日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI

名前のことだまを入り口に、和ごころに気づけるブログです。

プロフィール

日野  愛子

Author:日野 愛子
日本人がもう一度、日本人になろう。

皇紀2671年3月11日、
再び、ほんとうの幸せに戻るための、
大きく舵を切れた転換点にするために。

いつもほんとうのことを知ろうとすること、
いつも自分の中の愛に聞いて、
一歩を選べるように。

知ることへの道は、愛のはじまり。

名前のことだまを入り口に、
素敵な日本に氣づけるブログです。

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2月22日、今日は、ばあちゃんの命日です。
あれから8年が経ちます。


あの日もちょうど、オリンピックで、

フィギュアスケートで荒川静香選手が、水色の綺麗なコスチュームでイナバウアーを披露していました。

葬儀場の待合室から、荒川金メダル!という声を聴いた覚えがあります。


ばあちゃんはとても元気いっぱいでした。

私が小学2年生の時、今の家が新しく建って、それからずっと、
両親とばあちゃんと私の4人で暮らしてきました。

そうそう、それから愛犬チャチャと。

チャチャはちなみに、
ばあちゃんが亡くなった翌年の11月11日に亡くなった。

だから少し私、ゾロ目の日が苦手です…



小学校から高校にあがるまで、ずっと、
ばあちゃんの「あーいー!」と呼ぶ声で目覚めました。

だんだん耳が聞こえにくくなっていったのか、
「はーい!」と言っている私の声が聴こえずに、

応えているのに何度も呼ばれ、
「はいっ!てば!」と苛立ったような物言いをしていた私でした。


負けん気の強い、元気なばあちゃんだったので、
私たちはまるで友達のように、一緒によく遊び、よくケンカしていました。


大変元気だったけれど、唯一、血圧が高いことだけが心配でした。
だから薬だけは、毎日欠かさず飲んでいました。


とても元気だったのに、ある時突然ふっと倒れてしまい、
それを境に、少しずつ、色々な不調が出てきました。




最期だとわからずに、

8年前の今日、病室で夜遅くまで、一緒にテレビを観ていました。
ばあちゃんの脚をさすりながら。

うつらうつらと眠っていたばあちゃんが、突然スッと起きて、
「ウイスキーをしまっておいて」なんて言いました。

もう自分では起き上がれないようになっていたのに、突然起き上がるものだから、
私はあわててばあちゃんを抱きかかえました。

「わかったよ。しまっとくね。」
そう答えたら、安心したように、ふっと抱き上げていた私の腕が軽くなり、
またばあちゃんは目を閉じたのです。

私はそっとばあちゃんを寝かせてから、

小走りでトイレに向かいました。


わっと涙が溢れ出たから。

そうしたら、トイレの鏡を見ると、涙だけでなく、鼻血も溢れていました。

ぎょっとしました。

でもそれよりも、初めてばあちゃんが、
おかしなことを口走ったことで、「もう駄目かもしれない」という思いがよぎって、
堪らなくなったのです。


私も、疲れが溜まってるのかもと、その日は帰ることにしました。

でもとても、後ろ髪を引かれる思いでした。



帰ってから、お風呂に入っていたら、病院から電話がありました。

駆けつけたらばあちゃんはもう、亡くなっていた。



ごめん…ばあちゃん…なんでもう少し、居てあげなかったの、私…


初めて、家族を失った感覚。

命の大切さがわかるね、なんて、そんな綺麗なものじゃなかった。


冷たく硬くなってしまったばあちゃんの細い肩を、
お通夜の間中ずっと、さすっていたら、気味が悪いくらい、

微笑みが出てきて、ありがとうね、が出てきて。


それでも火葬されるときは、堪らなかったし、

その後何ヶ月もの間、音楽を聴くのも嫌だった。

自分が安らいだ気持ちになることさえ、受け付けなかった。



でも、ずっと後で、わかったことです。

あぁ、そうか。

あの時、私がばあちゃんの身体を抱き上げていた時、あの時が、
ばあちゃんの魂が身体を出ていった時だったのかもしれない、と。

その時の何かで、私の身体が反応して、鼻血が噴き出したのかもしれない。


だったら、ちゃんと気づいてあげていたら…

そうも思いましたが、でも、それでも、
私が抱きとめている腕の中で、ばあちゃんは逝ったのだとしたら。

よかった…  って。


そこでばあちゃんが逝ったとわかったら、その時1人で居た私に、あまりに酷なので、
後で、皆で一緒に、その事実を確かめられるように、してくれたのかもしれない。


いっぱい遊んで、いっぱいケンカもしたばあちゃんだった。


私がまだ学生の頃、ばあちゃんは、
「あいはアナウンサーになったら?」と言ったことがあった。

気が付けば、そんな仕事もさせてもらい、

NHKの全国生放送でも、
元水泳平泳ぎ金メダリストの岩崎恭子さんをご案内させていただいたことがあり、

その放送の様子を観てもらえたことがありました。

こんな風に思い返せば、じゅうぶん、よかった…と思えることは、沢山あります。


でも一方で、

当時の私は、あまりにも、人の身体や、病気のことについて、関心が無く、
無知で無力だったこと。

でも、今は違います。


父も大病に倒れ、母も大病をし、
これで氣づかなければ、少々おかしいのです。


「病気になったときはじめて薬を飲む、治療をする」ではなく、

「身体が何で出来ているか、最低限のことは知り、
 できるだけ身体を労われるようにする」ことが大事。


クスリはリスク。



サプリメント管理士の資格教材が届きました。

これから合間の時間を縫って、少しずつ勉強していきます。

自分がちゃんと、自分の役割を果たせるように。
大切な人がちゃんと、生きている間、生き生きといきられるように。

もっと、わかる人間になりたいから。




今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子



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