めいいっぱい喜んでいます。

生まれてきてよかったなぁ~

感謝、感謝、感謝…


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

おはようございます!
今朝は早起きして、これから広島を目指します!


私の名前のことだまセッションを受けてくださった方が、
Facebookでとっても嬉しい感想を投稿してくださっていたので、
その投稿をシェアしたところ、

それを見た広島の美香さんが、
「私もぜひ受けたい!」
「どうしたら自分が幸せになれるかじゃなく、
自分は人をどう幸せにしてあげられる存在なのか、を知りたい!」

と、お友達に声をかけて、
あっという間に沢山の方が受けてくださることが決まり、
2日間の出張が決まりました。

本当に有難いです…。

広島は、私にとって特別な思いのある場所。
大学生の時の私は、本気で原爆ドームで働きたいと思っていました。
3.11の時も、向かった先は平和記念公園でした。

私が、しっかり使命をもってこの「名前のことだま」にあたる中、
初めて出張セッションをさせていただける場所が広島ということ、
とても嬉しいです。

今回は2日間みっちりセッション予定が詰まっていて、
自由な時間はありませんが、どこかのタイミングで、
広島護国神社と平和記念公園に、立ち寄らせていただきたいと思っています。


名前のことだまのことは、
もちろん一言には語り尽くせませんが、
まずはやはり、美香さんがピンときてくれた部分です。

「あなたが、人や世の中、社会、次世代のために、何が出来るのかが分かる。」

ということです。

このことが分かり、
その根拠になっている古代日本の文化や風習が、
実は、自分の中にもしっかりと根付いていることに氣づき、
日本人である醍醐味を味わっていただける、その入り口。


私たちは、

呼ばれたから、生まれてきました。

必要とされたから、生まれてきました。

だから、そのことをまず、しっかりと受け取ってほしい。

そうしたら、自動的に、動き始める。

私にとっても、個人セッションの時間は本当に幸せです。


あなたの大切なお名前の、
一音一音の意味をお伝えする。

あなたは自分の名前を好きになってくれて、
そこにあった本当の意味を知り、具体的に動き始めてくれる。


自分の名前を好きになるということは、
自分が生まれた意味を受け取るということ。


大切なのに、自分で決めていない氏名。使命。

私たちは、
人生で最大最高のプレゼントを、
生まれてすぐに受け取っています。

私たちは、
そんな幸せな存在なのです。

そんな幸せな存在の私たちだから、
人の為に、社会の為に、次世代の為に、
できる何かの使命を帯びて、生まれ、生きているのです。

私たちは、呼ばれたから、生まれてきた。

どうかそのことを受け取って、どんな時も忘れないで…




今日も心から喜びながら、お伝えさせていただきます。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

巷でもよく耳にし、一般的になりつつある「トークライブ」という言葉。

私は初めてこの言葉を聴いた時、
なんで「ライブ」なんだろう?と思っていました。
どうしても、ライブと聴くと、音楽のイメージしか無かったんです。

そう言いつつ、私も実際、
2月9日に『おかん感謝祭第2章』を開催したときのプログラムは、

・映画「ふるさとがえり」上映
・ふるさとがえり監督林弘樹&ロックバンドおかんトークライブ
・ロックバンドおかんライブ  という構成でした。

この時のトークライブ、
私は2組にお任せするつもりだったのですが、
2組ともをよく知ってる愛子ちゃんも入ったほうが、
絶対いいものになるよ!と、林監督に勧められ、
急きょ私も参加させていただきました。

自分自身が参加してみて、
あぁ、確かにこれはライブなんだな、ととってもよく分かりました。

そこには確かに、一体感がありました。




私はこれから、

名前のことだまを入り口として、

あなたがどんなに大切な存在かということや、

あなたの中に根付いている確かな日本人性のお話や、

日本の考え方、文化、日本の重要性を、

1人でも多くの方にお伝えしていこうと考えています。


ですがそもそも、ことだま(言霊)の他にも、霊(たま。ちから)はあります。

・言霊(ことだま)・・・言葉の力
・音霊(おとだま)・・・音の力
・文霊(ふみたま)・・・文字(形)の力
・色霊(いろたま)・・・色(場)の力


言霊と音霊は、聴こえるもの(音)です。
文霊と色霊は、見えるもの(光)です。

日本人にとってはまず、音が重要でした。
そのあと形が出来たのです。


この4つはそれぞれに大きな力がありますが、
これらが合わされば、なおさら大きな力になります。

これらが合わさるとは、
人との交流の場のことであり、口伝、4つの霊の共有なのです。


トークライブでは、出演者の、
語る声(音)、言葉(言霊)、姿や表情・身ぶり手振ぶり(形)、
そして聞き手も含めた、その瞬間にしか生まれない空気(場)、と、まさに4つの霊。

