日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI

名前のことだまを入り口に、和ごころに気づけるブログです。

プロフィール

日野  愛子

Author:日野 愛子
日本人がもう一度、日本人になろう。

皇紀2671年3月11日、
再び、ほんとうの幸せに戻るための、
大きく舵を切れた転換点にするために。

いつもほんとうのことを知ろうとすること、
いつも自分の中の愛に聞いて、
一歩を選べるように。

知ることへの道は、愛のはじまり。

名前のことだまを入り口に、
素敵な日本に氣づけるブログです。

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おはようございます!

昨日、「なぜ、名前がそんなにも大切なものなのか」
というお話をさせていただきました。


氏名は、指名された使命。


あなたが生まれてから、生まれる前から、
最初にして最大の使命という役割、プレゼントをいただいていた。

それが、名前です。


自分の名前のことを、好きとか嫌いとか意識したことがない、
ということが、
勿体ないとお話したのも、そのためです。


とっても大切な役割が、そこに隠されているのに、
特に気にも留めない。

ということは、その役割を、受け取っていないのです。


そこにきちんと在るものでも、
意識できなければ、
存分な力は発揮できません。


これは何でも、誰でも、そうです。


想像してみてください。

あなたは仔犬です。


ある家で、大切に育てられていました。

その家に、赤ちゃんが生まれました。

家の人たちは、その赤ちゃんに、あなたのことをあげようと考え、
いつも同じ部屋で大切に育ててくれました。


ある時、赤ちゃんに物心ついてきた頃、
自分のほうを見て喜んでくれるものと思って期待し、
その対面を心待ちにしていたら、

赤ちゃんは全くあなたを気にも留めず、
チラリと見たきり、

それ以来、いっこうにあなたのことを気に留めてくれることはないんです。


…これって、すごく悲しいですよね。

時にはもう、スネちゃいそうになりますよね。


この、スネちゃった仔犬が、あなたの名前です。


「名前?特に好きでも嫌いでも…」
と言っているあなたの名前さんは、スネちゃっているかもしれません。


もっと言えば、
自分の名前が嫌いだという方もいらっしゃいます。

それは例えば、

ご両親が、
芸能人の名前を付けたとか、
昔の恋人の名前を付けたとか、

また逆に、
あまりに重い想いと期待を込められて付けられた場合。

こんな場合に、
自分で自分の名前を、素直に受け取れなくなっている人が多くいらっしゃいます。


そうそう、他には、
叱られる時だけ、いつも、◯◯!と名前を呼ばれていた、
という方が、
自分の名前を好きになれない、というケースもあります。


人には多かれ少なかれ、必ず、トラウマというものがあります。
私も、幾つか抱えています。

トラウマは大小を問わなければ、誰でも持っているものです。


だけどそのトラウマが、
本当に、いま、在るものを、

受け取れない原因になってしまっていることが、とても多いのです。



名前も、自分自身よりも先にある先輩なのだから、

好きになり、尊敬し、感謝できるほうが、
必ず、いろんな側面で自分自身を助けてくれるでしょう。


あなたがあなたの名前を、

大好きに、愛おしくなるように、

そのお手伝いをさせていただきたいと思います。


その方法のまず一歩として、

「解名」… 名前の意味を解き明かす

ことが必要なわけですが、


セッションなどでそのようなことができるケースでなくとも、
私にも、誰にも、手軽に簡単にできることもあります。


それは、呼びかけです。


どうか、あなたも、
あなたの大切な人のことを、

下の名前で、

ニックネームや省略した呼び方ではなく、
きちんと呼んであげてください。


【名前のことだま】です。


ことだまは、声に出し、音になるから、力になります。


特に、男性というのは、
組織の中に入ってしまうと尚更、

役職か苗字で呼ばれるので、
下の名前をきちんと呼んでもらうことがとても少ないのです。


本来の役割を、気に留めず、無視して、生きてしまう。

これはとっても勿体ない。


ご本人が気にしていなくても、
せめて、

誰かに呼びかけられることによって、

名前が生き生きと活性するように…


特に、名前は、

お母さんや、ご夫婦や、大好きな人から呼んでもらうと、
なお一層活性化するんです。


私もこの、名前のことだまを知って以降、
新しく誰かと出逢ったときにはいつも、
気になるのは苗字ではなく、下のお名前。

できるだけ、下のお名前で呼ばせていただきます。

ちょっぴり照れくさいけれど、きっと、
呼ばれた方は、悪い気は、しないはず。


あなたも大切な人の名前を、心を込めて大切に、
呼んであげてくださいね。

呼んであげない音は、スネちゃいますから(笑)



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子
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突然ですが、

あなたは、自分の名前が好きですか?


これまで私が名前のことだまセッションをさせていただいた方の中で、
いちばん多かった答えは、

「好きでも嫌いでもない。特に考えたことがない。」


だけれどこれって、とっても勿体ないことです。

だって。

名前は、

あなたが生まれる前から、

あなたが物心つく前から、

既に決まっていたのです。

名が、前に、あったのです。

どなたか、私の名前は私が決めたって方、いらっしゃいますか?


一生お付き合いする、自分を表す呼び名なのに、
自分では決めていないはずです。


大切なことなのに、自分で決めていないこと。


氏名は、指名された、使命。


生まれた時与えられていた、
人生最初にして最大のギフトと言ってもいいと思います。


そういった意味では、名前同様に、
授かったこの姿形も、ギフトですよね。

この魂に与えられた、肉体。

この姿形をして、この名前で生きていくということ。

これは、自分の意思を超えたところで決められていたこと。


そこにこそ、私たちが生まれてきた意味の、
最大のヒントが隠されていると思うのです。




たとえば、私の場合は、愛子という名前です。
(個人の名前というのは、下の名前を指します。苗字は家系の名前です。)


愛子という名前は、
両親によると、「誰からも愛される子になりますように」
という思いで、付けたのだそうです。

姓名判断も参考にして、運勢が良いかどうかも確認したそうです。


20代になると、
「愛」という言葉自体が素晴らしく、最上のものだと思い、とても好きになりました。

30代が近づいてきた頃からの私は、
「誰からも愛される子」というのは、子供の頃の自分で卒業し、
「誰のことも愛する子」になろうと、自分なりに意味付けをしていました。


姓名判断でみると、運勢は良いのよ、
と両親から聴いていたことも、それなりに嬉しく思っていました。

漢字という中国で生まれたものにも、
相応の意味がありますし。
ただ、字画という、数字での吉凶というのはよく理解が出来ませんが。

でも同時にこれって、悪かったらどうなのだろう?とも思いました。


悪かったらそっくり変えてしまえばいい。

病気になったら薬を飲めばいい。


これは少し、これからの時代にはそぐわない気がしています。



私が出逢った、【名前のことだま】


言葉は単語から成り、単語は一音の集まりで成っています。

日本語の五十音の一音一音にはすべて意味があり、
そのことが、名前にも影響していると考えるもの。


日本で古来から、
目に見える数や形よりも、目に見えない『音』を大切にしてきました。

そうでないなら、

神社で手を叩く行為も、
鈴を鳴らす行為も、
お賽銭を投げ入れる行為も、

もう少し静かにほかの方法を取ればいいはずです。

宮司さんも、祝詞をあげるのは、ある言葉によって、
何かを鎮めたり、興したりする力があると、

古来より日本人が信じてきたからです。


もっとも、日本のみならず、
言葉という意味では、万国共通で、
「言葉には何か偉大な力がある」と信じてきました。

そうでなければ、呪文というようなものも、存在しないでしょう。

聖書も、
『初めに言葉ありき、 言葉は神と共にありき、 言葉は神であった」という文章から始まっています。


そう、一音一音が神様。


私たちは、自らの呼び名として、
神様を携えて生まれている、とても幸せな存在なのです。

私の場合は、

あ という音、神様
い という音、神様
こ という音、神様

ですから、名前のことだまには、
名前そのものが良い悪いという判断がありません。

一音一音の本来の働きと、裏が出てしまった場合の働きというのがあるのみです。

改名する必要などない。

与えられた役割を拒否して、別の役割を故意に設定することは、
本当に良いことなのでしょうか。


改名より、解名しましょう。


占いでもなんでもなく、
ただ、
元々私たちが持っているものを、思い出すだけ。


既に私たちはすべてを与えられている。

それに気づかないで、欲しい欲しいと言う。

ひとつ、ひとつ、大切な、
私たちが持っているものに気づいてゆく、


その中でもとってもとっても大切なことを、
お伝えさせていただける、

このことだま師という役割に出逢えたことを、
心から、幸せに思います。



ですからあなたの名前も、
下のお名前を、呼ばせてくださいね。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

昨日の朝は初めての講演で、
プレゼン方式でお話させていただきました。

一夜明けると、もう遠く前の出来事のように思えますね。

時間はどんどん絶え間なく流れているな、と感じます。


余談ですが、今月8日に、
元アナウンサーの長谷川豊さんが、
新居浜で講演をされて、私は司会という形でお手伝いさせていただいたのですが、

講演の最後に長谷川さんは、
「再びテレビの世界に復帰したい、
いつ叶うかわからないけれど。」

という言葉を口にされていました。


そして昨日、私が講演させていただいたのは、
その長谷川さんがされたのと同じ会場だったわけなのですが、

私が講演させていただいた昨日、同じ日に、
長谷川さんは見事テレビ復帰をされたのだそうです。


なんだか、ちょっぴり因果を感じました。


お話をさせていただくときに大切なことって、
沢山あると思いますが、
その中の重要な要素のひとつは、やはり言葉だと思います。


お話は文章で成り立ち、
文章は単語で成り立ち、
単語は一音一音の音で成り立っています。


日本語は本当に奥行き深く、
世界的にみても、難しく、かつ味わい深い言葉だと思います。

現在では、
かな・カナ・漢字と日常的に使い分けていますし、

この能力があるということは、
日本語を使える人というのは相当に賢いはずです。


私はよく、このブログでも、

日本人は、とか、
日本人性を、日本の精神を、
ことだまを、

ということをお伝えしています。


昨日の講演でも、僅かながら、
ことだまのことや日本人性のことにも、
触れさせていただきました。


この私が言う『日本人』というのは、必ずしも、
遺伝的な日本人を指しているとも限りません。


日本人、という定義。


それは例えば、日本国籍を持っていること、とか、
遺伝的に日本人であること、とか、
色々あると思うのですが、

それも、どこまで遡るのか、という問題や、
誰かが決めたルールの問題では?という問題や、
色々分からなくなる点があります。


だって、本当に遡るのであれば、
純粋な日本人、原日本人というのは、
今やごくごく僅かにしか存在しないはずです。

北海道のアイヌ民族や沖縄の琉球民族。

大陸からやってきた人々に追い詰められて、
北へ逃げた人々と、南へ逃げた人々と。

僅かに生き残った人々が、
本当の意味での原日本人であって、

それ以外の日本人と呼ばれる私たちは、
遡れば、多くはモンゴルなどの大陸の血をひいているはずです。


だけれども、
私は、
日本人と呼ぶときの定義づけとして、

『日本人とは、日本語を話す人』

だと思っています。


皆さんも、ご経験ありませんか?

たとえば、
海外に少し長く滞在して、少しその国の言葉を話すようになると、
なんとなく、
その国の人たちの感覚に近くなっていく感じ。

海外でなくとも、日本でも、
関西に行って、関西弁を話すようになってくると、
なんとなく、
関西の人たちの感覚に近くなっていく。


関西の人が、関東に行っても、
なぜか頑固に、

自分は絶対関西弁を通すんだ!と言う理由は、
実は、

関東弁を話すことによって、
心までも関東の人のようになってしまいそうだから、
ではないでしょうか。


私も少しの間ですが、
連続して海外に滞在していたとき、

テレビや周囲から聴こえてくるのがすべて英語で、
自分も多少なり英語を話すようになってくると、

その身振り手振りなども含めて、

だんだん自分が、アメリカ人のような感覚になっていくのを感じました。

ちょっぴり怖いな、と感じるほど。


それを上手に利用しているケースが、

スポーツ選手などが海外移籍をして、会見などで挨拶する際に、
最低限の自己紹介などに、きちんとその国の言葉を用いていること。


拙い言葉でも、自分たちの国の言葉で、一生懸命話す外国人に対し、
その国の人たちは、確実に、
受け入れる体制を作ってくれます。

その国の言葉を話すということは、
その国の人たちに受け入れられていく、ということ。


ことだま。


言葉は、やはり、心を司っているのではないでしょうか。


ですから外国人の方であっても、
日本での生活が長くなり、
すっかり日本語を使いこなせるようになっている頃には、

侘び寂びのような日本人の感覚でさえも、
正確に捉える、
立派な日本人になっているのではないかな、

と思います。


言葉は、私たちが考えている以上に、
大きな力を持っているのかもしれませんね。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

今朝はいよいよ、
新居浜別子倫理法人会さんのモーニングセミナー、講師をさせていただく日でした。

テーマは、『描いた未来(夢)を超えるとき』

講師をさせていただくことになったのは、
会長の坪井さんが、

私のFacebookで、6/1のブログ記事を読まれたからでした。
『神様が舞い降りた生涯最高の5月のこと』
という記事です。



このロックバンドおかんの話をしてください、とご連絡をいただいたんです。

あの5/19のお話をしようとすると、
私は3年間を遡る必要があり、

今こうしてブログを毎日更新しているのは、
あの5/19があったからなので、

かなりのお話のボリュームになります。


しかし、倫理法人会さんのモーニングセミナーというのは、
先日見学させていただいていましたが、

当然、時間通りにピシッと始まり、時間通りにピシッと終わります。

とにかく時間厳守だ!と思っていたので、
40分間という与えられた時間の中で、

聞いたことのない出来事の話を知っていただき、
前後関係も分かりやすく伝わるようにと、

パワーポイントの資料を準備して、
16スライド、なんとか40分間時間内に収めることができました。





参加者の方はおよそ70名。
通常のモーニングセミナーとしては、異例の参加者の多さだったそうです。

いちばん後ろまで、座席を出して聴講してくださいました。



しかし、そのほとんどの方が私よりずっと先輩です。

また、今日は、第420回のモーニングセミナーであり、
25年度最後の開催だったとのこと。

大変…恐縮しました…



時間を気にするあまり、早口になってしまいましたが、
なんとか無事やりおおせることができました。

TEAMおかん愛媛のメンバーも、
私に内緒で何人か来てくれていました。

中には今治や四国中央から来られている方も。
有難いです…

こんな早朝からセミナーを受講しようというやる気に溢れた方々の前で、
お話をさせていただくということは、
私自身も本当に元気をいただきます。


また、今回、ご依頼をいただいたおかげで、
自分自身のこの3年間を、冷静に振り返り完結にまとめ、
資料の形にして残すという作業が出来ました。

本当は、1スライド毎に40分喋りたいほど(笑)、
お伝えしたいことは沢山あります。

走り走りのお話で、
うまく皆さんにお伝えすることができたのか、
とても不安ではありますが、

とにかく、初めてこのように、
自分のお話を人前でさせていただくという機会をいただき、
大変自分自身が勉強になりました。


この機会のきっかけとなったのも、
やはり、
5/19の本気のお見舞い。
それを機会に、このブログを始めたのですから。


すべてすべて、繋がっていますね。

本当に今日は、清々しい一日でした。

心から、感謝申し上げます。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

もうじき8月も終わり。夏休みも終わり。

8月は、6日に広島、9日に長崎へ、原爆が投下され、
また、終戦記念日も同じ8月の15日であることから、

とりわけ、夏のこの8月という時期になると、
多くの人が、戦争や平和ということについてよく考える機会となります。

今年は、7月に参院選もあり、憲法改正の議論も活発化していたことから、
なおさら、
「平和とは何だろうか」ということについて、
考えた人も多かったのではないでしょうか。


ある節目を契機に、
そのことについて、よく考える機会を持つことは良いことですが、

平和については、流行りごとではなく、
ずっと、いつも、
心にそのことを基準に置いて生きてゆくほどの思いを、持ちたいところです。


祖国と青年という月刊誌があります。


青年は、
我が人生を我が物として好き勝手に生きればよいというのではなく、

祖国のありようを見据えながら、生き方を紡いでゆこうと、

そのような思想で、昭和45年から発行されています。



今日はひとつ、記事をご紹介します。


……………………………………………


「アメリカの青年達よ。東洋には、すばらしい国がある。それは日本だ。
日本には君達が想像もつかない立派な青年がいる。
ああいう青年がいたら、やがて日本は世界の盟主になるに違いない。奮起しろ!」

硫黄島での戦いの時、
第五艦隊司令長官としてアメリカ海軍を指揮した
レイモンド・A・スプルーアンス海軍大将の言葉です。

彼は戦後、
この言葉を伝えるべく全米各地を公演して回りました。

彼が、このように日本の事を言うようになったのは、次のようなエピソードがあったからです。

1ヶ月近く激戦を繰り広げ、多大な犠牲者を出して、
アメリカ軍が硫黄島を占領したあくる日のことです。

岩山の穴の中から、負傷した日本の陸軍少佐が、降伏のしるしのハンカチをもって出てきた。

彼は
「司令官はいないか。穴の中には、有能な30名の青年達が残っている。
彼らを日本のため世界のために生かしてやりたい。私を殺して彼らを助けてくれ。」
といいました。

少佐を引見したスプルーアンスが
「お前も部下達も助けてやろう」というと、
彼は「サンキュー」といって絶命しました。

その後、アメリカ軍は、
青年達が残っている穴の中に煙草や缶詰を投げ入れたりして、
残された青年達に穴から出てくるよう勧告をしますが、
彼らはそれに応じず抵抗を続けました。

数ヶ月間の抵抗の末、
やがて何名かが餓死し、
最後に残された者たちは手榴弾で自決して果てました。

その爆発がした時に、
スプルーアンス司令官が穴の所に飛んで行くと、
穴の入り口に英語と日本語で書かれた手紙がおかれていました。


「閣下の私達に対する御親切な御厚意、誠に感謝感激に堪えません。
閣下より戴きました煙草も肉の缶詰も皆で有り難く頂戴いたしました。
お勧めによる降伏の儀は、日本武士道の習いとして応ずることができません。
最早(もはや)水もなく食もなければ、十三日午前四時を期して、全員自決して天国に参ります。
終りに貴軍の武運長久を祈って筆を止めます。」

旧日本兵2万2000人が戦死。
今だに1万3000人あまりの遺骨がみつかっていない。

昭和二十年五月十三日
日本陸軍中尉 浅田真二
米軍司令官スプルーアンス大将殿」
(祖国と青年 平成7年6月号)

……………………………………………


このようなことは、あらゆる戦地で起こった悲しい出来事です。

悲し過ぎる過去の現実に、心をいため、
過去の日本人の精神性は誇りに思うのですが、

決して、このようなことを繰り返してはならないと思います。


武士道精神というものは、
日本人の誇りのひとつです。


しかし、武士道というのは、
武士という特権階級にあった人たちの間で生まれた精神性のこと。

もちろん、武士であっても平民と変わらぬ暮らしぶりの人も大勢いましたが、
それでも、武士は武士として、

尊敬され優遇される存在でした。


日頃より、平民より優遇され、尊敬されている存在であれる代わりに、
いざという時には、
身を呈して世のため人のために尽くすという生き方であったのです。

翻って戦争の最中にあった、
亡くなっていかれたこの方たちというのは、

まだ学生の身であったり、十代の少年もいました。

身を呈して国を守る、
そのような武士道精神を強いた戦争は、

あまりにも、あまりにも、酷であったなぁと、思います。


武士道精神を誇りある日本の宝として受け継ぎつつ、
その精神の使いようを、誤ってはいけないと思います。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

この数日の雨で、猛暑はやわらぎ、
とても寝つきやすい夜が続いていますね。

私は真夏、余程暑い夜でも、扇風機。
クーラーを付けて寝るということをしないので、
涼しい夜の喜びは、ひとしおです。


さて、そろそろ夏休みが終わりに近づき、
子供たちは切ない気持ちになっている頃でしょうか。

切ない気持ちに浸る暇もなく、
今は宿題に追われているのかもしれませんね。

夏休みが終わるギリギリにならないと、宿題に手をつけられない…


私もどうやら、そのタイプのよう。


もうずいぶん前に、
8月28の朝、倫理法人会さんのモーニングセミナーで、
講師をさせていただくことが決まっていましたが、

こんなに直前にならないと準備が出来ないとは…

反省!


