日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI

名前のことだまを入り口に、和ごころに気づけるブログです。

プロフィール

日野  愛子

Author:日野 愛子
日本人がもう一度、日本人になろう。

皇紀2671年3月11日、
再び、ほんとうの幸せに戻るための、
大きく舵を切れた転換点にするために。

いつもほんとうのことを知ろうとすること、
いつも自分の中の愛に聞いて、
一歩を選べるように。

知ることへの道は、愛のはじまり。

名前のことだまを入り口に、
素敵な日本に氣づけるブログです。

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3月が終わり、4月がやってきました。


学校では、終わりと始まりの区切り。
会社でも、年度末と年度始めの区切り。というところが多いでしょう。


季節的にも、

3月までは、
日によってはまだまだ冬の足跡が残って、
1月から続いてきた新年の名残を、引っ張ることもできたけれど、

4月に入った瞬間から、
気温はどうあれ、春であること、これから初夏に向かっていくという、

時の流れを観念せざるを得ません。



ある時は、

風が、光が、匂いが、音が、風景が、天候が、


あなたの中の大切な何かを、決定することも、あるでしょう。



けれど多くの場合は、

あなたの中の大切な何かを、また、新たに、前に進めてくれたのは、


いつでも、

【ひと】 ではなかったでしょうか。




哀しみの淵に立たされたあの時、

全身全霊でただただ、
受け止めてくれたあの人が、いなかったら。


何ひとつやる気が起きなかったあの時、

無理矢理に手を引っぱって、
あのイベントに連れて行ってくれたあの人が、いなかったら。


何もかもが順調で、うまく行かない人の気持ちなど分からなかったあの時、

あの人が叱り飛ばしてくれなかったら、

あの人が重い病に倒れなかったら、



今も、自分は、
氣づかないままだったのだろうか。



あなたの人生を、今日まで、おしすすめてくれたのは、

あなたの今日が、いま確かに、ここにあるのは、

人との関わりの積み重ねの中に、
答えがあるはずです。



出逢ってきたどんな人たちも皆、
あなたにとって、欠けがえのない人たちで、

これから出逢う人も、必ず、そうなんです。




そうだと、するならば。



あなたも、同じです。



あなたも、同じ。



あなたも、誰かにとって、そういう存在です。



あなたが優しくしてくれたから、

あなたが怒ってくれたから、

あなたが泣いてくれたから、

あなたが走ってくれたから、

あなたが見せてくれたから、

あなたが笑ってくれたから、



あなたが、居てくれたから。



だから、今の私が、在るんです、って。



そう、
言われたかどうかの、問題じゃない。



確かに、確かに、

あなたは誰かにとって、誰かの人生にとって、誰かの命にとって、


必要な、存在です。




だからね、私はね、少しね、出来るだけね、

がんばりたいんです。




私がこれまで動いたことで、

結果として、


出逢った人たち同士が、沢山沢山いる。

それによって仕事をしたり、
生涯の伴侶を見つけたり、

人生が大きく変わった人たちが、沢山沢山いる。


私はそれらを、1度、しっかり自覚して確認してみたから、
沢山いることを知ったけれど、


皆さんも、氣がついていないだけで、
誰かにとって、必ず、そういうことを、してきています。


生きているということは、そういうことです。



だから、
沢山の人に影響すると、知っているから、だから、


自分の理由で、

自分の出来ない理由の積み木ごっこで、


沢山の人に、

良くない影響を与えることは、したくないんです。



できるだけ、できるだけ、

少しでも、

私は前進を続けたい。



目に見えても、見えなくても、

きっと私が進み続けることで、

必ず、それが、

誰かの歩みに繋がる。



私の歩みが遅くなれば、

その人の歩みも遅くなる。


できるだけ、そんなことのないように、



愉しみながらも、どんどん前へ、進んでゆきたい。





命、ある限り。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子








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みなさんは、お風呂、温泉、好きですか?

私は、ぬるめのお風呂で長湯するのが好きです。


日本人は、お湯にあたたまり、ゆっくりと身体をあたためることが、
とっても好きで、昔から、蒔で炊いたお風呂に入ってきましたね。


【湯治(とうじ)】という言葉があるほど、
お湯には、人の心や身体の傷を癒やす力があると、考えてきました。


そういう文化であったということは、
その習慣が、私たち日本人の身体に合っているということ。

欧米文化の真似をして、
シャワーだけで済ませていると、あまり身体に良くありませんね。




先日、久しぶりに、
『名前のことだまセッション』をさせていただきました。


セッションの最初に、

どういうところに興味があって、
この名前のことだまセッションを受けたいと、思ってくださったんですか?

と質問すると、


『愛子さんが大事にしていることのようだから、
どんなものかと、興味が湧いた。』


と、言ってくださいました。


いきなり、じーんとさせてくれる言葉…


これって、実は、1番嬉しい言葉です。


『それがどんなものかは、分からない。
でも、あなたが大事にしているものなら、聴いてみたい。』


この言葉をいただけた瞬間って、

自分で自分のことを、自分の人生のことを、
褒めてあげたくなる、瞬間です。



先日来、何度か、【情報】との向き合い方について、
ブログに書かせていただきましたが、

結局のところ、端的に言えば、


【本物の情報を得られる瞬間】とは、きっと、

彼女が私に言ってくれたような言葉を、
相手に対して投げかけたとき。


と、次の瞬間、相手から出てくる情報は、おそらく、
信用に値する、価値ある情報なのだと、私は思います。



ところで、彼女のお名前は、ゆうこさん。

【ゆ】は、お湯のゆ。結いのゆ。


お湯というものは、元々、存在した最初からお湯、ということはありません。


地下のマグマにあたためられて、水が温泉になったり、

水を人工的にあたためて、お湯を作ったり。


お湯は単独では成り立たない。

だから、

自分の背景にある、何か大きな言い知れぬ存在のおかげで、
自分が在るのだということを、常に意識すると、

より一層、力が発揮できる人。


また、自分1人では出来ないから、
結いの力で、助け合い、共同作業で物事を作っていく、

その重要性を教えてくれる人。


名前のことだまは、

誰かや、何かが、あなたを幸せにしてくれるお話ではなく、


既に幸せな存在であるあなたが、
人のために、
何が出来るか、


という、お話です。



ですから逆を云うならば、

あなたが出会った相手の名前は、あなたに対するメッセージでもあるわけです。


【ゆ】

もう少しゆっくりでいいよ。
1人でがんばらなくても、皆と一緒にやったらいいよ。


ゆ、のつく名前の人に出会ったら、

その人があなたに、こんなメッセージをくれているのかもしれませんね。



ちなみにゆうこさん、
セッションで、

旦那さまの呼び方を迷っている、とのことでしたので、


どうぞ、下のお名前を、さん付けで呼んで差し上げてください、
とお伝えしました。


その理由はまた、別の機会にと思いますが、

ともかくゆうこさんは、すぐにそれを素直に実践されました。


旦那さま、
ゆうこさんのことも、これまで1度も名前で呼んだことがなかったそうですが、

ゆうこさん、と、呼んでくれるようになったそうです。


しかし旦那さま、その翌日…

熱を出して寝込んでしまったのだとか。


慣れないことをしたからかしら?
と、ゆうこさんは冗談まじりにおっしゃっていましたが。


そうだとしたなら、好転反応だと、信じて…(笑)


ご夫婦が、お名前で、しかもさん付けで呼び合うなんて。
互いへの敬意を感じる、美しい様子ですね。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子






さ く ら


桜というこの音の響き。
なんて美しいんでしょう。


古来より日本人が最も大切にしてきた【音の響き】。


ことに桜には、
特別の思い入れがあるのが日本人です。


薄桃色の透きとおった花びらを見つめていると、
すぅーっと、

これまでの様々な春が駆け巡り、ジンとしつつ、
今の幸せ、これからの幸せに、キュンとなる。


それに私は、もっともっと遠く…

江戸時代や…平安時代や…

そんな昔の人や景色の中に咲く桜を、
思い浮かべることも、多いんです。


城や庭園で、
外に出ることの許されなかった身分の女性たちの心を、

最も慰めたのが、
庭に咲き乱れる桜の可憐さ、儚さだったんだろうなぁ~…

と想像します。




桜が満開になり最も美しいときを迎え、今!

という時、

必ずと言っていいほど、

雨風が強く吹き荒れ、ものの見事に無惨にも花びらを散らせてしまいます。


その儚さ。

潔く散るから美しい、などと云いますが、

桜は、偶発的に散っているのではありません。


潔く散って美しいのは、
桜に、意思があるからです。



【早く皆に幸せを与えるため】に、散っているのです。



桜の【さ】は、幸のさ。
幸せを与える。サッサと動く。



山から【サ】の神が降りてきて、

坂【サ】かを下り、

桜【サ】くらに宿る。



桜の木の中には、神様が宿っている。



桜が咲き始めると、私たちの気持ちも浮き足立つ。

それもそのはず。


冬を越え、

山から神様が下界に降りてきて、私たちのすぐ身近に、
桜の木の中に存在しているのですから。


そのことを喜び、祝う儀式こそが、


【花見】


なのです。


桜の木の下、神様がおいでになっているもとで、

海の幸や、山の幸、酒、肴…


サの神に、【差し上げたあと、下げる】

これが、ささげる。

ということ。


サの神がお召しになった、

酒や幸、肴を、


皆で食べるから、神様を体の中に取り込むから、力になる。


しかも、花見のときは、
シートなどで結界をつくり、

仲間たちしか入れない空間を作っています。


仲間でその神事を執り行い、

その後その結界を出て、

神様の手足となって、それぞれにがんばってゆく、

という、意味合いがあるのです。



桜とともにやってきた、

幸を与えるサの神が、

サッサと散ることで、花見の楽しさだけに気を取られることないように、

人々を営みの中に返し、

人々の働きによって、

また、食べ物を実らせることができる。



サの神の恵みに感謝し、秋には秋祭りという神事を行い、
神様をお見送りする。


日本の人々の生活や習慣の中には、

神様の存在を意識しないことなど、無いのですね。



そんなことは知らずとも、

誰かが残そうと伝承しなくとも、


大切な神事は、自然な形で、今にも息づいています。



今年のお花見は、

桜という神様の存在と、自身と、仲間たちと、

役割と、食べ物の有り難さと、


そんな愛おしい意味を感じつつ、
楽しんでみてくださいね。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子




















