日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI

名前のことだまを入り口に、和ごころに気づけるブログです。

プロフィール

日野  愛子

Author:日野 愛子
日本人がもう一度、日本人になろう。

皇紀2671年3月11日、
再び、ほんとうの幸せに戻るための、
大きく舵を切れた転換点にするために。

いつもほんとうのことを知ろうとすること、
いつも自分の中の愛に聞いて、
一歩を選べるように。

知ることへの道は、愛のはじまり。

名前のことだまを入り口に、
素敵な日本に氣づけるブログです。

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昭和50年9月30日。

今から僅か38年前の今日、
日米国交史上初めて、

天皇皇后両陛下が、アメリカを訪れました。


大東亜戦争から30年が経ったこのとき、
当時のフォード大統領を訪れ、それから15日間、アメリカに滞在されました。


日本国の象徴である天皇陛下のご訪米が、今から僅か、
38年前であったということに、少々驚きませんか?

たった38年間の間に、いいえ、もっと早い時期から、
日米間では、互いに大東亜戦争のわだかまりを、

不思議なほどに払拭できているように感じました。

そこには、
天皇皇后両陛下のご訪米が、影響していないとは、私は考えにくいのです。


陛下はこの日、羽田空港からのご出発時、このようにお話されたそうです。
「この機会に、米国の実情に触れるとともに、大統領閣下との再会をはじめとして、
米国各方面の方々と接触を通じて、日米両国の友好親善が、一層深められることを念願しております。」


実際には、当時のアメリカでは、
陛下のご訪米前に関して、
盛んに報道がされることもなく、国民の話題にも昇っていなかったそうです。

アメリカ国民にとって、日本のことで関心があることを、
強いてあげるとするなら、経済面の状況はどうか?

ということくらいであったそうです。


訪米後、アメリカの人たちの間で、どんな会話が交わされたか。

「日本という国がある限り、天皇制は続くだろう。ご訪米は大成功だった。
今は日本人よりアメリカ人のほうが天皇制を支持しているのでは。
天皇の存在なくして日本の国際的信望は高まらない。」

これは、ジョンス・ホプキンス大学のセイヤー教授の言葉。


また、スミソニアン研究所の研究員は、

「天皇ヒロヒトは素晴らしい第一級の紳士だ。こんな立派な天皇を持った日本人は幸せだ。
政治の次元など遥かに超えた日本の精神的、道義的な価値、伝統・文化を、
体現している天皇が存在し、それが継承されていること、
日本人にとって天皇が大きな誇りの源泉となっている意味が、ようやく理解できた。」

と語っています。

とかく熱っぽく、すっかり天皇皇后両陛下の魅力の、
とりこになったかのような言葉です。


なぜここまで、アメリカの人たちは、天皇皇后両陛下に魅了されたのでしょうか。


陛下は、単に、友好親善がはかれればよい、というような、
抽象的な意義でこのご訪米を捉えてはおられませんでした。



陛下は、15日間の滞在で、様々な場所を訪問するたびに、
必ずその地の方々にお伝えしてきたことがあります。

それは、


「Thank you」ということ。



陛下が昭和20年、マッカーサー元帥に対し、
戦争責任をご一身で負う旨を申し出られ、
「この上は、どうか日本国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい。」

と申し出られたことは、ご存知の方も多いと思います。

アメリカを信じてみよう、今はそれしか、日本国民を救う手立てはない、
そうお考えになった陛下の、ご決断だったのです。


それから30年が経過したこのとき、
陛下は、

約束を守り、日本人に支援と配慮を送ってくれた米国に対し、
自ら米国に赴き、感謝の意を申し述べたい。

その一心で、ご訪米をご決断されたのでした。


シカゴ郊外の農場を見学された時、
大豆やトウモロコシ畑をご覧になり、

これが私たちの口にしている大豆なのですね、ありがとう、
などとおっしゃって廻られたそうです。


陛下ご訪問から後には、アメリカのテレビ、新聞、あらゆるメディアが、
天皇皇后両陛下の紳士淑女ぶりを一様に絶賛しました。


なにしろアメリカ人は、
戦争中の時と同じ責任者が訪れるとあって、

ヒトラーのような独裁的横柄な人物がやってくるに違いないと、
ウィリアムズバーグ空港には、近隣住民たちも、

どうやって睨みつけてやろうかと集まってきていたというのです。


それが、
全く間反対の、心優しい静かで穏やかな出で立ちに、誰もが、

この人は戦争には無関係だと悟ったというのですから。


そして、この天皇皇后両陛下へのアメリカ人の関心は、
それから1年余り経っても、家庭でしばしば話題に出ていたといいます。



いま。

色々な事実関係が渦巻き、歴史や、経済や、人の感情や、思惑や、
様々な複雑な問題を考えるとき、

手放しに国交のすべてが良い状況であるとは言えません。


しかし、私たち日本人が、

何か大きく行き詰まりを感じるとき、

もう、根本的に、あらゆる問題を打破しなければならないと考えるとき、

今、

私たちは、やはり、

静かに目を閉じ、気を鎮め、
この陛下の御心を思い浮かべることが必要ではないでしょうか。


私たちは、闘争心剥き出しに敵に向かっていく、などといった、
そういった姿勢は、本来とても苦手な人種です。


感謝と報恩。

すべてを取り巻く事象の中に、
望ましいことばかりが内在しているなどということはありません。

けれど、落ち着いてよく見つめれば、

感謝しなければならないことが、必ずあるはずです。


それを積極的に見つけ、感謝の意を表する態度であり続けることが、
日本人として、日本人らしい、私たちの道の切り拓き方なのではないでしょうか。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子
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29日は、千草さんと一緒に岡山へ。
拓巳さんのセミナーと、ギャラリーへ。





場所は、禁酒会館という建物の2階。

大正12年の建物で、
戦災を経て、現存している建物は、岡山市街地ではごく僅かなのだそう。

とても趣のある空間でした。







沢山の素敵な方との出会いがありました。

盲目で、鍼の治療院を開業され、
しっかりと1人でやっていっている女性もいらっしゃいました。

満遍なくいろんなお客様に合わせるために、
接客は当たり障りのない言葉を選んでいる、でも本当は、

治療の仕方や心構えなど、
お客様に言いたいことは沢山ある、と言われていたので、

思わず私は、言ったらいいですよ、と話してしまいました。

私は、本音で物を言い、
本当のことを伝えてくれる人が好きだし、

少なからず、これからは、
そのことが最も大切であり、

自らがそう振る舞うことで、
それを好み、自分もそうありたいと望むお客様や人間関係が集まってきて、

結果的にいちばん自分らしいスタイルが出来上がるはずだから。

それは、自分も周囲も望んでいることだと思うのです。


また、拓巳さんのギャラリーで、
個展をされていた作家さんの作品も、素敵でした。

京都の銀製かんざしアーティスト・居野家華枝さん。



拓巳さんの実家、伊勢の養殖真珠を使ったパールジュエリー、
それも、拓巳さんの描くイラストの中の女性をイメージして、
その女性が身に付けるジュエリーというコンセプトで、

今回の展示作品は創られたそうです。


華枝さんのお仕事の考え方は、

・日本の家紋デザインの素晴らしさを国内外の方に伝えること

・芸舞妓さんの装飾品に携わり、後世にも受け継がれる作品を制作すること

・着物だけでなく洋服にも自然に合うような銀製かんざしを広め、
日本女性の美しさを引き立てること

なのだそうです。


伝える。
遺す。
美しくする。

この三拍子は、ある種、どんなことをやっていく人にも当てはまる、
目指すべき領域であると思います。

しかしそのためには、確固たる信念、理念が必要です。


もとよりこだわりの語れる素材で勝負し、
美意識を持って行動し、

伝えるための創意工夫をしながら、
いかにして、遺していくか。


このことを問いながら、日々進化し続けることが、
本当の意味での仕事人、職人さんなんだなぁ~。

ものづくりは特に、このことが大切ですね。


素敵な出会いがたくさん。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

昨日のブログで、
職場では、役職があり、役職で呼ばれることが、日本ではよくあるというお話をしました。

考えてみると、
私たちは、それぞれのコミュニティに応じて、呼ばれ方が違いますよね。

こんなに使い分けて、役割で相手を呼ぶ国というのは、
おそらく日本だけではないでしょうか。


山田一彦さんは、

職場では、『課長』と呼ばれ、
家庭では、『お父さん』と呼ばれ、
両親からは、『一彦』と呼ばれ、
幼なじみからは、『かーくん』と呼ばれ、
学生時代の仲間からは『カズ』と呼ばれ、
後輩からは『カズさん』と呼ばれています。

6通りの呼ばれ方があります。

その場、その場で、役割が違うのです。

呼ばれている本人も、徐々に、その呼ばれる名称通りの役割を、
しっかり担っていくようになるのです。


名前のことだまでは、

五十音の一音一音すべてに、意味(役割=使命)があり、
その音が、名前に影響を与えているから、

じぶんの名前の音に秘められた意味を、しっかり受け取って、
その役割、使命をぜひ、意識してほしいというお話をさせていただきます。


役割や使命というものを、
名前を付けられているあなたは、

必ず持っています。


しかしその役割も、
ただ、そこにあるだけ、では、活性化させることができません。

名前のことだまに秘められた役割を、きちんと活性化させるためには、
大きく分けて、ふたつの大事なことがあります。

ひとつは、

★自分自身が名前を受け入れること

自分が役割を持っていることをしっかり自覚すること、
そして何より、自分の名前を好きになること。


そしてもうひとつは、

★名前をきちんと呼んでもらうこと

ことだまは、音ですから、呼んでもらうことが大切なのです。

それも、ニックネームで呼んだり、省略してしまうと、
本当はそこにあるのに、無視されてしまった音が、拗ねてしまって、
裏の働きが出てしまいます。

ですから、正式な名前で呼んでもらうことが大切。


それも、お母さんが呼んでくれることは、特に力になります。

ご両親や、大好きな人に、
『一彦さん』と呼ばれていると、

一彦さんとして、立派に自立したひとりの男性として、
スッと背筋が伸びて、しゃんとした大人になっていきます。


その反対に、大人なってもずっと、お母さんが、
息子を『カズちゃん』と呼び続けてしまっていたら。

いつまで経っても、『ひ』と『こ』の音は拗ねたままで、
役割が曲がってしまうし、大人になりきれないままなのです。

特に、『ひこ』には、古代から、男を指す音という側面がありますから、
男としての役割や責任を本来役割として持っているのに、

その反対のことばかりしてしまうようになってしまいます。



自らが名前を受け入れて、
親しい人からきちんと名前を呼んでもらっている人は、

知らずにあなたの役割を、きちんと果たしています。


山田一彦さんというひとの名前のことだまは、
かずひこという音にあり、活性化させる必要がありますが、
それがきちんと出来てさえいるなら、

課長やお父さんなどの、役割で呼ばれることは、
そのコミュニティの中では、それでいいんです。


呼び名は、役割。

そのことをよく意識して、
あなたの大切な人を、何と呼んであげたいかなって、
考えてみてくださいね。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

