日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI

名前のことだまを入り口に、和ごころに気づけるブログです。

プロフィール

日野  愛子

Author:日野 愛子
日本人がもう一度、日本人になろう。

皇紀2671年3月11日、
再び、ほんとうの幸せに戻るための、
大きく舵を切れた転換点にするために。

いつもほんとうのことを知ろうとすること、
いつも自分の中の愛に聞いて、
一歩を選べるように。

知ることへの道は、愛のはじまり。

名前のことだまを入り口に、
素敵な日本に氣づけるブログです。

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土曜日にお話ししていたことをもう少し詳しく・・・(笑)

クラシック音楽とキリスト教は、切っても切れない仲です。

なにしろクラシックのルーツと言われている「グレゴリオ聖歌(9~10世紀頃に編纂)」は、教会の礼拝などで歌われるお祈りの歌。
ひとつの旋律を全員で歌っていく斉唱によって、日々の祈りが捧げられていきます。

当時の楽譜(「ネウマ譜」と呼ばれている)は現在の五線譜と異なっており、四角形や菱形状の音符らしきものが散りばめられていました。
解読する手段が見つかっていない為、現在歌われる「グレゴリオ聖歌」などは、おそらくこんな歌い方だったろうという想像の産物なのです。

ところで、「グレゴリオ聖歌」は、あくまでも教会のお祈りにメロディーをつけたものであり、主役は歌詞である聖書の言葉です。
しかし、歌い継がれるうちに誰かが
「この単語は神様の教えの中でも大事だから強調しよう」
とか、
「もっと深く祈りたいから、大事なところは繰り返して歌おう」
などと考え、もとのメロディーに少しずつ新しいメロディーを加えたり、時には音にこぶしをつけてみたり、さらには全員が同じメロディーを歌うのではなくハモったりするなどして、聖歌を展開・変形させていきました。

時代が進むにつれて、単旋律が二声、三声、四声・・・と増えていき、素朴だった聖歌はまるで色が少しずつ加えられていくように、表情豊かな音楽になっていきます。
そうなると作曲家も職人技で競い合いたくなります。
メロディーを輪唱にしてみたり、たくさん重ねて複雑なアラベスク模様のごとき音の綾を生みだしたりしながら、聖歌をどんどん複雑にしていったのです。

そうした中で、「グロリア」「クレド」ほか複数の祈りの言葉を組み合わせてセット化した「ミサ曲」や、死者の安息を祈る為の「レクイエム」なども生まれ、後世へと受け継がれていきました。

このような音楽は、ヨーロッパ各地で盛んになり、現在も名前が知られている作曲家達がたくさん登場しました。
しかし、何事もやりすぎはよくありません。

16世紀の中頃になると、祈りの為の音楽なのに複雑すぎて歌えなかったり、
「言葉がよくわからなかったりするとは何事か!」
と教会の怒りをかい、複雑すぎる聖歌は禁止になってしまいました。

だったらまた新しい形の音楽を創ろう。
ということで、作曲家達が気持ちを奮い起し、それがバロック音楽の時代へと繋がっていったのです。

また、キリスト教で大事件が勃発すると、音楽にも影響が及んできました。

16世紀前半(ルネサンス音楽の時代)、主流だったローマ・カトリック教会のシステムに反発し、新しい教会(建物としての教会ではなく、流派のようなもの)を生みだそうという運動が各地で高まりました。
それが「宗教改革」と呼ばれている歴史上の出来事です。

特にドイツでは、宗教学者マルティン・ルターがリーダーシップをとって改革を断行。
彼はラテン語で書かれていた聖書をドイツ語に訳し、自分達の言葉で信仰を深めようじゃないかと民に訴えかけます。
こうして生まれたのがプロテスタントと呼ばれる一派なのです。

ラテン語で歌われていた聖歌なども、プロテスタント教会では当然ながらドイツ語になりました。
J.S.バッハが200曲以上も書き残した教会カンタータや、メンデルスゾーン、ブラームスらのドイツ語で歌われる教会音楽は、この宗教改革なくして誕生しなかったのです。

なんだか、ついつい熱く語ってしまってすみません。

時代の流れとともに豊かな変容の歴史を歩んできたクラシック音楽も、ルーツはキリスト教という宗教から発展したもの。
そして、雅楽は神楽に仏教文化が合わさり発展していったものなんですね。

私達の生きている現代においても昔からの風習となっているものや伝統文化がたくさんありますよね。
日本は特に古き良きものを大切に守る文化のある国だと思います。

過去に遡ってルーツを知り、そこからどんなふうに変遷していったのか・・・

愛子さんも私もそれぞれ分野は違いますが、同じように勉強しているのですね。


2013.06.09  小野 千草  編集

千草さん

ご登場ありがとうございます!(笑)
しかもすごく詳しく説明をしていただいて(*^_^*)
すごーい!千草さんも、ブログ、いかがでしょう?(笑)