27日、消費者庁が、

二酸化塩素を利用した【空間除菌】を標ぼうするグッズ販売業者17社に対し、

表示されている効果が証明されないとして、措置命令を出しました。


インフルエンザやノロウィルスに関しても、
防止効果があるかのような記述。


この他にも、

大手家電製品で、独自技術として売上げを集めている、プラズマ○○…

こちらも以前から、掃除機に表示性能なしと、消費者庁より指摘を受けています。


正確には、効果自体はないわけではないけれど、
過大表示である、ということでした。




昨日のブログでは、

情報過多をどう捉えるかは、

情報処理における基準を持っているか、持っていないか、
に拠るところがある、と書きました。


その情報は、どのように受け取ると、
比較的、真実に近づけるのか、

という、基準を持っておくのです。


基準があれば、
その情報自体の真偽に確証はなくとも、

判断し、思考することができます。



私自身は、このように捉えています。



マスコミにおいて、

莫大な費用をかけた、大量宣伝を打っているモノは、

大量宣伝による売上げ拡大が望めるモノ。


そうなると…

モノそのものの価値は抑えて、
広告宣伝費に投資する。


イメージ戦略のみで売ろうとするため、
表現は誇大になりがちで、

イメージと、実際のモノ自体の価値が、どんどんかけ離れていきます。


ですから、
マスコミにおける大量宣伝かけられているモノの価値というのは、

そのイメージから来る価値よりも、
ずっとずっと、低いところにあるため、


消費者側は、
かなり差し引いた気持ちで、そのモノを見る必要があります。

そうしてやっと、本来のそのモノの価値と近くなってきます。



クチコミにおいて、

広告宣伝費をかけず、消費者のクチコミにより入ってきた情報は、


当然ながら、
個人の見解を多分に含むために、

そのモノに対する情報は、時に、
180度真逆のことが飛び交う可能性が高く、むしろそれが当然だということ。


しかし、判断するうえで、
そのクチコミをしている人が、【誰なのか】が、ひとつの基準になるでしょう。


少なくとも、
あなたの身近な家族、友人知人からであれば、

知識が充分でない可能性はあったとしても、

意識的に誇張したり、あなたを貶めようとして情報を流すことは、ありませんよね。


その反対に、
見知らぬ人の発信しているクチコミについては、

ある種マスコミと同じように、
誰かの意図が働いたものかもしれない、誇張や確信犯の偽りも、あり得るでしょう。


ですから、まず、

・マスコミ情報は、かなり差し引いて。

・クチコミ情報は、しっかり人物を見て。

判断すると、良いと思います。



クチコミ情報の落とし穴は、

その質の落差が、あまりにも大き過ぎるところです。


デマのような、貧相な情報もあれば、

人生を根底から変え得るような、素晴らしい情報もあります。


接した情報が、果たしてこれの、どちらなのか、
が判断できるようになるためには、


物事に対して常に、

【何のために?】 の目で見ることが大切です。



この情報を出した人は、
何のためにこれを出している?


この情報が真実だった場合、
そのモノ自体は、何のために存在しようとしている?



この視点で見たとき、見えてくることがあり、

そこで心が反応することが、あなたにとっての、本当なのだと思います。



単純に、

沢山の情報に触れながら、そういった視点で物事を見る癖をつけると、

もっと自然に、
感覚的に、本能的に、


判断し、対策を考えることができます。




よく、何か問題提起になるような情報にあたったとき、

なんとかしたい!という前向きな気持ちからではありますが、


「それは分かるけど、解決策がないのだから、議題に挙げてもストレスになるだけだ!」


と、発信者に対して鬱憤をぶつけている閲覧者を見かけます。


どうか、安心してほしいのです。



発信者は、何のためにこの情報を出しているのだろう?

と、考えてみること。


そうすれば、ひとつの共通点に氣づくでしょう。



問題提起を発信している人は、

【既にそれに対する解決策を持っている】

のです。



ストレスを溜めることなく、素直に、

その人にとっての解決策を、一度、尋ねてみることが、



あなたの、情報との接し方の、ひとつの突破口になるかも、しれません。




今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子




【情報過多】といわれる今。


この言葉を、どう捉えますか?


これに、どんな印象を持っているか、ということは、

老若男女の傾向には、あまり拠らないようです。


情報の多さに対する反応は、
クッキリと二分してきました。


・「情報が多すぎて嫌だ。知らなくていいことは知らなくていい」という人。


・「情報が多いのは選択肢が多いということ。知らないよりは知っていた方がいい」という人。


みなさんは、どちらでしょうか。


このような分かれ方をするのには、理由があるような気がします。


それは、
前者に比べて、後者のほうが、比較的、

「自分にとっての、情報との向き合い方、価値判断基準」が、定まっている人が多い。


どんなに情報が多くても、
瞬時にそれを選別できるような、

能力、

ではなくて、

基準、

を、しっかりと持っている人は、


少ないよりも多いほうがいい、と、なります。

基準を持っているために、
あとは確率の問題。

多いほうが、良いものと出会う確率も、上がるというものです。


しかし、
基準をあまり持たない人は、

ひとつひとつ、どうだろう?こうだろうか?と、
情報に触れるたびに、あらゆる角度から思い悩まなくてはならないため、

多くなればなるほど、煩わしくなるのです。




課題は、

自分自身の中にあるのであって、

情報過多という現象の中にあるのでは、ありません。







けれど誤解されやすいのですが、
このときポイントなるのは、


【基準】と、【レパートリー】は、全く別のもの。


ということです。


自分の過去のレパートリーから判断することではなく、

情報の、どの部分に着目するか、という、判断のこと。




ちなみに、情報過多と呼ばれているほど、情報が増えたという、

その増えたものの正体は、

①だけが存在していた状態から、
③にまで、増えてきたことを、指していますね。


(媒体を通して)
①テレビ、ラジオ、新聞
②インターネット上の情報(企業団体情報)
③SNS(個人発信情報)


(人を通して)
イベント・講演会・セミナー等で、

①何らかの理由で著名人・有名人になった人が話す情報
②無名だけれどその道の専門家の人が話す情報
③無名でその道の専門でない人が話す情報


①から③への情報量の増大は、こんな言葉にも置き換えられます。


【「マスコミ」から「クチコミ」へ】


溢れかえる情報との向き合い方、基準、
その価値基準の置き方が、

最も大切なことかもしれません。



その具体的な判断基準についても、
機会をみて、また、書いてみようかな…と、思います。


今夜は、この辺りで…



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子






今日のお休みは、
一日中途切れることなく、好きな人たちに会えて、とっても満たされた1日でした。


お昼には高校時代の同級生とのランチ、

いつもお世話になっているお店のオーナーさんともお話し、




仕事でもプライベートの活動でも、共感し寄り添ってくださっている先生ともゆっくりお話ができ、

そして夜にはまた、高校時代の同級生と、初めて行くお店へ…






人と会ってお話をするとき、
とっても良いコミュニケーションができたなぁ~と思うときは、

自分も、相手も、
心から純粋にその時間、空間を愉しめたとき。

もっと言えば、癒やされたとき。


そんなときには、
その人と会う前の自分より、会ったあとの自分のほうが、

なんだかとても、穏やかな感情になっているような気がします。


その逆に、
一日中人に会って、なんだか疲れた…
というときは、
良いコミュニケーションがとれなかったときかもしれません。


せっかく出会えて、
その時間は、他の誰でもない、あなたと私だけなんだ、という空間の中では、

時を同じくできるなら、
できるだけ、質の良いコミュニケーションがしたい。


最低限、会ってよかった、と思ってもらえるような。


だけれど最高のコミュニケーションというのは、きっと、

その時間の中でも、
こんな時間が持てるなんて、生まれてきてよかった、なんて思えること…


そんなことを思ってもらえるような、
そんなことが叶えられる人間になったとき、


私自身の、

生まれてきてよかった、

にも、繋がるのだと、思います。



極上のコミュニケーションのツボ、
というお話を聴いたことがあります。

それは、



【自分と相手を繋いで、自分を癒やす】



自分と相手を、本当に、繋ぐことも、
自分を癒やすことも、

案外、深く、難しいことではありますが、

それができたときは、

やっぱり、
人は人の中で生かされていて、

だから、
人生の愉しみは、拡がってゆくんだなぁ~と思えます。


様々な、諦めそうになってきた悔しい経験も、
愛おしく感じられるように、変化していきます。



ランチのときは、

私が、東日本大震災当日の夜、
車椅子に乗っている友達を連れて、大阪行きのフェリーに乗ったときのこと、

その大阪で、どんな光景が拡がっていたのかのお話…


久しぶりにその当時のお話に、ふと、触れて、


鳥肌が立つ…


と言ってくれた彼女の言葉で、

つい、さらけ出された私になって、
涙が込み上げてきました。


繋がって、癒やされた瞬間だったように思います。


私が癒やされただけなのに、
彼女にとっても、とても良い時間だったと言ってもらえた。




私は、決して、コミュニケーションが上手なほうではありません。

なかなか信じてもらえませんが(笑)


ひとりっ子で育ち、
なんでも1人でやってきた私には、

人と本当に心を上手に通わせることが、天性としてうまくやれるほうではないのです。


特に、小さな頃は、女性恐怖症のようなところも、ありました。


けれど本当に、沢山の出会いや、

苦手だからこそ、どうすれば…?!

を考え、


練習、練習、練習…

の中で、次第に、上手かのような、体裁が整ってきたに過ぎません。


今でも、上手ではありません。

一見、上手に話せているように見えても、


「あ…しまった…
あまり相手に喜んでもらえるようなコミュニケーションじゃなかったな…」と、

反省することは、とても多いです。



【自分と相手を繋いで、自分を癒やす】



お互いにとって、
これが本当に、素晴らしい上質な時間になるための、鍵ならば、

苦手でも、鍛錬していきたいと、思います。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子









本日「彼岸」の明け。

「日願」

<生を終えた後の世界を願う>

から来ている、お彼岸です。

命が終わった後の世界を願う心に、
少しでも意識が届いた日になればいいなと思います。


そういえば21日、
安部首相がバラエティー番組に出演されたそうですね。

台湾情勢を知った方の中には、
「なぜこんな時に」と思われる方もいらっしゃると思います。

「あえてこんな日に」という、穿った見方をすることも、可能です。



日本の特定秘密保護法案に対する、パブリックコメントの募集の時も、
なぜこの時期に?なぜこんな短期間に?

と、日本が東京オリンピック招致に湧き、
そのニュース一色となっている最中に、行われました。


台湾のこの情勢の時に、首相がバラエティー番組。

滑稽な目くらましと捉えるのは、
私がひどく、ひねくれているから…ということにしておきましょうか。



私は、国政を批難するつもりはありません。
外交問題における、国と国の駆け引きがあるのでしょう。理解しています。


それでも、
「本音と建前」という文化を知っているのが私たち日本人です。


建前上、どうすることもできない、という立場を取らざるを得ない人を、避難するつもりはありません。

しかし、本音のところでは、

「台湾の人たちにしてもらった恩を、日本人は忘れてはいない」というメッセージを、

何らかの形で、国民レベルで、
個々に考えて、発信しようとすることは、必要だと思います。



知らなかった。

もちろんです。

受動的でいる以上、知らせようとしてもらえていないのですから、知ることはできません。

しかし今は、方法も手段もひとつではない。

思いがあれば、手立ては、道は、あるはずです。


今朝から、私が繋がっている、
著名な方々に、メール連絡ですが、させていただきました。

志を同じくしてくれている、発信力のある方々へ。


ある方は、署名を集める!と言ってくださり、
ある方は、応援メッセージを集めてみたい!と言ってくださり…


署名の拡散は、どうやら、Twitterが1番有効なようです。

【台湾】で検索し、
台湾情勢を憂いて、何かできないか、というようなツイートをしている方に、直接、

よかったらお願いします、と、署名とその拡散をお願いしています。


台湾・中国貿易に関する署名


インターネットで、ツイッターで、様々な手段で、
「台湾」と検索しただけで、沢山の記事が出てきます。


いま、与党議員が全員欠席の中、
本法案を否決とする、というような、

強行突破を撤回する発表があったようですが、まだ、
実際にどうなりそうか、わかりません。

事態をいったん、鎮めるためのポーズかもしれませんし、不明です。



ネットでの情報が全てでないとしても、

何も知らないでいるほうが良いということには、なりません。


『報恩』の精神を失い、志のリレーが出来なくなるようでは、
日本人は日本人ではなくなってしまいます。


日本人としての尊厳を、失いたくないと、私は思います。




今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子



明け方、私のところに、
台湾の友達から、数枚の写真が送られてきました。







ついに負傷者が出てしまった!

