日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI

名前のことだまを入り口に、和ごころに気づけるブログです。

プロフィール

日野  愛子

Author:日野 愛子
日本人がもう一度、日本人になろう。

皇紀2671年3月11日、
再び、ほんとうの幸せに戻るための、
大きく舵を切れた転換点にするために。

いつもほんとうのことを知ろうとすること、
いつも自分の中の愛に聞いて、
一歩を選べるように。

知ることへの道は、愛のはじまり。

名前のことだまを入り口に、
素敵な日本に氣づけるブログです。

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こんばんは。

今日まで、このブログを愉しみに読んでくださった方、本当にありがとうございました。

今日が365日目。
毎日と決めてスタートしてからの、ゴールになります。


1年前の、母への「本気のお見舞い」をしていただいたことをきっかけに、
これからは性根を入れて、人様のお役に立って行くぞと、スタートさせたブログでした。


毎日のブログには、正直な気持ちを書いているようで、
でも、書けないことのほうが多くって、
ジレンマを抱えていました。

はやくジレンマのない、ニュートラルな状態で物事を発信できるようになろうと考えてきましたが、
なかなか思うようには進みませんでした。


今の私では、人様のお役に立つどころか、
自分自身の余裕のなさを、毎日のブログの中に、できるだけ出さないようにしようとするようなものでした。


1年が経ちましたが、未だ、
やるべきことに追われている状況に変化は無く、

追われながら書くものではなく、
本当に、大切なエッセンスを書きたいのに…とブログに対する向き合い方の不満も募ってきました。


そんな中でも、「いつも楽しみに読んでるよ」なんてお声をいただくと、
本当に嬉しく、また、こんなものではいけないな、と反省してきました。


それは、

自分の適当な日記として始めたのではなく、
「日本に氣づけるブログ」として始めたからでした。


私に、そんな偉そうなことが言えるような権威など、何もありません。

けれど、どうしてもなんとかしたかったんです。
確信だけはありました。



『世界を平和へ導けるのは、地球の環境を元に戻そうと導けるのは、日本人だ』と。



どんな文化でも、どんな人種でも、どんな宗教でも、
受け入れて、更に良いものへと昇華してきた日本人だからこそ、

融和というものに導けるはず。


山も海も風も、すべては神様で、自然に畏怖の念を抱き、
自然と共に暮らしてきた日本人だからこそ、

すべての生き物が調和して生きることの素晴らしさを知っているはず。


ただ、


本当は知っているのに、忘れているんです。



それがとても悲しい。

日本人には、大きな大きな役割がある。

自分の力を見くびらないでほしい。

あなた一人が救えるのは、あなたやあなたの身の回りの人や地域の人たちだけじゃない。

あなた一人が、世界中を、地球を、救えるほどの力を持っている。




私なりに、そのことを、なんとか色んな方法で伝えていきたい。

そのために、日本人1人ひとりの方に、
自分自身の生まれた役割を思い出して、自分を愛せるようになってほしくて。

名前のことだまを取り入れたり、
健全な身体と心を手に入れる方法を模索し伝えたり、

してきました。


伝えることを諦めたくない、いつか意味を成すと信じて行動する、
その思いは、変わりません。

ただ、
自分自身を癒し、もっと真っすぐに見つめ、もっと迷いのない状態になるために…


ブログは、本当に、思いに任せて、書きたいと思ったときに書く、
というように変えてみようと思います。


会社からの帰宅後、旅の移動中など、多くの時間を費やしてきたブログを書く時間を、
今度は、
自分自身を見つめ、癒やす時間へ、また、大切に思っていることの鍛錬や勉強のため、
費やすことにします。


最後というのになかなかまとまりません。


今はただただ、読んできてくださった方に、心から御礼申し上げます。

未熟者ゆえ、もっともっと、鍛練してまいります。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子



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この2日間の関西も、大充実でした!


おかげさまで、日々の過ぎゆくのがうんと遅い、そう感じられる毎日です。


この5月などは、ブログにも毎日書いてきましたが、

1週目が東北、2週目は東京、3週目は京都・大阪。


それも初めてのことばかり…


東北に行くことが初めて、それも全行程車移動。

靖国神社参拝も、明治神宮参拝も、皇居ランも初めて。

そしてこの2日間のメインイベントは、これまた初めて。
ボクシング観戦でした。


なんとなく、迷いの無い人の目って、分かりませんか?

私は、よく分かります。


不思議な力などは無い私ですが、
迷いない目、必ず夢を叶える人の目。


初対面でも、ピンときます。


一般的には、とてつもなく大きな夢を、根拠なく語っている人、
に見える人でも、

あぁ…この人はきっと叶えるなぁ。

と思うときがあります。

それは、なんとなくなのですが、
あえて、その内容を説明しようとするなら、


『この人がその夢を叶えたとき、この人以外に、幸せになる人が、きっと多いな。』


というようなとき。



だって。

そうじゃないですか。


世の中は、いつでも、

誰か特定の人の為だけに形成されているわけじゃありません。


この人の云うことが叶ったならば、
それは、全体として、結果として、未来から見て、

よかったぁ~~~…


っとなるようなことのほうへ、
物事とは動いてゆくものだと。


事実はわかりませんが、

私にとっての真実は、そうで在らせたいのです。


だから、

この人の夢、きっと叶うな、
叶えたほうが皆のためにもいいな、と、


これまで何人か、
そんな風に思う色んな人に出逢ったことがあって、

たとえば私にとって、

初対面のときのロックバンドおかんのDAIがそうでした。

大阪城ホールに立ちたいと思ってる、と聴いて、
その夢、必ず最後まで一緒に追いかけると約束しました。


初対面のとき、まだ高校生ボクサーだった京都の大森将平くんもそうでした。

必ず世界チャンピオンになります、と繰り返し言うのを聴いて、
どうかこのまま変わらず、真っすぐな青年でいてほしいと、
沢山の素敵な大人に会わせたいと思いました。



将平くんの試合は立派でした!

これまでいつも、試合、観に行けるようなら行くね、
と言いながら、なかなか都合があわず、しかしそれまで彼は、

プロデビューから既に11試合を終え、全勝6KOという成績。








今回は、
同じ高校の先輩であり、金メダリストの村田諒太選手のアンダーカードして、

世界ランカーの選手を相手に、12連勝を賭けた闘い。




本人がいちばんよく分かっているはずなので、何も言いませんでしたが、
今回の試合は、彼にとってかなり大切なポイントだったと思います。


それでも、事前のフジテレビの取材で、
『必ず勝って村田先輩に繋ぐので、村田先輩も勝ってください。』

とコメントしてるのです。






若さ、とか、ビッグマウス、とか、
外から口で云うのは簡単ですが、

言ったことを、必ずやりきること、
自分の全身全霊を賭けて、そこに執着すること…


それが出来る人のみが、いかなる夢をも叶えていくのだと、思います。


執着という言葉は、時に、あまり良くないものとして扱われます。


けれど、本当に目指しているときは、集中して執着せずして、
目標を達成することは、あり得ないのだと思います。


執着していたら、

もし万が一達成できなかった時、心が折れる?


そんなことで折れる心ならば、
そんなことを恐れる心はらば、


そもそも最初から、挑戦すらしなかったはずです。


本氣で挑戦する人の周りには、

自然と、応援したいという人たちが少しずつ集まってきて、
やがて大きなムーブメントを巻き起こすのでしょう。


もし、自分が行うこと、志したことに、
それが伴わないときは、

誰のせいでもない、
自分の決意と行動が未熟であったがゆえ。


改めて、そんなことを、感じました。



このほか、せっかくの京都ですから、
隙間時間で、陽子ちゃんと、少しずつ京都を愉しみました。






大阪では、
最先端の栄養学と、環境概況などを勉強し、

最後は、
友達であるデザイナーのJUICYと、
彫り師の高萩正志さんのコラボ個展を覗きに行かせてもらいました。




JUICYは、常に落ち着いた媚びない姿勢で、
知らない方にとっては、時に冷たい印象がして、誤解されやすい人かもしれませんが、

私は、とても正直な人間だなぁ~と、心の中がよく分かるので、
とても話しやすい友達です。

ロックバンドおかんの大阪城ホール関連のデザインは、すべてJUICYが行っていました。


高萩正志さんは、初対面でしたが、
とても力強く繊細な龍を描く方で。

今は毎朝、龍を描くのだそうです。


また、そこで、東日本大震災直後からずっと支援を続け、
今は石巻に定住している、写真家の平井慶祐さんにも会えました。

この人の写真は、人物が躍動するから、大好きです。


ほんの少しだけれど、石巻のお話も聴けてよかった。会いたかった人でした。





昨年の5月が私にとって、大きな起点であったように、
今年の5月も、まるで半年間分程にも感じられる、濃密な月になりました。


来月からは少しは落ち着いた、動き方になっていくと思います。

どうしても疎かになっていた、自分のすぐ身近なこと、身の廻りのこと、
ひとつ、ひとつ、もっと丁寧に、見つめ合って、向き合って、

沢山を含んだこのいまの自分を、
より良い味で外に出せるよう、

皆様に色々なことを教えていただきながら、進んでまいりたいと思います。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子










昭和天皇が終戦時、
マッカーサー総帥に対し、

自分の命はどうなってもよいから、どうか国民が飢えぬよう、
米国の支援をお願いしたいと深々と頭をお下げになり、

マッカーサー総帥はそのお人柄に驚き、

日本国民の結集力、強さは、この象徴である人物を掲げた国であるからだったのかと、
痛く感心なされた。


このお話は、近年若い方も少し知るところとなったと思います。

私も初めてこのお話を知ったとき、
何とも言えぬ日本人としての感激を憶えました。


しかし陛下にとっては、その御言葉は、
何の特別なこともない、あたりまえの御言葉であったのかもしれません。


終戦前にも、陛下は苦渋の選択を下しておられました。

御前会議。

終戦を決めることとなった8月9日の御前会議では、
総理大臣司会のもと、外務大臣、各軍最高責任者らが意見を述べ、

外務大臣以外は、

一億総玉砕となろうとも、戦い抜くことが日本の名誉だという意見で一致します。

そこで総理大臣は、陛下にご意見を求めたのです。

ご意見を求めてはいけない御方に。


陛下は、こう話されました。


「太平洋戦争が始まってから、陸海軍のしてきたことをみると、予定と結果が、大変違う場合が多い。
大臣や総長は、本土決戦の自信があるようなことを、先程も述べたが、
しかし侍従武官の視察報告によると、兵士には銃剣さえも、ゆき渡ってはいないということである。