そうですよね。音楽は、もっともっと辿れば、
民族にとっての祀りごと、祭りごと、
そして宗教へと発展して、
そのあと大衆文化へと発展していく。

日本の場合、古来自国の神道の、神楽。
そこに、他国文化をアッサリ受け入れ、雅楽へ、
それを自国のものとして素晴らしく発展させる。
他国に類を見ない融合を本能とする人種だと思えてなりません。

2013.06.10  愛子  編集

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こんばんは~!
今日のお昼は、素敵な女性のお手本のような方と、ブランチでした。
たのしかったぁ~٩(⑅´◡` )۶٩( ´◡`⑅)۶ᵋᵎᵌ⁎४*✧



あ、写真は、私です(笑)


その女性は、
昨日ブログに書いた、おかん感謝祭にお客様として来てくださっていて、
私が3月に、名前のことだまセラピーセミナーをした際にも来てくださり、
とても共感してくださっていました。

モニターとして、ことだま鑑定も受けてくださって、とっても感激してくださり、
その後すぐに、やりたいことに出会えた!
と、今、
クラシックソムリエという資格の検定を勉強されているのだそうです。

ちなみに!
最近、ふとしたことから、
実は、
私の祖父と、彼女のお爺様が繋がっていたこと、そして、
私の父と、彼女のお母様が同い年の幼なじみだったことが分かり、
もうビックリでした!!

こうして出逢えることは、もう、私たちが生まれる、
きっとずーっと前から、決まっていたんだなぁ~、なんて思います。
きっと、すべての方との出会いは、そうなんですね。


彼女はもともとクラシック音楽がとっても好きで、
そのことに素直になったら、たまたまふっと、そんな資格と巡り合ったよう。

私は全くクラシックを知らず、
バッハやシューベルト、ベートーベンなど、、、知識が小学生止まりです(笑)

が、クラシック音楽の中にも、
宗教音楽などから発展したものも多く、
キリスト教などが無ければ、生まれなかった楽器もあるでしょうね、
なんてお話を聴いていて、なるほどな~っと納得してしまいました。

様々な国や種類のクラシック音楽を、
そのアレンジや、指揮者の意向によってさえ変わる楽曲を、
場や、人に、
どんなものが合うのかをみたてられるようになったりする資格なのだそうです。
素敵ですね~。


そんなお話を聴きながら、日本でいう、クラシック音楽とは、、、
と思い巡らせたときに、〈雅楽〉が頭に浮かびました。

宗教音楽、と定義すると、日本の場合、
もっと遡れば、神楽にあたりますね。

神楽の起源は、古事記や日本書紀に描かれている、
岩戸隠れでのアメノウズメの舞とされていますから。

今でも神社で神楽の奉納がされていますね。

しかし、音楽として、広く一般に愉しまれるものとなったのは、
雅楽の形になってからかな、と思います。

雅楽を初めて生で聴けたのは、昨年末でした。

私の心友、SUGA JAZZ DANCE STUDIO の國友悠一朗さんや、
尊敬する世界的音楽家の岡野弘幹さんがコラボアレンジされている舞台が、
松山で開催される!と知って駆けつけた時でした。

神代音絵巻という舞台で、
音と舞と映像のプロフェッショナルによる、それはそれは素晴らしい舞台でした。



その時の國友さんご一家とパチリ☆



岡野さんともパチリ☆



あ~、ついついこのお二人をご紹介したくなってきましたが、
話が逸れるので、元に戻しますね(笑)


はい、この公演の時、他のご出演の方は、
東儀秀樹さんをはじめとする雅楽をされている方々でした。

そこで初めて、雅楽に触れたのですが、
何とも言えぬ、懐かしいような、深層が癒されるような、素晴らしいものでした。

東儀秀樹さんの語り口も、雅楽の一種かのような、
癒やしの波を発していました。

私は、雅楽は日本古来の、日本特有のものかと思っていました。

だって、宮内庁に雅楽の楽部があるほどですし、
それは国の重要無形文化財にも指定されています。

しかし、その公演の時、
雅楽は、日本特有のものではなく、
アジア大陸諸国の音楽が、仏教文化と共に伝来してきて、
神楽と融合して出来たものだと知りました。

日本とは不思議な国で、
他国の文化をすぅーっと馴染ませ取り込み、
より素晴らしいものに発展させてきました。

受け入れることの美。

雅楽の間合いや音の美しさの中には、
普遍的な悠久的な優しさと同時に、

何か新しいものが生み出されそうなワクワク感があるのですが、
それはこの、日本の受け入れの美にも、
起因しているのかもしれませんね。


今日もことだまの幸わふ国に生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子
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土曜日にお話ししていたことをもう少し詳しく・・・(笑)

