日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI

名前のことだまを入り口に、和ごころに気づけるブログです。

プロフィール

日野  愛子

Author:日野 愛子
日本人がもう一度、日本人になろう。

皇紀2671年3月11日、
再び、ほんとうの幸せに戻るための、
大きく舵を切れた転換点にするために。

いつもほんとうのことを知ろうとすること、
いつも自分の中の愛に聞いて、
一歩を選べるように。

知ることへの道は、愛のはじまり。

名前のことだまを入り口に、
素敵な日本に氣づけるブログです。

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26,27日と会社の研修で広島に来ています。

主なテーマは、ICTを利活用した買い物支援。
今日は三原テレビ放送さんの事例を見せていただきました。

他局さんの取り組みを見せていただくと、普段の自分たちの取り組みと照らし合わせ、
本当に勉強になることが沢山あります。


研修の合間に1時間程、
安芸の小京都・たけはらの町並み保存地区の観光案内をしてくださいました。

あまり知られていないのですが、
ここ竹原は、

平安時代、京都下鴨神社の荘園として栄え、
江戸時代以降の建物が、7割も残っています。
これは、日本一の残存率なのだそうです。

私はもう、古い町並みが本当に好きでたまらないので、
仕事を忘れて夢中になってしまいました。





竹原の場合もそうですが、
このような保存地区に指定されている場所のほとんどは、道はすべて三叉路です。

これは、牛の暴走の勢いを止めるためだったとか。

昔の人たちの暮らしの知恵ですね。


馬や牛たちがよく通るため、
泥がはねるので、泥よけを立てかけていたんですね。

左側の立て板が、泥よけです。



京都と違うのは、
大小路、板屋小路などの『小路』を、こうじと読まずに、しょうじと読むところ。

町並み保存地区は、正式には、
伝統的建造物群保存地区と言い、

城下町・宿場町・門前町・寺内町・港町・農村・漁村などの

伝統的建造物群と、周囲を取り巻く環境そのものを保存するために、
市町村が定める地区のことを言います。

ですから、
社寺・民家・蔵などの「建築物」はもちろん、
門・土塀・石垣・水路・墓・石塔・石仏・燈籠などの「工作物」、
庭園・生垣・樹木・水路などの「環境物件」もすべて、特定の対象です。