二日間、研修に参加してきました。

普段このブログで、会社の仕事に触れることはありませんでしたが、
今日は少しだけ触れながら、ことだまのお話もしたいと思います。



私の勤めている会社は、
私がいつもこのブログでお伝えするような、

日本の古くからある考え方や文化などと、間反対にあるような分野です。

常に最先端であり続けることが求められます。

いいえ、もっと言えば、最先端ではなく、先端のその先。

今はまだ存在しないサービスを、
自ら生み出していかねばならない業態です。

地域の方々と常に身近に触れ合いながら、
日々の積み重ねのもとに、まだ見ぬ新しいものをプラスしていくこと。


そして今ちょうど私は、
主にその、現在まだ例のない物、分野を担う部署に所属しています。


今、時代は大きく変化しています。

仕事、という観点においても、

提供するモノ、コトが変わり、
提供の仕方そのものも、変わっていき始めています。

これまで一般的に常識的と考えられていたことは、
すべてひっくり返っていくような感覚。

何とも言えぬ、この、未知の領域に入っていっている感覚。


けれど。
それらを展開していく、私たちだけは、変わらないのです。

どんなに未知の領域に踏み込んでいても、
私たち日本人の、働くということへの堅実性は、変わりません。


何に対して堅実かといいますと、
役割をしっかりやること、こなすこと、演じること。


とある会社に入れば、その会社の利益のために、
昨日今日入社した社員でも、マナーをしっかりし、
その会社の信用を損なわぬよう、その会社の一員として立派な自分。

を、上手下手問わず、演じます。

おい新人!と呼ばれれば、新人らしく振る舞いもするのです。

課長!と呼ばれれば、課長らしく振る舞いもするのです。


働く場において、私たちはこのように、『役職』という『役割』をつけて、
その人を、その呼び方で呼ぶことによって、

その人に、その役割を求めます。


名前のことだまでは、
『名前は役割。氏名は使命。
ことだまだから、呼ばれることに意味がある。
呼ばれるから役割が活性化する。名前を呼んであげてください。』

とお伝えします。

日本の場合、生まれた時に授かった名前はもちろん、
あなたの使命ではあるのですが、

役割が変わるごとに、呼び方を変えてきたんですね。

仕事における役職の名称。
これも確実に、
周囲に呼ばれることによって、その役職を活性化させるものです。

さらに言えば、
役職などなくとも、呼ばれることなどなくとも、

◯◯会社の誰々です、と名乗る以上、
あなたはその会社の人間として、
ふさわしい行動を取り続けようと振る舞います。


このなんとも従順で真摯な姿勢が、日本人らしい。


本当は、あくまでこれは、会社の中に居るときの役割ですから、
『◯◯会社の山田太郎です。』と、
『山田太郎です。』のときの、

山田太郎さんは、本来別人であり、

その矛盾の中に苦悩しながらも、
日々を懸命に、役割を生きようとする私たち。


なんと健気で、愛すべき人たちなのでしょうか。

私たちは、幾つもの役割を使い分けながら、
つとめて明るく元気に、日々を生きています。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

26,27日と会社の研修で広島に来ています。

主なテーマは、ICTを利活用した買い物支援。
今日は三原テレビ放送さんの事例を見せていただきました。

他局さんの取り組みを見せていただくと、普段の自分たちの取り組みと照らし合わせ、
本当に勉強になることが沢山あります。


研修の合間に1時間程、
安芸の小京都・たけはらの町並み保存地区の観光案内をしてくださいました。

あまり知られていないのですが、
ここ竹原は、

平安時代、京都下鴨神社の荘園として栄え、
江戸時代以降の建物が、7割も残っています。
これは、日本一の残存率なのだそうです。

私はもう、古い町並みが本当に好きでたまらないので、
仕事を忘れて夢中になってしまいました。





竹原の場合もそうですが、
このような保存地区に指定されている場所のほとんどは、道はすべて三叉路です。

これは、牛の暴走の勢いを止めるためだったとか。

昔の人たちの暮らしの知恵ですね。


馬や牛たちがよく通るため、
泥がはねるので、泥よけを立てかけていたんですね。

左側の立て板が、泥よけです。



京都と違うのは、
大小路、板屋小路などの『小路』を、こうじと読まずに、しょうじと読むところ。

町並み保存地区は、正式には、
伝統的建造物群保存地区と言い、

城下町・宿場町・門前町・寺内町・港町・農村・漁村などの

伝統的建造物群と、周囲を取り巻く環境そのものを保存するために、
市町村が定める地区のことを言います。

ですから、
社寺・民家・蔵などの「建築物」はもちろん、
門・土塀・石垣・水路・墓・石塔・石仏・燈籠などの「工作物」、
庭園・生垣・樹木・水路などの「環境物件」もすべて、特定の対象です。

平成25年8月時点では、
全国で41道府県84市町村の104地区が選定されていて、

ここ広島では、竹原の他に、
呉の豊町御手洗というところにもあるそうです。

私の地元、愛媛県内もやはり二箇所です。
西予市と内子町です。


私としては、
この昔の人たちの息吹を肌で感じられるこういった場所が、
本当に大好きなのですが、

実際にそこに住む人、保存していく人たちというのは、
大変なご苦労があることと思います。


日常生活の中で、普段自宅に帰るという行為は、
通常誰もが、

最も心を落ち着けて、気兼ねなくいられることです。

それが、こういった町並みに実際に暮らす方々にとっては、
全く逆なのかもしれないわけです。


外出している時のほうが、よっぽど気が楽。
家に帰るときには、

さぁ今日も帰るぞ、あぁ、また団体さんが、
私の家の前で記念撮影してる、
すみません、自転車入れまーす。


なんて、家に帰ったほうが、
気が抜けない状況なのですから、大変ですね。


これが昔の人たちであったなら、

一歩自宅の敷地を跨いで外に出たならば、
人前では襟を正し、みっともないことはしない、

ということが身についていましたから、問題なかったのかもしれませんね。

しかしとにかく観光する私たちは、
少しでも住民の方々が気兼ねなく暮らせるように、
配慮しながら、景観を愉しませていただかなくては。

本当に清々しい晴れ間で、
道案内もしていただき、
とても気持ちのよい一日でした。







今日も、
ことだまの幸はふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

今日もわたくしごとブログです。
今日も長いですが、ぜひ最後までお付き合いください。


今日はお休みで、おかんLIVEのご案内に市内外廻ってたんですが、
最後に行ったのが、ひいちゃんこと、ひかるちゃんのおうち。

先日彼女にチラシを渡しに行ってたのに、
チケットを持って行くのをウッカリ忘れて、再訪問。

でも…忘れてしまって再度行くことになるのは、
何か必ず意味があるんだろうな…と思いながら、車を走らせました。


1時間余り。彼女の話を聴くことができました。

私は… また、原点に還ることができたんです。



色んなところで、彼女との出会いの話をさせていただく機会がありました。

「なぜ、そんなにおかんのことに一生懸命なの?」
と人に問われる度に、私の口からは、必ず彼女の話が出ます。


彼女と出逢った、2011.1.29

まだ十代だった彼女。
彼女は生まれつき小児麻痺。車椅子に乗っている。

周囲の視線が気になって、
周囲の大人たちが信じられなくて、

決して外に出ようとしなかった少女だった。


私は、ロックバンドおかんのCDを彼女にプレゼントし、聴いてもらって、
感想を聴いた時の彼女の言葉が、今も忘れられない。

震えるような声で、
「わたし…この人たちに会ってみたい…」と。


そこから、一緒に行こうと大阪へ旅行計画を立てて、
出発したのが、なんと、2011.3.11だったのです。

忘れられるはずがありません。


おかんは、すぐさま路上に出ていました。
少しでも募金を集めて被災地に送りたい一心で、
警察に止められながらもLIVEをしました。

大阪に集まってきていた沢山の大人たちが皆、
心をひとつに、必死に出来ることを考え計画し、行動に移していく、

そうしながら、車椅子のひいちゃんを気遣い接してくれる大人たち。


彼女は、大人たちに対する、失っていた希望を、一気に取り戻したのです。


そこから彼女は、みるみるうちに元気で明るくなり、
外出なんて無理だと言っていた彼女が、ひとりで全国どこへでもおかんのLIVEに遊びに行くようになり、

同世代の子達におかんをどうしても聴いてほしい!
と、成人式のとき、おかんを呼んでもらえるよう、
教育委員会にまでお願いに行ったりしました。


そしてついには、
私に対して、ありがとうを伝えたいと、誕生日に、

おかんに頼んで、私宛に「君の代わりはいない」という歌を収録してもらい、
サプライズDVDを、プレゼントしてくれたのでした。



暗い闇の中で生きていたような彼女が、
元気になり、活動的になったことは本当に目を見張る程の驚きでしたが、

それ以上に、

自分以外の誰かのことも元気にしたい、喜ばせたい、

そんな気持ちに彼女自身がなれたことが、私は、何より嬉しくてたまりませんでした。


彼女には、全国にいっぱいいっぱい友達ができました。

私も、彼女の世界がどんどん広がってくのが嬉しくて、
会う機会はめっきり少なくなっていましたが、
それでいいと思っていました。


最近、ゆっくりと、お話する機会がなかったのですが、
彼女と話していて、じんわりと、私自身も原点を思い返すことができました。


彼女、なんと、凄いスタートを切っていました。

とても動きにくい指だけれど、がんばって今、
ギターを練習しています。
しかも、10/20のおかんLIVEの会場である、新居浜ジャンドールのスタジオで。

これは知っていたのですが、
その理由を知ってまた、驚きました。


なんと、おかんのギター、YOUと一緒に、曲を作っていたんです。

YOUも実は、生まれつき口唇口蓋裂という障害を持って生まれました。


YOUは大阪城ホールを達成するまでの日々でいつも言っていました。

「障害のある僕の顔が、巨大スクリーンに映し出されたとき、
僕と同じ障害を持った子が、僕だって夢叶えられるかもしれない!って、
希望を持ってくれるきっかけになるかもしれない。
そのための役割が、僕にはあると思うから。
僕はこの障害を隠さずに、皆に見てもらうんだ。」と。


