日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI

名前のことだまを入り口に、和ごころに気づけるブログです。

プロフィール

日野  愛子

Author:日野 愛子
日本人がもう一度、日本人になろう。

皇紀2671年3月11日、
再び、ほんとうの幸せに戻るための、
大きく舵を切れた転換点にするために。

いつもほんとうのことを知ろうとすること、
いつも自分の中の愛に聞いて、
一歩を選べるように。

知ることへの道は、愛のはじまり。

名前のことだまを入り口に、
素敵な日本に氣づけるブログです。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2013.10.31

季節のぴりり

10月が終わり、11月を迎えるとき。

今年の気分から、
急激に、来年の気分が押し寄せてきます。

残すところ、あと2ヶ月になってしまいました。


いよいよ新しい年を迎えることへの心構えを、
突然にふっと、要求されるような気がするのです。


増して今年は、
秋がなく急に冬が来ていると云われます。



なんとなく、浮き足立つような、焦りを感じるような。


そんなソワソワとする中でも、
なんとかその移ろいを感じようとしたとき、

幸せな感じと、切ない感じが押し寄せてくる。


だけれども、感じることのできる四季があるということは、
やはりこの国に生まれた幸せです。


静かに、幸せを噛みしめながら、
今夜は日本酒で、ほろ酔いの愛子でした。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子
スポンサーサイト

近頃、年々と、ハロウィンを自分たちなりに楽しむ人たちが、
私の周りにも増えてきたように感じます。

私は未だに一度も、
ハロウィンパーティーのようなものに参加したことがないのですが、

31日を待たずして、
10月も下旬になってくると、

度々色んな方の家で、パーティーが行われていたり、
何百人規模の仮装行列のようなイベントが行われたり。

その参加者も、毎年確実に増えていってるそうです。


それも、死者に扮した子供たちが、
「お菓子かいじわるか」と言って家庭を廻る、伝統的なものではなく、

ハロウィン仕様の食事を楽しんだり、
仮装、いわゆるコスプレを楽しんだり、しているようです。


バレンタインやクリスマスと同じように、
企業の儲けのために、

外国の祭事を勝手に利用している、

という見方がもちろんできますが、

ハロウィンの場合の、皆が嬉しそうに仮装している様子を見ていると、

普段は奥ゆかしく、恥ずかしがり屋で、
服装も、行動も、

無難で目立たないように…という選択をすることの多い日本人。


おおっぴらに、大胆な仮装が許され、むしろ褒められる、
このハロウィンの行事を借りて、

日頃抑え込んでいるものが発散できているのなら、
それもまた、いいのではないかな、と思います。





今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

今日は展示会の取材で、
備前市伊部から来られた、難波リュウジさんの備前焼に出逢いました。


私は、芸術はとても好きです。
美術館や、庭園を巡るのは、とても好き。

だけど特別に詳しいとか、違いが分かるとかではないのですが、
自分勝手に、とても好きなわけなのですが、

正直なところ、
焼き物は、特に知識が無く、よくわかりませんでした。


けれど結論から申し上げて…


私自身完全に、備前焼の魅力にとり憑かれました。


備前焼が持つ魅力。

それから、
作り手の難波リュウジさんの感覚が、共感できるものだったからかもしれません。



リュウジさんは、
備前焼の里、伊部に、江戸時代から続く窯元の家に生まれました。


備前焼は、須恵器の流れを汲む、
釉薬なしで焼きしめる1000年以上の歴史を持つ焼き物。


備前焼に使う土は、備前市伊部の土でなければいけません。

その土地のものを使い、その土地でつくる。

焼き物多しと言えど、
本当に土着の作り方をしているのは、備前焼だけかもしれません。


リュウジさんは、
「土が作れたら、作品は出来上がったようなもの」
とおっしゃっていました。

備前の土はきめ細やかで粘度がいい。


実は、土は、地中深くから掘り起こしたあと、
10年から30年もの長い間、

雨に晒し、雪に降られ、お日様に照らされながら過ごします。

そのあと地下にさらに数週間眠らせて、菌の力で、
一層、備前焼にとって理想的な土になります。


何十年もの時を経て、やっと材料が出来上がる。


だから、今、リュウジさんが作品にしている備前焼の材料は、
リュウジさんのお父さんが掘り起こした土なのです。


作り継いでゆく。

自然というベースを大前提にしながらも、
親から子へ、時に孫へと、作り手をリレーしてゆく。


なんだか…それを考えただけで、じーんときます。

これが出来ること自体が、もう、奇跡のようなもの。


更に、登窯で焼きしめる日数は、2週間ほど。

作品によっては、位置を変えながら、それを3回繰り返した物もあります。


あり得ない程の時間がかかっています。


けれどその時間のかかり方というのは、
人為的なものではなく、


ひたすらに、自然の恵みや歴史が、そこにぎっしりと詰まっていたり、
その質感、色味、照り、濁り、すべてが、偶然美。


見れば見るほど、
感じれば感じるほど、

味わいは増して増して…

もう、虜です。








あぁ、少しだけ、
仏像を眺めている時の感覚に似ているところもあります。
これは完全な、私見ですが…


しかも、これだけ贅沢な物でありながら、価格は本当に庶民的な価格。

誰もが生活に取り入れられるような価格。

正直驚きです。

「簡単に儲かったら、困るじゃないですか。」なんて仰るんですよ。
なんて方なんでしょう…



仕事なので撮影をしてニュースにまとめていくのですが、
正直なところ、絵画などの作品展と違って、

この備前焼は、画面からは伝わらないと思いました。

映像や、写真では、この魅力は完全には伝わらない。


というのも、備前焼の魅力のひとつに、
手にとった時のこちら側の感覚の変化があるからです。

手にとってみるまで、味わうことは出来ない、
何とも言えない不思議な感覚があります。

その感覚までもを、
映像や写真では、体感していただくことが出来ないからです。


手にとったなら。
離れられないような感じ…



というわけで私、お買い上げしてしまいました。沢山。(笑)

実は度々、私はこういうことをやります。


お仕事で行った取材先で、営業先で、

詳しいお話を伺っていく中で、その魅力を十分に感じてしまい、
自分自身がそれを買ったり、利用したりするようなこと。


「物」であっても、そのストーリーや、流れている精神性が、
よく理解できる物たちが、自分の周りに居てくれること。

これは本当に幸せなことです。


リュウジさんは、
買い手、使い手が、物を手にして、使っているその生活を描いて、

ものづくりをされています。


物の入れ替わるスピードがどんどん速くなっているこの時代に、
いずれは、返ってくるであろう普遍性を知っています。


自然への畏怖の念を忘れない。


地球に住む者の、最低限の普遍性。


そのことが、根底にあり、それが作品として形になっている。


だから、こんなにも、愛おしい気持ちを抱く。



ちなみに、リュウジさんの工房、「紫庵(しあん)」を名付け、
書いてくださったのは、「永谷園」などの自体を書かれた方なのだとか。



良きものは、良きことを引き寄せますね。


ちなみに偶然にも今日、私が着ていた洋服の色は、
珍しく「紫」だったんです。

これも、引き寄せでしょうか。


素晴らしい物に出逢えました。感謝。

なお、この作品展は11/3まで、
新居浜市宇高町の音楽の泉で開かれています。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

こんばんは。
今夜は会社から帰ると、せっせと衣替えのために洋服を整理していました。

ここしばらく、
あまりにバタバタし過ぎていて、
自分の姿に構うことが難しくなっていました。

反省反省…

夏服ばかりで寒くてたまらないので、ようやくの衣替え。
ずいぶん遅くなってしまいました。


日本では、季節に合わせて服装を替える、衣替えは、
とても耳慣れた、誰もが知っている習慣ですが、

外国の方にこの概念をわかっていただくのは、少し難しいようです。


日本では、平安時代には、もう衣替えをしていたよう。

現在も、明治政府が定めた、
役人、軍人、警察官の服装を6月1日と10月1日に替えることに倣って、官公庁や学校で服装を替えます。

その時期が、概ね一般の人たちにとっても、衣替えの時期という認識ですね。


外国の方だって、もちろん季節によって服装を替えますが、
日本のように、日にちが決まっていることは不思議なことです。

確かに、毎年その日に季節の変わり目が来るとも限らないのに、不思議ですよね。


日本人は、きっと、
揃える、合わせる、文化だからでしょう。


制服文化が根付いていますが、

同じ団体、同じ組織に所属する全員が、同じ服を着るのが、制服です。

夏服の人と冬服の人が混在していては、制服の意味が薄れてしまいます。


多少の暑さや寒さなら我慢して、

みんな同じように揃える規律をもって、

エゴを抑え、組織や全体に合わせる精神を養ってきたのかもしれませんね。




今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

友達のたかみぃが主催した、
映画『うまれる』上映と『森源太』ライブ。

これまた大盛況にて終了しました!

先週は『おかん』、今週は源ちゃんと、
心あるアーティストが次々訪れる町、新居浜です。

でも彼らは自分たちで来られるわけではなく、

この歌を、この思いを、
自分の地域の人たちにも感じてもらいたい、

という思いから、
集客や収支を合わせ、チーム作りをして臨む、主催者の存在があってこそ。

たかみぃ、本当にお疲れさまでした。



そして、映画うまれるに関しては、
沢山の方がアンケートに記入してくださっていました。


・赤ちゃんはお母さんを選んで生まれてきたって、初めて知りました。

・友人で同じ経験をしている人がいるので、必ず伝えてあげます。

・生まれただけですごいとわかりました。

・帰ったらお母さんに生んでくれてありがとうを言います。

・夫は出産の時立ち会えなかったけど、本当は10ヶ月間、ずっと立ち会ってくれてたんですね。


特にこの最後の感想、グッときました。

私は出産経験がありませんが、
いつか出産を経験できることがあれば、

いちばん大切な旦那さまには、必ずその現場に立ち会ってほしいな、
なんて、これまで考えてきました。


きっと、自分にとって、一生忘れることのできない、
感情がこみ上げてくる瞬間だろうから、

その時を、共にしたい、

あの時こうだったね、ああだったねって、
大切な思い出を共有できればできるほど、

その人との絆はより強いものになっていくような気がするから。


だけれど、旦那さまの意思とは裏腹に、止むを得ず立ち会えないケースだってあります。

そんなとき、立ち会えたか立ち会えなかったか、
その瞬間だけにフォーカスしないで、

十月十日のその毎日を、泣いたり笑ったりしながら共に過ごせたなら、
それは、立会い出産と呼ぶんだなぁ~って。


あまり、映画の詳しい内容をお伝えすることは控えますが、
ともかく、

『うまれる』は、産まれるでもあり、生まれるでもあって、

出産のお話でもあり、人の心に芽生える気持ちのお話でもありました。


うまれたきた、うんだ、うまない、うめない、
うまれるのを支えた、支えられなかった、


それぞれの人が、それぞれの人生を、
痛く、あたたかく、ひそやかに、

あっためながら進むための、きっかけをくれる。


私は、やっぱり、出産を楽しみに感じました。


選んだその道の先にどんな世界が広がっていても、きっと大丈夫。


帰られる皆さんの笑顔が、今日も素敵でした。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

57年前の今日10月26日、
日本は国際原子力機関に参加、

その8年後の同じく10月26日に、
茨城県東海村で、日本原子力研究所の動力試験炉が、日本で初めて原子力発電に成功しました。


これらのことから日本では、
10月26日は原子力の日と制定されています。

文部科学省では「原子力の日ポスターコンクール」などのイベントを開いていましたが…

今はすっかりこの記念日は姿をひそめています。




日本では大東亜戦争後、
原子力に関する研究は禁じられていましたが、
昭和27年のサンフランシスコ講和条約によって解禁されました。


原子力で動く21世紀のロボット「鉄腕アトム」。

原子力は、「科学技術の象徴」であり「未来のエネルギー」の姿だったのでしょう。


多くの人が、原子力の未来に希望を抱いていました。


50年が経った今、何を思いますか。


東日本大震災直後、
私も本当に各分野から様々な情報を得ました。

多くの人がお気づきの通り、いわゆる表面化していない情報は、沢山ありますね。

数々の、信じたくないような事実が分かるごとに、
目を、心を覆いたくなるような現実がそこにありました。

沢山衝撃を受けました。


原発に希望を抱いていた方のひとり、
京都大学原子炉実験所助教授の小出裕章さんが、

涙しながら自らの過ちを語る姿が、
私の目に焼きついています。

下記の言葉は、当時私にとって特に衝撃的でした。


「原子力発電所は、海温め装置に名前を変更したほうがいい。
 発電所のエネルギーの3割では、原子力発電を行っているが、
 残りの7割は、エネルギーにならずひたすら海をあたためているだけ。
 地球温暖化の原因はCO2などと言っているが、本当は、
 日本の場合、木を伐らないでとか何とかの問題以前に、
 原発が海面の温度上昇に最も貢献していたんです。」



未来に希望を抱くことは素晴らしいことです。
それが無ければ、人間は、生きていることを感じられません。

けれど描く希望の未来は、
「私」や「私たち」や「この人たち」や「あの人たち」にとっての希望ではありません。

私たちは、どこで生かされていますか?