このような状態で、本土決戦に突入したらどうなるか、非常に心配である。

あるいは日本民族は、皆死んでしまわなければ、ならなくなるのでは、なかろうかと思う。

そうなったら、
どうしてこの日本を子孫に伝えることができるであろうか。

自分の任務は、
祖先から受け継いだこの日本を、子孫に伝えることである。

今日となっては、
一人でも多くの日本人に生き残ってもらって、
その人たちが将来再び立ち上がってもらうほかに、この日本を子孫に伝える方法はないと思う。

このまま戦を続けることは、
世界人類にとっても不幸なことである。

自分は、明治天皇の三国干渉のときのお心もちをも考えて、
自分のことはどうなってもかまわない。

堪え難いこと、忍びがたいことであるが、
かように考えて、この戦争をやめる決心をした次第である…」


日本国民と、さらに世界人類のために、自分のことはどうなっても構わないという、
陛下の広大無辺なる御仁慈に、ただただ皆ひれ伏したといいます。


陛下は更に、

国民がよく今日まで戦ったこと、

軍人の忠勇であったこと、戦死者戦傷者に対するお心もち、遣族のこと、
外国に居住する日本人、すなわち今日の引揚者に対し、
戦災にあった人に対して、御仁慈の御言葉を述べられました。


陛下のお言葉が終わると、
総理は立って陛下に入御を奏請し、

陛下はお足どりも重く、室をお出になられた。


午後11時より始まった御前会議、
この時既に、午前2時になっていました。


どのような時にも立憲君主制を貫き、
政治に御意見されることのなかった昭和天皇、
間違いを犯したと、後にこの時のことを語っておられるそうです。


しかしこの御言葉が無かったならば、
いま、恐らく私はここに存在していないでしょう。

あなたも、あなたのご家族も、国民すべて、
あの時で、何もかも終わり果てていたのかもしれないのです。



戦中戦後の、昭和天皇のお暮らしぶりをご存知でしょうか。


戦前昭和天皇は、
明治時代に落成した明治宮殿に住まわれていました。

昭和18年、
大型の爆弾に耐えうるようにと、防空施設・御文庫が造られました。

昭和天皇は午前中は表御座所で政務をされ、
午後はこの御文庫でお過ごしになりました。

御文庫の広さは1,320㎡。
地下1階と地下2階があり、両陛下の居住スペースのほか、
侍従たちの部屋や映写室、ピアノ、ビリヤードなどがあったそうです。

1トン爆弾に耐えうるよう、屋根の厚さ3m。
コンクリート層、砂層、コンクリート層の3層構造をしていました。


やがて戦局が悪化するにつれ、
御文庫でさえ危ないということになり、
御文庫のそばに新たな防空壕を造られました。

御文庫附属室です。

附属室は地下10mのところにあり、広さは330㎡。
会議室が2つと控室、機械室があって、それぞれ1mもの幅の鉄筋コンクリートの壁で仕切られていました。

御文庫附属室は50トン爆弾に耐える能力を持ち、
御文庫も6トン爆弾に耐えられるよう補強されました。


昭和20年5月、
米軍機B-29が、実に250機来襲し、焼夷弾を投下。

東京では16万戸が全焼し、皇居も大きな被害を受けます。


大小27棟もの明治宮殿も、全焼。


その知らせを聞いた陛下は、

「そうか、焼けたか。これでやっとみんなと同じになった」とつぶやいたと云われています。


翌日、その焼け跡を昭和天皇がご覧になります。
同行した警衛局長は焼失を詫びますが、

陛下は、
「戦争のためだからやむを得ない、それよりも多数の犠牲者を出し、気の毒だった。残念だったなぁ」とおっしゃったそうです。


以降、やむを得ず宮内省第2期庁舎を仮宮殿とし、
政務はそちらで、居住は御文庫という状況になりました。


広島、長崎に原爆が投下されると、
いよいよ皇居にも原爆投下されるのではという憶測も流れ、
両陛下は地下の御文庫附属室へ避難されます。


先にご紹介した、
8月9日と14日に御前会議が開かれたのもこの場所です。


そして、終戦。


東京は一面の焼け野原でした。

両陛下も御文庫での生活が続いていました。


しかし、この御文庫、
天井に詰めた砂は、建設当時雪が積もっていた砂をそのまま詰めてしまっていて、
溶けた水が、何年も経ってからコンクリートから浸み出し、ぽたぽたと落ちてくるのでした。


同じく御文庫附属室は地下深くにあったため、
そこから伝ってくる湿気も酷いものだったといいます。

スーツを吊るしておくと、一両日のうちに完全に湿ってしまったのだとか。


こんな場所に陛下を住まわせてはおけない、と侍従は御所の新造を提言しますが、

陛下は「世の中には住む家の無い人もあるのに、私にはこれだけのものがあるのだから」とあっさり却下。

せめて修理をと、調査すると天井裏からドラム缶2本半もの水が出てきたのだとか。

再三にわたり陛下に新造を奏上するも、陛下はこれに応じませんでした。


そして日本は、
戦後の混乱期を乗り越え、高度経済成長期を迎えます。


昭和34年、皇太子殿下御成婚で、
世間はミッチー・ブームに沸きますが、

その時もなお、
まだ両陛下は御文庫にお住まいになっておられました。


それからさらに2年、
終戦から、実に丸16年が経過して、

ようやく新たに建てられた吹上御所にお移りになったのです。


吹上御所は延べ1,504㎡。
鉄筋コンクリート2階建ての洋風建築。

「こんないい家に住めるようになったのもみんな国民のおかげだ」と、
この年還暦を迎えた陛下はおっしゃったのだそうです……





このような事実を、
私たち日本国民は、どれほど胸に刻むことが出来ているでしょうか。


神の国日本、という言葉…


私たちは、名実ともに、ずっと護られてきました。


私たちは、志高く、

身近な方々のために、地域のために、日本のために、世界のために、
あらゆる場面で、誇りの持てる選択をしたいと思います。

戦争においては、
私たち日本人こそが、その抑止力となるべき存在です。


大切な、日本人として生まれたことのお役目を、
思い出しましょう。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子