そんなYOUだから、
ひいちゃんは、どうやって、パーンとその気持ちに切り替えることができたの?
って、一度、ゆっくり話をしたんだそうです。


それから何度かやりとりが続き、
YOUが、
ひいちゃんの思いで、歌を作りたいから、これまでのこと、教えて、
と、

そこからできた歌が、
YOUのソロのCDに、既になっているんです。



『ひかるのひかり』

だから、ひいちゃんは、
いつか、
YOUと一緒に、その歌を演奏したい!って夢を持って、

ギターの練習に、新居浜ジャンドールへ通うことになったのです。



誰かのために、誰かを喜ばせるために、
と、
一生懸命動くことは、本当に素晴らしく、尊く、感動をもらいます。

だけど、ひいちゃんの場合は、ひかるの場合は、本当は、


ひかるがひかるとして、
心のままに、
やりたいことをひとつずつ、やっていくこと、

そのこと自体が、
そのまんま、
多くの人たちのひかりに、希望に、なってくんだということ。


車椅子に乗っていて、指も思うように動かすことができない、
そもそも引きこもっていたかった彼女が、

日本全国自由に飛び回り、時にハワイに行ったりするチャレンジもし、

大好きなバンドのメンバーから、歌を作ることを提案され、完成し、

階段のあるライブハウスに、ギターの練習に通っている…


彼女の、やりたいことをやっている、
姿そのものが、
大きな大きな光になることを。


このことを掴んだ彼女は、もう、凄い。

本当に今日は、嬉しい日でした。



そして、今回の10/20のイベントのチラシに、私は何となく、
『光』という言葉を使っていました。

「あなたの心に、まっすぐに入ってくる光が、必ずあります。」と。



ずっとおかんを応援してきて、
大阪城ホールをついに達成したおかんが、
また新居浜に帰ってくる今回。


私自身もまた、原点に還ろうと、思っていました。


そんなとき、知らず知らずに、

『光』という言葉を使っていたのだなぁ~と思うと、
心がとても、落ち着きました。

これでいい。これでいい。この調子。


ひかるのひかり。


10/20は、おかんもさることながら、
ひかるちゃんにも、ぜひ、出逢ってほしいです。

彼女には、会場入り口に、居てもらいますね。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

10/20のおかんLIVE、
チラシの出来上がりを受けて、
24日の夜、初めてのスタッフミーティングを行いました。


今回のイベントは、
9/2におかん側から電話があり、

大阪城ホールまでお世話になった地方へ、
感謝を伝えに回りたいから、
10/20にイベントを作ってほしい、料金体系はこれで統一してください。


というところから始まりました。


お願いする手前、申し訳ないと思うのか、

50人くらい集まればいいので、
会場費がかからないような場所で…

と言ってきたのですが、実際、

入場料をとるイベントで、会場費がかからず貸してもらえるところなど、
私の伝手にはありません。

イベントまで一ヶ月と少ししかありませんから、
のんびり会場を探している暇もありません。


それに何より。


新居浜でこれまで、
おかん感謝祭としてイベントを行ってきて、
1回目は350人、2回目は160人の方に来ていただき、
素敵な会場にしっかりと装飾もして、

大阪城ホールの時には50人のバスツアーを組んで行ったのに、

立派に大阪城ホールの夢を達成したー!
といって帰ってきたとき、

お客様が50人くらいで、会場も良くない環境で…

というのはおかしいし、そんなのはイヤ!という思いでした。


ですから、
「50人で会場費かからない場所でやるくらいなら、100人で良い場所でやればいいから!」と、

言い放ち、自らハードルを上げてしまいました。

結果的に、
お手伝いしてくれる皆さんには負担をかけることになってしまいました。


そんな経緯をまず、皆さんにご説明させていただきました。

皆さんの表情を見ていると、
大丈夫大丈夫、問題ないよ、という声が伝わってきて、
とても安心しました。



そして今回何より嬉しいのは、
今回は、私の発案でのイベントではないので、

私の思いでガチガチに決まってるのでなく、
本当の意味で、皆さんに自由に、それぞれの持ち場を作ってもらえること。


これまでは、
私が企画したものだったので、

自由にやってくださいと私が言っても、
やはり遠慮して、私がどう判断するのかを、
伺っておられたようなところがありました。


だけれど今回は、
おかんが、皆に、感謝を届けにくる。

私たちはその場づくりを精一杯やるだけです。

皆がそれぞれの思いで、思うように動いてほしい。


そして、おかんのメッセージは、
おかんの姿は、必ず、

来てくれた方に、一筋の強い強い光をもたらします。

この光によって、
その後どんどんキラキラと輝き始めた人を、沢山知っています。


車椅子に乗っている女の子は、
大人たちを信じられなかったのに、

彼らとの出会いから、
大人たちの素晴らしさに気づき、どんどん活動的になり、

ついには、人のために何かをしたい、というところまで変わっていきました。


もちろん、私も変わった一人です。

彼らに出会わなければ、
こんなにも一生懸命になる、という出来事に、
出会えなかったかもしれません。

自分が本当に大切にしたいと思うこと、

あなたの代わりはいないと、
人に伝えていきたいということ、

日本文化を通じてそれが伝えられるという、
名前のことだまに出会い、

瞬間にピンとくる反射神経は、
得られていなかったかもしれません。



一筋の強い強い光。


きっと、来てくださった皆さんに、届くはずだから。


呼びかけできる時間は大変限られていますが、
できるだけ、皆さんにこの機会を掴んでいただけるよう、

精一杯お願いに廻りたいと思います。


どうか、私たちと一緒に、泣き笑う10/20の2時間を、過ごしてください。






今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

ことだまは、皆さんご存知のとおり、

言葉にすれば実現する、
言葉には不思議な霊力のようなものがある、

ということ。


だから、祝詞が存在したり、呪文が存在したりします。

良くも悪くも、言葉の扱い方ひとつで、
現実に起こる事象が変わっていくと、

古代から人はそう信じてきたからです。

もちろん実は、それだけではなく、もっともっと深い作用がありますが、
今日は、私の、良くない例を、お話したいと思います。


実は、私の身の周りでは最近、『否定』や『怒り』が増えてきていました。

たとえば、このブログに関してもそうなのですが、
以前までは、
毎日よく書いてるね!面白いよ!という声しかいただかなかったのですが、

最近では、
それは違うのでは?おかしいのでは?などの声を驚く程いただくようになりました。


実際、ブログを書いてるのが、
仕事の合間のお昼休憩中だったり、深夜2時に帰宅して、
それからウトウトしながら朝4時くらいまでかかって書いてたり、
さらには書いてる途中で寝てしまったり…

と、自分自身がカラカラになりながら書いていた、ということも、
ひとつの理由かもしれません。

けれど、これだけ時間が無い中でも、睡眠削れば出来てしまう、
ということを一度覚えてしまうと、
どこまでが限界なのかが、分からなくなってしまうのです。

なにか、苦しい、なにか、受け付けない、
そう人に感じさせてしまう負のものを、知らず知らずに発してしまっていたのかもしれません。


もちろん精いっぱい心を込めて、
思いを紡いでいるつもりなのですが、

私も気づかぬうちに不協和音を発していて、
受け取る側も、そのせいだとは気づかぬまま受け取っていた、

ということも、あり得るなぁ~と思うのです。

限界を超えてるかもしれないことに気づかないほど、
ひとりごとのようなブログでも、Facebookの投稿でも、

それでもやるというからには、腹は据えているつもりです。

自分が発した言葉に対し、
何か自分にとって、目に見えて不利益な状況になるかもしれない、

そう分かっている内容でも、
それでもどうしても伝えたい!ということがある時は、

失うものがあることを天秤にかけても、言わずにいられない。

その覚悟が気迫になり、
けれどどこかで抱いているものが苦しみとなり、

周囲の人たちに伝わっているとしたら…
これは本当に、良くないことです。


もちろん前向きに捉えるなら、
批判の声がドンドン寄せられるということは、成長の壁が来ている!
とも受け取れます。


明確に、原因はこれ!と断定することはできないけれど、
やはり最後には私は、


思うは招く、引き寄せる。


このことが、大きいという結論になってしまいます。


私の元に、不安や不満、怒りや恐れが集まってくるということは、
確実に私がそれを引き寄せている。

私がそういう行動をとっているかどうか、ということではなく、
私の心の中に、
不安や不満、怒りや恐れが、渦巻いているから、
似たものを引き寄せる。


ここまで、良くないパターンのことばかり書いてきましたが、
当然、その逆も同じことです。


いつも感謝と愛で胸がいっぱいで、
幸せが体中からにじみ出て、
溢れて止まらないとき、

周囲の人たちにも、それが自然と波及していきます。


偶然かもしれませんが、
最近、抗がん剤治療中の母も、発する言葉が負の言葉ばかりになっていました。

実際、体調が良くない日が続いていたので、
もちろんその作用が大きいとは思いますが、

外出することのない母にしてみれば、
絶えず外と出入りしている私の発するオーラや言葉が、

大きく作用していると考えても、不自然ではありません。


今の母にとっては、
不安や恐れ、怒りで自分を包むようなことをしてしまったら、

冗談ではなく、命取りになります。


大切な人の心を守りたい。
大切な人の体を守りたい。

そのために。

そのために、私は自分の心と体を、愛と感謝で満たしたい。


あなたの心が、不安や不満、怒りや恐れでいっぱいになった時。

それは、
あなたの心と体を蝕むだけでなく、

あなたの大切な人の心と体も蝕みます。


だから。

何か、心乱れる出来事に出会ったとき。

安直に不安や不満、怒りや恐れを抱き、口にするのは、
少し待ってみませんか。


目の前で起こった出来事はひとつ。

だけど、それを見て、
ある人は微笑み、ある人は苛立っている。


出来事に振り回されるのはやめて、

出来事に自分の機嫌の良し悪しを委ねるのはやめて、

自分が出来事をどう捉えるかを決め、

自分の機嫌は自分でとって、
自分のためにも周りの人のためにも、進んでいきませんか。


これが、
とっても大切なのに、
私の中で最近、薄くなってきていた部分です。


心を、愛と感謝で満たして…




今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

半沢直樹最終回、大変な話題でしたね!
終わった瞬間、これで終わるの?!と驚きを隠せませんでしたが…



よくよく考えてみれば…

このほうがかえって、真実味があるなぁ…頭取の立場に立って考えたなら…

というのが、私の感想です。


私は、ひとりだとテレビをつけることが殆どないのですが、
家族が見ているテレビを、チラリと見ることはあります。

そんな中つい釘付けになってしまった、久々に見逃せないテレビドラマでした。


TBSは、キー局の中で、私が唯一入らせていただいたことのある局舎ですが、
ドラマに力を入れているというイメージがとても残っています。

13年前の三夜連続放送だったドラマ『百年の物語』も大好きで、DVDを持っています。

大正・戦後・現代と、三世代を生きる女性を、松嶋菜々子さんが演じていました。
主題歌、ナナ・ムスクーリの『Only love』も大好きでたまりません…


と言っていては話が逸れそうなので、半沢直樹に話を戻します。


半沢直樹、
ストーリーも面白いけれど、私は、
俳優さんの演技が面白かった。

どなたも、『顔』で競い合っていた。
顔の演技で。

すべての感情の移り変わり、言いたいことの全てを言わず、
顔で、すべてを表現しているのです。

これが、テレビドラマや映画の真骨頂。

舞台の演技では、こういうことは通用しません。

遠くから観る人にも伝わるように、かつ、不自然でないように、
普通の振る舞いに見えるための、大げさな動きで表現します。

テレビドラマや映画のような、
観ている誰もが、顔をアップで捉え、その心理の微妙なニュアンスを受け取れるものの場合、
こうでなくっちゃ勿体無い。

最近ドラマがつまらないなぁ~と感じていたのは、
ストーリー云々以前に、
この、顔に語らせる要素が薄いものが多かったからではないか、

とさえ、個人的に感じた程でした。


その意味でも半沢直樹は大変面白く、大好きなドラマでした。


言葉以上に、表情から分かるものがある。
日本人は、行間を読むことが得意だから。

音の響き、ことだまを大切にするゆえ、
あえて皆まで言わぬ美しさを大切にしてきた日本人だから。


ところで、

皆さんはふだん、日常生活の中で、

大切な人の顔を、愛する人の顔を、

しっかりと見て、

会話をしていますか?


毎日一緒にいる人の顔。家族の顔。

横目で見ることはあっても、
正面から向き合ってちゃんと見て、耳を傾けてはいない。

そんなこと、ありませんか?

私には、ありました。


半沢直樹とはなちゃん夫婦は、
最高の夫婦でした。


夫婦互いに、
いつも互いのことを思いやり合い、完全に信頼しきっていました。


直樹は、
どんなに自分が困窮に喘ぎ、怒り、危機の最中にあっても、
驚くほど妻に対しいつも優しい。微笑む。ごめんな、と云う。いつも耳を傾ける。

はなは、
いつも明るく天真爛漫で、愛情たっぷりの料理で夫を支え、
例え最悪の事態になろうとも、信じた道をゆけばいいと夫の背中を押し、腹を据えた覚悟を常に持っている。


夫婦というものは、家族というものは、一蓮托生というものは、
本当にその姿でありたいと、いつも思います。


実際、
直樹がはなの言葉をいつも受け入れ、耳を貸したことがきっかけで、
直樹は危機を回避し一発逆転となった、

思えばそんな場面が何度もありましたね。


直樹、はな、と、互いに名前で呼び合うところも、
ことだま師の私としては、好きなところです。




親しい中にあっても、いつも、相手を気遣うこと。

言葉で言うことは簡単ですが、これがなかなか難しいです。


なぜか。

知らないからです。

相手がどんな気持ちでいるか、どんな思いでいるか、知らないからです。

知らなければ、慮りようがないのです。


けれども、
相手の顔を、普段からよく見ていれば、
その人の気持ちはちゃんと、そこに現れている。


何か陰で起きた出来事や行った事実は、
口を開いて言わなければ伝わらないことではありますが、

相手の心がわかるかどうか、ということについては、

互いにいつも、互いの顔を見ていれば、
自然と伝わる何かがあり、生まれる何かがあるはずです。


昔何かの日本映画のワンシーンで観たことがあります。

「お前も老けたなぁ…。すまない…」

何年も走り続け、毎日一緒に居るはずの妻の顔も、まともに見ていなかった夫の前に、
ある日突然に、


見知らぬ老婆が出現する。


いかに、見ていたはずの妻の姿を、本当は見ていなかったか、
ということに気づく夫。


しかもこれが、日本人のスタンダードのように描かれています。


これはあまりに残念なことです。


いちばん大切な人のことが、いちばん見えていなかったなんて。


私は思います。


ほとんどの争い事は、相手を知れば、溶け合うのじゃないだろうか。

知らないから、分からないから、誤解が生まれ、苛立ちを呼び、争いを招き、
大切がゆえに、最後には決別するという、
わけのわからない展開まで追いやられてしまうのです。


これは何も、夫婦や家族に限ったことではありません。


あらゆる派閥争い、政治闘争、宗教観の違い、交わり合えない国同士。


争いの原因が、『違い』だと思っているところが、最大の落とし穴。


『違い』ではない。
『知らない』こと。


相手のことを知った瞬間、簡単に雪解ける感情が、必ずあるから。


まずはあなたの大切な人の顔を、
よく、見てみませんか?

顔を見ずに会話する時間を減らし、
顔をよく見て会話する時間を増やしてみませんか?