地球です。

私から始まる未来ではなく、

地球から考えて、自然から考えて、世界から考えて、日本から考えて、地域から考えて、自分たちを考える。

『自分たちから考える』目線に始まり、『自分たちのために考える』目線に終わるのでは、
私たちは、大きな大きな、選択ミスをしてしまいます。


『地球の未来から考えて、少しずつこちらへシフトしていってみる、
 このことは、正しい?それとも?』

いつもこの目線から、物事を見ていきたいと、私は考えています。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

2013.10.25

心の住処

今日は27日に新居浜で開催されるイベントのお知らせです。

私も当日スタッフとして参加します。

映画『うまれる』上映&『森源太』ライブ。


私は2度『うまれる』を観ました。

私にとっては、とても痛くてたまらなかったり、けれど救われたり、
また、憧れたりする気持ちをくれるものでした。

『うまれる』ことへの経験がない人は、いません。
私たちは、うまれたから。


うまれた、うんだ、うめなかった、うまなかった、うむ人を支えた、支えられなかった…



すべての人たちとって、それは自分ごとで。

『うまれる』ことを取り巻く様々な出来事が、
時に突き刺さるような痛みがあり、時に湧き上がるような喜びがある。


近頃とっても思うことがあります。

やっぱり、私たちは、
どの場所で生きる選択をするのか、なんだなって。


実際に住む場所のことではありません。心の置き場所、住処のこと。


目の前で日々瞬間瞬間に起こる出来事、事実は、後から遡って変えることは、できません。

けれどその出来事を、
『どう捉えるか』は、私たちの自由なのです。すべて自由。


同じ出来事に出遭っても、「最高」と言う人もいれば「最悪」と言う人もいます。

そのあと、その二人は、互いに別々の世界に住み始めます。


だから、同じ現実を目の前にし、同じ出来事を一緒に経験しても、
互いの心が交わることがないのです。


この映画は、もしかしたら、

住む場所はひとつしかないと思ってしまっている人へ、
こんな住処もあるよと、教えてくれるものかもしれません。


また、『森源太』さんは、
私がよくブログにも書いている『おかん』ととってもつながりの深いミュージシャンです。
本当に心のあったかな人で、素敵です。

特に、若い人たち、子供達には、源ちゃんのお話を聴いてほしいな。

以下、ご案内です。
ぜひ、お越しください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

たくさんの子供たち、そして大人の皆さんに伝えたいことがあります。

いのちってすごいんだよーってこと。生きていくって楽しいんだよーってこと。

言葉だけでなく、心で感じることができたなら

これからの未来が、キラキラ輝きはじめる。

すべては繋がっているから。

あなたに伝えたい。

~うまれてくれてありがとう~


【日時】
2013年10月27日(日)

【場所】
新居浜市総合福祉センター 多目的アリーナ

【主催団体】
Team縁~yukari~

【後援】
新居浜市
新居浜市教育委員会
新居浜市PTA連合会
新居浜市社会福祉協議会
愛媛新聞社

【入場料】
小学生以下 無料(要整理券)
中高生(前売・当日)500円
 大人(前売)1,500円 (当日)2,000円

※小学生以下は無料となっていますが、座席が必要なお子様は、整理券または予約が必要です。
※中高生、先着30名無料です(要予約)
※先生引率の元、部活動等の団体で参加される中高生の方は、無料でご招待いたします。人数に限りがありますのでお早めにご予約ください。
※スリッパなどの上履きをご持参ください。


このイベントの収益金は、すべて森源太が支援している
カンボジアの『くっくま孤児院』に寄付いたします。

【プログラム】
12:30~  開場
13:00~  挨拶
13:05~  『うまれる』上映(上映時間104分)
14:50~  休憩(15分)
15:05~  森源太ライブ
16:10   終了


【映画うまれる】
両親の不仲、虐待の経験から親になることに戸惑う夫婦。
出産予定日に我が子を失った夫婦。子供を望んだものの、授からない人生を受け入れた夫婦。
完治しない障害を持つ子を育てる夫婦。

「子供は親を選んで生まれてくる」という胎内記憶をモチーフに、
命を見つめる4組の物語を通して、
自分達が生まれてきた意味や家族の絆、命の大切さ、人との繋がり、
そして『生きる』ことを考えるドキュメンタリー。


【森源太プロフィール】
1978年生まれ長崎県出身。18歳でギターと出会いプロになるという夢を描く。
上京し路上で唄うが、一年間、一人の人にも聴いてもらえずに挫折の日々。
一念発起で、ママチャリ日本一周ストリートライブの旅に出る。
1年7か月をかけ、約8000キロ、47都道府県をママチャリで走破。
これまでの経験や、そこから生まれた歌を、子供たちに聴かせてほしい。と、
先生方や保護者の方々からの声を受け、学校での講演活動も精力的に行っている。
現在、全国各地でのライブ、講演は年間150本にのぼる。
カンボジアにある『くっくま孤児院』の支援活動も行う。

【問】
090-7141-4408(高見)
info.yukari@gmail.com

さて、今夜は久しぶりに、
『日本に氣づけるブログ』らしい話題を…


23日、横綱・日馬富士と白鵬が、
出雲大社60年ぶりの遷宮を祝い、土俵入りを奉納しました。


(写真・スポーツ報知より)


出雲大社の千家尊祐(たかまさ)宮司は、
『相撲の神様』とされる野見宿禰(のみのすくね)の71代後の子孫だといわれています。

初場所以来の優勝を狙う日馬富士は、
「縁起のいい場所なので、心が温まった」と話したそうです。



今から2000年近く昔、出雲国にいた野見宿禰(のみのすくね)は、
力持ちで、賢い人物だったようです。

大和国にも、当麻蹴速(たいまのけはや)という相撲の強い人物がいました。

自分が一番強いというので、
全国に他に強い者はいないかと垂仁天皇が探したところ、
見つかったのがこの野見宿禰。


天皇は、
野見宿禰を大和国に招いて、当麻蹴速と相撲をとらせ、
野見宿禰が勝ち、領地をいただき、天皇につかえることになりました。


その頃は、
天皇が崩御すると、古墳を造り、

家来たちを生きたまま周囲に埋めていたといわれています。


宿禰は、
「いくらえらい人でも、人を生き埋めにするのは良くありません」と言って、

かわりに粘土で作った埴輪をおくよう、天皇に進言しました。

そこで、それからは、
古墳を造るときに、人や家や馬の形をした埴輪を並べるようになりました。


その後出雲へ帰る途中、播磨国で、
重い病気にかかり、宿禰は亡くなっています。


揖保川の河原から山の上まで、
村人たちが一列にならんで、手から手へ、石を渡して運び、立派な墓を造りました。

野原にたくさんの人が立ちならんで働いたので、
その場所は「立野(たちの)」と呼ばれ、それが現在の「たつの(龍野)」のはじまりだということです。


『相撲の神様』


このお話では、

単に相撲の強い人物が、出雲国の出だった、
賢かったので、天皇に進言もしていた、

ということになっています。


しかし私は、それだけじゃない意味深さを感じます。


出雲国は、国譲りの国。


相撲の、四股を踏む仕草、これは、土地を鎮める力があります。

相撲そのものが、神事です。

そうでなければ、
土俵入りのことを『奉納』などと言うはずがありません。


『土地を鎮め、国を司る者に進言をする者』


それが、出雲国の者であること。

宿禰が、単に力持ちで相撲が強かっただけの人物とは、
考えにくいなぁ~と、個人的には感じてしまいます。

末裔は、出雲大社の宮司さんであるわけですものね。

ふしぎです。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

さて、連日のおかんLIVEブログも、そろそろ今日で終わりますね。

最近ブログに〈わたくしごとカテゴリー〉が多くなりつつあって、
こんなのでいいのだろうか?

とも思ったり、

個人のブログなのだから、そもそもわたくしごとか…

とも思ったり(笑)


さて、今日は、家族のことを書きますね。


これまも何度もブログに登場しているお話ですが、

おかんの大阪城ホールLIVE翌日に、
私は、母が乳がんだと聞かされました。


それから1ヶ月が経った5月19日、

私の仲間が仕掛けてくれたサプライズで、
私の自宅に、
おかんはメンバー全員で、楽器を持参して訪れてくれました。

大阪からわざわざこのためだけに。
おかん号に乗って。







この時母は、
1回目の抗がん剤投与を終えて10日過ぎ。

まだ髪はほとんど残っている時でした。


この時来てくれた、おかんのメンバー達の、
「愛子姉の大切なお母さんのことやったら、僕ら行かせてもらいます。
このぐらいのことで、愛子姉に恩返しできたとも全然思ってませんし。」

こういう言葉たちや、

全国から呼びかけに応じておハガキや贈り物をしてくださった、
沢山の方々のあたたかい言葉に、


その後の母は、何度も助けられました。

私にとっても、この時ほど、

「なぜこんなに、おかんの応援がんばってるのか分からない」というほど苦しむ時はあったけれど、

「本当にやってきてよかった。
すべてはこのためだったんだ。
この、母に、愛を贈るためだったのかもしれない。」

と、
自分がやってきたことを誇らしく思い、

また、
母が娘を誇らしく思ってくれたことも、

無かったと、思います。


本当に、仕掛けてくれた仲間に、おかんに、心から感謝しています。

感謝の気持ちから、このブログもスタートしています。



そして、10月20日を迎えました。


母の抗がん剤治療の予定はすべて終了し、来月手術を控えています。

治療の最後のほうは、見ている私も辛いほど、とても辛そうでした。

おかんが来ることが決まった9月初旬は、まだ辛かった時期でした。


おかんの新居浜でのLIVE、過去4回、
私の両親は皆勤賞です。

でも、この時はまだ、
おかんのイベントまたやるからおいでね、とは言えませんでした。


それでも日増しに体調は良くなっていきました。
もうこれなら大丈夫だろうと思い、誘いましたが、

やはり、手術を控えてるから無理は出来ないと、
行くのは諦めると言うのです。

とても残念だけど、体調がいちばんなので、仕方ないと思っていました。


母は、「代わりに、メンバーひとり1ケースずつ、ビールあげよう。」
と言いました。

ビール4ケース。
さすが生粋の新居浜人の発想。まるで祭りです(笑)


どうかなと思いつつ、母の希望なので尊重しつつ、
DAIにはオリオンビールを、YOUにはスーパードライを、
飲まない本ちゃんと成くんにはポンジュースを、

それぞれ1ケースずつ、楽屋に置かせてもらいました。

それから5月19日の時の写真もそれぞれに。


準備も万端。

10月19日、イベント前日、
ほんとに来ないの?と母に確認してましたが、やめておく、と。


しかしその夜、一通の手紙が、ポストに届いていました。
私の母宛に届いた、私の知人からの手紙でした。

イベント当日の朝、
母にその手紙を読んでもらいました。


その方は、前回おかんのイベント(おかん感謝祭第二章~ふるさとがえり~)を、
今回と同じジャンドールさんで行った時、
たまたま母の隣の席に座った方でした。


その日は、私の母の還暦の誕生日だったので、
会場のみんなでハッピーバースデーを歌わせてもらいました。


その時のことがとても印象的で、
その後私のブログを通して、母が病気になったことを知った、と。

大変かもしれないけれど、皆応援してるからがんばってほしいと、
そして今回、また会場でお会いできることを楽しみに、

友達と二人で行きます、と、書いてくれていたんです。


母の気持ちは揺れたようでした。

行きたいな… でも…

その気持ちを察して、父が、

「大丈夫!行こう!」と母に言い、
「ちゃんと時間に間に合うように行くから。」と私に言ってくれたんです。


そして会場して、沢山のお客様がいらっしゃる中…




徳島の陽子ちゃんは、
母にと、アレンジフラワーを持ってきてくれていて、

内子町の亘さんは、
マコモダケの乾燥葉を、お茶にして飲むといいからと持ってきてくれていて。


もう、本当に感激しました…


次々に色んな方がいらっしゃるので、
ゆっくりと感激に浸る時間はなかなか無かったけれど、

「よかったら、直接母に渡してやってもらえませんか?すごく喜ぶと思うんです!」

とお願いしました。

手紙をくれていた方にも、
「母が手紙のお陰で来てくれました。話しに行ってやって。」

とお願いして。


もうすっかり髪の毛はない母。

帽子を目深にかぶり、菌がいちばん怖いので大きなマスクをし、
ほとんど顔は見えない状態ですが、

そんな母にも、皆さん優しく声をかけてくださいました。


そしておかんとも、再会を果たし、直接ありがとうが言えました。


おかんがもう新居浜を出る帰り際、
DAIは、
「お母さんの顔は見えへんかったけど、お父さん、ずいぶんオーラが変わったな!
俺が家族を守る!って感じの、すごい強くて頼もしい感じがした。」