今夜はその資料をやっと仕上げました。

そして、ちょっぴり予行演習も。

お話のテーマは、
実はこのブログでも、6/1に書いた記事、

本気のお見舞いをしていただいた時のこと、
ロックバンドおかんのこと。


けれど、そこに行き着くまでのお話をしようとすると、
この数年、特に、3年前からの私に遡る必要がありました。

自分史を語るのに、40分間で済ませようというのは至難の技…

資料をつくり、ちょっぴりリハーサルしてみたところ、
私のお話は、規定の時間より10分オーバーでした。

まずい!もっと端的に話さなくては!



ただいま深夜4:00。

28日だと、起きる時間帯です。


しかし本当に今回はありがたい機会をいただきました。


このブログをしっかりやっていく決意をくれたのも、
6/1の記事に書いた、本気のお見舞いが、きっかけでした。



夏休みの宿題をなかなかやらない子供のように、

今回資料の準備はギリギリになってしまいましたが、
原点を見返す機会というのは、本当に有難いものです。


最近わたくしごとブログが増えて、
おサボり気味でごめんなさい。

毎日続けてく中では、
やっぱりそんな日も必要みたいです。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

先ほど仕事を終えて、会社のビルを出たところで、

足元に、蝉がひっくり返ってしまって、
足をバタつかせているのを見つけました。

私の指を差し出すと、
しっかりと掴んで、
くるりと上体を起こしました。

よかった。まだ元気だ。

じぃーっと私の顔を見つめるので、
思わずパシャパシャと写真を撮ってしまいました。


雨に濡れたアスファルトの上で、
高いビルと道路という環境の中で、
生きにくそうな蝉さん。

私の顔を見つめながら、
指の上を行ったり来たりしています。


しばらく戯れていたのですが、やっぱり、
木の幹をしっかりと掴んでいるところを見たくなって、

そっと木の幹に蝉さんをいざなうと、
ほんとうに少しずつ、
一歩一歩確かめるようにして、

木の幹へ足を伸ばして、
ゆっくりと、
体を、私の指から、幹のほうへ移していきました。







ふと気がつけば、
今年は、蝉の鳴き声をあまり沢山聴かなかった気がします。

外に出る機会が少なかったのか…
そうでもありません。


蝉の命は、潜っていた10年に対して、

たった数週間の、

瞬く間のいのち。


可哀想に、と云いながら。

私たち人間のいのちだって、この地球から見れば、
ほんの瞬きにもならないような、瞬間のいのち。


「僕らの声を、聴いてくれたかい?」

と言われたような気がした、今日の蝉さんとの出逢い。



いのち輝かせて生きているかい?



私たちも同じ。

ひとときのいのちを生きる、生かしていただいている、生き物です。



「丁寧に生きてね。」

そう蝉さんに言っていただいたような気がしました。


忙しい毎日、やることが沢山ある毎日、
そんな中、
必ずしも、ゆっくりとしてね、という意味ではなくって。


今あるもの、今ある自然、今いる人、

目の前で起こるすべての奇跡を、

ただまっすぐに見つめる目を持てば、

その奇跡に氣づけたなら、


感謝が溢れて、幸せが満ち満ちてくる。



蝉さん、出逢ってくれて、本当にありがとう。

あなたに逢えなかったら、
この夏あなたの声を聴いてこなかったことに、

氣づきもしなかった。

ありがとう。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

今日は福岡にある、
クロレラ工業株式会社さんの工場見学に行ってきました。

鈴木薬局の健ちゃん発案の今回の旅行だったので、
名目上は(笑)これがメインイベント~!









私も健康食品や美容製品など、
沢山のものを見てきていますし、使ってもきました。

色々な物に出逢ってきて思うことですが、
やはり、
『世間一般的によく知られている物』の中に、

誠実でまともな製品というものが、なかなか無いということ。

実際、流通のたびに添加物を入れることが、
法律で決められている日本においては、
まともな製品がスーパーに並ぶということは、
まず考えられないので、これは仕方のないことかもしれません。

だから、本当のことを知ろうとする姿勢は、
物選びの時も必要だと思っています。

知ったうえで、これは好き、あれは好きじゃないと、
選んでいけたらいいと思います。



そんな中で、今私や家族で愛飲している製品のひとつに、
鈴木薬局さんが取り扱っている、バイオリンクというものがあり、

愛飲者用の企画があったので、皆で旅行がてらやってきたわけなんです。


製造工程がすべて自社で完結していること、
またそれらを、つぶさに愛用者の方に情報提供していくこと、

大切な真理を見つけたら、
愚直なまでにそれを守り抜くこと。


このことは、本当に、すべての形態の会社にとって、
真似したい姿勢だなぁと、とても勉強になりました。


そして~
そのあとは、みんなでうみたまごに行ってめいいっぱいはしゃぎ、

大分名物のとり天やだんご汁、やせうまを食べ、
温泉にもちゃんと入りました~。









たった2日間でも、こんなに充実した旅が出来るんだなぁ~と驚きです。

私はひとりっこなので、
単独行動が基本的に得意。

団体旅行は変に気を遣い過ぎてしまったりして、
心から楽しめることはとても少ないんですが、
今回は何も考えず純粋に楽しめた、本当に充電できた旅でした~。


一緒に行ってくれた皆のおかげです。

幸せだなぁ~。また、行きます!

皆さんもぜひ、
忙しい日々の中の1日や、2日でも、

めいいっぱい遊び楽しむことを、たまにはしてくださいね!


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

2013.08.23

九州旅行

阿蘇山のお膝元より、こんばんは!

みんなで2日間の九州旅行に来ています。

今日は早朝に大分県に着いて、熊本の南阿蘇村に移動。

真っ先に、水の生まれる里、白川水源を目指しました。

名水百選に選ばれたこの場所。

水の生まれる里の名の通り、
ぽこぽこと湧き水が勢いよく湧き出して、
地球の呼吸を感じます。







そのあと、草千里に向かい、馬のユメちゃんに乗りました!

残念ながら霧が深く、阿蘇山もハッキリとは見られませんでしたが、
熊本で乗馬体験ができるとは…



そのあと偶然昼食に立ち寄ったお店が、
本当に美味しくってあたたかくって、

阿蘇の赤うしの焼肉でしたが、
最後の最後にお店のお母さんが、畑で採れた巨大ナスを鉄板に乗せて、

食べなさ~い!っと。

このお店に来るために、また、阿蘇を訪れようと思うほど、
素晴らしくあったかいお店でした。







夕方からは、和太鼓集団TAOのLIVEを愉しみました。


今回の旅行は、友達の鈴木薬局の健ちゃんがお誘いしてくれたもの。

薬局で扱っている、
クロレラ工業のバイオリンクという商品を愛飲しているメンバーで、

クロレラ工業がコラボしているTAOの公演と、

バイオリンクの工場見学、巨峰狩りなど盛り沢山。


和太鼓集団TAOは、今や世界中で大人気のグループですが、

あるときツアー移動中に、エースが交通事故で亡くなってしまい、

その数日後にあった公演を、
クロレラ工業の社員が偶然観たことがきっかけだったそうです。


魂が震えた。


命が輝いている。


事情を知らなかったバイオリンクの社員の方にも、
その感覚はダイレクトに伝わって、共通点を感じたそうです。

彼らは、東日本大震災発生時にも、まっすぐに心を寄り添わせてきました。



今は本当に、
何を仕事としているのかは全く関係はなく、

どんな世界でも、

正直に、まっすぐに、
本当のまこごころで向かう姿勢の人たち同士は、

いま、急速に繋がっていっている。

そんなことをとても感じます。


引き続き明日も!
明日は熊本を出て福岡の工場を見学し、また大分に戻り、フェリーに乗って帰ります。

セミナーや勉強会ではなく、
単純に仲間たちと愉しむ旅行、
本当に久しぶりに、おもいきり楽しんでいます!

今夜はとりとめのないブログですが、このあたりで、
おやすみなさいませ…


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

夏の全国高校野球選手権大会、閉幕しましたね。

文字通りの熱戦の数々、あつい涙…

私は小学生の頃から、高校野球が大好きで、
毎年、夏の甲子園前には、
出場校の情報が載っている雑誌を買ってもらって、

夏休み、毎日ドキドキしながら食い入るように観戦していました。

けれどいまだに、
ルールや用語に詳しいわけではありません。

ただただ、選手の、その真っすぐな表情や、意気込みが、
画面から伝わってきて、

その一生懸命な姿が、とにかくカッコ良くて、
必死で観ていたのです。


ずっと、カッコ良いお兄さん達だ!
という目で観てきたので、

自分自身が同い年の高校生になっても、
甲子園で戦う選手たちが、
同級生にはとても見えませんでしたし、

大学生になっても、社会人になって最初のほうでもまだ、
やはり私にとっては、
高校球児は、とても立派なお兄さんに見えていました。

さすがに今は…ハッキリともう、高校生という年下に見えますが(笑)



今年は第95回目の甲子園でした。

95年間も続いているんです。

凄いです。

戦争があっても、震災があっても、
廃止にならずに続けられてきました。


そして甲子園といえば、
試合終了し、ふたつの高校の明暗が分かれた中で、

勝った高校の校歌が流れ、歓喜に歌う姿の清々しさ。

何とも言えぬ誇らしげな表情で、嬉し涙を流しながら歌います。

素晴らしい姿です。



また、今年、初出場初優勝を果たした、
前橋育英高校の校歌、この歌詞が本当に素晴らしい。



前橋育英高校 校歌 ……………………


日輪は天に輝き 流るるは 利根の動脈 

美わしき 朝日が丘の 学舎に光あふるる

いざ 朋がらよ 若き眉あげ 

真善美 ひたに追わなん 

……………………………………………

日輪の姿を確認しながら、
真善美を追ってゆく。


まさに日本のあるべき姿です。



ところで、『校歌』があるのは、当たりまえだと思われますか?

海外では、
ある学校と無い学校がありますし、

あっても、
校歌を歌う機会はほとんど無いそうです。


私たちは、在学中、行事の度に校歌を歌ってきたので、

卒業から年数が経過しても、
空では憶えていなくとも、

歌い出しワンフレーズを流してくれたなら、
すぐに歌えますよね。


母校!というものへの意識も、強まります。


しかも校歌は必ず、
その『地域の自然』と『心のあり方』について、

歌詞が作られています。

これは本当に素敵な文化です。

すべての学校がそれぞれに、
地域の自然と日本の心を讃える歌をつくる。

ことば豊かな、日本ならでは。



そう考えると、校歌をもっと大事にしたい。

そう考えると、甲子園で負けた高校の校歌も、流してあげたい。


日本人の高い精神性からするならば、本来であれば、

勝った高校は、必ず再び歌える機会がやってくるのだから、

負けてこの場を去る勇者こそ、
校歌を歌う機会を譲るということが、

あっても良さそうだと思うのです。


負けた高校の校歌を、栄誉を讃え皆で聴き、

そのあと勝者が校歌を歌っても、良いのではないだろうか。

と、思うので、


今日の決勝で惜しくも優勝を逃した延岡学園の校歌も、
ご紹介しておきたいと思います。


延岡学園 校歌 …………………………

見上ぐる空に 山青く 
ながるる雲に 夢を呼ぶ 
みどりの風の 吹くところ
ああ清新の 学び舎よ 希望の高し わが母校 

……………………………………………


高校球児の皆さん!

素晴らしい戦いをありがとう!


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

2013.08.21

板の上の美

板の上。

私は、
「舞台」という場所は、観るのも、立つのも、
特別な思いが湧いてきて、とっても好きです。

そこは、情熱の結集。

ひとりひとりが、

一切の妥協を許さず、

じぶんという存在の味を、最大限に発揮して、

内側から輝き放つ、情熱がスパークする場所。


いわゆる、オーラというものを放つ人が立たなければ、
途端に板の上が不自然で滑稽なものになってしまう。


オーラというのは、具体的には、

第3の目を開いたときに放たれるとも云われています。

第3の目というのは、おでこの中央にあります。

こめかみに意識をすると、少し開きの感覚が得られます。


もちろん、それだけでは不十分なわけですが、

意識をシッカリと開くこと、気持ちが据わることには有効です。


ふつうの舞台人はそうして、
意識してオーラをつくっていくわけですが、

美空ひばりさんや、石原裕次郎さんのような、
本当のスターと呼ばれる人たちは、

生まれた時から、オーラを備えていたのでしょう。



ひばりさんからも明らかに、

こめかみの緊張感と、第3の目から光線が出ているような、

そんな印象を受けます。


オーラを放つ、情熱の存在。


現代劇、歌舞伎、大衆演劇、舞踊、ミュージカル、音楽会、講演…

舞台の上で繰り広げられることは、何でも好きです。



明治23年の8月21日は、

警視庁から、
男女の俳優が、同じ舞台に立って興業を行って良いという、

警視総監通達 が出た日なのだそうです。

これにより、川上貞奴らの女優が誕生しました。

123年前のことです。





江戸の世、歌舞伎が始まった頃は、
出雲阿国など、女性が出演していましたが、
風紀紊乱ということで、江戸時代(寛永6年)、
幕府が女性、稚児などの舞台出演を禁止。

舞台演劇はすべて男優となり、

これが、
歌舞伎や、歌舞伎から派生した大衆演劇の世界で、

女形が発達していった理由です。


現在でも、女形は女よりも色香があって美しいと、

舞台の大きな見せどころになっていますね。




昨日のブログでご紹介した、美輪さんのおっしゃるような、

身のこなしの美しさが、
徹底されて、
芸術に発展した代表的な例かもしれません。


しかし、100年と少し前までは、

男女が同じ舞台に立つことも出来なかったのかと考えると、


今のように男女平等などと云われはじめてからの歴史というのは、

本当にまだ浅いものなのだと実感します。


男女差別は、よくありませんが、

男女区別は、私は好きです。


男性の素晴らしさ、女性の素晴らしさ、

陰と陽に、
優劣はないけれど、役割の違いはあり、

そのいずれも必要で、
それぞれがそれぞれの役割を貫きながら、

融合することが、大切ですね。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

ヨイトマケの唄が解禁された今の時代から鑑みて、

「風立ちぬ」や「はだしのゲン」といった作品に、表現が不適切という意見が寄せられていることへの、

私なりの疑問点を昨夜のブログでご紹介しましたが、

今日は美輪明宏さんの別の側面で、

私がとても素敵だと思っていることを、ご紹介したいと思います。

それは、「美意識」のようなものかもしれません。



最近よく聞く言葉で、

「ありのままのあなたでいい」「あなたはあなたのままでいい」というような言葉があります。

とても素敵な言葉です。


自然体で生きること。


私たちも、動物も、植物も、すべて、自然界の中の一部だから。

生かされている命そのままを、
生き生きと生き抜くことが、それだけで素晴らしいこと。

ですがこれを時折、曲解してしまう場合がある、と、
美輪さんはいつも若い人たちにおっしゃいます。

ありのままのあなたでいい、とは言っても、
「これがありのままの私なんだから、このままの私を好きになってちょうだいよ!」
というのは、暴力のようなものだとおっしゃいます。