私たちの国を助けて!


このメッセージと共に、これらの写真が送られてきた。

私は一瞬、理性を失いそうな程でした。



つい先日、12日から14日まで、私は台湾にいました。

立法院の前も通りました。


その時親しく会話を交わした女性が4人います。

『3年前東日本大震災の時には、本当にありがとう。
台湾の思いやりに、日本人は心から、感謝しています。』

と、伝えさせてもらってきました。


日本に戻ってからも、何度かメールのやりとりをし、
また必ず会おうと約束をしました。

来月は私の友達が台湾に行くから、会ってねと、約束をしたりもしました。


その数日後に、この事態です。


彼女たちは、Facebookのアカウントでも、
プロフィール写真を、真っ黒の写真に変えてしまいました。


本当に私たちと変わらない、平和な世界を望む、
優しく可愛い彼女たちの、悔しさ、悲しみ…



ついに中国が、動き始めました。


とある所からの情報、しかし恐らく、確かな情報。
米国国務長官らのインタビューを直接受けたりもしていた方が発していた情報。

もう実は、何年も何年も前から、
こうなることは、わかっていました。


台湾はもう長きに渡り、中国の監視下に生活してきました。
いつでも、武力行使、経済封鎖も辞さないという、厳しい姿勢で。


中国に対し、反抗的な態度をとる政治家はすべて排除され、

実質的には、台湾の統治者は、中国側に立つ者ばかり。
選挙の時点で、相当な圧力がかかっていました。


中国は、台湾を、核心的利益と位置づけ、
台湾をどのようにしようとも、問題ないという姿勢でした。


国家レベルで、アメリカも、日本も、ロシアも、
そんなことは分かっていました。

分かった上で…
あえて黙殺してきました…

台湾を助ける方向に話し合うのでなく、
どのようにして自分たちが、中国に迎え撃つのかを、話し合ってきたのです…



少々過激なことを書きました。
信じるも信じないも、皆さん次第です。

私も、これが絶対的真実だとは、申し上げられません。


ただ、

黙っていたくは、ないのです。


優しく思いやり深い台湾の人たちが、
泣き叫んでいる時に。



ご存知ですか?

台湾の人たちは、いま、台湾政府に対し、


『日本との繋がりをもっと大事にすべきだ!』
と訴えてデモをしているんですよ。


そして、
『日本人、助けて!!』と私たちに言っているんですよ。


私は無視できない。



東日本大震災の時、台湾が、どの国よりも懸命に、支援してくれたこと、

そしてその支援が世界一であったことを、
何より誇りに思うと発言してくれたこと、



それらは、昔の日本人、私たちの祖先が、
台湾を統治した時代に、

とても人道的に、
台湾の人たちが、しっかりとこの後、自立して豊かに暮らせるように、

真摯に努めたからです。


台湾の人たちは、脈々とその事実を後世に伝え、
日本人に対し、厚い尊敬と信頼の念を寄せてくれています。


だから、震災のとき、
『それ!この時だ!』とばかりに、懸命に支援してくれたのです。



それなのに…



それなのに、日本は、

東日本大震災から1年の追悼式典では、

他国の人たちは来賓者扱いをしているのに、台湾の要人を、
来賓ではなく、一般参列者扱いをしているのです。


そして彼らの尊厳の危機に際した今も、
見て見ぬフリをしています。


国家として、外交として、
台湾に味方をすることが、不利益だと、位置づけているから…



あまりにも、不義理です。

昔の日本人、私たちの祖先が、台湾の人たちの独立を願ってやってきたこと、

それに応えてくれた台湾の人たちに対しても、


あまりにも、申し訳がない。情けない。



国家として、出来ないのならば、
国民として、声をあげること。


どうか、皆さんも、ご自身の思いと言葉で、
台湾を心配していると、台湾の人たちは友達だと、

発信してほしいと思います。


何が起きているのか、知ってください。



先ほど申し上げた、国家戦略や外交問題などには、
異論のある方もいらっしゃるとは思います。

けれど、現にいま、


私たち日本人のことを、心から尊敬し、信頼してくれている、

接していてもとても柔らかな優しい、
私たちと感覚のとても近い、

そういう台湾の人たちが、


国の尊厳をかけて立ち向かい、
武力行使さえも受けていることは、

事実です。




1日も早く、この世界に、

戦争というものが昔あったらしいね、
と子供たちが過去を話し合える日が、来るように…




今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子





明日で、彼岸の明けですね。

お彼岸は、ご先祖様を供養する行事として定着していますが、
彼岸は、「日願」から来ていて、

太陽信仰や祖霊信仰などの古来からの宗教観から来ているもので、


「生を終えた後の、世界を願う考え方」
に基づいたもの。

遙か彼方の、極楽浄土へ思いを馳せる…という、仏教に起因するものです。



…【生を終えた後の、世界を願う考え方】…



この考え方は、
ありとあらゆる物が手に入り、どこにでも行ける、

探求と開発を繰り返してきた今こそ、

とっても重要な考え方だと感じます。


それは、どんな宗教観である、という宗教の考え方を超えて、
とにかく、


今生きている、私たちさえ良ければいいのではない。

ずっと先の未来にも影響を及ぼすだけのモノを、創り出すことが出来てしまう、
それだけの力を持った私たちだからこそ、

その影響を及ぼす範囲で、物事の判断をすることが、大切になってくる、ということ。


アメリカ先住民たちのアイデンティティー、
『物事を決めるとき、常に、七代先の子孫のことを考えて決める』のように。


自分達の行いのために、子孫に負債を背負わせないよう、
豊かな自然を次の世代へ受け渡してきたように。



私たちが、生まれたいと言って生まれてきたのでないのに今、生かされているのは、

何か、意味があって、
何か、役に立てるから、生まれてきたはずだから。


今あるものを壊すために、傷つけあうために、
生まれて来たのではないはずだから。



台湾の平和的対話を願う人々のデモ。

台湾の友人から、その写真が送られてきました。





争わなくていい、世界になるように…



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子




日本放送協会(NHK)自らが制定した、本日は放送記念日。なのだそうです。

大正14年の今日、社団法人東京放送局(現在のNHK東京放送局)が、日本初のラジオ仮放送を始めました。

東京・芝浦の東京高等工芸学校に仮スタジオを設け、午前9時30分、
京田武男アナウンサーが、

「アー、アー、アー、聞こえますか。
JOAK、JOAK、こちらは東京放送であります。こんにち只今より放送を開始致します」と第一声を発しました。


もっとも、私の所属するケーブルテレビ業界の中では、
「電波の日」「情報通信月間」として、6月に、放送局としての式典や催しを行うのが通例となっていて、

3月22日へのフォーカスはほとんど無いのが実際です。


私の居るケーブルテレビ業界は、放送局としても特殊です。

テレビ局でもあるし、通信会社でもある。

そして正直なところ、その比重は、明らかに、
通信局としての役割のほうが大きくなってきています。


自社取材ニュースで報道するのは、事件・事故「以外」。

通常、放送局のニュースといえば、事件・事故でしょう。

いいのです。

事件・事故ならば、NHKさんや民放各局がこぞって報道してくれますから。


私たちは、1人でも、その情報に触れて元気になってくれる・喜んでくれる情報ならば、
どんなに小さな話題でも取り上げる。

開局以来その姿勢で報道してきました。


事件・事故に関わらないところで仕事をしている放送局ということで、
とても特殊な立場で、

報道の実際がどのようなものなのか、ということについては、
普段の自分の仕事の中で、というよりは、

お付き合いのあるキー局の現場の方々の仕事ぶりや、
プライベートに様々な活動を通じて知り合ってきた人たちの繋がりの中で、

見せてもらってきた部分が大きいように思います。


誰もが、「実際」のところには口を閉ざします。

わかっていて口を閉ざす人と、
わかっていない人が、現実には、いますが…。



台湾から帰ってきて1週間も経たないうちに、いま台湾が大変なことになっています。
日本の放送局では、その重大性にも関わらず、
重大だからこそ…ほとんど報道されていません。