と言っていました。

確かに、2年前には父も大腸がんをしているので、体力は落ちているはずでしたが、
最近ではとても元気にしているんです。

母は家事が出来ない状況だし、私の帰宅はいつも遅く、
父が毎日、食事も作ってくれている日々だから…



もともと、外出することも少なく、知人も少ない両親。

病気をする前から、家に居ることがほとんどでした。

僅か3人家族。


それでも、家族以外にも、


【自分のことを気にかけてくれている人がいるんだ】


と実感できる瞬間をいただいたこと。


これが、母をとても元気にしてくれたと思っています。


LIVEの終盤、おかんはいつものように、

あなたと本当に大切な人のこと、どうか大切にしてくださいと、
一生懸命伝えてくれていました。


すると私の仲間が、私を、両親が座って見ている場所まで、連れて行ってくれました。

「お父さんとお母さんのところへ行ってあげて。」と。



アンコールの『人として』は、マイクを使わず、みんなで合唱。

私たち家族は、
みんなが肩を組み合って歌ってる様子を見ながら、肩を組み…

私は、こんな風に、両親のことが大切でしょうがないなんて、
人には言うことはあっても、本人たちに対しては、

普段から大切だなんて、言えてるわけでは全くありません。
むしろ、とてもそっけない口調です。でも大事なんです。



こんな幸せな、
こんなみんなの心遣いのお陰で、

また、母は元気になることができました。



日が経つにつれて、色々な方の感想やエピソードを耳にするにつれて、

本当に、このLIVE、やってよかった!

と、心から思います。


本当に、本当に、すべてのことに、有難う。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

10月20日のおかんLIVE。

これは、大阪城ホール公演実現までの間、お世話になった地方を廻りたいからと、
おかんが考えて、各地のお世話になった人たちに連絡し、

実現したツアーで、全部で22ヶ所を廻ることになりました。

新居浜もそのひとつ。


日にちと、入場料は決まった状態で、
私のところにおかんのスタッフから連絡があったのが、
9月2日のことでした。


『50人~100人以内でいいから、会場費が無料のところで…もし赤字になってもおかんが持ちますので…』


50人といえば、
新居浜から、大阪城ホールの時バスツアーを組んだ人数です。

それならスタッフ募らなくても、私ひとりでやればいいか、
くらいに考えて、了承しました。


しかし電話を切った後すぐに、
会場手配をしようとした時、

『大阪城ホールを大成功させて帰ってくるおかんに、
今まで新居浜でイベントやった中で一番良くない会場で、一番少人数で…なんて…やっぱり絶対イヤだ!!』

と思いました。

おかんもそんなの格好がつかないし、
私だって、これまで、
やるからには思いきりやる!と決めてやってきたのに、

ラストとなる今回だけ極端に少ないなんて、嫌でした。


そう考えて、

『会場費は当然かかるけど、その分、
提示された人数の倍集客するなら、問題ないでしょう?』

と言って、私のところでは、今回も最高の音響で、
沢山のおかんを初めて聴く方、障害のある方、施設入所者の方、おじいちゃんおばあちゃんから赤ちゃんまで、

動員させてもらうことにして、やってきました。

今回のツアーでフルセットLIVEが出来るのは、新居浜だけだそうです。


実際のステージ内容は、どんなものか、当日まで私も知らないまま。

トークとLIVEをする、ということだけ。


そして、開場5分前くらいに、ボーカルのDAIが、
『愛子姉にもトーク参加してもらいたいから。色々喋ってな。』

というムチャぶり(笑)

そして今回形式的には主催はおかんなので、
私が前で喋ることはないと思ってたのですが、それも喋ることになり。


時間のないプレッシャーで言いたいこともろくに言えず、
あっという間に時間は過ぎてしまいました。






彼らは、通称『おかん号』というハイエース一台に、
すべての機材を積み込み、メンバーもスタッフも乗り込んで、移動しています。

この日は、高速で大渋滞に巻き込まれ、到着時間が大幅に遅れてしまい、
LIVEリハをやるのが精一杯な時間。

何の打ち合わせも話もしないまま、本番でした。

何の自己紹介もしない私は、
初めて見るお客様にとっては、

誰だろう?この、おかんに対して妙に偉そうな口調の女子は。

と思われたことと思います。(笑)

そうなんです。
いつもメンバーには、愛子姉こわいから~、と冗談半分に恐れられていますが(笑)

おかんに対してはいつも、私のできる役目は、
きっちり果たしてると自信を持って言えるし、
客観的に彼らのことも見えているつもりなので、

駄目なことや、懸念されることは、どんどん本人たちにも伝えてきました。



LIVEリハに関しては、何度も調整を繰り返し、
到着から休む間もなくスタートしましたが、
きっちり最高の歌を届けてくれました。

本当に、来てくださったお客様から、沢山の大感動のお声をいただきました。







『向日葵』という楽曲に出てくる、おじいちゃんと拾った銀杏。

銀杏のリアリティーを持ってもらおうと、DAIのミラー前に銀杏の差し入れをしておいた甲斐もありました(笑)


イベントがすべて終わった後でやっと、DAIと話をする時間がありました。

チラリと話した時には、最近どんな感じ?という私の問いに、
すごくいい感じよ、とのサラッとした答えでしたが、

後でしっかり話をしてくれた時には、
私が心配し、懸念している以上の状況だということが分かりました。


その話の内容を、ここで書くことは、残念ながら出来ませんが、

分かったことは、

互いに分かりあっていると思っていても、口に出さなければ、
すれ違うことは必ずあるんだな、ということです。


分かるつもり。

でも、当事者でなければ決して分からない。


例えば、私が初めて主催した昨年のイベント。
結果だけを見れば、満席以上の満席、もちろん黒字、
観客の皆さんもものすごく喜んでくれていて、
誰が見ても大成功でよかったね!という感じ。

だけれどその時私は、心身共にボロボロの極限状態でした。


だけれど本当に辛かったのはその後。

仲間だと思っていた人たちが、何か色んなことを言いながら離れていったり。

そこには誤解があったり。


だけれど、新たにメンバーに加わってくれた人も居ました。


『自分が進み続けるのなら、景色が移り変わるのは当然のことだ。』


そう思えるようになったのは、ごくごく最近のことです。


出演者、スタッフ、お客様、それぞれの間を取りながらどんなに調整しても、
何かしらの問題は、少しくらいは起きてしまう。


おかんが今抱えてる葛藤。

気づいているつもりでしたが、
話を聴くまで、そこまで気づけてなかったことを知りました。


また、彼らも、私が彼らのことを考えるから、
こういう形で開催している、という細かな意図まで、気づいていなかった。


ツアーはまだまだこれから。続いてゆきます。


彼らは、お世話になった人たちのもとを廻りたいと、ただ、純粋に思っています。


何かをやる中で、
色々な葛藤、誤解を受ける苦しみ、どうしてもあると思います。


だけれど、素直な気持ちを、腹を割って話すことが出来たら、

それほどまでに苦しむことはないはずです。



素直に話をする。

真っすぐであること。


分かっていても、どんなに分かっていても、歯がゆい程に、上手くできない時、ありますよね。


おかんの楽曲で云う、『人間だから』



それでも彼らの姿に、歌に、
確実に元気を貰って、

動かなかった体が動くようになった人さえいる。

それは事実だから。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

イベントの成功は、スタッフの存在抜きにして語ることはできません。

主催者が、こうしたい!と語ることが実現できるように、
その趣旨から逸脱しない範囲で、個々が自主的に判断して、
お客様に来てよかったと思っていただけるようお手伝いをすること。


そして主催者は、お客様もそうですが、
出演者とスタッフに、やってよかったと思ってもらえるよう、
イベント当日に至るまでの経緯も含めて責任を持つこと。
そしてもちろん黒字にすること。


単純なようでいて、ものすごく奥が深いと今、感じています。


一度目は、
何が何でも成功させなきゃいけない!という責任感が裏目に出て、
私が力み過ぎていたために、私自身、苦しみばかりで、
スタッフや関わってくれる人にも、息の詰まる思いをさせてしまった。

結果、沢山いたスタッフや関わってくれた人の多くは、
この一回きりで、次からスタッフをしようとはしませんでした。


二度目は、
成功を追いすぎることは手放そうと、
残ってくれている人たちと、プラス、前回のイベントを見て感動して、
仲間に加わってくれた少ないメンバーでやりました。

それでも、私自身のやり方としては大きく変わるわけではなく、
単に、前より手を抜くようにしただけ。


力んでいて、
自分で責任を背負い、上手に人の手助けを借りることは、
相変わらず下手なままでした。


しかし三度目の今回は、

自分で練ったわけではなく、
『おかん』側が、来たいと言って来る形だったため、

また、その日にちが、決まってから一ヶ月程しかないという中だったこともあり、
とにかく皆で、皆のできることをやろう、って、

素直にすべてを皆に委ねながらやることができました。

これが、とても良かったようです。


これまでよりも格段に、
スタッフの皆さんが、自主的に、生き生きと、

自分の得意を生かして動いてくれました。


イベントが開催されている事実だけを見ると、
来られた方は、
そのスタッフは、それを仕事でやっている、

多少なり、お金をもらってやっている、と思われる方が多いようです。


が、実際は逆です。


会社組織としてやっているわけではなく、
即席のチームでやっていますから、


お金は、貰うどころか、払いながらやっています。


私を含めスタッフ全員、お客様と同じように、入場料を支払って、
スタッフとしてあらゆることをやっています。


仕事はそれぞれ皆全然違うことをしながら、
仕事以外の時間の中でやりくりして、準備を進めてきています。


仕事でもないのに、
一生懸命やる。


そこには、純粋に、とにかくみなさんに喜んでもらいたい、
という思いしか、無いんです。


こういうスタッフの存在なくしては、イベントは成り立つことはなく、
出演者が生きてくることもないのです。




千穂さん
『おかん大阪城ホールに行ったあと、すべての景色が違って見えた!仕事を辞めて独立する決心がついた!』
溢れる思いを胸に、友達に伝えてくれたり、
車椅子の階段での担ぎ方を教えてくれるなど、細やかな気配りをしてくれて、ありがとう!

優子さん
前回のイベントでおかんLIVEを見たことで、大阪城ホールに一緒に行ってくれて、
情熱的にどんどんお友達を誘い、出来ることは何でもしよう!
とやってくださって、本当にありがとうございました!

敏子さん
夜勤で仕事もハードな中、色々とアイディアを出し、
積極的に動いてくださり本当にありがとうございました!
本当に助かりました!

ひかるちゃん
ギターの練習、近いうちにおかんとコラボできるように、
本当にその夢を応援しています!
スタッフにも飴にメッセージを書いて準備してくれて、嬉しかったです。
あなたの挑戦は、それだけでみんなの希望。

たかみぃ
翌週には、主催の『映画うまれる&森源太LIVE』が控えてるのに、
沢山力になってくれて、本当にありがとう!
私の話す言葉に優しく頷いてくれる表情に、いつも安心させてもらいました。

洋子さん
毎回あったかな楽屋づくりのリーダーとして、素晴らしい心配り!
本当に感謝・感謝です!おかんの愛媛でのあったかい思い出づくり、
洋子さんのおかげです!

陽子さん・明里ちゃん
とびきり明るい笑顔が最高の陽子さん。
当日は娘のあかりちゃんを連れてきてくれてありがとうございました!
陽子さんに似て美人で働き者で。
またひとり若い人に刺激を感じてもらえたことが嬉しいです。

憲治さん
雨の中駐車場整理ありがとう!
思いのほか満車になってしまって大変だったと聞きました。
風邪引きそうになってたんですね。後で聞きました。
何も知らずごめんなさい。ありがとう!

健ちゃん
長時間ビデオ撮影ありがとう!
健ちゃんが作ってくれたチラシも映像も好評だったし、
とってもとっても助かりました!ご家族皆さんで来てくれて、ありがとう!