音楽ライブでももちろん、これと全く同じことですね。


たとえば、会ったことのある人の、聴いたことのある話でも、
お金を払って講演会を聴きに行く、という行為を人がするのは、このためかもしれません。

その様子が収録されたCD等を聴くのも良いのですが、
その時その瞬間その場に行って、4つの霊を共有することが、大きな力になるから。


そして更にこれは、不特定多数の方に聴いていただく、
トークライブや講演会などに限らず、
1対1で行うセッションなどでも同じことが言えます。

直接会って、姿や表情を感じながら語り、語って戴き、よい場をつくり、
その瞬間にしか生み出されないものが生まれること。


私たちは知らず知らずに、
この4つの霊を駆使して、人とコミュニケーションをとってきました。

インターネットを介してのコミュニケーションは大変便利で、
上手に使えばより関係性を深めるものになり、私もとても活用しています。

それでもやはり、
この4つの霊を共有し合うに勝るものはありません。


明日と明後日は、広島にて、名前のことだまセッション。

言霊・音霊・文霊(形)・色霊(場)をしっかり意識して、
セッションを受けてくださった方のこれからの人生に、
何かの兆しを見出していただけるよう、
精一杯つとめさせていただきたいと思います!


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

今日は海の日でしたね。
お友達のFacebookを覗いていても、海に遊びに行かれた方、多かったようです。

この海の日は、ハッピーマンデー制度が出来た際に、
成人の日や、敬老の日、体育の日などと一緒に流動的な月曜日に変わりました。



海の日が祝日とされた理由はこうです。
『海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う。』


ちょうど1年前には、
祝日に定められた意味を知らない国民が増えた、ということで、

このハッピーマンデー制度を廃止しようと民主党が提唱していましたね。
(その後どうなったのかを私は知らないのですが…)

私は、ハッピーマンデーでもそうでなくてもよいのですが、
ただ、知って実践して味わって、後に伝える、
そのことが大切ではないかな、とは思います。

確かに連休をつくることで、
消費拡大、経済の潤いを狙った側面もあるでしょう。

文化や尊ぶ心より、
またしても経済を優先してしまったのか、と嘆くよりも、

たとえそうであったとしても、そう知ったとき、それでも、
あぁ大切なことは文化や心だな、と思えば、
積極的に知って実践して味わって伝えれば、それでよいと思います。


「海の日」と「海の記念日」の関係性については、
私は海の日生まれなので、ちょっぴり詳しいです。

平成8年に、海の日という祝日がつくられたのですが、
その日付として選ばれたのが7月20日。

この日がもともと、海の記念日だったので、
「海」に関する日というと、この日かな?という感覚で、
この海の記念日と合流したようなのです。

しかし、海の記念日とは、
『明治9年、明治天皇が東北地方巡幸の帰途、灯台視察船「明治丸」に乗って、
 横浜港に帰還した日を記念して、昭和16年に当時の村田省蔵逓信大臣が提唱した。』
ものです。

この航海には、岩倉具視、木戸孝允など、
明治の元勲が150人余り同行していたそうです。



ですから、海の日という祝日をつくろう!という時に、
海の記念日と同じ7月20日にしたまではよかったのですが、

そののちハッピーマンデーで祝日を移動させるときに、
海の記念日が消え去り、
海の日としてだけ、7月の第3月曜日、となったことが、とても不可思議で、残念です。

誕生日が海の記念日でなくなった!とショックを受けたから、調べたんですね。(笑)

祝日法を見ると、第一条でその意義が、こう述べられています。

『自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、
 よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、
 ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、
 これを「国民の祝日」と名づける。」


ハッピーマンデーにしたから、祝日の意味を知らない国民が増えた、
というよりも、

海の日と海の記念日を何気なくくっつけて、
根拠があった7月20日の記念日を、ハッピーマンデーの都合で消してしまった、
そのいい加減な姿勢が、国民に伝わってしまったのかもしれません。

ともかくも私たちは、
知って、実践して、味わって、後に伝えていきましょう。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

新居浜市は、言わずと知れた工業都市。

その礎を築いた、別子銅山。

私は、ひとりの、志ある素晴らしい人物に注目したいと思います。

それは、近江八幡から赴任して5年の間、
新居浜のために尽くしてくださった【伊庭貞剛】です。



経済的飛躍を得ようと、人々は脅威的な努力で、
別子銅山での精錬に励んできましたが、
明治30年頃には、足尾鉱毒問題と並んで、別子銅山の煙害問題が、
公害として問題になっていました。


