日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI

名前のことだまを入り口に、和ごころに気づけるブログです。

プロフィール

日野  愛子

Author:日野 愛子
日本人がもう一度、日本人になろう。

皇紀2671年3月11日、
再び、ほんとうの幸せに戻るための、
大きく舵を切れた転換点にするために。

いつもほんとうのことを知ろうとすること、
いつも自分の中の愛に聞いて、
一歩を選べるように。

知ることへの道は、愛のはじまり。

名前のことだまを入り口に、
素敵な日本に氣づけるブログです。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

おはようございます。
福島を昨日の夕方に出発して、
今、朝10時半、やっと倉敷を通過しています。



福島へは、マスクをして入りました。

車での東北ツアー、最後は、福島県南相馬市。


実は、東北行きの前に、
小さなことだけれどとても悩んでいたこと、

それが、マスクの着用について。


恐らくはもう、
マスクをしている人など誰もいないのだろうと予想はしていました。


けれど本来、マスクなどでは防げない放射性物質を、
マスクさえしないで過ごすなどということを、
してよい状況などではありません。

マスクをすれば大丈夫ということでもありませんが、
だからといって、しなくていいということでもありません。


もっといえば本来は、
福島県だけでなく、宮城県や岩手県でもそうだし、

関東圏までは当然のようにマスクくらいはしておかなければ。


けれど。

放射性物質は、目に見えない。


私も正直、福島県内に入った瞬間は、
なんとも言えない身体の異変を、僅かに感じたけれど、

すぐに、気のせいに感じられるようになりました。


けれどきっとそれは、気のせいじゃない。


マスクくらいは着用してほしい、そう思うし、
自分も付けたいと思うから、

ずっと付けて過ごそうという気持ちと、

ちょっと来たぐらいの者が大げさなことを、と、
嫌な気分にさせてしまうかもしれないという気持ちで、

少し、揺れていました。


けれど宮城県や岩手県では、とうとう付けることはありませんでした。

あまりにも、空が綺麗で風が気持ちよすぎて…




今しか居ない自分としては、

防ぐよりも、感じたい。

という気持ちが優先しました。



だけれど、さすがに、福島県内に入る時には、身構えました。

車内にいて、ウトウトとしている時に、
福島県内に入っていたのですが、

急に咳き込み始めて、
これはいけない、と慌ててすぐマスクをしたんです。


南相馬市小高区の、
9つの町、200戸の人たちが生活している応急仮設住宅へ、

甘夏たちをお届けに行かせてもらいました。



皆さん本当に、一様に優しくて、明るくて、元気で…

しかし仮設住宅の中でも世話係をしている方の苦労もあります。

仁木さんはお礼にと、手作りの小物をくださいました。




それから、居住禁止区域に住まいがある、金子さんが、
ゴールデンウイークの一時帰宅を許された期間ということで、

ご自宅周辺を案内してくださいました。



庭の中でも汚染がひどいのは、
屋根をつたって雨が落ちて溜まるところ。

ガイガーカウンターが鳴り止みません。




除染中と書かれた不自然なピンクの旗が、
そこらじゅうをはためいています。



「あと2年で終わりますって言うけんどぉ~、
もうだぁれも帰ってきたいとぁ~、思わねぐなってきたぁ~」


住み慣れた場所に暮らしたい気持ちよりも、
一体いつ帰られるのだろうと、

いま居る場所を、仮の居場所としか思えない状態が、
いつまでも続くことに、疲れた、という気持ちのほうが、

大きくなりつつあるようです。


さらに福島原発に近づいていくと、

浪江町に入る手前で、完全立ち入り禁止。







本当に、あの3年前の3.11の事故というのは、

被災地、被災者とひとくくりにするにはあまりにも違いすぎる違いがあります。


漁師町で有名な宮城県の沿岸部では、
津波による甚大な被害を、