数え切れない程の人とすれ違う中で

人として出会えたこと、痛く幸せに想う


無表情に流れ行く人波の中
あなたに会えたのは、なぜだろう

出会うことの無い僕たちならば決して
言葉交わすこと無く過ぎ去っていただろう

数え切れない程の人とすれ違う中で

人として出会えたこと、痛く幸せに想う


目の前に居る人がそこに居て
当たり前になっていた

あの日あの時「奇跡」とも言える瞬間が無ければ
笑い合うこと無かったよ


こんなに沢山の感情分け合ってきたのに
全て無かったかもしれないと想うと

怖ささえ覚えるよ
ほんとに会えてよかったよ

数え切れない程の人とすれ違う中で

人として出会えたこと、痛く幸せに想う



あの日生まれなかったら
あの街に住んでいなかったら

あの電車に乗ってなかったら
あの日が休みじゃなかったら

あの会社じゃなかったら
あの学校に行ってなかったら

あの日晴れてなかったら
あの夜星が降ってなかったら


あの時話し掛けなかったら
あの時気付いてなかったら

あの時覚悟決めなかったら
あの時叫んでなかったら

あの時別れてなかったら
あの時「好き」と言ってなかったら


痛み喜び感じずに僕は

あなたを知らないままだった


数え切れない程の人とすれ違う中で

人として出会えたこと、痛く幸せに想う



大切なあなたへの歌を唄いたい


人として出会えたこと痛く幸せに想う



【人として/ロックバンドおかん】





出逢ったときから仲間として応援してきた、
ロックバンドおかんの代表曲のひとつ【人として】


改めて、この歌を聴くとき、歌うとき、

本当に偉大な歌だなぁと思います。



インディーズでありながら、

大阪城ホール単独公演を成功させ、
台北で10万人のステージで歌い、

なお、原点にかえって路上で歌うような彼ら。


この歌は本当に、路上が似合う。



どんな人の、どんな人生も、すべて、みんな、
きっと、

こんな風なはずです。


誰ひとり欠けても、
何ひとつ違っても、


あなたがこれまで、

喜んできたことも、嘆いてきたことも、

どれひとつ欠けても、



今のあなたはここに居ない。



すべての出逢いは、寸分違わずに起こっているんだなぁ~



時にとんでもなくドラマチックに感じる出逢いもあったし、

さも出逢えたのが当たり前かのような自然な出逢いもあった。


けれどそのすべてが、大切だった。

後になった今では、すべてが必要だったと感じる。


どんなに遠回りでも、
まるですべては、今への時間調整だったかのように。


だから。


今起きている出来事も、
どんな風に私がいま感じていようとも、

すべて、必要な出来事だ。



明日は、陽子ちゃんと京都に向かいます。

陽子ちゃんと出逢ったのは、
ロックバンドおかんの大阪城ホール単独公演LIVE当日。

旅の目的は、将平くんのボクシングの試合観戦。


将平くんと出逢ったのは、
嵐山駅に私が間違って乗り込んだから。

間違って乗り込んだうえに、
盗撮に遭うという稀な出来事が起きたために、

近くに乗り合わせた将平くんが止めに入ってくれたから。


素晴らしい青年だ~、と、
その後ロックバンドおかんのLIVEに連れてったりしました。


明日、彼の同じ高校出身の先輩、
金メダリストの村田諒太選手のアンダーカードとして、
プロ12連勝目を賭けた戦いです。



人との出逢いというのは、本当に不思議ですよね。

一体、どこで、何が起きるのか、予測できません。



あなたの今、身近にいる、

あなたによく、小言を言ってくれる、

あなたのことを、誰よりも愛してくれる、

あなたがこの世に生を受けたいちばん最初の瞬間からこれまで、

ずっとあなたを見守り続けてくれている、

あなたのご両親とも、


寸分違わずに、あなたは奇跡の出逢いを遂げています。


そもそもその奇跡が無ければ、


何も、無かった。


すべて、無かった。


私たちが今ここに居られることは、

武者震いが止まらなくなる程に、本当に、


奇跡が幾重にも幾重にも幾重にもかさなっていて。


あなたの存在そのものが、

眩いばかりの奇跡に包まれていて、輝き過ぎて直視できない程だということに、氣づきます。


そしてそんな奇跡のようなあなたと、
奇跡のような私が出逢うなら、


もう、言葉では表現しようのない、奇跡ですね…



だから、すべての人は、光なんですね。





人として出逢えたこと、痛く幸せに思います。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子



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うれしいとき、雪崩のようにうれしいことが訪れて、

つまずくとき、次から次へと横ヤリが入って。


出来事は、まるでスパイラルのように、立て続けに起こることがあります。


ある一定の容量を超えたとき、表面化するとしたら、
表面化し始めたら、

あちらでもこちらでも、姿が表れるものなのかもしれません。


何でも、良くない周期というのは、
もうすぐ抜けるというときが最も危険です。


夜明け前がいちばん暗い。

ということと似ていますね。


今年後厄の私は、それを理由にというわけではありませんが、
そういう時期なのかもしれません。


けれど、
ことだまの中に、浄化を求める方法もあります。



浄化を促す音。それが「ふ」。


「ふ」は浄化、そして「福」を呼びこむことだまです。

息を「ふーーーーーー~~~っ」と「吹く」。


方向性を決めること、

浄化の力を持つ「ふ」のことだま。


方向性を決めるためには、受け入れること。


起きた出来事に、
「一体なぜこんなことが起きなきゃいけないの…」と嘆くよりも、

「これは起こるべくして起きた」と事実をありのままに受け入れると、
方向性が見えてくるのかもしれません。


「ふ」の母音は「う」。
「う」は受け入れの音ですから。


ふーーーーーー~~~っと、

思いきり息を吐いて、

空気をふるわせて、浄化する。


起こる出来事を避けたり除けたりするためではなく、

起きた出来事を受け止めて、

それでも体に溜めてしまった嫌な思い、混沌とするもの、ストレスを、

自分の中から外へと出ていくことをイメージしながら、息を吹き、

「福」(ふく)を呼びこみましょう。



お風呂の中で、ふぅーっも気持ちいいし、

タンポポの前での、ふぅーっもお気に入り。






今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子


1年前の5月19日。

この日があったから、私は、ブログを書いてみようと思えました。


沢山の人から愛をもらってきた。

そのぶん、

これからはもっと、覚悟を持って、もっと本氣で、
人様のお役に立てるようになるために、自分にできるすべてをしようと思いました。


これまでもブログで何度か紹介してきた、
こちらがその、5月19日のことを書いたブログです。

神様が舞い降りた生涯最高の5月のこと

これだけ母に愛をいただいて、
私は、
母を、両親を、必ず元気にさせると誓ったし、

それだけでは不十分で、

さらに一層、人様のお役にも立つんだと、誓いました。


私がやっていることを、ブログやFacebookの中で見ている方には、
私の活動が多岐に渡っているために、混乱を招き、

色々なことをおっしゃる方がいらっしゃいます。


ただ、私の信念は揺るぎません。いつも一貫しています。


私は、人のお役に立てると確信のあることは、やめません。


どんなにそれが、愚かしいことだと言われても、
やめることはできないんです。


本当に、ロックバンドおかんが、
多くの人たちの心を救うと、本氣で思ったから、本氣で応援しました。


本当に、名前のことだまが、
一人ひとりの方に、自分は必要で生まれてきた大切な存在だと氣づかせてくれると、本氣で思ったから、取り組んでいます。


本当に、健康な身体が、
一人ひとりが、その人らしい人生を全うするためには絶対に必要だと、本氣で思ったから、人の健康も本氣で考えます。



本質はどこにあるのか?

本当のことは何なのか?


イメージ戦略の中に漂うように生きるのではなく、

一人ひとりが、自分の頭で全うに考え、
肌で感じることができるように。

本当に素晴らしくて輝かしくて尊すぎる一人ひとりのひとが、
自分自身から湧き上がってくる選択で生きられるように。


互いに違いを認め合いながら、

【和】の精神で生きられるような、

そんなことが本当に大切だと、本氣で思うから、


私は、私だけのプライベートなこと、
恋や結婚や、自分自身の仕事や、

そういった、我が都合よりも、


少しでも、そんな世の中が来るようにと、
願い、進んでいるつもりです。


そんなことは、
誰に望まれたわけでもありませんし、頼まれたわけでもありません。

勝手にそんな風に考えて、
勝手にそうしているだけです。


私も勝手だけれど、

同じく他の方も勝手に生きる権利があるから、

知らない他の人を、知らない他のことを、悪く言うこともありません。


ただ、単純に、

人の噂話や、足元をすくおうとする人並みの中というのは、
とっても、疲れます。


疲れるなんて単語をブログの中で使ったのは、初めてかもしれません。


でも、実際、疲れました。とっても。

そして、私の身近な大切な人たちもきっと、疲れていると思います。


それでも。


間違っていないことは間違っていない。

真心でやっていることは真心でやっている。

誰に恥じることもない。


みんなみんな、最後は命に終わりがやってきて。

その時は、きっと、

世間体を氣にして生きたから、よかった~とは、きっと、思わない。

自分の心に従って、正直に生きて、よかった~と、きっと、思えるのじゃないかな。


私は、そう、思うほうで。


けれど、人間だから、時に、疲れることも、あるものですよね。


そんなときは、休みます。

心までは死なないように、信念までは死なないように、休むんです。



栄養のことを、きちんと知りたくて、勉強したくて、
サプリメント管理士の資格も取りました。


今日、届いてたんです。
ホッ。

この世界では、肉体をいただいて生きているのに、
その肉体の原材料を知らないということが多いから。

身体が何で出来ているかもしらないのに、
身体を動かせるって、すごいことです。


だけどやっぱり、ちゃんと知っておきたいから。

両親がなった、がんという病気に、
みすみす色んな人に、なってほしくないから。






今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子




あと、1週間。


先が長いと思った日も、沢山たくさんあったけれど、
ここまで来てみると、やっぱり早かったなぁ。


いつからか、
ブログは、書き溜めをすることなく、毎日書いて、アップする。

と決めて、
ただし1年間は、と思ってきました。


お付き合いの飲み会で深夜に帰宅し、
お風呂に入ると明け方になり、

布団にくるまって携帯握りしめ、なんとか書こうとふんばって、
気づけば朝になってしまったことも、一度二度ではなく。

それでもその朝と、夜とに書いて、毎日分として書き、


どうしても、今日は書けない…
と、気持ちが落ち込んでどうしようもない時も、
一度二度ではなく。

それでもなんとかかんとか、言葉を紡ぎ…



だけれどそれというのは、
私に限ったことじゃなく、どなたでもそうだと思います。

Facebook、Twitter、ブログ、
何か常に発信している人の多くは、

単なる愚痴や批判のようなことを垂れ流すのは、公害だと、認識しているから、


本当には、
心の奥で感じている葛藤や苦悩があっても、

楽しいこと、楽しそうなこと、
素敵なこと、綺麗なこと、美味しいことを見つけて、

発信しているから。


結果として、誰もが、

「皆は、楽しそうでいいな。」

そんな風につい、思ってしまうのでしょう。

まるで、自分だけが、辛い、かのように。


SNSが身近な存在になって一層、

人を羨む傾向が増えた、ということも、あるのかもしれません。


けれど考えてみればわかる通り、

人も、自分も、あの人もこの人もみんな、
いいことばかりがあるはずはないのです。

見えている部分だけが全てじゃない。


もっともっとみんな、
いろんなことを抱えて生きている。



この1年近く、
どんなことがあってもとにかく毎日。

と、自分との約束を守ってこられて。


【未完成でも進む】


という、自分の苦手としていたことを、少しは出来る、
自分を許せるように、なったと思っています。


最初は苦痛でした。

こんなしょうもない記事を書くくらいなら、書かないほうがいい。
と、何度も何度も思ったことがあります。


それでも、
どんな状態でも進むこと、
とにかく続けること。


自分との約束であり、記録、訓練として、
とってもよかったなぁ~と思っています。


365日目のブログを書いたあとは、今度は、

本当に、書きたいこと、書きたい時、
本当に、ブログとして残しておきたいことだけを、

ブログに書く。


気が進まないのに書く、ということは、もうしません。

今度は徹底的に、自分の気持ちに正直に。


固まっていなくても、ふんわりしていても、書いてきた、これまでと違って、
今度は、

書いた時というのは、本当に、皆さんに読んでほしい!
という気持ちで書くと思いますので、

その時はぜひ、読んでやってください。


いよいよあと1週間というのに。

特別なことは何も書けない、今日なのでした。


でもね。

どんな自分でもいいよね。

そんな風に思えるようになることが、
実はとっても、大事なことだったのかもしれません。


だいじょうぶ。

わかってくれる、見てくれてる人も、きっといるよ。




今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子






どなた様もお疲れさまです!


今日はいよいよ、
「名前のことだま・みなおしワークショップ」の開催日。

と同時に、ことだま入門講師として初めてのセミナーでした。


これまで、ことだま個人セッションを受けてくださった、
近隣にお住まいの方を対象に、

お昼2時からと、夜7時からの2回に分けて、
自宅で、みなおしワークショップとして開催。


ホワイトボードとペンは、ずっと前に購入していたのに、
消すものが無いことに気づき、お昼前に慌ててホームセンターに買いに行くというハプニングはあったものの…

なんとか無事に、皆さんに愉しんでいただけたのかな?
と思います。


お昼の部は、めぐみさんと、わたるさん。



もともと、わたるさんとはお友達で、
わたるさんが個人セッションを受けてくださった日、

その感想を、Facebookに掲載してくださり、
それを読んだめぐみさんが、私も受けたい!と、
個人セッションを申し出てくださったのです。


そして夜の部は、
ともこさん、けんじさん、しんやさん。



3人は、昨年の3月、
ことだまの先生、山下弘司先生に新居浜でセミナーをしていただいたとき、
出席してくれていたメンバーなので、

前半のセミナーでも、
私なりに多分にアレンジをして、お伝えさせていただきました。

というよりも、
即興でいろいろと伝え方のアイディアが出てきたところもあって、

そんな瞬間は、自分自身でも喜びを感じます。


前半は、セミナー形式。
後半は、皆さんそれぞれのお名前の意味を復習すると同時に、
他の方のお名前、役割を一緒に聴いて、考えていただくというようなもの。


個人セッションは回数も重ねてきて、
ある程度慣れてきたのですが、

ホワイトボードを使って何かを説明する、講師として話す、
ということは、今回が初めてで。


その初めては、
これまでセッションを受けてくださった方をまずは、
対象としたいと、呼びかけさせていただいたのでした。


これから、もっともっと良くしていきたいですし、増して、
全く初めて!という方にお伝えさせていただくワークショップならば、

また、今回とは違った内容、違った雰囲気になると思いますので、
まだまだ、初めての感覚は続きそうです。



以前からひそかに、ドキドキドキドキしていた今日が終わって、
かなり、ホッとしています。

本当は意外と?小心者なんです(笑)


でも…

この大切な、名前のことだまのこと、
お伝えさせていただく役割をいただいて、

本当に、嬉しいです。





今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子





ただいま東京より、帰路についているところです。

今日はこれまでのどんな滞在よりも、
充実の東京でした。


それもこれも、まずは早起きのおかげ。


早起きは三文の徳とは、本当によく云われたものです。


三文の徳の三文とは、今の価値でも概ね30円とか40円くらい。

ん?あまりお得じゃない?