著しい環境汚染、崩壊する森、
広瀬宰平の甥っ子にあたる『伊庭貞剛』が、
近江八幡からやってきて、この森の再生に全力を注ぐのです。

伊庭は、
「妻を捨て、子を捨て、家を捨て、家財を捨て、一身を捨て」
と、このときの覚悟を語っています。


一念発起して新居浜に入った伊庭がやったこと。

ただ銅山を登ったり降りたりして、
親しく労働者たちに声をかけること。


住友の従業員同士、そして地域の方々。

会社の抱えている問題が、
新居浜という地域にも悪影響を及ぼしている、

殺伐とした人間関係を和らげるため、
経営トップの伊庭自らが現場に降りていくことがまずは肝要。

そのことを、よく分かっておられたんですね。

当時は、その伊庭の行動をばかばかしく思っていた人もいたようですが、
このことを、伊庭は、
「小生は馬鹿な仕事がすきなり」と語っています。


そして、伊庭が新居浜にやってきた本当の目的。

「別子全山を、あをあをとした旧の姿にして、之を大自然にかへさなければならない」

と、山林保護の方針を打ちたて、
ついには、広瀬の苦言も振り切って、

もっとも煙害の影響が少ないであろうとされる、
四阪島に、精錬所を移すことを決めたのです。



港や鉄道など条件の整った新居浜でなく、無人島に移るということは、
費用面や、地域との信頼関係においても問題はあり、
その莫大な移転費用は、むしろ煙害の損害賠償にあてたらいい、

など、もっともな意見もありましたが、


伊庭が見ていたのは、
もっともっと、ずーっと先の未来だったのです。


今目の前のことだけに捉われず、

まことの心で未来を見つめ、
本当の愛の選択は何なのか。

「事業というものは、いつも現実問題がつきまとうが、理想という大きなビジョンを忘れてはならない」
と、口ぐせのように語っていたといいます。


伊庭は移転を断行し、
別子山の植林事業を熱心に行いました。

伊庭就任前は、年間6万本の植林であったのが、
伊庭就任後、年間100万本を超える植林を行うようになりました。


スピーディーに5年間で状況を整え、新居浜を後にします。

その後伊庭は住友の総理事に就任しましたが、

「最高の地位、最高の給料を受ければ、久しく留まるべきではない」

「事業の進歩発展に最も害をするものは、青年のあやまちではなく、老人がはびこることである」

と言って、わずか4年、伊庭58歳のとき、
その地位を退き、引退してしまったのです。


四阪島の操業開始は、その翌年でした。

予想以上に煙害が拡大し、
完全解決をみるまでに34年かかりました。

伊庭はその完全解決をみる前に亡くなってしまいます。

悲しい痛みを伴い、
自分の判断は間違いだったのでは…と、

もし私なら、この事態に動揺し、落ち込んでしまうように思います。

ですが伊庭は、蘇っていく別子山の緑をみて、
「一代で出来なければ、二代三代でもかけてやる決心が必要だ。」
「この蘇った緑こそ、わしのほんとうの事業」

と語っています。


数々の明言。


経営者としての心構え。
人としてのあり方。


こんなに素晴らしい人物が、新居浜の地にやって来て、
力を尽くしてくださっていた。

そのおかげで、今の新居浜の美しい森がある。



伊庭貞剛の姿勢に学びたい。


今目の前ではなく、
もっと先の未来を見据えて、

今選ぶべき選択は何なのか。

いつでも、この視点を失わなければ、
間違いのない選択が出来るはずです。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

本日は、松山市の愛媛縣護国神社をお詣りさせていただきました。

なぜかここしばらく、ずっと行きたいと、
気になっていたんです。



私は大学時代を松山で過ごしました。

護国神社は、
私の通っていた愛媛大学の正門から、
歩いて本当にすぐの場所にあるのですが、

あることは分かっていたのに、
ハタチの頃の私は、一度も、お詣りしようという気にならなかったんですね…。
失礼なことです。


護国神社は、東京都を除く、全ての都道府県にあります。

英霊(国家のために殉職した人の霊。戦死者、自衛官・警察官・消防士など)をお祀りしている神社。





靖国神社に参拝に行くことが、
距離的・時間的・立場的に難しい人も、
世の中には大勢いらっしゃいます。

私もまだお参りさせていただいたことがありませんので、
いつか必ず伺いたいと思うのですが、

その前に、まず、地元の護国神社に伺い、
鎮魂の意を捧げることが、なにか今、とっても自然なことのように感じます。

愛媛縣護国神社には、
愛媛県出身の英霊の皆さまをはじめ、
社会公共の為に尽力し、愛媛県の産業文化に貢献された功労者、
消防・警察・自衛隊公務殉職者、

あわせて49.723柱の御神霊がご鎮祭されているのですから。


言わずもがな、私たちの今の平穏無事の生活は、
この方々の犠牲のうえに築かれています。

そのことをいつも、忘れてはいけません。

私は、今日のような灼熱の季節になり、蝉が鳴き始めると、
記憶が甦るかのように、戦争時代のことを思います。



私が滞在している間に、
お宮参りのご家族が、ニ組いらっしゃいました。

あぁ…

この子にとっては、護国神社が産土神社となるのか…

無事に産まれた喜びを、
感謝とご挨拶を申し上げに伺うところが、
護国神社だということの、重み…


英霊の皆さまに、
先達に、
公職殉職者の皆さまに対して、

この今世お預かりした体で、
精一杯世の為人の為となるように、
精進してまいります。


ということを、お誓い申し上げていることだと思うから…


この二組のご家族と共に、
私自身も、そのことをお誓い申し上げてきました。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

海外旅行に行こう!として、

ある会社の海外旅行保険を契約しようとした時、

「渡航先」の注意書きに、
「キューバは対象外」と書かれてあるのを目にしました。

キューバに行くときだけ、保険に入れないなんて、
キューバってそんなに世界一危険な国なのかしら?

