日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI

名前のことだまを入り口に、和ごころに気づけるブログです。

プロフィール

日野  愛子

Author:日野 愛子
日本人がもう一度、日本人になろう。

皇紀2671年3月11日、
再び、ほんとうの幸せに戻るための、
大きく舵を切れた転換点にするために。

いつもほんとうのことを知ろうとすること、
いつも自分の中の愛に聞いて、
一歩を選べるように。

知ることへの道は、愛のはじまり。

名前のことだまを入り口に、
素敵な日本に氣づけるブログです。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

コメント

コメントを投稿


管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック

TB*URL

半沢直樹最終回、大変な話題でしたね!
終わった瞬間、これで終わるの?!と驚きを隠せませんでしたが…



よくよく考えてみれば…

このほうがかえって、真実味があるなぁ…頭取の立場に立って考えたなら…

というのが、私の感想です。


私は、ひとりだとテレビをつけることが殆どないのですが、
家族が見ているテレビを、チラリと見ることはあります。

そんな中つい釘付けになってしまった、久々に見逃せないテレビドラマでした。


TBSは、キー局の中で、私が唯一入らせていただいたことのある局舎ですが、
ドラマに力を入れているというイメージがとても残っています。

13年前の三夜連続放送だったドラマ『百年の物語』も大好きで、DVDを持っています。

大正・戦後・現代と、三世代を生きる女性を、松嶋菜々子さんが演じていました。
主題歌、ナナ・ムスクーリの『Only love』も大好きでたまりません…


と言っていては話が逸れそうなので、半沢直樹に話を戻します。


半沢直樹、
ストーリーも面白いけれど、私は、
俳優さんの演技が面白かった。

どなたも、『顔』で競い合っていた。
顔の演技で。

すべての感情の移り変わり、言いたいことの全てを言わず、
顔で、すべてを表現しているのです。

これが、テレビドラマや映画の真骨頂。

舞台の演技では、こういうことは通用しません。

遠くから観る人にも伝わるように、かつ、不自然でないように、
普通の振る舞いに見えるための、大げさな動きで表現します。

テレビドラマや映画のような、
観ている誰もが、顔をアップで捉え、その心理の微妙なニュアンスを受け取れるものの場合、
こうでなくっちゃ勿体無い。

最近ドラマがつまらないなぁ~と感じていたのは、
ストーリー云々以前に、
この、顔に語らせる要素が薄いものが多かったからではないか、

とさえ、個人的に感じた程でした。


その意味でも半沢直樹は大変面白く、大好きなドラマでした。


言葉以上に、表情から分かるものがある。
日本人は、行間を読むことが得意だから。

音の響き、ことだまを大切にするゆえ、
あえて皆まで言わぬ美しさを大切にしてきた日本人だから。


ところで、

皆さんはふだん、日常生活の中で、

大切な人の顔を、愛する人の顔を、

しっかりと見て、

会話をしていますか?


毎日一緒にいる人の顔。家族の顔。

横目で見ることはあっても、
正面から向き合ってちゃんと見て、耳を傾けてはいない。

そんなこと、ありませんか?

私には、ありました。


半沢直樹とはなちゃん夫婦は、
最高の夫婦でした。


夫婦互いに、
いつも互いのことを思いやり合い、完全に信頼しきっていました。


直樹は、
どんなに自分が困窮に喘ぎ、怒り、危機の最中にあっても、
驚くほど妻に対しいつも優しい。微笑む。ごめんな、と云う。いつも耳を傾ける。

はなは、
いつも明るく天真爛漫で、愛情たっぷりの料理で夫を支え、
例え最悪の事態になろうとも、信じた道をゆけばいいと夫の背中を押し、腹を据えた覚悟を常に持っている。


夫婦というものは、家族というものは、一蓮托生というものは、
本当にその姿でありたいと、いつも思います。


実際、
直樹がはなの言葉をいつも受け入れ、耳を貸したことがきっかけで、
直樹は危機を回避し一発逆転となった、

思えばそんな場面が何度もありましたね。


直樹、はな、と、互いに名前で呼び合うところも、
ことだま師の私としては、好きなところです。




親しい中にあっても、いつも、相手を気遣うこと。

言葉で言うことは簡単ですが、これがなかなか難しいです。


なぜか。

知らないからです。

相手がどんな気持ちでいるか、どんな思いでいるか、知らないからです。

知らなければ、慮りようがないのです。


けれども、
相手の顔を、普段からよく見ていれば、
その人の気持ちはちゃんと、そこに現れている。


何か陰で起きた出来事や行った事実は、
口を開いて言わなければ伝わらないことではありますが、

相手の心がわかるかどうか、ということについては、

互いにいつも、互いの顔を見ていれば、
自然と伝わる何かがあり、生まれる何かがあるはずです。


昔何かの日本映画のワンシーンで観たことがあります。

「お前も老けたなぁ…。すまない…」

何年も走り続け、毎日一緒に居るはずの妻の顔も、まともに見ていなかった夫の前に、
ある日突然に、


見知らぬ老婆が出現する。


いかに、見ていたはずの妻の姿を、本当は見ていなかったか、
ということに気づく夫。


しかもこれが、日本人のスタンダードのように描かれています。


これはあまりに残念なことです。


いちばん大切な人のことが、いちばん見えていなかったなんて。


私は思います。


ほとんどの争い事は、相手を知れば、溶け合うのじゃないだろうか。

知らないから、分からないから、誤解が生まれ、苛立ちを呼び、争いを招き、
大切がゆえに、最後には決別するという、
わけのわからない展開まで追いやられてしまうのです。


これは何も、夫婦や家族に限ったことではありません。


あらゆる派閥争い、政治闘争、宗教観の違い、交わり合えない国同士。


争いの原因が、『違い』だと思っているところが、最大の落とし穴。


『違い』ではない。
『知らない』こと。


相手のことを知った瞬間、簡単に雪解ける感情が、必ずあるから。


まずはあなたの大切な人の顔を、
よく、見てみませんか?

顔を見ずに会話する時間を減らし、
顔をよく見て会話する時間を増やしてみませんか?



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子
スポンサーサイト

コメント

コメントを投稿


管理者にだけ表示を許可する
 

トラックバック

TB*URL

Copyright ©日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI. Powered by FC2 Blog. Template by eriraha.

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。