これは例えて言うなら、

土から引っこ抜いたばかりの大根を、

土を払いのけることもせず、人の前に突き出して、
「ほら!食べろ!食べろ!」
と言っているようなものだ、と。

これは、「ありのまま」違い。


大根の美味しさを損なわぬように、
最低限の質素な味付けをして、素材を最大限生かしながら、

大根そのものと、食べる人に敬意を払いながら、
綺麗に器に盛り付けて、

「どうぞ、召し上がれ」と微笑んで差し出しなさい、とおっしゃいます。


これは、私は、
こういうことなのではないかと思います。


そのようにして人に出して初めて、
その大根そのものの素晴らしさ、つまり、

太陽や雨土の恵みを全身に受けて育った命そのものを、

自分の命を繋ぐために差し出していただいた、

そのことへの、心からの感動と感謝。


そういったものが、
食べる人から自然と湧き起こるような結果を招くこと。

それが、大根を戴くという、本来のあるがままの姿。

本来のあるがままの姿を引き出すためには、

投げやりに何もしないで突き出すことではなく、
思いやりを持って整えることで、
結果として、本来の素晴らしさが、明るみになること。


それこそが、「ありのままのあなた」を大切にするということなのではないでしょうか。


あなたの本当の素晴らしさを発揮するためには、

何もしないのではなく、

思いを込める、思いやりが大切なのでしょう。


江戸時代の商人たちが、
狭い地域に沢山の人が気持ちよく暮らすために、

思いやりに溢れた沢山の工夫を、
あたりまえにやっていたことを、
江戸しぐさをご存知の方は、よくお分かりだと思います。


美容業界の方なら、

顔は自分のためじゃない、
人様にお見せするためのものだから、綺麗にしましょう、

と、よく言われていると思います。


美輪さんは、どのような身のこなしが美しいか、

自分を変えるということではなく、
ほんの少しの気遣いで、

見違えるということを教えてくれました。

美輪さんは例えば、
手先ひとつとっても、

指でいつも、綺麗なお花をつくるようなイメージでいなさい、
とおっしゃいます。

確かに美輪さんはいつでも手先が美しく、視線とのバランスが絶妙です。







美輪さんの知性や、お洒落な会話も然ることながら、
美しい姿にかまけることなく、いかにして美しく居るかの、

佇まいへの努力から、

江戸川乱歩、三島由紀夫をはじめとする、
当時の著名人たちから大変に尊敬され、愛されたのです。


少なからず、私もこの美輪さんの美意識の影響を受けています。

特に女性の身のこなしの美しさを意識するとき、
私の場合は、

和服を着た時の身のこなしを思い浮かべます。


背筋が伸びて、

手の動きは、袖が人様や物の邪魔にならぬよう気を配りながら、

足さばきは、ドタドタとやかましくないすり足。

振り返る時も、着物の襟元を手で軽く抑えるイメージをすると、
すっと首筋が伸びて美しい。



自分はもちろん、人様のために、

失礼のないように、
ありのままを、出来るだけ清潔に整えて、

みんなが気持ちよく暮らせるように心配りした状態。


それらをひっくるめて、ありのまま、と日本人は呼んできました。


ありのままの美しさを、もっともっと、生かしていきたいですね。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

先日の神戸では、晩ごはんにご一緒させていただいた方に、
初対面の方が多かったのですが、その中で、長崎県ご出身の方もおられました。

広島へ度々出向いたり、
長崎の方に出会ったり、

今月も何かと、思いから引き寄せることが多いなぁと感じていました。


日本が平和への舵取りをしていく中で、
大変に重要なこのふたつの都市ですが、

長崎の場合、もうひとつ好きな理由が私の中であります。

私の尊敬する、美輪明宏さんの愛した町だからです。


昨年夏はじめて長崎を訪れましたが、
自由に使える時間のほとんどを、
長崎市の丸山界隈で過ごしました。

長崎ぶらぶら節の舞台にもなった、丸山遊郭のあたり。

かつての日本三大花街であり、
美輪明宏さんの、丸山明宏さんの、
生まれ育った場所であります。


美輪さんは、私に、
・愛とはどういうものか
・美意識とはどういうものか

ということを、腑に落としてくださった方です。

私はこの方のお考えの影響を、多分に受けているような気がします。


美輪さんは、現在、なんと78歳。


花街に育ち、

美しさも汚らわしさも、清濁併せ呑むということが板についていた少年期。

そして戦争を経験し、

異国情緒漂う鮮やかな色彩に溢れた長崎の街が、
一瞬にしてそれ以降、
灰と化し、あたりはどす黒い色ばかりになっていった。


その移り変わりを、克明に見て来られた美輪さんだからこそ、

言葉の重みが違うようにも感じます。


美輪さんの音楽会や、お芝居などの舞台を、何度も観させていただきました。

ヨイトマケの唄は、何度聴いても涙が止まりません。



子供のために工事現場で働く貧しい母親。

その母のことを、学校では、
汚ないと言って馬鹿にされ、子供がいじめられ、

子供も母をみっともないと思っていたけれど、

ある日働く母の姿を見て、
誇らしくなって、

いじめなど物ともせず、誰に恥じることもなく、
立派に胸を張って生きていく子供の姿…


ヨイトマケの唄は、
そんなことを描いた名曲なのですが、

放送禁止用語を含んでいる、との指摘があり、
公共波で流すことは、長年にわたって禁止されてきました。


しかし。
沈黙を破って、今年のNHK紅白歌合戦で、
美輪さん自身も初出演を、

このヨイトマケの唄によって果たされました。

これまで、差別用語を含むから、禁止!とされていた歌が、
国営放送に流れることが許可されたんですね。

私は、とても、とても、嬉しく感じました。



黒ずくめの衣装に黒のカヅラ。

珍しい!と言われた方もいましたが、
美輪さんは、この唄を歌われるときは、必ずそのような格好なのです。


なぜ、この方が、このタイミングで、この唄で、

NHK紅白歌合戦に出演されたのか。


いよいよ。と、私は思いました。


本当のことだけれど、蓋をしてきた事実。


そういったものを、

たとえ知ることが辛いことでも、
心地よいものでなくとも、

本当のことを伝えるということこそ、

今の時代に、必要だ!!!

ということを告げているように、思えてなりませんでした。


事実そのものズバリを突きつけて、皆まで言う野暮ではなく、

歌という『作品』を通すことによって、

正しい時代背景の理解のもとに、

現代の正義とは別のところで、

実在した事実の存在を、

作品という芸術を通すことによって、

より多くの方に、より自由に、何の強制力もなく、

伝えてゆくことができる、粋。


これこそ芸術の素晴らしい点だと、私は思っています。



この、今。

『風立ちぬ』に喫煙シーンがあって、けしからぬとか、

『はだしのゲン』が過激すぎて、けしからぬとか、


当時の時代背景と事実を無視して、

なおかつ作品という芸術に既に変化しているものに対し、

今になって、真っ向から真剣な非難をすることは、

とてもミスマッチに思えてならないのです。





とりわけ芸術作品においては、

白黒ハッキリさせましょうというものでは、そもそも無く、
そこに社会的ジャッジが加わることは、

とても奇妙な現象です。



日本人の文化であり、日本の素敵なところ。

曖昧模糊とした、捉えどころのないものを捉えられる感性。

清濁併せ呑む、調和の感性。


これらも、日本の魅力のひとつだと、私は感じています。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

昨日今日と2日間、神戸に行ってきました。

これまでの思い込みや常識にとらわれず、
日本人の底力を発掘しようとする、
名だたる講師陣のパネルディスカッションを軸に、

世界的パフォーマーのちゃんへん。や、
私の敬愛して止まないSUGA IZANAI の皆さん、
音楽家の岡野弘幹さんの踊りと演奏等を観させていただきました。





大好きで大尊敬する、魂の繋がりを感じる方々です。



客席からステージを観させていただきながら、再認識したことは、


魂の叫びに、私の心は震える。


ということ。

それが、ジャグリングであろうと、踊りであろうと、演奏であろうと、喋りであろうと。

ともかく、
この人の魂が今、叫んでいる!

と感じられる人に、私は共鳴共感します。

そういった方々が、どんな風に魅力的なのか。

まるで失敗を恐れるということを知らず、
すべてを信頼しきって解放している姿、その潔い美しさ。

私がこれまで、
心に響いてその後影響を受けたり、
この人を応援したい!と心から思える人というのは、

いつでもその美しさを備えている人たちでした。


この2日間、
そういった素晴らしい輝きを放った人を観させていただいた気がします。

講師陣もこぞって言っていました。

とにかく取っ払え!手放せ!

溜めこんだ物を、溜めこんだ知識を、
過去のデータから頭で弾き出す計算を。

自分をそこから解放すること。

予測を上回る結果は、すべてそこから始まると。

まさに、 Don't think. Feel! の奥深さです。


一流パフォーマーの方々の姿の中には、いつもそういった感動がありますが、
講師の方の中で、今回、私にとって初見で、
一気にファンになってしまったのが、

岡山県吉備高原で、百姓屋敷わら・wara倶楽無を経営されている『船越康弘』さん。



船越さんは20歳のころ、
食養を、マクロビオティックを世界に広めた桜沢如一氏の思想に出会い、

食養料理の大家、小川法慶氏のもとで修行されました。

今では、
『重ね煮とは鍋の中で小宇宙をつくること。重ね煮でグラウンディング(地に足がつく)も出来る』
などの理論で有名な方。

食を通して命を輝かせることのスペシャリストでありながら、

健康法は?と聴かれると、
「そんな方法論はクソ喰らえですよ!健康なんてどうだっていいんですよ!」
という強烈な返しから始まるユニークな方(笑)

しかしこの方の命は、どう見たって、
自分の魂に正直に生きていて、眩しい程に輝いています。

健康でいるために、こんな健康法 を実践しましょう、健康健康健康…


私も、〈何のために?〉がそこに無いとき、違和感を憶えます。

健康は、
人のお役に立ち役割を果たし、幸せな人生を送るための『手段』であり、『目的』では無かったはずです。

職業も、手にする物も、すべてにおいて手段です。

本来、人のお役に立ちお役目を果たす幸せな人生を送るための、手段なのです。


その手段を、目的と取り違えて苦しんでいる人が多い。


そういう意味で、大事なのは、健康という、部分ではない、
ということを、船越さんはおっしゃったのでしょう。

あれも摂らなくては、これも摂らなくては、
ビタミンもミネラルも繊維も、それからそれから…

私たちは、取り込むことばかりに夢中になるけれど、
本当に必要なのは、水・塩・玄米。これだけ。

国家神道に伝わるこれらの物だけだ、と船越さんは語っていました。

この基本がちゃんとしていれば、
私たちの身体は、必要な物は自分で作れる仕組みを持っているのだと。

日本の伝統食にかなう適食は、どこにも無いということを、
栄養学も150年かけてやっと今その原点に還ってきたといいます。


宇宙に魂として浮かんでいた時は、
病気や空腹、老いも苦しみも何も無い。とても自由な空間。

それを、私たちはわざわざ、
制限というものを選んで生まれてきた。

やがては老い、苦しむ、不自由な身体という物に宿って、
その苦しみと共に学んでゆくことを選んだ。

だから制限の中に喜びと可能性を見出せる存在だということ。


食材とも一期一会。

一生に一度しか、出会えることのない、目の前のタマネギに、
心底から愛と祈りを込めること。

水・太陽・空気という、
無条件の愛が詰め込まれて育まれたこのタマネギの力を、

心の底から信頼し、感謝で向かったとき、
その食材は命をかけて私たちの体のためになってくれる。


食とはそういうものであり、
食とはそもそもが命であり、
命とはそもそもそういうものだということ。


食べるということは、その命を理解したいという、愛。


全力で感謝されたなら、よし、この人の為に人肌脱いでやろうか、
となるのが、命あるものの応え方であるはずです。

天地のお恵みと、これをつくられた方のご愛念に感謝し、
この食べ物が私たちの身体に入り、
自他共にお役に立てるように…と祈ります。

大切なことは日常の中にある。
おはようからおやすみの中に、大切なことはすべてある。


生きてるということは、
お天道様と繋がってるということ…

こんなお話を、熱く熱くなさっていました。



そしてやはり、感じました。

いかに私たちが、既に愛され、幸せに満ち満ちた存在であるか。


それに、ただ、氣づくだけでいいのです。

他に何も難しいことはありません。

ただ、氣づくこと。

愛されているという幸せを、受け取ること…

私にとって、
これをお伝えする手段が、『名前のことだま』なのですが、


単なる健康法とか、単なる調理法とか、
で、ない、
船越さんの沢山の理論を、私も学んでみたいな、と思いました。

きっと、日本人であることの新たな側面からの喜びを、感じられるはずです。

素晴らしい出逢いに、感謝。


今回船越さんと直接お話することは出来ませんでしたが、
船越さんの理論でお料理が作られているという、
ワクワク本舗さんには昨夜行かせていただき、
美味しく食事をいただいてまいりました。



美味しいお料理、ご馳走さまでした!


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

おはようございます!

突然ですが、
皆さんには愛する人、愛するものがありますか?

ひとりやふたり、ひとつやふたつ?

私には、沢山たくさんあります。


山川海という自然、木々、花々、寺社、日本庭園などの美しい建築物、








石、ガラス、ランプ、骨董品、美しい物、




志ある人たち、神様、師、家族、友人、動物たち、






思わず私を笑顔にしてくれる、愛するものの存在。



ただし人や動物などの生き物との繋がりは、笑顔だけではありません。

出逢いと別れを繰り返し、
時に大きな痛みや苦しみを伴います。

しかし愛したという事実は、
いつまでも、ずっと、胸に残ります。


愛するということは。



あなたが、
あなたを強く深く傷つける何かに出遭い、

あなたが万が一の時を迎えようとしているなら、

私のすべてを投げ打っても、あなたのことを助けます!


ということ。


自分の中で、

だから、
何かあったら、変な気を起こす前に必ず言ってよ!
と、強く願える人のいることというのが、

幸せということなのかもしれない、と思います。


そうであるなら、私は、幸せで幸せで仕方ありません。


誰しもが持つ、大切な存在。
それは例え過去のものであっても。


大切な存在、愛おしい存在がある、

人生を先に進める程に、

大切で愛おしい存在は段々と、増えてゆく。


人生の中で、愛するものの存在が多ければ多い程、
幸せを感じる瞬間は多く、

すべてのものが、芳醇に見えてくる。

そのことこそが、幸せなんだと思います。


昨日ご紹介した、特攻隊として散っていった英霊の方々も、
本当は、とても、お幸せであった、ふつうの人たちです。

人生にまだまだ先があったなら、
まだまだ愛するものは、幸せは、

増えていったはずの人たちです。




さて!
今日明日は、久しぶりに関西に行ってきます。

おかんの大阪城ホールライブが終わって以来です。
これが終われば、関西に来ることはもうめっきり少なくなるだろうな、
と予感していました。

それは、
彼らを応援してきた自分が、

今度は、
自分自身のやるべきことをもう見つけていたから、

もうあまりウロウロと学び廻ったり遊び廻ったりすることは少なくなる、という思いでしたが、

大阪城ホールから帰ったその日に、母の病気が発覚したので、
尚更、遠方に行くことは少なくなると思っていました。


2日間、神戸で沢山の素敵な方々から、多くを学んできます。
なんとイベント名は『アホの岩戸開き』



時代を切り拓いていくためには、今まで通り、常識通り、では無理です。
アホになって突っ走ることが必要です。


天照大御神が、
周囲の笑い声や歌声、踊る楽しそうな様子に、
隠れていた岩戸から顔をだし、世が明るく照らされ、夜が明け新たな時代が到来した時のように。

私たち1人ひとりが扉を開けていく時です。


いいえ、
本当は、
今年に入ってから、既に岩戸は開かれているように思います。

気づいている方もいらっしゃいますね。

そのことに、もっともっと気づけるように、皆でお祭りをやりましょう。


講演者のほとんどは既に存じ上げており、親しくさせて戴いている方もいらっしゃいます。
初めてお話を聴かせていただく方もいらっしゃいます。

どなたも、
これからの日本を、これからの世界を、希望いっぱいにしたいと本気で願い、動いている方ばかりです。

2日間で沢山の方々のエネルギーを受け、また、私自身も更に動けるように、行ってまいります!