なんて一瞬考えてしまいました。


よく考えてみれば、そんなはずはありません。
危険な国なら、他に沢山あります。


キューバ渡航で保険加入が出来ない理由は、
その保険会社が、アメリカの会社だったからです。

アメリカは、
キューバが間近な社会主義国ということで、
キューバを長年に渡り経済封鎖してきました。
今もです。

キューバとは国交が無く、
キューバにお金を落とすことも許していないのです。



キューバも、台湾と同じように、
東日本大震災のとき、
真っ先に大量の医師団の派遣を申し出てくれました。

しかし日本政府はこれを無視しました。

理由は。

アメリカの目を気にするからです。


それでもキューバの人たちは、
「国と国では難しいことがあるのかもしれない。だけど日本人もアメリカ人も、みんな家族だから。困っている人には手を差し伸べるのは当たり前。」
と語るのです。


キューバでは、
国が国民を本当に大切にし、
国民は国を本当に信頼しています。

政治は、それぞれの職業の中で、
最も尊敬され選ばれた人が、「無償で」国民のために行う。

日本国憲法では、
『国民は、最低限度の生活を保障』されていますが、
キューバでは、『国民は、最高の保障を受けられる』と約束されているから。

大変な愛です。


医療・教育無料、老後の安心が約束され、
町には陽気なラテン音楽が流れ、お洒落なクラシックカーが走り、
素晴らしい自然と有機農園があり、
みな幸せそのものの笑顔だといいます。

この幸せは、皮肉なことに、
アメリカの経済封鎖を受けたから始まったものでした。

この冊子には、キューバの全容が簡潔にまとめられています。



国民との真摯な対話を何よりも大切にした、キューバの指導者
フィデル・カストロとチェ・ゲバラの姿勢、

今の日本の政治に欠けていることを教えてくれます。


資本主義、経済優先が行き過ぎた結果、環境破壊、
いつまでもありのままを未来に残したいという希望が破れそうになっている今の日本。

キューバの例に学べば、
限りなく、お金という概念が無いに等しくても、互いに思いやり暮らし合える世界というのが、
夢空論ではないということが分かってきます。

資本主義や制度が、
人を苦しめ、自然を苦しめ、未来を危うくしているなら、

キューバのような国に、
学ぶべき点は、沢山たくさん、ありますね。

しかし日本も、昔はそうだった。

本当に本当に大切なものは何なのか。

浅いところではなくって、
心のもっともっと深いとこ、
ほんとうを、思い出したい。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