和典さん
初めて、スタッフとして参加してくれましたね。
香川の周囲では、おかんを知る人も無く、伝わらなさに歯痒い思いをしたと思います。
でも、全ての経験がこれからの和典さんをつくっていくから。
勇気を出して一歩を踏み出してくれたこと、嬉しかったな。

貴士さん
お米を、炊くだけで食べることもなく、
そして大阪からご高齢のお母様をお呼びくださって、
動かなかったはずの腕が上がったり、
私たちに奇跡を見せてくださってありがとうございました。
本当に助かりましたし、素晴らしい姿勢から学ばせていただきました。

徹さん
駐車場看板の手配、装飾、設置までありがとうございました。
とても立派な看板で驚き~!おかんというバンドのイベントが、
ちゃんとした物なんだな、って思ってもらえたと思います。
ありがとうございました!

夕佳ちゃん・まゆりちゃん
高知から今回も元気に参加してくれてありがとう!
美人親子は居てくれるだけで場が和みます。
まゆりちゃんもお手伝いよくしてくれたね。えらい!
お父さんが少しでも、よくなってくれますように…

日奈子ちゃん
前回と違って今回は駐車場、とても大変だったんだね!
私は中に居たから、後でその話を聞きました。
大変な思いさせてごめんね。ありがとう!

和久さん
見えないところで駐車場、場内、受付、すべてに関して細やかに動いてくれてありがとう。
本当にいつも助かっています。あなたがチームの裏ボスです!



みんな、私を成長させてくれて、ありがとう。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

9月2日に決まって以来、
急ピッチで準備を進めてきた『おかん大阪城ホールありがとうツアーin愛媛』が、無事終わりました。



ここまでは最低ライン!と決めていた集客目標は、
大幅に上回り、大成功できたと思っています。

お客様皆さんの表情、
帰りの、衝撃だった~!と言って帰られる方の言葉、

その姿に、本当に私が元気をもらいました。



沢山のエピソードがあり過ぎて、
とても今日だけのブログで終わらないので、

しばらく度々、これから色んな細かなお話を載せさせていただくと思います。

今日は、何人かの(お客様)のことについて書きたいと思います。


中学生の女の子ふたりで、今治から電車に乗って来てくれた子。

私がラジオで告知をさせてもらった放送を聞いて、
「私の大切な友達を連れて行きたいんです。」とメールをくれたんです。

そしてやって来てくれた。

中学生で、自分が聞いて、いい!と感じたものを、
大切な友達と見に行きたい、見せてあげたい、という発想になること、

そして、その行動を起こす一歩にとても感動しました。




また、今回スタッフをしてくれた方のお母さん。
79歳で大阪にお住まいなのに、フェリーに乗って来てくださいました。

体には不調も多く、ただ、手術で目が見えやすくなったことで、
外出してみようか、ということで、今回来てくださったのですが、

体の不調どころか、
なんと一階席でスタンディングで、拳を振り上げ、
笑顔で跳ねて喜んでくれてたんです。

肩が上がらないと言われてたそうです。

なのに、肩はしっかり上がり、拳を高く上げていました。

会場のパワーのおかげか、元気になった、とおっしゃっているそうです。

これも凄いことです。


他にもわざわざ大阪から、
おかんのこのツアーは全国でも、関西でもあるのに、

愛媛の会場で、このツアーを見たいからと、
翌朝5時に家を出て出勤しなくちゃいけないのに、
移動時間より滞在時間のほうが短いのに、
来てくれた女の子や。


本当に挙げ始めるときりがないですが、お客様にも、

今日同じこの場を共有するまでの、
それぞれのドラマがあって、

それでこの日この場所に集うということが決まり、
本当に実際にこの同じ空間を共有してる時。

奇跡のようなもの。


本当に、感謝です。

これから少しずつ、また色んな角度で、振り返っていきたいと思います。

よかったらお付き合いください。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

さぁ!いよいよ20日は、ロックバンドおかんの新居浜LIVEです!

当日券もありますので、ひょこっと空いた!
という方は、ぜひぜひお待ちしております☆


【ロックバンドおかん】という名称は、どうやら世間一般的に、
非常に理解されにくいようです(笑)


まず、ロックと耳にすると、

ロックはちょっと…騒がしいのはちょっと…

と敬遠される場合が多いのですが、
新居浜でのこれまでのLIVEは、写真を見ていただいて分かる通り、

赤ちゃんからご年配の方まで本当に楽しんでいただいています。





ですから、ロックと言えど、若者向けのうるさいやつでしょう?
というものとは、ずいぶん違うのです。

誤解を解くために、【おかん】のLIVE、と、ロックバンドを省いて伝えると、

私のお母さんがLIVEをするのかと思い、それはそれはがんばったね!
と言っていただくのですが、これもまた誤解を受けやすいです。


ロックバンドおかんと、私との関わりについては、
これまで何度も、ブログの『わたくしごと』カテゴリーで書かせていただいていますが、

今の私の、

身の周りの人間関係、
挑む力、段取る力、営業する力、

そして何より、

『みんなと一緒に何かを作り上げていくこととは』

ということを、経験させてくれたのは、このおかんとの出会いが全てです。


おかんに出会い、衝撃を受け、
『自分が今何をすべきか分からなくても、この子達の大阪城ホールに立つという夢を、最後まで応援してみよう!』

と決めた時から、

全国に、沢山の知り合いが出来ました。

おかんのことで本当によく頑張っているね!ということで、
沢山の方に声をかけていただきました。

今とても仲良くさせていただいてる、山崎拓巳さんとも、
もともとそんな形で、声をかけていただいたのがきっかけでした。


そして更に大きいことは、

実際じぶんが暮らす身近なこの地域の中で、
『そんなにがんばってるなら、何か手伝うよ』と、

おかんを応援している私を応援しようと、地域で仲間が出来たこと。

このことが、私にとってとても大きな出来事でした。


私は、ひとりっこだからか、
みんなと一緒に何かをやる、ということは、元々苦手。

引き受けたことは、自分だけで解決するし、
自分だけで解決できる範囲内でも、なんとか期待に応えようとするから、

容量オーバーで、ひとりキリキリ舞い状態になることが多かったんです。


今回で、新居浜でおかんのことで、
大きなイベントをやるのは3回目になりますが、

やっと、分かってきたような気がしています。


みんなが、気持ち良く、自発的に自分にできることをやって、
みんなが、極端に無理をすることなく、

かる~くらく~に目標を超えていく方法。


もちろん、まだまだ、未熟なところだらけですが、
それでも、以前より少しは分かってきました。


それぞれの人が得意な分野は何か、何に興味があるのか、
そのことをちゃんとつかんで、

思い切ってお任せをして、お願いをしてしまう。
そして感謝の気持ちを伝えること。


上手にそれができる人にとっては、なんでもないことです。


だけれど以前の私は、本当に抱え込んで抱え込んで、
初めて大きなイベントをやった時には、前々日から過呼吸になる寸前のような、
限界点に達していました。

イベントそのものは、頑張り過ぎたおかげで(笑)、
出演者のことを誰も知らない状況の中で、450枚以上チケットが売れるということが起こりましたが、

大きくなり過ぎて更にバタバタを超えてしまっていました。


だから2回目は、半ば諦めの気分もあり、
そこまで自分が追い込まれることのないように、
ある意味で、少し手を抜くところは抜きながら、
それでもコッソリ、最低ラインは超えるよう動きました。


だけど3回目の今回は…

最初から、みんなに出来ることを完全にお任せする姿勢で、
かつ、
一度もまともに、代表のような形で皆さんに全体で思いを統一させるような話をしたりしていません。

みんなが同じ立場の中で、自由にアイディアを出し、自由に行動する。

それにお任せをして、皆さんの様子を見させていただく。


その形に切り替えることが出来ました。

これまでで一番、準備期間が短いのに、
最低ラインのことは、きちんと出来上がりました。

誰も歯を食いしばってきつい思いをすることなく。


いつもひとり行動一匹狼だった私が、
こうして、皆さんと一緒に何かをやらせていただくことが出来ること、

本当に貴重な経験を私はおかんから、もらいました。


彼らの歌は、彼らの生身の人間部分が、届く感じ。

その場、その人に、

本当に必要な歌を、言葉を、空気を、選んで、

例え今この瞬間に倒れても悔いがないと言い切れるほど、

目の前の人に一生懸命に思いを伝えています。


だから、真っ直ぐに胸に光が届くのだと思います。


20日は、
インディーズの彼らが、大阪城ホールLIVE大成功という偉業を成し遂げ、

そのお礼参りということで、新居浜にもやってくるわけですが、

単なる他人事のサクセスストーリーではないんです。


来てくださったあなたの人生と、必ず交差する。


彼らとの出会いはきっと、そうなるはずです。


今回も、隣町からドキドキしながら中学生たちが電車に乗って来てくれたり、
普段外出しない子ども達が来てくれたりもします。


私はもちろん、私の身近でも沢山、
彼らとの出会いで、大きく光を受けた人たちを見てきました。


あなたの人生に、おかんが交差する瞬間を…私は見てみたいです。

来てくださった方の光になりますように…



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

今日で新居浜の秋祭りが終わりました。

祭りのあと…という曲がありましたよね。なんともさみしい気持ちになります。
耳には今も太鼓の音と笛の音が鳴り響いてるような感覚。

同じ祭りという話題で、
毎日ブログを書くというのも、我ながら感心なことです(笑)


今年の祭りでは私は、
昨日ブログでご紹介したところの「上部地区」ばかりの撮影でした。

上部地区は本当に、
地区同士が助け合っていて、感動させられます。


「差し上げ」といって高く太鼓台を持ち上げる演技の時に、
A地区が差し上げの番の時は、B地区やC地区、D地区から、かき夫たちが集まってきて、
A地区の差し上げを助けるんです。

見事差し上がって演技が終わると、
A地区の人たちは、頭を下げて大きな声で他地区の人たちに、
「有難うございました!」と伝えていました。

そして、B地区の差し上げの番になると、またA地区、C地区、D地区の人たちが、
一斉にB地区の太鼓台のところに集まって差し上げて、同じことが行われます。



新居浜太鼓祭りは、本当に伝統あり地域の人々の誇りですが、
やはり少子高齢化の影響か、
年々かき夫の数は少なくなり、巨大な太鼓台を持ち上げるために必要な、
ひとつの地区につき150人のかき夫、という数は、確保できなくなっています。

以前は各々が自分たちの地区の太鼓台を担いでいればよかったのですが、
今はそれでは、どこの地区も差し上げができず、悔しい思いをしてしまいます。

それならばと、互いに応援し合うようになったようです。

手伝ってもらった後の、他地区のかき夫に対する「有難うございました!」の伝え方には、
大げさかもしれませんが、侍魂のようなものさえ感じるほど、

言葉は「有難うございました」だけれども、その伝わる気持ちは「かたじけない!」
と言っているように見えました。


気持ちが伝わるって、ほんとうにあったかいんですよね。


互いに応援し合う姿に感動するものの、
差し上げの回数が多くなるほど、少ないかき夫の人たちの疲労は大きくなってしまいます。

もっともっと地域に活気があふれるように、ふだんから、
沢山の元気で健康な人たちをつくっていかないとなぁ~と感じました。


けれど一方で、こんなにも素晴らしい祭りを持つ地域は、
廃れてしまうことはないだろうなぁとも思います。

祀りごとを、伝統を、大切にするから、きっと、良きようになっていきますね。


みなさんの地域でもお祭り、大切にしていますか?