愛するものがあることの幸せを、噛みしめながら、
愛するものを守り、育むことのできる自分になれるように。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

昨日の終戦記念日、玉音放送の全文を掲載させていただきました。

私はブログ記事を更新すると、
必ずFacebookにも記事を掲載しているのですが、
沢山の方がそこで記事をシェアしてくださったり、コメントをくださったりと反響があり、大変嬉しく思いました。

中でもコメントの中で話題になったことは、
零式艦上戦闘機(通称・ゼロ戦)について。

特攻隊は、片道燃料しか積んでおらず、
帰って来ないものとして出撃していったと伝えられている向きが強いですが、

本当は、
帰ってくるだけの燃料は積んでいたのでは?というお話。



(写真:映画「風立ちぬ」より)


片道燃料しか積んでいなければ、
敵艦のところへ辿りついた時には燃料空っぽ。

出撃したところで、鉄の塊がカツン!というだけ。

敵に大きな打撃を与えることもできず、自分だけが命を落とすことになります。

大きな打撃を与えるためには、
多くの燃料でもって、爆破の威力を保たなければ、意味がありません。

アメリカに対しても、
片道燃料で来ていると思わせておいたほうが好都合でしょう。
それでは大した脅威ではないと、油断をさせるからです。

ところが実際は、ボカンボカンと大爆発を起こした。

これは、しっかりと燃料が積まれてあったことに他ならないのです。

ブログのコメントのやりとりを読んでくださっていた航空関係者の方も教えてくださいました。
そもそも飛んで行っても、悪天候により目標達成できず戻ることだってある。
そんな場合でも戻って来られないような、片道燃料にするなどということは考えられないと。


特攻隊の方々は、本当は知っていたのですね。

帰ろうと思えば、逃げようと思えば、逃げるだけの燃料はあったことを。

それでも迷わず、敵艦めがけて大爆破を起こすことを念願し、飛んで行った…。

今にも残る、
出撃前の、母や妻、子供にあてた、特攻隊の方々の手記。

その多くは、
お国のためとは言いつつも、本当は何よりも、

ただただお母さんを守りたかった、
家族を守りたかった、
そして自らの志を誇りに、

喜んで死ににいくという強い思いの表れと、畏れと…。






聖戦など無いと、書いてくださった方もいました。

そうなのです。


私たち日本人は、昭和天皇の玉音放送にもある通り、

戦争を肯定するつもりなど毛頭なく、
本来は、

全世界の方々が穏やかで幸せでいられるよう、
神国日本としての責務を果たしたいという志。


戦争で大切な欠けがえのない命を犠牲にし、
家族や日本国民や、未来の子供たち(私たち)を守ろうとした方々に、

ただただ尊敬と感謝の気持ちを表し、申し上げることは、
人間として当然のことです。


英霊の方々が守り抜こうしてくださったのは、誰か、ではない。

私であり、あなたです。


このことがわかったなら、
各地の護国神社を、靖国神社を参拝することは、
私たちにとって、
父母や祖父母の御霊をお参りする、お墓参りと大きく変わることではありません。



お盆にご先祖様をお迎えし、昨日今日と、色々な形でまたお見送りするわけですが、
この感覚と、なんら大きく変わるものではありません。


『靖国神社参拝問題』と、諸外国から問題視されることを、

外交問題だと位置づけては、

いつまで経ってもわかり合うことがありません。


これは、「神様観の違い」だと、私は思っています。


神社は神様がお祀りされているところ。神様のお家。


多くの外国の方にとって、

神様というものは、神格化、というように、完全無欠、唯一無二、絶対神、創造主…。

つまり、すべてが正しいという見方です。


しかし私たち日本人にとって、

神様といえば、八百万の神様、すべてが神様、祖神様、
ご先祖様、私たちの父母や祖父母も、亡くなれば神様のような存在として、ただただ手を合わせる。

つまり、正しいことをした人かそうでないのかに関わらず、
その御霊そのものに手を合わせるという思い。


神様観が違うだけなのです。

これは、私たちにとって、お墓参りなんです。


それが分かって戴けたなら、外国の方も、お怒りになることはないでしょう。

親を思い、ご先祖様を思う気持ちは、万国共通ですから。


もう、無益な争いはやめて、

世界中の人たちが皆、穏やかに幸せに暮らせることに焦点をあてましょう。


全世界が幸せなんて、平和なんて、幻想だと言うなかれ。

本当は、自分や誰かだけが良い状態などということのほうが、
本当は、起こりえない幻想だと気づきましょう。


調和を誰よりも得意とする日本人。

今こそ、自分の役割を思い出しましょう。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

68年前の今日、8月15日正午。

全日本国民が固唾を呑んで『玉音放送』に耳を傾けました。

昭和天皇は前日の14日、ポツダム宣言を受諾し、
その報告として15日、録音していた昭和天皇の終戦の勅書が、

ラジオを通して予定通り国民の耳に入ることになりました。
ここに至る経緯も、壮絶だったのです。




ご存知ない方は是非、この夏ロードショーされている映画『終戦のエンペラー』をご覧ください。




やっとの思いで放送にこぎつけた、昭和天皇のお言葉。(玉音)

私たち若い世代は、「堪え難きを、堪え、忍び難きを、忍び…」というフレーズしか聴いたことがありません。

しかし全文を読めば、
重要なところはそこではないことに気づきます。

今日は、昭和天皇の決断のお言葉の全文と、現代訳を掲載したいと思います。
下記に、原文と現代訳を、区切りながら交互に記載します。







・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【原】朕 深く世界の大勢と、帝國の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、
   茲(ここ)に忠良なる爾(なんぢ)臣民に告く

【現】私は、世界情勢と日本の現状をよく考慮した結果、非常の措置によってこの事態を収拾したい。
   いつも忠実で善良な日本臣民の皆さんに、今から私の決断を伝えます。


【原】朕は帝國政府をして米英支蘇四國に対し、其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり

【現】私は日本政府に、米・英・中、ソビエト連邦の4カ国に、日本が(ポツダム)共同宣言を受け入れると伝えるよう指示しました。


【原】抑々帝國臣民の康寧を図り、万邦共榮の楽を偕にするは、
皇祖皇宗の遺範にして、朕の拳々(けんけん)措(お)かさる所

【現】そもそも私たち日本国民が穏やかで安心な暮らしができ、世界全体と繁栄の喜びを共有することは、
   歴代の天皇が代々受け継いで守ってきた教えであり、私自身もその教えを非常に大事なことと考えてきました。


【原】曩(さき)に米英二國に宣戰せる所以も亦、実に帝國の自存と東亞の安定とを庶幾するに出て、
   他國の主權を排し、領土を侵すか如きは、固(もと)より朕か志にあらす

【現】最初に米英2カ国に宣戦布告した理由も、日本の自立とアジアの安定を願う気持ちからであり、
   他国の主権を侵したり、領土を侵したりすることは、そもそも私の志すものではありません。


【原】然るに交戰已に四歳を閲し、朕か陸海將兵の勇戰朕か百僚有司の励精朕か、
   一億衆庶の奉公各々、最善を尽せるに拘らす戰局必すしも好轉せす、世界の大勢亦我に利あらす

【現】しかしながら戦争はすでに4年も続いており、我らが陸海軍人たちの勇敢な戦いぶりや、行政府の役人らの一心不乱の働きぶり、
   そして1億人の庶民の奉公、それぞれが最善を尽くしたにも関わらず、戦況は必ずしも好転せず、世界情勢を見るに、日本に有利とはとても言えない状況です。


【原】加之敵は新に残虐なる爆彈を使用して頻(しきり)に無辜を殺傷し、惨害の及ふ所眞に測るへからさるに至る
   而(しか)も尚交戰を継続せむか、終に我か民族の滅亡を招來するのみならす、延て人類の文明をも破却すへし

【現】その上、敵は残虐な新型爆弾を使用して多くの罪のない者たちを殺傷し、その被害の及ぶ範囲は、測ることもできないほどに広がっています。
   もしもこれ以上戦争を続ければ、最後には我が日本民族の滅亡を招き、そればかりか、ひいては人類の文明すべてを破壊してしまいます。


【原】斯の如くは朕何を以てか億兆の赤子を保し、皇祖皇宗の神霊に謝せむや
   是れ朕か帝國政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり

【現】そのようなことになれば、私はどのようにして1億人の民を守り、歴代天皇の霊に顔向けすることができようか。
   これが、私が政府担当者に対し、共同宣言に応じよと指示した理由です。


【原】朕は帝國と共に終始東亞の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せさるを得す、
   帝國臣民にして戰陣に死し職域に殉し非命に斃れたる者、及其の遺族に想を致せは五内爲に裂く
   且戰傷を負ひ災禍を蒙り、家業を失ひたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念(しんねん)する所なり

【現】私は、アジアを(西欧列強から)開放するために日本に協力してくれた友好国に対し、大変申し訳なく思います。
   また、日本国民で、戦地で命を失った者、 職場で命を落とし、天命を全うできなかった者、そしてその遺族のことを考えると、 心も体も引き裂かれる思いです。
   そして、戦争で傷つき、戦災被害にあって家や仕事を失った者たちの暮らしについては、非常に心配をしているところです。


【原】惟ふに今後帝國の受くへき苦難は、固より尋常にあらず、爾臣民の衷情も、朕善く之を知る
   然れとも朕は、時運の趨く所、堪へ難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ、以て万世の爲に太平を開かむと欲す

【現】今後、日本が受けるであろう苦難は言うまでもなく尋常なものではないでしょう。臣民皆の悔しい思いも、よくよく分かっています。
   けれども私は、時代の運命の導きにそって、堪え難きを耐え、忍び難きを忍び、これからもずっと続いていく未来のために、平和への扉を開きたい。


【原】朕は茲に國體を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し、常に爾臣民と共に在り

【現】私はこうして日本の国体を守ることができたのだから、忠心高く善良な臣民の真心を信頼し、いつでもあなたがた臣民と共にあります。


【原】若し夫れ情の激する所濫に事端を滋(しげ)くし、或は同胞排擠(はいせい)互に時局を亂り、
   爲に大道を誤り信義を世界に失ふか如きは朕最も之を戒む

【現】感情の激するがままに事件を起こしたり、もしくは仲間同士が争って世の中を乱したり、
   そのために道を誤って、世界からの信頼を失うようなことは、最も戒めたいことです。


【原】宜しく挙國一家子孫相傳へ確く、神州の不滅を信し、任重くして道遠きを念(おも)ひ、
   総力を將來の建設に傾け、道義を篤くし志操を鞏(かた)くし、
   誓て國體の精華を発揚し、世界の進運に後れさらむことを期すへし
   爾臣民其れ克く朕か意を體せよ

【現】何とか国全体が1つとなり、子孫にまでこの思いを伝え、神国日本の不滅を信じ、任務はとても重く、行く道は非常に遠いことを覚悟して、
   将来の建設に向けて総力を結集し、道義を守り、志と規律を強く持って、
   日本の力を最大に発揮することを誓い、世界の先進国に遅れをとらずに進むのだという決意を持とうではありませんか。
   私の臣民たちよ、ぜひともこの私の意思をよくよく理解してもらいたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


私たち日本人の志す道は、


全世界と喜びを分かち合い、穏やかな暮らしを送ること。

そのための、
神の国日本の責務は非常に重要であることを認識し、
日本の力を最大限に発揮すること。


昭和天皇の仰る通りです。
やはり、このことに尽きるのだと私は思っています。

兵士230万人、市民80万人の合計310万人の尊い命の犠牲の上に、
周囲の方の悔恨の念の上に、

私たちはそれでもなお、気づかぬフリができるでしょうか。


私たちのゆく道が、
先の志と、道を踏みはずしてはいないだろうか。

いつも、そのことを基軸に置いて、一歩を踏み出したいと思います。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

昨日は、《私が子供だったころ》という詩をご紹介しました。

私自身の子供時代と、
詩人・財部鳥子さんの子供時代の違いを感じました。


今日は、この同じ敗戦の頃、女ざかりであった、
ひとりの女性の詩をご紹介したいと思います。


8月14日。
日本がポツダム宣言を受諾した日。

この当時19歳だった彼女。

この方の詩を読んだとき、

私もこの時代に生まれていたならば、
この方のような感性を持ったに違いない、と感じました。


茨木のり子さん。




後に、のり子さんの代表的な詩をみっつ、ご紹介いたします。


・わたしが一番きれいだったとき(19歳)

・自分の感受性くらい(51歳の作品)

・倚りかからず(73歳の作品)


敗戦時19歳。
24歳で結婚し、谷川俊太郎らと同人誌を発行。
49歳のとき夫が先立っています。

そして今から7年前のこと。

自宅で脳動脈瘤破裂によって急逝した彼女を、訪ねてきた親戚が発見。

そこには遺書が用意されていました。

「私の意志で、葬儀・お別れ会は何もいたしません。この家も当分の間、無人となりますゆえ、弔慰の品はお花を含め、一切お送り下さいませんように。返送の無礼を重ねるだけと存じますので。“あの人も逝ったか”と一瞬、たったの一瞬思い出して下さればそれで十分でございます。」

享年79歳。


……………………………………………

わたしが一番きれいだったとき 


わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね


……………………………………………

自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ


……………………………………………

倚(よ)りかからず 


もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない

ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい

じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ


……………………………………………


明日は、終戦記念日です。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

私が子供だったころ。

ひとりっこの私は気ままに両親に甘え、
大切に大切に育ててもらいました。

決して裕福ではないけれど、

愛情を沢山に浴びて、
ただ幸せに満ちた子どもでした。

32歳になった今も、そんな風に振り返ります。








同じ32歳のとき、

『私が子供だったころ』

という詩集を出した方がおられます。




いつも見る死
―避難民として死んだ小さい妹に 
                           財部 鳥子     
いもうとは空色の服をきて
草むらに見えかくれ

いもうとは顔のような牡丹の花をもって
あぁ橋のしたを落ちていく

そのとおい深い谷川の底で
わたしは目ざめている

いもうとを抱きとるために目ざめている

あおい傷が
わたしの腕をはしる

はしる野火にまかれて
わたしもいもうともそこにいない

パオミイの林のなかの
大きな泣き声は わたしではない

わたしは目ざめて
気づく
夢の巨きなおとがいに
いもうとを捨てたことを

もう戻れない
戻れない

でもはしれ はしれ

はしるたびに 傷は大きくなりながら

牡丹の色に裂けて

わたしは死ぬ いくども死ぬ

死ぬあとから

いもうとは 鳥の巣のある草むらにまぎれこんだ

いもうとは タワン河(ホー)のきいろい水勢にのまれてしまった

そしてわたしは不意に目ざめる

戻れない 泣き声ののこる夢のあわいで

わたしは銃声を一発 ききたくない




財部鳥子(たからべとりこ)さんは、中国(旧満州)で育ち、
日本の降伏後1年余、中国で避難民として生活するなか、父と妹を亡くします。

この詩は、
財部鳥子32歳の時初めて出した詩集、「わたしが子供だったころ」です。

まだこどもだった「わたし」と、避難生活で死んだ3歳の「いもうと」。

この詩の中の「わたし」は、
こどもの時の「わたし」であり、
大人になった「わたし」でもあります。

彼女の記憶のなかに、
大陸でいもうとを見失ったその時が、

子供の時も、32歳になったこの時も、
変わらず描かれ続けていたのですね。



鳥子さんと同じ、32歳の女性になった今。

彼女の子供だったころの記憶との違いを、尚更に感じる夏です。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

いよいよ明日からお盆ですね。

13日の夕方に、先祖の霊を迎えて供養し、
15日の夕方や、16日にお送りする行事。

お盆は、正式には、
『盂蘭盆会(うらぼんえ)』や『精霊会(しょうりょうえ)』と言います。

精霊は、
亡くなった人が、子孫らの供養によって清められ、
祖先一般としての、集団霊、祖霊となったもの。

亡くなった人が、神様になるための儀式かもしれません。


あの世で苦しんでいる死者を供養して救いましょう、と考える仏教と、

日本古来の先祖を敬う、祖霊祭が、
ひとつになって、
今のお盆という形になっています。


13日の夕方には、
帰ってきてくれる精霊が迷わないよう、
家の前で『迎え火』を焚きます。

素焼きの鍋に、
麻の茎や、松の根、檜の根、
などを入れて焚くのが、ごく一般的。

お墓で焚いたり、道端でたいたり、共同で迎え火をするところもあるようです。



初日の明日は特に、
新盆、初盆といって、

まだあの世に行って間もない方々、
新精霊、新仏などには、

この世への未練や荒々しさなどがあります。

特別手厚くお迎えし、じゅうぶんに供養して差し上げましょう。


明日からの4日間はいつも、

私たちのご先祖様と共に、ありますね。
幸せです。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

2013.08.11

盆の踊り

秋祭りはどこにも負けない!
と自負してしまう、
私の地元、愛媛県・新居浜太鼓祭りや、西条祭り。

だけど夏の祭りは違います。

徳島の阿波踊りに、高知のよさこい祭り。





地元で過ごすのでなく、
どこかへ見物に出られるのなら、

この夏の四国二大祭りは必見です。


これらは今の、お盆の時期のお祭りです。

ですから、
元をたどれば、盆踊り。

徳島の阿波踊りや、岐阜の郡上踊りなどが、
全国的にも有名です。


そもそも盆踊りというものは、
鎌倉時代、

時宗の開祖、一遍上人が広めた、
南無阿弥陀仏を唱えながら踊る『念仏踊り』が起源とされています。

そして、
室町時代から江戸時代にかけて、
庶民の間で流行していた踊りを取り入れ、

お盆の先祖供養として踊ってきたのですね。


お祭りは、ただ楽しむだけのもの。

そういう感覚の方が増えてきているようです。

もちろん、やっている人間同士が、
楽しくなくてはならない。

ただ楽しんで。

神様やご先祖さまを思うなら、

愉しく騒ぐことも、 祭りごとのひとつです。


天照大御神さまが、
岩戸へお隠れになったものを、

出てきてくださるようになった、
歌や踊りが、

更に起源となる、楽しい、祭りごとの始まりですものね。


さぁ、
熱い阿波踊り、よさこい、またまだ今日も、続きます。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

こんばんは。

昨日は、先月に引き続き、また広島へ行っていました。

長崎への原爆投下の日。

広島で手を合わさせていただきました。

私にとって、広島は、
平和記念公園は、

お墓参りのような感覚で、立ち寄る場所です。

私たちのご先祖さまが眠る場所。
思いが強く残っている場所。











『靖国で会おう!』
と言い合って、散って行った御霊を思うと、

靖国神社参拝とて、
私たちのご先祖さまの思いが強く残っている場所です。

その時本当は何があったか、例え知らなくとも、
その場所へ出向き、とにかく手を合わせたいという気持ちは、

私たちにとって、ご先祖さまのお墓参りです。


外国の方とは、『神様観』が違うので、
どうしてもご理解いただけないことがあるのかもしれません。



そのあとイヤーコーニングといって、
布を蝋で筒状にしたものを利用し、

耳下腺に煙を入れて、悪いものを螺旋状に煙で取り出し、
排出するという施術を受けました~!



パチパチ、しゅわしゅわ、
火の燃える音を、直接聴いて、

太古の昔を思い出すような、不思議な感覚で、
すぐに眠りへ誘われてしまいました。



スッキリサッパリして、
夜は山崎拓巳さんのセミナーを受けました。

意識がとてもクリアーになったからか、
お話がグングン入ってきて、一層面白かったです!!

