日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI

名前のことだまを入り口に、和ごころに気づけるブログです。

プロフィール

日野  愛子

Author:日野 愛子
日本人がもう一度、日本人になろう。

皇紀2671年3月11日、
再び、ほんとうの幸せに戻るための、
大きく舵を切れた転換点にするために。

いつもほんとうのことを知ろうとすること、
いつも自分の中の愛に聞いて、
一歩を選べるように。

知ることへの道は、愛のはじまり。

名前のことだまを入り口に、
素敵な日本に氣づけるブログです。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

いよいよ7月がやってきますね!

最近周りのお友達が、色々なチャレンジに乗り出し、確実に夢に近づいている。
その空気感に刺激を受け、嬉しくなっている、7月生まれの愛子です。

皆さんもお元気ですか?


夢といっても、大きいとか小さいとかは関係ありません。
そもそも大きい小さいは、人の物差しによるもので、
個人的感覚でしかないもの、存在しない概念と言ってもいいですね。


大切なことは、
「自分にとって、それが叶った状態を体感するかのごとくありありと想像したとき、
 ワクワクして、夢中で、居ても立ってもいられないくらいウキウキになる」
ということ。


思い描いた通りに自分の部屋を片付けられた!

ヨーロッパに行くことになった!

初めてひとりで呑みに行ってみた!


何でもいいのだけれど、とにかく大切なのは、
「本人がワクワクするかどうか」。

本人以外の誰が、どう感じるかは、全く関係ありません。



先日のブログで少し触れた、
私の名前の最初の「あ」は始まりの音、ということについて。

名前の最初の音は、身近な人に与える影響の大きい、「花」の部分なのですが、

≪始まり≫という意味以外にも、
≪希望≫ ≪閃き・アイディア≫ ≪遠く≫ ≪天(あま)≫という意味があります。


何か考え事をしていて、
ふと、何か思い出した瞬間に、最初に何と言いますか?
ふと、閃きが降りてきた瞬間に、最初に何と言いますか?



「あっ!」

ですよね。


「えっ!」とか「すっ!」とか「こっ!」なんて、
言ってしまうひとはいませんよね。

それも大抵の場合、上向き加減、斜め上を向いて言ったりしませんか?


「閃いた」瞬間とは、まさに「希望」の「始まり」の瞬間。
「天(あま)」という少し「遠く」を見上げるように、脈々と私たちの感覚の中に、在る。


唄の歌詞の中でも、「ああ」という音を使うことは多いですが、
遠くに想いを馳せるような意味合いで使われていることが多いように思います。

「ああ ああ 青春の日々よ」
「ああ 果てしない夢を追い続け」などなど…


誰に教えられたわけでもなく、
日本人に根付いている、説明のしようのない、むしろ説明不要の感覚です。

言葉ができる前に、まずは音があったから。

日本語の音、一音一音に、もともと、意味があったんですね。
江戸時代にできた言葉で云う、「音義説」です。


私と同じ、「あ」の音をお名前に持つ方は、

≪始まり≫ ≪希望≫ ≪閃き・アイディア≫ ≪遠く≫ ≪天(あま)≫

を、周囲の方に与えてあげられる使命(氏名)を持った方。


じぶんの名前を好きになって、
たくさん名前を呼んでもらって、
ますますその使命を発揮してくださいね!