お中元、という言葉。

よくよく考えてみると、いかにも中国的な言葉です。


古代中国の宗教、道教が教える、三元節のひとつ。

旧暦1月15日の上元、7月15日の中元、10月15日の下元。

これらの日は、「神様に供え物をして祝う日」であったのです。

中でも中元は、
善行により罪を償う、贖罪の日とされ、
庭で火を炊く習わしがありました。


この風習が、日本に伝わり、
時期がお盆と近いため、

「先祖の供養」と、夏のお見舞いの意味を込め、
品物を贈る風習ができました。


今では、お世話になった方や知人に贈るのがお中元。

せっかく贈るなら、
そのお相手の方に対しても、
そのお相手の方のご先祖様に対しても、

お贈り物をさせていただく、という気持ちで、
お贈りしてみてはいかがでしょうか。


そういえば、私も思い出します。


おばあちゃんは、いつでも、
お客様からのいただきものは、まずは、
仏壇にお供えして、
暫くあってから皆でいただいたものです。

いただきものは、ご先祖様への物である、
ご先祖様のお陰さまのものである、

おばあちゃんは知っていたのでしょうね。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

先日の七夕さまには、
七夕は、棚機である、というお話をさせていただきました。

神様のお召し物をつくる、いわゆる神事。

もうひとつ、七夕に関係した神事をご紹介します。

それは、『相撲』です。


奈良時代、聖武天皇も諸国の神社で、五穀豊穣に感謝して相撲を奉納させていたと云われています。
七夕の節会に、宮中で相撲を観覧したのだそう。

平安時代では、定期的に相撲の節会が行われ、
五穀豊穣、国家安泰を祈る年中行事になったのです。

弓矢、騎馬での弓矢と並んで、重要な節日です。


その後、
源頼朝が、鶴岡八幡宮の祭礼に相撲を奉納しました。

織田信長や、豊臣秀吉も、相撲を観覧したと云われています。

江戸時代になってはじめて、
職業としての相撲が生まれ、興行になっていったのです。



どんなふうに、相撲が神事なのでしょうか。


たとえば、土俵入りの際の、「四股」は、
大地を踏みしめて、大地の邪気を祓う地鎮の儀式。

そして塩をまいて、穢れを清める。

そして最後に、弓取り式が行われるのは、
昔、相撲の節会で、勝利した組の立会人が弓をとって舞ったことに由来しているのだそうです。


大地を鎮める相撲という神事…


東日本大震災のあった年。

八百長疑惑などにより、
この年は、相撲の春場所が中止になっていました。

このことに、
何か私は、意味を感じてしまうところがあります。


そんなものは迷信だ、それもいいでしょう。

けれど私は、
食べ物であれ、文化であれ、行事であれ、神事であれ、

時代を軽く超えて、長く続いているものには、
何か特別な意味や役割があるとも、思うのです。

あなたは、どう思われますか?


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

2013.07.09

【道】の行方

日本人には、どうやら、
【道】という考え方がとてもしっくり来るようです。

道って、道の行方って、どんなものでしょう。

果てしなく続く。終わりがない。


そして最後には、

『すべては繋がってたと知る』こと。


先日ご紹介した、武士道。

剣道、柔道、空手道、弓道、華道、茶道、書道…

そして日本古来の宗教心は、神道。

日本では、教えというよりも、道なのです。


所作や礼儀には、ある決まりがそれぞれにあり、
規範の中でひとつのことを貫き、
ひとつを極めながら全体に通ずるものを知り、実践する精神。

決まりごとはあり、
もちろん最低限それらを守るのは当然ですが、
最も大切な本質はいつも、

精神性なのです。

ですから日本発祥のものは、
単なるスポーツや、単なる遊びではなく、
精神性を伴うんですね。

予期せぬことが起こった時の対処法は、
その道の流儀、精神性に問うて決める。


そして最後には、
『あぁ…そうだったのか…すべて、すべて、繋がってたんだなぁ~…』
と氣づくこと。

そして無限に成長し続けるあり方。



すべては繋がっているということは、

私たちの全ては結局、ひとつであるということです。

日本人の感覚には、
そこに繋がることの出来る考え方が根付いています。


世界がひとつになって、地球を存続させていきたい。

そのためには、
国と国が互いに違いを分かり合うこと。

融合させることが、
とっても得意な日本人なのだから。

まずは日本の中でも、
もっともっと、ひとつであるって実感したい。

県と県、市と市、町と町、男と女、あなたと私、

まるで違うもののように見えるけれど、
本当はひとつだって、実感したい。


私はいいけれど、誰かが泣いている、
それは絶対に、幸せなことではありません。

私も誰かも同じ、繋がっているから。


痛み、喜び、すべてを内包した私たちが、
できるだけ、少しでも、
喜びの多いほうへと歩き出すためには、

どう選択するのが一番いいのか。

大切なことは、全体を見て考えること。


今だけ、自分たちだけ、
良ければいい、というものは、
「存在しない」ということを、

私たち日本人こそ、まず、
よく氣づき、実践していきましょう。


無限に続く道の行方が、
結局はすべて、
繋がっているように、

私たちは、ひとつだから。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

昨日の早朝、久しぶりに、
松山の椿神社に立ち寄りました。

愛媛の人には、「椿神社」「お椿さん」と親しまれ、
毎年お椿さんの頃には、愛媛中、四国県内中の、
ご商売をされている方が集まって来られます。
商売繁盛の神様という認識をされてる方が多いからですね。



たくさんの椿が境内に自生しているため、
椿神社と呼ばれることも頷けるのですが、

昔、この神社周辺は一面の海原。

海のことを、津(つ)といいます。

津の脇の神社、ということで、つわき神社。

これが訛って、つばき神社となった、という説もあります。


椿神社は、
伊豫豆比古命(男神)・伊豫豆比売命(女神)の二柱の神様がお祀りされています。

廃藩置県で、
伊予の国は、愛媛県となりました。

そもそも、いよ、という名前も、
いゆ、から来ているといいます。

ゆは、お湯のゆ。

ことだま的にはひとことで言えば、「い」の働きは命、祈り。
「ゆ」の働きは、癒やしです。

「ゆ」は、湯治というように、人の傷を心身ともに癒やす働き。

命を癒やす、祈りのくに。


そしてこの愛媛という県名、
この椿神社の御祭神の一柱、

『愛比売命』からとられているのだそうです。

伊予を愛比売といい…と古事記にも記されています。

都道府県名を神様の名前としたのは、愛媛県のみなんだとか。


これを知って、
ますます愛媛に生まれたことを幸せに感じました。

いつも思います。

知るということは、
すべてのはじまり。

終わりのない、制限のない、愛への道。

知ることが、大好きです。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

おはようございます!
今日はワケあって、こんなに早起きです!
ただいま朝(夜中?)3時。

今日は七夕さまですね。

織姫さまと彦星さまは会えたのかしら…

えっ?会うのは今夜じゃないの?
とお思いの皆さん。

会われるのは、6日の深夜から7日の明け方にかけてなんですって。

どんな再会だったのかな~。

ちょうど今頃、つかの間の再会もあっと言う間に過ぎ、
別れを惜しんでいる頃かもしれないなぁ~…


ところでこの七夕、
『たなばた』と読ませることに、
不思議を感じたことはありませんか?