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

15年前の9月に、ご逝去された日本の名監督・黒澤明さん。

亡くなる8年前、日米合作の映画『夢』を公開しています。

「日照り雨」「桃畑」「雪あらし」「トンネル」「鴉」「赤冨士」「鬼哭」「水車のある村」
の8話からなるオムニバス形式です。

黒澤明監督自身が見た夢を映画にした、という設定で、
各エピソードは、「こんな夢を見た」というテロップ表示から始まります。

これは、夏目漱石の『夢十夜』における各挿話の書き出しと同じだそうです。



アメリカのワーナー・ブラザーズが配給権を持っていて、
現在国内で上映可能なプリントは、東京国立近代美術館フィルムセンターに保存されている1本のみとのこと。

そのため、フィルム上映される機会がありません。


この『夢』シリーズの中のひとつ『赤富士』に、
黒澤明監督の激しい思いが、

オブラートに包むことなく強烈に表現されていました。

映画の始まりはこうです。


寺尾聰演じる主人公が、
「何があったんですか!?」と逃げ惑う大勢の群衆をかきわけていく。

目の前には真っ赤に燃えた富士山。

そして根岸季衣演じる子連れの女性が、
「あんた知らないの?原発が爆発したんだ!」と。






「原発は安全だ!
危険なのは操作のミスで、原発そのものに危険はない。
絶対ミスを犯さないから問題はない、

とぬかしたヤツラは、許せない!」

と、根岸が絶叫するのです。

- 写真:Album/アフロ



23年前、すでに今の日本を予期していたのか…?!


核分裂によるエネルギーを利用する、
原子力発電所の存在が許せないという、
私的なまでに強烈な警鐘メッセージ。


もの凄く強烈です。

しかし、今、日本で起きている現実の方が、はるかに恐ろしいのです。

忘れてはいけません。


黒澤監督は、
チェルノブイリ原子力発電所事故を受けて、
未来の日本に向け、
一刻の猶予も許さないほどに危機的状況だと、警鐘を鳴らしていたのではないでしょうか。


黒澤監督は、この映画が公開されたのと同じ年に刊行された
「黒澤明、宮崎駿、北野武ー日本の三人の演出家」(ロッキング・オン社)でのインタビューで、原発について、

「作った場合にさ、人間では制御できない性質を持ってるわけでしょ?
それを作るっていうのが、そもそも僕は間違いだと思う」と断言していました。

「日本は地震も起こるわけだしね、いつ旅客機が墜落してぶつからないとも限らないわけでしょ。(中略)
もし日本でそういうことが起こったら日本だけの問題じゃないよ」とも発言していました。



先日、引退表明された宮崎駿監督が、
ご自身のお考えを明確にし、

「ジブリは原発ぬきの電気で映画を作りたい」と事務所に掲げていたりしたことを、

なぜこの方はこんなにも堂々となされるのだろう、と尊敬していましたが、

もしかすると、
宮崎駿監督の心の中には、
この、黒澤明監督の存在が、いつも、胸にあったからではないでしょうか。


生き様。


経済のためじゃなく命のために、
自分たちだけじゃなく未来の全体のために、

そして、自らの立場を顧みず、
それらの本音を貫く姿勢。


先人たちが私たちに見せてくれた姿勢を、

無にすることも、

よし!私たちの世代でなんとか氣づこう!変えていこう!

と動くことも、

私たち大人には、できるのです。


黒澤明監督の「夢」は、
このまま、正夢にするんじゃなく、

希望ある夢へ、転換するためのきっかけに、ぜひともしたいと私は思うのです。


さぁ、どんな未来を、選択しましょうか。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

2013.09.20

お手玉あそび

今日9月20日は、
新居浜の方には、何の日か、ご存知であってほしいのですが…どうでしょう?


今日は、『お手玉の日』です。


平成4年9月20日に、
「第1回全国お手玉遊び大会」が新居浜で開催されたことを記念して。

本部もこの、新居浜にあるのです。



お手玉は、日本の伝承文化。

おばあちゃんから孫へと伝えられてきた隔世伝承ですが、
遊びを通して、人のぬくもりを感じられるもの。


私自身は、お手玉は、お手玉という呼び方しか知らなかったのですが、
実は全国では、様々な呼び方があるんですね。

「おむく」「おのせ」「おこんめ」「おひと」「いしなんご」「なっこ」「いっついこ」「ななつご」「おじゃみ」…

あなたの地方では、何と呼んでいますか?


今のお手玉のように、
小石や小豆、じゅず玉などを入れた布袋のお手玉は、
江戸時代から作られていたようですが、

その原型とも言える、石や動物の骨での遊びの歴史は大変古く、
古代ギリシャにまで遡るのだとか…


私たちが知るお手玉の遊び方は、
お手玉を上に投げて、取ってという「振り技(ゆり玉)」という遊び方と、
一つを投げている間に下に散らばったお手玉を寄せ集める「拾い技(よせ玉)」という遊び方の2種類に分かれます。


古代ギリシャのお手玉の原型は、
後者の「拾い技」と同じような遊びで、「アストラガリ」と呼ばれ、
羊のかかとの骨を使って遊んでいたそうです。

やがて、インドや中国を経てアジア全体へと広がるにつれて、
手に入り難い羊の骨から、近くにある石を使って遊ぶようになったそう。

形や素材に違いはあれど、
同じルーツを持つお手玉は、今も世界中の人たちが楽しんでいるようです。


日本でも、そんなお手玉の原型が登場したのは平安時代。

女の子の間で楽しまれた「いしなどり」という遊び。

「いしなどり」は、あらかじめ数個の小石をばらまいておいて、
そのうちの一つを上に投げ、その石が落ちてこない間に、
まいてある石をつかみ、石をつかんだその手で、落ちてくる石をつかむ。

そして、順番に次々と石を拾っては投げ、拾っては投げ、
すべての石を拾いつくしたほうが勝ちというルール。

これは、まさしく「拾い技」。


平安時代の歴史物語『栄花物語』には、
第62代・村上天皇が、宮廷で女御たちの「いしなどり」を見物するシーンが出てきたり、

『源平盛衰記』には、
「知康という名手が、源頼朝の孫・一幡に呼ばれて、その目の前で、4個の小石を投げては受けるという芸を見せた」
という記述があり、こちらは「振り技」。まさに「ジャグリング」です。

この時代に、すでに曲芸として見せるプロがいたんですね。
 

こんなに古くから遊ばれてきたお手玉。

それも、身分の高い方々が、こうして遊ばれていたという事実が残っています。


今改めて、新居浜での大会の日を記念として、お手玉の日が制定されていることを、
誇らしく、また、

この伝承文化を、次の世代にも繋いでいけるよう、大切にしていきたいと思います。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

2013.09.19

苗字の日

9月19日は、十五夜であったと同時に、
苗字の日でもありました。



明治8年9月19日、
太政官布告により、平民も苗字を名乗ることが許されたのです。

それ以前は、特例を除き、
庶民が苗字を持つことは禁止されていました。

元々は、生を受けると同時に授かる、自分自身への名前。
それだけでした。

長い間、名前だけに親しんでいたためか、許されても、
人々は苗字を名乗ろうとせず、なかなか根づきませんでした。

そのため最後には、苗字を持つことを、政府が義務づけたのです。

土地から、職業から、
主に苗字は考え出され、生み出されてきました。


ですが私たちは体験的に、
本当に大切なのは、

自分自身がこの世に生まれ来た時の、役割である、使命である、氏名であるということを、
分かっているのではないでしょうか。


私がお伝えさせていただいている、名前のことだまも、
その方自身のお話をするとき、使命のお話をさせていただくことは、

その方の下のお名前を指して、意識をしていただき、
その方が持っている名前の音の響きから、

本来その方が生まれて来たことの使命を、解いて、
お伝えさせていただくということです。


もちろん、苗字も大切です。

それは、あなた自身のことというよりも、
あなたと深く関わりのあった、あなたの家系の秘密が隠されています。

だけれどまずは、自分自身の使命を受け取ること。


初級ことだま師では、下のお名前での、ことだまをお伝えします。

苗字で家系を紐解くのは、上級ことだま師になってから。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

さぁ、いよいよ十五夜です。

昨日は、十五夜の一ヶ月後に十三夜があり、
その二度月を愛でて、お月見という、
ということをご紹介しましたが、

今日は、このお月見の際、

お月さまの光のもとにお供えする、お供え物についてご紹介します。


お月見といえば、まずは月見団子。

十五夜にちなんで15個の月見団子です。

そして、
一株から、子芋、孫芋と増えていくことから、子孫繁栄の象徴として、
里芋をお供え。

それから、
栗、柿、ぶどう、枝豆などの秋の野菜や果物。

そして、
尾花(すすき)、萩、葛、撫子、桔梗、女郎花、藤袴の秋の七草。


もちろんすべて揃えないといけないわけではありませんが、
お団子や里芋のまぁるさと、すすきは定番のイメージですね。

ただし、すすきは、
実は関東の風習で、関西ではお供えする習慣が無いようです。



このお供え物を巡っては、色々な言い伝えがあります。

なんと、

「十五夜の団子を盗まれた家は、豊作になる」

「盗んだ人にも良いことがある」

「若い娘は供え物を食べてはいけない。嫁に行けなくなる」

など。


女性の生理と月の満ち欠けには関連があるため、
供え物は禁忌としたのかもしれませんね。


今夜のお供え物、お団子の数がそっと少なくなっていたら、
ひそかに、小さくガッツポーズですね。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
かありがとうございます。 愛子

2013.09.17

夜空澄む季節

いまの季節、夜になるとひんやりと、少し肌寒いけれど、
空気が本当に澄んでいて、スッキリと気持ちがいい。

冬の空気も澄んでいるけれど、
どこかピシッと張りつめた感じがあります。

この季節は、張りつめてもいないし緩んでもいない、
ひたすら澄み切っているような気持ち良さがありますね。



お月見の風習も、中国大陸から入ってきたもので、
日本でも奈良時代、平安時代から、貴族の間で、
月を愛で、歌を詠む習慣が始まりました。


もうすぐ十五夜お月さま。
今年は9月19日だそうです。

そして、その約一ヶ月後の10月17日が十三夜。


十五夜も、十三夜も、

両方の月を愛でることを『お月見』といいました。

片方だけだと、片月見。


私たちは通常、
10月にするのがお月見、という感覚を持っているようですが、

この十三夜については、
中国から月見文化が入ってくる前から、行われていたからのようです。


十五夜の19日まであと少し。

その前日、18日を、待宵(まつよい)とか小望月(こもちづき)と呼び、

十五夜に天候が悪く、お月さまが見られなかったら…と、
前日から月を眺める習慣があったようです。


今夜の月も、美しいでしょうね。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

2013.09.16

としよりの日

今日は敬老の日でした。

みなさんはおじいちゃん、おばあちゃんに、
日頃の感謝の気持ちをお伝えすることができたでしょうか?

感謝をお伝えすることができる人がいるということは、
とっても幸せなことですね。



この「敬老の日」の歴史は意外に浅いのですが、
母の日のように、海外からの習わしとして伝わったものではなく、

日本で始まったもので、世界にはない日です。


兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町八千代区)で、
昭和22年に提唱された『としよりの日』が起源です。

「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて、村作りをしよう」と、

農閑期で気候も良い、9月15日を「としよりの日」と定め、敬老会を開いていました。

昭和25年からは兵庫県全体で行われるようになり、後に全国に広がりました。

昭和39年には「老人の日」と改称され、
翌昭和40年に野間谷村から、政府へ働きかけ、国民の祝日「敬老の日」に制定されました。


提唱した「八千代町」では、
小中学生が地域の年長者に向けて、日々の感謝と敬意を表して手紙を書くという慣習を小学校に導入し、
夏休みの宿題として、読書感想文と並んで実施されているといいます。


確かに、すでに国民の祝日として、
こどもの日や成人の日があったのですから、

としよりの日、老人の日、敬老の日、
あって当然のように思います。



私たちがこの命を生きてゆく中、

命はまったくもって、とても自由な存在です。


本来は、制約など何もありません。


学校へ行かなくてはいけない。
この仕事をしなくてはいけない。

本当にしなくてはいけないのか。

そんなことはないはずです。


いや、そんなことを言ったって、
もし私が行かなければ、こうでああで、どうでこうで…

色々と事情はあるでしょうけれど。


命のレベルで、必ず決められていることなど何も無い。

すべて、あなたの命に従って生きることができるはずです。


ただ、絶対に決められていることは、

私たちは必ず老い、死んでゆくということだけ。


それ以外のことは、何も決まっていないのです。


必ず、老い、死にゆくなら…



人生の諸先輩がたに敬意を表しつつ、
先輩方しか知り得ない様々な当時のお話を聴かせていただきつつ、

私たち自身も、いかにして老い、死にゆくのかを、
今一度、考えたいものですね。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

日曜日は、運動会。の予定が、雨のため順延。

私の勤めている会社は、ケーブルテレビ局ですので、
地域の行事ごとを、本当につぶさに取材に行きます。

私も来週末は、運動会の撮影当番です。


今日は私は、偶然にも、
来月ロックバンドおかんに来てもらう会場である、
新居浜ジャンドールでの、取材項目にあたっていました。

ちゃんと、フライヤーも、貼ってくれてました!