と感じられますよね。


でも、早起きしただけで、30円40円入ってくるとしたら、
冷静に考えるとやはり、お得です。

毎日早起きだと、毎月約1000円です。


ものすごいお得だから、早起きしましょうね!
というよりは、

得と思うかどうかはあなたの心持ち次第だけれど、
丁寧な気持ちで考えれば、やはりお得なことなのですよ、

という意味ではないでしょうか。


また、得と書かずに徳とされているところも注目ですね。



今日の私は、まさしくそんな感じでした。


別に、得するから、という気持ちで早起きしたわけではなく、
いまこの1日を振り返るとき、結果として、
とっても有意義で喜びに満ちているから、

あぁ…やはり三文の徳であったなぁ…
という感覚です。



朝4時に起きて、まずは靖国神社に向かいました。



7時集合で皇居ランに参加する予定だったため、
ランニング姿での参拝となったことだけが少し残念ですが、

大切なことは、形よりも心。


実は私と同じく、6時の開門を待ってらっしゃる方も、
比較的ランニング姿の方が多かったです。

開門まで時間があるので、慰霊碑をじっくりと拝見させていただきました。


常陸丸殉難記念碑。
田中支隊忠魂碑。

辺りには誰もいません。
声を出して、その隣にある説明文を読ませていただきました。





当時の言葉で、実況中継するかのごとくの文面で、
読めない漢字や、意味の分からない言葉も出てくるのですが、

それでも、次第に、目頭が熱くなってきました。


周囲にいた鳥たちが、急に大きな声で鳴き始めました。
一羽や二羽ではありませんでした。


もしかすると…
声に出して読み上げる人などそうそう無く、

英霊の皆様に届いたのでしょうか。


届いてほしいという気持ちで、
少しばかり、ハリのある声で、読ませていただいたのでした。


さて、そろそろ開門のとき。


待っていると…
さぁ!今!という時、真っ白な鳩たちが、沢山たくさん、

門の上に集まってきました。

と、それに感激している間もなく、



6時になると同時に、

ドン!ドン!ドン!ドン!

なんとも言えぬ太鼓の音が鳴り響き続けます。


これではどんな人でも、荘厳な気持ちにならざるを得ません。


私や他の待っていた方々も、
ますます本氣になり、背筋をピッと伸ばして、

綺麗な一礼と共に中に入らせていただきます。


そして、真っすぐと脇目もふらず、本殿へと颯爽と進みました。

本殿前に到着する頃、太鼓の音が消えました。


私は心静かに、けれど強い気持ちで、
しっかりと二拝二拍手ー拝。


これまで生きてきた中で、
最も高らかな、良い柏手の音が響いたのでした。

よかった…
ここに来られて…

開門前に来られて…


そして、私たちの参拝が終わったあと、
中におられた警備の方が、参拝していらっしゃいました。





本当に清々しい気持ちで、靖国神社を後にしました。


その足で今度は皇居を目指します。

二重橋前で、コーチングの平本あきおさんやそのお仲間と、
皇居ランをしようというお約束が、7時だったのです。


東京に出てくることがあったらまた連絡してね~!と言ってくださってたことが気になっていて、
今回の東京出張をお伝えすると、

初日の夜参加したフセンセミナーと、このランに誘ってくださったのです。


セミナーはともかく、
ランなんて…私にはちょっと、ありえません。

実は私は、心臓があまり強いほうではなく、
というのは言い訳ですが、

この10数年余り、思い起こしても、走るということをした記憶がありません。


けれど、皇居ラン…という響き。

早朝の皇居の空気も感じたいし、皇居ラン…と云われると、
なんだかどうしても行ってみたい気持ちになり…

第一、私は、基本的に、
誘われたら必ずそこに意味があると感じ、

可能な限り行くように努めるほうなのです。


ということで…あり得ないのだけれど、行ってきました!







これは…


楽しい!!

皆が居てくれるから走れる。

皇居という素晴らしい環境だから走れる。


スタートした瞬間から、あ、もう脚動かないかも(笑)
と思ったのですが、前に前に行こうとすると、次第に慣れてきます。


結果、一周5kmのところ、2kmまでは走りました。

残りは歩き。

たったの2km?!と言わないで~
私には、これまで、1kmがやっとだったんです。

自己新記録を、倍の記録で更新してるんです!

これは凄い!

とっても爽やかな汗と気分で、
再びホテルに戻り、サッとシャワーを浴びてから、

今度は渋谷へ、スキンケアのセミナーに。


このセミナーも実は…

ものすごい衝撃でした…


美容部門の最高峰の方が、
「週に1度の正しい洗顔で、医薬ピーリング同等の効果を促す方法」

を教えてくださったのです。



気をつけるポイントが、沢山ありすぎて到底覚えきれませんでした…
ので、その方の出版されている本を購入しました。

とにかく衝撃でした。


ターンオーバーの改善は、ピーリングでしか出来ない、
と多くの美容関係の方は思ってらっしゃると思いますが、

単に洗顔だけで…
それを覆すことができるのです。


高いお金をかけるというものでもありません。
本当に、驚きでした。


私は、

【それぞれの人が、生きている間、一生懸命それぞれの使命に向かって、
輝き生きるためには、自分自身の心の扱い方と、身体の扱い方を知っていなければならない】

と考えています。


心技体。


どんなに心は清らかで希望に満ちていても、
身体が不健康では、心に描いた通りの動き方は出来ません。


どんなに身体は健康でも、
自分はこの世界に必要のない人間かもしれない…なんて思っていたら、
本来の役割を果たせまん。


心と身体のバランス。
自分自身の原材料を知り、取り扱い方を知る。


それで初めて、
真に自分の求める使命へと邁進できると実感しています。


ランが出来たのは、皆さんが居てくださる安心感と皇居の雰囲気は心の影響。

加えて、運動は出来ていないけれど、
自分の身体を構成する原材料を意識し、

大気にも水にも栄養素にも、
感謝しながら良質なものを摂ってきたから。かもしれません。

運動を日頃からしていれば…
一周全部走れたかもしれませんが(笑)


その意味では、美容面は、
どちらかというと、身体よりも、心に効くのかもしれません。

肌表面の改善は、身体の改善には繋がらないけれど、
特に女性は、肌が綺麗になれただけで、気持ちが本当に明るくなりますものね。



そのまま、コロコロを転がしながら、
明治神宮へ向かいました。





ここでは、大変素晴らしい氣が出ているのに反して、
訪れる人たちの空気が、完全に観光気分。

原宿という場所柄もあるかもしれませんが…


半数以上と思われる人たちが外国人の方々。
これは良いことです。

日本人の心に触れてみたい、と訪れる方が多いのです。

ひとつの王朝が途絶えることなく続く、世界唯一の国、日本の不思議。


日本国民から慕われ続ける明治天皇とは、どのようなお方かと、
少なからず期待されていらっしゃるわけです。


そこで参道には、本当に数々の、
明治天皇と昭憲皇太后様のご功績、その慈愛に満ちたお言葉、行動の数々が、

日本語と英語で、ずっと掲示されています。





私たちは、いよいよという気持ちで、
本殿までの長い道程を行きます。


しかし。

もうはじめから氣づいていたのですが、
参拝客の様子が、あまりにも良くない。

外国人の方ではありません。
外国人の方はよいのです。何も知らないのだから。


日本人がよくないのです。

それぞれの鳥居をくぐる前の一礼も、
帰り出させていただいた後の一礼も無い。

そもそも、手水も殆ど誰も使っていない。

驚いたことに、結構年配の方でも、です。


私はとても口惜しい気持ちになりました。


外国人の方がとても多く、
本来の神社の歩き方をしない人のほうが多い。

だからといって、その雰囲気に、流されているようなのです。


日本人ばかりで、ある程度それらの作法をする人が居れば、
それはそれで、真似をして、作法をする人のほうが多いという状況が生まれます。

反対のことが、明治神宮では起こっていました。


本当に口惜しい。


外国人の方が多いからこそ、
日本人の本来の作法、作法とは心の在り方が自然と形に現れることですが、

それを見ていただくべきであるのに。


鳥居の前で1度止まり、一礼する日本人を見て、
おお、これが日本人であるのか、と、

本殿前で90度の拝を行い、高らかな柏手を打つ日本人を見て、
おお、これが日本人であるのか、と、


見ていただくべきであるのに。


婚礼の儀だけが、注目の的になるのでなく、
そうした日本人の当たり前の所作に、ハッとしていただけるよう…



天皇陛下を象徴とした私たち日本国民の在り方を、
この明治神宮などでは殊更に、改めて考える場であるはずなのに。


このようなことは本当に、
親から子へと、ずっと、伝承されていってほしいなぁ…
と、心から、願います。


私は、精一杯、背筋を伸ばし、
日本人としての感謝と誇りを胸に、歩きました。


また、御苑では、
昭憲皇太后様も、時に釣りを愉しまれたという池を見ることが出来ました。



近くに、集まってくる鯉たちを見ていると、気がついたら自然と、
鯉たちを喜ばせたい気持ちになって、

「ごきげんよう。皆さん、お元気でしたか?」
と言っていました。


この鯉たちも、きっと、皇太后様にお目にかかりたいだろうに…



そう思うと、皇太后様ならばこのようなお声をかけるのではないだろうかと思うことを、
言っていました。


変な人ですよね(笑)


でも、靖国神社で慰霊碑を読み上げたように、鯉に声をかけたように、
自然や動物や、特に神社のような場所にいるときは、

その場所にいらっしゃる自然、動物、目には見えない方々、物事に、
少しでも喜んでいただくために、足を運んでいる、

そんな氣が、自然と湧いてくるのです。


そして、日本では特にそのとき、
音が鍵になると知っているから。

声に出して、表現します。



今日は1日で、
みっつの初体験をしました。

初めての靖国神社参拝。
初めての皇居ラン。
初めての明治神宮参拝。

この意味では、三文の徳…

どころでは、ありませんね。


あまりに沢山のことがあった1日で、
ずいぶんブログが長くなってしまいました。

もうすぐ、岡山です。
今夜は早く眠ろう。そしてまた、朝早く起きよう。


明日も引き続きの初体験。

ことだま講師としての、セミナー開催日です。


今の等身大の自分を、皆さんに感じていただけたら、と思っています。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子






どなた様も、お疲れ様です!

東京2日目、
ケーブルテレビ局営業研修を終えました。

これはシリーズ物で秋まで続きますが、
これまでのどんな研修よりも、抜本的で具体的、
勉強になる、というよりは、実践するための本格的な研修。

自社が圧倒的に欠けている部分、また他社にない良い部分、
営業部門からかなり浮き彫りになってきました。

営業部門の方々に、いち早くシェアしなければ!


という思いを胸に、三菱一号間美術館内のカフェでご飯です。

美術館オープン時間内には来られませんでしたが、雰囲気だけでも…


昨日はあまりにスケジュールがタイトで、食事を取る暇もなかったので、

ちょっとヤケ気味に、イカ墨のパスタなど食べちゃいました(笑)




昨日は、研修後さらにセミナーを受けに赤坂へダッシュ…

というのも、コーチングの平本あきおさんが、自社ビルでセミナーを開催されるということで。

新刊【フセンで考えるとうまくいく】出版記念セミナーで、
フセンの活用術を教えてくださるとのこと。



沢山の方がおいでていました。



フセン…

目からウロコ…

フセンを侮るなかれ。です。

これはホントに、コーチングだけでなく、何かの意思決定をするとき、
たとえば、

友達と旅行の行き先を決めるとき、
会社の会議で意見を出し合うとき、

フセンを活用すると、
明らかに効率的です。


驚きました。

早速フセンを買わねば!