『たなばた』で、
変換される漢字が実はもうひとつあります。


『棚機』です。


七夕もやはり、大陸から伝わりました。

しかし、日本由来のものでもあります。


「古事記」に登場する「棚機女(たなばたつめ)」です。


「棚機女」とは、水神に捧げるための神聖な布を、
「棚造りの小屋」にこもって俗世から離れて織る、穢れを知らぬ女性のこと。


「棚」には「布を織る間だけ借りる家」という意味もあり、
現在で云う「神棚」に近い場なのだそう。

この古事記に登場する日本由来の習慣と、
大陸の「星伝説」に登場する「織女(織姫)」が似ており、融合したものだったんですね。


短冊を笹に飾る習慣は、江戸時代から始まっているようですが、
これをしているのは、日本だけ。



神様へ、聖なる心と体をもって『棚機』していた、
いわゆる、神事が起源であったとしたら。


願い事には、

じぶんのことじゃなく、
誰かのこと、
周りのこと、
それを見守る神様のこと、

安らかなるよう、

書いてみたいですね。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

近年海外から、日本人の、
『侍魂』や『武士道』というものに、改めて注目が集まり、

震災発生時の、日本人の行動(配給を並んで待つ、地下鉄でも綺麗に並ぶなど)
に対し、世界から賞賛の声があがりました。

このことの、どの部分に、世界は驚き、尊敬してくれたのでしょうか。


ひとことで言うなら、『公の精神』です。

【我が身よりも他者を思いやる気持ち】
【秩序を守りみんなが気持ちよく過ごせることを大事にする】



武士道というものに関しては、
さまざまな考え方、解釈があります。

私は、
自らの立場や命よりも他に、
大切とする物を持つ人の考え方だと思っています。

精神性を指すため、マニュアルが無いですが、

『我が心に聴いて、まことの道を歩むべし』

であると思います。


たとえば梅谷忠洋氏著の「武士道の智恵」では、武士道を10の言葉で表しています。


 1.仁:苦しんでいる人の隣にいて、苦しみを共にすること

 2.義:相手に迷惑を掛けないこと

 3.礼:他人に対する思いやりを形で表現すること

 4.智:知っているだけでなく行動に移すこと

 5.信:義と誠を身につけることで自ずとついてくるもの

 6.勇:社会や他人に不愉快な思いをさせないこと

 7.誠:嘘をつかないこと

 8.名誉:名を汚さぬ心

 9.廉恥:自分の未熟を悟り、恥を知ること

 10.忠義:義があれば自ずとたどりつくもの



日本人は曖昧で、意思がハッキリしない、などとよく言われますが、
本来、

本当に大切なことは、
じぶんの中の愛に、まことに、良心に従い、

行動するということは、
できる人種であるはずです。



参院選が近いです。

いい加減に考えず、
まことの心で、お天道様に恥じない心で、
真剣に知り、選び、行動しましょう。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