震災当日から、目に見える形でまざまざと見せつけました。


原発からほど近い福島県では、
一見すると町は何も変わっていないように見えるのに、

決して人が住んではいけない場所へと変わりました。


全く性格の違う、ふたつの被災地を生んだ、福島原発。


これからの課題も、大きく違います。


離れた場所にいる私たちに出来ることは、意外と大きいと思いました。


というのも、
被災地の方々は、自身の居る場所の出来事で精一杯で、

すぐ隣町の状況を、全く把握していないのが現状です。
3年経った今でも。


それほど、自分たちの暮らしで精一杯だということです。


けれどこれは、大きな弊害を生みかねません。


離れた場所にいる私たちの言葉だから、
素直に聴ける、という部分も、多分にあるようで。

町同士の橋渡しをする役目もできるように思います。


実際、甘夏のお返しにと、宮城県でいただいて来たワカメやふのりなどを、
福島の人たちにお渡しすると、

福島の人たちも、
「私ら原発のことで大騒ぎしてたけど、あとで分かったら、
宮城の沿岸部の被害は本当に恐ろしかったんですよね~。気の毒でなりません。
家も家族も亡くしたって、私らより辛いでしょう。」

と、気遣われていました。


とは言え、目に見えなく、わかりにくいからこそ、
福島の放射性物質による被害は、これから恐ろしいですし、

福島のほうがまだいい、などとは、私は思わないのです。


これからも長い長い道のり。

共に歩いていきたいと思うと同時に、
この教訓を、必ず次の災害に生かさなければならないと思いました。


災害は、必ずまた、起こるのだから。




今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子





おはようございます!
ただいま朝2時。

これから、およそ4時間かけて、
新潟から仙台へと移動します。


昨日はひたすら移動のみでしたが、
途中富山では、砺波チューリップフェアに立ち寄ることができ、
とってもいいリフレッシュができました。








そのまま新潟へ移動し、健康ランドでお風呂に入り、仮眠をとって、出発。

ホンマ健康ランドという…面白い名前だったのに、
写真を撮り忘れました。



まだ、新潟を出発したばかりですが、
ここまででも、はや、感じていることがあります。


とっても当たり前のことです。


東北の方々の出来事というのは、
東北の方々というのは、

本当に、私と、私の家族や友達と、四国の皆と、

同じだということ。


当たり前のことだし、頭ではわかっていることです。


だけれどこうして、
飛行機などで行くのと違って、

四国の自分の家から車を運転してきて、
そのままの流れで、

地続きで、

とにかく目的地を更新しながら進んできた先に、
こんな新潟のような遠いところにも来られるし、このまま仙台へも向かえる。


季節柄もあって、雪なども降っていなく、
景色も、雰囲気も、何もかも、本当に自分の住む町と変わらない。


食事に入ったお店の店員さんも、
何もかもが、自分の町と変わらない。


本当に、地続きでこうして来たことで、

自分の日常の延長上にこの離れた土地でも同じようにあることを、
本当に当然のことなのですが、身をもって感じています。


私の住む四国は、正直なところ、
本当に、東北とは距離が遠いです。

ですから、全く同じ自分たちの出来事として捉えているようでありながら、
どこか、

遠く離れた場所での話…
のような感覚が、頭には無くても、身体にはあるんだと思います。


ずっと車で移動してきたこの道のりの中で、
その身体の感覚が、確実に変わってきたことを感じます。


朝6時頃にはいったん仙台に到着します。
それから今日の行程が始まっていく。

まだ何も、始まっていないのだけど、
移動しながらゆっくりと、身体の感覚の準備を進めてきた、そんな感覚。


初めてが、このようなずっとの車移動で、本当によかった。


震災被害に遭われた方々は、
私であり、私たちの一部であり、あなたでもあること。


それでは、そろそろ運転交代します。
いってきます!