しかも、今日は、さくらバンドのイベント。


さくらバンドというのは、
知的障害者支援施設『東予学園』の利用者の方で構成されているバンドで、

実は、今年2月に、おかん感謝祭をこの場所で開催した際に、
私のほうから、おかんの演奏前に出演を、
と依頼させていただいていたバンドです。


結果的には、おかんが大阪城ホールを控えた、
最後のイベントになる、という大切なステージだという点で、

イベントのタイムスケジュールや段取りをとても気にしてくださって、
一緒にやる、ということは出来なかったのですが、

今日、仕事を通して、生で演奏を聴かせていただくことができて、
とっても嬉しかったです。


さくらバンドの前にも、
この新居浜西条で活動されているアマチュアバンドの方や、

障害を持たれている方のハンドベルの素晴らしい演奏など、様々。


そしてさくらバンドは、
リンゴ追分、優しさに包まれたなら、千の風になってを演奏。


楽器の演奏、とてもしっかりとしています。

知的障害を持つ方ばかりですから、
すべてを、当たり前にうまくこなすということは難しいです。

もの凄く上手だ!というわけではありません。


ただ…
その姿を、その歌声を、見て、聴いていると、

何か、とても感動するのです。


ボーカルの男の子が丁寧に紡ぐ一言一言が、
とても尊い言葉に思え、まっすぐに響いてくるのです。

彼が、どんなにこの言葉を、大切に大切にしているのだろうか…
そう思うと、胸が熱くなります。



そして、演奏していたひとりの女の子は、
たどたどしくなりながら、ゆっくりと、だけどしっかりと、語っていました。


「私は3歳のときから、ピアノを弾いて、今でも、楽しく弾くことができます。
これも、すべて、お母さんが、ピアノを習わせてくれたおかげです。
本当に有難うございます。
みなさん、今日は来てくれて有難うございます。
楽しんで帰ってください。」

一生懸命、この言葉を紡ぎました。


司会をしていた夢子さんというピアニストの方も、涙ぐんでいました。


丁寧に丁寧に、一生懸命、語り、歌い、演奏し、

その言葉が、その音が、

確かに私たちの胸に響いてくるのです。


立ち止まって、心を留めたら、

見えていなかったものが見えてくるようになる。

感じなかったことを、感じられるようになる。


言葉が、音が、共鳴しあう、ふしぎ。


早速編集も終えて、明日のニュースで放送です。




そう、言葉や音の共鳴という意味では、

ロックバンドおかんも先週、
台湾最大、10万人が訪れる音楽フェスのメインステージで、
なんと50分間もパフォーマンスをさせていただきました。

音楽は国境を超える、と、よく耳にするフレーズではありますが、

自分にとって身近な仲間が、
実際に超えて見せてくれたことは、初めてでした。


台湾の若者たちが、泣き、震えてる姿、
その様子を見るだけで、心が震えました。




音楽も、言葉であり、音であり、

ことだまだから、なのかも、しれません。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

『忍耐』という言葉は、いかにも日本人らしく、
忍耐強いといえば、日本人の特性のように言われてきました。


私たちは今となっては、それを、
少しばかり気恥ずかしいような気になって、

普段は、

何かに一生懸命に打ち込むことも、
何かに向かって諦めずに進み続けることま、

どこかで、
周囲の目を気にして、恥ずかしいからと、中途半端にしてやめてみたりします。


だけど本来日本人は、
親切で優しくて忍耐強い。


阪神淡路大震災のときも、東北大震災のときも、

世界各国から、また、普段は反日感情の強い国からも、
日本人の精神性は崇高である、自分たちにはとても真似はできない、と、
一様に賞賛の声が寄せられました。


どんな状況にあっても、
苦しいのは皆同じだからと、

どこの場面でも、文句も言わず整然と並び、他者を思いやる人々。




崇高な精神性を持っていたのは、
何も過去の歴史上の人物たちだけではありません。

今を生きる私たちの中にも、確かに根づいています。


世界から賞賛されていたらしい、と耳にして、
また、照れてごまかすのではなくって、
本当に、照れずによく考えてみてほしいのです。


こんな精神性を持っている日本人というのは、
本当に、本当に、貴重なんです。


私たちは普段、生きてゆく中で、誰しも、

もう、すべてを投げ出してしまいたくなる時があると思います。


私もそうです。

今、取り組んでいること。

そのすべてを、何もかも、そっくり、もう、やめてしまおうか…
本気で考えることも、あります。

その瀬戸際を、行ったり来たりしながら、最後には、なんとか、
投げ出すことは選ばずに…
とにかく一歩だけでも、前に足を出してみて、
強制的に次の一歩が出るように…


耐えることが得意だからといって、

どうしても我慢ならない、正義に照らして、これはおかしいと思うことを、
我慢することは、全く逆なのです。


震災発生時、整然と並んでいた人たちは、
嫌々な気持ちで、耐えていたのではなく、

自分のために、周囲の人たちのために、
どう行動することが、一番いいのだろうか、と考えた末、

我慢してでも、

その先に待つであろう、自分も人々も幸せな気持ちになれる未来へ、
心の焦点が合っているから、

目の前のものに節操なく飛びついたりすることなく、
『忍耐』で切り抜けることができるのです。



それが希望へ続く道ならば、
瀬戸際に葛藤したとしても、最後は、

忍耐力で、進んでいきましょう。


努力と忍耐という言葉はカッコ悪い、
そんなことを言って、カッコつける必要はありません。

一生懸命葛藤するあなたは、美しいから。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。

2013.09.13

ラジオ告知

先日のFM愛媛での出演に続き、
今日は、今治のコミュニティFMラジオバリバリで、

10/20のおかんLIVEの告知をさせていただきました!

LIVEまで一ヶ月しかない!
という準備期間の中では、
告知が、とにかく命…

宣伝をさせていただける機会が、本当に有難いです。


FM愛媛の猪井真弓さんは、新居浜のご出身で、
1回目のおかん感謝祭の時から声はかけてくださってたんですが、
なかなかタイミングが合わずに出演が叶いませんでした。

今回は、早々にご連絡をいただいたので、ふたつの番組でご紹介いただくことができました。



がんばってる方を、応援したいんです!と言ってくださいました。
感謝です!


今治のほうは、
以前からお友達の、今治のリアルゆるキャラ?!まさえもんさん。

まさえもんさんには、9/9のおかん感謝祭のとき、
立派な雛飾りのブースを出していただいたりしました。



と、スマイルプレゼンター貴さん。
貴さんのラジオでは、以前に、おかんのボーカルDAIと電話を繋いで、
ラジオ電話出演もしてもらいました。




普段、イベントの告知活動を一生懸命行っているときというのは、
あまり質問されたり、
興味深い投げかけをされたりしない中でも、

一生懸命想いや経緯を語らせていただくわけなのですが、

このラジオというのは、本当にお話しやすいです。

15分や、30分という時間の中で、
限られた時間の中だけれど、

その奥にあるものにしっかりとフォーカスしようと、
真摯にお話を聴いてくださるパーソナリティーの方とする会話は、

本当に気持ちがよいものですし、
私も本当の言葉が出てきます。


『会話』を気持ちよいと感じたり、
まるでデトックスでもするように、

話し終わったとき互いにスッキリとしている感覚。


話をするって、こうじゃなくっちゃ!

本当に皆さん、ありがとうございました!

10/20 おかん大阪城ホールありがとうツアーin愛媛

16:00~18:00 新居浜ジャンドールにて。


心が震える感動を一緒に、味わいましょう!!


【おかんLIVE告知・ラジオ出演】

★FM愛媛★猪井真弓さん
9/19(木)11:40~ えひめまるごと15分
10/5(土 )11:00~ Radiant 幸せのとき

★今治ラジオバリバリ★
9/16 (月)13:30~ 和来和来親父の浮世話(まさえもん)

9/23 (月)17:00~ 今治ブログウォーカー(スマイルプレゼンター貴)
9/25 (水)7:30~ 再放送

10/14(月)13:30~ 和来和来親父の浮世話(まさえもん)


ちなみに貴さんのラジオの中では、
少しだけ、名前のことだまのお話をさせていただきました。

貴さん、ラジオ収録中でも鳥肌が立った!と言ってくださいました。


おかんのイベントが終わったら、
ことだまのお話で今度はラジオに!
とお約束して帰ってきました。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

『日本に氣づけるブログ~SAKIWAHI』として、
お昼休みの時間や、移動中、一日の全てを終えた後の睡魔と闘いながら等(笑)

毎日スマートフォンからこのブログを書いているのですが、

100日余りが経過したというのに、
こんな大事なテーマを書いてなかったとは、反省です。


『おむすび』のこと。


世界に自慢できる、日本の『力』。


日本人は太古の昔から、おむすびを食していたようです。

約2000年前の竪穴式住居の中から、おむすびの化石が出現しています。

笹を筒状に折り、中に飯を入れて、円錐状にした形の物だったそうです。


この「山」のような形状。


日本人はかつて、

目に見えないものの力は、
どこか手の届かない上のほうにある、と考えて、

手の届かない上のほうにあるものとして、
山の上に、神様がいらっしゃると考えました。


おむすび。

お産霊。

産霊(むすひ)とは、万物を産み、生成、発展させる、神霊のこと。

そしてこれを尊び、御産霊。おむすび。と呼んだのでは。


全く同じ米と塩のごはんと、
それを素手で握ってやったのとでは、

握られたおむすびのほうが、美味しいと感じることはありませんか?


愛情が篭ってるから。


と、よく言います。

これ、まさに、当たりです。


私たちが米や麦などを摂るとき、炭水化物を摂取すると同時に、
更に、もっと大切なことがありました。

『氣』を、取り込むことです。


おむすびとは、自然の恵みをふんだんに浴びたお米の『氣』を、
ギューと凝縮して結合させた(結んだ)もの。


現代では、この役目を、お薬にさせようとしている節がありますが、
おむすびはその、今で云う薬のように、

氣を込めて握れば、食べた人を元気にしたのです。


気持ちを込めたおむすびも、時間が経つと腐ります。
これは、気が枯れてきたから。

これを、気枯れ(けがれ)と言い、穢れの語源でもあります。


そして、米と塩をまぶしたものより、
素手で握ったおむすびが美味しい理由は、もうひとつ。


米の澱粉と、塩と、手のひらにある常在菌。

これらが合わさり、乳酸菌の発酵が始まるので、
握りたてすぐよりも、握られてから、少し時間が経ったおむすびのほうが、

より美味しく感じるでしょう。


お母さんが遠足のときに作ってくれたお弁当。

朝お母さんが、
「今日もこの子が楽しくお友達と過ごせますように。これを食べて元気と栄養が補給できますように。」
と、氣を込めて、おむすびを握ってくれます。

そうすると、
遠足で山の頂上でお弁当を広げ、おむすびを頬張ったとき、

感動的なほど美味しかった理由がわかります。


外で食べるから。
がんばって歩いたから。


あの時のおむすびが美味しかったのは、
それだけじゃ、なかったんですね。



おむすびはまさに、日本の、お袋の味。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子


 

もう12年前も前のことになるんですね。9.11。

当時私はハタチ。大学2年生。

なぜだか思い出せませんが、この日私は実家に居ました。

いつもよりも、両親が早く2階へ上がり就寝。

私はこの頃、テレビをよく観る子だったので、
ひとり、テレビを観ていました。


すると両親が2階に上がって10分もしないうちに、
驚くべきニュースが飛び込んで来て、すべての番組が中断されました。



これは…これは恐ろしいことになる…

見ているうちに段々恐ろしくなってきてきました。

慌てて私は階段を駆け上がり、
両親に、
「ねぇ!起きて!たった今ニュースで!アメリカに飛行機が突っ込んだの!大変!NHKもずっとやってる!放送が全部それになって!」
と興奮して言うのですが、