こんにちは!晴天の7月5日☆

7月5日、ななこ、ということで、
魚子(ななこ)という文様があることから、語呂合わせで
『江戸切子』の日、ともされているそうです。

切子独特の繊細で美しいカッティングには、
ウットリすると同時に、

こちら側にも、
最低限のシャンとする心構えが必要な気がして、こちらを凛とさせてくれる。
その程よい緊張感が、なんともお洒落です。



江戸切子の、切子は、
カッティンググラスという意味で、
もともとはヨーロッパから伝わってきた技法。

鎖国中の江戸時代、キリスト教圏の国々との貿易は無かったものの、

出島への船来品には、オランダのものが多く、
ヨーロッパ文化の影響を大きく受けていたオランダの影響が、

江戸時代の日本にも伝わり、

今にも立派な日本の伝統工芸として残る、芸術のひとつです。



ヨーロッパと江戸の文化が融合するのを手のひらに感じながら、

静かな縁側に足をのばして、

朧月夜をいつまでもぽぉーっと見上げる…


そんな夏を過ごしてみたいですね。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

今日は、7/21の参院選公示日。

私の自宅にも投票所入場券が届いていました。



どうか、このブログを読んでくださった皆さま。

必ず投票に行ってください。

そして1人でも多くのお友達に、投票に行こうと呼びかけてください。

その理由を一言でいうならば、

【棄権するほど、一部の人たちの思うツボになるから】

実際そのように作られている選挙制度だからです。

この本、とってもわかりやすいのでオススメです。
すぐ読めます!こんなに薄いです。



ご希望の方にはお譲りしますね。

この中からも幾つか引用させていただきます。


前回の衆院選の投票率が、戦後最低だったことは皆さんご存知だと思います。

今の議員さんは、
投票者の47%の支持を得ているのですが、
投票率が59%だったわけですから、

有権者の27%の支持しか実際には得られていないことになります。

更に、若者ほど投票率は低く、
未来に関係の若い人ではなく、
これまでに関係の深い人の考え方で進んでいっているのです。


政治は変わらない。
資質の高い政治家がいない。
いつも大企業優先。
お金持ちが優遇される。

そんな思いから、変わることを諦め、投票に行かない人も多いでしょう。

その気持ちも分かります。

でも、諦めることだけは、放棄することだけは、やめませんか?


シンガポールでは、投票に行かなかった人は、選挙権が剥奪されます。

オーストラリア、ベルギー、ウルグアイ、トルコ、ブラジル、イタリアなどでは、
選挙に行かなかった人は、罰金や罰則を科せられます。


現実に、日本の選挙制度自体には問題点があまりに多く、
民意が反映されにくくなっています。

その是正をするように、度重なって全国の弁護士グループは、
『一票の格差』について訴訟を起こしてきました。

小選挙区の問題です。


自民党得票率43%→議席79%(237議席)

民主党得票率23%→議席9%(27議席)


得票率は2倍なのに、議席数は8倍以上。明らかに歪。

今年3月には、先日の衆院選の違憲性について、
16件の案件中、14件は違憲判決(うち2件は無効に)、2件は違憲状態と判断されました。


投票率が低ければ、なおさら『一票の格差』は広がります。


選挙制度そのものの問題点は山積みです。

けれど、今それを論じても始まらない。

選挙は7/21にやってきます。

せめて、投票率を上げましょう。

ちっとも難しくありません。

候補者全員の考え方を確認するのは大変でも、
政党の考え方を理解することは簡単です。

政党政治である以上、政治家は所属政党の考え方に逆らえませんから、
個人レベルでは、選挙前に言っていることも、
当選後に変えることも多々あるでしょう。

個人にフォーカスするよりも、
政党の基本的な考え方をしっかり把握して、
自分の考え方にいちばん近い政党を選びましょう。

どうか、
自らの愛に、問うてください。


誰のものでもない、私たちの国、日本。

私は、諦めません。

どうか、諦めないで。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

【富士山は、日本の象徴】

そう言われて、頷けると思われた方は、
少し長いですが、今日のブログに少しお時間を割いてください。


先月22日、『富士山の世界遺産登録』が決まりました。

日本中、
特に山梨、静岡の方々の間では大変な盛り上がりだったようです。

歓喜に湧く中でも、地元の方々は、
大切なことを、きっとよく分かっておられると思います。


大切なこととは、この2つです。


☆富士山が、これまで世界遺産登録されなかった理由

☆この先ずっと、世界の宝として守り続けていくこと



富士山世界遺産登録のニュースをを知ったとき、
「むしろなぜ富士山が、今まで登録されてなかったの?」と疑問を感じた人も多いと思います。


……なぜだと、思われますか?


世界遺産の登録は、
ユネスコ(国際連合教育科学文化機関・1946年設立)の活動のひとつで、

『世界中の人が、協力して守っていくべき場所や建物を正式に決める』ことです。


世界遺産には3つの分類があり、
世界中には全部で962ヶ所あります。


◉自然遺産(貴重な自然)…188ヶ所
◉文化遺産(歴史的建物・遺跡等)…745ヶ所
◉複合遺産(上記両方の要件を満たす)…29ヶ所


今回富士山が、文化遺産として登録され、
日本には、自然遺産4ヶ所、文化遺産13ヶ所となりました。


富士山は建物でも遺跡でもなく、
自然の産物なのに、なぜ文化遺産なのでしょう?