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子








2014.04.29

昭和の日に

今日も仕事でしたが、朝少しだけ、顔を出させて戴きました。


1日から行く東北に運ぶ、物資の積み込み作業。

柑橘類200ケース分。

ただし収穫時からみて、傷んでいるものも多いので、選別して積み込みます。


選別後180ケース程になったら、あとの20ケースには、
ほうれん草などのお野菜を積んで、東北を目指します。







このようなことを、震災直後からずっと続けている方々が、
この新居浜市内にもいらっしゃるということが、本当に、心から嬉しいです。

東北の方が、少しでも、喜んでくださったら…
そう願いながら…


今回、その場に立ち会わせて戴けること、本当に嬉しく思います。

そして、出向く前からですが、今回の訪問は、私にとってきっかけであり、
これから、きっと何度も東北を訪れることになるだろうという予感がもう、しています。



さて。仕事では、取材が1件。

昭和天皇がお生まれになった日の今日、戦没者追悼式が執り行われました。


愛媛県知事、市長、国会議員、県議会議長、市議会議長、
そして県議会議員、市議会議員、市関係者、ご遺族団体の方々、
それぞれに献花をし、追悼の言葉を述べられる。

そして最後に、会場にいらっしゃるすべてのご遺族の方々が、献花と祈りを捧げます。



「日本国家存亡の危機に際し、
 身を挺して国のため、家族のため戦い、志半ばにして散った英霊の方々のうえに、
 今の私たちの暮らしがあることを、
 私たちは、永遠に忘れることがありません。
 二度と同じ過ちを繰り返すことのないよう、堅くお誓い申し上げます。

 今なお、世界では紛争や戦争が絶えず、
 日本でも、まだ癒えることのない傷に苦しむ東日本の方々が大勢いらっしゃいます。
 英霊の方々にも恥じることのないよう邁進してまいりますので、
 どうか、私たちを見守っていてください。」


次々に、壇上の前に集まるご遺族の方々、その手をあわせる姿に、胸が熱くなります。

手を合わせ祈る日本人の姿というのは、かくも美しいものか。


ご遺族の方々の目には、今も、
出陣していったご家族の、友の、恋人の姿が、焼き付いているんです。


「勝ってくるぞと勇ましく、誓って国を出たからにゃ、手柄立てずに死なりょうか~
 進軍ラッパ聴くたびに、瞼に浮かぶ旗の波・・・」


軍歌が私の耳にも、聴こえてくるようでした。

今思い起こしても、こみあげてくるものがあります。



生かされている私たちは、毎日を、笑顔で、有難く、幸せに、過ごすべきです。


その皆の笑顔と幸せが、これから先もずっと続いていくように、

大人の私たちには、笑顔でいながらも、取り組んでいかねばならないことが沢山あります。



東北から帰ったら、その翌週は、仕事で東京です。
延泊して、東北と同じく、ずっと行きたかった靖国神社にも参拝させていただくつもりです。

誓いを立てるのに、
私にとっての一番適切な場所が、英霊の方々のいらっしゃる場所のような氣がしています。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子






私は、もう1人のあなたです。


これは、インラケシュという、マヤの挨拶だそうです。


相手に、
共感したり、共鳴したりする、というのではなく、

相手に、なる。

相手になって、相手が見たり感じたりしているものを、見る。


そんな風な人との接し方って、皆さんはされますか?