今と未来を愉しむ気持ちを呼び起こしてくれます。




私たちは、
過去の記憶を、完全に消し去ることではなく、

戒めのために、刻むことをします。

しかしそれは、他者に対してではありません。

自らに対してです。


【安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから。】


自己反省です。

すべては自らの問題として、戒めを刻む。

他者の行いは、水に流す。


そうして、今を生きる。


日本人の心の持ちようは、
そうであったのではないでしょうか。


自らを戒め、
しかし暗くうつむくのではなく、

今を生き、明るい未来を見つめて歩みを進める。

視界と反対方向に足を前に出して歩く人は居ないように、

必ず人は、見ている方向へと、向かってゆくから。



私も日本語を使う日本人として、

自らを戒め、明るく未来を描き歩む、

そう在りたいと、思います。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

おはようございます!
今日はわたくしごとブログです。


昨夜は元フジテレビアナウンサーの長谷川豊さんの講演会。
司会という形でお手伝いさせていただきました。

その現場。

に居た方が、実際を、語る。

言ってしまえばただそれだけのこと。

しかしそれが、
こんなにも人が聴いて衝撃を受けるものなのだ、ということ。

そのこと自体に私たちは衝撃を受けるべきではないだろうか、

私たちは、見る目というものを、
失い過ぎてはいないだろうか…

そんなことを、考えました。

緊張しながらも、愉しく司会をやらせていただきました!








さて、今日は、
広島での名前のことだまセッションから一ヶ月も経たないうちに、
再び広島の、しかも美香さんのおうちをまた、
訪れることになりました。

美香さんが、今度は、
イヤーコーニングをしてくださる方をお招きし、
セッションができるように企画されたのです。

何やら、からだの老廃物がとれるだけでなく、
宇宙との繋がりを感じられたりするのだとか…?!

楽しみです…


わずか3日前、この地には国内外から沢山の方が来られましたね。

今年の広島市長の平和宣言も素晴らしかった。
逃げも隠れもせず直球。

それに対する首相の挨拶は…少し残念なように個人的には感じました。


今日は長崎へ。

原爆が投下された午前11時2分に、
平和を誓う祈りを捧げましょう。


私は長崎には行けませんでしたが、
広島より、祈りを捧げたいと思います。



そしてそして、夕方からは、山崎拓巳さんとお会いします。

拓巳さんと仲良くなったきっかけも、
ロックバンドおかんでした。

そうそう、おかんと言えば、
昨夜公式に発表しましたが、

台湾最大の音楽フェス(2日間で10万人動員!)に、
ロックバンドおかん、
50分間もメインステージで、やれることが決まりました!



4月には、大阪城ホール単独7千人という奇跡を無事に起こし、
と思えば、そのすぐ翌日にアジアツアーに出たメンバー。

5月には、本気のお見舞いといって、
私の自宅にまでわざわざ来てくれたあの子たち。

9月には、台湾で数万人の方の前でステージに立たせてもらえる。


本気の使命感でやっているから。


彼らにあるのは、
音楽的センスやスキルというよりも、

本気の使命感。


どうやら、彼らは本気で、
大中華と日本の架け橋になろうとしているようです。


そうそう、話が逸れてしまいました。

私がおかんのことを必死でバックアップしていた時、
Twitterで私のつぶやきに、

俺もおかん好き!と、
拓巳さんがコメントしてくださったことがきっかけ。


あれ?この人確か有名な人では?
というくらいでした(笑)


以来、中四国方面にいらっしゃる時は情報をくださり、
お会いさせていただくことがあります。


拓巳さんの好きなところは、
成功者であるというところではなく、

その軽やかさ。

どんなに親しい人にも、驚くほど親切で優しく、軽やか。


私も、仕事上でもプライベートでも、本当に多くの方と接してきましたが、

こんなに自らの感性が自由で、
スピーディーなのに、
人に優しく、丁寧である。

とても素敵な方だと思っています。


すべての出来事と出会いは、すべてすべて、繋がっている。

隣の人とも、遠くの人とも、
ほんとうは皆、繋がっている。


利害ではなくって、
心で、
人間繋がっていきたいものですね~。


それでは、広島へ!
行ってまいります!


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

今朝は、父とふたりで、お墓の掃除に行ってきました。

父方のご先祖さまのお墓は山奥にあり、
体調が悪かったり、年を重ねた方にとっては、
辿り着くのも本当に大変な場所です。

頻繁に行けるところではないので、年に何回か、
周囲の草刈りから始まる大掃除をしに行きます。

この時期も、必ずお盆の前に行って、綺麗な状態で、
お盆を迎えるようにしています。

しかしこの時期は、暑さと蚊との闘いで、
キンチョールを2本持って挑むのです(笑)


ビフォー!


アフター!


自分の家の墓石をピカピカに磨くのは、やはり気持ちがいいものです。

ところが私は、
特別に、お墓が大切だと考えているかと言えば、そうとも限らず、
最近よく言う、

死んだら生前好きだった場所に、骨を撒いてほしいという、
個人の方の希望があったりするならば、
それもひとつだと思っています。


お墓はどちらかと言えば、
生きている私たちの為にあるような気がします。

ご先祖さまに対して、
きちんと手を合わせ、心を合わせる、

子どもたちに対して、
ご先祖さまが居てくださったから今があることを伝える、

そのためのとても分かりやすい手段として、
私たちの為になるものなのかもしれません。

生きている私たちのために必要で、
これまで受け継がれてきたというのが、
ある種の真実かもしれません。



さて、今夜は、
元フジテレビアナウンサーの長谷川豊さんが新居浜にいらっしゃいます。



高知の仲間が、高知で長谷川さんの講演を聴いて、
とても面白かったから愛媛でもぜひ、とのことで、

愛媛のメンバーが僅かな準備期間でしたが開催をすることになり。


おかん感謝祭ではずいぶんと力になってくれた仲間のやることですから、
私も微力ながら、
お手伝いできることを、やらせていただくつもりです。


私もいつも、

これは、誰のための事実?真実?

と問いながら、

情報にあたっています。


長谷川豊さんとはもちろん初対面。

報道の最前線に居ながら感じていたこと、
事実と真実とは違うこと、
などを語ってくださるのではないでしょうか。
楽しみです。


では!打ち合わせに行ってきまーす!



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

8月7日。は・な。花の日。


私のばあちゃんは、お花がとっても好きでした。

小学生の頃から社会人3年目になるまで、
ずっと、ばあちゃんと一緒に暮らせた私は、幸せです。

ケンカもしながら、仲良く、ばあちゃんと色んなことをしました。

よく一緒にやったのはパズル作り。
おかげで家では、季節ごとに沢山のパズル絵を掛け替えても、
知り合いの方にお譲りしても、まだ在庫が眠っているほど。

パズルも、お花の絵が多かったですね。

家には、ばあちゃんと一緒につくった、
思い出の物が沢山あります。


名前のことだまセッションで、私の家を音連れてくださった方々に、
入っていただいている和室は、

実はずっと、ばあちゃんが使っていた部屋です。

よそ様が一度も入ったことのないような、うちの和室。

今は、私の大切に思うことをお伝えさせていただける場として、
私の喜びと、どなたかのきっかけとなる場として、

再び利用しています。


また、ばあちゃんはお花が好きでした。

庭の中央に植えている、百日紅(さるすべり)の花。

居間からいつも見える場所にあるので、

咲き始めたね、
花が増えてきたね、
ちょっと元気がないね、

と、いつも百日紅の様子を気にかけていたように思います。

ばあちゃんの名前は、『花恵』

花の恵み。


私が今大切にお伝えしている、名前のことだまは、『音』なので、
漢字の意味合いとはまた違うものなのですが、

何にしても、

本人が、そうだと思い、受け入れることによって、

そのように働き始める、

ということは、確かなように思います。


たまたま、ばあちゃんの場合は、
音の意味も、漢字の意味と、少し似かよっていました。

『は』は、葉っぱのように勢いよく上に向かって伸びるイメージ。

『な』は成長のことだま。

『え』は枝のように成長発展・繁栄させる音。


植物を愛するこころは、花恵でも、はなえでも、
似たような意味合いだったんですね。


今の私なら、そんな色んなお話も、してあげられるのになぁ~
なんて思ったりします。


百日紅の花が咲き始めると、
ばあちゃんの姿を思い浮かべます。


おもいでを助ける、物の存在。

ふっと、みょうに愛おしく思います。




『散れば咲き 散れば咲きして 百日紅』(加賀千代女)


百日紅の花は、
7月下旬頃から咲き始め、100日間花を咲かせていますが、
次々に、新しい花が咲いては散っています。

ずーっと咲いてるように見えるけれど、
ほんとうは、
何度も何度も入れ替わりながら、

その姿を保っているんですね。

健気です。

ありがとう。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

昭和20年8月6日。

世界で初めて、原子力爆弾が投下されたまち。ヒロシマ。

今、生きている私たちというのは、
最後の世代です。

戦争を経験した方々のお話を、
直接に伺うことのできる、最後の世代です。


この役割を、どう感じますか?


もう、今の子供たちが大人になって知りたいと言っても、
文献や映画や、教科書の中の、歴史の話になってしまう。

まだ、直接に、お話を伺える私たちが、
しっかりと受け継いでゆかなければならないと思います。

戦争の悲惨さ、
人類と核は共存できないということを。


安らかに眠ってください。
過ちは繰り返しませぬから。


そう申し上げた私たちなのに、
原子力を自ら選んでいた私たちの自責はたえることがありません。



広島市のホームページには、

原爆投下から2年後、昭和22年8月6日から始まった平和祭で、

歴代の広島市長が行ってきた平和宣言の抜粋、
昨年の広島市長の平和宣言の全文が、紹介されています。

今年は、
平和市長会議の総会が開催されることになっているそうです。


ここにこれまでの平和宣言を抜粋して掲載いたします。
ぜひお読みください。

そして、今年の平和宣言の文書にも、
ぜひ注目しましょう。

……………………………………………

昭和22年8月6日

「この恐るべき兵器は、恒久平和の必然性と真実性を確認せしめる「思想革命」を招来せしめた。
すなわちこれによって原子力をもって争う世界戦争は、
人類の破滅と文明の終末を意味するという真実を、
世界の人々に明白に認識せしめたからである。
これこそ絶対平和の創造であり、新しい人生と世界の誕生を物語るものでなくてはならない」

「今われわれが為すべきことは、全身全霊をあげて平和への道を邁進し、
もって新しい文明へのさきがけとなることでなければならない。
この地上より戦争の恐怖と罪悪とを抹殺して、真実の平和を確立しよう。」


昭和31年8月6日
原水爆禁止の文字が平和宣言に初めて現れました。


昭和46年8月6日

「次の世代に戦争と平和の意義を正しく継承するための平和教育」を明示。


昭和57年8月6日

同年6月の第2回国連軍縮特別総会で提唱した
平和のための世界的な都市連帯の呼びかけを取り入れました。

今日では、この都市連帯の輪は、
平和市長会議として世界153か国・地域の5,312都市(平成24年8月1日現在)に大きく広がっています。


平成3年8月6日

「日本はかつての植民地支配や戦争で、アジア・太平洋地域の人々に、
大きな苦しみと悲しみを与えた。私たちは、そのことを申し訳なく思う」と述べました。


平成8年8月6日

包括的核実験禁止条約の合意が「核実験の全面禁止につながること」への期待を表明するとともに、
被爆の実相を語り継ぎ、広く伝えていくために「平和文化の創造」と「被爆資料の集大成」を求めました。


平成9年8月6日

核兵器のない世界を実現するために、日本政府に対して
「「核の傘」に頼らない安全保障体制構築への努力」を求めると同時に、
私たちが言語・宗教・習俗などの違いをこえて、世界の人々と率直な対話を進めることの必要性を訴えました。


平成11年8月6日

被爆者が原爆の惨苦や絶望を乗り越え、ひたむきに核兵器の廃絶を訴え続けてきた足跡を称えた上で、
核兵器は人類滅亡を引き起こす絶対悪であるとの真実に基づき、
核兵器を廃絶する強い意志を持つことが何よりも大切であることを訴えました。

また、宣言の歴史で初めて「です・ます調」の文体を用いました。


平成12年8月6日

戦争と科学技術の世紀であった20世紀を振り返り、
憎しみや暴力の連鎖を断ち「和解」への道を拓くよう訴えました。


平成13年8月6日

21世紀最初の平和宣言として、21世紀を核兵器のない「平和と人道の世紀」にするため、
和解や人道を重視する勇気を持つよう訴えました。


平成16年8月6日

被爆後75年目に当る2020年までに、
地球上から全ての核兵器を廃絶するために、
「核兵器廃絶のための緊急行動」への支持を訴えました。


平成23年8月6日

被爆者の高齢化が進み体験を語れる方が少なくなる中、
ヒロシマの原点である被爆体験や平和への思いを、
次世代、そして世界の人々に共有してもらうことが重要であると考え、
初めて、被爆者から頂いた被爆体験談を直接盛り込みました。

……………………………………………

平成24年8月6日 平和宣言全文


1945年8月6日8時15分、
私たちの故郷は、一発の原子爆弾により灰じんに帰しました。

帰る家や慣れ親しんだ暮らし、
大切に守ってきた文化までもが失われてしまいました。

ーー「広島が無くなっていた。何もかも無くなっていた。道も無い。辺り一面焼け野原。悲しいことに一目で遠くまで見える。
市電の線路であろう道に焼け落ちた電線を目安に歩いた。
市電の道は熱かった。人々の死があちこちにあった。」

――それは、当時20歳の女性が見た街であり、被爆者の誰もが目の当たりにした広島の姿です。

川辺からは、賑やかな祭り、ボート遊び、魚釣りや貝掘り、
手長えびを捕る子どもたちの姿も消えてしまいました。

そして原爆は、かけがえのない人の命を簡単に破壊してしまいました。

――「警防団の人と一緒にトラックで遺体の収容作業に出る。
少年の私は、足首を持つように言われ、つかむが、ズルッと皮がむけて握れない。
覚悟を決めて指先に力を入れると、滴が垂れた。臭い。骨が握れた。いちにのさんでトラックに積んだ。」

――この当時13歳の少年の体験のように、辺り一面は、無数の屍が重なり、
声にならない呻き声の中、息のない母親のお乳を吸い続ける幼児、
死んだ赤子を抱き締め虚ろな顔の母親など、正に生き地獄だったのです。

当時16歳の少女は、大切な家族を次々と亡くしました。

――「7歳だった弟は、被爆直後に全身火傷で亡くなり、
ひと月後には、父と母、そして13歳の弟と11歳の妹が亡くなりました。
唯一生き残った当時3歳の弟も、その後、癌で亡くなりました。」

――広島では、幼子からお年寄りまで、その年の暮れまでに14万人もの尊い命が失われました。


深い闇に突き落とされたヒロシマ。

被爆者は、そのヒロシマで原爆を身を以て体験し、
後障害や偏見に苦しみながらも生き抜いてきました。

そして、自らの体験を語り、怒りや憎しみを乗り越え、
核兵器の非人道性を訴え、核兵器廃絶に尽力してきました。

私たちは、その辛さ、悲しさ、苦しみと共に、その切なる願いを世界に伝えたいのです。

広島市はこの夏、

平均年齢が78歳を超えた被爆者の体験と願いを受け継ぎ、
語り伝えたいという人々の思いに応え、伝承者養成事業を開始しました。

被爆の実相を風化させず、
国内外のより多くの人々と核兵器廃絶に向けた思いを共有していくためです。

世界中の皆さん、
とりわけ核兵器を保有する国の為政者の皆さん、

被爆地で平和について考えるため、是非とも広島を訪れてください。


平和市長会議は今年、設立30周年を迎えました。

2020年までの核兵器廃絶を目指す加盟都市は5,300を超え、
約10億人の市民を擁する会議へと成長しています。

その平和市長会議の総会を、来年8月に広島で開催します。

核兵器禁止条約の締結、
さらには核兵器廃絶の実現を願う圧倒的多数の市民の声が発信されることになります。

そして、再来年の春には、
我が国を始め10の非核兵器国による「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合も開催されます。

核兵器廃絶の願いや決意は、必ずや、
広島を起点として全世界に広がり、
世界恒久平和に結実するものと信じています。


2011年3月11日は、
自然災害に原子力発電所の事故が重なる未曾有の大惨事が発生した、
人類にとって忘れ難い日となりました。

今も苦しい生活を強いられながらも、
前向きに生きようとする被災者の皆さんの姿は、
67年前のあの日を経験したヒロシマの人々と重なります。

皆さん、必ず訪れる明日への希望を信じてください。
私たちの心は、皆さんと共にあります。

あの忌まわしい事故を教訓とし、
我が国のエネルギー政策について、

「核と人類は共存できない」

という訴えのほか、様々な声を反映した国民的議論が進められています。

日本政府は、市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を、
一刻も早く確立してください。

また、唯一の被爆国としてヒロシマ・ナガサキと思いを共有し、
さらに、私たちの住む北東アジアに不安定な情勢が見られることをしっかり認識した上で、

核兵器廃絶に向けリーダーシップを一層発揮してください。

そして、原爆により今なお苦しんでいる国内外の被爆者への温かい支援策を充実させるとともに、
「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断をしてください。

私たちは、今改めて、
原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、
この広島を拠点にして、被爆者の体験と願いを世界に伝え、
核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に全力を尽くすことを、ここに誓います。


平成24年(2012年)8月6日

広島市長 松井 一實

平和宣言(翻訳版)


……………………………………………


人類と核は共存できない。


何を、選びますか?