私も、少しでも多くの人に、

その人が本当にワクワクできる夢へのきっかけに、
そんな「あ」をお届けできるように、邁進したいと思います。






今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子


みなさまこんにちは。愛子です。

ほぼ1ヶ月ぶり、お久しぶりのブログです。


この1ヶ月は、
痛い感覚から逃げないで、じぶんの内面と向き合う1ヶ月でした。

向き合うというほど真面目なものでもなく。
ちょうど、味わうというような感じ。


休みの日はおうちで本を読んだり、DVDを観たり、料理をしたり、プチ断捨離をしたり。

こまごまと、催しごとはあったものの、総じて穏やかな日々を過ごしました。


実は4月の終わり、5月1日からの東北行きの前日に、
私にとっては、大きな事件がありました。

「わぁ…ちょっとこれは…人間不信に陥っちゃうぞ…」


長い間大切に考えてきたことが、崩れてしまって、
元に戻すことができなくなった日でした。


怒りと向き合ったり、哀しみと向き合ったり、
どこにも居場所がないと泣いてみたり、
みっともないじぶんを、とことん味わいました。


もちろん今も、すこし気を抜くと、何とも言えない、きゅーっとなるような不安に、
じぶんがどんどんどんどん縮こまって小さくなってくような感覚を憶えます。

大きなショックは、なかなか簡単に癒えるものではないようです。


気持ちを落ち着かせるために、
自然の中に身を置いたり、神社に籠ってみたり、美しいものを見たりして、
自分の中から自然と湧き上がってくる感謝の心にフォーカスすることはとても大切です。

「生かされている…。これ以上、何を望むの…」


大切だけれど、
だからといって、起きた問題が解決しているわけではないから、
目の前のことをどうするのかは、決める必要がある。


「大変」は「大きく変わる」ということ。


普段、人は、常に常であろうとするので、昨日と同じ今日、今日と同じ明日を求め、
知らず知らず、変化しない道を選んでしまう習性を持っています。

いくら気合いを入れても、いくら決意を新たにしても、
そんな興奮をする以前のあなたに、必ず引き戻される。

だから、ちょっとやそっとのことでは、変わらないんですね。


それでも否応なしに、人の人生が大きく変わる転機というものもあります。

大きく分けて、この3つだといいます。


①大きな金銭トラブルに見舞われたとき

②大きな人間関係のトラブルに見舞われたとき

③身近な人の死に直面したとき


こんな3つの大変に出遭ったとき、人生は、否応なしに「大きく変わる」ようです。

今回の私の場合は、②でした。


「起こった出来事は変わらないけど、起きた意味はじぶんで選べる」から。

ここにどんな意味を持たせるのかは、じぶん次第。

だから私は、こんな意味を持たせることにしました。

「あの時、あの事件が起きてくれたおかげで、私は決断することができた。
 そのおかげで、今はこんなにもじぶんの心に正直に、
 人に何を言われようと気にすることなく、大切なことを大切にできるようになった。」