両親は、分かった分かった、明日起きてニュース見るよ、なんて…。


私は気になるからまたすぐ1階に降りてきて、
またニュースを見つめていました。

すると、だんだんだんだん、恐くてたまらなくなってきました。


もう一度2階に上がって、両親が寝ているのを確認したり、
友達に電話をかけて、大丈夫?と確認したりしました。


これはニューヨークで起こっていることで、
今ただちに身の廻りに起こっていることではないことは、分かっていても、

何か、恐くて、
すぐにも戦争になるんじゃないかというような、
居ても立ってもいられないような状態だったことを憶えています。


実際この時間は、
日本時間で9.11の午後9時45分。
現地時間は、午前8時45分でした。


NHKニュースはもちろん、どのチャンネルでも、一斉に中継がはじまりました。


いま、後になって考えてゆくと、
あまりにもこの時各社、報道準備がバッチリでした。

2機目がWTCに激突するまでは、
1機目が衝突してから、わずか17分でした。


この、発生からわずか17分の間に、
上空からの中継が出来ている…

とても、不思議な現象ですね。


ウサマビンラディン氏が殺害されてからは、
もう、9.11のことを、取り立てて追求する人たちは目に見えては、
居なくなってしまいました。


単なる風化と呼ぶには少し、
あまりにも複雑な事情があるように、直感的に感じます。



私たちは、世間一般の噂話や、

誰かが、作為を持って行っているものからは、

いとも簡単にその情報を受け入れる習慣があります。

それなのに、
自分で、本当のことはどこにあるのか、と探る目を持とうとしない。



無関心が加速し、行動がゼロということは、

これは、
思惑のある人たちにとって、最も望んでいることのはずです。


選挙と同じです。

無関心、入れる人が居ない、だからどうもしない、
という意思表示は、

実は、

権力者の思うツボ、と加算されてゆくものだったんです。


みんなが、
私たちは本当のことを知りたい!という姿勢を見せることができたら、

きっと、それこそ、
それで初めて、私たちを、無視できなくなるはずです。


本当のことを知ろうとする姿勢は、
自分自身のことだけでなく、

多くの人たちの命や生活に関わってくることです。


どうか、知ろうとする姿勢を、やめないでください。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

10年前の9月10日、

スウェーデンで「世界自殺防止会議」が、WHOと国際自殺予防学会(IASP)の共催で開催されました。

これにより、この日は世界自殺予防デーと位置づけられました。

日本でも6年前から、
この世界自殺予防デーに因んで、9月10日から16日までの1週間が、自殺予防週間に設定されました。


ご存知の通り、日本の自殺者数は、毎年3万人を越えています。

それも、明らかな自殺と認定されている案件のみに限っているため、
調査する方によっては、実際の人数は、その倍とも、3倍とも、言われています。


本当は、本来は、生を受けたことそのものが、
とても幸せな存在だということなのですが、
様々な事情から、

自分は本来、幸せな存在だからこそ、生まれてきた、
幸せな存在だからこそ、誰かを笑わせるために、誰かの役に立つために、

役割をいただいている大切な大切な存在であるということを、

忘れてしまって、わからなくなってしまって、


自分など必要ない、もうすべては終わりだ、
という「誤解」の中にはまって抜け出せなくなってしまう…


本当に、本当に、残念で、悔しくて、たまらないことです。


倒産、失業、大切な人の死、いじめ、介護…様々な理由があると思いますが、
最後は、
周囲に、どれだけその人のことを本気で考えてくれる、愛で接してくれる人が居たか、ということ。

それはやはり、大きいと思います。


本気で考えてくれる、というのは、本気でその人の気持ちに寄り添うということで、

例えば、少し強烈かもしれませんが、

どんなに寄り添っても、
どうしても自分は死ぬ!と言い張られたとき、
じゃあ一緒に死のう、私を、先に・・・


例えて言うなら、そこまでの本気の覚悟を持って、その人の心に寄り添う人が、
その人の身近に居たならば・・・


私はそう考えてしまいます。


これは少し強烈だったかもしれませんが、人と本気で付き合っていくというのは、
これに近いようなことだと、思います。


しかしそれでも最終的には、
うつ状態になり、冷静な判断ができなくなってしまい、
本来のその人の意思とは裏腹に行動してしまうこともあると思います。


このような状態になっていく原因は、「出来事」の側面はもちろんのこと、「食べ物」などの環境的原因があるとも言われています。
現に、低血糖状態になると、うつ状態に近い体の症状が出るそうです。


原因はひとつではなく、単純な問題ではないけれど、
私は、

私に出来ることで、普段から、
「あなたはどんなにこの世界に必要な、大切な存在なのか」ということを、

お伝えしていきたいと思っています。

それが私にとっては、「名前のことだま」であり、
ロックバンドおかんにとっては「唄」です。


あくまでこれらは手段のひとつだけれど、伝えたい思いは、同じです。


実はおかんも、
大切な人を、自ら命を断つという方法でなくしています。

自分たちと出逢い、自分たちの唄を一度でも聴いた人を、
絶対に自ら死なせることはしない!

そんな覚悟が背後にあるから、
彼らの唄には魂がこもっています。



おかんの曲、好きな曲が沢山あるのですが、
『君の代わりはいない』という唄に、このことがよく現れているように思います。


『自分ひとりが声にしたって、何も変わらないんじゃないか。
自分ひとりいなくなったって、誰も困らないんじゃないか……

君の代わりはいない!世界中探してもいない。
君とあの人に流れてた時を埋められる人はいないから。


その手のひら見て。きっと誰かを支えられるよ。
その頬に触れて。もっと誰かを笑顔にできるよ。
あなたが傍にいると、それだけで安らげる人がいる。
あなたじゃないと駄目だと、会えるを待っている人がいる…』


私がおかんに出会った頃、いちばん好きだったのは、この唄でした。

まさに自分自身のようでした。


それは違うんじゃないのか。
本当はこうなんじゃないのか。


思うことがあっても、
結局、自分ひとりが声をあげたところで、何も変わらない。

沢山の人たちが、楽しそうに盛り上がっている中で、
自分がスッとその場から消えたところで、
誰も気にはしない…


私自身もどこか、無力感や卑屈さを持っていたから。

だから、この曲を涙なくしていつも聴けませんでした。


こんな風な無力感を感じている方は、思った以上に多く、

こんな風に、自分の力を見くびってしまうところから、
すべての寂しい結末は始まっているような気がします…


だけど、私は今はもう、大丈夫。


自分自身のことよりも、
誰か、そんな風に感じている誰かが、

自分の存在の大切さに気づいてくれたら、と一生懸命な気持ちになるから。


人というのは、
自分だけの為じゃなく、

誰かの為になるような時には、
より一層の、ひとりじゃ出なかったような大きな力が、出るようになるんですね。

私自身もそのようにして、強くなってきたように思います。


一人でも多くの方に、

生まれた時から、
ちゃんと役目があるということを、お伝えできますように。

名前のことだまを介して、
おかんを介して。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

本日9月9日は、
福岡の高倉太郎さんと、その同級生の原康一さんと、
四国の大自然をぐるぐるり。

徳島の祖谷渓谷、かずら橋、
高知の大豊、大杉…








9月9日といえば、
昨年、おかん感謝祭第1章を開催した日です。

そのときのイベント内容は、

落語家の立川平林さん、
太郎さんの講演、
ロックバンドおかんのLIVEでした。


お子様連れのお母さんは、無料!
という設定にしたこのイベント、

理由は、太郎さんのお話を、
親子で聴いてほしかったから。


実のお母さんと45年間生き別れになっていて、
自身の50歳の誕生日の日に、初めて再会できた、

そのときの映像があり、
そのときのお話を、

お母さんへ、ただ、

生んでくれてありがとう、
長い間見つけてあげられなくてごめんねを、

伝えたかったというお話を、していただきました。

沢山の親子さんが、400人近く来場してくださいました。




1年後の同じ日に、
太郎さんとまたお会いできているという幸せ。


思えば、太郎さんは、この日を境に、
頻繁に四国を訪れることになり、

愛媛県だけでも、この1年間で10回程いらっしゃっています。


立川平林さんも、同じくらいの頻度で新居浜に来られています。


そしておかんも、
そのあとの2月9日のおかん感謝祭と、
大阪城ホールを終えた1ヶ月後の5月に、私の自宅に来てくれました。


そして、今度、10月20日にも、
大阪城ホールありがとう!LIVEにやってきます!


私自身も、この1年間に、
ずいぶん色んな経験をさせていただき、

色んな方に出逢い、
助けていただく経験をしてきました。

忙しく動き回る中で、
母が病になり、

そこでこれまでの出逢いのすべてが繋がり光となり、降り注ぎ、
私を強く、次のステージへと後押ししてくれて、

このブログもスタートしました。

これからは自分自身、更に、もっともっと、
人と人を繋いだり、そこにご縁を根付かせたり、

少しでもどなたかの力になれるように、
がんばっていきたいと考えております。

懸命に動く中で、本当に、
動く者自身が、多くの励みをいただくものだと、今、とても実感します。



夜、太郎さんたちをフェリーにお送りした後は、
FM愛媛さんに立ち寄り、今回のロックバンドおかんのLIVEの告知をさせていただきました。

猪井真弓さんという素敵なパーソナリティーの方に声をかけていただき、
番組に呼んでいただくことができたのですが、

この真弓さんは新居浜出身で、
新居浜の情報にはよく、アンテナを張ってくださっているようで、

準備期間の短い今回、告知機会をいただけることは、
本当に有難いことです。


今回の収録内容は、FM愛媛にて、

9/19(月)11:40~ えひめまるごと15分

10/5(土)11:00~ Radiant 幸せのとき

の中で、ご紹介いただけることになっています。

愛媛県の方はぜひ、聴いてください。




今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

2020年 東京オリンピック招致決定。

この大きなニュースの中には、
本当に無数の人たちの努力と、真心と、誠意と、駆け引きと、犠牲と…

私たちには目に見えぬドラマが数々と隠されていることだと思います。



1964年 東京オリンピック開催。

1923年に、関東大震災に見舞われ、

その約20年後に、大東亜戦争が起こり、
その約20年後に、東京オリンピックは開催されました。


強い国へと立て直し、経済復興を見事に遂げた日本を、
世界の皆さまにご覧いただく機会になったことと思います。

また、そのための大きな目標となったでしょう。

見ていただけるだけの国になろうという目標に。





今度の、56年ぶりの東京オリンピックでは、

私たちは、世界に、私たちの、
どんな国になったところを、見てほしいだろうか。


そのためには、
どうしていくのがいいんだろうか。



今回の東京オリンピックは、
強さや、経済復興といった、そういったものよりも、

本来の日本の素晴らしさ。
原点回帰を、見せたい。

私は、そう思います。


311への世界のみなさんへの、溢れる感謝の気持ちと、

そんな私たちだからこそ、生み出せる、出来る、
原点に還る新しい価値観の中で、

本来の日本人性の素晴らしさを発揮すること。


今回は、そちらのほうが大切なことのように、私は感じています。


日本人なら、本来はどうするだろうか。
先人たちなら、どんな振る舞いをするだろうか。


そのことを心に置きながら、

ゴールに向かって、

選手でない私たち一人ひとりには、
どんな生き方をお見せできるのかを、

しっかり見据え、残りの7年を過ごしましょう。


7年後ともなれば、

むやみな生き方を反省し、改めなければ、
オリンピックどころか、
地球さえ、むしろ無くなっている可能性だって、

あるのですから。


本当の豊かさとは…
未来に渡って続いてゆくとは…
自然と共存するとは…


いつも問いながら…

7年後の世界が、美しく平和でありますように。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

『神話を失った民族は、滅びる。』


そんな風な考え方があります。

私も、そう考えています。


なぜ?
私たちは今、生きているのか。


体の中のすべての細胞が、一瞬たりと休むことなく、
正常に動き続けてくれているから。

それは、ご両親がいて、愛を注がれ、
動植物から直接的に命を戴けているから。


すべての物が、私たちを、生かそう生かそうと、
働いてくれているから。


なぜそんなにも私たちは、生かされるのか。

生きるに値するから。生きていていいから。

何かの、役目(使命)があるから。


有難くも、他の命の犠牲のもとに生かされている以上、

その、何かのお役目というものを、果たしてから死なねばならないと、

そういう責任を背負っているものだと思っています。


責任が重いと同時に、幸せな思いも沢山します。


誰かのお陰さまで、目には見えない何かのお陰さまで、

ともかくお役目をいただき、命を生きながらえさせていただいています。



神話というものは、物語であって、

正確な事実ですか?それとも違うんですか?