責任は、この大人の私たち、ひとりひとりに、あるのです。


黙祷。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

今日は、わたくしごとです。

本日から、再び母が入院しました。

4回の抗がん剤治療を終えて、
今回から、薬の種類を変えて、
また4回投与していく予定です。


4月8日、ロックバンドおかんの大阪城ホールLIVEが終わり、
自宅に帰ったとき、母の乳がんの疑いが判明しました。

結果、6センチの腫瘍で、
手術もできない大きさのため、抗がん剤治療を受けることにして、
治療開始からまる3ヶ月。


女の命とも言われる髪の毛も、見事になくなり、
心の持ち方が第一と、分かってはいても、
どうしても気落ちしてしまう中で、

本気のお見舞い!といって、

私の仲間たち、ロックバンドおかんさえもが、わざわざ駆けつけてくださり、
また、沢山の方が、愛の応援を送ってくださったことで、

本当に、
病人とは思えないほどに、元気な様子でした。

抗がん剤治療で下がる免疫を、
少しでも上げていくための健康食品を採っていたことも良かった。

体重が、落ちるどころか増えたんですから。
体の免疫力がちゃんとある証拠。

ちゃんと笑えてる日々。


先日、5月以来はじめて精密検査をした結果も出ました。

実際には、
目覚ましく好転していた、ということはなかったけれど、

悪くももちろんなっていないし、
少しは効いてもいたようです。


出来得る限りのことをやり尽くし、
とにかく感謝と笑顔でいること。


これに勝る薬はありません。


母の顔、
どう見たって、重病人には見えませんから。



乳がんの方は、本当に今多いですね。

お医者さんは、必ず、
あまり良くないような発言ばかりなさいます。

大丈夫、などとは言ってはいけない立場なんですから。

だから、その言葉に惑わされて、
いたずらに動揺することなく、

笑顔で取り組んでゆくだけです。


これからまた一週間と少しは、
父とふたり生活。

会話が、続かないんだなぁ~~(笑)


父の大腸がんのときも、今回の母のことも、

二人は60代で、生き方考え方の見直しの時間をいただいて、
家族の連携も、一層深まりました。


がんはね、優しい病気よ。
色々と、教えてくれる。
私は、そう思うの。


私の大好きな明紀子さんもおっしゃってたなぁ~。


皆さんも、身近な方、またはご自身が、
大きな病気をされたときに、

どうか、

今までの良くない習慣を見直す機会をいただいたと思って、
感謝して、受け止めて、病気を消化してください。


本当の意味では、

なんで、その病気の形をして現れてきたのか、

これから、どんなふうにしてったらいいのか、

ちゃーんと分かったら、

きっと、役目を終えた病気さんは、

おいとましまーす!

っと、お帰りになられると、思っています。


ブログを読んでくださった、
今ご病気中の方、
身近な方がご病気をされている方、

冷静に、真の原因を見つめつつ、

一緒に、明るく、感謝して、進んでいきましょうね!


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

今日は福山市鞆の浦にある、ギャラリーありそ楼さんで、
初級ことだま師の認定式と、ことだま師用の研究科授業をしていただきました。


もともと、福山という地は大好きです。

古き町並みの残る、潮待ちの港町、鞆の浦と、

再生復活の国立公園の島、七福神さまのお住まいである仙酔島。

福山は大切な土地なので、
恐らく、災害などからも守られていると思います。

暮らすには、安全な土地かな…?
なんて、個人的には思っています。

全国から毎日のように、思いを抱いた方が訪れているようですね。


三藤直子さんのギャラリー、ありそ楼も、
昔の遊郭を改装したもので、三階建ての建物で、
とっても趣があって素敵な場所なんです。




今日の研究科では、

『ことだまネーミング(セラピストネーム・屋号、カンパニーミッション)』

『守破離』

『運気鑑定の詳しい見方・新たな見方』

などについて勉強しました。


しっかり、今後のセッションに組み入れていきます。

ネーミングについては、時々リクエストをいただきましたが、
基本的にはまだ、お断りしておりました。

これから少しずつ、始めていけます。


初級ことだま師の試験は5月に終え、課題も提出していましたので、

有難いことに、
既に、紹介などで沢山の方にセッションをさせていただき、
出張などもさせていただいておりましたが、

今日が、認定式の日、と決まっておりましたので、
山下先生から認定証を受け取るのを楽しみにしていました。

そうしたら、なんと!
ありそ楼さんのお部屋に、以前は無かった、
菊理媛命様の絵が飾られてあったんです!

この神様は、日本書紀に一度だけ登場するのですが、
ことだまの勉強をしていく中で、とっても大切な神様だと分かりました。

ことだまの神様でもあると私は解釈しています。

その神様の前で、認定証を受け取らせていただけることができるなんて!

感激です!






これから、ますます、

セッションを通じて、

おひとりおひとりに、

ご自分の名前に秘められた役割をお伝えし、

自分がどんなに重要な、
欠けがえのない存在かということを知っていただき、

自分を、もっと再認識し、好きになっていただくこと。


そして、その根拠となっている、

日本という国に目を向け、
日本がどんなに素晴らしく幸わいに満ちた国なのかを知り、
誇りに感じ、大好きになっていただくこと。


日本全体が、
日本人としての誇りと愛に満ちた人で溢れ、

やがて世界を、
『調和』と『平和』という『和』で包み、広げていく。


私は、そのための入り口として、

名前のことだまという切り口を選びました。


今後もセッションの中で、
私自身も皆さんにいろいろと教えていただきながら、

泣き、笑い、愉しみながら、
進んでまいりたいと思います。


今後ともよろしくお願い申し上げます。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

日本でお祭りというと、春と夏と秋。

春に、
桜と共に里へ降りてきてくださった神様を、花見でお迎えし、

夏に、
悪いものを祓うためにお祭りをし、

秋に、
五穀豊穣に感謝して、神様をお見送りする。

冬は、
神様をお見送りしてしまった後だから、もうお祭りをすることがないのでしょうね。


夏のお祭り、特に都市部でのお祭りは、
悪い霊を祓うためのお祭りです。


大勢の人がひしめき合って暮らす都市では、
梅雨から夏にかけて、
高温多湿の気候に菌が増え、疫病が発生しやすい環境です。

けれど昔は、菌ということが分からなかったので、
疫病の流行を、悪い霊がもたらしたものと考えました。


神輿をかついで町を練り歩き、
神輿に乗った神様に、
町内の穢れを祓い清めていただきます。

神輿を高いところから見下ろしたりしないのは、
神様が乗っておられるから。


太鼓や鐘を鳴らして、
チャンチキ賑やかなお囃子(祭囃子)を入れて、

賑やかなものについてくる悪霊を、
地域から神輿が連れ去ってくれます。


そうして地域全体の災厄を背負い引き受けた神輿は、
本殿に戻る前に、浄化をします。

京都の祇園祭りでも、
最後に鴨川の水による神輿洗いがありますね。


邪気を祓い、清め、
無事の豊作と健康にむけて、

楽しみながらお祓いをする、良き文化ですね。


皆さんも地域の夏祭り、楽しんでおられますか?



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

昭和22年8月2日。

5月3日に公布された日本国憲法の解説として、
文部省は、
新制中学校1年生用社会科の教科書『あたらしい憲法のはなし』を発行しました。

ご存知でしたか?

この、あたらしい憲法のはなしは、
朝鮮戦争の始まった昭和25年に副読本に格下げされ、
昭和27年には姿を消してしまいました。

著作権は旧文部省に属するそうですが、保護期限が過ぎていて、
各社から復刻版が出版されています。


今日は、その『あたらしい憲法のはなし』の全文をご紹介したいと思います。

改めて、私たちにとって、日本国憲法とは何か。

考えてみませんか?

とーっても長いので、
お時間のあるときにぜひ、ご覧ください。



…………………………………………


『あたらしい憲法のはなし』


みなさん、あたらしい憲法ができました。
そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本國民は、この憲法を守ってゆくことになりました。

このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。

ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。

じぶんの身にかゝわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。
もしそうならば、それは大きなまちがいです。

國の仕事は、一日も休むことはできません。
また、國を治めてゆく仕事のやりかたは、はっきりときめておかなければなりません。

そのためには、いろ/\規則がいるのです。
この規則はたくさんありますが、そのうちで、いちばん大事な規則が憲法です。

國をどういうふうに治め、國の仕事をどういうふうにやってゆくかということをきめた、
いちばん根本になっている規則が憲法です。

もしみなさんの家の柱がなくなったとしたらどうでしょう。
家はたちまちたおれてしまうでしょう。

いま國を家にたとえると、ちょうど柱にあたるものが憲法です。
もし憲法がなければ、國の中におゝぜいの人がいても、どうして國を治めてゆくかということがわかりません。

それでどこの國でも、憲法をいちばん大事な規則として、これをたいせつに守ってゆくのです。
國でいちばん大事な規則は、いいかえれば、いちばん高い位にある規則ですから、これを國の「最高法規」というのです。

ところがこの憲法には、いまおはなししたように、國の仕事のやりかたのほかに、もう一つ大事なことが書いてあるのです。
それは國民の権利のことです。

この権利のことは、あとでくわしくおはなししますから、
こゝではたゞ、なぜそれが、國の仕事のやりかたをきめた規則と同じように大事であるか、ということだけをおはなししておきましょう。

みなさんは日本國民のうちのひとりです。

國民のひとり/\が、かしこくなり、

強くならなければ、

國民ぜんたいがかしこく、また、強くなれません。

國の力のもとは、ひとり/\の國民にあります。

そこで國は、この國民のひとり/\の力をはっきりとみとめて、しっかりと守ってゆくのです。
そのために、國民のひとり/\に、いろ/\大事な権利があることを、憲法できめているのです。

この國民の大事な権利のことを「基本的人権」というのです。
これも憲法の中に書いてあるのです。

そこでもういちど、憲法とはどういうものであるかということを申しておきます。

憲法とは、國でいちばん大事な規則、すなわち「最高法規」というもので、その中には、だいたい二つのことが記されています。

その一つは、國の治めかた、國の仕事のやりかたをきめた規則です。

もう一つは、國民のいちばん大事な権利、すなわち「基本的人権」をきめた規則です。

このほかにまた憲法は、その必要により、いろ/\のことをきめることがあります。

こんどの憲法にも、あとでおはなしするように、

これからは戰爭をけっしてしないという、

たいせつなことがきめられています。


これまであった憲法は、明治二十二年にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、國民にあたえられたものです。
しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本國民がじぶんでつくったもので、日本國民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。

この國民ぜんたいの意見を知るために、
昭和二十一年四月十日に総選挙が行われ、
あたらしい國民の代表がえらばれて、
その人々がこの憲法をつくったのです。

それで、あたらしい憲法は、國民ぜんたいでつくったということになるのです。

みなさんも日本國民のひとりです。

そうすれば、この憲法は、みなさんのつくったものです。

みなさんは、じぶんでつくったものを、大事になさるでしょう。

こんどの憲法は、みなさんをふくめた國民ぜんたいのつくったものであり、
國でいちばん大事な規則であるとするならば、
みなさんは、國民のひとりとして、
しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません。

そのためには、まずこの憲法に、どういうことが書いてあるかを、
はっきりと知らなければなりません。

みなさんが、何かゲームのために規則のようなものをきめるときに、
みんないっしょに書いてしまっては、
わかりにくいでしょう。

國の規則もそれと同じで、一つ/\事柄にしたがって分けて書き、
それに番号をつけて、第何條、第何條というように順々に記します。

こんどの憲法は、第一條から第百三條まであります。

そうしてそのほかに、前書が、いちばんはじめにつけてあります。
これを「前文」といいます。

この前文には、だれがこの憲法をつくったかということや、
どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。

この前文というものは、二つのはたらきをするのです。

その一つは、
みなさんが憲法をよんで、その意味を知ろうとするときに、手びきになることです。
つまりこんどの憲法は、この前文に記されたような考えからできたものですから、
前文にある考えと、ちがったふうに考えてはならないということです。

もう一つのはたらきは、
これからさき、この憲法をかえるときに、
この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。

それなら、この前文の考えというのはなんでしょう。

いちばん大事な考えが三つあります。

それは、
「民主主義」と「國際平和主義」と「主権在民主義」です。

「主義」という言葉をつかうと、なんだかむずかしくきこえますけれども、
少しもむずかしく考えることはありません。

主義というのは、正しいと思う、もののやりかたのことです。

それでみなさんは、この三つのことを知らなければなりません。

まず「民主主義」からおはなししましょう。

二 民主主義とは

こんどの憲法の根本となっている考えの第一は民主主義です。
ところで民主主義とは、いったいどういうことでしょう。
みなさんはこのことばを、ほう/″\できいたでしょう。

これがあたらしい憲法の根本になっているものとすれば、
みなさんは、はっきりとこれを知っておかなければなりません。
しかも正しく知っておかなければなりません。

みなさんがおゝぜいあつまって、いっしょに何かするときのことを考えてごらんなさい。

だれの意見で物事をきめますか。

もしもみんなの意見が同じなら、もんだいはありません。

もし意見が分かれたときは、どうしますか。
ひとりの意見できめますか。
二人の意見できめますか。
それともおゝぜいの意見できめますか。

どれがよいでしょう。

ひとりの意見が、正しくすぐれていて、おゝぜいの意見がまちがっておとっていることもあります。

しかし、そのはんたいのことがもっと多いでしょう。

そこで、まずみんなが十分にじぶんの考えをはなしあったあとで、
おゝぜいの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがないということになります。

そうして、あとの人は、このおゝぜいの人の意見に、すなおにしたがってゆくのがよいのです。

このなるべくおゝぜいの人の意見で、物事をきめてゆくことが、民主主義のやりかたです。


國を治めてゆくのもこれと同じです。

わずかの人の意見で國を治めてゆくのは、よくないのです。

國民ぜんたいの意見で、國を治めてゆくのがいちばんよいのです。
つまり國民ぜんたいが、國を治めてゆく――これが民主主義の治めかたです。

しかし國は、みなさんの学級とはちがいます。
國民ぜんたいが、ひとところにあつまって、そうだんすることはできません。
ひとり/\の意見をきいてまわることもできません。

そこで、みんなの代わりになって、國の仕事のやりかたをきめるものがなければなりません。
それが國会です。

國民が、國会の議員を選挙するのは、じぶんの代わりになって、國を治めてゆく者をえらぶのです。

だから國会では、なんでも、國民の代わりである議員のおゝぜいの意見で物事をきめます。
そうしてほかの議員は、これにしたがいます。

これが國民ぜんたいの意見で物事をきめたことになるのです。
これが民主主義です。


ですから、民主主義とは、國民ぜんたいで、國を治めてゆくことです。


みんなの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがすくないのです。
だから民主主義で國を治めてゆけば、みなさんは幸福になり、また國もさかえてゆくでしょう。

國は大きいので、このように國の仕事を國会の議員にまかせてきめてゆきますから、國会は國民の代わりになるものです。
この「代わりになる」ということを「代表」といいます。

まえに申しましたように、民主主義は、國民ぜんたいで國を治めてゆくことですが、
國会が國民ぜんたいを代表して、國のことをきめてゆきますから、
これを「代表制民主主義」のやりかたといいます。

しかしいちばん大事なことは、

國会にまかせておかないで、

國民が、じぶんで意見をきめることがあります。

こんどの憲法でも、
たとえばこの憲法をかえるときは、

國会だけできめないで、
國民ひとり/\が、賛成か反対かを投票してきめることになっています。

このときは、國民が直接に國のことをきめますから、
これを「直接民主主義」のやりかたといいます。

あたらしい憲法は、代表制民主主義と直接民主主義と、
二つのやりかたで國を治めてゆくことにしていますが、
代表制民主主義のやりかたのほうが、おもになっていて、
直接民主主義のやりかたは、いちばん大事なことにかぎられているのです。

だからこんどの憲法は、だいたい代表制民主主義のやりかたになっているといってもよいのです。

みなさんは日本國民のひとりです。

しかしまだこどもです。

國のことは、みなさんが二十歳になって、はじめてきめてゆくことができるのです。

國会の議員をえらぶのも、
國のことについて投票するのも、
みなさんが二十歳になってはじめてできることです。

みなさんのおにいさんや、おねえさんには、二十歳以上の方もおいででしょう。
そのおにいさんやおねえさんが、選挙の投票にゆかれるのをみて、みなさんはどんな氣がしましたか。

いまのうちに、よく勉強して、國を治めることや、憲法のことなどを、よく知っておいてください。

もうすぐみなさんも、おにいさんやおねえさんといっしょに、國のことを、じぶんできめてゆくことができるのです。

みなさんの考えとはたらきで國が治まってゆくのです。

みんながなかよく、

じぶんで、

じぶんの國のことをやってゆくくらい、

たのしいことはありません。

これが民主主義というものです。



三 國際平和主義



國の中で、國民ぜんたいで、物事をきめてゆくことを、民主主義といいましたが、
國民の意見は、人によってずいぶんちがっています。

しかし、おゝぜいのほうの意見に、すなおにしたがってゆき、
またそのおゝぜいのほうも、すくないほうの意見をよくきいてじぶんの意見をきめ、
みんなが、なかよく國の仕事をやってゆくのでなければ、
民主主義のやりかたは、なりたたないのです。