「あの時、あんな悔しい思いをしたおかげで、今後似た状況になった友達に、
 この経験が役に立つ、伝えられる自分になれたんだ。」

これから先、この言葉を、実感しながら深くしみじみと言えるように。



名前の最初の音って、

その人が、身近な人に与える最も大きな要素。


植物に例えるならば、「花」の部分です。


≪あいこ≫の≪あ≫の音は、五十音の最初の音、始まりの音。

≪あ≫にも色々な意味がありますが、まずは始まりを告げる音だから。


じぶん自身、深みを増しながら、
出逢った方に、素敵なことの始まりを予感させられる人でいたいなぁ~と思うのです。

私と出逢ったみなさんに、
「新しい始まりの時かな」と感じていただけたら幸いです。





今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子

こんばんは。

今日まで、このブログを愉しみに読んでくださった方、本当にありがとうございました。

今日が365日目。
毎日と決めてスタートしてからの、ゴールになります。


1年前の、母への「本気のお見舞い」をしていただいたことをきっかけに、
これからは性根を入れて、人様のお役に立って行くぞと、スタートさせたブログでした。


毎日のブログには、正直な気持ちを書いているようで、
でも、書けないことのほうが多くって、
ジレンマを抱えていました。

はやくジレンマのない、ニュートラルな状態で物事を発信できるようになろうと考えてきましたが、
なかなか思うようには進みませんでした。


今の私では、人様のお役に立つどころか、
自分自身の余裕のなさを、毎日のブログの中に、できるだけ出さないようにしようとするようなものでした。


1年が経ちましたが、未だ、
やるべきことに追われている状況に変化は無く、

追われながら書くものではなく、
本当に、大切なエッセンスを書きたいのに…とブログに対する向き合い方の不満も募ってきました。


そんな中でも、「いつも楽しみに読んでるよ」なんてお声をいただくと、
本当に嬉しく、また、こんなものではいけないな、と反省してきました。


それは、

自分の適当な日記として始めたのではなく、
「日本に氣づけるブログ」として始めたからでした。


私に、そんな偉そうなことが言えるような権威など、何もありません。

けれど、どうしてもなんとかしたかったんです。
確信だけはありました。



『世界を平和へ導けるのは、地球の環境を元に戻そうと導けるのは、日本人だ』と。



どんな文化でも、どんな人種でも、どんな宗教でも、
受け入れて、更に良いものへと昇華してきた日本人だからこそ、

融和というものに導けるはず。


山も海も風も、すべては神様で、自然に畏怖の念を抱き、
自然と共に暮らしてきた日本人だからこそ、

すべての生き物が調和して生きることの素晴らしさを知っているはず。


ただ、


本当は知っているのに、忘れているんです。



それがとても悲しい。

日本人には、大きな大きな役割がある。

自分の力を見くびらないでほしい。

あなた一人が救えるのは、あなたやあなたの身の回りの人や地域の人たちだけじゃない。

あなた一人が、世界中を、地球を、救えるほどの力を持っている。




私なりに、そのことを、なんとか色んな方法で伝えていきたい。

そのために、日本人1人ひとりの方に、
自分自身の生まれた役割を思い出して、自分を愛せるようになってほしくて。

名前のことだまを取り入れたり、
健全な身体と心を手に入れる方法を模索し伝えたり、

してきました。


伝えることを諦めたくない、いつか意味を成すと信じて行動する、
その思いは、変わりません。

ただ、
自分自身を癒し、もっと真っすぐに見つめ、もっと迷いのない状態になるために…


ブログは、本当に、思いに任せて、書きたいと思ったときに書く、
というように変えてみようと思います。


会社からの帰宅後、旅の移動中など、多くの時間を費やしてきたブログを書く時間を、
今度は、
自分自身を見つめ、癒やす時間へ、また、大切に思っていることの鍛錬や勉強のため、
費やすことにします。


最後というのになかなかまとまりません。


今はただただ、読んできてくださった方に、心から御礼申し上げます。

未熟者ゆえ、もっともっと、鍛練してまいります。


今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子



この2日間の関西も、大充実でした!


おかげさまで、日々の過ぎゆくのがうんと遅い、そう感じられる毎日です。


この5月などは、ブログにも毎日書いてきましたが、

1週目が東北、2週目は東京、3週目は京都・大阪。


それも初めてのことばかり…


東北に行くことが初めて、それも全行程車移動。

靖国神社参拝も、明治神宮参拝も、皇居ランも初めて。

そしてこの2日間のメインイベントは、これまた初めて。
ボクシング観戦でした。


なんとなく、迷いの無い人の目って、分かりませんか?