クラシック音楽とキリスト教は、切っても切れない仲です。

なにしろクラシックのルーツと言われている「グレゴリオ聖歌(9~10世紀頃に編纂)」は、教会の礼拝などで歌われるお祈りの歌。
ひとつの旋律を全員で歌っていく斉唱によって、日々の祈りが捧げられていきます。

当時の楽譜(「ネウマ譜」と呼ばれている)は現在の五線譜と異なっており、四角形や菱形状の音符らしきものが散りばめられていました。
解読する手段が見つかっていない為、現在歌われる「グレゴリオ聖歌」などは、おそらくこんな歌い方だったろうという想像の産物なのです。

ところで、「グレゴリオ聖歌」は、あくまでも教会のお祈りにメロディーをつけたものであり、主役は歌詞である聖書の言葉です。
しかし、歌い継がれるうちに誰かが
「この単語は神様の教えの中でも大事だから強調しよう」
とか、
「もっと深く祈りたいから、大事なところは繰り返して歌おう」
などと考え、もとのメロディーに少しずつ新しいメロディーを加えたり、時には音にこぶしをつけてみたり、さらには全員が同じメロディーを歌うのではなくハモったりするなどして、聖歌を展開・変形させていきました。

時代が進むにつれて、単旋律が二声、三声、四声・・・と増えていき、素朴だった聖歌はまるで色が少しずつ加えられていくように、表情豊かな音楽になっていきます。
そうなると作曲家も職人技で競い合いたくなります。
メロディーを輪唱にしてみたり、たくさん重ねて複雑なアラベスク模様のごとき音の綾を生みだしたりしながら、聖歌をどんどん複雑にしていったのです。

そうした中で、「グロリア」「クレド」ほか複数の祈りの言葉を組み合わせてセット化した「ミサ曲」や、死者の安息を祈る為の「レクイエム」なども生まれ、後世へと受け継がれていきました。

このような音楽は、ヨーロッパ各地で盛んになり、現在も名前が知られている作曲家達がたくさん登場しました。
しかし、何事もやりすぎはよくありません。

16世紀の中頃になると、祈りの為の音楽なのに複雑すぎて歌えなかったり、
「言葉がよくわからなかったりするとは何事か!」
と教会の怒りをかい、複雑すぎる聖歌は禁止になってしまいました。

だったらまた新しい形の音楽を創ろう。
ということで、作曲家達が気持ちを奮い起し、それがバロック音楽の時代へと繋がっていったのです。

また、キリスト教で大事件が勃発すると、音楽にも影響が及んできました。

16世紀前半(ルネサンス音楽の時代)、主流だったローマ・カトリック教会のシステムに反発し、新しい教会(建物としての教会ではなく、流派のようなもの)を生みだそうという運動が各地で高まりました。
それが「宗教改革」と呼ばれている歴史上の出来事です。

特にドイツでは、宗教学者マルティン・ルターがリーダーシップをとって改革を断行。
彼はラテン語で書かれていた聖書をドイツ語に訳し、自分達の言葉で信仰を深めようじゃないかと民に訴えかけます。
こうして生まれたのがプロテスタントと呼ばれる一派なのです。

ラテン語で歌われていた聖歌なども、プロテスタント教会では当然ながらドイツ語になりました。
J.S.バッハが200曲以上も書き残した教会カンタータや、メンデルスゾーン、ブラームスらのドイツ語で歌われる教会音楽は、この宗教改革なくして誕生しなかったのです。

なんだか、ついつい熱く語ってしまってすみません。

時代の流れとともに豊かな変容の歴史を歩んできたクラシック音楽も、ルーツはキリスト教という宗教から発展したもの。
そして、雅楽は神楽に仏教文化が合わさり発展していったものなんですね。

私達の生きている現代においても昔からの風習となっているものや伝統文化がたくさんありますよね。
日本は特に古き良きものを大切に守る文化のある国だと思います。

過去に遡ってルーツを知り、そこからどんなふうに変遷していったのか・・・

愛子さんも私もそれぞれ分野は違いますが、同じように勉強しているのですね。


2013.06.09  小野 千草  編集

千草さん

ご登場ありがとうございます!(笑)
しかもすごく詳しく説明をしていただいて(*^_^*)
すごーい!千草さんも、ブログ、いかがでしょう?(笑)

そうですよね。音楽は、もっともっと辿れば、
民族にとっての祀りごと、祭りごと、
そして宗教へと発展して、
そのあと大衆文化へと発展していく。

日本の場合、古来自国の神道の、神楽。
そこに、他国文化をアッサリ受け入れ、雅楽へ、
それを自国のものとして素晴らしく発展させる。
他国に類を見ない融合を本能とする人種だと思えてなりません。

2013.06.10  愛子  編集

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