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

明日、地元新居浜の秋祭りは最終日を迎えます。

最近毎日お祭りの話題ですみません。

私はお祭りの時こそ仕事を離れることができず、遊びに出かけることはできないのですが、
現場で、画面で、皆さんの熱を感じることができています。


先日新居浜太鼓祭りのことをご紹介した際、「喧嘩祭り」として有名だと書きました。

年々とその太鼓台の豪華絢爛さを競って、太鼓台は昔に比べると随分大きくなっていき、
競い合う風土が根付いたことも理由のひとつだと思います。

しかし実はこの喧嘩祭りは、
新居浜の中でもいわゆる下(しも)の地区の文化です。新居浜の町中、中心部あたり。


新居浜市は、国道11号線を境に、
それよりも北を下(しも)、南を上部(じょうぶ)と呼び、様々な文化が異なります。

下はすぐそこに海があり、海岸沿いは工場地帯。

上部はすぐそこに山があり、気温が町中よりも1、2度低い。


私が小学校2年生から住んでいる場所は、上部地区にあたるのですが、両親は下の出身、それも海際でした。

病気のこともあり、外出できない両親も、ケーブルテレビ局の生放送で祭りを愉しんでいますが、

やはり恋しいのは、慣れ親しんだ少々気性の荒い下の祭りのようです。



私も、小さな頃、
船着き場でおじいちゃんに肩ぐるまをしてもらって見ていた下の祭りには、懐かしい思いがします。

喧嘩はいけない、とわかっていても…
「喧嘩が始まったぞ~」と聞けば、一斉に皆が走っていく、その感じも、なんだか楽しかったのです。


だけれど、上部の祭りも大好きです。昨日のブログで書いた池田池夜太鼓も上部の祭りです。

上部の太鼓台は基本的には喧嘩祭りにはあたりません。
地区同士協力し合って仲がいいのです。


今日は上部地区メインの山根グランド統一かきくらべがあり、
これは他県のケーブルテレビ局にも生配信しましたが、

新居浜の太鼓台文化としてとても誇らしいものです。


複数の太鼓台が、協力し合って、
かき棒をぴったりとくっつけたまま、差し上げをしたり、そのまま回転したり、見事です。







大人たちがこんなにも一生懸命に協力し合ってひとつのことを仕上げていく、

そしてしっかりマナーを守り、ゴミ等は綺麗に片づけて帰っていく。

本当に感動します。



今月は、伊勢神宮が式年遷宮ということで大変な盛り上がりを見せていますが、

ふっと考えてみると、
この私たちの地区のお祭りも、というよりも、お祭りという文化そのものが、

伊勢神宮の考え方における「常若(とこわか)」なのではないでしょうか。


今年は新居浜でも太鼓台を新調した地区が沢山あります。

大変な巨額の資金を、地区の人たちで協力し合って出し合い、
数十年に渡って大切にその地区に受け継がれてゆく。


以前の太鼓台と全く同じデザインを受け継ぎ続けるというわけではないので、
伊勢神宮における「常若」と全く同じではありませんが、

「常に新しく、永遠に滅びないもの」という点では、同じではないでしょうか。


受け継ぎ手によって、少しずつ違いはあるものの、
確実にその大きな枠での形は変えず、江戸時代以前から受け継がれている祭り。

神様への感謝を表すことから始まっている祭りだからこそ、「常若」なのかもしれませんね。



さて、話題はがらっと変わりまして、10月17日と言えば、気になるのはあの法律です。


政府が先月2日~17日までという、国内がオリンピック招致に湧いている最中に、
あっという間に募集して締め切った「秘密保全法」に対するパブリックコメント。

約9万件のパブリックコメントが寄せられたとしていますが、そのうち、
同法案への反対が約8割だったと報告されました。


行政の判断次第で、自由に情報を特定秘密に指定できる「秘密保全法」。

いつの間にか「秘密保全法」から「特定秘密保護法」に法案名が変更されているようです。


法案提出直前になって法案名を変更するなんて、異例中の異例。

これには一体、どんな意味があるのでしょうか。


名前が変われば役割は変わる。

名前のことだま師でなくても分かりそうなお話ですね。


国民の思いが十二分に反映されることを願います。

本当に本当に大切なことなら、「常若」。


法律というものも、誰かの作為によって自由自在に大変革できるものではないはず。

私はそう、思います。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

こんばんは。
最近ブログでとても嬉しいことがあります。

毎回自分のFacebookにもブログ更新を掲載しているのですが、
Facebookのタイムライン上での『いいね』よりも、
ブログ自体での『いいね』の数のほうが、多いんです。

Facebookではしばしば、
記事の内容を読んでなくても、反射的にいいねを押す場合がありますが、
ブログ記事の中のいいねは、恐らく、読んでなければ押さないと思うのです。

ブログでのいいねが着実に増えているということは、
このブログをパソコンで、お気に入りなどに入れていただいている、
ということかもしれません。

そう思うと、とっても嬉しいんです。

正直なところ、
今日の記事は読んでいただいてもしようのないものかも…
と思いながらアップすることもあります。

それでも、いいね!読んでるよ!というサインには、
とっても後押しをいただけます。

ブログ記事でのいいねについては、Facebookと違って、
どなたが押してくださってるのか、私からはわかりませんが、

その数に、励まされることって、多いんです。

もちろん数だけが問題じゃなく、
ひとりでも、読んで何か感じてもらえるなら、有難いことです。

読んでいても、押していない、という方もいらっしゃるでしょうし。



さて、余談が長くなってしまいましたが、
今夜は、新居浜の、池田池公園夜太鼓の撮影に行っていました。


私が勤めている会社は、
新居浜市と西条市をサービスエリアとしたケーブルテレビ局。

気がつけば在籍してもう10年になります。

入社当初は、苦しくて悔しくて悔しくてたまらなくて…
その頃に比べたら、ずいぶんと楽に仕事をさせていただいています。

楽…というとなんだか良くない感じがしますね。

でも、肩の力が抜けるのは、いいことだと思います。


新居浜市内はいよいよ秋祭り本番!

新居浜の人たちも、西条同様、
祭りのために1年間を生きてきたんだ!と言わんばかりの、

凄い気合いの入った男衆が町に溢れます。


私は会社に入るまで、祭りがあまり好きではありませんでした。

なんだか必要以上に騒がしく荒っぽい町になるだけ…
そんな風に思いながら遠巻きに見ていました。


しかし入社したらそういうわけにはいきません。

秋祭りは、地域の人たちが最も楽しみにしている大イベント。

ケーブルテレビ局としても、朝から晩まで各地から生中継し、
皆さんの勇姿を収めなくてはなりません。


そうして近くで追いかけているうちに、素晴らしさに気づいたんです。





これだけの巨大な太鼓台。

地域のみんなで、
お金をかけ、準備に時間を割き、体力を使い、全労力をつぎ込んでいく。

そうしなければ出来上がらない祭りです。

担ぎ上げる男衆は確かに荒々しいけれど、
普段見せない荒々しさも、祭りの時くらいいい。


それに私がとっても感動するのは、今日も見られた光景ですが、
みんなで太鼓台を担ぎ上げた後、その場所を去る前に、

きちんと皆でゴミを拾ってから帰るんです。


運営委員会のおじさま方が、ナイロン袋を持って廻る。

そして、いつもより格好をつけて、
いきがってるような若い衆たちも、

おじさま方の姿を見て一緒に拾ったり、
拾ったところですぐナイロン袋を差し出されると、
ありがとうございます!と言ってナイロンの中にゴミを捨てている。


あたりまえ。といえばあたりまえのことなのですが、
はしゃいでやんちゃをしている中にも、
こういう光景があることを、

そして困っている人がいたらすぐに皆で助けようとする光景があることが、

この祭りの中に居て感じられるとき。


なんて素晴らしい祭りだろうか、と、胸が熱くなるんです。


皆さん、本当に素敵です。

荒々しいからこそ、この素敵さが際立つのかもしれませんね。


新居浜太鼓祭りは、18日まで続きます。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも

何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ!

今を生きることで 熱いこころ燃える
だから君は行くんだ微笑んで。

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも。

嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為


何が君の幸せ 何をして喜ぶ
わからないまま終わる そんなのは嫌だ!

忘れないで夢を 零さないで涙
だから君は飛ぶんだ何処までも

そうだ!恐れないでみんなの為に
愛と勇気だけが友達さ

嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為


時は早く過ぎる 光る星は消える
だから君は行くんだ微笑んで

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえどんな敵が相手でも

嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為



アンパンマンの挿入歌は、本当に素晴らしい人生の歌。


アンパンマンの生みの親、やなせたかしさんがご逝去されました。

94歳でした。

やなせさんは大変多才な方で、
作詞家として「手のひらを太陽に」を作詞されていたり、

三越の包装紙のデザインなどを手掛けられていました。

漫画家として独立し、
雑誌に描いていたアンパンのキャラクターが、
1988年放映開始の日本テレビ系テレビアニメ「それいけ!アンパンマン」でブレークし、国内だけでなく、海外でも大ヒットしました。

この時やなせさんは70歳を超えていて…

そう、また、やなせさんは四国・高知のご出身で、
高知県の土佐くろしお鉄道「ごめん・なはり線」の沿線20駅に
「ごめんえきお君」のキャラクターを描かれています。


最初にご紹介した、それいけ!アンパンマンの挿入歌。

ご存知の方も多いと思いますが、
この歌は実は、

特攻で出陣していった、やなせさん自身の弟に向けて、
作られた歌でもありました。

もちろん子供たちの夢に向けて、
しかしそこには弟への、

なんとも苦しく辛い中でも、
光を見出し、勇敢なヒーローとして、

立ち向かう弟や、弟と同じく立ち向かっていった全ての人へ、
また、これから形が変わっても、様々なことへ立ち向かっていく人へ、

心を込めた愛のメッセージです。


いつまでもこの歌を大切に繋いでいきたいと思います。



何のために生まれて、
何をして喜ぶのか。


誰かの役に立てたなら、それがきっと喜びだから…


やなせたかしさん、ありがとうございました。
ご冥福をお祈り申し上げます。




今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

昨日は隣り合う新居浜市と西条市の祭りが、
お祀りしている神様の違いから、如実に気質が違っていることと、

新居浜太鼓祭りについていくつかご紹介しました。


西条祭りはいよいよスタートしました。

西条祭りは元来女の神様のお祀りのため、
神輿やだんじりを担ぐのはもちろん男性ではあるものの、
時折女性がそこに加わったり、揃いの法被を着てずっと練り歩いたりします。


西条祭りはともかく、神事としての祭りというところに、
高き誇りを持っている方が多いです。


石岡神社(氷見・橘地区)、
伊曽乃神社(神戸・大町・神拝・玉津・西条地区)、
飯積神社(玉津・飯岡地区と新居浜市大生院地区)の三神社の祭礼に加え、

嘉母神社(禎瑞地区)の祭礼も最近加わりました。


祭礼に奉納される山車は、
石岡神社、伊曽乃神社では、楽車(だんじり)と御輿屋台(みこし)。

嘉母神社と飯積神社では、太鼓台が奉納されます。


また、伊勢神宮への奉納をこれまで10回以上行ってきています。

平成16年には、32台のだんじりと1600人のかき夫が三重県伊勢を訪れました。

伊予のお伊勢さんと称される伊曾乃神社があることと、
西条祭りで練りの際に唄われるのが、伊勢音頭であることから、

伊勢神宮への奉納は始まっていますが、
このことにより一層、祭りを神事として行っているという格別な誇りを、西条の人たちは持っています。


日の出と共に神様がお宮をお出になり、市内を練り歩き、
お宮にまた帰るまでを、ずっとお供する。

それなので西条祭りは、日の出と共に始まりますから、
人々の行動は、深夜から明け方にかけて、そして寝ずに昼間も練り歩くという、大変ハードなものです。



それでも、西条の人たちは祭りには必ず帰省しますし、
他所で働いていても、やはり祭りが恋しいからと、
地元に帰ってくる人も少なくなく、

西条の人たちにとって、一年の始まり、正月は、祭りであるとさえ言われています。


隣り合う新居浜市と西条市。


新居浜市では、
男祭りとして、喧嘩祭りとして荒々しく、力比べと豪華さを競い合う気質。

西条市では、
神事としての祭りとして伝統としきたりを重んじる誇り高い気質。


あまりにも違うものなのです。


愛媛県新居浜市と西条市。

毎年10月14日から18日にかけてこの地を訪れると、
とっても不思議な体験を、していただけることと思います。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

私の住んでいる愛媛県新居浜市では、秋祭りの開催までもう秒読み。

隣町の西条市では、既に始まりました。

隣町でありながら、祭りの様子はすべて真逆。

その理由は一言でいえば、とても簡単です。


お祀りしている神様の男女が異なるから。

西条祭りは、女の神様。
新居浜祭りは、男の神様。

それぞれの市の代表神社を見ると、すぐに分かります。

西条市では伊曽乃神社(横削ぎ・女神)
新居浜市では一宮神社(縦削ぎ・男神)