私は、よく分かります。


不思議な力などは無い私ですが、
迷いない目、必ず夢を叶える人の目。


初対面でも、ピンときます。


一般的には、とてつもなく大きな夢を、根拠なく語っている人、
に見える人でも、

あぁ…この人はきっと叶えるなぁ。

と思うときがあります。

それは、なんとなくなのですが、
あえて、その内容を説明しようとするなら、


『この人がその夢を叶えたとき、この人以外に、幸せになる人が、きっと多いな。』


というようなとき。



だって。

そうじゃないですか。


世の中は、いつでも、

誰か特定の人の為だけに形成されているわけじゃありません。


この人の云うことが叶ったならば、
それは、全体として、結果として、未来から見て、

よかったぁ~~~…


っとなるようなことのほうへ、
物事とは動いてゆくものだと。


事実はわかりませんが、

私にとっての真実は、そうで在らせたいのです。


だから、

この人の夢、きっと叶うな、
叶えたほうが皆のためにもいいな、と、


これまで何人か、
そんな風に思う色んな人に出逢ったことがあって、

たとえば私にとって、

初対面のときのロックバンドおかんのDAIがそうでした。

大阪城ホールに立ちたいと思ってる、と聴いて、
その夢、必ず最後まで一緒に追いかけると約束しました。


初対面のとき、まだ高校生ボクサーだった京都の大森将平くんもそうでした。

必ず世界チャンピオンになります、と繰り返し言うのを聴いて、
どうかこのまま変わらず、真っすぐな青年でいてほしいと、
沢山の素敵な大人に会わせたいと思いました。



将平くんの試合は立派でした!

これまでいつも、試合、観に行けるようなら行くね、
と言いながら、なかなか都合があわず、しかしそれまで彼は、

プロデビューから既に11試合を終え、全勝6KOという成績。








今回は、
同じ高校の先輩であり、金メダリストの村田諒太選手のアンダーカードして、

世界ランカーの選手を相手に、12連勝を賭けた闘い。




本人がいちばんよく分かっているはずなので、何も言いませんでしたが、
今回の試合は、彼にとってかなり大切なポイントだったと思います。


それでも、事前のフジテレビの取材で、
『必ず勝って村田先輩に繋ぐので、村田先輩も勝ってください。』

とコメントしてるのです。






若さ、とか、ビッグマウス、とか、
外から口で云うのは簡単ですが、

言ったことを、必ずやりきること、
自分の全身全霊を賭けて、そこに執着すること…


それが出来る人のみが、いかなる夢をも叶えていくのだと、思います。


執着という言葉は、時に、あまり良くないものとして扱われます。


けれど、本当に目指しているときは、集中して執着せずして、
目標を達成することは、あり得ないのだと思います。


執着していたら、

もし万が一達成できなかった時、心が折れる?


そんなことで折れる心ならば、
そんなことを恐れる心はらば、


そもそも最初から、挑戦すらしなかったはずです。


本氣で挑戦する人の周りには、

自然と、応援したいという人たちが少しずつ集まってきて、
やがて大きなムーブメントを巻き起こすのでしょう。


もし、自分が行うこと、志したことに、
それが伴わないときは、

誰のせいでもない、
自分の決意と行動が未熟であったがゆえ。


改めて、そんなことを、感じました。



このほか、せっかくの京都ですから、
隙間時間で、陽子ちゃんと、少しずつ京都を愉しみました。






大阪では、
最先端の栄養学と、環境概況などを勉強し、

最後は、
友達であるデザイナーのJUICYと、
彫り師の高萩正志さんのコラボ個展を覗きに行かせてもらいました。




JUICYは、常に落ち着いた媚びない姿勢で、
知らない方にとっては、時に冷たい印象がして、誤解されやすい人かもしれませんが、

私は、とても正直な人間だなぁ~と、心の中がよく分かるので、
とても話しやすい友達です。

ロックバンドおかんの大阪城ホール関連のデザインは、すべてJUICYが行っていました。


高萩正志さんは、初対面でしたが、
とても力強く繊細な龍を描く方で。

今は毎朝、龍を描くのだそうです。


また、そこで、東日本大震災直後からずっと支援を続け、
今は石巻に定住している、写真家の平井慶祐さんにも会えました。

この人の写真は、人物が躍動するから、大好きです。


ほんの少しだけれど、石巻のお話も聴けてよかった。会いたかった人でした。





昨年の5月が私にとって、大きな起点であったように、
今年の5月も、まるで半年間分程にも感じられる、濃密な月になりました。


来月からは少しは落ち着いた、動き方になっていくと思います。

どうしても疎かになっていた、自分のすぐ身近なこと、身の廻りのこと、
ひとつ、ひとつ、もっと丁寧に、見つめ合って、向き合って、

沢山を含んだこのいまの自分を、
より良い味で外に出せるよう、

皆様に色々なことを教えていただきながら、進んでまいりたいと思います。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子