強粘着のものを(笑)


あきおさん、ありがとうございました。



それから、たまたま隣に座ってくださったまいこちゃんも、
既にコーチとして活躍されている方だったので、二重にラッキー!

私の横に座ってくださった瞬間から、
あ、この人は好きなひと。
と感じました。

案の定、ワークの中で、似ている部分がどんどん出てきました。


遅れて行ったからこそ、後ろの席しかあいてなかったからこそ、
スタッフだった、コーチのまいこちゃんに出会えました。



まいこちゃん、ありがとう。
これからも繋がっていけそうな予感です。


さてさて、今夜はもう、就寝します。

というのも、
明日は始発で九段下まで行き、靖国神社参拝をさせていただいた後、

7時から、平本あきおさん達と皇居ラン!

の予定。


「走る」という行為そのものを、
もう十数年していないような気が…

スタート後すぐコケてしまいそうなんですが(笑)


せっかくお誘いいただきましたし、
皇居周辺の早朝の空気を感じられるということで、行ってまいります!


そのあと午前中のうちに渋谷で美容関係のセミナーを受けたあと、
明治神宮にも立ち寄り、上野の国立博物館と西洋美術館にも行けたらいいですが…

あまり欲張らないことにしておきます。

何より…

ランのあと、何の体力も残ってない可能性もありますしね(笑)


さて、4時起きに向け、今夜はおやすみなさい…


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子






2014.05.14

今週も、東へ

おはようございます!



今朝の新居浜駅はとても混んでました~。指定席まで満席。
皆さんどちらへお出かけなのかな。


私は午後から丸の内で研修を受けるため、東京へ向かっています。
営業力強化ということで、J-COMさんの本社へ。

これから秋まで、ほぼ毎月通うことになります。


せっかくの東京ですので、そのあとに休日をいただいて、
大好きな美術館巡りや、色々なセミナーに参加したり、知人に会ったり、
有意義な時間を過ごしたいと思います。


また、これまでなら、その休みは東京でそのまま過ごすことだけ考えたのだと思いますが、
今はひそかに、そのまま福島に向かえないかと考えてしまいます。


今回は1日だけの休みなので難しいですが、
2日休みが取れたら、東京からなら向かえます。
先週行けなかった福島市内に、行きたいのです。


今回の東京では、コーチングの神様、平本あきおさんにお会いできることになっています。

コーチングという言葉、今でこそメジャーになっていますが、
あきおさんは日本のコーチングの第一人者と言ってもいい方。
コーチングの分野では最も信頼できる方だと思っています。


セミナーにも参加させていただき、
早朝皇居ランもご一緒させていただきます。

皇居ラン…

皇居周辺に身を置けることは大変幸せですが、ランは…コケそうです(笑)
ケガしないようにがんばります(笑)


またこの他、美容関係のセミナーにも参加して、
靖国神社参拝も、時間があれば美術館も…
と欲張りますが、

一箇所の滞在時間がいつも長い私なので、
色々な場所に移動できるかどうか…


よく、色んなところに行って旅慣れているね、
と言っていただくのですが、

慣れてはいるのかもしれませんが、素早く移動することは未だに苦手。

効率を考えるているはずのに、効率が悪い。

移動のコツ、ご存知の方ぜひ教えてくださ~い。


今日もたくさんの学びと出逢いに感謝して。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子


2014.05.13

今を生きる

『今を生きる』 というと、


過去の

喜びも、楽しさも、悲しみも、辛さ、恨みがましい気持ちも、


未来の

大切なことへのワクワクも、願いも、不安も、心配も、


すべてを置いて、


今、ここ、に精一杯生きる。


良き言葉のように思います。


大切なことは、これから先、どうしていくか。


だから、
良くも悪くも、過去に囚われて、過去の延長線上の未来を生きてはいけない。


良くも悪くも、未来を気にしすぎて、今に集中できなくてもいけない。


未来は、
今、この瞬間の、積み重ねでしかないから。

この今、この瞬間に、積み重ねていくことにのみ、
強く、集中していなければ。



とらわれない。


そのためには…

結局のところ、ゆるすしかないのかもしれません。


いかなることも、ゆるすのです。


ゆるすことができるようになるためには…

すべては、ひとつだということを、知るよりほか、ないのかもしれません。


あなたも、私も、あの人も、
あの木も、この猫も、

すべては、ひとつなんだと…



誰かのしたあのことは、
私の一部。


ごめんなさい。

ええ、いいのよ。


すべてのことは、ひとつだということを。



ほんの10秒間、

この花を見つめて、ただその美しさを、感じてみたら。



ありがとう。咲いてくれて。

いいえ。私のできることをしているだけ。

ありがとう。




だけれど、日本語って不思議ですね。

今を生きる、ということも、

今が良ければ、ということも、

ほんの少し言葉を変えただけで、
似ていることなのに、全く違うことになる。



ほんの少しだけで、逆の意味に思えることがある。


ただ、溶け合いたいだけなのに。


時に言葉も何もなく、ただ感じることができたなら…


そう、思うことが、あります。



さて、明日から東京出張です。

今月は、
先週北陸・東北、今週東京、来週関西と、日本を横断!

幸せだなぁ~


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子




私は幼い頃から、なぜだか、


男女が結婚ということをするときは、
必ず、

男の人がしたいということを言い、
女の人はそれにしたがってゆくもの、

と、思っていました。


誰に教えられたわけでもなく、
周囲にそのような事例が多かったかどうかもわからないような時から、

なぜだか、そのように思っていました。


たとえ、
女の人から言い始め、女の人のほうが結婚しようとしても、
きっとうまくいかないものだろうと、思っていました。



私は、社会的な役割の中でも、比較的、
いつも男まさりに考え、行動するほうで、

そのような、まるで控えめな女性のような考えが、
似つかわしくないようにも思うのですが、


男女の結婚、というところに関してだけ、
どうも、その考えが、頭を離れてくれません。


それ以外の部分では、主体的・積極的な自分なのに、
その部分に関してだけは、常に、男性にお任せしようとしてしまうのです。


これがどうやら、時代の流れと逆行している様子ですが(笑)



ずっと不思議だったのですが、

はじめて古事記に触れたときに、

なるほど…!と驚きました。


日本という国土を形づくった、
男神イザナギ・女神イザナミ。

二神は神聖な柱を立て、広い御殿を建てました。

その神聖な柱を互いに回り、出会ったところで、結婚することにしました。


イザナギは左から、イザナミは右から回って、二神が出会うと、

イザナミが先ず「ああ、なんとすばらしい男性でしょう」と言い、

その後にイザナギは「ああ、なんとすばらしい少女だろう」と言いました。


その場所で結婚して、イザナミは子を生みました。

しかし、それは不具の子。うまくいきませんでした。


自分たちが生んだ子が不吉だったので、二神は高天原に上って、天つ神にその理由を尋ねると、

天つ神は、

「女が先に言葉を発したので良くなかった。改めて言い直すように」と諭しました。


二神はまた前回と同じようにに天の御柱を回り、

今度はイザナギが「ああ、なんと可愛い少女だろう」と先に声をかけ、

イザナミが「ああ、なんとすばらしい男性でしょう」と答えました。


このように言い終わって結婚して最初に生まれた子が淡路島。

次に、身体は一つで顔が4つある四国を生み、
次に三つ子の隠岐島を生みました。

次に築紫島(九州)を生み、
次に壱岐、対馬、佐渡島を生み、

大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま)を生みました。



女性から声をかけるとうまくゆかず、
男性から声をかけてはじめて、その後もうまくいった。

この古事記の出来事が、
ひょっとすると、

私の感覚の根底にあるものなのかもしれない。


そう思うと、この部分だけ受け身な自分のことも、
まぁ許そう、と思えるのです。

こればかりは、自分が許しても仕方ないですが(笑)


だけれど、不思議ですね。




今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子



本日は母の日。
ということで、全国であたたかな出来事が沢山あったのだろうなぁ…

と想像します。


私は普段から、両親と共に暮らしているので、特にこれといってはありませんが、
ランチを家族揃って食べに行きました。


そして午後からは、
心をすぅーっとさせてくださる方々にお会いできました。

福山から来られていた、大本タカシさん。

E.S.Pカードを使ったチューニングセッションをしていただきました。

とにかく1度体感してみていただきたいです。


驚きとともに、すぅーっとしてくる感覚。


タカシさんは、相手と自分を繋いで、
相手に今、必要なことを教えてくれます。




『心の力(広さ)』を拡げる時です。


と教えていただきました。




これは実は、自動手記なんです。


マザーテレサにお会いされたことがあり、
マザーが亡くなられた日から、自動手記が始まったんだそう。


それまでは、美容業界でバリバリに働いておられて、
石原裕次郎をはじめ数々の有名人の方々のスタイリングなども務めてこられたのですが、

マザーとの出会いで得た、【愛と感謝で生きてますか?】という問いから、
逃れることができず、心を決めて、

あるとき福山に移住され、美容院の店舗経営をされるようになったそうです。


タカシさんからは、こう言っていただきました。

『心の力を養う時ですね。意識の高さを縦軸に、心の広さを横軸に表すなら、
縦軸の意識の高さは、あなたは既にとても高い。
心の力、心の広さを養うには、人との出会いしかないのです。』


じゅうぶんに様々な出会いをされてると思うけれど、
そのひとつひとつの出会い、ひとりひとりとの出会いから、

より、心の力、心の広さが、養われるんだと思いますよ。



帰宅していま、ゆっくり噛み締めていますが、
とてもわかる気がします。

自分の意識の高さというのは、時に、
心の広さと相反してしまうから。


人と出会い、人に教えてもらい、人を赦す…


そんなことが、私に今、大切なことなのかもしれません。
とてもよく、わかります。


他にもタカシさんに大切なお話を沢山していただきました。

タカシさんのお話にはいつも、心の奥っこを、揺さぶられる何かがあります。

タカシさん、ありがとうございます。





それからもうおひとり、
以前にもお会いした、御年80歳のパワフルウーマン!渋谷昌子さん。

この年齢にしてこの背筋!

いつも笑顔を絶やさずに、独自のお洒落を愉しまれ、
自分に出来ることはなんでもさせてもらうわ、
と優しく語りかけてくださる晶子さん。


こんな80歳がいてくださることは、本当に希望です。




と、これで心がすぅーっとして、
久しぶりに自分の心の内面を、丁寧に見つめられて、

そのまま、友達の美容院に行くことにしました。




何年かぶりの、パーマ。

ストレートすぎる私の髪は、肩につくくらいの今はどうしてもピンピンとしてしまって、
毎日アイロンが欠かせないので、おもいきって。





友達も気に入ったらしく、ブログに載せよう!と張り切ってました。

パーマスタイルなら、
まとめ髪をしたときも、おくれ毛を出したりできますもんね!