台湾の人たちは、軍事的・経済的にも、中国を大変恐れ、警戒していました。
少しだけ滞在していた私にも、その思いは伝わってきました。


いま、強行採決で、
中国とのサービス貿易の自由化協定を締結した政府に対し、

学生や弁護士団など、何万人もの台湾の人たちが、
国会周辺を占拠し、協定を撤回ししっかりと協議するよう要求しています。


しかし、
台湾の江宜樺・行政院長(首相)は今日、

「撤回するつもりはない」と明言しました…


この協定により、中国が更に台湾へ侵略してくることを許してしまうことになり兼ねません…
台湾のこれからが、とても心配です。

先日、台湾に友達が出来たばかりだから、尚更…



今日は、
『世界水の日』でもあります。

地球的な視点から水の大切さ、貴重さを世界中の人々がともに見詰め直す日です。

世界ではやがて、水の奪い合いによる戦争が起こるだろう、と、
予言した人もいました。


今日も伊予灘で震度3の地震が起こりました。

パターンとしては、東日本大震災の前ぶれと、
似ている部分があることは、確かです。



今度こそ。


正確な情報を、いち早く。


そう切に願いますが、
任せて安心しておく、

ということは、やはり難しい。


本当の情報は、受動的に得られる場所、以外からしか、

入手出来ないことがある、ということを、


どうか今一度、認識してほしいと思います。


家族の、人類の、地球の、未来の、

鍵を握る、私たち大人だからこそ。





今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子



数日前、何気なくテレビドラマを眺めていたら、


執筆活動をしている女性が、
秘めたる自身の半生をしたためた小説を編集者に手渡し、

こんなものは取るに足らないと、酷評される場面がありました。


才能ある執筆家と、才覚ある編集者。


編集者があえて、彼女の小説を酷評したのには、理由がありました。


【物語は、出版されてしまえば、消費される。

それを前提として、書かれる作品もあるけれど、

出版しなければ、その物語は、世の中にたったひとつしかたない、
彼女だけのもので、あり続けられる。

世の中にたったひとつしかない、消費されない小説、
そういうものが、あったっていいじゃないか】


編集者の、彼女への、愛ある思いだったのでした。



テレビドラマのあるシーンでしたが、
とても心に刺さりました。

なにか、とても、今の私には、新しい価値観に感じられたんです。




今日、仕事で、ギャラリーの取材に伺いました。



矢原繁長さんという、西条市出身で、新居浜に工房を持ち、
現在は主に神戸に住んでいらっしゃるアーティストの作品展。


ご本人もいらっしゃいました。


インタビューを始めると、矢原さんの口から出てきたのは、


【これまでのテーマは、『封印』でした。

自分でエッセイを出版しておきながら、鉛に封じこめて見せない、とか。

今回はその封印を、少し、解こうと思いました。

今回のテーマは、『境界』です。

戦争反対、とか、LOVE&PEACE、とか、
単にそれだけじゃなくて、

なにか、喚起するきっかけになれば…】


等という言葉でした。




小説を公表しない、

エッセイを封じ込める、



こんな、滅多とあり得ないような価値観のお話を、

ほんの数日のうちに、耳にするなんて。




近頃、こういう出来事がとても、増えています。



何かのきっかけで耳にして、心に留まったことは、

3日以内に必ず、
それに関連した情報が、入ってきます。


3日と言わず、
近頃は、当日中や翌日には、入ってくることが多いです。


この現象を、引き寄せの法則とか、呼ぶ方もいらっしゃいますが、



なにかこういう働きが強くなってきたのは、やはり、

自分の中で、
フォーカスするものとそうでないものが、くっきりと意識づけがされているからかもしれません。


沢山ある物事・出来事に触れても、

強く意識することは、ハッキリと浮き出ている。



自分の中にあるものの、大切な部分が、より、濃く…



面白くなってきますね。





今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子








こんばんは。
ただいまひとり夜カフェなう。です。


旅先でひとり夜カフェは、わりと日常なのですが、
地元にいて、ひとり夜カフェは、初めてで、
馴染みのカフェも、なんだかいつもと違って見えます。



先ほどまで、
母校の同窓会誌の、来年度第1回編集委員会でした。

同窓会誌「くすのき」は、来年度で25年目の発行。



私の母校、新居浜西高校は、もうじき(平成29年)に、
創立100周年を迎えます。

考えてみれば、
社会人になったと同時に、この編集委員会に加えていただき、

創立90周年の時にも、関わらせていただいていました。


とはいえ、私はほとんどお役に立てず…

特に、入社から8年程はずっと、総務課や財務課に在籍していたので、
編集委員会のある、月曜日の18時という時間に、

休んだり仕事を終えることは不可能でした。


今の部署になってからは、
休日をとる曜日も、時間の融通も、かなりきくようになり、

ほんの僅かですが、関わらせていただくことが出来ています。


同窓生、卒業生たちに、

母校の今を知らせたい、
他の同窓生の現況を知らせたい、

故郷を思い、立ち返る機会になれば…


と、畑田雅敏会長のもと、
常に学校や先生とも連携を取りながら、しっかり事務局を設けて、

毎年途絶えることなくこの冊子を制作してこられています。


時代はインターネット時代で、
紙媒体以外の情報ツールが多様化していますが、

ご年配の先輩方と、共に母校を懐かしむためには、
冊子という形はやはり、良いものです。


僭越ながら、私も一度、同窓生紹介のページに、
寄稿させていただいたことがあります。

新居浜西高校出身の皆さん、
寄稿してみたいと思われる方はぜひ、ご一報ください☆


何のお役にも立てていませんが、
定期的に先輩方のお顔を拝見させていただき、

色々なお話を聴かせていただくことは、とても勉強になります。


今日は、日本お手玉の会理事の武田信之さんから、
「二宮金次郎像」について教えていただきました。


二宮金次郎(二宮尊徳)は、
少年期に両親を亡くし、叔父の家で奉公しながら勉学に励んだひと。

寝る間も惜しんで読書をしたけれど、
油代がもったいないと叔父に指摘されるので、

荒地に菜種をまいて、収穫した種を菜種油と交換し、それを燃やして勉学を続けたといいます。


そんな彼の、勉学に励む姿を、
小学校などでは、二宮金次郎像として、

蒔を背負って仕事をしながらでも、勉学に励む、勤勉な姿、
としての教訓にしていますが、


実は、勤勉というよりも、あの像の意図は、

【一歩を踏み出す勇気】を伝えたかったのだそうです。


二宮金次郎七代目の子孫にあたる、
中桐万里子さんが、おっしゃっているそうです。


背負っている蒔と、
一歩を踏み出している足。

これが1番大事なのだと。


どのように困難な状況にあろうとも、
決して諦めることなく、

一歩を踏み出すことを忘れてはいけない、というメッセージ。


なのだそうです。



どのように考えてみても、他人から見れば、
希望に満ちた状況には、とても見えないような現実。

それでも、

大きなものを背負っていても、
一歩を踏み出し、またその勢いでもう一歩踏み出し、

そうしているうちに、なんとか、

気がつけば自分の道を、切り拓いてゆけるものなのかも、しれません。



私はひとりっこだからか、
小さな頃から、いつも、大人たち、年上の方々の中で、

色々なことを教えていただく機会が多かったように思います。

今でもそのような環境があること、とてもありがたいことだと思っています。


ありがとうございます。





今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子








私の周りには、先生がいっぱい。


年上の先生、年下の先生、

笑顔の先生、夢見る先生、


経済の先生、栄養の先生、

時間術の先生、使命感の先生、


ともかくすべてにおいて、先生がいっぱい。



9日のやる気のスイッチ、懇親会を行いましたが、
その時、いろんな人と交流できて、とてもよかったと、お友達に言っていただきました。

必然に集まったメンバー、
必然に話した会話…


後日、こういう声をいただくのが、とても嬉しいです。


彼女はそして、こう言ってくれました。


「あの日色んなことがわかった!

自分の手が、ふたつあるのはなぜなのか。
自分の脚が、ふたつあるのはなぜなのか。

ひとつは、自分のため。
もうひとつは、誰かのため。

だからふたつあったんだぁ~。

あの日突然、そんなことがわかったの!」


と。


私は、感激してしばらく言葉を失いました。


そんな氣づきが、あの日のセミナーや懇親会の中で、得られたなんて…



いつもそう。

伝えようとして、伝えられる。
教えようとして、教えられる。


なにか動いたら、そのぶん、
教えられ、受け取らせてもらうことは、とても多いんですね。


あなたの周りにも、先生がいっぱい。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子









今日はお仕事はお休みで、

いつもお世話になっている、
素材レストラン「ラ・マテリエ」と、「洋食KOKORO」の渡部オーナーと、

そのスタッフの方々の、

高知県への素材視察に同行させていただきました。


昨年、ご縁があって、
「夢産地とさやま開発公社」さんの、
有機JAS認定を受けた生姜でつくられたジンジャーエールを、

渡部オーナーにご紹介させていただいていました。


渡部オーナーはいたく気に入られ、
一度高知県へ実際視察に行かせてもらおう、と話していたのでした。


渡部オーナーの経営するお店では、
素材にこだわり、仕入れ先にこだわり、

本当に信頼できる方から、
話をして考えの合う方からのみ、

安心の素材を仕入れられています。


「地産地消」ということよりも、
「本当のものを使う」ことを重視しているので、

県外のものも仕入れます。


「土佐のあかうし」も、長年仕入れられています。


今日は朝からまず、

須崎魚市場で瀬戸内海では見られない魚種を沢山見せていただき、

そのあと土佐市宇佐町の「宇佐もん工房」で、
「一本釣り うるめいわし」を見せていただきました。







イワシといえば、
網に引っかかっていたものを、

お情け程度に干物にするような扱いですが、

ここ宇佐町では、昔から、テグス一本で勝負しています。


イワシが釣れたら、そのまますぐに、
氷で満たしたボックスに入れます。それは釣れてから実に3秒以内!

ですから、一尾一尾が、
素人の私が見ても明らかに、新鮮で生き生きしています。


イワシがこんなに丁寧に扱われているところは、
全国どこを探しても、ここだけではないでしょうか。


宇佐町のこのうるめいわしは全国に誇れると、
結婚により宇佐町に来られた方が、仕掛け人となって、今大変話題になっています。


最後には、
有機JAS認定の生姜の貯蔵庫を見せていただきに行きました。

本格的な洞窟!





この貯蔵庫、生姜つぼに入れておくと、
生姜の表面が飴色に変化し、硬くなります。


わざわざと、こんな手間をかけて作られた生姜…

香りが、もう、これまで経験したことのないほど、かぐわしいのです。



なんとも言えない、幸せな香り…

感動します!