平成25年8月時点では、
全国で41道府県84市町村の104地区が選定されていて、

ここ広島では、竹原の他に、
呉の豊町御手洗というところにもあるそうです。

私の地元、愛媛県内もやはり二箇所です。
西予市と内子町です。


私としては、
この昔の人たちの息吹を肌で感じられるこういった場所が、
本当に大好きなのですが、

実際にそこに住む人、保存していく人たちというのは、
大変なご苦労があることと思います。


日常生活の中で、普段自宅に帰るという行為は、
通常誰もが、

最も心を落ち着けて、気兼ねなくいられることです。

それが、こういった町並みに実際に暮らす方々にとっては、
全く逆なのかもしれないわけです。


外出している時のほうが、よっぽど気が楽。
家に帰るときには、

さぁ今日も帰るぞ、あぁ、また団体さんが、
私の家の前で記念撮影してる、
すみません、自転車入れまーす。


なんて、家に帰ったほうが、
気が抜けない状況なのですから、大変ですね。


これが昔の人たちであったなら、

一歩自宅の敷地を跨いで外に出たならば、
人前では襟を正し、みっともないことはしない、

ということが身についていましたから、問題なかったのかもしれませんね。

しかしとにかく観光する私たちは、
少しでも住民の方々が気兼ねなく暮らせるように、
配慮しながら、景観を愉しませていただかなくては。

本当に清々しい晴れ間で、
道案内もしていただき、
とても気持ちのよい一日でした。







今日も、
ことだまの幸はふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

2013.07.28

太古に触れる

私は古いものがとても好きですし、
とても、信じているところがあります。

太古の昔から今日まで在るものというのは、
ただ、在るだけで、

強く何か意味をもたらしていると思うからです。

自然も、芸術作品も、生物の種類も。

ことだまもそのひとつあるわけですが。


ずっと命を繋ぎ続けて今に至っているということは、
在るべき何か、意味があったはずです。


今日は有難いことに、
高知県の大豊というところにある八坂神社に鎮座されている、
日本一の大杉に出逢わせていただくことができました。





須佐之男命が植えられたと伝えられる推定樹齢3000年の巨木です。

南大杉、北大杉と呼ばれる二株の大杉からなっており、
二株が根元で合着していることから、夫婦杉とも呼ばれています。

南大杉は根元の周囲が約20メートル、樹高が約60メートル、

北大杉は根元の周囲が約16.5メートル、樹高が約57メートルあり、

昭和27年に国の特別天然記念物に指定されました。


また、美空ひばりさんの遺影碑・歌碑でも有名。



敗戦直後の混乱期に9歳でデビューした美空ひばりさんは、
昭和22年、美空和枝という芸名で地方巡業をしている途中、

大豊町でバス事故に遭遇し九死に一生を得ました。

そして、一ヶ月半の療養後、
町内にある国の特別天然記念物「杉の大杉」に「日本一の歌手になれるように・・・」と願をかけました。


14歳の時には、再び大豊町を訪れ、
日本一の誓いも新たにこの大杉を参拝したのです。

その後、昭和歌謡史に大きな足跡を残したひばりさんは、

昭和の時代の終焉とともに、
日本中のファンに惜しまれつつこの世を去りました。


大豊町では、
美空ひばりさんゆかりの地として、

平成5年に大杉のすぐ隣に「大杉の苑」を整備し、遺影碑と歌碑を建立したのだそうです。


私も、ひばりさんの大ファンです。

祖母が亡くなったとき、
なぜか私の頭の中ではずっと、愛燦燦が流れていました。

歌声も、語り口も、存在感も、
生まれたときからオーラを纏ったような人。


日本一の杉に、日本一になることを誓った、日本一の歌姫。

日本一にあやかろうと、この地を訪れる人も多いのだとか。


今月、2回目の日本一。

愛媛県大三島の大山祇神社に鎮座されているのは、日本一の大楠でした。


樹齢3000年を超えると推定されるご神木が、
愛媛県にも、高知県にもあるなんて。


四国という場所は、なんて神秘なんでしょうか。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

昨日は誕生日ということで、

私の産土神神社である『湊神社』と、
伊予国一の宮である『大山祇神社』を参拝させていただきました。

湊神社には、祖父が足跡がしっかりと残っていて、
後の私たちへの深い愛情を感じました。



大山祇神社は、
全国に700社余りある三島神社・山祇神社の総本社。



この神社には、日本一がふたつもあります。


源氏・平氏をはじめ、
多くの武将が武具を奉納して武運長久を祈り、

国宝・重要文化財の指定をうけた日本の甲冑の、
約4割が、この神社に集まっているのだとか。
日本一の収蔵数です。

日本の初代総理大臣の伊藤博文、
旧帝国海軍連合艦隊司令長官・山本五十六をはじめ、
政治や軍事の第一人者たちの参拝がありました。



平安時代、伊予国の一宮として、
朝廷から「日本総鎮守」の号を下賜されています。

大正時代、「国幣大社」に列格され、
四国地方では唯一の大社ということになります。


そして最も私が誇りに感じることは、
日本最古の大楠の存在。

樹齢3000年の楠と、2600年の楠が、
目と鼻の先に鎮座しているんです。

今は皇紀2673年です。


日本の紀元より遥か前から、
そして紀元の始まりと同時に、

誕生した楠が、最も古い楠が、
揃って、この、愛媛県の大三島、大山祇神社に鎮座されている。


いずれも枯れてしまっていますが、
現存していること自体が信じられない奇跡。

そして、それらがこの愛媛県にあるということ、
私は意味を持ちたいと思います。







これは、能因法師雨乞いの樟。

ウィキペディアによると、

幹周17m(現在は10m以下)。
神池近くにある。伝承樹齢3,000年。
かつて日本最古の楠と言われた。
18世紀に枯死し腐朽がかなり進行しているが、1990年頃の調査でも胸高幹周10mの大木である。
名称は、1066年の大干ばつの際、能因法師がこの木に幣帛を掛け雨乞いを行ったことに由来する。このことは『金葉和歌集』の大治2年(1127年)に詠まれている。

