日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI

名前のことだまを入り口に、和ごころに気づけるブログです。

プロフィール

日野  愛子

Author:日野 愛子
日本人がもう一度、日本人になろう。

皇紀2671年3月11日、
再び、ほんとうの幸せに戻るための、
大きく舵を切れた転換点にするために。

いつもほんとうのことを知ろうとすること、
いつも自分の中の愛に聞いて、
一歩を選べるように。

知ることへの道は、愛のはじまり。

名前のことだまを入り口に、
素敵な日本に氣づけるブログです。

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昭和20年8月6日。

世界で初めて、原子力爆弾が投下されたまち。ヒロシマ。

今、生きている私たちというのは、
最後の世代です。

戦争を経験した方々のお話を、
直接に伺うことのできる、最後の世代です。


この役割を、どう感じますか?


もう、今の子供たちが大人になって知りたいと言っても、
文献や映画や、教科書の中の、歴史の話になってしまう。

まだ、直接に、お話を伺える私たちが、
しっかりと受け継いでゆかなければならないと思います。

戦争の悲惨さ、
人類と核は共存できないということを。


安らかに眠ってください。
過ちは繰り返しませぬから。


そう申し上げた私たちなのに、
原子力を自ら選んでいた私たちの自責はたえることがありません。



広島市のホームページには、

原爆投下から2年後、昭和22年8月6日から始まった平和祭で、

歴代の広島市長が行ってきた平和宣言の抜粋、
昨年の広島市長の平和宣言の全文が、紹介されています。

今年は、
平和市長会議の総会が開催されることになっているそうです。


ここにこれまでの平和宣言を抜粋して掲載いたします。
ぜひお読みください。

そして、今年の平和宣言の文書にも、
ぜひ注目しましょう。

……………………………………………

昭和22年8月6日

「この恐るべき兵器は、恒久平和の必然性と真実性を確認せしめる「思想革命」を招来せしめた。
すなわちこれによって原子力をもって争う世界戦争は、
人類の破滅と文明の終末を意味するという真実を、
世界の人々に明白に認識せしめたからである。
これこそ絶対平和の創造であり、新しい人生と世界の誕生を物語るものでなくてはならない」

「今われわれが為すべきことは、全身全霊をあげて平和への道を邁進し、
もって新しい文明へのさきがけとなることでなければならない。
この地上より戦争の恐怖と罪悪とを抹殺して、真実の平和を確立しよう。」


昭和31年8月6日
原水爆禁止の文字が平和宣言に初めて現れました。


昭和46年8月6日

「次の世代に戦争と平和の意義を正しく継承するための平和教育」を明示。


昭和57年8月6日

同年6月の第2回国連軍縮特別総会で提唱した
平和のための世界的な都市連帯の呼びかけを取り入れました。

今日では、この都市連帯の輪は、
平和市長会議として世界153か国・地域の5,312都市(平成24年8月1日現在)に大きく広がっています。


平成3年8月6日

「日本はかつての植民地支配や戦争で、アジア・太平洋地域の人々に、
大きな苦しみと悲しみを与えた。私たちは、そのことを申し訳なく思う」と述べました。


平成8年8月6日

包括的核実験禁止条約の合意が「核実験の全面禁止につながること」への期待を表明するとともに、
被爆の実相を語り継ぎ、広く伝えていくために「平和文化の創造」と「被爆資料の集大成」を求めました。


平成9年8月6日

核兵器のない世界を実現するために、日本政府に対して
「「核の傘」に頼らない安全保障体制構築への努力」を求めると同時に、
私たちが言語・宗教・習俗などの違いをこえて、世界の人々と率直な対話を進めることの必要性を訴えました。


平成11年8月6日

被爆者が原爆の惨苦や絶望を乗り越え、ひたむきに核兵器の廃絶を訴え続けてきた足跡を称えた上で、
核兵器は人類滅亡を引き起こす絶対悪であるとの真実に基づき、
核兵器を廃絶する強い意志を持つことが何よりも大切であることを訴えました。

また、宣言の歴史で初めて「です・ます調」の文体を用いました。


平成12年8月6日

戦争と科学技術の世紀であった20世紀を振り返り、
憎しみや暴力の連鎖を断ち「和解」への道を拓くよう訴えました。


平成13年8月6日

21世紀最初の平和宣言として、21世紀を核兵器のない「平和と人道の世紀」にするため、
和解や人道を重視する勇気を持つよう訴えました。


平成16年8月6日

被爆後75年目に当る2020年までに、
地球上から全ての核兵器を廃絶するために、
「核兵器廃絶のための緊急行動」への支持を訴えました。


平成23年8月6日

被爆者の高齢化が進み体験を語れる方が少なくなる中、
ヒロシマの原点である被爆体験や平和への思いを、
次世代、そして世界の人々に共有してもらうことが重要であると考え、
初めて、被爆者から頂いた被爆体験談を直接盛り込みました。

