日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI

名前のことだまを入り口に、和ごころに気づけるブログです。

プロフィール

日野  愛子

Author:日野 愛子
日本人がもう一度、日本人になろう。

皇紀2671年3月11日、
再び、ほんとうの幸せに戻るための、
大きく舵を切れた転換点にするために。

いつもほんとうのことを知ろうとすること、
いつも自分の中の愛に聞いて、
一歩を選べるように。

知ることへの道は、愛のはじまり。

名前のことだまを入り口に、
素敵な日本に氣づけるブログです。

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【情報過多】といわれる今。


この言葉を、どう捉えますか?


これに、どんな印象を持っているか、ということは、

老若男女の傾向には、あまり拠らないようです。


情報の多さに対する反応は、
クッキリと二分してきました。


・「情報が多すぎて嫌だ。知らなくていいことは知らなくていい」という人。


・「情報が多いのは選択肢が多いということ。知らないよりは知っていた方がいい」という人。


みなさんは、どちらでしょうか。


このような分かれ方をするのには、理由があるような気がします。


それは、
前者に比べて、後者のほうが、比較的、

「自分にとっての、情報との向き合い方、価値判断基準」が、定まっている人が多い。


どんなに情報が多くても、
瞬時にそれを選別できるような、

能力、

ではなくて、

基準、

を、しっかりと持っている人は、


少ないよりも多いほうがいい、と、なります。

基準を持っているために、
あとは確率の問題。

多いほうが、良いものと出会う確率も、上がるというものです。


しかし、
基準をあまり持たない人は、

ひとつひとつ、どうだろう?こうだろうか?と、
情報に触れるたびに、あらゆる角度から思い悩まなくてはならないため、

多くなればなるほど、煩わしくなるのです。




課題は、

自分自身の中にあるのであって、

情報過多という現象の中にあるのでは、ありません。







けれど誤解されやすいのですが、
このときポイントなるのは、


【基準】と、【レパートリー】は、全く別のもの。


ということです。


自分の過去のレパートリーから判断することではなく、

情報の、どの部分に着目するか、という、判断のこと。




ちなみに、情報過多と呼ばれているほど、情報が増えたという、

その増えたものの正体は、

①だけが存在していた状態から、
③にまで、増えてきたことを、指していますね。


(媒体を通して)
①テレビ、ラジオ、新聞
②インターネット上の情報(企業団体情報)
③SNS(個人発信情報)


(人を通して)
イベント・講演会・セミナー等で、

①何らかの理由で著名人・有名人になった人が話す情報
②無名だけれどその道の専門家の人が話す情報
③無名でその道の専門でない人が話す情報


①から③への情報量の増大は、こんな言葉にも置き換えられます。


【「マスコミ」から「クチコミ」へ】


溢れかえる情報との向き合い方、基準、
その価値基準の置き方が、

最も大切なことかもしれません。



その具体的な判断基準についても、
機会をみて、また、書いてみようかな…と、思います。


今夜は、この辺りで…



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子






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