基本的には、神社の千木を確認すると、
男女どちらの神様をお祀りしているのかが分かります。


隣町なのに、なぜ、新居浜市と西条市は、
何かつけてこうも違うのだろう?と、よく言われています。

新居浜市は工業都市で、西条市は城下町だから、
新居浜市は先進的で、西条市は保守的なんだ、

そんな風な捉え方をする場合が多いのですが、
もっと根本的には、お祀りしている、その地域を司っている神様が、

男性と女性なので、陰と陽なので、役割が逆なんですね。


近くても、土台が全く違うんだということを理解していないと、衝突やトラブルのもと。

男女同士で、なんでこの感覚を分かってくれないの!
とケンカになるのと同じ要領でケンカになってしまいます。


ただ、共通していることは…

どちらの町も、秋祭りを中心に生活が回っていると言っても過言でないほど、

盆正月帰らぬ人が、祭りは帰るというほど、

祭りにかける人々の思いの熱い場所です。



13日は、取材で、
新居浜市のある地区の、お祭りに使われる山車(太鼓台)の新調お披露目式に行っていました。



写真をご覧いただいてわかる通り、大変巨大な山車で、

高さ5m、長さ11m、重さ2.5t、
これを担ぎ上げるので、男手が約150人ほど必要です。

このような山車が、地区ごとに全部で52台あるのです。


そして毎年掲げられるスローガンは同じ。
【平和運行】


不思議ですね。

秋祭りは元来、五穀豊穣に感謝するものです。
大変平和的であるのは当たり前。


なのに平和運行が毎年のスローガンにあがってくるということの意味は…


毎年平和ではないからです。


新居浜太鼓祭りは、通称・喧嘩祭りとも言われます。

男祭りで、江戸時代以前からありますが、
新居浜の町が栄えてゆくと同時に、

地区ごとにその権威や強さを見せるために、
互いに張り合い、どんどん山車の大きさは大きくなってゆき、
今の大きさにまで発展しました。

それと同時に、互いに強さを見せつけようと、
喧嘩といって、他所の太鼓台を追い立てたり、牽制したりします。


観客はそれを薄々期待しているので、
時折、パフォーマンスでそういったことを行う場合もあります。


新居浜市は男神の町。祭りも、男祭り。
女性は基本的には祭りに参加することは出来ません。

男らしさを競う中で、
喧嘩で力の強さを競う傾向になるのかもしれませんね。



しかしとにかく、祭りを愛し、伝承していく気質は、本当に凄いです。

新居浜市の山車(太鼓台)は、
初めて見た人は、あまりの立派さに驚かれます。


古くなると、周辺の町に売ってしまうので、
周辺の町に、新居浜市の山車と似た、もしくは同じ山車が、沢山あります。


我が町、我が地区内で、自分たちの地区の山車を大切に伝承しながら、
譲った他県の地区とも固い絆が結ばれてゆく。


縦の伝承だけでなく、横の伝承もしていくこと。


こんな風にして、大切なものは、残していきたいですね。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

521年前の10月12日は、
クリストファー・コロンブスによって、アメリカ大陸が発見された日でした。



コロンブス自身は、インドに到達したと思っていたそうですが、
実際にはそこは、北アメリカ大陸でした。


この日を、コロンブス・デー(祝日)として、
アメリカ合衆国の多くの州では、この日を祝います。


発見したスペインとしても、
この日を植民地建設の第一歩を果たした日として、
「民族の日」と設定し、やはり祝日です。

しかし、一部のスペイン人の間では、
軍国主義の礼讃となるようなことはやめるべきだという声もあがっています。



実際アメリカ本土でも、
このコロンブス・デーに激しく抗議する反・コロンブスデー活動をする人たちがいます。

インディアンです。


人類史上最も甚大な大量殺戮の対象となったインディアン。


この人たちにとって、
コロンブス・デーとしてこの日を祝うことは、まかりならないのです。


全米一巨大規模のキリスト教系団体「ナショナル・カウンシル・オブ・チャーチズ」は、
キリスト教信徒にコロンブス・デー500周年を祝うのを辞めるように呼びかけました。

「ある人々が手にした新しい自由、希望、機会は、他の人々にとっては、弾圧、差別、殺戮を意味した。」と語ったのです。




これが、悲しいけれど、過去の歴史上の世界の在り方だと思います。


自分たちが、
新しい自由、機会、希望を得るためには、

誰かのそれと引き換えとなります。


という価値観。


争いの時代でした。



でも、これからは違います。

愛と融合の時代です。


誰かの自由や機会、希望を奪うことなく、
自分たちも、みんなも、幸せになれる方法を築いていく時代です。


そのためには、海外にある、WinWinの概念を超えた、
日本に昔からある「三方よし」の精神が、鍵になってくるでしょう。


日本人の果たす役割は、大きいのです。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

今日はとっても嬉しいことがありました。

私に、中学生の女の子から、メールが届きました。

10/20のおかんライブの問い合わせなのですが、文面は、これです。



最後に名前と住所、チケットの内訳がきちんと書かれてあり、
そこだけを除いて、あとはすべてそのまま記載します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

はじめまして。

中学生2人でライブに参加したいのですが大丈夫でしょうか?

先日ラジオで『あなたはあなたで大丈夫』という曲を聴いて

感動して涙が止まらなくなり歌っているアーティストさんを調べたら

『おかん』という素晴らしいバンドで、いつかライブに行きたいなと思っていたら

なんと2つ隣の市で開催されると知って参加したいと思いました^^

大切な友達と2人で行きたいと思っています^^

よろしくお願いしますm(__)m

・・・・・・・・・・・・・・・・・

FM愛媛さんでイベント告知をさせていただき、それが10月5日に放送されたのですが、
彼女は偶然にそのラジオを聴いてくれたんですね。


『涙が止まらなかった』『大切な友達と一緒に行きたい』

もう、このメールを見ただけで、
当日、この女の子と友達が、

真っ赤に目を腫らし、泣きじゃくって、

生涯、二人でこの日を過ごしたことを忘れられないような、
そんな日になることが、分かってしまいます。


そして、こんな子たちを見つけた時、私は必ず、ライブが終わった後、

おかんのメンバーたちと、直接話をするように促します。


おかんは、歌ももちろん素晴らしく、伝わるんですが、
何よりも、その歌の内容を実践していることに、感動します。


『ひとりじゃできないことがあったなら、すぐに言えよ。力になるから。』

という歌詞があったとき、

彼らはそれを、歌だから格好つけて言ってるんではなくて、
本当に本気で言ってるんです。


中学や高校でも、これまで何度かライブをしてきていますが、
『もう死のうと思う』と言う子がいた時、

おかんは、何時間もその子と向き合って話をしたり、挙句には、
『いつでもメールしてこい!絶対俺はお前を諦めんからな!ひとりで行こうなんて絶対思うなよ!そう思っても必ず、メールしてこいな。』

と言って、本当に連絡先を教え、その後対応していたりします。


【この人…本気で言ってくれてる】

純粋で敏感な人たち、子供たちには、
彼らの放つ本気が、ストレートに伝わるんだと思います。

そして衝撃を受ける。


本気でぶつかってきてくれる大人の姿を前に、

よし、じぶんの人生をもっと愛してみよう!!

って気持ちになれる。


おかんの魅力は何よりも、
そこじゃないかなと、私は思います。


中学生の二人の女の子…
当日彼女たちに会えるのが、今から楽しみで楽しみで仕方ありません。


私のイベントをやった時のいちばんの喜びは、
こんな風に、

誰かひとりでも、ふたりでも、
強く強く、人生に光が射し込むような経験として捉えてくれる人がいた時です。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

おかんLIVEまであと10日!
ということで、10日の夜は、ミーティングをしました。

ミーティングというよりも、
チケット販売の精算と、装飾物の準備。

結局、大丈夫だろうか?という程、特に何の話もせず。


おかんのことに関わってから、
地元・新居浜で、大きなイベントをやって、今回がちょうど3度目にあたりますが、

だんだんと、今になって、やっと分かることがあります。


初めて、イベントを主催する、となった時、1年前は、
例えばミーティングひとつやるにしても、

毎回、15分程度は、最初に私から皆さんにお話をしていました。

毎回、開催日時と、趣旨、
進捗状況をお話して、
みんなで気持ちを共有する必要があると思っていました。


自分が言い出しっぺなのだから、
自分がすべてにおいて1番やらなければならない、

そう思っていた私は、
基本的にはすべての段取りを自分で決めて実行し、

あとは、ここだけを皆でやったらよい、
という状況になってから、皆にお願いしたりしていました。

だけれどもなかなか、思ったように、皆から色んな意見が出たり、
具体的に発想して実行してもらえるということが少なく、

結局自分でやる、ということが多くて、

なぜ皆は、細かく言わなければやってくれないのだろう、答えてくれないのだろうと、
ずっと思っていました。


だから、2回目をやるときには、
もう少し規模を小さくして、
自分だけの範疇でできるようにやろうとしました。


しかし今回、
突然、おかん側から、日にちを指定して一ヶ月ほどしかない日程で、
LIVEをやりたいと言われ、本当に時間がありませんでした。

まして、イベント当日の10日前の今日が、
実質的には、活動終了の時です。

これからの10日は、
私の地元は祭り一色になり、
祭りが終わった後のイベントの話など、
聞いてもらえるはずがないからです。


実際10月20日も、祭りの後片付けがあるから、来れない、
という声も、とっても多いです。


とてもハードルの高い今回だからこそ、私は、必然的に、
また、皆に頼るしかなくなったのです。


自分が勝手に、おかんから引き受けた今回のイベント。
でも日にちがなさ過ぎて、皆の助けを借りなければ、出来ない。

そうなって、
皆さんにいろいろなことをお願いするようになって、初めて、

皆さんが、それぞれ、自主的に考えて、動いてくださるようになりました。




私はずっと、恐れていました。

人に何かお願いをしたら、
めんどうだなぁ~と、嫌がられはしないだろうか?と。


でもそうではない。

手伝おうか?と言ってきてくれてる方には、やはり、
何らかのお願いごとをしたほうが、いいということ。


その人が得意とすることは何なのかを、よく考えて、
その人に、その得意分野をお願いすること。

そうして助けをお借りして、ありがとうの感謝をお伝えすること。


お願いして、ありがとうを伝える。


このほうが、沢山の方と何かを作り上げていく時には、
必要なことなんだということに、本当に、ごくごく最近、気づきました。


以前、皆さんがなかなか動けなかったのは、
私が、自分でやり過ぎていたからでした。


今回は、本当に、何から何まで、
それぞれ分野をわけて、皆さんにお願いしています。

私自身が楽になるばかりか、
皆さんも、喜んでくださっているんです。


自分の苦手は、
誰かの得意を生かすための絶好の機会。

そう思えば、苦手なことが沢山ある自分のことも、好きになれますね。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

10月20日の新居浜でのおかんLIVEまで、あと10日。

まもなく地元では秋祭りが始まり、
1年間で最も盛り上がる時期を迎えます。

そうなると、チケット販売などのお話を聞いていただける状況ではないので、
今くらいまでが、地元でチケット販売ができる時期と見定めていたので、

お祭りに入るまでに、休日を沢山とっていました。



それから、今はもうひとつ大事なことが。

昨日は、母親の治療方針について、
病院の先生に相談しておきたいことがあり、診察に行ってきました。


現在、母親は、
大きな腫瘍を胸に抱えていたので、抗がん剤治療を受けています。

今からちょうど2年前、お祭り真っ只中に、
父親が倒れて、結果的にそれにより大腸がんが見つかったこともあり、


また、全国に居るたくさんの様々な方々からの情報提供により、
『抗がん剤治療は、著しく人間の抵抗力を弱めてしまうもの、必ずしも、がん治療にてきめんに良いとは言いきれない』

ということは、感じていました。


それでも、父のときも、母のときも、
結局、抗がん剤治療の道を選んでしまっています。

二人とも、決して早期発見ではなく、病状がかなり進んでいる状態での発見だったこともあり、

かかった病院で勧められる、最も良いとされる治療方針にお任せしてきました。


治療を進めていきながら、からだと相談しながら、少しずつ、
他の治療方法の可能性も探っていこうと考えていました。

実際、後半で母が受けた抗がん剤の薬は、かなり強いものだったらしく、
副作用も酷く、見ているのもかわいそう。


しかしながら、お医者さんも、あくまで、
自分が考えるこの治療が、他のどれよりも最善である!と信じて取り組まれています。


私は誰よりも、この分野を研究してきた!
だから私の判断以上に良い判断があるはずがない!




