日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI

名前のことだまを入り口に、和ごころに気づけるブログです。

プロフィール

日野  愛子

Author:日野 愛子
日本人がもう一度、日本人になろう。

皇紀2671年3月11日、
再び、ほんとうの幸せに戻るための、
大きく舵を切れた転換点にするために。

いつもほんとうのことを知ろうとすること、
いつも自分の中の愛に聞いて、
一歩を選べるように。

知ることへの道は、愛のはじまり。

名前のことだまを入り口に、
素敵な日本に氣づけるブログです。

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今日は1月7日。

春の七草、召し上がりましたか?




年末年始は本来、

年神様をお迎えし、
自宅で共に過ごさせていただくために外出を控え、

また、その間は、
家事にいそしんだり、掃き掃除をしたりして、
神様を追い払ってしまわないよう、

あまりバタバタせずゆっくりとした時間を過ごします。


その間に、
神様と過ごし共に食すにふさわしいお料理を、
年末に作っておいたものが、正月のおせち料理。


年末からの忘年会、お節料理…

と、少し贅沢な食事で胃が疲れているところに、

この七草粥を食べる。


冬は野菜が育ちにくい季節ですから、
栄養素を補おうとした考え方もありましたし、
この日七草粥を食べることは、万病を防ぐおまじないともされてきました。

日本の慣習は本当に、

思想的にも、健康的にも、理にかなったものが多くて、
本当に素晴らしいなぁ~と思います。


同時に、
多くの慣習の意味合いが薄れてしまっている今を、残念に思う気持ちも増します。


食べ物に、命に、
季節を、感じにくくなってしまいました。



お正月問わず、年中お店は営業していて、
必ずしもお節料理を作らねばならない状況ではなく、

お正月問わず、贅沢な食事をいただくようになり、
必ずしもこの時期に、七草粥、というわけでもなくなりました。


戴ける食材も、季節を問わなくなり、

また、そもそも、
食材に含まれている栄養素自体も、

地球環境などの様々な要因から、多くの食材の栄養素は、
本来のそれの、3分の1以下になってしまい、

もとより、
食材から栄養素を補うこと自体、非常に難しくなってしまいました。



昔の日本のようでありたい。

そう願う一方で、

昔に戻る、ということが出来ないことも知っています。


過ぎた時が、巻き戻ることはありません。

だけど。

昔から学び、今に生かし、

より良い慣習を作っていくことが、
私たちにはきっと出来ると思っています。


そのために重要な第一歩は、

【すべてのことは、昔のままではない、
ということに、氣づくこと】


ニンジンという食材の中には、
この栄養素がこれくらい含まれているものである、

という学術的事実は、変わらない事実であっても、


本来はそうであるけれど、

今私たちの身の周りにあるニンジンは、
その学術的に云われているニンジンの栄養素や、量なのか、


とは、全く別の問題になっているということ。


私たちがこれまで、
常識だと教えられてきたことや、常識だと信じてきたことが、

これから先も、本当に常識のままなのかどうか。


私はこの数年間で、
色々な分野で、そういったものが、しばしば逆であったということを、

見てきました。



決して変わることのない、
変わってはいけないものは、

精神性や魂のような存在。


しかし、それ以外のあらゆるものは、

常に変化しているし、

今年は特に、変化の流れがとても速いということ。



何が必要で何が必要でないのか?

常に学び続け、進化し続け、伝え続けていきたいと、思います。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

さてさて、お正月のお休みも終わり、

明日からお仕事始めという方が、多いでしょうか。


お正月は、
ご家族や親しい方と、ゆっくりとした時間を過ごせましたか?