とのこと。

伊予国の守藤原範国は因能法師を使者に立て、
祈雨の参拝をさせました。

『天の川 苗代水にせきくだせ 天降ります 神ならば神』
と詠じ幣帛に書き付け祈祷したところ、
伊予国中に三日三夜雨が降り続いたと云われています。





これは、乎千命御手植の楠。

幹周11.1m、根周り20m、樹高15.6m。神社境内のほぼ中央にある。
伝承樹齢2600年。
兵火(1322年)や洪水被害により樹勢は衰えているが下枝は葉をつけている。
現在では息を止めて3周すると願い事が叶うなどと信仰がある。
小千命の手植えとの伝承があり、名称はこれに由来する。
根本は柵で保護されているがその周りは踏み固められており、やや枯れ枝が目立つ。


とのこと。


日本ではじめに出来た場所は、淡路島と云われています。

あ~わの道。あわ路。音の世界。


土地として完全な形となったのは淡路が最初ですが、

不完全でも、点が、最もはじめに出来た地は…



実は愛媛であった。



という説を、聴いたことがあります。


この最古のご神木の存在を思うだけでも、
その可能性を信じてみたく、なるんです。


今夜、7/21、大変ショッキングなことがありました。

でも…


可能性を信じるということだけは…

忘れないで。

自分自身に、云い聞かせて…

少し、冷静さを欠いてしまう自分を抑え、
明日からいかにして希望を紡ぐのか、考えていきたいと思います。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

昨日一昨日と2日間、広島に、
セッションで滞在させていただき、

主催のみかさんのおうちに、
朝10時から夜10時まで、ずーっと居させていただきました。

幸せすぎたセッションのことは、
昨日のブログで書かせていただきましたが、

みかさんのおうちに居なかった僅かな時間の広島について、今日は書きたいと思います。
私にとって広島は、特別な場所。


1日目セッションを終えてホテルにチェックインしたのが23時。
それからすぐに、平和記念公園へと歩いて向かいました。

最近整備されたライトアップ。
『安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから。』
の言葉へ向かって、道が照らされています。