診察予約をして、母と病院に向かいましたが、
先生は、私たちが入室した時からずっと、
母が何を話しかけても、チラリともこちらを見ようとせず、パソコンに向かったまま。


あとは、娘が聞きたいことがあるそうなので、
と私にバトンタッチしようとした時。

私は先生の態度が不快だったので、
こちらを見てくれるのを待とうと思いましたが、


はい、どうぞ。
と、やはりパソコンを見たまま言われるので、渋々話し始めました。


いわゆる、自然療法も、併用して試してみてもいいでしょうか?
手術まではダメだとか、手術後なら、こういうものならいいとか、
あれば教えてほしいのですが。


先生は初めて、チラリとこちらを見ました。
そして即座に、
『そんなものは、まっっったく意味がない!標準治療でもなんでもない!私からそういうものを紹介することは無いので、私に相談されても困ります。
やるなら勝手にやってください。その代わり何の意味もないですよ。』


全く相談にならないので、
それ以上話さず帰ってきました。



まずは、人の話はその人のほうを向いて聞こう。

そして、自分にとっての真実に自信を持つのは素晴らしいけど、
思いやりのある伝え方をしよう。



増してや、私たちが突然押しかけていって、
無理やり、今話を聴いてくださいと行ったわけではなく、

きちんと予約を入れた診察として、先生の勤務時間内に、
私は仕事を休んで、高速を飛ばしてやって来て、

母はただでさえ外出できないようなしんどい体を無理して、
予約時間より1時間以上待って、

それで入室をして、そのような対応です。


こちら側の事情は関係ない、と言えばそれまでですが、
そうであれば、仮に先生が何かの事情でストレスがあったり機嫌が悪かったりすることも、
これも私たちにとっては関係ない事情です。


人間ですから、互いに、
同じその時間を共有するまでの間に、

それぞれ異なる様々な事情を抱えたまま、
その場を迎えていることでしょう。


そういう前提に基づいて、相手を思いやることが必要です。


誰にも負けないと思うほど、
ひとつのことを追求し勉強し、真実を掴んだと思えることは素晴らしいこと。

しかし、いつどんな時でも、その答えは、
その人にとっての真実である、ということ。

どんなに私が、これが正しいと思って生きたとしても、
それは、私にとっての真実です。

誰しも、よし、これを信じよう!と、信じる気持ちを持って生きることを、必要としています。

しかしその内容が、
本当に森羅万象に照らした原理原則と、寸分違わず呼応しているかどうかとは、別の問題です。


皆それぞれ、じぶんにとっての真実を抱えて生きています。



その場を共有する、そこに至るまでの経緯や、
それぞれが抱えている真実は、

共有するその時には、思いやりを持って、交差させてあげなければいけない。


改めて、気づかせてもらいました。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

この数日間で、事故で亡くなられた方のニュースが、どうしても私の心から離れず。

あまり、辛いことや悲しいことは、
ブログには書き残そうと思わないのですが、

毎日書く中で、
心に留まっていることを無視して書くことも、
なんだか違っているような気がしたので、今日は少し…


10月に入ってすぐ、横浜で、
遮断機が下りた踏切の中に倒れているおじいさんを助けようと飛び込んだ、

村田奈津恵さんという女性が、
おじいさんを助け、亡くなられてしまいました。

奈津恵さんはこの時、
お父さんと一緒に歩いていたそうです。


考える間もなく、咄嗟に、反射的に、踏切の中へと走って行かれたのでしょう。
現場に居合わせた、お父さんの気持ちを思うと…苦しくてたまりません。

元々この子は、正義感が強く優しい子だったから…

今は記者からのインタビューに対し、気丈にお答えされているようですが、
しっかりとした言葉とは裏腹に、

とても普通の精神状態では、ないのだろうとお察しいたします。



また、5日には、
高速道路で、タレントの桜塚やっくん(斎藤恭央さん)と、そのマネージャーの砂森孝多郎さんが、

事故後後続車にはねられ亡くなってしまわれました。

東京から熊本まで、バンドでの車移動。運転を交代しながら。


当時は恭央さんが運転で、
現場は事故多発のカーブ、雨が降っており、中央分離帯に乗り上げてしまいました。
助手席に乗っていた孝多郎さんが車を降りたところ、後続車にはねられ、

それを見た恭央さんは恐らくパニックになり、
孝多郎さんをなんとか中央分離帯まで移動させようと、車を飛び降りたようです。


恭郎さんのご両親が、
最後に恭郎さんに会ったのは母の日で、
お母さんの元に花束を持って帰ってきてくれたのだそうです。


ご両親は、事故後インタビューで、
孝多郎さんの命を奪って申し訳ないと、謝罪されていたそうです。



本当に、どちらの事故も、
現場を想像すると、また、ご遺族の方々のお気持ちを考えると、

とても辛いです。



桜塚やっくんは、
Facebookのタイムライン上で、何度かお見かけしたことがありました。

私は直接お会いしたことはありませんが、
私の知り合いは、数人の人たちが、やっくんとお知り合いだったようで、

時々ツーショット写真などを目にすることがあったので、
どこか身近に感じていたところもありました。


事故の後、その方たちがやはりFacebookで、
それぞれ、やっくんと接した時のエピソードや、悔しい思いを載せておられました。


本当に辛く、悲しく、
何とか他に方法はなかったのだろうか、とか、

どうすれば、こうならずに済んだのだろうかとか、考えることは、

今後残された私たちが、
同じような場面に遭遇した時に、

どう行動すればよいのかを、考える機会をくださったと、
思うしかないのですが、


いくらどんなパターンを想定してみても、
亡くなった方が戻られることは、ありません。



もしも、ほんの少しだけ、

この出来事の時間がズレていたら…



人生の中では、良くも悪くも、そう考えてしまう時があります。



だけれど、
もしも…を、幾ら想像してみたところで、

ある瞬間に、選べる行動は、
それがどんなに些細な選択であっても、一見何の意味もない選択に見えても、

それらは本当は、すべて意味を持つ行動であり、
その瞬間に選べる行動は、悲しいけれど、たったひとつしかありません。


あとあと、何か大きな結果に繋がった時だけ、

その前の行動を振り返ったりすることがありますが、

本当は、

すべて瞬間の選択は、ひとつひとつ、

その後の結果を、変えていっていること。

普段の生活の中で認識できることは、とてもとても少ないです。



亡くなられた方のご冥福を、心からお祈りすると共に、
このような悲しい事故を、起こすことのないようにしようと考え、

そしてまた、

人生の、特別には感じないかもしれないけれど、

確実に、

すべての瞬間の選択は、
その後の出来事に大きく影響を与えているということを、

思い起こしたいと、感じました。



改めて、お亡くなりになられた方のご冥福を、お祈りいたします。

日野愛子

何を使命として、あなたは生きますか?


私は長い間、

『じぶんは何をするために生まれてきたのか、使命を知りたい。
それさえ分かれば、その事柄がどんなことでも、私は一生懸命にやりたいのに、
それが分からないから、どうすればいいのか分からない。』

と思っていました。


何をしていても、
『私が本当にやらなくちゃいけないことは、これなんだろうか?』
ということが気になっていました。


色んな場所に行き、
色んな人に会い、
色んなことをやってみても、

その疑問やモヤモヤは晴れることがありませんでした。


そんな時、私は、ロックバンドおかんに出会い、
無名でインディーズバンドの彼らが、大阪城ホール単独公演を目指すと聞きました。


彼らは、単に自分たちの夢を叶えたいというだけではありませんでした。


自分が命の恩人だと思っている、車椅子の人たちが、
堂々と100名は入場できるような会場づくりをしたいとか、

自分の歌を一度でも生で聞いた人のことを、絶対に、
自ら命を絶つようなことはさせない!って思って、
それが使命だと思って歌ってる、とか、

無名の自分たちでも、でっかい夢を叶えることができるって、
そこまでの道のりを皆で歩いて、
皆の力で、大きなうねりが起こせるって、体感してもらいたい、とか、


色々な彼らの言葉を聴きながら、
気がつけば私は、初対面だったのに、

『絶対にやれる!必ず最後まで私応援するから、絶対やろう!』

と言っていました。


自分の本当にやるべきことは、何なのか。


それは分からないままだけれど、
なぜか心が動いて止めることができなかったから、


自分のやることが分からないなら、
とにかく今目の前の、この子たちの夢を叶えるお手伝いを、
全力でやらせてもらおう!と、思いました。



今私の身の周りにある全国に広がる人間関係、
それを形づくってくれたきっかけは、すべて、このおかんに関わったことから始まりました。


身近な人たちと、より絆が深まったのは、
おかんのイベントを企画して、みんなでがんばってきたからだったし、

全国に知り合い、仲間が増えたのも、
おかんの企画でがんばっている日野愛子として、知ってもらえたからでした。


私は、とにかくおかんの夢を叶えようと、
それがたくさんの人たちの為にきっとなると信じてやってきましたが、


気がつけば、その活動は、
私自身の成長や、人間関係をつくるものと、直結していました。


【なぜだか分からないけれど、
とても心が動いて止められなかった】


この衝動にしたがっただけ。


だけれど、この衝動が働くということは、やっぱり、
私自身にとって、大きな意味があったからだったのだと思います。


今の私を形づくる全ての物が、人間関係が、
この時から、みるみるうちに広がっていきました。



そして更に、
『名前のことだま』との出逢いによって、

使命の向かうべき方向性が、とってもよく分かるようになりました。

自分のことも、人のことも。

気がつけば、
私が一番知りたかったことを、知ることができるようになっていました。


これから私は、
〔自分の使命を再確認したい人〕〔自分なんて無力だと思ってしまっている人〕〔心に傷を負っている人〕

の、1人でも多くの方に、

どれほど、どんな風に、あなたがこの世界に必要な人であるかを、

そして、あなたの中に確かに息づいてる日本人性に、
氣づき、誇りを取り戻していただき、

そのことによって、世界をもっと素敵にしていきたいと思っています。


これが私の使命です。
今はそう、しっかり言えるようになりました。



もしかしたら。

やるべきことを見つけたい、使命を見つけたい、

そう思うなら、
まずは衝動にしたがうことなのかもしれません。


その後で、『私は、このために生きます。』という、
自分の答えが見つかるものなのかもしれません。


今の私は、そんな風に捉えています。




《もっとも貧しい人々のために働くことを、私たちの使命とします。》

と宣言した団体がありました。


今から63年前の10月7日、
ローマ教皇庁の認可を受けた「神の愛の宣教者会」(カトリックの女子修道会)。
現在では、133の国と地域で活動し、4500人以上の修道女がいるそうです。


創立者は、マザー・テレサ。




彼女のもとには、
『もっとも貧しい人のために働け』という啓示のようなものが、あったそうです。



私たちが最も重要な人生の使命を得るのは、
ある種の、なにか衝動にしたがって懸命に役割を果たしていたら、

その先に、

ふっと舞い降りてくるような、そんな存在なのかもしれません。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

耳を澄ませば、鈴虫の声が聴こえてくる、今の季節の夜。

季節の音は、一瞬にして、
私たちを、ずーっと遠い記憶まで運んでくれることがあります。


大人になって、年を重ねていくごとに、

出逢う出来事が増え、
出逢う人が増え、

喜びも、悲しみも、愉しみも、虚しさも、達成感も、悔しさも、

全ての感情が、深く深くなっていくように感じます。


感情が、深く、深く、深く、なっていく。

底知れぬほど深くなったあと、最後には、

とてもシンプルなところへとかえってくる。


この季節の夜は、ほんとうに空気が澄んで気持ちがよくって、
サラサラとしていて、

あれやこれやと、上機嫌で思いふけることができて、とってもいい。


『◯◯とは?』と、
ひとつの言葉に対して、それは一体どんなものなのか、
思いつくままにひとつずつ挙げていってみる。



『愛とは?』


受け止めること。受け入れること。受け取ること。

知ろうとすること。理解すること。共感すること。

待つこと。見守ること。見届けること。

与えて忘れること。包むこと。


私の場合、最後に出てきたこの、包むことがなにか、近かった。


包むこと、そしていつしか、包まれること。


言葉遊びではないけれど、ぐるぐると、
たくさん思い巡らせて、

でも、最後にシンプルにひとつになる。


もちろんいつでも、答えはひとつじゃないんだけれど、
答えというよりも、

自分にとって、信じたい何かを、最後には決めてみる。

それを胸に置きとどめて、毎日を過ごしてみる。


違ったと思うならまた修正すればいい。

だけど、まずは、信じることだ。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

私がこれまでのブログでもよく、
わたくしごとカテゴリーで紹介してきたロックバンドおかん。

むしろ、このブログを毎日書くようになったきっかけも、
彼らが見せてくれた姿勢があったからでした。

今年の5月から、ブログを書き始めましたが、
それは、彼らが見せてくれた姿勢を受けて、

私も、私にできることを、精いっぱいやっていく!と決心がついたからでした。


ロックバンドおかんは、インディーズバンド。今、事務所さえありません。

彼らが今年の4月、
大阪城ホールという、武道館よりも多くの動員ができるステージで、

7000人という人たちの前で、みんなの夢を乗せて、

夢が叶うときは、ぜんぶ人だったと、
出逢ってきた人たちが、自分たちをここまで運んできてくれたんだと、

思い切り伝えてくれました。


彼らと、共に苦しみながら、ずっと応援してきて、
やっと叶ったその姿を見て、

ホッとしていた矢先、大阪城ホールの次の日、
私の母親のがんが分かって。


彼らは、一ヶ月後、私の新居浜のこの家まで、会いに来て、
両親の前で歌を、歌ってくれました。

『君の代わりはいない』と『人間だから』を。






今日、大阪城ホールのDVDを、両親と一緒に、鑑賞しました。


彼らはステージの上でもいつも言っています。
いつでも、みんなの力になりたい、って。

僕らは行って歌を届けることしか出来ないけど、
僕らにもできることがあるなら、いつでも言ってほしいと。





私の母の病気のことを耳にして、
彼らは、自分たちで、ここまで来てくれることを決めたんだそうです。


私は、家族のことを、
もちろんこれからもっと大切にし、後悔しない行動を取り続けたい。

でも、それだけじゃなく、
私も、私にできることは、いつでも、出来る限りやらせてもらいたい!