昭和天皇が終戦時、
マッカーサー総帥に対し、

自分の命はどうなってもよいから、どうか国民が飢えぬよう、
米国の支援をお願いしたいと深々と頭をお下げになり、

マッカーサー総帥はそのお人柄に驚き、

日本国民の結集力、強さは、この象徴である人物を掲げた国であるからだったのかと、
痛く感心なされた。


このお話は、近年若い方も少し知るところとなったと思います。

私も初めてこのお話を知ったとき、
何とも言えぬ日本人としての感激を憶えました。


しかし陛下にとっては、その御言葉は、
何の特別なこともない、あたりまえの御言葉であったのかもしれません。


終戦前にも、陛下は苦渋の選択を下しておられました。

御前会議。

終戦を決めることとなった8月9日の御前会議では、
総理大臣司会のもと、外務大臣、各軍最高責任者らが意見を述べ、

外務大臣以外は、

一億総玉砕となろうとも、戦い抜くことが日本の名誉だという意見で一致します。

そこで総理大臣は、陛下にご意見を求めたのです。

ご意見を求めてはいけない御方に。


陛下は、こう話されました。


「太平洋戦争が始まってから、陸海軍のしてきたことをみると、予定と結果が、大変違う場合が多い。
大臣や総長は、本土決戦の自信があるようなことを、先程も述べたが、
しかし侍従武官の視察報告によると、兵士には銃剣さえも、ゆき渡ってはいないということである。

このような状態で、本土決戦に突入したらどうなるか、非常に心配である。

あるいは日本民族は、皆死んでしまわなければ、ならなくなるのでは、なかろうかと思う。

そうなったら、
どうしてこの日本を子孫に伝えることができるであろうか。

自分の任務は、
祖先から受け継いだこの日本を、子孫に伝えることである。

今日となっては、
一人でも多くの日本人に生き残ってもらって、
その人たちが将来再び立ち上がってもらうほかに、この日本を子孫に伝える方法はないと思う。

このまま戦を続けることは、
世界人類にとっても不幸なことである。

自分は、明治天皇の三国干渉のときのお心もちをも考えて、
自分のことはどうなってもかまわない。

堪え難いこと、忍びがたいことであるが、
かように考えて、この戦争をやめる決心をした次第である…」


日本国民と、さらに世界人類のために、自分のことはどうなっても構わないという、
陛下の広大無辺なる御仁慈に、ただただ皆ひれ伏したといいます。


陛下は更に、

国民がよく今日まで戦ったこと、

軍人の忠勇であったこと、戦死者戦傷者に対するお心もち、遣族のこと、
外国に居住する日本人、すなわち今日の引揚者に対し、
戦災にあった人に対して、御仁慈の御言葉を述べられました。