私は、案外と、気がつけば、このことを勝手にやっています。


人の話を聴きながら、自分がそれを体験したかのように、
ありありとその現場の感覚を、感じることが、よくあります。


そういえば、物心ついた頃から、
例えば、

道端で敷かれてしまった猫なんかを見かけると、
車に乗せられサッと通り過ぎてしまうだけの瞬間でも、

途端に、
道路で横たわり、地面に頬をつけて、車や人々が行き交うのを見つめている…

自分が、横たわっている感覚になっていました。


物悲しさ、辛さが、一瞬にして、自分の中に…


もともと、身についていたようです。



昨年の夏、《時間をはずした日の祭り》を、内子のほうで主催した友達から、
改めて、

マヤのこと、自然時間のこと、宇宙意識のこと、
教えていただきました。


昨年の夏7月25日は、単純に、浴衣を着て、意味もわからず、
ただ楽しませてもらいました。








時計という、二次元の世界に閉じ込められてきた私たちだけれど、

本当は、自然時間の中に暮らしていた。

本当に、自然と調和して生きるとき、

日の出と共に起き、日が沈むと活動をやめる、
太陽のサイクル、宇宙のサイクルと、共にあるとき、

本来の自分自身が返ってくる。



私は実は、これまでずっと、《地球》にフォーカスしてきました。

だから、世界平和、ということを念頭に置くのですが、それはいつも、
地球のことを指していました。




本当は、太陽系の中の地球、宇宙の中の地球だと、
わかっていたけれど、

どうしても、宇宙までのイメージが出来なかったのです。

だから自分は、地球を常にイメージし、進めていこうと感じていました。


だけれど、友達に教えてもらった、

宇宙のサイクルの時間軸を生きてみる、

ということをイメージした時、


《宇宙規模の感覚が持てるかもしれない》


という気持ちが湧いてきました。


まだまだ、よく分からないことが多いけれど、
そんな意識に少しずつ、触れる手段として、

コズミックダイアリーというものを、
取り入れてみようかな、と感じました。



少し難しいような気もするけれど、
難しい言葉や何かは、

後から感覚と調和してくるはずだから。


まずは何より、

もっと自然を感じられる自分でいたいですね。



日の出の太陽の、
あの柔らかさ、あたたかみ、希望の放射…

この世の醍醐味のような、あんなにも美しい時間を、
私はいつも、眠っていて、知らない。


新年とか、特別な時しか、味わってきませんでした。


日の出と共に起き、
太陽の光を希望いっぱいに浴びるという生活に…

シフトしてみたいな…

そう、強く、感じました。



日本人は、誰よりも、

1日を、

希望で始め、喜びで終える、ということを、知っている人種です。


名前のことだまとも、リンクするところを感じました。



地球だけでなく、宇宙にも意識を向けてみたい。

そう思っていたところに、このようなお話が舞い込んできました。


すべては、本当に、うまぁく、まぁるく、なっていますね。


そうそう、コズミックダイアリーによると、私の誕生日は、

【KIN 178 ・ 白い太陽の鏡】

キーワードは、

【意志、脈動する、実感する】
【果てしなさ、映し出す、秩序】

なんですって。


あと5日後に、お誕生日を迎えるそう。
生まれ変わるよな、気持ちを持ってみよう。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子




日本人、日本の国民全体が、

ノーベル平和賞を授与される日、

というのが、来るのかもしれない。



戦争放棄を定めた「憲法9条」が、
ノーベル平和賞候補として、正式に受理されました。


神奈川県の市民団体が、

「憲法9条」をノーベル平和賞の候補にしようと、
TwitterやFacebook上で署名を集め、2万4千件に達し、

ノーベル委員会に推薦状を送り、受理されたそうです。




「憲法9条は、全人類の財産です。
この機会に、世界の人たちに知ってもらいたい」

と。


今年は、過去最多となる278の個人と団体を、候補者として受け付けていて、
平和賞は、10月10日に発表されます。


「もし受賞したら、日本を代表して、安倍首相に受け取ってもらいたい」


相模が丘九条の会メンバーで、
今回の実行委員でもあった方は、語っています。


「そうすれば、9条に手を加えることなどできなくなる」



受賞できるかどうかはわからないけれど、

この、叶えたいことへ向かう手段の取り方。


相手を、否定と反対で牽制するのでなく、

相手を、称することで、叶えようとする…

この方の、思いを叶えるための行動の方向性に、


平和賞を贈りたい気持ちです。




今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子




Copyright ©日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI. Powered by FC2 Blog. Template by eriraha.

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。