実は富士山の世界遺産登録には、
20年以上もの間、自然遺産として登録できないかと、
地元で署名が集められたり、申請もされてきましたが、駄目だったのです。


登山道は登山客が捨てるごみだらけ。尿の垂れ流し。

山小屋から流れ出るトイレットペーパーが「白い川」と呼ばれる惨状。

麓には違法産業廃棄物。


日本人の誇りであるはずの富士山が、
とても、美しい山と言えない環境汚染に陥っていたのです。


それでもなお、
日本の富士山は、

日本人にとっては最高峰の山岳信仰の対象であり、
世界に憧れられる芸術的価値の高い存在。

ということで、結果的に、文化遺産として、今回登録が認められたのです。


この事実を知ったとき、
私たちは少し、考えなければいけないことがあると思います。




日本の象徴とも言える
世界の人にも認められているはずの富士山が、

本来の素晴らしさがすっかり汚れ、
世界遺産登録を拒否される程になっているのに、

そのことにさえ無関心で、気づかずにいた。


これを、富士山 = 日本人 と置き換えてみてください。



富士山世界遺産登録について、よく考えた時、

これを、
日本人の環境への意識の低さへの反省として捉えることは、当然です。

環境は、私たちの居場所。
どこか遠くにある問題ではなく、私たち自身ですから。

環境意識の高いヨーロッパは、
極端に世界遺産登録されている場所も多いです。

今後は富士山も、6年に1度、ユネスコの審査を受けますので、
取り消しを受けないよう務めていかねばなりません。

当然、富士山だけでなく、その他の世界遺産だけでなく、どんな場所でも、

建造物に、足跡と言って落書きをしたり、
平気でゴミを捨てたりすることはあり得ないことです。


でも、更に考えたいんです。


かつて世界から尊敬され憧れられていた日本人が、
今では世界からノーと言われる日本人に成り下がっていないかどうか。


目に見えないものへの畏怖の念、
誇りや、恥を知る、足るを知る、

そういったものを失いつつあることに、
気がつけばとんでもなく破滅の方向へ向かっていることに、

気にも留めず、気がつけば、
世界から尊敬され憧れられた日本ではなくなっている…

私には、
怖いことですが、富士山が日本の象徴のように思えてしまいます。


日本の象徴、富士山の誇りをなんとか保てた今回。

私たちは、日本人そのものの在り方についても、
我が身を省みる必要があるのではないでしょうか。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

私は、

今こそ日本人が、日本人としての誇りを取り戻す時。

日本という国が、いかに素敵な国かを思い出す時。

と本気で思っています。

このこと以上に大切なことなど、目下無いと思っている程です。


ですが中にはこのことを、
『戦争をしたがっているのか?』と捉える方も在るようです。

それはどうやら、これまでの歴史にあるようです。


確かにこれまで、戦争を強いられる状況になった時、
お国のために喜んで命を捧げようという思想をつくるために、

この日本国への誇りを利用していたところはあるでしょう。


当然、私の答えは、
『戦争をしたがっている』ではなく『平和を求めている』
以外の何物でもありません。


大東亜戦争後、GHQの指導により、
日本人が日本国の成り立ちを知るための教育(神話を学ぶなど)が廃止され、

神話を忘却した、脆い日本国民がつくられてきました。


過大な美化をする必要はありません。

ただ、本当に受け継がれてきていたものが、葬り去られていることを、
知る必要があり、

あまりに自虐的な理解をして、
自信を失っている日本人が多いからこそ、

誇れる部分を取り出して、正しく知ってほしいと思う。


それが、世界平和の第一歩だと思っています。

神話を失った民族は滅びる、と云われています。

世界に類をみない、
【愛と調和】を元来持っている日本人が、本来の日本人性を取り戻したとき、

世界を調和していける光明となります。


たとえば。
こんな事実をご存知でしょうか。



インドネシアの独立記念碑には、
その独立記念日は、こうだと書かれています。

『十七○八○五』これはつまり、
『05年8月17日』です。

インドネシアがオランダから独立を宣言した年は、1945年8月17日。

そうです。
以前に、ブログでもご紹介したことがありますね。

皇紀です。

660年を足すと、皇紀2605年。この、05なのです。


今や日本人は忘れても、インドネシアの人は忘れていません。

日本独自の、皇紀を。




大東亜戦争は、アジア解放戦争。

日本人は、インドネシアを支配するオランダから、インドネシアを統治しましたが、
そこでは、


「日本人とインドネシア人は同祖同族である」

「日本軍はインドネシアとの共存共栄を目的とする」

「同一家族・同胞主義に則って、軍政を実施する」

という一貫した理念の元に、


「農業改良指導」「小学校の建設と、児童教育の奨励」
「オランダ語を廃止、公用語としてインドネシア語の採用」
「集会の自由」「インドネシア民族運動の容認」

など素晴らしい政治を行いました。


また、日本は大東亜戦争に敗れたのちも、
アジア解放!という志を持つ日本兵、

約2000名がインドネシアに残り、再び侵略しようとするオランダに対し、
インドネシア人と共に戦いました。

その内、約1000名が戦死したとされています。

日本のためではありません。
日本人が、インドネシアの独立のために共に戦ったのです。


この日本人戦死者は今も、
インドネシアの国立英雄墓地に祀られているのです。


先日ご紹介した、台湾の場合も、同じ事情です。


私たちが海外旅行に行ったとき、
多くのアジアの国々で、
私たち日本人は、とても親切にされ尊敬されます。

それはなぜか。

彼らが未だに、昔の日本人への敬意を忘れていないからです。


私たちは、もう一度日本人になりましょう。

戦争をしましょうと言っているのではありません。

平和のために、調和を知る日本人が、
日本人の誇りを取り戻すべきだと、思っています。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

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