心を見つめ、ちょっとだけ、自分をリニューアルする、
そんな1日になりました。

今日もありがたいなぁ…


すべての出会いは、本当に、必然の出会い…


もっともっと、大切にしていきたい。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子



2014.05.10

【はい】の力

【日常の五心】というものを、
皆さん一度は目にしたことがありますよね。

近頃では、たとえば、
飲食店のお手洗いの壁にも言葉が書いてあったり、
とかくよく見かけます。


一、「はい」という素直な心
一、「すみません」という反省の心
一、「おかげさま」という謙虚な心
一、「私がします」という奉仕の心
一、「ありがとう」という感謝の心


この言葉はそもそも、
釈尊に対する門徒たちの誓いの言葉であるとされていて、

仏教から来ている思想であるのかもしれませんが、


この最初に出てくる『はい』については、

日本の音の始まりの部分から紐解いても、やはり、
素直で人に元気を与える音だということがわかっています。


『は』は、葉のような音。勢いよく拡がるという音。

『い』は、命のような音。命輝かせる音。


言葉の音は、呼ばれないとスネてしまうので、

元気に『はい!』と発するほうがいい。


葉がパァーッと勢いよく拡がる姿は、まさに希望。


そして、
はいっ!と音を勢いよく吐き、吐くことで、入れることができる。

吐くから新しく入る。


『はい』という言葉は、勢いよく発してこそ、
自分にも様々な良きことを入れることにもなるし、
周囲にも希望を与えることとなるのです。


音の始まりを紐解いていくことは、
神道と思想が似通ってくるようですが、

神道において考える『はい』は『拝』。


つまり、二拝二拍手一礼の、あの『拝』であり、
このときの拝は、

神様に対して直角、90度に頭を下げること。

神様に対して潔く素直に頭を下げることで、
新しく入ってくる、いただくことがある、ということ。



仏教でも、ことだまの観点からも、神道からも、
大切なことは、共通しているものですね。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子




日本の言葉というのは、本当に美しい。


目で見た、読んだものを、
頭の中にその世界を広げたときの広がり方は、
とても、まろやかで。

うっとりとする。



言葉は、声に出して、音を出してこそ、
さらなる力を発揮するのだけれど、

音にすることは、ある種の、色を付けてしまう作業でもある。


だから、責任はあるのだけれど、

声に出して、いちばんその言葉が生きるように、一体となって、発してみたいなぁ…

そんな願望があります。


つまり、朗読のようなこと。


私は仕事の中で、ニュースを読ませていただくこともしていますが、
この時に気をつけることは、なるべく、無機質に伝えること。


自分の感情は介在させずに、

なんとなく、ながらでニュースを聴いている人に対しても、
その内容がありありと聴こえてくるようにするために、

正しいイントネーションと息継ぎ、間合い、速度を、
調整しながら、

あくまで無機質に読むこと。

それにより、特段聴く気に溢れていない人にも、よく意味が通る。



一方、朗読は全く逆。

言葉の中に、自分を生かし、その物語の中に自分が生きて、
心いっぱいに表現する。

結果として、言葉がもっと強い光を放つ。


朗読はながらで聴くものでなく、
耳をそば立てて聴いてくれるから、

息遣い、唾を呑み込む瞬間まで、
共にする。



3年前、取材でたまたま出会った、
新居浜で写真撮って言葉を書いている、太田初夏さん。

この方の言葉、感性が、
とても繊細で、痛いほどこちらに入ってくるので、

本当に素晴らしいから、ぜひ続けてほしいと絶賛したのですが、
いま3年越しにまた、太田初夏さんが、画廊喫茶さぼうるで個展をなさっています。


お昼に寄らせてもらいましたが、
やっぱり…

声に出して、まろやかに染みこませたくなる、言葉たちでした。





日本の言葉は、本当に、美しい。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子




2014.05.08

海の中で

言葉の波、人の波、思いの海、


綺麗だなぁ~ 色々あるなぁ~


浸かって泳いで、溺れそうになったなら。





私は貝になりたい。

なんて、言ってみても、いいかも。



っと、貝になるわけにもいかなかったので、

しばらく家を空けていたし、
衣替えでもしておこうと、会社から帰ると無心で洋服たちの入れ替えをしていました。


来週は東京、再来週は京都・大阪。

今月も盛り沢山です。


どこへ向かっているのか、
この先に描くゴールが本当にあるのか、

ちっとも見えなくなって、
いっそわんわんと泣いてしまえたらどんなにいいか…


と思うときがある。


涙することも多い私だけれど、
それは決まって、感情がほどけた時に限るから、


自分自身の問題で、課題に向かっているときなどは、
驚くほど、悲しいほど、一滴の涙も出ない。


積み上げては壊れ、
積み上げては壊し、

そうしながらでも、歩き続けていくもの。


そしていつでも、笑わせてくれるのは、
美しい自然だ。





今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子


『笑顔って、素敵なものですよね』

この言葉に、いいえ、と答える人は、あまり居ないですね。
笑顔とは、万国共通で、素敵なもの。


笑顔が魅力的な理由。

そんなことは、私よりもきっと、皆さんのほうが、よくご存知だと思います。


だけれど私がそれを知ったのは、まだ最近のことです。


東北から帰ってきて、すこしずつ、
自分の中でいろんな思いが湧いてきます。

心を打つ笑顔に出会って、
本当のじぶんを少し、書いてみたくなりました。


私が接した東北の女性たちは特に、
とても明るくて、元気で、笑顔がとびきり素敵でした。

ほんとうに、元気を貰いに行ったようなもの、というくらいに。





けれども本当は、明るく元気である、はずがないのです。


三陸沖の方々は皆、それぞれ、
肉親を亡くしていたり、近所の人を亡くしていたり、

家を無くしたり、持ち物すべてを無くしたり、

人を助けられなかった、事態を防げなかった、という悔しさに、
自信も、自分の存在意義も、感じられなくなっていたり…


ひとりひとり、本当に辛い思いをされています。


乗り越える、
などというようなものではありません。

それらもみんな、すべて、
彼女らの心の中にずっと、生きているのだと思いました。


すべてを含んだ、そのうえでの、あの、とびきりの明るさ、優しさ…


それがわかるからこそ、
その笑顔の美しさ、明るさに、感動し、泣けてしまうんです。



だけれどそれは実は、東北の方に限ったことではありません。

笑顔の奥のストーリーを、知らないだけで、
本当はどんな人でも、

うまく笑えないけど、笑おうって、
努力しているところが、きっとあるんだと思うんです。


どんな人も、人に言えない辛さ、痛み、苦しさを抱えていますよね。

それでも、笑う。
笑顔を誰かに、見せる。


そんな、それでも笑おうって頑張りを含んでいる、
そんな時があるからこそ、笑顔って、どこまでも人を魅了するのかもしれません。



3年前までの私には、それが全くわかりませんでした。

笑顔が素敵という意味もわからなかった。

自分の存在価値を、感じられていなかった。


人の笑顔をいいなと思うことはあっても、自分自身は、
決して、歯を見せて笑うことなどありませんでした。

どんなに楽しい時でも、です。


3年以上前の写真を見ていると、ことごとく、どれも、口を硬く閉じて、
決して歯を見せようとはしていません。







この写真の頃までが、ターニングポイントだったように思います。

この後くらいから、歯を見せて笑うようになってきました。


この頃までの私は、

【人に弱みを見せる=つけこまれる。危険】という発想の持ち主でした。


だから、楽しい時も、失意の時も、決して油断することがありません。


特に、本当に自分が壊れそうな程辛いことがあった時…

『このくらい、何でもありません。全く平気です。』
というような顔をするように、出来てしまっています。


これは恐らく、
小さな頃にあった、いわゆるイジメというものが原因だったように思います。

イジメられて、辛そうにしたり、弱っていたりすれば、
余計に面白がって、つけこまれて、もっとエスカレートするに違いない、

平気なフリをして、気づかないフリをして、
なーんだイジメてもつまらない、という風にしなくちゃ、

という意識が、自動的に働くように出来てしまっていました。


今では、
歯を見せて笑顔になることは、出来るようになりましたが、

未だに、
ここぞという辛いときには、やはり、辛くないフリをすることが染みついています。


辛いとき以外でも、比較的、
ネガティブな発想の上に、予防線を張ろうとするところがあります。


道に迷ったときほど、よそ者と思われ狙われなよう、
迷ってないフリをしてスタスタと歩いたり、

都会を歩くときは、むしゃくしゃしている人の神経を逆なでしないよう、
暗い顔をして歩いたり、


気がつけば、そんな、フリをする癖がついています。



そんな私だからこそ、
笑顔を、存在価値を、求めていたのだと思います。


欲しい、欲しい、欲しい…

けれど、苦しくなっていく一方だった。


だからこそ、

『皆がどれほどこの世界に必要な人か』
を教えてくれた、ロックバンドおかんに、一生懸命になったし、

『あなたがどれほどこの世界に必要な人か』
を私が人に伝えられる手段に今、一生懸命になっている。



笑顔は、

自分の悲しみを越えて尚、それでも、
目の前の人を元気にしたいという、祈り。


笑顔は、

言葉がうまく伝わらなくても、それでも、
あなたとなんとか心を通わせたいという、愛。


沢山のことが込められているから、
笑顔って、世界中のどんな人をも、魅了するんだなぁ~。


そういえば、いま、こんなことを思い出しました。


中学の頃、
国際交流派遣団として、オーストラリアに行かせてもらった時、

私の考えたスローガンが採用されて。

その時の言葉は、

『Let’s find a same smile~同じ笑顔を探して~』

でした。


笑顔に憧れていたんです。
素直に笑えない私だから、とても憧れていました。

笑顔はきっと、共通言語だって、信じたかったから。



今なら、わかる。

笑顔が、魅力的な理由。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子







昨夜は久しぶりに自宅のベッドで眠ることができ、
身体が休まり、幸せな朝を迎えました。

と同時に、ちょっぴりさみしい感覚。


そのまま会社に行き、
アナウンス業務や資料整理などをして、帰宅。



行くと身近に感じる。会うと身近に感じる。
感じる心はあるはずでも、行って会えば、もっと身近になる。


新居浜市民の会の皆さんと、運転を交代しながらの、全行程車移動。
愛媛県新居浜市を出発して、渋滞を避け、北陸道経由で東北へ向かいました。


東北だけでなく、富山や新潟など、
足を踏み入れたことのない土地に立ち寄ることができて。


新居浜に帰ってから、
ニュースで新潟で事件があったことや北陸道で事故があったことなどを知り、
途端にそれらの出来事も、身近に感じるようになるから、不思議です。



宮城県唐桑、つなかんのお父ちゃんも言っていました。



「津波は根こそぎ色んなもん奪って行ったよ。
 んだけんどさ、それが無かったら、こんな何も無い土地さ、
 あんたら来てくれんやったでっそ。
 色んな人がいっぱい来てくれるからっさ、それは津波があったからだもんね。」

