日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI

名前のことだまを入り口に、和ごころに気づけるブログです。

プロフィール

日野  愛子

Author:日野 愛子
日本人がもう一度、日本人になろう。

皇紀2671年3月11日、
再び、ほんとうの幸せに戻るための、
大きく舵を切れた転換点にするために。

いつもほんとうのことを知ろうとすること、
いつも自分の中の愛に聞いて、
一歩を選べるように。

知ることへの道は、愛のはじまり。

名前のことだまを入り口に、
素敵な日本に氣づけるブログです。

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昨日の朝は初めての講演で、
プレゼン方式でお話させていただきました。

一夜明けると、もう遠く前の出来事のように思えますね。

時間はどんどん絶え間なく流れているな、と感じます。


余談ですが、今月8日に、
元アナウンサーの長谷川豊さんが、
新居浜で講演をされて、私は司会という形でお手伝いさせていただいたのですが、

講演の最後に長谷川さんは、
「再びテレビの世界に復帰したい、
いつ叶うかわからないけれど。」

という言葉を口にされていました。


そして昨日、私が講演させていただいたのは、
その長谷川さんがされたのと同じ会場だったわけなのですが、

私が講演させていただいた昨日、同じ日に、
長谷川さんは見事テレビ復帰をされたのだそうです。


なんだか、ちょっぴり因果を感じました。


お話をさせていただくときに大切なことって、
沢山あると思いますが、
その中の重要な要素のひとつは、やはり言葉だと思います。


お話は文章で成り立ち、
文章は単語で成り立ち、
単語は一音一音の音で成り立っています。


日本語は本当に奥行き深く、
世界的にみても、難しく、かつ味わい深い言葉だと思います。

現在では、
かな・カナ・漢字と日常的に使い分けていますし、

この能力があるということは、
日本語を使える人というのは相当に賢いはずです。


私はよく、このブログでも、

日本人は、とか、
日本人性を、日本の精神を、
ことだまを、

ということをお伝えしています。


昨日の講演でも、僅かながら、
ことだまのことや日本人性のことにも、
触れさせていただきました。


この私が言う『日本人』というのは、必ずしも、
遺伝的な日本人を指しているとも限りません。


日本人、という定義。


それは例えば、日本国籍を持っていること、とか、
遺伝的に日本人であること、とか、
色々あると思うのですが、

それも、どこまで遡るのか、という問題や、
誰かが決めたルールの問題では?という問題や、
色々分からなくなる点があります。


だって、本当に遡るのであれば、
純粋な日本人、原日本人というのは、
今やごくごく僅かにしか存在しないはずです。

北海道のアイヌ民族や沖縄の琉球民族。

大陸からやってきた人々に追い詰められて、
北へ逃げた人々と、南へ逃げた人々と。

僅かに生き残った人々が、
本当の意味での原日本人であって、

それ以外の日本人と呼ばれる私たちは、
遡れば、多くはモンゴルなどの大陸の血をひいているはずです。


だけれども、
私は、
日本人と呼ぶときの定義づけとして、

『日本人とは、日本語を話す人』

だと思っています。


皆さんも、ご経験ありませんか?

たとえば、
海外に少し長く滞在して、少しその国の言葉を話すようになると、
なんとなく、
その国の人たちの感覚に近くなっていく感じ。

海外でなくとも、日本でも、
関西に行って、関西弁を話すようになってくると、
なんとなく、
関西の人たちの感覚に近くなっていく。


関西の人が、関東に行っても、
なぜか頑固に、

自分は絶対関西弁を通すんだ!と言う理由は、
実は、

関東弁を話すことによって、
心までも関東の人のようになってしまいそうだから、
ではないでしょうか。


私も少しの間ですが、
連続して海外に滞在していたとき、

テレビや周囲から聴こえてくるのがすべて英語で、
自分も多少なり英語を話すようになってくると、

その身振り手振りなども含めて、

だんだん自分が、アメリカ人のような感覚になっていくのを感じました。

ちょっぴり怖いな、と感じるほど。


それを上手に利用しているケースが、

スポーツ選手などが海外移籍をして、会見などで挨拶する際に、
最低限の自己紹介などに、きちんとその国の言葉を用いていること。


拙い言葉でも、自分たちの国の言葉で、一生懸命話す外国人に対し、
その国の人たちは、確実に、
受け入れる体制を作ってくれます。

その国の言葉を話すということは、
その国の人たちに受け入れられていく、ということ。


ことだま。


言葉は、やはり、心を司っているのではないでしょうか。


ですから外国人の方であっても、
日本での生活が長くなり、
すっかり日本語を使いこなせるようになっている頃には、

侘び寂びのような日本人の感覚でさえも、
正確に捉える、
立派な日本人になっているのではないかな、

と思います。


言葉は、私たちが考えている以上に、
大きな力を持っているのかもしれませんね。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子
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