これは、一つの國について申しましたが、國と國との間のことも同じことです。

じぶんの國のことばかりを考え、じぶんの國のためばかりを考えて、ほかの國の立場を考えないでは、
世界中の國が、なかよくしてゆくことはできません。

世界中の國が、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、國際平和主義といいます。

だから民主主義ということは、
この國際平和主義と、たいへんふかい関係があるのです。

こんどの憲法で民主主義のやりかたをきめたからには、
またほかの國にたいしても國際平和主義でやってゆくということになるのは、あたりまえであります。

この國際平和主義をわすれて、

じぶんの國のことばかり考えていたので、

とうとう戰爭をはじめてしまったのです。

そこであたらしい憲法では、
前文の中に、これからは、この國際平和主義でやってゆくということを、力強いことばで書いてあります。

またこの考えが、あとでのべる戰爭の放棄、すなわち、
これからは、いっさい、いくさはしないということをきめることになってゆくのであります。


四 主権在民主義



みなさんがあつまって、だれがいちばんえらいかをきめてごらんなさい。

いったい「いちばんえらい」というのは、どういうことでしょう。

勉強のよくできることでしょうか。
それとも力の強いことでしょうか。
いろ/\きめかたがあってむずかしいことです。

國では、だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。

もし國の仕事が、ひとりの考えできまるならば、
そのひとりが、いちばんえらいといわなければなりません。

もしおおぜいの考えできまるなら、
そのおゝぜいが、みないちばんえらいことになります。

もし國民ぜんたいの考えできまるならば、
國民ぜんたいが、いちばんえらいのです。

こんどの憲法は、民主主義の憲法ですから、
國民ぜんたいの考えで國を治めてゆきます。

そうすると、國民ぜんたいがいちばん、えらいといわなければなりません。

國を治めてゆく力のことを「主権」といいますが、
この力が國民ぜんたいにあれば、これを「主権は國民にある」といいます。

こんどの憲法は、いま申しましたように、民主主義を根本の考えとしていますから、
主権は、とうぜん日本國民にあるわけです。

そこで前文の中にも、
また憲法の第一條にも、「主権が國民に存する」とはっきりかいてあるのです。

主権が國民にあることを、「主権在民」といいます。

あたらしい憲法は、主権在民という考えでできていますから、
主権在民主義の憲法であるということになるのです。

みなさんは、日本國民のひとりです。

主権をもっている日本國民のひとりです。

しかし、主権は日本國民ぜんたいにあるのです。

ひとり/\が、べつ/\にもっているのではありません。

ひとり/\が、みなじぶんがいちばんえらいと思って、勝手なことをしてもよいということでは、けっしてありません。

それは民主主義にあわないことになります。

みなさんは、主権をもっている日本國民のひとりであるということに、

ほこりをもつとともに、責任を感じなければなりません。

よいこどもであるとともに、よい國民でなければなりません。


五 天皇陛下



こんどの戰爭で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。
なぜならば、古い憲法では、
天皇をお助けして國の仕事をした人々は、國民ぜんたいがえらんだものでなかったので、
國民の考えとはなれて、とう/\戰爭になったからです。

そこで、これからさき國を治めてゆくについて、
二度とこのようなことのないように、あたらしい憲法をこしらえるとき、たいへん苦心をいたしました。

ですから、天皇は、憲法で定めたお仕事だけをされ、
政治には関係されないことになりました。

憲法は、天皇陛下を「象徴」としてゆくことにきめました。

みなさんは、この象徴ということを、はっきり知らなければなりません。

日の丸の國旗を見れば、日本の國をおもいだすでしょう。

國旗が國の代わりになって、國をあらわすからです。

みなさんの学校の記章を見れば、どこの学校の生徒かがわかるでしょう。

記章が学校の代わりになって、学校をあらわすからです。

いまこゝに何か眼に見えるものがあって、

ほかの眼に見えないものの代わりになって、

それをあらわすときに、これを「象徴」ということばでいいあらわすのです。

こんどの憲法の第一條は、
天皇陛下を「日本國の象徴」としているのです。
つまり天皇陛下は、日本の國をあらわされるお方ということであります。

また憲法第一條は、天皇陛下を「日本國民統合の象徴」であるとも書いてあるのです。
「統合」というのは「一つにまとまっている」ということです。

つまり天皇陛下は、一つにまとまった日本國民の象徴でいらっしゃいます。

これは、私たち日本國民ぜんたいの中心としておいでになるお方ということなのです。

それで天皇陛下は、日本國民ぜんたいをあらわされるのです。

このような地位に天皇陛下をお置き申したのは、
日本國民ぜんたいの考えにあるのです。

これからさき、國を治めてゆく仕事は、みな國民がじぶんでやってゆかなければなりません。

天皇陛下は、けっして神様ではありません。

國民と同じような人間でいらっしゃいます。

ラジオのほうそうもなさいました。
小さな町のすみにもおいでになりました。

ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、
國を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません。
これで憲法が天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう。


六 戰爭の放棄



みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。
ごぶじにおかえりになったでしょうか。
それともとう/\おかえりにならなかったでしょうか。
また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。

いまやっと戰爭はおわりました。

二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。

こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。

何もありません。
たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。

戰爭は人間をほろぼすことです。

世の中のよいものをこわすことです。

だから、こんどの戰爭をしかけた國には、
大きな責任があるといわなければなりません。

このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、
多くの國々ではいろ/\考えましたが、
またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、
まことに残念なことではありませんか。

そこでこんどの憲法では、
日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。

その一つは、
兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。

これからさき日本には、

陸軍も海軍も空軍もないのです。

これを戰力の放棄といいます。

「放棄」とは「すててしまう」ということです。

しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。

日本は正しいことを、

ほかの國よりさきに行ったのです。

世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。

もう一つは、
よその國と爭いごとがおこったとき、
けっして戰爭によって、
相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。

おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。

なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、
じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。

また、戰爭とまでゆかずとも、
國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。

これを戰爭の放棄というのです。

そうしてよその國となかよくして、
世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、
日本の國は、さかえてゆけるのです。

みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、
また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。


七 基本的人権



くうしゅうでやけたところへ行ってごらんなさい。

やけたゞれた土から、もう草が青々とはえています。

みんな生き/\としげっています。

草でさえも、力強く生きてゆくのです。

ましてやみなさんは人間です。

生きてゆく力があるはずです。

天からさずかったしぜんの力があるのです。

この力によって、人間が世の中に生きてゆくことを、
だれもさまたげてはなりません。

しかし人間は、草木とちがって、
たゞ生きてゆくというだけではなく、
人間らしい生活をしてゆかなければなりません。

この人間らしい生活には、必要なものが二つあります。

それは「自由」ということと、「平等」ということです。

人間がこの世に生きてゆくからには、
じぶんのすきな所に住み、じぶんのすきな所に行き、じぶんの思うことをいい、じぶんのすきな教えにしたがってゆけることなどが必要です。

これらのことが人間の自由であって、
この自由は、けっして奪われてはなりません。

また、國の力でこの自由を取りあげ、やたらに刑罰を加えたりしてはなりません。
そこで憲法は、この自由は、けっして侵すことのできないものであることをきめているのです。

またわれわれは、人間である以上はみな同じです。

人間の上に、もっとえらい人間があるはずはなく、人間の下に、もっといやしい人間があるわけはありません。

男が女よりもすぐれ、女が男よりもおとっているということもありません。

みな同じ人間であるならば、この世に生きてゆくのに、差別を受ける理由はないのです。

差別のないことを「平等」といいます。

そこで憲法は、自由といっしょに、この平等ということをきめているのです。

國の規則の上で、
何かはっきりとできることがみとめられていることを、「権利」といいます。

自由と平等とがはっきりみとめられ、これを侵されないとするならば、
この自由と平等とは、みなさんの権利です。

これを「自由権」というのです。

しかもこれは人間のいちばん大事な権利です。

このいちばん大事な人間の権利のことを「基本的人権」といいます。

あたらしい憲法は、この基本的人権を、侵すことのできない永久に與えられた権利として記しているのです。
これを基本的人権を「保障する」というのです。

しかし基本的人権は、こゝにいった自由権だけではありません。

まだほかに二つあります。

自由権だけで、人間の國の中での生活がすむものではありません。

たとえばみなさんは、勉強をしてよい國民にならなければなりません。

國はみなさんに勉強をさせるようにしなければなりません。

そこでみなさんは、教育を受ける権利を憲法で與えられているのです。

この場合はみなさんのほうから、國にたいして、教育をしてもらうことを請求できるのです。

これも大事な基本的人権ですが、これを「請求権」というのです。

爭いごとのおこったとき、國の裁判所で、公平にさばいてもらうのも、
裁判を請求する権利といって、基本的人権ですが、これも請求権であります。

それからまた、國民が、國を治めることにいろ/\関係できるのも、
大事な基本的人権ですが、これを「参政権」といいます。

國会の議員や知事や市町村長などを選挙したり、じぶんがそういうものになったり、
國や地方の大事なことについて投票したりすることは、みな参政権です。

みなさん、いままで申しました基本的人権は大事なことですから、もういちど復習いたしましょう。

みなさんは、憲法で基本的人権というりっぱな強い権利を與えられました。

この権利は、三つに分かれます。

第一は自由権です。
第二は請求権です。
第三は参政権です。

こんなりっぱな権利を與えられましたからには、みなさんは、
じぶんでしっかりとこれを守って、失わないようにしてゆかなければなりません。

しかしまた、むやみにこれをふりまわして、ほかの人に迷惑をかけてはいけません。
ほかの人も、みなさんと同じ権利をもっていることを、わすれてはなりません。

國ぜんたいの幸福になるよう、

この大事な基本的人権を守ってゆく責任があると、憲法に書いてあります。


八 國会

民主主義は、國民が、みんなでみんなのために國を治めてゆくことです。

しかし、國民の数はたいへん多いのですから、
だれかが、國民ぜんたいに代わって國の仕事をするよりほかはありません。

この國民に代わるものが「國会」です。

まえにも申しましたように、國民は國を治めてゆく力、すなわち主権をもっているのです。

この主権をもっている國民に代わるものが國会ですから、
國会は國でいちばん高い位にあるもので、これを「最高機関」といいます。

「機関」というのは、ちょうど人間に手足があるように、
國の仕事をいろ/\分けてする役目のあるものという意味です。

國には、いろ/\なはたらきをする機関があります。

あとでのべる内閣も、裁判所も、みな國の機関です。

しかし國会は、その中でいちばん高い位にあるのです。
それは國民ぜんたいを代表しているからです。

國の仕事はたいへん多いのですが、これを分けてみると、
だいたい三つに分かれるのです。

その第一は、
國のいろ/\の規則をこしらえる仕事で、これを「立法」というのです。

第二は、爭いごとをさばいたり、罪があるかないかをきめる仕事で、これを「司法」というのです。
ふつうに裁判といっているのはこれです。

第三は、この「立法」と「司法」とをのぞいたいろ/\の仕事で、
これをひとまとめにして「行政」といいます。

國会は、この三つのうち、どれをするかといえば、立法をうけもっている機関であります。

司法は、裁判所がうけもっています。
行政は、内閣と、その下にある、たくさんの役所がうけもっています。

國会は、立法という仕事をうけもっていますから、
國の規則はみな國会がこしらえるのです。

國会のこしらえる國の規則を「法律」といいます。
みなさんは、法律ということばをよくきくことがあるでしょう。

しかし、國会で法律をこしらえるのには、いろ/\手つづきがいりますから、
あまりこま/″\した規則までこしらえることはできません。

そこで憲法は、ある場合には、
國会でないほかの機関、たとえば内閣が、國の規則をこしらえることをゆるしています。
これを「命令」といいます。

しかし、國の規則は、なるべく國会でこしらえるのがよいのです。
なぜならば、國会は、國民がえらんだ議員のあつまりで、
國民の意見がいちばんよくわかっているからです。

そこで、あたらしい憲法は、國の規則は、
ただ國会だけがこしらえるということにしました。

これを、國会は「唯一の立法機関である」というのです。
「唯一」とは、ただ一つで、ほかにはないということです。

立法機関とは、國の規則をこしらえる役目のある機関ということです。
そうして、國会以外のほかの機関が、國の規則をこしらえてもよい場合は、憲法で、一つ/\きめているのです。

また、國会のこしらえた國の規則、すなわち法律の中で、
これ/\のことは命令できめてもよろしいとゆるすこともあります。

國民のえらんだ代表者が、
國会で國民を治める規則をこしらえる、これが民主主義のたてまえであります。

しかし國会には、
國の規則をこしらえることのほかに、もう一つ大事な役目があります。

それは、内閣や、その下にある、
國のいろ/\な役所の仕事のやりかたを、監督することです。
これらの役所の仕事は、まえに申しました「行政」というはたらきですから、
國会は、行政を監督して、まちがいのないようにする役目をしているのです。

これで、國民の代表者が國の仕事を見はっていることになるのです。

これも民主主義の國の治めかたであります。

日本の國会は「衆議院」と「参議院」との二つからできています。
その一つ/\を「議院」といいます。
このように、國会が二つの議院からできているものを「二院制度」というのです。

國によっては、一つの議院しかないものもあり、これを「一院制度」というのです。
しかし、多くの國の國会は、二つの議院からできています。
國の仕事はこの二つの議院がいっしょにきめるのです。

なぜ二つの議院がいるのでしょう。

みなさんは、野球や、そのほかのスポーツでいう「バック・アップ」ということをごぞんじですか。

一人の選手が球を取りあつかっているとき、
もう一人の選手が、うしろにまわって、まちがいのないように守ることを「バック・アップ」といいます。

國会は、國の大事な仕事をするのですから、衆議院だけでは、まちがいが起るといけないから、
参議院が「バック・アップ」するはたらきをするのです。

たゞし、スポーツのほうでは、選手がおたがいに「バック・アップ」しますけれども、
國会では、おもなはたらきをするのは衆議院であって、参議院は、たゞ衆議院を「バック・アップ」するだけのはたらきをするのです。

したがって、衆議院のほうが、参議院よりも、強い力を與えられているのです。
この強い力をもった衆議院を「第一院」といい、参議院を「第二院」といいます。
なぜ衆議院のほうに強い力があるのでしょう。そのわけは次のとおりです。

衆議院の選挙は、四年ごとに行われます。
衆議院の議員は、四年間つとめるわけです。

しかし、衆議院の考えが國民の考えを正しくあらわしていないと内閣が考えたときなどには、
内閣は、國民の意見を知るために、いつでも天皇陛下に申しあげて、衆議院の選挙のやりなおしをしていただくことができます。

これを衆議院の「解散」というのです。
そうして、この解散のあとの選挙で、國民がどういう人をじぶんの代表にえらぶかということによって、
國民のあたらしい意見が、あたらしい衆議院にあらわれてくるのです。

参議院のほうは、議員が六年間つとめることになっており、
三年ごとに半分ずつ選挙をして交代しますけれども、
衆議院のように解散ということがありません。

そうしてみると、衆議院のほうが、参議院よりも、
その時、その時の國民の意見を、よくうつしているといわなければなりません。

そこで衆議院のほうに、参議院よりも強い力が與えられているのです。

どういうふうに衆議院の方が強い力をもっているかということは、憲法できめられていますが、
ひと口でいうと、
衆議院と参議院との意見がちがったときには、衆議院のほうの意見がとおるようになっているということです。

しかし衆議院も参議院も、
ともに國民ぜんたいの代表者ですから、その議員は、みな國民が國民の中からえらぶのです。

衆議院のほうは、議員が四百六十六人、
参議院のほうは二百五十人あります。

この議員をえらぶために、國を「選挙区」というものに分けて、
この選挙区に人口にしたがって議員の数をわりあてます。

したがって選挙は、この選挙区ごとに、わりあてられた数だけの議員をえらんで出すことになります。

議員を選挙するには、
選挙の日に投票所へ行き、投票用紙を受け取り、じぶんのよいと思う人の名前を書きます。

それから、その紙を折り、かぎのかゝった投票箱へ入れるのです。

この投票は、ひじょうに大事な権利です。

投票する人は、みなじぶんの考えでだれに投票するかをきめなければなりません。

けっして、品物や利益になる約束で説き伏せられてはなりません。

この投票は、秘密投票といって、
だれをえらんだかをいう義務もなく、
ある人をえらんだ理由を問われても答える必要はありません。

さて日本國民は、二十歳以上の人は、だれでも國会議員や知事市長などを選挙することができます。
これを「選挙権」というのです。



わが國では、ながいあいだ、男だけがこの選挙権をもっていました。
また、財産をもっていて税金をおさめる人だけが、選挙権をもっていたこともありました。

いまは、民主主義のやりかたで國を治めてゆくのですから、
二十歳以上の人は、男も女もみんな選挙権をもっています。
このように、國民がみな選挙権をもつことを、「普通選挙」といいます。

こんどの憲法は、この普通選挙を、國民の大事な基本的人権としてみとめているのです。

しかし、いくら普通選挙といっても、
こどもや氣がくるった人まで選挙権をもつというわけではありませんが、
とにかく男女人種の区別もなく、
宗教や財産の上の区別もなく、
みんながひとしく選挙権をもっているのです。

また日本國民は、
だれでも國会の議員などになることができます。
男も女もみな議員になれるのです。
これを「被選挙権」といいます。
しかし、年齢が、選挙権のときと少しちがいます。

衆議院議員になるには、二十五歳以上、
参議院議員になるには、三十歳以上でなければなりません。

この被選挙権の場合も、選挙権と同じように、
だれが考えてもいけないと思われる者には、被選挙権がありません。

國会議員になろうとする人は、じぶんでとどけでて、「候補者」というものになるのです。

また、じぶんがよいと思うほかの人を、「候補者」としてとゞけでることもあります。
これを候補者を「推薦する」といいます。

この候補者をとゞけでるのは、選挙の日のまえにしめきってしまいます。
投票をする人は、この候補者の中から、じぶんのよいと思う人をえらばなければなりません。
ほかの人の名前を書いてはいけません。