生姜のほか、ほうれん草や春菊、人参、里芋なども、
有機JAS認定を受けています。



イワシも、
あんなにも丁寧に扱われていることに、感動しましたし、

生姜も、
あんなにも大切に育てられ貯蔵されていることに、感動しました。


これらは、

「納得のいくやり方、生き方」を通している人たちによる賜物です。


「納得して選び、受け取り、本質を見抜く人生」を通そうとする人たちの心に、響きます。



健康に良い、とか、有機野菜で、とか、
体裁のいい冠をつけて、

健康志向・本物志向に進んでゆく現在に、乗っかろうとするだけの、
まがい物は、世の中に溢れかえっています。

自分の利益だけを、考えたもの。


有機の野菜です、などという言葉は、
珍しくなく、色々なところで耳にします。

農薬は使ってません、というだけで。

しかし実際には、
有機JAS認定を受けていなければ、有機野菜とかオーガニックなどと、

正式に言ってはいけない法律になっています。

口頭でのみ、有機野菜です、といって行商する方々もあるでしょう。



「良さそうなイメージがするもの」

ではなく、

「紛れもなく良いもの」

を、見抜ける力は、


自分が、自分の一度しかない人生のあり方を、見抜ける力と、
呼応しているように、私には思えます。



単なるモノづくりと割り切らず、

それを人生そのものであるかのように、納得ゆくまでの仕事をしてくださっている、
本物のモノと、


それらを愛情を持って受け取る人たちの、このリレーションシップは、

心から、気持ちの良いものですね。




今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子







こんな日に。

日本人というのは本当に素晴らしいものだなぁ~と、強く感じ入ります。


本日は、中学校の卒業式で、
私も、とある学校の撮影に伺ってきました。

これまで何度も、色々な学校の卒業式を撮影させていただいてきましたが、

今日ほど、号泣した日はありません。
鼻水まで、ダラダラです。


というよりも、自分自身の卒業式の時よりも、泣きました。

本当に素晴らしかった。


生徒たちは、入場してくる段階から、肩を震わせていました。

卒業証書授与式では、
担任の先生に名前を呼ばれると、割れんばかりの大きな声でハイ!と返事をし、

1人ひとりに対し校長先生が小さく発する、おめでとう、の声に、
ありがとうございます、としっかりとした眼差しで答え、

大切に証書を脇におさめる。


ある子は、こぼれんばかりの笑顔で、
ある子は、唇をかみしめ涙をこらえながら。

表情は違えど、皆の目には共通して、
校長先生に対する、尊敬と感謝の念が讃えられています。


すごい…

校長先生の背後から、カメラを構えて撮影していましたが、
校長先生の気持ちになって、彼らを見ていたら、

もう、彼らが可愛くて可愛くて…

自然と涙が溢れます。


そのあとの校長先生の式辞も素晴らしかった。


先日のオリンピック、パラリンピック共に素晴らしかったこと、
東京オリンピックも開催が決まり、希望に満ちていること、

一方で東日本大震災の収束はまだまだみられないこと…


「君たちの未来には、様々なことが待ち受けています。
道に迷ったら、福山雅治さんの道標という歌を思い出してください。

『あなたの笑顔、それは道標』
原点にかえり、家族や身近な愛する人たちの笑顔に繋がるかどうかを、考えてください。

君たちの未来には、色んなことを言う人が出てきますが、
決して自分で自分を、見限らないでください。

出来ないことが出てきても、壁にぶつかっても、
今の自分に出来ないだけであって、未来の自分になら、
出来るかもしれない、と常に考えてください。」


なるほど…と思いました。


多くの場面を見なくとも、先生の言葉、口調、
すべてにおいて、

本当に彼らを愛していることが、伝わってきます。


答辞をした卒業生の女の子も、
非常に心がこもっていて、本当に驚かされました。

卒業生代表として、
冷静に、とても丁寧に、ひとつひとつ噛み締めながら、感謝の言葉を紡いでゆきますが、

最後に、同胞たちのこと、
「この仲間たちと3年間を過ごすことが出来て、本当に幸せでした。」

というところで、涙で言葉に詰まってしまいした。


最後に卒業生たちが、立派な合唱を在校生達に向けて歌うのですが、
指揮者として立つ卒業生の男の子、

崩れ落ちそうになりながら、
必死で上を向いて泣くのを堪えようとしながら、

心から、

先生へ、家族へ、後輩たちへ、仲間たちへ、
ありがとうを伝えていました。


すべてが終わり、退場のとき、
卒業生たち皆で、担任の先生に対し、

大きな声で感謝を述べていました。


あれは、先生からの指導ではなく、
彼らが自主的に行ったようでした。


それはそれはもう…


ドラマか映画を観ているような…

あまりにも感動的で、私にとっても、一生忘れられない卒業式でした。



卒業式が素晴らしいというよりも、

学校の在り方、
先生の在り方、
仲間の在り方、

すべてにおいて、この学校の今が、ここに出てきているのだと思いました。


そこには、

とても強い信頼関係、師弟関係、忠誠心、絆、愛情…



最近の若者は、どこか冷めたところがあって…

なんて、私たちもつい、考えてしまいがちですが、
そんなことはありません。

そういう子たちが居たとしたら、

そんな風に決めつけて、そんな風な接し方をするから、
そうなってしまったのではないでしょうか。


少なくとも、彼ら彼女らは、

皆本気で泣いていました。

本気でこの学び舎を去ることを惜しんでいました。
と同時に、この学び舎への大いなる誇りを胸に持っていました。


本気で彼らを信じてくれる大人たちが、そこに居て、
互いに高め合い今日まで来られたからではないでしょうか。


日本人性の素晴らしさを、素晴らしい卒業式を、
見させていただき、今日は私も本当に幸せでした。


亡くなった私のばあちゃんの誕生日でもあった今日です。
いい日でした。


学校の写真は無いので仕方なく…

私の中学の卒業アルバムの写真でも…掲載します(笑)




今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子





かなり久しぶりに、仕事を早い時間に終えて、まっすぐ帰宅。


今日は1日、イオンモールの映画館横で、
会社の新サービスのPRをしていたのですが、

映画館に往来する人たちを、
いいなぁ~、いいなぁ~、なんて見ていて。

台湾に行っている間に封切りとなっていた、
「アナと雪の女王」のポスターがチラチラと目に入ったから。


拓巳さんのイベント開催までの日々、
開催当日、翌日のお見送り、

その後すぐの台湾と、

心は充実していますが、
身体に疲れが溜まってきているのが、自分でも分かります。


今日は早く帰宅して、ゆっくり身体を休めようと思っていたけれど…


観たい!観たい!
気持ちが抑えられず、

こういう時は、心に従うほうがいいよね、なんて言い聞かせ、


帰宅してご飯を済ませ、お風呂に入ってから、パーカーを羽織ってマスクをして…
またも1人レイトショーをしてきました。


「かぐや姫の物語」以来です。


昨年、私の誕生日が公開日だった、
「風立ちぬ」を、誕生日に観て、

その時「かぐや姫の物語」の予告編で泣き、必ず観ようと誓い、

「かぐや姫の物語」を観に行った時、
「アナと雪の女王」の予告編でまた泣き、必ず観ようと…



私が観た予告編は、
雪の女王エルザが歌うシーンでした。




本編を観てくると…

私が想像していたシチュエーションでの歌ではなかったけれど、
やはり素晴らしい描写でした。


これぞ、ディズニー!

といった、「愛と勇気」という、わかりやすいもの。


わかりやすさは、
既に日頃から根付いている、目新しさの無いものでもありますが、

それを真っ向から綺麗に魅せてくれることで、
とても爽やかな気持ちになります。



映画の、予告編であろうと、

ドラマであろうと、舞台であろうと、
音楽であろうと、スポーツであろうと、

働く人の横顔であろうと、


無意識のうちに涙がこぼれて止まらなくなってしまう時は、いつも、

【孤独の上の情熱と強さ】

に触れた時。


それに触れ、痛いほど分かる時、
瞬間でも涙が溢れるんですね。


私は逆に、
今夜この映画を観たことで、改めて、また、

「かぐや姫の物語」が観たくなりました。


あの、深く深く、心に、刺さって、沁みこんでゆく感じ。

あの余韻を思う感じ。

呼び醒まされる感じ。

日本特有の感じ。


別のものに触れて、かえって自分のものの愛しさを再認識する、
なぜかそんな感覚になりました。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子






昨日まで台湾にいたのだけれど、今日はもう、会社に出社して、
アナウンス業務などをしていました。


台湾でお友達になった女の子たちと、昨夜日本に帰ってからも、
facebookメッセージを使って、メールのやりとりをしていました。

連絡先を交換しよう、とか、
初めて口にするときは、ドキドキしたりもするものですが、

日本に帰ってきて、連絡を取り合ったりするようになってみて、

あの一瞬の勇気を出したことで、
世界が瞬く間に拡がるものなのだと、つくづくと感じます。


逆に、なぜかためらって、連絡先を聞けなかった女性もいて、
そのことが、戻ってからとても悔やまれます。


台湾で日本語を勉強している学生の女の子だったり、
ショップの店員さんで、日本語を先月から勉強し始めたという女の子。

日本語を話す人の数は、
英語や中国語を話す人口から比べれば、本当に微々たるものなのに、

わざわざとても複雑難解な日本語を学ぼうとしてくれているんです。


「日本が好きだから。」


彼女たちは、

「あなたが私にとって最初の日本人の友達です。」と言ってくれました。

私は、もう、何か、本当に嬉しかった。

彼女たちにとって、私が、日本人女性としての標準になるのかもしれない。

やはり、外国の方と接する時、私たちは、日本人というひとつの括りとして、
注目されることを、意識していなければ、と思います。


台湾の方々が、尊敬してくれている、昔の日本人像。

失望させないように、素晴らしい日本人性をやはり、取り戻したい。


彼女たちの学ぼうとする姿勢に触発されて、私も、
英語をもう一度勉強し直したいな、中国語も少しは分かるようになりたいな、と感じました。



交通機関はどんどんと発達し、安価に移動できる方法も増え、

世界は急速に、「狭く」なってきています。


私たちが見ることのできる、

繋がることのできる世界は、

私たちが思い描く以上に、広く、

感じていた以上に、近くに、あります。



私たちにとって、そうであるように、

彼ら彼女らにとっても、そうです。


日本にも、これから、もっと沢山の外国人の方々が入ってきます。

既に、都会のコンビニでは、
アルバイト生の中に日本人を見つけるほうが難しくなってきています。


日本にいても、外国の人たちと仕事をすることが増えるでしょう。

外国に行って、外国の人や日本の人たちと仕事をすることも増えるでしょう。


はっきり申し上げると、

なんとなく生き、なんとなく働く日本人の居場所は、
しっかりと意識を持って立つ外国の方に、とってかわられてしまうということです。


それらは、
ずっと先の未来のように思っていたことかもしれませんが、

どんな人にとっても、ごく当たり前で、身近だと言える時代が、

すぐそこまで来ています。


そんな時代に在って、

真の日本人としての価値、
真の人としての価値、

そういったことを考えたとき、


このままの生活でいい、現状維持でいい、
と断言するような勇気は、私にはありません。


気がついたら、
一体どこに辿り着きたかったのか分からないような人生ではなく、

しっかりと意識を持って意図を持って、この航海を終えたい。


日本人として、少しでも、世の中のお役に立てる力を、
つけていきたいと思います。







写真は、

私が訪れた台湾ブランド店・ a la sha でいただいたカレンダーと、

桃園国際空港で、アンケートにお答えして、プレゼントとして手渡してもらえた、キーホルダーです。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子







あっという間の3日間。

台湾も寒かったけれど、日本はもっと寒いですね。

空の上は、感動的な美しさでした。


空の上に、国境はなく。
みんな繋がってる、を、感じるひとときです。





無意識に立ち寄った東門駅、5番出口を出ると、
3年前にも訪れた、台湾ブランド、a la sha が目の前に出てきて驚き、



そのまま3時間程も滞在し、
日本語がわからない女の子と、ずいぶんコミュニケーションを取りました。



今朝出発前には、

3年前と同じ、
小籠包が衝撃的に美味しい「金品茶楼」にも立ち寄れました。









ありがたいことに、社員旅行では、
毎年アジアに行かせていただいています。

北京、マカオ、マレーシア、シンガポール、ベトナム、台湾、済州島、タイ、台湾…

台湾が私は2回目になりましたが、

台湾は、アジアの中でも、
様々な面で、日本の感覚とあまり変わらず滞在できる場所です。

1人行動、
本当はもっと、警戒して行動するべきなのでしょうけれど、
比較的私は、気をつけながらもドンドン進みます。


夜歩くときなどは特に、

きれいな服装などにはせず、フードを目深にかぶって、
バッグをお腹の前にたぐり寄せたまま、足早に歩く。


海外旅行で、
観光客に見えないように振る舞うのは、得意なんです。

道を尋ねられることもしばしば。


それでも3年前とはずいぶん事情が変わってきています。

添乗員の林さんのおっしゃっていた通り、
中国人がかなり多くなっています。

台湾の方々も、中国の脅威を感じながら暮らしておられるようです。


台湾の人々とは、本当に、
打ち解けるのが早い。


はじめから、

『相手を尊敬する気持ち・心を開く用意』

があるからかもしれません。


どんな人とも、普段から、
この気持ちを抱きながら人間関係を築けたなら、

きっと楽しく、円滑にいくことが多いのでしょうね。


それにしても台湾は過ごしやすい。
もっと台湾の人たちと親交を深めていきたい。

愛媛県松山市と、台湾の松山が姉妹都市になり、

松山空港ー松山空港と、直行便が就航するようになれば、
もっともっと気軽に、行けるようになりますね。


県内だけじゃなく、
日本国内全土に友達がいれば、

県外のことも自然に思いやれるようになるように、


日本だけでなく、
世界中に友達がいれば、

国外のことも自然に思いやれるようになるでしょう。


これも、
世界平和へのアプローチのひとつですね。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子






2014.03.13

台湾旅行2日目

先ほど伊予灘で強い地震があったそうですね…
日本の皆さんからの知らせで知りました。

私の地元でも、震度4~5あったそうです。


もし、伊方原発が再稼働していたら…?