私もつかの間、かわいい従兄弟たちに会えて嬉しかったです。



お年だま、

子どもの頃親戚の皆さんからいただいてきましたが、

すっかり今ではあげる側になりました。


この、お年だま。


昔は、【お年魂】だったんです。



先日、お正月にお招きした年神様の魂が、

お餅に宿るので、

みんなでそれを食べて力にする、

というお話をしましたが、


それが即ち、お年魂。


昔、商家で、高価とされていたお餅を、奉公人に配っていたのですが、

お餅の代わりに、お金を包んで贈るようになったそう。


これが、現在のお年玉の起源なんですね。


ですからなにも、お年玉は大人から子供へ、

というわけではなく、

感謝をお伝えしたい方への気持ちで、というニュアンスだったんですね。



私たちに代わって、

私たちが担えない未来を、担ってくれる子供たちに向けて、



ありがとう。よろしくお願いしますね。



と、気持ちを込めて。




今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

皆様、新年あけましておめでとうございます。

思い思いの、元日をお過ごしのことと思います。


私も、このように過ごしてみたいな、と、
思った通りのお正月、とはいかないまでも、

何よりも、

家族3人揃って、ただ平穏に迎えられたお正月を、
有難く感じています。


大晦日から元日の今日にかけては、
外出することなく、家族で家で過ごしました。


昔から、私は、大晦日や元日に外出・外泊することに、
少しばかりの抵抗感がありました。

特にこれという理由があったわけではないのですが、なんとなく…


だけれど今、大人になって、
なぜそんな感覚があったのか、理由が分かるようになりました。


年神様をお迎えするのには、

綺麗に掃除をして、

門松によって、この家には来ていただいて大丈夫ですよという目印を置き、

在宅している家でないと、いらっしゃれない、

という習わしなのだそうです。


だから大晦日や元日は、できれば、お家に帰られたほうがいい。


もちろん、時に皆さんで旅行に出かけられるのも、
いいことだとは思いますが…



やってきた年神様は、餅に魂を宿らせるといわれていますから、
お雑煮を食べて、

神様と一緒に食事をするという儀式を、

ただただ、ありがたく…




優しくてあったかぁいお雑煮の、

お餅を口に含んで、

のび~っと伸ばし、


こたつに入ってみかんを食べる。


特別なことは、何もなくても、

ただ、命があって新しい年を迎えられた。

それだけでも、じゅうぶんに、有難いことですね。



また、年神様というのは、
民俗学者の柳田國男さんによれば、

先祖の霊だとも考えられてきたそうです。



明日以降、
土地の一宮の神社や産土神社にお参りさせていただきますが、

それより以前、
おうちの中にいて、ただ、

年神様、ご先祖さまの存在を感じながら、
平穏に過ごさせていただけたことも、


大変な喜びごとです。


穏やかな2日間でした。
ありがとうございます。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

初めて、映画館に1人で映画を観に行きました。レイトショー。

感想を明日のブログで…
と思っていたのだけれど…


このまま眠れば、明日の私の顔はお岩さん。

だからこのまま、ブログを書いてから眠ることにします。


『かぐや姫の物語』

風立ちぬを観に行ったとき、はじめてその予告編を観て、
絶対観に行こう!と思っていました。

だけれどなぜか、しばらく行く気持ちにならず、
でも、今日、
突然行きたい気持ちが弾けました。


今は自宅です。

帰りの車中、途中から、吹き出すように、決壊したように、
わんわんと泣き出してしまいました。


思いきり泣きたかったんだ、って分かりました。

この物語を観て、泣きたかったんだ、って。


驚くほどに…

こんな時、なんて言葉を遣えばいいのかわかりません。

あまりに、姫の心と、自分の中の何かが、呼応していました。


アニメーションの技術の素晴らしさも、
制作に8年かかったことも、50億円かかったことも、

私には何の関わり合いもなく、
真っすぐにしみこんで、

気づけば姫と一緒に叫び出しそうでした。


ただ、
地井武男さんの声だ!と思ったお爺さんのナレーションが、
時折、
あれ?地井さんじゃないのかな?と思った場面がありましたが、

三宅裕司さんが少しだけ、代役を務められていたのだそうでした。


昨年6月に亡くなられた地井さん、
吹き込みは終わっていたのだそうですが、

あとで台詞の変更などがあり、どうしても手直しが必要で、

三宅裕司さんは、自身の名前を出すことを断りつつ、
ナレーションを引き受けられたのだそうでした。




にんげんの心を蘇らせる、わらべうた。

作詞作曲も、監督の高畑勲さんだったようです。



まわれ まわれ まわれよ 水車まわれ

まわって お日さん 呼んでこい
まわって お日さん 呼んでこい

鳥 虫 けもの 草 木 花

春 夏 秋 冬 連れてこい
春 夏 秋 冬 連れてこい


まわれ まわれ まわれよ 水車まわれ

まわって お日さん 呼んでこい
まわって お日さん 呼んでこい

鳥 虫 けもの 草 木 花

咲いて 実って 散ったとて
生まれて 育って 死んだとて

風が吹き 雨が降り 水車まわり

せんぐり いのちが よみがえる
せんぐり いのちが よみがえる



そして挿入歌に、いのちの記憶という歌。



あなたに触れたよろこびが

深く深く

このからだの端々にしみこんでゆく

ずっと遠く 何もわからなくなっても

たとえこの命が終わる時が来ても


今のすべては 過去のすべて

必ずまた会える 懐かしい場所で




まだ観ていない方のために、やはり、細かなことは書けないけれど、

私はこの歌を、帰りの車中で歌いながら、号泣していました。


この映画は、号泣する映画ではないのかもしれません。

だけれど、今の私にとっては、唯一、
今の穢れを、氣枯れを、

洗い去ってくれるもののように感じて、観に行きました。


この前のブログにも書いたような、

春夏秋冬の移り変わりをただ、愛でたい想いが、
この映画の中のわらべうたと呼応していたり、


穢れてなどいない!
という姫の強い言葉に、押し戻されたり、

本当に、

いま、観ることができて、本当によかった。



何のためにこの地に降りたの?