強く、思うようになりました。


おかんはいつも、
『愛子姉や、愛子姉を支えてくれる愛媛のみんなに、ほんまに感謝してる。
いくら感謝してもし足りんけど、せめて、ありがとうを伝えに来ることだけは、させてほしい。』

と言ってくれていて、その言葉通りの行動をする子たちです。


なぜ?
私たちにここまでの絆が生まれたのか?


生きていくって、こういうことなのかもしれない。


何か強い光を、感じた。


そんな気持ちに、きっとなっていただける1日を、

おかんメンバーと、
私たちスタッフ一同で、この日、つくります。


どうしても出逢ってほしい。
あなたの心で、感じてほしい。
感じ合いたい。


人生が、特別じゃないありのままの、そのまま、美しく輝いているということに、
光を照らして教えてくれる、そんなバンドだから。

すべての年代の人たちに、楽しんでいただけるから。


【緊急告知!おかんが愛媛にふるさとがえり!】

大阪城ホールLIVEを達成し、
アジアツアーも順調に敢行してい『おかん』
http://www.rockband-okan.com/

全国で、10月~11月にかけて、
大阪城ホールまでお世話になった各地を廻って、ありがとうを届けます!

愛媛でもやらせてほしい!という、おかんの意向を受け、急遽開催決定いたしました!!

四国での開催は、ココだけです!!
最高の音響で、おもいっきり楽しみましょう!!

日 時・10月20日(日)15:00開場 16:00開演(18:00終演予定)

場 所・新居浜ジャンドール

時 間・トーク45分、LIVE1時間

料 金・大人 3000円、学生1500、未就学児無料(1drink・500円別途必要)

問合せ・TEAMおかん愛媛 日野愛子
lovearth720@gmail.com

★★1分間告知映像★★
http://youtu.be/FK5bDexyl5Q


<主催者より>

無謀な夢にチャレンジするおかんを応援するなら、
私も、無謀なチャレンジで向かうと、
誰もおかんを知らない新居浜で、昨年から何度か大規模なイベントをやってきました。

がむしゃらに全国の皆が一心に応援したことで、おかんの夢は叶ったわけですが、
同じように、
がむしゃらにおかんを応援している私も、
地域の皆さんに本当に支えられ応援され、これまでのイベントを成功させることができました。

おかんが感謝を伝えに帰ってくるということは、
私にとっても、イベントを支えてくださった皆さんに、
感謝の気持ちをお伝えする、最後の場だと思っています。

必ず、あなたの心に、真っすぐに入ってくる光があります。
震えるような感動を一緒に、味わいましょう!

TEAMおかん愛媛 日野愛子



ありがとうございます。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

2013.10.04

融合の達人

日本人というのは、本当に融合の達人です。


そうは言うけど、なかなか新しいものを受け入れない、
閉鎖的な人種ではないのか?と、

自らが融合の達人であることを、あまり自覚してない方が多いです。


日本人の日本人らしさ、
凛とした姿、

それらは何も、他者を受け入れない、違いを認めない文化、
というわけではありません。

むしろ全く逆です。


堂々たる精神性を貫きながらも、

現実の生活や、文化の中には、
自分たちと違った価値観や捉え方を、

非常に豊かに、素直に、ふんだんに、取り入れてきました。


私たちの感覚としては、これは日本の文化だ、しきたりだ、
と感じていることの多くが、中国のものであったりします。



たとえば、日本の伝統的な暦は、
飛鳥時代に中国から伝えられた暦をもとに、

日本の気候や風土に合うように改良を加え、脈々とその後も用いられています。

また、二十四節気は、
地球から見て太陽が移動する天球上の通り道を黄道といい、
この黄道の上に、二十四の基準点を設けて、
太陽がそれらを通過する二十四の日付に、季節感豊かな名前をつけたもの。

これも、中国で生まれたものです。

しかし、日本ではこののち、
日本の気候や農作業のスケジュールに合わせようと、

生活や農事の目安になるよう、雑節という、日本独自のものを作り出しました。

節分、彼岸、社日、八十八夜…


そして、十二支のルーツだって、
古代中国の天文学で、
十二年で、天を一周する木星が、その年どこにあるかを、示すものでした。

やがて、
月の呼び名として応用したり、
時刻や方位の呼び方にも用いるように取り入れたのです。

「草木も眠る丑三つ時…」なんて、粋な言い方ですよね。

ちなみに丑三つ時は、午前2時から2時半くらいを、指します。


それに、私たちが、未だにこれに従って行動している。

先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口、
これも、六曜といって、

室町時代に、やはり中国から伝わり、江戸時代から、吉凶を簡単に見られるものとして、
庶民の間にも広まりました。


中国の文化なしに、
日本の今の文化はありえません。


知らず知らずに、異国のものも、
我がものとし、うまく使い、変化させ、
より良いものを築けあげる。

文化は融合するけれど、精神性は一貫して変わらない。


これが昔から、日本人の姿勢であったようです。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

今日は、わたくしごとブログ。

皆さんの周りにも、がんの方は、多いですか?


私の身の周りには、今、とてもとても沢山の、
がんと向き合っている人たちがいます。

沢山いるというよりも、
もういっそのこと、

ほとんどみーんなそうなんじゃないかと思ってしまうほど。


実際、私たちのからだの中には、
みんな、がん細胞が居るんですよね。

うにょうにょと、私たちのからだの中をうごめいて、
散在しているから、どうってことはない。


だけれども、

極度のストレスを抱えたり、我慢を重ねたり、

暴飲暴食をしたり、添加物だらけの食事ばかりを繰り返したり、

頭皮や患部から、経皮毒を吸収したりしていると…

……

病気になる。
浮遊していたがん細胞たちが、一点集中に集まってくる。


でもこの手前の、……の部分の行程を忘れちゃいけない。


……の部分とは。


前述のような様々な理由から、結局のところ、

『愛で満たされ、感謝が溢れることがなくなったら、』


という行程が、病気の手前には、あるような気がします。


原因は様々ではあるけれど、
それらの原因により、
『感謝の欠乏』が起こるから、最後には、それが、

大きな大きな病気となって、

『お願い。気づいて。』と、現れるのだと思います。


体を駄目にしたくて、殺したくて、

病気さんはやって来たんではなくって、


ただ、ただ、気づいてほしかっただけなんじゃないかな。


今ここにじぶんが生きていることは、
もの凄く尊い奇跡の積み重ねで、

体の中のすべての細胞が、じぶんを生かすために、
一瞬たりとも休むことなく働き続けてくれていて、

太陽も、植物も、自然の何もかも全てが、
私たちを生かそう生かそうとして、いつもがんばってくれているのに。


一度も。
そのことを気に留めることなく、生きてしまったこと。


先ほどのような条件が重なるということは、それはそのまま、
こういう、気に留める力を弱めてしまうと思うから。


心臓さん、
毎日休む間も無く、私が寝ててもずっと働き続けてくれてたんだね、本当に有難う。あなたは凄いよ。

手のひらさん、
私が書く、持つ、創り出す、示す、握手する、人を励ます、
いつもそのための力になろうとしてくれてたんだね、本当に有難う。

あなたのおかげで、友の肩に手をやり慰めてあげることができ、
じぶんの涙を拭うこともできた。


そんな風に。


そして、がんが固まってしまったその部位を、
優しく撫でてあたためながら、

今までこんなにもがんばってきたんだね、私のために。

この大きなしこりは、がんばった証だったんだね。
なんで出来てしまったのよ!なんて責めたりして、ごめんなさい。

少しも気づいてあげられなくて、ごめんなさい。

もう、本当に気づけたから、もう、大丈夫。有難う。


そう、じぶんの体に、その部位に、伝えられたら。


病気さんは、役目を終えたと自覚して、サヨナラ~ってどこかへ行ってしまうんじゃないだろうか。



いま。
私の最愛の家族も、身近な仲間も、知人のご家族も、

みんなみんな、がんという病気と、向き合っています。


西洋医学のあらゆる手を尽くし、様々な民間療法も考慮し、
出来ることはとにかく全てやっていこうと、

目に見える世界で、知り得る可能性のすべての中から、最善を尽くしています。


しかし最後には。


有難う。


じぶん以外の、人や、自然や、すべてに対してだけじゃなく、

じぶん自身に対して、あんな風に、
有難うが言えたなら。


病気さんは癒されて、役目を終え、消えてゆくのではないでしょうか。


私は、そう、信じています。


とても、難しいことかもしれない。
しかし、目に見えることで、やることはやっているなら。

そう、信じるじぶんで、居るしかない。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

平成25年10月2日、神宮さんの遷宮が無事に終わり、
午後8時から1時間余りの儀式の後には、
早くも一般参拝客が、明日朝いちばんの真新しい本殿への参拝を願って、
沢山の人が列をなし並んでいるそうですね。

遷宮の式典には、ごく限られた方々しか参列することができないわけですが、
式典中も、外から、手を合わせて、ただただその時間、

祈りを捧げる人たちの姿が、テレビに映し出されていました。


日本人は信仰心の薄い人種だ、という人もありますが、
『信仰する対象が、限定的でないだけだ』と私は感じることがあります。


たとえばそこに何もなくても、
心から喜び溢れ、有難いという気持ちになったとき、

私たちは、いつも決まった対象に対してだけでなく、
何かに向けて手を合わせたり、お辞儀をしたりします。


うまくは説明できないけれど、
なぜかそうしたくなる感覚。

目に見えない、わからないものに対しても。


まさに、西行法師が伊勢で詠んだあのことば。

『何事のおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる』

すべてが神々しく、すべてを味わい尽くしたその先に、
いま自らがここに存在しているという事実に立ち返った瞬間、

そのことがあまりに偉大で、身に余る有難いことだと氣づいて…

という思い。


これこそが、本能的に備わっている信仰心のようなものかもしれない、
と、感じたりするのです。

そして何ともその自然な姿が、美しいのです。


ところで、神宮さんをはじめとする、全国の寺社では、
参拝の作法というものが、おおむね同じように決まっています。

手順は、ご存知の方が多いと思いますが、
その意味あいも含めながら、少しご紹介します。

手順やルールだと思うから、難しいように思うかもしれませんが、
昔の人たちが何度も試行錯誤を繰り返しながらも、

最も私たちの感覚にとって、自然な形を見つけてくださっているように思います。



1, 鳥居をくぐる前に一礼し、女性は左、男性は右を進む

2, 狛犬を通り過ぎる際も軽く会釈。
つまり、鳥居も狛犬も、ここから先には、邪悪な者は立ち入ってはならぬ、という門番なので、
知らん顔で通らず、ここを通過させていただいた、という有難さを感じること。

3, 手水舎で手と水をすすぐ。
右手で柄杓を持ち、左、右、左の順に手をすすぐ。
最後に口をすすぐが、すすぎ後の水を吐き出す際は、
本殿へはその口元見えないように、そちら側を手で隠して、吐き出す。
本来身を清めるためなので、禊といって全身を洗い清めるべきところを、
口と手のみに、簡略化している。

4, いよいよ本殿前へ。
鈴を鳴らし、お賽銭を投げ入れ、二礼二拍手一礼。
厳密には「二拝二拍手一拝」もしくは「再拝二拍手一拝」といいます。(この訳はまたいつか…)

鈴も、お賽銭を投げ入れるのも、柏手を打つのも、すべて『音』を出すことが重要。
お賽銭は静かに入れようとか、お札のほうがいい、ということはありません。
古代から、『音』を重視した文化で、音によって、神様をお招きするため。
音が神様を連れてくるので、『音連れ=訪れ』なのです。

柏手は、右手を少し下にずらし、神様を呼び、
その後左手を右手の位置までスッと下げる。この時、神様を自分の中に吸収する感覚。
それから以降、神様の手足となるかのごとく、役割を果たしていくために。



そして帰る際は、鳥居をくぐらせていただいた後に、
振り返って、参拝させていただき有難うございますと、
本殿のほうへ向かって一礼してから、帰りましょう。


大切なのことは、形よりも、その形を超えた精神の中にあります。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。