私は、
例え、

日本に地震というものが存在しなかったとしても、

10万年以上に渡り、処理できない危険物を未来永劫残すような、

エネルギーの方法を、選択したくなど、ありません。



それに加え、日本はご存知の通り地震大国。

原発が存在し得るような環境では、到底ないのです。


伊方原発に何かあったら…???


福島よりも恐ろしいことになりかねません。

偏西風により、
放射性物質は、日本全土にくまなく綺麗に駆け巡るでしょう。


地震がきて、ヒヤッと、怖い思いをしたならば、

原発再稼働?

本当にそれでいいんですか?

いま一度、考えるチャンスをくださったと思って…

そうそういつまでも待ってくれるチャンスでは、もしかしたら、
ないのかもしれません。



さて、
台湾旅行2日目は、朝から自由行動。


私は午前中、
どうしても行っておきたい場所があったので、単独行動。

やはり単独行動してこそ、旅をした気分になります。


困ることが沢山出てくるので、
そのたびに、周囲にいる方に声をかけて助けてもらっては、お礼を言い、

東日本大震災の際の支援のお礼を、伝えました。


台湾ドルで支払わなければならないカウンターにて、
私の台湾ドルの手持ちが少なく、

自分のお金を、日本円と交換してくれた店員の女の子や、




3年前私が台湾を訪れた時と、同じショップに行き、
とても長居してしまって仲良くなった女の子、





夕飯の待ち合わせ場所を歩いて探していたとき、
通りかかって学生さんに道を尋ねて、会話を交わしたり、




結局、何人かの方からご紹介いただいた場所や人には、
会うことが叶いませんでしたが、

できるだけ、多くの人に、震災支援金ありがとうを伝えられました。


しかし不思議です。



3年前の社員旅行も台湾でした。

3班に分かれての旅行でしたが、
私は2班目に行っていました。


その後、3班が台湾に行っているときに、
東日本大震災発生したのでした。



よく、考えてみて…


と、何者かの声をいただいたような、気持ちになります。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子





2014.03.12

台湾旅行1日目

12日、早朝出発で広島空港から、台北へ向けて出発しました。


出迎えてくれたガイドの林さんは、
歴史語りに熱い方で、

日清戦争で日本が勝ってから、
中国から差し出された台湾を、植民地として統治していた時代、

けれども日本人を恨む者は居ないこと、


これまでずっと、海外旅行者は日本人が最も多かったが、
規制が解除されたことで、4年前から中国人が旅行に来るようになり、

今では圧倒的に中国旅行者が多いが、
マナーが悪いので困っていること、


偏った歴史教育を受けて、自国の残虐さを知らない中国人に対し、
観光地で、それが分かるようなフリップを掲示していること、



沢山たくさん教えてくれました。


また、台湾で、戦争で亡くなった方をお祀りしている地へ案内いただいた時も、

「日本の靖国神社参拝について、日本人が色々意見が異なるのはいいが、
外国の者が口を挟むことは、とてもおかしい。」

と言ってくれました。


台湾の方というのは、本当に、人の心に寄り添ってくれます。

なんだかとても、嬉しかったです。






その後数箇所観光し、
夕飯をいただいたあと、少しの隙間の時間で、

ホテルの周辺をウロウロと歩いてみました。


小さなブティックが目に入り、覗いてみると、
とても優しく迎えてくれる女性。

少しだけ、日本語が分かる様子。


入店し、少しお買い物をして、
少し話しかけてみました。


「日本語わかりますか?

三年前、日本の、地震のとき、
台湾、助けてくれた、ありがとう。」


「あー!あはは、ありがとうありがとう!」


なんとか意味は分かってくれたようで。

一緒に写真も撮ったり、
連絡先を交換したり、しました。




よかったぁ。伝えられて。


明日は1日自由行動。

どんな出会いができるかな。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子





忘れることなどあるはずもない、3月11日。

東日本大震災から3年が経ちました。

何ひとつ、現場の問題の根本的解決には至っていません。


ただ、ひとつ、救いであることは、

僅かずつでも、
日本人の心が、再び芽生えつつあるという希望。

世界の人たちにとって、
光となり得るかもしれない、という展望。


心の部分で。


私は、
『1人ひとりが、自分の人生を、使命を、生きられること』

が、いちばん大切だと考えています。


それが、

自分のためであり、
ご先祖様のためでもあり、未来の子どもたちのためでもあり、

今、周囲の人たちのためでもあり、
日本のためでもあり、世界のためでもある、

と考えています。


東日本大震災を経験し、
神宮の式年遷宮と出雲大社の大遷宮が重なる年を超え、

すべてのことが切り替わった今。


大きく、大きく、時代が変化した。
良きほうへ。

そのように、後世の人たちが語り継いでくれるような世界を創りたい。


今までの常識の上に築くやり方は、もう、全くそぐわない。



東日本大震災発生同日の今日、
私はごく普段通りに会社の仕事をこなしていました。

明日から3日間、社員旅行です。


行き先は、『台湾』


東日本大震災に対し、義援金を、
日本円にして3億円以上を送ってくれた、

世界中でも圧倒的に多くの義援金を寄せてくれた台湾。

経済的に豊かとは言えないのに。


とある台湾の方は、
この年の年末に、

『今年最も嬉しかったことは?』という話題の中で、

『日本への義援金が、世界一になったこと』


と答えてくれたという、そんな台湾。


しかし、東日本大震災1周年追悼式典の際に、
台湾代表として出席してくださった台北駐日経済文化代表処副代表を、

来賓席ではなく、一般参加者に案内し、指名献花から外していたのです。

これは大変情けないこと。


日本として、国や政府としては、
じゅうぶんな感謝の意が表明できていない。


しかし国民レベルでは、

感謝の意を表明したいと、

台湾の方々に向けた感謝を伝える新聞広告を、有志でお金を集めて出したり、



WBC台湾戦では、
日本人観戦者たちが、台湾へのありがとうを掲げ、

それに対し台湾選手が試合終了後、マウンドで日本人に対し深々と頭を下げたり、


深く心が交わされてきたように思います。



私は今日や明日、

東北へ直接出向いたり、
東北の支援活動に直接的に関わることはありませんが、


台湾へ出向く機会を今のタイミングで頂いたということで、

台湾の方々に、何らかの形で感謝の気持ちを表したい、

というテーマを持って、訪問したいと思います。


社員旅行の中で、何が出来るかわかりませんが、
出来るだけ、台湾でお金を使ってこようと思いますし、

言葉の通じる方に出会うことができたら、
『ありがとう』を伝えたいと思います。


もしも、
台湾の、具体的な場所、人、など、

日本がお世話になっていることを確認できている場所や人を知っている方は、

ぜひ情報をください。


自由時間で、可能な限り、行ってみたいと思います。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子






さんきゅーの1日。

昨日は、昼間松山で、夜は新居浜で、
山崎拓巳さんのセミナーでした。


松山のほうは、
いつも優しい篠原さんご夫妻が主催してくださり、

夜の新居浜は、私の主催で。


ランチでは、前日にお会いした、
80歳の渋谷昌子さんも、

拓巳さんに会いた~い!とおっしゃるので、ご一緒していただいて。
とても喜んでくださいました。

ランチは20人で☆



夜は私の主催なんですが、
拓巳さんを乗せて、松山からの会場移動は、ギリギリで。

300人程の方がお越しになるというのに、
今回、

誰にも、スタッフをお願いしていなくて(笑)

というのも、集客には全く困らず、
前日までの準備は、すべて1人で出来てしまったため。

当日は、
お昼から一緒に行ける人に少しお手伝いお願いしよう、

くらいに思っていたのですが、
予定より1時間も遅れての到着になってしまったので、

先回りしてくれた友人たちのおかげで、助かりました!
みんな自発的に動いてくれて…ありがたい!


やる気のスイッチセミナー。

自己啓発系はちょっと…
なんて言っていた人たちも、

気づけば大笑い大賑わいで楽しんでくれるんですね。

どんな人にも、くまなく、全員、楽しませる。

拓巳さんのパワーはやっぱり凄いと、
後ろから見せていただきました。



皆さんがもう、生き生きされているのが見てとれて、
とても、とても、嬉しかった…



父とも写真、撮っていただきました。
なんだか… 似てる?!(笑)



終了後は、懇親会。
沢山の方が来てくださったので、貸切に。





たくさんの友達が、
拓巳さんと1人ずつ、お話していくことができ…

私はその様子を見せてもらいながら、
とても勉強になるなぁ…と思いながら、佇んでいました。


拓巳さんには大変かわいがっていただいて、
色々な場面で、ご一緒させていただくことが多いのですが、

移動中や隙間の時間など、
2人になっても、実際、あまり仕事の話や、難しい話は、ほとんどしません。

他愛ない話、1人のお友達としての会話だったりします。


それでもそんな中でも、
ハッとするような氣づきをいただくことが、よくあります。


けれど私が1番学んでいることは、

拓巳さんが、皆さんに対して接する接し方であったりします。


1人ひとりの方に接する時の言葉選び、
感情の切り替え、
メール連絡の仕方など、

様子、姿から、

『見て学ぶ』をさせていただいています。


こんな場面で、どのように気持ちを切り替えるのか。

こういう人に、何という言葉を返すのか。


この場面を、幾つも幾つも見させていただくことが、
私にも、ほんの少しずつだけれど、

刺激になり、力になっていくような、気がしています。



セミナーの中でも拓巳さんがおっしゃっていた大きなテーマ。

【成功する鳥は、群れを成して飛ぶ】


人生においては、結局は、
誰に出逢うかで、決まっていくと言ってもいい。


あの時あの人に出逢っていなければ、
絶対に、今の自分は、想像もできない、

そんな出逢いがきっと、どなたにもあるはずです。


どんなに努力した人にも、与えられるのは、
【自分は1人】という条件。

自分が4人います、とかいう人は居ないわけで。


自分は1人だから、同じ日に、ある場所で、
時を同じくできるのは、ひとつの場所、ひとつのコミュニティーだけ。


その選択の繰り返しで、人生が出来ている。



いつでも、選べる。選んでいる。

いまこの瞬間も。


あなたがあなたでいることを。
あなたがその場所でいることを。

仕方なくでも、喜んででも、
とにかくあなたは、その場所を、今この瞬間に、選んでいるから、そこに居る。



私に出来ることは。

私に出来ないことが出来る人を、
私の周囲の人たちへと繋ぎ、

私に出来ることは、
私の周囲の人たちへと精一杯させていただく。


そして、周囲の人たちが、

自分に出来ることを、精一杯、
『心から喜んで』してくださるように…

…なれたなら、本当の意味でそれが、

人のお役に立てる、ということなのかもしれません。



ゆっくりと、来てくださった皆さんにご連絡したり、
また改めてお会いしたり、したいのですが、

このタイミングで、明後日から少しだけ、
台湾に出かけることになっています。

なんだか後ろ髪引かれる思い…


だけれど帰ってきたら、アジアのパワーも連れて、
また、皆さんに会いたいなぁ~と思います。


ありがたい、ありがたい、さんきゅーの1日でした。
ありがとうございました。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子



おはようございます!