陛下のお言葉が終わると、
総理は立って陛下に入御を奏請し、

陛下はお足どりも重く、室をお出になられた。


午後11時より始まった御前会議、
この時既に、午前2時になっていました。


どのような時にも立憲君主制を貫き、
政治に御意見されることのなかった昭和天皇、
間違いを犯したと、後にこの時のことを語っておられるそうです。


しかしこの御言葉が無かったならば、
いま、恐らく私はここに存在していないでしょう。

あなたも、あなたのご家族も、国民すべて、
あの時で、何もかも終わり果てていたのかもしれないのです。



戦中戦後の、昭和天皇のお暮らしぶりをご存知でしょうか。


戦前昭和天皇は、
明治時代に落成した明治宮殿に住まわれていました。

昭和18年、
大型の爆弾に耐えうるようにと、防空施設・御文庫が造られました。

昭和天皇は午前中は表御座所で政務をされ、
午後はこの御文庫でお過ごしになりました。

御文庫の広さは1,320㎡。
地下1階と地下2階があり、両陛下の居住スペースのほか、
侍従たちの部屋や映写室、ピアノ、ビリヤードなどがあったそうです。

1トン爆弾に耐えうるよう、屋根の厚さ3m。
コンクリート層、砂層、コンクリート層の3層構造をしていました。


やがて戦局が悪化するにつれ、
御文庫でさえ危ないということになり、
御文庫のそばに新たな防空壕を造られました。

御文庫附属室です。

附属室は地下10mのところにあり、広さは330㎡。
会議室が2つと控室、機械室があって、それぞれ1mもの幅の鉄筋コンクリートの壁で仕切られていました。

御文庫附属室は50トン爆弾に耐える能力を持ち、
御文庫も6トン爆弾に耐えられるよう補強されました。


昭和20年5月、
米軍機B-29が、実に250機来襲し、焼夷弾を投下。

東京では16万戸が全焼し、皇居も大きな被害を受けます。


大小27棟もの明治宮殿も、全焼。


その知らせを聞いた陛下は、

「そうか、焼けたか。これでやっとみんなと同じになった」とつぶやいたと云われています。


翌日、その焼け跡を昭和天皇がご覧になります。
同行した警衛局長は焼失を詫びますが、

陛下は、
「戦争のためだからやむを得ない、それよりも多数の犠牲者を出し、気の毒だった。残念だったなぁ」とおっしゃったそうです。


以降、やむを得ず宮内省第2期庁舎を仮宮殿とし、
政務はそちらで、居住は御文庫という状況になりました。


広島、長崎に原爆が投下されると、
いよいよ皇居にも原爆投下されるのではという憶測も流れ、
両陛下は地下の御文庫附属室へ避難されます。


先にご紹介した、
8月9日と14日に御前会議が開かれたのもこの場所です。


そして、終戦。


東京は一面の焼け野原でした。

両陛下も御文庫での生活が続いていました。


しかし、この御文庫、
天井に詰めた砂は、建設当時雪が積もっていた砂をそのまま詰めてしまっていて、
溶けた水が、何年も経ってからコンクリートから浸み出し、ぽたぽたと落ちてくるのでした。


同じく御文庫附属室は地下深くにあったため、
そこから伝ってくる湿気も酷いものだったといいます。

スーツを吊るしておくと、一両日のうちに完全に湿ってしまったのだとか。


こんな場所に陛下を住まわせてはおけない、と侍従は御所の新造を提言しますが、

陛下は「世の中には住む家の無い人もあるのに、私にはこれだけのものがあるのだから」とあっさり却下。

せめて修理をと、調査すると天井裏からドラム缶2本半もの水が出てきたのだとか。

再三にわたり陛下に新造を奏上するも、陛下はこれに応じませんでした。


そして日本は、
戦後の混乱期を乗り越え、高度経済成長期を迎えます。


昭和34年、皇太子殿下御成婚で、
世間はミッチー・ブームに沸きますが、

その時もなお、
まだ両陛下は御文庫にお住まいになっておられました。


それからさらに2年、
終戦から、実に丸16年が経過して、

ようやく新たに建てられた吹上御所にお移りになったのです。


吹上御所は延べ1,504㎡。
鉄筋コンクリート2階建ての洋風建築。

「こんないい家に住めるようになったのもみんな国民のおかげだ」と、
この年還暦を迎えた陛下はおっしゃったのだそうです……





このような事実を、
私たち日本国民は、どれほど胸に刻むことが出来ているでしょうか。


神の国日本、という言葉…


私たちは、名実ともに、ずっと護られてきました。


私たちは、志高く、

身近な方々のために、地域のために、日本のために、世界のために、
あらゆる場面で、誇りの持てる選択をしたいと思います。

戦争においては、
私たち日本人こそが、その抑止力となるべき存在です。


大切な、日本人として生まれたことのお役目を、
思い出しましょう。



今日も、
ことだまの幸わふ国に
生かしていただき、
ありがとうございます。 愛子


Copyright ©日野愛子の、日本に氣づけるブログSAKIWAHI. Powered by FC2 Blog. Template by eriraha.

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。