そうして、投票の数の多い候補者から、議員になれるのです。
それを「当選する」といいます。

みなさん、民主主義は、國民ぜんたいで國を治めてゆくことです。

そうして國会は、國民ぜんたいの代表者です。
それで、國会議員を選挙することは、國民の大事な権利で、また大事なつとめです。

國民はぜひ選挙にでてゆかなければなりません。

選挙にゆかないのは、

この大事な権利をすててしまうことであり、

また大事なつとめをおこたることです。

選挙にゆかないことを、ふつう「棄権」といいます。

これは、権利をすてるという意味です。

國民は棄権してはなりません。

みなさんも、いまにこの権利をもつことになりますから、
選挙のことは、とくにくわしく書いておいたのです。

國会は、このようにして、
國民がえらんだ議員があつまって、國のことをきめるところですが、
ほかの役所とちがって、
國会で、議員が、國の仕事をしているありさまを、國民が知ることができるのです。

國民はいつでも、
國会へ行って、これを見たりきいたりすることができるのです。
また、新聞やラジオにも國会のことがでます。

つまり、國会での仕事は、國民の目の前で行われるのです。
憲法は、
國会はいつでも、國民に知れるようにして、仕事をしなければならないときめているのです。

これはたいへん大事なことです。

もし、まれな場合ですが秘密に会議を開こうとするときは、むずかしい手つゞきがいります。

これで、どういうふうに國が治められてゆくのか、
どんなことが國でおこっているのか、
國民のえらんだ議員が、どんな意見を國会でのべているかというようなことが、みんな國民にわかるのです。

國の仕事の正しい明かるいやりかたは、
こゝからうまれてくるのです。

國会がなくなれば、國の中がくらくなるのです。

民主主義は明かるいやりかたです。

國会は、民主主義にはなくてはならないものです。

日本の國会は、年中開かれているものではありません。
しかし、毎年一回はかならず開くことになっています。
これを「常会」といいます。

常会は百五十日間ときまっています。これを國会の「会期」といいます。

このほかに、必要のあるときは、臨時に國会を開きます。
これを「臨時会」といいます。

また、衆議院が解散されたときは、
解散の日から四十日以内に、選挙を行い、その選挙の日から三十日以内に、あたらしい國会が開かれます。
これを「特別会」といいます。

臨時会と特別会の会期は、國会がじぶんできめます。
また國会の会期は、必要のあるときは、延ばすことができます。
それも國会がじぶんできめるのです。

國会を開くには、國会議員をよび集めなければなりません。
これを、國会を「召集する」といって、天皇陛下がなさるのです。

召集された國会は、じぶんで開いて仕事をはじめ、
会期がおわれば、じぶんで國会を閉じて、國会は一時休むことになります。

みなさん、國会の議事堂をごぞんじですか。
あの白いうつくしい建物に、日の光りがさしているのをごらんなさい。

あれは日本國民の力をあらわすところです。
主権をもっている日本國民が國を治めてゆくところです。


九 政党



「政党」というのは、國を治めてゆくことについて、
同じ意見をもっている人があつまってこしらえた團体のことです。

みなさんは、
社会党、民主党、自由党、國民協同党、共産党などという名前を、きいているでしょう。
これらはみな政党です。

政党は、國会の議員だけでこしらえているものではありません。

政党からでている議員は、政党をこしらえている人の一部だけです。

ですから、一つの政党があるということは、
國の中に、それと同じ意見をもった人が、そうとうおゝぜいいるということになるのです。

政党には、國を治めてゆくについてのきまった意見があって、これを國民に知らせています。

國民の意見は、人によってずいぶんちがいますが、大きく分けてみると、この政党の意見のどれかになるのです。

つまり政党は、
國民ぜんたいが、國を治めてゆくについてもっている意見を、大きく色分けにしたものといってもよいのです。

民主主義で國を治めてゆくには、國民ぜんたいが、みんな意見をはなしあって、きめてゆかなければなりません。

政党がおたがいに國のことを議論しあうのはこのためです。

日本には、この政党というものについて、まちがった考えがありました。

それは、政党というものは、
なんだか、國の中で、じぶんの意見をいいはっているいけないものだというような見方です。

これはたいへんなまちがいです。

民主主義のやりかたは、
國の仕事について、國民が、おゝいに意見をはなしあってきめなければならないのですから、
政党が爭うのは、けっしてけんかではありません。

民主主義でやれば、かならず政党というものができるのです。

また、政党がいるのです。

政党はいくつあってもよいのです。

政党の数だけ、國民の意見が、大きく分かれていると思えばよいのです。

ドイツやイタリアでは政党をむりに一つにまとめてしまい、
また日本でも、政党をやめてしまったことがありました。

その結果はどうなりましたか。

國民の意見が自由にきかれなくなって、個人の権利がふみにじられ、
とう/\おそろしい戰爭をはじめるようになったではありませんか。

國会の選挙のあるごとに、政党は、じぶんの團体から議員の候補者を出し、
またじぶんの意見を國民に知らせて、
國会でなるべくたくさんの議員をえようとします。

衆議院は、参議院よりも大きな力をもっていますから、
衆議院でいちばん多く議員を、じぶんの政党から出すことが必要です。

それで衆議院の選挙は、政党にとっていちばん大事なことです。

國民は、この政党の意見をよくしらべて、じぶんのよいと思う政党の候補者に投票すれば、
じぶんの意見が、政党をとおして國会にとどくことになります。

どの政党にもはいっていない人が、候補者になっていることもあります。
國民は、このような候補者に投票することも、もちろん自由です。
しかし政党には、きまった意見があり、それは國民に知らせてありますから、
政党の候補者に投票をしておけば、その人が國会に出たときに、
どういう意見をのべ、どういうふうにはたらくかということが、はっきりきまっています。

もし政党の候補者でない人に投票したときは、
その人が國会に出たとき、どういうようにはたらいてくれるかが、はっきりわからないふべんがあるのです。

このようにして、選挙ごとに、衆議院に多くの議員をとった政党の意見で、國の仕事をやってゆくことになります。

これは、いいかえれば、
國民ぜんたいの中で、多いほうの意見で、國を治めてゆくことでもあります。

みなさん、國民は、政党のことをよく知らなければなりません。

じぶんのすきな政党にはいり、
またじぶんたちですきな政党をつくるのは、
國民の自由で、憲法は、これを「基本的人権」としてみとめています。
だれもこれをさまたげることはできません。


十 内閣



「内閣」は、國の行政をうけもっている機関であります。

行政ということは、まえに申しましたように、
「立法」すなわち國の規則をこしらえることと、
「司法」すなわち裁判をすることをのぞいたあとの、國の仕事をまとめていうのです。

國会は、國民の代表になって、國を治めてゆく機関ですが、
たくさんの議員でできているし、また一年中開いているわけにもゆきませんから、
日常の仕事やこま/″\した仕事は、別に役所をこしらえて、こゝでとりあつかってゆきます。

その役所のいちばん上にあるのが内閣です。

内閣は、内閣総理大臣と國務大臣とからできています。
「内閣総理大臣」は内閣の長で、内閣ぜんたいをまとめてゆく、大事な役目をするのです。

それで、内閣総理大臣にだれがなるかということは、たいへん大事なことですが、
こんどの憲法は、
内閣総理大臣は、國会の議員の中から、國会がきめて、天皇陛下に申しあげ、天皇陛下がこれをお命じになることになっています。

國会できめるとき、衆議院と参議院の意見が分かれたときは、
けっきょく衆議院の意見どおりにきめることになります。

内閣総理大臣を國会できめるということは、
衆議院でたくさんの議員をもっている政党の意見で、きまることになりますから、
内閣総理大臣は、政党からでることになります。

また、ほかの國務大臣は、内閣総理大臣が、自分でえらんで國務大臣にします。
しかし、國務大臣の数の半分以上は、國会の議員からえらばなければなりません。

國務大臣は國の行政をうけもつ役目がありますが、この國務大臣の中から、
大蔵省、文部省、厚生省、商工省などの國の役所の長になって、
その役所の仕事を分けてうけもつ人がきまります。
これを「各省大臣」といいます。

つまり國務大臣の中には、
この各省大臣になる人と、たゞ國の仕事ぜんたいをみてゆく國務大臣とがあるわけです。

内閣総理大臣が政党からでる以上、
國務大臣もじぶんと同じ政党の人からとることが、
國の仕事をやってゆく上にべんりでありますから、
國務大臣の大部分が、同じ政党からでることになります。

また、一つの政党だけでは、國会に自分の意見をとおすことができないと思ったときは、
意見のちがうほかの政党と組んで内閣をつくります。

このときは、それらの政党から、みな國務大臣がでて、
いっしょに、國の仕事をすることになります。

また政党の人でなくとも、國の仕事に明かるい人を、國務大臣に入れることもあります。
しかし、民主主義のやりかたでは、けっきょく政党が内閣をつくることになり、
政党から内閣総理大臣と國務大臣のおゝぜいがでることになるので、これを「政党内閣」というのです。

内閣は、國の行政をうけもち、
また、天皇陛下が國の仕事をなさるときには、これに意見を申しあげ、また、御同意を申します。

そうしてじぶんのやったことについて、
國民を代表する國会にたいして、責任を負うのです。

これは、内閣総理大臣も、ほかの國務大臣も、みないっしょになって、責任を負うのです。

ひとり/\べつ/″\に責任を負うのではありません。
これを「連帯して責任を負う」といいます。

また國会のほうでも、内閣がわるいと思えば、いつでも「もう内閣を信用しない」ときめることができます。
たゞこれは、衆議院だけができることで、参議院はできません。

なぜならば、國民のその時々の意見がうつっているのは、衆議院であり、
また、選挙のやり直しをして、内閣が、國民に、どっちがよいかをきめてもらうことができるのは、衆議院だけだからです。

衆議院が内閣にたいして、
「もう内閣を信用しない」ときめることを、「不信任決議」といいます。
この不信任決議がきまったときは、
内閣は天皇陛下に申しあげ、
十日以内に衆議院を解散していただき、選挙のやり直しをして、
國民にうったえてきめてもらうか、または辞職するかどちらかになります。

また「内閣を信用する」ということ(これを「信任決議」といいます)が、
衆議院で反対されて、だめになったときも同じことです。

このようにこんどの憲法では、
内閣は國会とむすびついて、國会の直接の力で動かされることになっており、
國会の政党の勢力の変化で、かわってゆくのです。

つまり内閣は、國会の支配の下にあることになりますから、
これを「議院内閣制度」とよんでいます。
民主主義と、政党内閣と、議院内閣とは、ふかい関係があるのです。


十一 司法

「司法」とは、爭いごとをさばいたり、罪があるかないかをきめることです。
「裁判」というのも同じはたらきをさすのです。

だれでも、じぶんの生命、自由、財産などを守るために、公平な裁判をしてもらうことができます。

この司法という國の仕事は、
國民にとってはたいへん大事なことで、何よりもまず、公平にさばいたり、きめたりすることがたいせつであります。

そこで國には、「裁判所」というものがあって、この司法という仕事をうけもっているのです。

裁判所は、その仕事をやってゆくについて、
ただ憲法と國会のつくった法律とにしたがって、
公平に裁判をしてゆくものであることを、憲法できめております。

ほかからは、いっさい口出しをすることはできないのです。

また、裁判をする役目をもっている人、すなわち「裁判官」は、
みだりに役目を取りあげられないことになっているのです。
これを「司法権の独立」といいます。

また、裁判を公平にさせるために、裁判は、だれでも見たりきいたりすることができるのです。

これは、國会と同じように、
裁判所の仕事が國民の目の前で行われるということです。
これも憲法ではっきりときめてあります。

こんどの憲法で、
ひじょうにかわったことを、一つ申しておきます。

それは、裁判所は、
國会でつくった法律が、
憲法に合っているかどうかをしらべることができるようになったことです。

もし法律が、
憲法にきめてあることにちがっていると考えたときは、
その法律にしたがわないことができるのです。

だから裁判所は、たいへんおもい役目をすることになりました。

みなさん、私たち國民は、

國会を、じぶんの代わりをするものと思って、

しんらいするとともに、

裁判所を、じぶんたちの権利や自由を守ってくれるみかたと思って、

そんけいしなければなりません。


十二 財政

みなさんの家に、それ/″\くらしの立てかたがあるように、
國にもくらしの立てかたがあります。
これが國の「財政」です。

國を治めてゆくのに、どれほど費用がかゝるか、その費用をどうしてとゝのえるか、
とゝのえた費用をどういうふうにつかってゆくかというようなことは、みな國の財政です。

國の費用は、國民が出さなければなりませんし、また、國の財政がうまくゆくかゆかないかは、
たいへん大事なことですから、國民は、はっきりこれを知り、またよく監督してゆかなければなりません。

そこで憲法では、
國会が、國民に代わって、この監督の役目をすることにしています。

この監督の方法はいろ/\ありますが、そのおもなものをいいますと、
内閣は、毎年いくらお金がはいって、それをどういうふうにつかうかという見つもりを、國会に出して、きめてもらわなければなりません。
それを「予算」といいます。

また、つかった費用は、あとで計算して、また國会に出して、しらべてもらわなければなりません。
これを「決算」といいます。

國民から税金をとるには、國会に出して、きめてもらわなければなりません。
内閣は、國会と國民にたいして、
少なくとも毎年一回、國の財政が、どうなっているかを、知らさなければなりません。
このような方法で、國の財政が、國民と國会とで監督されてゆくのです。

また「会計檢査院」という役所があって、國の決算を檢査しています。


十三 地方自治



戰爭中は、
なんでも「國のため」といって、
國民のひとり/\のことが、
かるく考えられていました。

しかし、國は國民のあつまりで、國民のひとり/\がよくならなければ、
國はよくなりません。

それと同じように、
日本の國は、たくさんの地方に分かれていますが、
その地方が、それ/″\さかえてゆかなければ、國はさかえてゆきません。

そのためには、地方が、それ/″\じぶんでじぶんのことを治めてゆくのが、いちばんよいのです。

なぜならば、地方には、その地方のいろ/\な事情があり、その地方に住んでいる人が、いちばんよくこれを知っているからです。

じぶんでじぶんのことを自由にやってゆくことを「自治」といいます。

それで國の地方ごとに、自治でやらせてゆくことを、「地方自治」というのです。

こんどの憲法では、
この地方自治ということをおもくみて、これをはっきりきめています。

地方ごとに一つの團体になって、じぶんでじぶんの仕事をやってゆくのです。

東京都、北海道、府県、市町村など、みなこの團体です。
これを「地方公共團体」といいます。

もし國の仕事のやりかたが、民主主義なら、
地方公共團体の仕事のやりかたも、民主主義でなければなりません。

地方公共團体は、國のひながたといってもよいでしょう。

國に國会があるように、
地方公共團体にも、その地方に住む人を代表する「議会」がなければなりません。

また、地方公共團体の仕事をする知事や、その他のおもな役目の人も、地方公共團体の議会の議員も、
みなその地方に住む人が、じぶんで選挙することになりました。

このように地方自治が、はっきり憲法でみとめられましたので、
ある一つの地方公共團体だけのことをきめた法律を、國の國会でつくるには、
その地方に住む人の意見をきくために、投票をして、
その投票の半分以上の賛成がなければできないことになりました。

みなさん、國を愛し國につくすように、

じぶんの住んでいる地方を愛し、

じぶんの地方のためにつくしましょう。

地方のさかえは、國のさかえと思ってください。


十四 改正



「改正」とは、憲法をかえることです。

憲法は、まえにも申しましたように、
國の規則の中でいちばん大事なものですから、
これをかえる手つづきは、げんじゅうにしておかなければなりません。

そこでこんどの憲法では、
憲法を改正するときは、
國会だけできめずに、
國民が、賛成か反対かを投票してきめることにしました。

まず、國会の一つの議院で、
ぜんたいの議員の三分の二以上の賛成で、憲法をかえることにきめます。

これを、憲法改正の「発議」というのです。

それからこれを國民に示して、賛成か反対かを投票してもらいます。

そうしてぜんぶの投票の半分以上が賛成したとき、
はじめて憲法の改正を、國民が承知したことになります。

これを國民の「承認」といいます。

國民の承認した改正は、
天皇陛下が國民の名で、これを國に発表されます。

これを改正の「公布」といいます。

あたらしい憲法は、
國民がつくったもので、國民のものですから、
これをかえたときも、國民の名義で発表するのです。


十五 最高法規

このおはなしのいちばんはじめに申しましたように、
「最高法規」とは、國でいちばん高い位にある規則で、つまり憲法のことです。

この最高法規としての憲法には、
國の仕事のやりかたをきめた規則と、
國民の基本的人権をきめた規則と、
二つあることもおはなししました。

この中で、國民の基本的人権は、
これまでかるく考えられていましたので、

憲法第九十七條は、
おごそかなことばで、

この基本的人権は、

人間がながいあいだ力をつくしてえたものであり、

これまでいろ/\のことにであってきたえあげられたものであるから、

これからもけっして侵すことのできない永久の権利であると記しております。

憲法は、國の最高法規ですから、
この憲法できめられてあることにあわないものは、
法律でも、命令でも、なんでも、いっさい規則としての力がありません。
これも憲法がはっきりきめています。

このように大事な憲法は、天皇陛下もこれをお守りになりますし、
國務大臣も、國会の議員も、裁判官も、みなこれを守ってゆく義務があるのです。

また、日本の國がほかの國ととりきめた約束(これを「條約」といいます)も、
國と國とが交際してゆくについてできた規則(これを「國際法規」といいます)も、
日本の國は、まごころから守ってゆくということを、憲法できめました。

みなさん、
あたらしい憲法は、日本國民がつくった、日本國民の憲法です。

これからさき、この憲法を守って、

日本の國がさかえるようにしてゆこうではありませんか。


おわり



底本:「あたらしい憲法のはなし」日本平和委員会
   1972(昭和47)年11月3日初版発行
   2004(平成16)年1月27日第38版
底本の親本:「あたらしい憲法のはなし」実業教科書株式会社
   1947(昭和22)年7月28日同日翻刻印刷
   1947(昭和22)年8月2日同日翻刷発行
   1947(昭和22)年8月2日文部省検査済


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今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

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