本日3月9日は、
いよいよ新居浜にて、『やる気のスイッチセミナー』です!

山崎拓巳さんが、
公式に新居浜にいらっしゃるのは、実に…

20年?それ以上ぶり…だそうです!


午前中に松山空港に到着されるので、
何人かの友人たちと一緒に、ランチ。

その後、
北条でひとつ、セミナーを行ってから、
新居浜へと移動になります。


これまで、イベントといえば、
ロックバンドおかんのイベントをするのに、

彼らの知名度が無いために、
広報活動には相当苦労をしてきました。

今回の拓巳さんは…
全く広報活動の苦労がいらず…

僅かな告知で、申し込みが止まらない程で、
こんなに広報の要らないイベントがあるのかと、驚いている程です。


それでも、

私が拓巳さんと出逢い、親しくなったきっかけは、
私がロックバンドおかんの応援をがんばっていたからでしたから、

すべてのことは巡り巡って繋がってくるものなのだなと、感じます。


私の中には、
3年前の元旦、小豆島の海で禊をした時、
湧いてきた言葉が、ずっと胸にあります。

【この世界がいつまでも、美しく平和でありますように。
そのための何かのために、私の身体を使ってください。】



いま私が思っていることは、沢山あるのですが、
ひとつだけ、重要なことを挙げるとすると、それは、

【すべての人が、自分本来の役割を、生き生きと生きられるようになりますように…】

ということです。


ロックバンドおかんは、
それを伝えてくれていたから、心底応援してきたし、

名前のことだまというツールを使って、
自分自身も、人にそのことをお伝えすることができるようになりました。


けれど。


音楽も、名前のことだまも、
それらに触れたその時は、

涙し感動し、
何かが変わりそうな気がすると言って帰って行ってくれるのですが、


数日もすれば…


無かったこととして、
また、何食わぬ顔をしてやってくる、
今まで通りの毎日に、呑み込まれることを、

受け入れざるを得なくなっているのです。



それはしかし、その人が悪いわけではありません。


何かに気づいたけど、
でもそうは言っても、

明日も生活は続き、明日も会社に行かなくてはならないし…

というわけで、
具体的には何ひとつ、踏み出せず、元の生活に戻っていってしまうのです。


私はそれが、なにか、いたたまれなかった。


何か、方法はないのかと、ずっと考えていました。


そんな時、
拓巳さんとの出逢いや、拓巳さんの生き方から教えていただいてきたことの中に、

これだ!という答えを見出したんです。


拓巳さんから私は、
具体的なことを、事細かに教えられたり、指図されたりしたことはありません。

ただ、とても仲良くさせていただいて、

拓巳さんが、普段から、

どんな部分に優先順位を置いて物事を考えているのか、行動しているのか、

起こった出来事に対して、どう切り返しているのか、

大勢の方々との連絡を、どのようにスムーズに取っているのか、

初めて会う人、
数回会ったことのある人、
20年来の友人たち、

そういった人たちと、どのような接し方、言葉の遣い方をしているのか、


そんな姿を、間近で見させていただいてきました。


そして氣づいた、大きなヒント。



だからこそ、私の大切な役目のひとつは、
こうして、地域のみなさんに、私の友人知人に、

良きご縁を、お繋ぎすることなのかなぁ~…

なんて、思っております。


さて、それでは、松山へ向けて、行ってきます!


本日は本当に背筋の伸びる1日でした。

しばらくバタバタバタバタとしていたので、
今日は少しゆっくり、
気の抜ける日になるかなぁ…なんて思っていたら。

こんなノンビリしていてはいかん!
と、ハタと思わせていただける1日に…


お友達の、優しく素敵なあやこさんと一緒に、
過ごさせていただきました。

やはり目上の素敵な女性と時間を過ごすことは、本当に色々な勉強になります。


私は、どちらかといえば、
男性のほうが気を遣わなくて済むところがあって、

これまでお友達も、男性のほうが多い傾向があったのですが、

近頃は、本当に素敵な女性とばかりご縁をいただくので、
本当に女性との時間が心から潤う時間になってきました。


今日は80代で尚、輝き続けている2人の女性に対面し…


お1人目は、

松山市在住の、渋谷昌子さん80歳。
長く編み物の先生をなさっていたということで、
鮮やかな赤が大変よくお似合いの、

とてもとてもカッコイイ女性です。



渋谷さんに、
色々なお料理の作り方を教えていただきました。

料理の先生なんかでなくても、
素人でも、健康的で美味しい料理を簡単に作られる方法…

『お母さん』という存在は、
家族の命の行方を握っていますから、

確かな食生活を積み上げて行くことは、最大のお役目かもしれません。



美味しかったぁ~!



その次には、
私の住まいの、本当にすぐ近所で、

喫茶『花』を営まれている、松尾敏子さん82歳。



敏子さんは、
新居浜で学校の先生を三年間なさったあと、

お芝居がしたくって東京に出て、
稼ぐために夜スナックにアルバイトに出ていましたが、

やがてそちらが本職となり、銀座に何店舗もお店を出された方。

あらゆる贅沢もし、一流を見てきた。



王貞治さんとのお写真も。


しかしそこには、たおやかな女性では到底居られないほどの、
大変なご苦労があったことと思います。


『今はもう、何も要らないわ。
手放したくないのは、健康な身体と思想だけね。』


とおっしゃっていました。


佇まい、お話の仕方、すべてにおいて、

知性と豊かさと強さが滲み出ています。



この80代の麗しいお2人の共通点は…


『一流に身を置いて生きてきたこと』


ではないかと思います。



本物と、そうでないものを、見抜く力は、

自分が自分の人生を生きる上で、最も大切な力。


だから私もいつも、

何か、これを学びたい!と感じたら、

その分野で、最も一流である方から、
学ばせていただくことにしています。

そうでなければ、その分野を見誤るのです。
本質から遠くなるのです。


ただ見ているだけ…

ただお話を聴いているだけ…

ただ近くにいるだけで、
何も言えないとしても、

心が満ちてきて、
熟成してくると、これを人に伝承していくことができる。


自分にできる、伝承を…


明日はいよいよ、
新居浜に、山崎拓巳さんをお連れして、

300人以上の地元の方に、
お会いしていただくことができます。


明日も素晴らしい1日に…



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子





昔の人は人生50年、今の人は人生80年。

私たちはちょっとばかり、

人生の時間は長く、有り余っているかのように感じては、いないでしょうか?


昔の人よりも30年も長く、人生を与えられたとしたら、

30年余分に生きられるのだとするならば、

そうでない人よりも、もっと何か、
出来るのではないか、と考えませんか?



しかし…


現代の私たちを取り巻く環境、食生活の中では、

もしかすると…

50歳で昔の人は、生き絶えた。
50歳で今の人は、自分の力では機能せず、延命により30年を生きながらえる。


のかもしれません。

余分30年で、何かを成し遂げるどころか、
誰かや何かのお世話にならなければ、
生きられない状態に突入し、

それまでの50年に近いだけの年数、
お世話になって生きる生き方になってしまうのかもしれません。


はっ。

思い当たることがようやく分かったとき、
案外と、残された時間は、ごく少なくなっている…


もしも何らの対策も講じないならば、
そんなことも、ありえるでしょう。



私たちは、いつも、周りを気にしています。


・こんなことを言ったら、この人はどう思うだろうか

・こんなことを好きだと言ったら、あの人は何と言うだろうか

・こんな会社に就職したら、親は何と言うだろうか

・こんな会社の人が気に入るのは、どんな人物像だろうか

・こんな時代だからこそ、当たるビジネスはどんなものだろうか


身近な人の心を読む。
時代の流れを読む。

それも確かに、大切なことかもしれません。



けれど…



それは、あなたの命よりも大切ですか?




あなたが、あなたの命を生きること、
あなたが、あなたの人生を生きることよりも、

大切ですか?


あなたの身の周りで、意見する人たちは、

あなたの側に一生居続ける、
あなたが人生の何よりも優先する声なのでしょうか?


あなたが読んだつもりの時代の流れは、
本来のあなたから見て、

より素晴らしいと思える道の上にありますか?



もしも、
そうではないかもしれない、と思ったなら、


あなたが本当に氣にするべきなのは、

あなたの心の声、命の声、あなた自身の人生なのではないでしょうか。



そうだ。

誰に何と言われようとも、自分の心の声に従って生きよう。



そう、決めたなら、

誰かや、時代の、機嫌を伺っている暇なんかないはずだ。


ねぇ。愛子さん。




今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子







「今年は、外宮に心を置いてみよう。」


先日伊勢に行ったとき、直感的に思ったこと。


伊勢に行くと、なにか、
自分の心とか、状態なんかが、浮き彫りになるようです。

その場に行かないと、分からない、感じられないことが、
確かにあります。

空気も、匂いも、命の流れも、違うから。


ようやく、今年の初詣を終えた気持ちになりました。



昨年の1月、伊勢にお詣りした際には、
内宮に心が在って、

それを証拠に、自然と天照大御神の角祓いを頂戴して帰っていました。


だけれど今年は、自然自然と、
外宮へは早朝にも、昼間にも、参拝することとなり、

角祓いも、豊受大御神のものを頂戴しました。


内宮へは、本当に時間がなく、ゆっくりと落ち着いて参拝することができませんでした。


行くまでは、内宮に時間をかけて行きたいと思っていたし、
帰りにも、もっと時間があったなら…と思ったけれど、

あれ?
実は、それでよいから、そうなったんだなぁ~、と分かったのです。



外宮には、
豊受大御神がお祀りされています。

今から1500年前、
雄略天皇が、夢の中で、

天照大御神の教えをお受けになられ、
豊受大御神を丹波の国から、内宮にほど近い山田の原にお迎えされました。


京都の天の橋立がある辺りにいらした神様で、
籠神社というところにいらしたそうですが、

その神社は、元伊勢、とも呼ばれています。

数年前、そうとも知らずに、
そちらの神社で初詣に行かせていただいたことがありました。



豊受大御神は、御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれ、
神々にたてまつる食物をつかさどられています。

このことから衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。


しかしあくまで、

内宮あっての外宮、

天照大御神あっての豊受大御神、

太陽の恵みあっての衣食住、

目に見えぬものあっての目に見える豊か。



昨年までは、どちらかといえば、

私は、すべてにおいて、
前提である、

内宮、天照大御神、太陽、目に見えぬもの…

そちらにばかり、心が在りました。



外宮、豊受大御神、衣食住、目に見える豊か、
それらを思いきり、

『受け取る』ことに、重きを置いていなかったのです。


すべての命の源、溢れ出る恵みも、
受け取る心と対象がなければ、意味を成しません。



目に見えぬものの素晴らしさを、
どのように目に見える形にして、

また、目に見える形を使えばこそ、

本当に目に見えぬものの有り難みに氣づけることを、


今年の私は、そこにテーマがあると、

神宮さんが、教えてくださったような氣がしました。



豊かを受け取ること。

少し苦手だったけれど、これも、

何のために受け取るのかが明確であれば、
苦手に思うことは、無いのです。



なんだか暗号めいたブログになってしまいました。

ともかくも、
様々なことを氣づかせてくれる、思い出させてくれるのが、

神宮さんという場所のよう。




今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子







『俺この前、成人式やったんやけど…

それで、大人になるってどういうことか、
わからんでから、ずっと考えてて、
色んな人に聞いて廻ったんさ。

愛子ちゃんにとって、大人って何?

