日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI

名前のことだまを入り口に、和ごころに気づけるブログです。

プロフィール

日野  愛子

Author:日野 愛子
日本人がもう一度、日本人になろう。

皇紀2671年3月11日、
再び、ほんとうの幸せに戻るための、
大きく舵を切れた転換点にするために。

いつもほんとうのことを知ろうとすること、
いつも自分の中の愛に聞いて、
一歩を選べるように。

知ることへの道は、愛のはじまり。

名前のことだまを入り口に、
素敵な日本に氣づけるブログです。

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こんばんは。いつもコメントしてしまいとても恐縮ながら今日も失礼致します。
花火というものは、いいですね。
打ち上がり夜空に咲く様は、まさに大輪の花のようであり激しく燃え上がる焔の様です。
まさしく花火ですね。

たくさんの人々を魅了したことでしょう。
でも、もうひとつ花火には美しさがあると思います。それは散る様です。
消えてあとには何も残らない。
残るものは、魅了された人々の心の中にのみである。
儚さにこそ、燃え上がる美しさがあるのかもしれません。鎮魂のために用いられるのは、まさにそのようなことからではないでしょうか。

そして、花火のあの大きな音は耳の記憶ではなく、愛子さまのおっしゃる通りみぞおちの辺りで記憶しているように思います。
それは、頭ではなくて心の記憶に残響として留まるからなのでしょうね。
今日も余計なことを、失礼致しました。

2013.07.27  國心  編集

國心さま

コメントありがとうございます。
そうですね…消えて跡に残らない…
日本には、散る様の美しさという美学があるためかもしれません。
桜の花が早く舞い散る行為も、あの花びらの中に、
神様がいて、幸せを早くみんなに与えるために散っていくように、
尊い人の行動にも見えるのかもしれません。

武士道精神のように、特攻のように…
幸せを思うがゆえに散っていく人の美しさを、
花火にも見た…のでしょうか。
少し大げさですかね。

いずれも後世に渡って語り継がれ、
記憶には無いものでも、記憶に組み込まれているかのごとく、
懐かしく共感できるものになっているんですね。

とっても深みがありますね。
どうもコメントありがとうございます。

2013.07.29  愛子  編集

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今夜は新居浜の花火大会でした。

私は昨日、ひと足早く、
内子町でおまつりに参加してきたので、
今夜は自宅で家族とテレビで見させてもらいました。

毎年クライマックスに仕掛けられている、ナイアガラが見事です。



花火は、ドンドンと、みぞおちのもっと奥に響きます。

沢山の人の波間。

ドンドン轟く打ち上げ花火に体を奥から揺らされ、

みんなの顔が、
赤や青に照らされては暗くなるのを繰り返す。

香ばしいいか焼きの匂いに後ろ髪をひかれながら、
ぽてぽてと歩いて帰る。


花火大会は、なんだか切なさのようなものがあります。


花火の起源は中国の爆竹といわれていますが、

日本ではもともと、
灯篭流しなどと同じで、
送り盆の時期に、魂の鎮魂のために打ち上げられたものです。


東京でも最大規模の隅田川花火大会も、
享保17年の大飢饉と疫病で亡くなった人々の
慰霊と悪病退散を祈って行われた水神祭が、
その起源だといわれています。


そう考えると、3.11後に、
沢山の花火大会が自粛となったことは少し残念ですが、

それでも、花火大会はちゃんと復活しましたね。

花火大会はこれまで、
どんな大きな災害や疫病の流行ったあとでも、
無くなってしまうということはありませんでした。

鎮魂の祈りならば、
無くなっていけない、無くなることはないものですね。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子
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こんばんは。いつもコメントしてしまいとても恐縮ながら今日も失礼致します。
花火というものは、いいですね。
打ち上がり夜空に咲く様は、まさに大輪の花のようであり激しく燃え上がる焔の様です。
まさしく花火ですね。

たくさんの人々を魅了したことでしょう。
でも、もうひとつ花火には美しさがあると思います。それは散る様です。
消えてあとには何も残らない。
残るものは、魅了された人々の心の中にのみである。
儚さにこそ、燃え上がる美しさがあるのかもしれません。鎮魂のために用いられるのは、まさにそのようなことからではないでしょうか。

そして、花火のあの大きな音は耳の記憶ではなく、愛子さまのおっしゃる通りみぞおちの辺りで記憶しているように思います。
それは、頭ではなくて心の記憶に残響として留まるからなのでしょうね。
今日も余計なことを、失礼致しました。

2013.07.27  國心  編集

國心さま

コメントありがとうございます。
そうですね…消えて跡に残らない…
日本には、散る様の美しさという美学があるためかもしれません。
桜の花が早く舞い散る行為も、あの花びらの中に、
神様がいて、幸せを早くみんなに与えるために散っていくように、
尊い人の行動にも見えるのかもしれません。

武士道精神のように、特攻のように…
幸せを思うがゆえに散っていく人の美しさを、
花火にも見た…のでしょうか。
少し大げさですかね。

いずれも後世に渡って語り継がれ、
記憶には無いものでも、記憶に組み込まれているかのごとく、
懐かしく共感できるものになっているんですね。

とっても深みがありますね。
どうもコメントありがとうございます。

2013.07.29  愛子  編集

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