草木花、風に乗って、笑いながら、

共に生き…


偽物のわたしでも、

いつまでも、共に笑い合えた日々の美しさは、自然のよろこびは、分かる。


目を閉じれば、いくつも、いくつも、いくつも、いくつも、

宝物のような思い出が巡るから、
罪と罰があったとて、還ってゆける。




しまった。

やはり、もっとちゃんとした感想を書くなら、
一晩寝かせたほうがよかったのかもしれません。


やはり今は、うまく伝えられない。

ただ、確かに、今、巡り合うべくして巡り合えた、映画でした。



この気持ちが少し落ち着いたら、

利休も観たいし永遠の0も観たい。


近頃、日本人性を呼び覚まさせてくれるような邦画が多い。

嬉しいです。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

2013.12.14

粋の妙

元禄15年の今夜は、
今も日本人が胸を熱くする、あの出来事が起こった日…


元禄14年3月に、
江戸城松之廊下で播磨赤穂藩主・浅野内匠頭長矩が、
幕府の礼式を司る高家筆頭の吉良上野介義央に小刀で切りかかるという事件が起きました。

喧嘩両成敗という考え方の当時にありながら、
浅野には即日切腹、領地没収という厳しい処置がとられたのに対し、
吉良にはお咎めがなかったことに、端を発した事件。

『赤穂浪士の討ち入り』

綿密に計画を練りに練って、翌年12月14日寅の上刻(15日午前3時頃)、
大石内蔵助の率いる47人が、本所の堀部安兵衛宅に集まり、そこから吉良邸へ討ち入りました。

わずか2時間の戦いの末、
赤穂浪士たちは、死者を出さずに吉良の首を取りました。


この事件は、

・浅野内匠頭長矩が、吉良上野介に刃傷に及ぶまでのいきさつ

・赤穂浪士の綿密な計画や、討ち入り当日までの47人それぞれのドラマ

・討ち入り当日とその後について


と、各々の場面が、不思議なほどに非常に細かく描写されている作品が数多あります。


今も尚、新たな作品が生まれ続けていますが、

はじめて舞台として取り上げられたのは、なんと、
討ち入り後間もない、
翌元禄16年の正月だったというのです。

江戸山村座で演じられた『傾城阿佐間曽我』(けいせいあさまそが)
曾我兄弟の仇討ちという建前ではありましたが、
まさしく赤穂浪士の討ち入りを表現していました。

江戸幕府から、
同時代に起こった武家社会の事件を、文芸や戯曲で取り上げることは禁じられていたため、

別の時代や他の歴史上の人物に変えて演じていたのです。


江戸時代の人たちは、本当に、
工夫を凝らして自ら愉しみ、信念を残すということをやっておられたのだなぁと思います。


以来、浄瑠璃や歌舞伎、講談や浪曲、
舞台、映画、ドラマ、様々に形を変え、
今にもずっと受け継がれています。


当時、江戸の世で、
この事件がこれほど話題になった理由のひとつは、

民衆は皆ひそかに、赤穂浪士の味方であったから、と云われています。


吉良邸の広さは大変なもので、薄暗がりの中、
わずか2時間で吉良の首を討ち取ったのには、
近所の人たちをはじめ、大方の人間が赤穂浪士たちに味方をしていたこともある、
という説もあります。


また、もうひとつの理由には、
江戸時代というのは、
ひとつの事件がこれほどまでに大きく取り上げられるほどに、

「平和だった」こともあるでしょう。



それにしても、です。

【47】というこの数、なんだかとても、不思議に感じます。



この思いを、いかにしてか残さんと、意図があったのか無かったのか…



今の日本の国は、47都道府県から成っていますね。


四十七士の装束に、それぞれ、
いろは仮名を一文字ずつ書いた浮世絵も存在します。


いろは歌、「いろはにほへと」「ちりぬるをわか」・・・

いちばん下の文字を順に読むと、
「とかなくてしす」・・・「咎(とが)無くて死す」・・・




日本人は、粋ですね。

粋の妙が、日本人を日本人たらしめている。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

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