ひとり、まっすぐにその道を歩む中、サーッと吹き抜けるような風。

やはりここは、何か空気が違う。






しっかりと、まことの道を歩ませていただきます。

そうご挨拶したいと思っていつもやってくるのに、
いざここに立つと、

出てくるのは懺悔の念ばかり。


戦争を、我が事ととして、

攻められたことも、

我が過ちとして、

私たちはひとつ。ということを、

体現した私たちのご先祖さまたちに対し、

無知で無関心でいることによる、

他国での戦争への加担や、

目に見えない核の保持を、

どうして謝罪しきるだろうか、と、情けない気持ちでいっぱいになるんです。


それでも、ごめんなさい、ごめんなさい、と、
ここに来て、繰り返し謝ることで、
私は少しでもスッキリしようとしているのだと思います。

それさえも、私の都合かもしれません。


平和の灯火を前に、しっかり考えたいと、近くまで来ました。



しかしここでは、若い夫婦が犬を連れて散歩に来ていて、
平和の灯火の目の前で、家で話したっていいような、
子どもの進学についての話をずーっとしていました。

この夫婦、私が平和記念公園に到着した時からずっと居たので、
かれこれ30分近くは話し込んでいます。

そろそろ帰られるかな?と行ってみたけれど、やはり居て。

私はこの灯火の前で、どうしても、しばし静かに考え事をしたかったので、
根気よく待ってみたのですが、全く帰られる気配がなく、

結局諦めて、
原爆ドームの対岸に移動しました。



すると今度は、姿は見えませんが、
川から爆音のリミックス音楽が流れていました。

覗き込むと、その音楽をかけながら、若者たちが釣りをしていました。


私はベンチに腰を下ろし、少しの時間だけ、思い巡らせました。



時は流れ、形あるものは、変化してしまった。

街も、人も。


だけれど、形のないものは、どうだろう。

形ないものに、人は不安を感じたりします。

形が無いから。保証がないから。


だけどほんとうは、

形あるものこそ、必ず壊れ、形を変える。


形の無いものこそ、ほんとうは、

変わらず受け継ぐことも、出来るのではないだろうか。


受け継がれていないことに、嘆くことは簡単です。諦めることも簡単です。

でも…

簡単なんて、つまらないじゃない。


そう。そう。つまらない。

だからさ、諦めなくたっていいもんね。


そう呟きながら、ベンチから立ち上がりました。


もっと、みんなに、自分の力を信じてほしいな。

自分ひとりが、何をしたところで、世界は何ひとつ変わりはしないさって、

そんな大きな勘違いをしてる人が、とっても多い。


ほんとうは違う。

あなたひとりがとる行動は、世界に通じているよ。


もっと、もっと、自分の力を、信じてほしい。

そして、その力を、どう使いたいか、考えてほしい。

あなたのまことの心に聴いて。

そうだ。

だから、このことを伝えたいから、
私はこの名前のことだまセッションをしてるんじゃないか。


モヤモヤした気持ちのあと、またこの心に戻ったから、
翌朝セッション前に短時間だけ訪れた広島護国神社での参拝は、

ほんとうに、清々しかったです。







今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

本日は、松山市の愛媛縣護国神社をお詣りさせていただきました。

なぜかここしばらく、ずっと行きたいと、
気になっていたんです。



私は大学時代を松山で過ごしました。

護国神社は、
私の通っていた愛媛大学の正門から、
歩いて本当にすぐの場所にあるのですが、

あることは分かっていたのに、
ハタチの頃の私は、一度も、お詣りしようという気にならなかったんですね…。
失礼なことです。


護国神社は、東京都を除く、全ての都道府県にあります。

英霊(国家のために殉職した人の霊。戦死者、自衛官・警察官・消防士など)をお祀りしている神社。





靖国神社に参拝に行くことが、
距離的・時間的・立場的に難しい人も、
世の中には大勢いらっしゃいます。

私もまだお参りさせていただいたことがありませんので、
いつか必ず伺いたいと思うのですが、

その前に、まず、地元の護国神社に伺い、
鎮魂の意を捧げることが、なにか今、とっても自然なことのように感じます。

愛媛縣護国神社には、
愛媛県出身の英霊の皆さまをはじめ、
社会公共の為に尽力し、愛媛県の産業文化に貢献された功労者、
消防・警察・自衛隊公務殉職者、

あわせて49.723柱の御神霊がご鎮祭されているのですから。


言わずもがな、私たちの今の平穏無事の生活は、
この方々の犠牲のうえに築かれています。

そのことをいつも、忘れてはいけません。

私は、今日のような灼熱の季節になり、蝉が鳴き始めると、
記憶が甦るかのように、戦争時代のことを思います。



私が滞在している間に、
お宮参りのご家族が、ニ組いらっしゃいました。

あぁ…

この子にとっては、護国神社が産土神社となるのか…

無事に産まれた喜びを、
感謝とご挨拶を申し上げに伺うところが、
護国神社だということの、重み…


英霊の皆さまに、
先達に、
公職殉職者の皆さまに対して、

この今世お預かりした体で、
精一杯世の為人の為となるように、
精進してまいります。


ということを、お誓い申し上げていることだと思うから…


この二組のご家族と共に、
私自身も、そのことをお誓い申し上げてきました。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
有難うございます。 愛子

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