確かに、震災がなければ、宮城県や岩手県、福島県という土地には、
もしかしたら、一生行くことはなかったかもしれない。



南三陸町の佐藤さんは、新居浜市民の会の近藤隊長に、

「本当に皆さんにはよくしていただいて、感謝しかない。
 愛媛で何かあったら、僕ら何か助けになりたいと思うけど…できるか自信がない。
 他の地域を助けるくらいになりたいっていうのが、復興へのひとつの原動力になる。」


と話していましたが、近藤隊長はハッキリと答えていました。

「何か返そうなんて、まっっったく、気にしてもらわなくていい!
 僕もここにいるメンバーも皆そうだけど、皆ね、好きでやってるから。
 やりたくてやってるから。本当よ。勝手に好きなことをやってるだけ!」と。


私はまさに近藤隊長が私の気持ちを代弁してくれたようで、
またまた何か溢れて来て泣いてしまった。


帰りの車の中で近藤隊長は更に言っていました。
「僕も他のメンバーもそうだけど、こんな出来事でもなかったら、火がつかなかったら、
 余生をせいぜい畑いじりして、ああでもないこうでもないと言いながら、家族に煙たがられておしまいよ。
 それがね、あんなに現地で喜んでもらえて、新居浜に帰ってそれを話せば、新居浜の人にもわかってもらえて、
 おかげで皆生きがいをもらってると思うよ。」と。


でもそう言いながら、市民の会のおじさま方は、本当に元気で生き生きしていて、楽しい!

最初は、私の父と同じくらいか、それ以上の年齢の方ばかりなので、少し不安もありましたが、
優しくて元気で陽気なおじさま方との旅は、私も本当に楽しかった!

本当に、人って、あったかいなぁと思います。


だけど本当に、そうなんですよね。

私自身、自分の気が済むように、行かせてもらっただけ。

ずっと、ずっと、ずっと、3年間、行きたくても行けなかった、やっと、行く用意ができた、
何の役に立つはずもない自分が、ただ行って、皆さんと少し、言葉を交わして帰るだけ。

何かの足しになったり役に立ったりするわけがない。
それでも行くのは、「行きたいから」。それしかない。

自分が行きたいだけなんだ。
だから、御礼を言っていただくようなことでも、お返ししたいと思ってもらうことでもない。


それでも、佐藤さんは、

「それなら僕らも同じです。なんとかそんな気持ちに応えたい。
 そちらで何かがあったら、何か少しでも役に立ちたい。
 それは勝手に僕らが思うことなんです。僕らがやりたいだけですから。」


なんか本当に泣けてしまいました。今思い出しても泣けてくる。


『私は私のやりたいことをやっているだけ』

お互いが、
自分のやりたいことを通すだけなのに、結果として、お互いを支える結果になる。


そんな人間の営みの姿を、『絆』と呼ぶのかもしれない。


ただ、佐藤さんからは特に、南三陸の悲しい今の現実、
震災直後に起こった、人の絆を疑いたくなるような現実も、沢山聴いてきました。

それらはまた、別の機会に…と思いますが、ともかく、
「よそ者だから役に立たない」なんて思う必要は全くない、ということは感じています。

よそ者だから、言えること、聞いてあげられることも、あるのです。


東北で出逢った皆さん、今日はどんな一日だったかな~?なんて、
思い浮かべながらの、今夜です。




今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

おはようございます。
福島を昨日の夕方に出発して、
今、朝10時半、やっと倉敷を通過しています。



福島へは、マスクをして入りました。

車での東北ツアー、最後は、福島県南相馬市。


実は、東北行きの前に、
小さなことだけれどとても悩んでいたこと、

それが、マスクの着用について。


恐らくはもう、
マスクをしている人など誰もいないのだろうと予想はしていました。


けれど本来、マスクなどでは防げない放射性物質を、
マスクさえしないで過ごすなどということを、
してよい状況などではありません。

マスクをすれば大丈夫ということでもありませんが、
だからといって、しなくていいということでもありません。


もっといえば本来は、
福島県だけでなく、宮城県や岩手県でもそうだし、

関東圏までは当然のようにマスクくらいはしておかなければ。


けれど。

放射性物質は、目に見えない。


私も正直、福島県内に入った瞬間は、
なんとも言えない身体の異変を、僅かに感じたけれど、

すぐに、気のせいに感じられるようになりました。


けれどきっとそれは、気のせいじゃない。


マスクくらいは着用してほしい、そう思うし、
自分も付けたいと思うから、

ずっと付けて過ごそうという気持ちと、

ちょっと来たぐらいの者が大げさなことを、と、
嫌な気分にさせてしまうかもしれないという気持ちで、

少し、揺れていました。


けれど宮城県や岩手県では、とうとう付けることはありませんでした。

あまりにも、空が綺麗で風が気持ちよすぎて…




今しか居ない自分としては、

防ぐよりも、感じたい。

という気持ちが優先しました。



だけれど、さすがに、福島県内に入る時には、身構えました。

車内にいて、ウトウトとしている時に、
福島県内に入っていたのですが、

急に咳き込み始めて、
これはいけない、と慌ててすぐマスクをしたんです。


南相馬市小高区の、
9つの町、200戸の人たちが生活している応急仮設住宅へ、

甘夏たちをお届けに行かせてもらいました。



皆さん本当に、一様に優しくて、明るくて、元気で…

しかし仮設住宅の中でも世話係をしている方の苦労もあります。

仁木さんはお礼にと、手作りの小物をくださいました。




それから、居住禁止区域に住まいがある、金子さんが、
ゴールデンウイークの一時帰宅を許された期間ということで、

ご自宅周辺を案内してくださいました。



庭の中でも汚染がひどいのは、
屋根をつたって雨が落ちて溜まるところ。

ガイガーカウンターが鳴り止みません。




除染中と書かれた不自然なピンクの旗が、
そこらじゅうをはためいています。



「あと2年で終わりますって言うけんどぉ~、
もうだぁれも帰ってきたいとぁ~、思わねぐなってきたぁ~」


住み慣れた場所に暮らしたい気持ちよりも、
一体いつ帰られるのだろうと、

いま居る場所を、仮の居場所としか思えない状態が、
いつまでも続くことに、疲れた、という気持ちのほうが、

大きくなりつつあるようです。


さらに福島原発に近づいていくと、

浪江町に入る手前で、完全立ち入り禁止。







本当に、あの3年前の3.11の事故というのは、

被災地、被災者とひとくくりにするにはあまりにも違いすぎる違いがあります。


漁師町で有名な宮城県の沿岸部では、
津波による甚大な被害を、

震災当日から、目に見える形でまざまざと見せつけました。


原発からほど近い福島県では、
一見すると町は何も変わっていないように見えるのに、

決して人が住んではいけない場所へと変わりました。


全く性格の違う、ふたつの被災地を生んだ、福島原発。


これからの課題も、大きく違います。


離れた場所にいる私たちに出来ることは、意外と大きいと思いました。


というのも、
被災地の方々は、自身の居る場所の出来事で精一杯で、

すぐ隣町の状況を、全く把握していないのが現状です。
3年経った今でも。


それほど、自分たちの暮らしで精一杯だということです。


けれどこれは、大きな弊害を生みかねません。


離れた場所にいる私たちの言葉だから、
素直に聴ける、という部分も、多分にあるようで。

町同士の橋渡しをする役目もできるように思います。


実際、甘夏のお返しにと、宮城県でいただいて来たワカメやふのりなどを、
福島の人たちにお渡しすると、

福島の人たちも、
「私ら原発のことで大騒ぎしてたけど、あとで分かったら、
宮城の沿岸部の被害は本当に恐ろしかったんですよね~。気の毒でなりません。
家も家族も亡くしたって、私らより辛いでしょう。」

と、気遣われていました。


とは言え、目に見えなく、わかりにくいからこそ、
福島の放射性物質による被害は、これから恐ろしいですし、

福島のほうがまだいい、などとは、私は思わないのです。


これからも長い長い道のり。

共に歩いていきたいと思うと同時に、
この教訓を、必ず次の災害に生かさなければならないと思いました。


災害は、必ずまた、起こるのだから。




今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子





リアス・アーク美術館の、山内宏泰学芸員が編集した図録。

やっぱり、沢山買っておけばよかった。

せめて、保管用と貸出用くらい…


この方の向き合い方が物凄い。


津波とは切っても切れない地形に住む者として、
被災者として、被災地として、

何をどう捉え、どう向かっていくべきなのか。


被災地以外に住む人たちが、

このことをいかにして生かすべきなのか。


自身も被災者であるこの方の、「記録」はもちろんのこと、
捉え方、向き合い方が、本当に、痛すぎるほどに胸に刺さります。



まず、被災地の方々自身の捉え方……


これから先、【自分の幸せ】を優先してはいけない。

不幸にも被害に遭った、なんとか助かった。偶然にも…

偶然という発想は早く捨てなければならない。

起こるべくして起こったこととして受け止める以外にはなく、
どうやって自分が幸せになるかではなく、
どうやってこの町を良くし、どうやって他の町や日本のために、役に立てるのかを、

その発想を持てなければ、すべてが狂ってしまう。




そして、被災地以外の方々へ。


震災を忘れないとか、風化させないとかいう言葉をよく耳にしますが、

それは一体、何ですか?