大人と子供の違いって何?』


先日、名古屋から伊勢市に行く途中、

この彼に会いに、亀山市に立ち寄ったわけなのですが、

食事の前に早速、
こんな質問をもらいました。


と、私は案外、即答でした。


『人のために、何かをしようって基準で動ける人。

子供の間は、自分のことしか考えない。

大人になったら、自分が人のために何ができるかを考える。

でも子供の間はむしろ、自分のことだけでいい。
めいいっぱい甘えて、大事にしてもらって、
ワガママに愛情を欲しがって泣いて、

そうして、満たされて、愛されてるとか、必要とされてるとか、

ちゃんと分かっている存在だからこそ、

今度は人のために、動けるようになるから。』



彼は、そんなにちゃんとハッキリ答えてくれた大人の人は初めてやぁ~、
と言ってくれました。

私は、そんなことないだろう、こんな風に言う人は、
きっと沢山いるだろう、と思っていたのですが、

彼は続けました。


『まぁだいたいの人が、
自分の行動に責任を持つこと、とか、

式典で、偉い人までそんな決まりきったことしか言わん。

なんかよくわからんかった。

その日の宴会に、俺は高校の時の担任の先生も呼んだ。

先生にも、大人と子供の違いって何ですか?って、
皆の前で挨拶してもらってる時に、聴いた。

そしたら先生、『考えたことないです』って言うてん!!』


えーっ?


その先生は40代半ばだそう。


私は、彼が、そのあと続ける言葉は、
『40も超えて、考えたことないってなんやねん!』

だと、思いました。



彼が言ったことは、

『40も過ぎた大人が、ハタチの教え子に、
大人ってなんですかって聞かれて、

考えたこともなかったですって言うたんよ。



凄くない?!?!』


え?凄いの?






あぁ…そういうことか…



彼は、

こんなハタチになりたての教え子に、
40も過ぎた大人が、皆の前で赤っ恥かかされたのにも関わらず、

正直に、


『先生、考えたこともなかった。
でもこれから考えてみる。
考えるきっかけをくれてありがとう。』


と、言ってくれたんだそうです。


彼は、
その素直さ、潔さを、凄い、と言ったのです。


考えたこともなかった、という返答に対する、
情けないなぁ~という感想よりも、

それを素直に認め、気づかせてくれてありがとうが言える素直さを、
凄いとすぐに受け止められる、


彼の感性は、真っすぐに、伸びている。



そんなことを、感じさせてくれました。



大人と子供の違い。

正解も不正解も無いけど。


途中まで同じで途中から違う。


人のために、が、あるのが、大人かなぁ~



健康でいる。

自分が人生を愉しむために。
いつでも人のために動ける体であるために。


笑顔でいる。

自分が人生を愉しむために。
少しでも周りの人の心を和ませられるように。


豊かでいる。

自分が人生を愉しむために。
もっと世の中の役に立てるように。


自分のことも、自分以外の人のことも、
いつもワンセットで考えられたら、いいですね。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子








こんばんは!

愛知県・三重県と旅してきて、
昨日から地元に帰ってきて会社で仕事をしていますが、

まぁこれが…
やることが盛り沢山にありまして…

大変に慌ただしくしております…


やることが沢山あるのは大歓迎なのですが、
もう9日に迫っている、

山崎拓巳さんの『やる気のスイッチセミナー』の、
チケット処理関係などなどが、あともう少しというところにきて、

手が付けられないでいることが、気にかかっています。


お客様との連絡となると、時間帯を考えるので、
気がついたら、もう連絡できる時間を超えていて、
また明日…あぁ!できない!…が続いています(笑)


だけど、

忙しく過ごしている、ということは実は…
『必要とされている』ということだから、いいんです。


けれど私はあまり、
『忙しい』という単語を使うことが、好きではありません。


心をなくすと書いて、忙しいだから、
という理由も、無いわけではありませんが、単純に、


自分で自分を評価する忙しいの言葉は、

耳にしてあまり心地のよい言葉でないし、

そもそも基準がよくわからないのです。


自分で自分のことを、
いま忙しいなぁ~と考えている分にはよいのですが、

第三者に対して、
私は忙しいから、と伝えるとき、

では、その相手の方よりも、忙しいという意味だろうか?
となってしまうからです。


その相手の方よりも自分が忙しいかどうかなんて、分からないから。


そういうことを理解して言葉を遣う人は、
自分で自分のことを、第三者に対して説明するとき、

忙しいという言葉を遣わないのです。


もっと具体的に、
この時間はこれがあって、この時間も埋まっていて、

空いているところが無い、という言い方をします。

それは事実であり、主観ではないので、第三者のひとに言っても通じます。


『私は忙しい』は、自己感情のようなもの。

『この日ここに行かない?』
と具体的に話している相手の方に対して、

『忙しい』という自己感情で返すのは、
『それは面白そうね』と返すのと同じくらい、

回答にはなっていないわけです。



『忙しい』と『ありがとう』の共通点。


それは、【人から言われて、意義が働く言葉】


とても忙しそうですね、と、
人から言われることは、構わないし、

ありがとう、と、
人から言われることは、素晴らしい。


この場合はどちらも、

【あなたが必要とされている人】である、証拠なんですよね。



嗚呼それでもっ
連絡を取ることが出来ていないあれやこれやは氣にかかる、夜です…

明日こそっ!(笑)



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子










3月3日の桃の節句、ひなまつり。

もう雛飾りのお片づけに取りかかっていらっしゃいますか?


言い伝えのように、
『雛飾りをしまい遅れるとお嫁に行けない』ということを気にして、

急いで片付けられるご家庭が多いようですね。


本当にお嫁に行けないのかな…?



これは、
『自分の物は自分で終いをしなさい。
そんなことも出来ないようでは、嫁の貰い手がありませんよ。』

という、親から子への、躾のための言葉だったのです。


昔は、お嫁に行けないということは、
女性にとって本当に大変なことでしたので、

最大の躾文句であったようです。


本当の教えは、

雛飾りの時だけきちんと終いをしなさいということではなく、
普段からそのようにしなさい、ということだったはずですが、

残念なことに、そうは伝わってきていない様子。


ひな祭りは、そもそもが、【厄払いの行事】であることを、
ご存知でしょうか。


人の形に紙を切り抜いた人形(ひとがた)で、体をなでて、穢れを落とし、
その後、海や川に流すという、無病息災を祈っての祓の行事でした。


江戸時代頃から、
紙を流しては川が汚れる、ということからか、
現在の雛壇を飾る「雛祭り」へと変わっていきました。

今でも流し雛を行っている地方も、あるようですが。


「桃の節句」というのも、
古来より、桃は邪気を祓うものと位置づけられていたからでしょう。

そういえば、古事記でも、

亡くなった伊邪那美尊を追って、黄泉の国に入った伊奘諾尊が、
追手から逃れるために、走りながら桃を投げた、とされていますものね。


邪気を払うためのもの。

ですから、雛飾りが汚れたり、壊れたりすることを、怖がらないでくださいね。

お子さんが雛飾りを手に取ったりして汚すことを恐れて、
触ろうとするたび、怒ったりしないで。

お子さんは、
雛飾りを見ると、怒られるという嫌なイメージを浮かべてしまうようになるから。


汚れたり壊れたりしては、不吉かしら?と思う方がいますが、その逆です。


お子さんの代わりに、汚れたり傷ついたりしてくれたのです。


汚して叱るよりも、
『このお雛様はね、あなたの代わりに傷ついてくれたのよ。』と教えてあげてください。


何か目に見えないけれど、
自分を守ってくれる存在があるということ、

お陰さまの精神が、早くから、身につきますよね。


【そのことを通して、何を学ぶか】

それを、教え、身につけさせてあげることが、
文化を伝承していくことの意義のように思います。



断捨離と最近はよく、物を捨てることが流行っていますが、
生活に便利な効率だけを考えた物との付き合いのみでなく、

こうした、
邪気払いや御身代わりの考え方のある日本人の文化も、

知っておくと少し、見え方が違ってくるかもしれません。


さみしいことに核家族化が進み、
大きな雛飾りが似つかわしくないお家が多いことも事実です。

それでも、
全く何も無いよりは、

と、最近では、色々な雛人形も、ありますね。


色々なことを知った上で、
どんな方法を自分は選ぶのか、考える。


そんなクセを、つけたいですね。




今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子




何事の おはしますかは しらねども

かたじけなさに なみだこぼるる



西行法師が、伊勢神宮に詣でた際の感動を詠んだものです。

日本には、どのような文化も、宗教も、
在ることを良しとする懐の深さがありますが、

それでも、
大きく分けて、神道と仏教、キリスト教の間には、

物事の捉え方や考え方に、根本的な大きな違いがあります。


そうであっても、
仏教に帰依してきた西行法師が、

伊勢神宮に参拝をしたとき、
このような感動を抱いたのです。





可能な方は、ぜひ、
神宮さんの豊受大神宮(下宮)へ、

3月中に正式参拝されることを、お勧めします。


新しい、
これから20年神様がお住まいになる、正宮に、

最も近いところから参拝できる、ということに加えて、


式年遷宮の年の、この3月末までの期間だけ、
旧正宮を直接拝見させていただくことができるのです。


ここは、神様のお家そのもので、

そこに立ち入ることのできる人間とは、天皇陛下ただお1人。


この期間以外では、
天皇陛下以外の何人たりとも立ち入ることはできません。


式年遷宮のこの時期のみの公開です。

もちろん、写真撮影も一切禁止です。


幸運なことに本日、
私も参拝させていただくことができました。


神力車で日本一周を果たした、友人の祥平さんが、
神宮をご案内してくださったのですが、

その声が、次第次第に遠くなって、

現実と幻の間を行ったりきたりするような、不思議な意識で、


ただ、ただ、ただ、

涙が溢れて溢れて止まりませんでした。


やはりこの感覚は、
日本人の感性でしか感じることのできないこの感覚は、

神宮さん特有のもののようです。


深く、深く、
日本人として生まれ、感じられることに、

心から、有り難さを感じました。


参拝道中でのご紹介したいことは、山程ありますが、
今日はただただ、有難いこの感動をのみ、味わいたいと思います。




写真は、朝の参拝で一緒になった友人の、
侍・堀之内哲也の後ろ姿です。

清々しい朝でした。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子




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