日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI

名前のことだまを入り口に、和ごころに気づけるブログです。

プロフィール

日野  愛子

Author:日野 愛子
日本人がもう一度、日本人になろう。

皇紀2671年3月11日、
再び、ほんとうの幸せに戻るための、
大きく舵を切れた転換点にするために。

いつもほんとうのことを知ろうとすること、
いつも自分の中の愛に聞いて、
一歩を選べるように。

知ることへの道は、愛のはじまり。

名前のことだまを入り口に、
素敵な日本に氣づけるブログです。

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今日はわたくしごとブログです。


私が本氣で、
身体のことや、健康のことを考えることになったきっかけ。

それは、母の病気からでした。


その2年前には、父が倒れていました。

でも父の時は、
「なんとか病気を克服できた。よかった!」

と、
結局のところ、もっと本質的なところまで掘り下げることなく、

治ったからよかった、で終わらせてしまったのかもしれません。


そして更に、母が病気になったのです。



今から3年半前、平成22年10月。

地方祭のまっただ中、現場の生中継の仕事が沢山入っている最中、

突然父が倒れました。

幸いにも倒れた数分後に、私が帰宅しました。


お風呂からあがり裸のまま倒れた父。

異変に気づき、
倒れかかってきた父を抱き留めた母。

玄関を開けると、2人の状況が目に飛び込んできました。

身動きがとれなくなっている母の代わりに、震える手で119番通報しました。


地方祭まっただ中。
主要道路はほとんど動かない状況。

遅い…まだか…再度電話をする。


【あと何分くらいで来れますか?!
もう顔面蒼白で目を見開いてます!!
こちらで今できることは何ですか!!】


一刻を争う事態でした。

やっと病院に辿り着き、
緊急手術の前に、医者がひとこと。

「死ぬかもしれませんので覚悟しておいてください。」

父が横たわっているすぐ隣で、
私と母に向かって言いました。


私は腑が煮えくりかえるような気持ちで、咄嗟に、
父と少し離れた場所で、先生に、


「せめて本人に聴こえるようにだけは、そんなこと言わないでください!!」

と言いました。


「ご本人も訳がわからないままより、いいでしょう。」





「パパ、絶対大丈夫やからね!!がんばってね!!ずっと待ちよるけんね!!」


手術室に入っていく父に、私たちは必死で声をかけ続けました。


明け方までかかったその手術は、なんとか成功。


父の大腸が破れていて、同時に、腫瘍が見つかったため、
切除して、人工肛門となったのです。


様々危機はあったものの、人工肛門も元に戻すことができ、
今ではすっかり、元気です。



その2年半後の、平成25年4月、
今度は母が、乳がんだと判明しました。


父の病気が治ってからというものの、
私は、

会社の仕事以外では、
大阪城ホール公演を目指す、ロックバンドおかんの子たちを応援して、

地元でイベント開催をしたりしていましたから、

それらの用事で、ほとんど家を空けていました。



そうして、大阪城ホール公演を無事に終え、その翌日、

自宅に戻った私に、母は云いました。

「ママは乳がんみたいやから。」


検査の結果、既に腫瘍は、6cmにも達していました。



母は、私にとって、最愛の人です。


私にも旦那さまができ、子どもができ、家族を築くことができたら、
最愛の人は、また、変化するかもしれないし、増えるかもしれないけれど、


これまで、今も、私にとって、母は、最愛の人です。


物心ついて、

母と私が、一心同体でないということ、同じ存在でないということが、
初めて分かったとき、

とてもショックを受けたことを、今でもハッキリ憶えています。


それは、母が高熱で苦しんでいる時、
自分は何ともなくて、元気だったから。

母と私は、別の人間なんだと、知りました。


とにかくそれから以降もずっと、
母のことは大好きだけれど、

空気のように当たり前の存在で、かつ、
友達のようないつでも何でも話してきました。


その母が、
知らない間に乳がんになり、腫瘍は6cmにもなっている。


絶対に、大丈夫だ。


もちろんそう思ってはいても、時におかしくなりそうなこともありました。

だけれど、絶対大丈夫だと信じているから、私は、むしろ、


【これから乳がんの人が、治療し、治っていく様子を見せていって、
同じ病気の人の何か役に立てたらいい。】

と考えて、Facebookなどでも、
母の病気のことを、書きました。


結果としてそれは、
沢山の方の目に触れて、

沢山の方から応援のメッセージをいただいたり、
沢山のアドバイスをいただいたりと、


逆に私たちが、本当に助けていただきました。


まだすべての治療が終わってから、
1ヶ月程度しか経っていませんが、

確実に母は、元気になってきています。




何が、云いたいのかといいますと。


私は、1回目では、氣づきませんでした。父のときだけでは、氣づきませんでした。

治ったことにかまけて、
そのまま、また、元の生活に戻っていきました。


2回目、母の病気が判明してやっと、

【何も根本的解決をはかろうとしてなかった】

ことに氣づいたんです。


あまりに腫瘍が大きいため、
医療に頼らざるを得ない状況ではありましたが、同時に、

あらゆることを、見直す機会となったのです。



医療とは、

起きている現象、症状を、

取り除いたり、緩和したりすることは出来るけれど、


その病気となった原因を、

根本的に体質から変えて、本当に健康な身体に導く、

ということは、出来ない。



人が、いわゆる病気になるまでのプロセスの中には、
必ず、

氣づかせてくれるための、サインが、何度も出ています。

サインに氣づいて、早く、改善していれば、病気となる手前で、
防ぐことができます。


病気を克服しても、
またこれまで通りの生活を続けたら、

それは病気になる傾向の習慣なのだから、
ただでさえ治療で弱っている身体にとっては、

再び病気になることは、ごく当たり前のことです。



それでも、サインを無視してしまって、
もうどうにならないところまで来ないと、人は、

なかなか、本当の解決に、真剣にならないということ。



いま、私の周りにも、がんを患っている方は沢山います。

乳がんの方も多い。

乳がんそれ自体では、命を取られるようなことはないけれど、
かなり高い確率で、

皆さん、再発や転移をしています。



一度では氣づけず、二度三度、
チャンスを貰ってきて、今があります。


私の母も、
今度こそ、と思って日々対策に励んでいますし、

私の関わる人たちにも、
なんとか、もらったチャンスを生かすために、

精一杯のことを、私もさせてもらいたいと思っています。



こんな風になるまで、なかなか人は、本氣になれない。

そんなもの、なのですね。

それでも、それでも、
間に合わない、ということは、無いから、

本氣になった今は、
なんとか周囲の人たちの、少しはお役に立てる働きをしたいと思っています。



これがひとつの、私のがんばる、理由なのです。





今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子








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