日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI

名前のことだまを入り口に、和ごころに気づけるブログです。

プロフィール

日野  愛子

Author:日野 愛子
日本人がもう一度、日本人になろう。

皇紀2671年3月11日、
再び、ほんとうの幸せに戻るための、
大きく舵を切れた転換点にするために。

いつもほんとうのことを知ろうとすること、
いつも自分の中の愛に聞いて、
一歩を選べるように。

知ることへの道は、愛のはじまり。

名前のことだまを入り口に、
素敵な日本に氣づけるブログです。

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日本のことをテーマに書いてるのに、
なぜなかなか出てこないのかな?
と、思われそうなテーマのひとつが…やはり着物でしょうか。

私、実は、25歳から29歳くらいまでの約4年間、
大変に着物狂ひを(笑)しておりまして、
当時は、お給料と言えば、すべて着物に消えていく、という程、
ひと通りのものは揃えました。

余程の着物好きでなければ揃えない、と言われる、
夏着物、いわゆる「うすもの」まで持っています。
うすもの。だなんて、響きだけで、なんだか色っぽい。

中でもいちばんのお気に入りの訪問着(よそ行き着)が、こちらです。
帝王紫(貝紫)と云われる貴重な紫色をワンポイントに、
優しい水色のランダムな柄ゆきが素敵なんです。



着物の魅力は、そのものの美しさと、
身に纏っている人の所作を美しくするところにありますが、

襦袢からあらゆる小物の選び方、
纏うまでの細かな工程や、
着終えたあとのたたみ方、しまい方、
何もかも、すべてにおいて、丁寧になれるところではないかと思います。

日本人のきめ細やかさや心遣い。

生活に関わる行動のひとつひとつに、
ひと手間かけ、心を込め、幸せを噛みしめる。

そんなことのひとつが、
着物を着る生活にも、あるように思います。


着物の衣替えに倣って、
今の衣替えという考え方もあるわけですが、着物の場合、

ちょうど今のこの6月の間は、単(にとえ)と言って、
裏地をつけない涼しく着られるものを選びます。

そして、盛夏(7月、8月)には、うすもの。
絽、紗、羅の3種類の織り方がありますが、
どれも透け感のあるとても涼やかなもの。

それでも、着物である以上、襦袢も着ますし、足袋も履きますから、
夏でも、よそゆき着としての位置づけが強いです。

それならば、思い切ってグッとラフに浴衣というのもいいです。
浴衣は本来庶民には、湯帷子(ゆかたびら)といって、
湯上がりの湯をすわせる、寝巻きのような感覚が強かったので、
浴衣で遠出するなどは、みっともないことだ、とも考えられていましたが、

今の時代に合わせるならば、
そう難しく考えなくともよいように思います。
Tシャツ短パンで出かける感覚と同じことですね。

そして9月になると、再び単の着物に戻り、
10月から5月までが、袷(あわせ)といって、
裏地をつけて仕立てた着物を着ます。
着られる時期も長いので、色々な種類があります。



左の、横織りがよく見える桜柄のものが絽の着物。
右上が単、右下が袷、右真ん中は浴衣です。


袷は本当に沢山の素材がありますが、
この素材こそが、着物の「格」を決めています。
色柄もある程度関係ありますが、素材がシーンに合っていなければアウトです。

格は出かけてく場所柄によって必ず変えますし、
着物と帯、草履、帯揚げなどの小物についても、格を揃える必要があります。

見た目に合っていれば、何でもいい、というのではなく、
一定のルールの範囲内で、いかにお洒落を愉しむか。

だけれど今は、本当に色々な色の、素材の着物を、
誰でも自由にルールに基づいて着ていいわけですが、

江戸時代に出た「奢侈禁止令」では、
庶民は、
素材は綿と麻、色は茶、鼠色、紺色に限られ、
それ以外のものを身につけることは許されませんでした。

しかし粋な江戸っ子たちは、
その決められた範囲の中で、めいいっぱいお洒落を愉しみ、
愉快痛快に生きていたのです。

茶ならいいんでしょ、鼠色ならいいんでしょ、
と言わんばかりに、
茶も鼠色も、それぞれ、100種類以上の色をつくって、
組み合わせを愉しんでいたといわれています。

そして、
見えなければいいのよね?ということで、
庶民でも資金力のあるひとは、襦袢に、めいいっぱい派手な色や柄をあしらって、
袖口から見えるか見えないかのお洒落を愉しみました。

そんな茶目っ気のある工夫を、粋と呼び、
あら、お洒落な襦袢、と気づけるひとを、通と呼びました。

そんな、この時代に裏地や襦袢にお洒落を施した行為から、
「裏をかく」という言葉が出来たのだとか。


私もわりと、着物は地味に、
襦袢は派手に、が好きなタイプで、
こんなネコちゃん柄の襦袢を持っています。



『分相応』という言葉があって、
現代の人はこれを割とうっとうしく感じる側面もあると思います。

まるで、自分の生まれや能力は変えることができないから、
高望みしたり夢を見たりせずに、堅実に生きなさいと、
言われているように感じるからかもしれません。

でも、私は決して、そうではないと思うんです。

その、置かれている現状を、
めいいっぱい生かして、愉しみなさい、という意味ではないかと思います。

なんでもかんでも、無尽蔵に選べるよりも、
今はこの中から、めいいっぱい工夫して、
今しか出来ないことを、やってごらん。

そう思うと、
あえてその範囲を超えてしまうこと、
出来たとしても、
やることが少し勿体なく感じるんです。

高校生の頃、母に、高校生らしくしなさい、と言われてたこと、
背伸びしたかった当時には分からなかったけど、

高校生の頃の田舎っぽさや、みずみずしさが、
もう過ぎた今となっては、二度と再現できない、
その時にしかない良さだったなぁ~と思います。


置かれた状況に文句を言って、
仏頂面でやっていくのではなく、
その状況を愉しみ、めいいっぱい輝けることこそ、



なんだなぁ~



今日も、ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、有難うございます。 愛子
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