というものではありません。


そうである、もしくは、そうであるかもしれない、


というものの存在が、自分の内側にあって、
そのことに氣づき、その存在を認めながら生きてゆく。


それが、『神話のある国』である気がします。



今夜は、地元・一宮神社(いっくじんじゃ)の境内で、
〈日本神話への誘い〉という語り舞台が行われ、

伊邪那岐と伊邪那美の国創りの部分が、
女優の水野真紀さんによって語られていました。



この国創りにおいて、
私の住む愛媛県という土地も、実は、

大変に大きな大きな働きがあったと私は感じています。


この公演は、平成15年から神社での公演を中心に、各地で行われてきたようですが、

10年目の今年、神社公演はわずか3ヶ所。
ここ愛媛県の一宮神社以外では、

三重県の熱田神宮と、5月に60年ぶりの遷宮を迎えた島根県の出雲大社。


初めて出雲大社(60年ごと)と伊勢神宮(20年ごと)の遷宮が重なった今年、
時代の流れがもはや一気に変化しています。

今年からが、とても重要です。


その年に、このような、古事記を地域の人たちをあげて、
共に聴く機会をつくれた新居浜市は、とても幸運ですし、

何かこれにも意味があると、考えてしまいますね。


私の感じている神話、古事記の解釈については、
また、いつかの機会にブログでご紹介したいと思いますが、

まずは今夜の、一宮神社と古事記の語り舞台が出逢うという、
素晴らしい機会に、感謝したいと思います。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただに、
ありがとうございます。 愛子

今日は有難いことに一日中、
山崎拓巳さんと行動を共にしていました。

先月広島でお会いした時に、実は、
ひょんなきっかけで、

新居浜に行くよ~!!なんて言ってくださって。

即座にセミナーをしに来てくださる日が決まり、
それならば、ということで、同日の昼間に、
松山の予定も作って、いらしてくださいました。


山崎拓巳さんといえば…
知っている方には説明不要ですね。

24冊の本を書かれているベストセラー作家でもあり、
アーティストでもあり…


私も未だにうまく説明できないのですが、
本当に、沢山の顔を持つ、物凄い方です。

ですが私は、世間的に凄いと言われている方だから、凄い、というのではなく、

実際に、何度もお会いして、その人柄に惹かれたんです。


これまで本当に、沢山の方にお会いしてきましたが、

何かの分野で、凄い!といって崇められるような対象の方で、

こんなにも、誰に対しても、

優しくて、気さくで、気遣いをされて、楽しい方を、
私は他に知りません。


普通の人であれば、収入と人脈がこれ程までに膨らめば、
周囲から、NOを言う人は居なくなり、

まるで天下を取ったような気持ちになるでしょう。

そうなったとしても、何ら不思議はないほどの方です。


松山では、わずか半月ほどの告知期間で、400人規模で人が集まっていました。





新居浜で、とてもとても小規模の限定人数で、
セミナーをしていただくのが、とても申し訳なくなってきました…


なんと私の話を座って聴いてくれている拓巳さんの姿も(笑)



こんなに拓巳さんと仲良く、近くなれたのは、
なんと、これも、

『ロックバンドおかん』がきっかけだったんです。

私がおかんをあまりに一生懸命応援してるものだから、
その様子をみていて、拓巳さんから、声をかけてくださったのが始まりでした。

おかん、いいよねー!!!

なんて。


懇親会も楽しかったなぁ~。

親しい仲間たちが、初・拓巳さんを体験している様子をみていて、
とても嬉しかった。


友達と友達が繋がって、
しかもそこで、具体的にワクワクするようなアイディアや、

意外な共通の知り合いを発見して驚いたりしながら、
親密になっていく様子を見ていると、

嬉しくって嬉しくって…



おかんを応援するというのは、
本当に無我夢中で何も考えず必死でやってきたことですが、

そのことがきっかけで、
気がつけば沢山の方々とご縁をいただけるようになっていて、

また、そのご縁を、次に繋ぐことができて…


自分がいただいた幸せを、
自分の身近な方にも繋いでいくことができる。

その橋渡しが出来るなんて、こんなに幸せなことはないです。


何しろ、拓巳さん、新居浜は25年ぶりだそうでした。

有難いです。






ただただ、幸せな一日をいただきました…

感謝感謝です。

これからもどんどん、ご縁を繋いでいきたいな、と思う夜でした。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

『初心忘るべからず』という格言が、あまりにも素晴らしすぎて、
すべての日本人が知っている言葉と言ってもいいほど、

しっかりと日本人の心に浸透しているものですね。


『初心にかえる』の、かえる、は、
『帰る』や『返る』と書くのが正しいようなのですが、

私の感覚的には、『還る』がしっくりきます。


本当に還ってゆき、
生まれたてのような、真っさらな自分に、ポーンと還ろうと、
赤ちゃんのときの自分の感覚まで辿ろうとすると、

それはそれは、好奇心旺盛。
見るものすべてが刺激的で、とにかく、見たい、触りたい、口にしたい。

何もかも、すべて、知りたい。

良いとか、悪いとか、そんな区別があることも知らない。

とにかく、何でも、知りたい。



我が身を振り返ってみると、

子どもの頃はずっとそんな好奇心旺盛で、やってきたのに、
やがて、成人を迎える年頃になった時くらいから、

見る、知る、範囲を、分野を狭めていって、
それを、
こだわりがあってかっこ良い生き方だと思うようになっていた時期がありました。

しかし、30歳を超えたくらいから再び、
また、何でも知りたいと思うようになってきました。


良いと言われることも、
悪いと言われることも。

すべてに好奇心がある、赤ちゃんだった頃の感覚が、
少しずつ、還ってきているような気がするのです。


知れば知るほど面白いことに、気づいてしまったから。

それは、知識を増やすことなのだと思っていたら、
どうやらそうではなさそうです。


知識よりも何よりも、
自分自身の精神や、対応力や、采配力といった、

自分自身の技能そのものを、どうやら鍛えているようなんです。


私は、
こうしていつも逃げてはいけませんが、ひとりっこだから、という面も多少あるのか、
いつも、
一匹狼で活動していくほうの人間でした。

けれど、ロックバンドおかんに出会い、
やがて地元でイベントを開催するなどということになり、

そうしていくうちに、
自分には、到底備わっていなかったような、

沢山の方の助けと力を借りながら、
皆で一緒に何かをつくりあげてゆく、

更にその指揮をとる、

などという、とんでもなく苦手なことに取り組むことになっていました。



この写真は1年前、初めてのイベント、
おかん感謝祭第一章の開演前、

スタッフや出演者の方の前でお話しているところですが、
沢山の人たちに、何かをお願いする、ということ自体も、

もはやその時点でとても苦手なことですから、
実はこの日この時が私はいちばん緊張していました。


これまでのイベントでもそうでしたし、
今回、急遽10/20にイベントをすることになった今も、

この数日の間で既に、
自分自身のそういった短所を、ありありと、嫌という程感じ、

とても落ち込んだりしていました。


ふだん、前向きに色々な取り組みをしていく中では、
自分の出来ない部分にフォーカスすることは、あまりありません。

けれど、
イベントを作るというような、

共同作業の、あらゆる側面を考えた時には、
自分のとっても苦手とする、自分自身の問題に、気づいてしまうのです。


嫌だ、見たくない…
辛い、見たくない…


だけれど、それを、

超えようとするのでなく、

還ろうとしたとき、


原点にかえり、初心にかえれば、

何のためにそれをするのか、を思い出し、しかも、

自分のそんな見たくない問題点でさえも、
知る、発見することの、ひとつだということに気づきます。


自分の外にある情報も、
自分の内にある感情も、

選り好みせず、

すべてを、私は、知りたい。


辛い現実を知ったり、
出来ない自分と出会うとしても、

それでも、知りたい。


今日9月5日は、マザーテレサの命日でしたが、
彼女の言う、愛の反対は無関心であるとしたら、


『知りたい』は、愛の始まりだと思うから。



初心に還り、知り続け、愛への道を歩きたい。



無限に成長し続けて、成長途中でこの命絶えることができるように、

いつも、初心に還り、知りたいという気持ちを、大切にしたいと思います。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

今日、こだままゆみさんにお会いしました。

こだままゆみ。

ひらがなにして見ると、読むと、
とっても愛おしい存在感を放ちますね。

名前のことだま的に言えば、

人を癒し、
共同作業をする中で人の規範となり、
人を磨き育てていくような、

そんなお役目をお持ちの方なのだろうなぁ~と思います。


まゆみさんにお会いできたので、
10/20に、ロックバンドおかんが、
再び新居浜にやってくることをお話しました。


まゆみさんと初めて出会ったのは、
昨年9/9のおかん感謝祭、開催4日前くらいだったと思います。

手話通訳もされている方です。

私は、わずか4日前に迫っているイベントだというのに、
図々しくも、「もし予定があいていたら、手話通訳をやっていただけませんか?」

とお願いしました。

まゆみさんは、戸惑いながらも、
私の必死の熱意に押される形で、

しかし快く、

しかも4人交代という完全体制で、

MC、落語、講演、LIVEという、
イベントの時間中、最初から最後まで、

手話通訳を引き受けてくださったのです。



おかんの意向を汲んだ、素晴らしいイベントに出来たのは、
この手話通訳をしてくださった皆さんのお力添えも大きかったのです。


そして私は、おかんの歌のとき、号泣したわけなのですが、
おかんの姿よりも、

まゆみさんの、歌の手話通訳される様子に、涙が止まりませんでした。


わずか数日前に初めて聞かされたイベントのこと、
知らないおかんというアーティストのこと、

それなのに、
それはそれは、ものすごく、
それはまるで、
まゆみさんが歌っているかのごとくに、

本当にハートの伝わる手話だったのです。

そのまゆみさんの姿を見て、私は号泣しました。




こんなに心を込めてやってくださるなんて…
感動でした…


心を込めるということ。


人が人に感動するとき。


それは、何か物事に向かうとき、

まごころから、心を込めるという行為。


それを感じて、
人は、人に、感動するのではないだろうか。

そんなことを教えてくれた方でした。

ロックバンドおかんにしても、やはりその姿勢です。

もちろん、どんなことをしている人でも同じです。


日本人の所作は、着物文化ひとつとってみても、

着る、着て見せる、洗う、たたむ、

あらゆる行為に、心を込めやすい。

心を込めることが得意な、人種だなぁと思います。


さて、今日は最後に、

このまゆみさんが、私に今日、
かけてくださった、印象に残った言葉を紹介したいと思います。


「私ね、さだまさしさんの『立ち止まった素描画』という歌が好きなの。

『地図にない場所に行こうと思うなら、まずは地図が必要だ』ってね。」


と。


私はふだん、新しいこと、新しい事業、新しい……
という中で仕事をさせていただいていて、

「でも私、本当は、古いことばかりが好きなんですよ。」

と漏らした私に対して、まゆみさんが教えてくれたんです。


温故知新。

故きを温ねて、新しきを知れば、以って師と為るべし。


ふるいことを知っているから、新しいことができる。

新しいことを生み出そうとするなら、
それが新しいかどうかを知るために、
古いことを知る必要がある。


無駄なものなど何ひとつない。


すべてに、心を込められるかどうか。

シンプルに、それだけなのかもしれません。


そして気がつけばやがていつか、人様から、
感動した、などと言っていただけるような人間に、私も育っていけるのかもしれない。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

こんばんは。
今日は初めての、お知らせブログを書きますね!
最後にお知らせがございますので、どうぞ最後までお付き合いください。



『頼まれごとは試されごと』と、中村文昭さんはおっしゃいます。


試された結果、
相手の予測を上回ったとき、素敵な未来への扉が開くのだと思います。

それが腹に落ちていると、
頼まれたら、

「やったー!これでまた、素敵な未来への扉が開くのね!」
と条件反射的に喜べますね。

私もなかなか、まだまだ反射神経が鈍いのですが、
後になってジワジワ、そうそう、これは、素敵な未来への扉だわ、と、
分かってくるタイプなのです。


昨日のこと。

いつもロックバンドおかんの事務局をしてくれている方から、
突然電話があり…お願いがあると…


「おかんが、大阪城ホールありがとうツアーをしたいと言っている。
愛媛でも、ぜひやりたいので、愛子ちゃんに諸々お願いできませんか?
50人くらい集まったのでもいいので。会場費が無料に近いような、どこでもいいので。」


日にちは既に決まってる。一ヶ月と少ししかない。

その日は自分自身予定も決まっていて、
人を集める時期としては、
こちらの地方祭直後という、難しい時期。


でも。
引き受けることだけは約束して電話を切りました。


条件反射は鈍くても、電話を切ったあと、ふつふつと湧いてくる、
素敵な未来への希望。。。

もう、突っ走るしかない!!