被災者の間では、震災の当日から、出来事は上塗り、更新されていっているので、
忘れるとか、風化の意味がわからない。


忘れると云うからには、憶えていたという事実が要る。
風化すると云うからには、刻んだという事実が要る。


被災者の経験と同じようなことを、
皆さんが記憶として持つというほど、強烈に頭に叩き込んでいるとは思えない。

どうか、この出来事を、憶えてください。

忘れたと言えるぐらいに、
それならば一度、憶えてください。


知らないことは、忘れるということも元々無いはずです。


でもね、沢山の支援をありがとう。

本当に助かりました。

しかし物資の届く場所と届かない場所は極端なもので、
中には、物資を余らせて、どうせ貰い物だからという表現で、

売りに行っていた者もいました。

同じ被災者として恥ずかしい。





当時の写真や映像、それは記録。

文化は物ではない。

文化は無くならない。

記録をどう伝えることができるのか、
それが文化になるから。


どう向き合うのか、どうか、これからの糧にしてほしい。



夜、宿泊先のコクボ荘に、南三陸で自治会長だった、
自衛隊経験のある佐藤さんが来てくださいました。



佐藤さんのお話も、
到底ここに書ききれません。何時間もの講演のようで…

佐藤さんのお話は、
他の被災者の方のお話とは、また、全く異なるものです。


あの時これが困った、という話だけでなく、
あの時これが困ったから、このように動いた、なぜならこういう理由で、


ということを、全て教えてもらえるのです。


あまりに沢山のお話で、とてもここでシェアし切れませんが、
改めて深く感じたことは、

【知識と知恵は、自分や大切な人々、廻りの人々の命を救う】

ということです。
これだけは、自信を持って言いきれます。


逆を言うならば、

知ることを怠る人は、自分のことも大切な人のことも、決して守れないということ。


佐藤さんの行動が及ぶ範囲に居た人たちは、本当に助かったと思います。


自身も被災者であり、
奥さんもお子さんも、連絡つかず、亡くなっているかもしれないという心境の中、

震災から一週間後には、風呂を作り、毎日本当に苦労して、
沢山の人を風呂に入れてあげたり、

高台の牧場の牛達の乳を、飲めるようにと各地廻ったり、

ガソリンは、早くから、動かなくなっている車などから取り出して廻り、
救急車などへどんどん渡していたのだそうです。


ただこれらも、ひとつひとつの行動、どれを取っても、
むやみにやればいいというわけでなく、

無知でやってしまうと無意味どころか逆効果を生んでしまうことが、
本当に、あるんです。


やっぱり、少しでも、知ろうとすること、
記憶として持とうとすることは、間違っていない。



何か役に立ちたい!
という、被災地以外の人たちの思いは、

役に立つ何かの為に、動かずにおれない、自分のためにやることであり、


それに応えたい!
という、被災地の方々の思いは、

応えつつ、何かの時には逆に人を助けられる自分でいたいという、
自分の思いのため。


互いに自分の思いのためだけれど、
相互を助けることになる。


その互いに影響を与え合うことを、絆、と呼ぶのかもしれない。




この日もまた、やっぱり、泣いてしまった。


書き尽くせない毎日です。





なつかしい未来へ。





今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子



昨日2日は早朝から、

仙台から石巻、南三陸、気仙沼、陸前高田と、
新居浜から持参した200ケースの柑橘やお野菜、ハギレなどを持って、

畑をしている方、ミシン工場、個人のお宅、民宿と、

仮設ではなく、自前の家などが残っている方々のところを中心に、
廻らせていただきました。


自前の家が残っている人には、
たとえ周囲に何のコミュニティーも残っていなく、

自分の家だけが残ってしまったという場合でも、
何の支援も受けられることはありません。

たちまち食糧も何も手に入らない状況になり、
大変困ったそうです。


新居浜市民の会では、そういった情報が、いち早く届いていたので、
確実に個々に、支援物資を届けてきました。


もう、廻っていても、どなたからも有難がられ、
皆さんもなんとかして、私たちをもてなそうとしてくださり、
本当にあたたかな絆が生まれていました。

















これまで、テレビや、友人のFacebookなどで、

何度も何度も目にしてきた、様々な、あの場所この場所にも行ってきました。




最後まで高台への避難を呼びかけた、
南三陸防災庁舎の遠藤未希さんのいらした場所…




津波で唯一流されなかった、奇跡の一本松。
これから記念公園として残していくそう。




寸断された大谷沿岸駅。


撮れなかったけれど、
「津波のバカ!物は流されても心は流されない!」

と書いた看板もありました。


また、道の駅やサービスエリアでは、
いろんな場所で、このような掲示を見かけました。




この場所は、あまりにも、空が美しい。

この土地の人たちが、この場所を愛する気持ち、

それは故郷だから当たり前だよね、
という感覚ではなく、

遠く四国から来た私にもわかる、
この場所の素敵さ…


かつて家があり、生活があった場所に、
何も無くなってしまったけれど、

この果てしなく美しい空と風の存在で、
ここがどれほど素晴らしい場所だったのかが、本当によくわかる。


わかりすぎて、胸が苦しかった。






夜訪れた、唐桑のつなかん。

奥様の一代さんは明るくて綺麗で本当に素敵で。



旦那さんは無口だけれど、飲み始めると、語ってくれた。


「ここに9mの堤防を作るんだとよ。

もういいよ~ここは。
津波来たあとでここに一生懸命作ったって、当分の無駄さ。

そんなんよりさ、南海地震のほうがこれから心配でしょうが。
ここはいいから、そんな予算出たんだったらば、
愛媛とか、そっちのほうに堤防作ってくれって、

俺ぁずいぶん役所やら国のもんにやら言ってやったんさぁ。

それもそうですね、なんて言ってたけんど、
ここで起きたことだからここにしか金使えねんだとよ。
ばっかみたいなことすらぁ~。」


俺ぁ愛媛の人たちのほうが心配だよ、と、
語るお父さんの話を聞いていて、うんうんと聴きながら、ボロボロボロボロ泣いていました。

お父さん優しいねぇーって。


皆、一生懸命東北の支援をしている。

自分たちの場所もそろそろ危ないとわかっているけど、
地震が起こることを、止めることは出来ない。

どうすることも出来ないまま、
今目に見えている東北の支援のほうに、力が傾く。

でも自分たちは本当に大丈夫?


そんな、人のために動いている、
他所の土地の人たちのことが、お父さんにはよく、見えているんですね。

嬉しかった~。お父さん、ありがとう!




つなかんでは、他にも、
立教大学の学生さんや、外国の方で東京でアーティストをしている方など、

沢山のかたとも一緒になり、
とてもいい夜でした。










今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子



おはようございます!
ただいま朝2時。

これから、およそ4時間かけて、
新潟から仙台へと移動します。


昨日はひたすら移動のみでしたが、
途中富山では、砺波チューリップフェアに立ち寄ることができ、
とってもいいリフレッシュができました。








そのまま新潟へ移動し、健康ランドでお風呂に入り、仮眠をとって、出発。

ホンマ健康ランドという…面白い名前だったのに、
写真を撮り忘れました。



まだ、新潟を出発したばかりですが、
ここまででも、はや、感じていることがあります。


とっても当たり前のことです。


東北の方々の出来事というのは、
東北の方々というのは、

本当に、私と、私の家族や友達と、四国の皆と、

同じだということ。


当たり前のことだし、頭ではわかっていることです。


だけれどこうして、
飛行機などで行くのと違って、

四国の自分の家から車を運転してきて、
そのままの流れで、

地続きで、

とにかく目的地を更新しながら進んできた先に、
こんな新潟のような遠いところにも来られるし、このまま仙台へも向かえる。


季節柄もあって、雪なども降っていなく、
景色も、雰囲気も、何もかも、本当に自分の住む町と変わらない。


食事に入ったお店の店員さんも、
何もかもが、自分の町と変わらない。


本当に、地続きでこうして来たことで、

自分の日常の延長上にこの離れた土地でも同じようにあることを、
本当に当然のことなのですが、身をもって感じています。


私の住む四国は、正直なところ、
本当に、東北とは距離が遠いです。

ですから、全く同じ自分たちの出来事として捉えているようでありながら、
どこか、

遠く離れた場所での話…
のような感覚が、頭には無くても、身体にはあるんだと思います。


ずっと車で移動してきたこの道のりの中で、
その身体の感覚が、確実に変わってきたことを感じます。


朝6時頃にはいったん仙台に到着します。
それから今日の行程が始まっていく。

まだ何も、始まっていないのだけど、
移動しながらゆっくりと、身体の感覚の準備を進めてきた、そんな感覚。


初めてが、このようなずっとの車移動で、本当によかった。


震災被害に遭われた方々は、
私であり、私たちの一部であり、あなたでもあること。


それでは、そろそろ運転交代します。
いってきます!


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子








おはようございます!5月の始まりですね。

私はこれから、24時間をかけて東北へ向かう旅に出ます。

会社員になって10年。
盆も正月もGWも、休みとは特に関係がなく、5連休というのは初めて!


途中、休憩を兼ねて富山県の砺波でチューリップフェアを愉しみ、
新潟県でお風呂と仮眠をとって、東北を目指す予定です。

私は乗用車で、運転も交代しながらですが、
200ケースの物資を積んだトラックは、新居浜市民の会の隊長1人が運転。
慣れていらっしゃるとはいえ、本当に大変なことだと思います。




5月は私にとって、このブログを書き始めた月です。


昨年5月、母のお見舞いで沢山の方が気持ちを寄せてくださり、
大阪からロックバンドおかんが自宅まで来て演奏してくれたり、
これまで生きてきた中で、最も幸せを感じさせていただき、

「もっと、人のお役に立てるようにならなければ。」
「知り得た良きことを、まずは発信していかなければ。」
「未熟でも、とにかく一歩、踏み出してみよう。」

そう思い、まずは毎日のブログをスタートさせました。


この1年間、予想もしなかった沢山の人との出逢い、大切な出来事や情報との出逢いにより、
1年前の自分よりも、確実にいま、成長できていると感じています。

もちろん、まだまだです。
まだまだまだまだです。


ただ、かなり、
≪ドラえもんポケットならぬ、愛えもんポケットの中身の充実≫は計れたと思っています。


私はどういうわけか、これまでの人生の中で、

普段強いはずの人が、今まさに、弱り切って、このままでは危ない…
という場面に、居合わせることが多かったんです。


そのたびに
「これは、私がこの瞬間、助けられるからこうなっているに違いない」
と、自分の持てるすべてを使って、その場面をなんとか持ちこたえてきました。

目の前の人が今まさに困っていて、私にそれを見せてくれた時の中で、
「あぁ…その問題には、私には何ひとつ言ってあげられることがない…」

となることが、とても悔しかった。なんとかしたかった。


そんな思いから、
愛えもんポケットの中身を、少しずつ、充実させてきたように思います。



東北の方々への思い。

四国に住む会社員の私には、大型連休を取ることもできず、どうすることも出来なかった。
そんな中で、全国の仲間たちは、次々と現地入りする。


がれきの処理、支援物資を届ける、とにかく、できることは何でもやると、
懸命に動いてくれていました。

正直、気が気じゃなく、ずっとそわそわして、
毎日の通勤の車の中でも、何の涙かわからない涙を、毎日のように流してきました。


あの当時から、今でも、ずっと、継続的に活動を続けていらっしゃる方々には、
もう、無条件に心からの敬意と感謝の念を感じます。

私が直後できたことといえば、
関西まで行って、道なき道、避難所を物資を運んで廻るチームの、
後方支援として、時折出向いて連絡を取り合ったりしていたことくらい。

関西までであれば、1日や2日の休みでも、移動することが出来たんです。


それから時が流れ…それでもまだ行けない…
3年余りが過ぎ、いま、ようやく、やっと…


愛えもんポケットの中身が、ある程度充実してきた、用意が整ってきたから、
行ける環境が与えられたのかもしれません。
行けるようになったということは、出来るようになったということですよね。


私に出来ることは、これからだ、
そんな思いを胸に、様々なことを感じさせていただこうと思います。


皆さんのあたたかな思いと共に、行ってまいります!


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子


Copyright ©日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI. Powered by FC2 Blog. Template by eriraha.

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