……………………………………………

平成24年8月6日 平和宣言全文


1945年8月6日8時15分、
私たちの故郷は、一発の原子爆弾により灰じんに帰しました。

帰る家や慣れ親しんだ暮らし、
大切に守ってきた文化までもが失われてしまいました。

ーー「広島が無くなっていた。何もかも無くなっていた。道も無い。辺り一面焼け野原。悲しいことに一目で遠くまで見える。
市電の線路であろう道に焼け落ちた電線を目安に歩いた。
市電の道は熱かった。人々の死があちこちにあった。」

――それは、当時20歳の女性が見た街であり、被爆者の誰もが目の当たりにした広島の姿です。

川辺からは、賑やかな祭り、ボート遊び、魚釣りや貝掘り、
手長えびを捕る子どもたちの姿も消えてしまいました。

そして原爆は、かけがえのない人の命を簡単に破壊してしまいました。

――「警防団の人と一緒にトラックで遺体の収容作業に出る。
少年の私は、足首を持つように言われ、つかむが、ズルッと皮がむけて握れない。
覚悟を決めて指先に力を入れると、滴が垂れた。臭い。骨が握れた。いちにのさんでトラックに積んだ。」

――この当時13歳の少年の体験のように、辺り一面は、無数の屍が重なり、
声にならない呻き声の中、息のない母親のお乳を吸い続ける幼児、
死んだ赤子を抱き締め虚ろな顔の母親など、正に生き地獄だったのです。

当時16歳の少女は、大切な家族を次々と亡くしました。

――「7歳だった弟は、被爆直後に全身火傷で亡くなり、
ひと月後には、父と母、そして13歳の弟と11歳の妹が亡くなりました。
唯一生き残った当時3歳の弟も、その後、癌で亡くなりました。」

――広島では、幼子からお年寄りまで、その年の暮れまでに14万人もの尊い命が失われました。


深い闇に突き落とされたヒロシマ。

被爆者は、そのヒロシマで原爆を身を以て体験し、
後障害や偏見に苦しみながらも生き抜いてきました。

そして、自らの体験を語り、怒りや憎しみを乗り越え、
核兵器の非人道性を訴え、核兵器廃絶に尽力してきました。

私たちは、その辛さ、悲しさ、苦しみと共に、その切なる願いを世界に伝えたいのです。

広島市はこの夏、

平均年齢が78歳を超えた被爆者の体験と願いを受け継ぎ、
語り伝えたいという人々の思いに応え、伝承者養成事業を開始しました。

被爆の実相を風化させず、
国内外のより多くの人々と核兵器廃絶に向けた思いを共有していくためです。

世界中の皆さん、
とりわけ核兵器を保有する国の為政者の皆さん、

被爆地で平和について考えるため、是非とも広島を訪れてください。


平和市長会議は今年、設立30周年を迎えました。

2020年までの核兵器廃絶を目指す加盟都市は5,300を超え、
約10億人の市民を擁する会議へと成長しています。

その平和市長会議の総会を、来年8月に広島で開催します。

核兵器禁止条約の締結、
さらには核兵器廃絶の実現を願う圧倒的多数の市民の声が発信されることになります。

そして、再来年の春には、
我が国を始め10の非核兵器国による「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合も開催されます。

核兵器廃絶の願いや決意は、必ずや、
広島を起点として全世界に広がり、
世界恒久平和に結実するものと信じています。


2011年3月11日は、
自然災害に原子力発電所の事故が重なる未曾有の大惨事が発生した、
人類にとって忘れ難い日となりました。

今も苦しい生活を強いられながらも、
前向きに生きようとする被災者の皆さんの姿は、
67年前のあの日を経験したヒロシマの人々と重なります。

皆さん、必ず訪れる明日への希望を信じてください。
私たちの心は、皆さんと共にあります。

あの忌まわしい事故を教訓とし、
我が国のエネルギー政策について、

「核と人類は共存できない」

という訴えのほか、様々な声を反映した国民的議論が進められています。

日本政府は、市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を、
一刻も早く確立してください。

また、唯一の被爆国としてヒロシマ・ナガサキと思いを共有し、
さらに、私たちの住む北東アジアに不安定な情勢が見られることをしっかり認識した上で、

核兵器廃絶に向けリーダーシップを一層発揮してください。

そして、原爆により今なお苦しんでいる国内外の被爆者への温かい支援策を充実させるとともに、
「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断をしてください。

私たちは、今改めて、
原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、
この広島を拠点にして、被爆者の体験と願いを世界に伝え、
核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に全力を尽くすことを、ここに誓います。


平成24年(2012年)8月6日

広島市長 松井 一實

平和宣言(翻訳版)


……………………………………………


人類と核は共存できない。


何を、選びますか?


責任は、この大人の私たち、ひとりひとりに、あるのです。


黙祷。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子
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