ロックバンドおかん、大阪城ホールLIVEを終えて、
ありがとうを伝えるツアーを全国で行っていきたいとのことでした。


決まっていることは、
料金体系と、愛媛では、10月20日にやる、ということだけ。

会場や、時間は、私に任せると。


先日の倫理法人会で、
ロックバンドおかんが、私のおかんの、お見舞いに、
私の家を訪れてくれるまでの経緯を、お話させていただきました。





この、お見舞いに来てくれた5/19、
ボーカルのDAIと、
改めて、大阪城ホールLIVE大成功について、これまでを色々と振り返って話をしていました。




大阪城ホールLIVEが終わって、当日の打ち上げも終わって、
すべてが片付いたあと、DAIと一瞬2人になる時間があったとき、

「お疲れさま」と、ひと言私が言いました。

そのとき、DAIはようやく、
「あぁ…終わったんだな…」と、感じたそうです。



当日のことを、色々と振り返り話している中で、
私が、彼から聴きたかった言葉がありました。

その言葉が、彼から自発的に出てきたことが、本当に嬉しかった。


彼はこの5/19、私にこう話してくれました。

「大阪城ホールに立つっていう巨大な夢に向かってるとき、
もちろん応援してくれる皆には感謝しか無かったし、
でも、日増しに応援してくれる人が増えていき、
日々一瞬たりとも立ち止まることが出来なかったとき、
やっぱり、段々いろんなことが分からなくなっていたと、
今振り返れば、そう思う。

当日も、これまで皆にもらった愛を、じゅうぶん噛み締めて、
その感謝の塊としてステージに上がりたかったのに、

皆からもらった愛があまりにも多すぎて、大き過ぎて、
うまく整理できず、ちゃんと思い返せなかった。

でも、いま一ヶ月が経って、やっと、

皆さんとの最初の出逢いや、交わした会話や、一緒に呑んだ酒の味や、
福島を訪れた時、皆さんが泣いてくれた顔や、
ぜんぶ明確に思い返せるようになってきた。

それで今、心底思う。

絶対!絶対!絶対!
お世話になった皆さんに、感謝の気持ちを、ちゃんと伝えたい!

どんだけ時間がかかったとしても、
俺はひとつひとつ、皆さんにやっていく。

そうでなかったら、次への一歩など無いと思ってる。

時間はかかるかもしれない、でも、ちゃんと、皆に感謝を伝えていきたい!」


DAIの言葉を聴いて、私は嬉しかったんです。

ただただ、深く頷いていました。


大阪城ホールを終えたおかんは、
各界の著名人の方とも対等にお会いできるようになっていたり、

この土日には、台湾で、
のべ10万人の人が訪れるという音楽フェスのメインステージで、
50分ものパフォーマンス時間をいただいていたりと、

飛躍的に沢山の方に支持をいただけるようになりました。


でも。

原点を忘れたら、人はスッカラカンになってしまう。

いつもじゃなくてもいい。

でも、原点への感謝の気持ちを無くしてしまったら、

その人のその人らしさは、失われてしまう。魅力も、すべて。


だから、その心配が、少しだけ、あったのですが、

やっぱり、おかんは、そんな心配を吹き飛ばしてくれました。


メンバー揃って、わざわざ大阪から、忙しい合間を縫って、
私の母のためにお見舞いに来て歌ってくれたり、

そして、
今回のツアーが、その感謝の気持ちを伝える活動のひとつなのだとしたら。



私は、協力しないという選択など、できるわけがないのです。


私はすぐさま状況を整えて、連絡しました。

「会場決まりました。
おかん感謝祭第1章の打ち上げ会場であり、
おかん感謝祭第2章の本会場であり、
音響が最高にいいライブハウスの、
新居浜ジャンドールさんで、やります。」

と。

「会場費はかかりますか?」

「もちろんです。会場費もきちんと支払い、おかんの経費もきちんと出るように、
50人ではなく、100人以上目標でやります!」

と。


昨日聴いたお話ではありますが、
私は、今回のツアー、しっかりサポートさせていただきます。


四国では、この愛媛での開催のみになります。

どうか、
このとんでもなくあったかい、暑苦しい、おかん。

そして暑苦しい私に、会いに来てください。



……………………………………………

日時・10月20日(日)15:00開場 16:00開演(終演18:00予定)

場所・新居浜ジャンドール(愛媛県新居浜市徳常町6-8)

内容・ロックバンドおかんトーク45分/ LIVE 1時間

料金・大人3000円、学生1500円、未就学児無料(1drink 500円別途必要)

問合・TEAMおかん愛媛 日野愛子
lovearth720@gmail.com




……………………………………………


最高の時間を、お約束します!!


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

昨日、残念なニュースが飛び込んできました。

日本を代表するアニメ映画監督・宮崎駿さんが、
今回の『風立ちぬ』を最後に、引退されます。

ご本人の記者会見は、都内で6日に行われるそうです。



宮崎駿監督は、
「ルパン三世 カリオストロの城」で映画初監督を務めたのち、
スタジオジブリ設立に参加しました。

言わずと知れた数多くの素晴らしいアニメ映画を輩出され、
中でも、

平成13年公開の「千と千尋の神隠し」は、日本映画の興行収入1位を記録。

ベルリン国際映画祭金熊賞、
アカデミー賞長編アニメーション賞を受賞、
ベネチア国際映画祭の栄誉金獅子賞を受けました。


私は、宮崎駿監督という方は、
この世の森羅万象さまざまのことを、よくご存知の方だと思います。


名前のことだまの先生、山下弘司先生と、
ベストセラー作家のひすいこたろうさんの共著『名前セラピー』の中でも紹介されていますが、


『千と千尋の神隠し』を観ていると、
名前のことだまのことを、宮崎駿監督はご存知なのではないだろうか?

と思うほど、
あの映画は、名前のことだまが伝えていることと、まさに同じなんです。


千尋という名前がありながら、
千という名前に変えられてしまい、
やがて元の名前を忘れて、油屋で働いてゆく。

がんばって、それなりに愉しく生活するのだけど、
本来の自分が居るべき場所でないところで、
大切な何かを忘れたまま過ごしてしまう。

そして、元の世界に帰れとハクに言われるのだけれど、
帰るために必要なことが、

『自分の名前を思い出すこと』……


本来自分が居るべき場所、やるべきことへ向かうために、

「名前を思い出すんだ!」

と、宮崎駿監督も、考えたのではないでしょうか。

「千と千尋の神隠し」は、実は、
「千と千尋の名前隠し」だったんですね。

神と名前をイコールで結べるあたりが、やはり、
ことだまのことをご存知のような気がしてなりません。

名前を構成している音の意味。
一音一音に意味があり、一音一音が神様。
そこに氏名の使命を解き明かす謎があります。


それはさておき、

色々な物事の理や、自然界を見つめ、
未来に向けて、世界に向けて、

素敵なメッセージを発信してくださってきた宮崎駿監督の引退は、とても残念です。


最近では、
世の中の出来事に対し、ハッキリと主張される姿も素敵でした。

芸術家は、社会のことに関して語りたくはない。本当は。

それでも、
大きな大きな出来事が起こり、
自然界の警鐘に未だ気づかぬ人がいるとしたら、

社会問題としてではなく、
日本を超え、世界、宇宙規模の問題として、

黙ってはいられなくなり、
不器用でも、
行動に移さずにいられなくなる。





そのやり方や方向性のすべてが良いかどうかは別としても、
立場を顧みず、行動するという姿勢が私は、
とてもとても、好きです。


引退理由は、6日まで語られません。

けれどいずれにしても私は、
これからも、
森羅万象をよく理解されている方として、

どんな形でも、
大切なことの伝えびとであってほしいと、願います。


映画『風立ちぬ』は、
これまでのジブリ作品とは全く違っていた、新境地だと感じました。

これからはこんな作品を創っていってくださるのかな、
と期待していたので、やはり残念な気持ちは拭えません。


やっぱり風立ちぬ、もう一度観に行こうかなぁ。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

こんにちは!

今日から9月の始まりです。

この辺りになってくると、
私たち新居浜・西条っ子たちは、

来月に控えている秋祭りの足音が聴こえはじめ、
その先にはそろそろ、年末も見え隠れし始めます。

私は、今日、
ブログを毎日更新をしはじめてから、100日目を迎えました。

もっともっと長く毎日続けてらっしゃる方、
私のお友達にも沢山いらっしゃいます。

私がブログを書くのは、

読んでくださる方に、少しでも、
「日本ってこんな風な素敵な側面があったんだなぁ~」
と、氣づくきっかけを作りたいという思いからですが、

何よりも、本当に自分自身の勉強になっています。

そして、新たな出逢いを生み出してくれる場にも、なりつつあります。

継続という私のいちばん苦手なことへの、
チャレンジだなぁ~という側面もありますが、

無理し過ぎない頃合いで、やっていきたいなぁと思っています。



さて、それはさておき、

9月1日というと…


今日9月1日は、関東大震災が起こった日です。

関東大震災から今年で90年が経ちました。

当時を経験した方も、もうずいぶん少なくなっているはずですね。


先日の東日本大震災では、
多くの方が命を落とされた原因として、
「津波」が、被害を拡大した大きな一因でした。


関東大震災の場合これが、
「火災」だったということはご存知でしょうか。

相模湾沖を震源とするマグニチュード7.9の巨大地震。
10万5000人の犠牲者のうち、9割が焼死でした。

発生時刻は、午前11時58分。

多くの家庭では昼食の準備をしている時間帯。

このため、いたるところから火の手が上がりました。

加えてこの日、風が強く、強風にあおられ火災が広がり、
炎が激しい上昇気流を生じさせ、これが、
炎渦巻く巨大な竜巻「火災旋風」を発生させていったのです。


この竜巻、東京で約110個、横浜で約30個が確認されたと言われ、
これが多くの人命を奪った原因でした。

中でも、
最も多くの人が命を落とした場所が、

現在、江戸東京博物館が立っている東京都墨田区横網です。

当時ここは、広々とした空き地。

そのため、おびただしい数の人たちがここに避難してきました。


ひしめき合って人々が身を寄せ合っていたところに、
あの、災の竜巻が襲ってきたのです…

地震発生から4時間後のことでした…



関東大震災から90年。
時代はすっかり変化しましたが、

日本が地震大国であるというしっかりとした自覚のもとに、

今や未来の生き物の生命を、大きく脅かすような、
エネルギー政策は、見直すべきだと思いますし、

もちろんエネルギーのことをきっかけとして、
他の部分にも、発想の転換が必要になってくるでしょう。


その前に、まず個々の家庭で、耐震強度は確認しておきましょう。
昭和56年以前の建物は、耐震基準が違うので、要確認です。

地震の際、家屋の倒壊がなければ、火災被害も少なくて済みますね。


耐震補強する家庭向けに補助金を出す制度も、ほとんどの自治体でありますし、
耐震診断の相談にも乗ってくれるそうです。


関東大震災から90年という大きな節目。

日本のため、世界のため、未来のため、
選択できるのは、何なのか。


目線はいつでも、

世界と未来のためを見据えつつ、


描く未来に向かって、

一歩ずつ踏みしめていきたいと思います。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

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